はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

梶原山・竜爪山・賎機山縦走 3

2016-04-29 13:00:00 | 低山歩き
歩行記録                                                           H28-4-23(土)


歩行時間:11時間05分   休憩時間:1時間35分   延時間:12時間40分
出発時刻:6時20分     到着時刻:19時00分
歩  数: 43、104歩(推定距離30.6km)    GPS距離22.0km
行程表
 妙立寺登山道入口 0:30> 梶原山 0:20> 帆掛山 0:25> 柏尾峠 2:25> 高山 1:15> 帆掛山 0:10> 穂積神社
 0:50> 薬師岳  0:15> 文珠岳 0:40> 若山分岐 1:05> 見晴 0:50> 桜峠 0:35> 福成神社 0:55> 農道出合
 0:30> 賎機山 0:20> 赤鳥居

                           ミツマタか縦走か悩んでしまった
           
                      梶原山・竜爪山・賎機山縦走路概略図(標高は参考値)

      
            鉄塔上部は霧の中                    則沢分岐(ミツマタの群落地へ)

 文殊岳で昼飯を食べている時は霧も晴れていたので、予定通りミツマタの群生地を見て則沢に下ろうと思っていた。
だが下り始めるとまたもやガスは濃くなり霧雨になってきた。
さてこれから先はどうしようと悩みながら下っているうちに群生地への分岐に着いてしまった。
さーどうしよう、ミツマタの群落を確認すべきか、それとも別の道を下るか。
別の道と言ってもここからでは自然歩道を歩いて若山経由で牛妻集落に下るか、それとも桜峠方面に行くしかない。
そう云えば神社の所で若者に 「賎機山まで縦走する」 と恰好のいいことを言ってしまった。
それにミツマタは既に盛りを過ぎているらしいし、この霧では群生地の全体を見る事はできない。それに知らない道だし・・・・・と
否定的な事ばかり頭に浮かぶ。
もう一方の賎機山への縦走も昨年は途中で日没敗退をしているし、今日だって昨年と殆ど同じようなペースだから日没になるのは
確実だ。しかし今日は昨年に懲りてヘッドランプを持参しているので、その点は何とかなる。
それより去年は文殊からの長い下りで膝が痛くなってしまい苦労をしたが、今年は今時点では大丈夫だ。
時間は文殊岳を下り始めた時間が昨年は1時10分だったが、今年は1時丁度と10分早くなっている。
こうなれば去年のリベンジをやれと云っているようなものだ。そう思うと力が湧いてきた感じもする。
ミツマタは来年に回せばよい。今日は梶原山・竜爪・賎機山の縦走に挑戦しよう。

      
                  若山(東海自然歩道)分岐                        一層暗くなってきた

 若山(自然歩道)への分岐を過ぎると道は細くなり傾斜を増す。林の外はまだ明るいが林の中に入ると暗くなる。
流石こんな陽気なのでこの道を歩く登山者いなく文殊からの一人旅は続く。

 
                  ミツマタ(三椏)                              ミツマタ(三椏)

 この縦走路の途中にも規模は小さいがミツマタの群落地があり、まだまだ花は咲いていた。
しゃがんで写すのが大変になってきたので、カメラを適当に花の下に構えて撮っていると、後ろで “ガサガサ” と音がした。
 “ビクッ” として振り返るとカメラを持った男性が立っていた。フ~びっくりした。
話を聞くと地元の人で散歩がてらに来たのだという。散歩か~ こっちは昨年のリベンジをするべき必死なのに随分違うものだ。

 それにしても今年は若山分岐からの道が厳しく感じてならない。こんなに急で細かったかな? と考えて見たがもう分からない。
何は兎も角雨が霧雨で良かった。こんな所を傘を差しながら下るのは、危ないし時間も掛かってしまっただろう。

  
            ケルン                   新しい林道                     遊歩道だって

 低山の目印はリボンやテープが殆どでケルンには余りお目にかかれない。このケルンも大した物ではないだろうが、上に置かれた
石が人が座っているように見えたので写しておいた。

 新しい林道を造成している現場に着いた。林の中では気がつかなかったが、いつの間にか霧は晴れ霧雨も止んでいた。
この工事現場に初めて来た一昨年は、工事中の林道はここで終わっていて先を工事中だった。
それが昨年は舗装こそされていなかったが赤土の林道が上に延びていた。そして今年は舗装された林道が上に延びてはいる。
まだガードレールなどの付帯工事が終わっていないのか通行禁止のままだったが。
それにしても3年経っても完成しない林道で、採算は取れるのだろうか。林道などでなく大型ドローンのような物で搬出できれば
自然破壊をしないで済むと思うが。

 登山道の出入口には 「遊歩道出入り口」 の標識を建ててくれてあるので迷わないで済む。
高山の上でやっている太陽光工事の現場も、上と下に標識があれば助かるのだが。
 昨年ここに来た時は、これとは違う標識が立木に張ってあって、そこには 「東海自然歩道」 と書いてあった。
それを見て 昨年のブログ には “東海自然歩道はもっと上だと” 書いたが、今年はそれを見たかどうか、同じ歩道でも “遊歩道” に
変わっていた。(でも遊歩道もな~)
 だが昨年これもいちゃもんを付けた行先の地名は相変わらず “しづおか” のままだった。せめて “桜峠” とか “鯨ヶ池” にすれば
と書いたが、そのままなのを見ると矢張りこのブログは見ていないかったのだ。(当然な事だが)

 
              安倍川を渡る新東名                               お茶摘み

 林道から入った山道の先に見晴らし良い場所がある。昨年は膝が痛くて座り込んでしまった所だが、今年はウーン!
正直に言うと右膝の外側が少し痛くなってきている。竜爪の文殊岳から始まる長い下りが影響しているの間違いないが、まだ先は
長い。何とかもってほしいのだが。

 お茶摘みをしていた。と言っていいのだろうか? 機械を使ったお茶摘みは摘むのではなく刈るのだからお茶狩りか?
道に刈り取った茶葉が置いてあるが、この程度なら私も農家の人もどうと云う事はない。しかし刈り取った茶葉や茶摘みの道具が道
一杯に広がった所を歩くのはお互いに気を使う。今日も 「儲かりますねー」 と声を掛けたら 「歩きづらくて悪いねー」 と返ってきた。

 
                  新東名上から                              新東名上から

 今日3ヶ所目の難所の新東名に着いた。ここは樹木が伐採され眺めはいいのだが私の苦手な階段がある。
マー下の写真を見てください。

  
                                     新東名の階段

 下の段が見えにくい程の急な階段で、しかもその段差が半端ではない。私のように短足な者は一苦労も二苦労もしてしまい
疲れが倍加してしまう。最初にここに来たのは竜爪に向かう登りだったが、強い日差しもあってバテバテになってしまった。
その為この階段が一遍で嫌いになってしまった。
下りだって大変で、余りに急で高い階段のため、手摺に掴まりながらでないと怖くなる。その手摺に茨が巻き付いていたりすると
更に腹も立ってくる。NEXCO中日本の設計者は一度竜爪の階段を見に行くべきだ。

      
           新東名の階段                                  新東名

 下りの時だってしっかり登りの階段がある。泣くに泣けないがこの階段を登りきれば桜峠すぐ近くにある。我慢、我慢!

 どうですか、これが新東名を挟んだ対岸から今下ってきた場所です。あの上まで真っすぐ階段を上り下りをするのですよ。
NEXCO中日本には斜めに階段を付ける発想はないのかな?

 
                桜峠の茶畑                                  桜峠の茶畑

 桜峠に3時50分着。新東名の階段をブツブツ言いながら下ったので、罰が当たったのか右膝の外側が痛くなってきた。
去年は若山の下りで膝が痛くなったが、桜峠を過ぎてから痛みは大分治まった。それが今年は若山の下りで痛くならなかったので
助かったと思っていたが、ここに来て痛くなってきた。
平らな所や上りでは痛まないのに、下りになると千枚通しで差すように痛みがくる。それでもここからは下り一方の道ではなく
上り下りの続く道なので何とかなるだろう。

 沼津アルプスや静焼アルプスを歩いても足に痛みが来ないのに、ここでは2年連続痛みが起きた。
その理由は簡単明瞭で、私の足には連続した下りが長過ぎるのだ。
1041mの文殊岳から240m下って800mの若山(東海自然歩道)分岐の下りは序の口で、分岐から更に次の桜峠まで700mを
一気に下るので、合わせれば950mを下る事になる。
それでは70年以上も使い込んで脆くなってきている足腰は、痛くなって当然とも思う。
そんな泣き言を云っていても始まらない。先を急ごう。

 
               街が見えて来た                                福成神社

 桜峠を過ぎると茶畑の中の道が多くなり傾斜も緩く、時間させあれば気持ち良く歩ける道だ。だが今はそんな事を言っている時では
ない。明るいうちに少しでも先に進もうと今日一番の速さで歩いた。ただ下りになるとそのスピードは極端に遅くなるが。

 日本平や静岡の街並みが見えてくれば賎機山稜の福成神社は近い。
写真で見ると明るく見えるが実際はもっと暗く、自分以外に動く物があればドキとしてしまいそうだった。

 
                帆掛山が見えた                              畑総記念碑

 朝歩いた梶原山と帆掛山が見えてきた。2本目の尾根の最初の頂が梶原山で、三つ目の頂が帆掛山だろうか。
こうして見ると案外近い所に見えるのが寂しい。足を痛くしてまで歩いているのにあれしか離れていないのかと・・・・
でもこの縦走路は入口と出口は狭いが、奥が深いのと高低差があるので私には少々荷が重すぎるようだ。

 去年は畑総の記念碑がある所で縦走を止め農道を下ったが、さて今年はどうしよう。去年ここに着いたのが5時40分だったが
今年は5時30分で10分早い。更に去年は4月18日に歩いたが今年はそれより5日遅いで、それだけ日没も遅くなっている。
それに決定的な事は今年はヘッドランプを持っていることで、これがあれば途中で暗くなっても恐れる事は無い。
これで止めたら私にはここの縦走は永久に出来ないだろう。言うなればこれが最後のチャンスなのだ。もう行くしかない。

 
          まだあれを越さなければならない                          先は長そうだ

 意を決して農道と別れ山道に入ると、前方に三角点のある一本松の頂が見えてきた。フーと溜息がでるが実際歩くとそれ程でもなく
着く事ができた。更に先が見える所では賎機山稜の先端まで見えていた。ゴールはあの最先端だからまだ大分ある。
もうこうなれば先は見えない方がいい。

 
                  賎機山                                 賎機山からの夜景

 6時30分にランプを点灯した。まだ点けなくても何とかなるが、明かりをつけていれば猪除けになるのではと考えた。
猪や鹿の出現する時間は朝方と夕方が多いと聞いた事がある。明るい時に遠くからなら見てみたいが、こんな暗くなってから
遭遇するのは願い下げだ。果たして効果が有るのか無いのか分からないが、点けないよりはいいだろう。

 ランプを点けてほんの5分も歩いて着いた賎機山には、街灯が辺りを照らしていた。こんな事ならランプを点けなければ良かった
と思ったがもう遅い。
 朝方ランプを点けて山道を歩くのは抵抗ないが、夕方こんな低い山をランプを点けて歩くはどうだろう?
歩きが趣味でない人がこんな私を見たら、“何をしているのだ” と訝しく感じるのではないかな。
と、ランプを消して下りだしたが街灯の明かりが届かなくなると、もう真っ暗で歩く事ができない。
慌てて仕舞ったばかりのランプを取り出して装着する始末でした。

      
              万物尊愛                               赤鳥居

 最後のピークの賎機山に着いて気が緩んだのか、足の痛みが増して真っすぐ歩けなくなってしまった。体を横にして痛い左足を
前にすれば痛みは和らぐようだったのでズートその態勢で下って行った。何とも格好が悪く他人には見せれないな。
おかげで10分もあれば下れるだろうここを、倍の20分も掛かり何とか到着出来た。時間は7時丁度だった。

 鳥居の横の交番の明かりを利用してメモを取っていると雨がポツポツ落ちてきた。今度は霧雨ではなく完全な雨だ。
これでは駅まで歩くのは嫌だと近くのバス停に行くと、さすが県都だけの事はあり、待つ間もなくバスが来た。
結局霧や霧雨の湿った1日になってしまったが、傘を使う事がなく済んだのはラッキーだった。

 もうこんなきつい縦走はこれが最後にしたいが、今日は前回のリベンジも果たせたので静岡駅での乾杯は格別美味しかった。

梶原山・竜爪山・賎機山縦走 2

2016-04-27 12:00:00 | 低山歩き
歩行記録                                                           H28-4-23(土)
歩行時間:11時間05分   休憩時間:1時間35分   延時間:12時間40分
出発時刻:6時20分     到着時刻:19時00分
歩  数: 43、104歩(推定距離30.6km)    GPS距離22.0km
行程表
 妙立寺登山道入口 0:30> 梶原山 0:20> 帆掛山 0:25> 柏尾峠 2:25> 高山 1:15> 帆掛山 0:10> 穂積神社
 0:50> 薬師岳  0:15> 文珠岳 0:40> 若山分岐 1:05> 見晴 0:50> 桜峠 0:35> 福成神社 0:55> 農道出合
 0:30> 賎機山 0:20> 赤鳥居

                             太陽光発電工事で道が無い
           
                      梶原山・竜爪山・賎機山縦走路概略図(標高は参考値)

 
             農道で山道が分断されている                      清々しい新緑

 このコースの難関の一つの高山への登りが済んでホッとしたせいもあるが、歩き易い高山の下りはゆっくりになってしまう。
今日は早朝登山の人に会った以外は登山者とは会っていないが、ここから神社の間では少し歩く人が増え、神社から竜爪へは
更に多くなるだろう。それに今日は土曜日なので更に賑わうだろう。

 そんな事を考えながら下っていると、後ろか勢い良い足音が聞こえてきたので慌てて除けると、その横を2名の若者が小さな
ザックを背に勢い良く下って行った。若いっていいもんだなーと羨まし気に見送る

 登山道が分断されていて一旦農道に降りると、そこにトレランの2人が休んでいた。
 「高山の登りも走って登るのですか?」 と聞くと
 「走っている積りで歩いてます。」 だって。

 再度山道に入ると清々しい新緑の林が待っていてくれた。植林された林の中の道ばかりだと飽きてくるので助かる。

      
            伐採地が太陽光発電所に                              ここしか歩けない

 今まで広範囲の伐採地だった場所に着くと、伐採地は太陽光発電所に変わっていた。パネルの取付工事はまだ行われていて
作業をしている人が見える。昨年は右に見える林と伐採地だったパネルのある境を登山道が伸びていたので、行ってみたが
道は無い。どうやらここの整地工事の時に削り取られてしまったようだ。
仕方なく作業員のいる方に向って 「登山道は何処ですか?」 と、大声で呼び掛けるが、無視!
それではと空地を歩いて作業員の方に向って行くと
 「ここは危険ですから出てください。」 と注意をされてしまった。
 「去年まで、あっちにあった登山道はどうなったのですか?」 と指をさしながら聞くも
 「道はありません。ここは危険ですから出てください。」 としつこく言われる。そうは云ってもこちらも困るので
 「竜爪に行くのにここが通れないと困るのだけど」
 「神社に行くなら下の車道を行けば行けます」
 「この工事は民間の工事ですか、それとも公共工事ですか?」
と聞くと
 「おれらには分かんないから、あの箱番にいるガードマンに聞いてくれ」 と言葉も荒くなってきた。
ここで言いっこしてしても仕方ないので、ガードマンに聞いてみようと一旦農道に出た。
それでも登山道の入口を見落としていたとなると困るので、一度農道を戻って山道の入口を探した矢張り無い。
再度農道を箱番に向かっていると、パネルと林の間を下ってくる人が見えた。最初は作業員か登山者か区別がつかなかったが
暫くするとザックを背負っているのが見えて来た。それ見ろ、あすこしか道は無い筈だと、また空地に入っていった。
 「ここは本当に危ないから外に出てください」 と云われるも、登山者の方を指さし
 「ほら、あすこを下ってくる人がいるじゃないですか。あそこが道だったのですよ」 というと、今まで黙っていた別の作業員が
 「そう云えば、あそこを歩いている人を時々見かける」 と言ってくれた。
そのお陰で今まで強く言っていた人も黙ってしまったので強引にパネルの横を登りだした。

 まだ踏み跡も無く茨の木が生えた道は、歩き易くはないが藪漕ぎの事を考えれなどうと云った事はない所だった。
上から下ってきた人は私より年寄りに見える女性で、私が声を掛ける前に
 「工事の人たちはなんて言ってました?」 と聞いてきた。
きっと私が作業員とやりあっているのを上から見て、心配しながら下ってきたのだろう。
 「最初は危ないから駄目だと言ってけど、上から下って来るのを見て通してくれました。」 と安心してもらった。

 
            今日は景色は駄目だ                           太陽光パネルはまだ上にもある

 見晴らしの良い地点に着いたが案の定景色は駄目で上空は黒い雲に覆われだした。
ここはパネルの中間地点で、今度はフェンスと藪の間の道になった。

 
                ミヤマシキミ                                ミヤマシキミの実?

 盛りを大分過ぎてしまったミヤマシキミの花が残っていたが、その横に赤い実を付けた枝も見える。
ミヤマシキミは湖西連峰で色の付いた花を調べた時に見た資料に、 実は「秋にきれいな赤い実がなるが有毒。注意。」 とあった。
今季節は春。秋になった実が冬を越してまだ付いているのか? それにしては実は萎びてもいずにきれいなものだ。
素人の一人歩きは問題が起きても解決する術もなく宿題として残るのみだ。いや最近はその宿題さえも忘れてしまうようになっている。

      
                  上からの登山道の目印                            ここを行く

 この場所が上から来た登山道の場所です。せめてここと下に登山道の標識があれば困らないのだが。
マー工事が終われば歩く人も増え踏み跡もできてくるだろう。

          
                霧が出て来た                              帆掛山

 伐採地では霧は出ていなかったが林の中に入るとガスっていた。どうせ景色は見えないのだから霧の中の方が涼しくていい。
今日2個目の帆掛山は霧の中だが、霧が無くても視界は効かない山頂だ。
昨年ここを歩いた時はこんな風に書いていた。
 「ラミネート加工された標識がポツンと建っているだけの帆掛山の山頂。ここも帆掛山というようだが根拠はこの紙きれ1枚だけ。
帆掛山と云うからには海から帆のように見えるからだろうが、この山はほぼ平らな山頂で麓から目立つ山ではない。それに帆の
様な大きな木が立っていたのかもしれないが、それとて海からは大分離れているし、近くには高山や竜爪など、ここより高い山が
控えているので目立つことはないだろう。
ネットで調べてもヒットするのは一本松公園の帆掛山ばかり、しかも 「安倍山系」 でもこの山は848峰となっている。
一つの尾根の中に同じ山名があるのも紛らわしいしが、今回は一先ず 「帆掛山」 で紹介しておきます。」
と結論を出してない。

 それが竜爪をホームグラウンドにする賢パパさんの最近のブログ 「結論・もうひとつの帆掛山(賢パパ的推理)」 では、穂積神社の
近くにある標識の山名の順番から、一本松公園の帆掛山と取り違えたものと結論を出している。
しかしこの結論を導くためには、先ずこの標識の存在を知る地理的知識と、しかもそこから推理する推理力も必要になる。
例え私がその標識を見ても推理することはできないし、そもそもその標識も見た事はない。
故に私には地理的知識も推理力の両方が無く、妄想的空想力に頼るしかないため、結論を出すことができない。

 
          立山の入口(通行禁止か)                            ミツバツツジ

 帆掛山の先で穂積神社への道は西に曲がっている。直進の道は通行禁止なのか材木やロープで塞いである。
その中に古い道標が混じっていて、そこには 「⇦ 立山 888.8m」 となっていた。
オッ! これはいいゾ! 末広がりゾロ目の標高だ。 「ハハハ.ハ」 とお笑いの山でもあるし 「ははパパ」 で夫婦の山にもなる。
と、一人喜んでいたが、家に戻り地図を見たら 「888.6m」 だった。

 分岐を過ぎて穂積神社までの道はこのコースでは少ない自然林の中の道になる。時折木の名前を書いた札なども下がっていて
遊歩道的雰囲気がある。ただこの道に入ると雨の音がしてきた。
今までは植林された林の中の道で、雨音には気が付かなかったが、雨が笹の葉などに当たり音をたてているようだ。
まだ気にする事もない量だが少々困ってしまった。実は今日は降水確率が低かったので雨具は折畳傘しか持ってきていない。
以前は必ず合羽と傘は持参していたが、最近は重い合羽から軽いポンチョ二なり、更に進んで降水確率が低いとそのポンチョも
持たない様になってしまった。
 普通の低山なら傘で間に合うが、竜爪からの下りはかなりきつい。その中を傘を差して歩くのはチョットな~。
雨が止んでくれることを願うだけだ。

      
                      穂積神社                                  夫婦杉

 平山への降り口でもある穂積神社では霧雨状の雨は続いているが、この程度なら大丈夫だ。きっとこの雨は止む。と信じよう。
上から高山であったトレランの若者が下ってきた。彼らが休んでいたのを追い越したのに、その後追い抜かれた覚えはない。
聞いてみると 「太陽光の所から農道を走った。」 のだそうです。
逆に何処まで行くのか聞かれ、つい分かりやすく 「賎機山へ下る予定」 と言ってしまった。
彼らは驚いて 「話には聞いていたが本当にやる人がいるんだ」 と感心されてしまった。
興味を覚えたらしく 「何時間かかるのか? 到着時間は?」 と矢継ぎ早に聞かれる。
 「足が遅いので13時間の予定だが、君らなら半分の6時間もあれば十分じゃないかな。7時までには着きたいと思っている。」
 「ウーン6時間は無理だけど8時間なら何とかなりそうだ。もう少し鍛えてから挑戦してみます。」
だって。頑張ってください。

 神社の裏の分岐点の標識が 「俵峰・富士見峠」 となっていた。この道を行った所が安倍山系で 「尾根までの高度感が凄い。
安倍山系ではあまり見られない風景だ。」
と紹介されている 「カモシカ新道」 へ通じる道のようだ。
一瞬 「ウッ!」 と、その気になったが、止めようこの天気だ。と思い直した。アー霧雨で良かった。

                
                   薬師岳の階段                         二輪草みたいだが花は一輪

 今日二つ目の難所の薬師岳への階段が始まった。階段が嫌なら山道を歩けばいいじゃないかと思うが、その方がもっと大変そうだ。
この階段の良いのは段差が狭いのと、2列になっているので擦れ違いに困らない事だ。
この階段と相反する階段は桜峠手前にある新東名の階段で、ここの階段の設置者が山を歩く人の身になって作ってくれたに対して、
新東名の階段は、兎も角作ればいいだろうと作ったような階段だ。あの階段は上りでも下りでも歩きたくないな。

 上から続々登山者が降りてくる。中には完全武装の人もいて、私のようにチョッキにシャツだけの人はいない。
上は霧雨じゃあなく本降りなのか不安になってきた。マー上まで行って本降りなら引き返せばいいやと、そのまま階段を上る。
 後ろから軽い足取りの若者が登ってきて私を追い越していった。

 
                真富士への分岐                              薬師岳山頂

 階段が終わりしばらく行くと真富士への分岐に出た。標識には 「俵峰 4.5km」 とあるだけで真富士の表示は無いが、ここが尾根の
縦走路だろう。実は今回のコースは当初は梶原山から真富士への縦走を考えたが、如何せん道を知らなすぎる。真富士までは行き
つけたとしても下りの林道も長い。そこで暗くなったら例え明かりを持っていても不安のどん底に陥るだろう。
更にコース的欠陥にも気がついた。穂積神社側から登ると分岐に出たあと薬師岳と文殊岳に登って、同じ道を分岐まで戻らなければ
ならなくなる。普通ならそれで何ら問題は無いだろうが、私としては同じ道を往復するのはなるべくしたくない。
そうなると真富士縦走は、真富士から竜爪へ向い東海自然歩道側に下るしかないと、今回は真富士への縦走は止めにした。

 薬師岳のベンチは先ほどの若者が休んでいて、私が文殊に向かうのを見て 「大丈夫ですかね~」 と声を掛けてきた。
何が大丈夫なのだろう? 雨か、霧か、私の体力か、それとも自分の脚力か。何とも言いようがないので笑って誤魔化した。
これって “微笑返し” っていうのかな?

 山頂の左側には傾斜のきつい直登コースがあるらしいが踏み跡は分からなかった。マー私には無理な道で歩く事はないだろう。

      
                   霧が濃くなってきた                               文殊岳山頂

 霧が濃くなり同じ霧雨でも水分の量が増えてきたようだ。困ったものだ。
文殊岳には3回来ているが、そのうち2回カモシカに遭遇している。今回も期待をしていたが、カモシカもジトジトした日には出歩か
ないのか姿は見えなかった。

 文殊岳の一等三角点は、先週登った高根山と一等三角点の網を構成しているので、山頂から高根山を確認したいと思っていた。
しかし生憎の空模様で景色は見る事ができない。いやどうやら高根山の方向は晴れていても見通せそうもなさそうだった。

 文殊に着きしばらくすると辺りは明るくなってきて霧が薄れ霧雨も止んできた。木の下で昼飯を食べようと思っていたが、これなら
ベンチでも良さそうだと、より取り見取りのベンチに腰掛け昼飯にする。

梶原山・竜爪山・賎機山縦走

2016-04-25 14:55:35 | 低山歩き
歩行記録                                                           H28-4-23(土)


歩行時間:11時間05分   休憩時間:1時間35分   延時間:12時間40分
出発時刻:6時20分     到着時刻:19時00分
歩  数: 43、104歩(推定距離30.6km)    GPS距離22.0km
行程表
 妙立寺登山道入口 0:30> 梶原山 0:20> 帆掛山 0:25> 柏尾峠 2:25> 高山 1:15> 帆掛山 0:10> 穂積神社
 0:50> 薬師岳  0:15> 文珠岳 0:40> 若山分岐 1:05> 見晴 0:50> 桜峠 0:35> 福成神社 0:55> 農道出合
 0:30> 賎機山 0:20> 赤鳥居

                             コアジサイの群落か
           
                      梶原山・竜爪山・賎機山縦走路概略図(標高は参考値)

 賢パパさんに聞いた 「竜爪のミツマタの大群落」 を遅ればせながら見に行こうとコースを考えた。
 “草薙駅-平山-竜爪-則沢分岐-ミツマタ群落-則沢-草薙駅” としたが、行きも帰りも同じになり面白くない。なら
 “草薙駅-梶原山-竜爪-則沢分岐-ミツマタ群落-則沢-草薙駅” なら変化もあり距離も伸びると出発をした。

 それがどうした事かコ-スがいつの間にか変わってしまい、昨年日没敗退した “梶原山-竜爪-賎機山” になってしまった。 
その原因についてはおいおい説明していきます。

      
             妙立寺裏の登山道入口(地図の場所)                        日本平が見えた

 妙立寺裏にある登山道入口から上り坂は始まる。標高差270mを一気に登る道だが、後ろを振り返れば草薙の街や日本平を
眺める事の出来る。
昨年は気がつかなかったが、今年は明るい黄色い花を付けた木が何本もあった。こんなにハッキリした花に気が付かないわけは
ないので、きっと咲いていなかったのだろう。 そんな道も中間点の看板辺りから林の中の道になってしまう。

 
                 梶原山山頂                                清水港が見えた

 梶原山山頂には早朝登山と思しき人が3人休憩していたが、一般ハイカーはいなかった。
それもそのはずで今に時間はまだ7時前。こんな早い時間にこんな低い山に登るハイカーはいなくて当然だろう。

 四阿から清水方面を見ると雲の合間から弱い光が天子の梯子になって駿河湾に注いでいる。クレーンの伸びた櫓も何本か見えて
いた。今日の天気予報は曇り時々晴れで、昼頃は日が射すと云っていた。降水確率は日中は10%で、朝夕は20%と、雨の心配は
ない一日だと予報されていた。

 なのに上空は雲に覆いつくされていてこれから行く高山、竜爪などは雲が覆っていて見る事が出来ない。
マーこれも一時の我慢で、その内明るくなるはずだ。

      
                     帆立山山頂                              大内村の二等三角点

 帆立山にも早朝登山の人が一人いて山頂の鐘を鳴らしていた。鐘の近くにある三角点の標石の上に方位磁石を置き、標石の
向きを調べると西方向を向いていた。
このように向きが南向きでない三角点は明治時代の物と、先日知ったばかりなので、ネットの 「基準点成果等サービス」 で調べて
みると 「選点年 大正明治18年 設置年 昭和4年」 となっていた。(大正は私の誤記入でした)
ウーン! それならここの三角点は南向きの筈だが・・・・・

 
             前方の高山は見えなかった                      賎機山の山稜が見える(2本目)

 空が明るくなってきたが前方に見えるはずの高山や竜爪は相変わらず雲の中で見えていない。
後ろを振り返るとさっきは見えなかった賎機山の山稜が見えるようになった。天気予報通り徐々に晴れていくようだ。


      
           茶畑の中の登山道                            バナナ林?

 静岡の里山を歩けばお馴染み茶畑の中の登山道だが、雨の跡とか、霜の降りた朝だと服がビッショリ濡れてしまう事もある。
また農家の人が茶畑で作業中だと歩くのに結構気を遣う道でもあります。

 登山道と農道が接近した所に芭蕉らしき葉を持った木が何本も見えていた。
まさかバナナではないよな。こんな路地でバナナが実るわけはない。かといって芭蕉を何の為にこんな沢山植えたのだろう。
まさか芭蕉布の材料にするためか・・・・


   
                     柏尾峠                              天保時代の地蔵尊

 芭蕉らしき植物の写真を写すため農道に下りたので、そのまま農道を柏尾峠まで歩けば5分は短縮になるのではないかと、
ケチな考えが頭をかすめ即実行する。自称 “歩きが趣味” なケチな男でした。

 柏尾峠については、昨年梶原山からの縦走記でクドクド書いたの こちらを 参考にしてください。

  
           破れ傘?                 ではスペードグサか           ハチノジグサ?いえミズヒキです

 ブログの山の花の写真で 「ヤブレガサ」 をよく見かけるが、それに似た傘が破れ様な草はあちこちに雑草のように生えている。
それこそ写真の葉がヤブレガサならネットでわざわざ紹介するわけもないし、と植物図鑑をみると矢張り違うようだ。
ヤブレガサの名の起こりは写真のように開いた傘が破れたからではなく、笠を半開きの状態の時に破れたように見えるとある。
その写真を見て、なるほどヤブレガサだと納得ができた。
写真の草が生えていた付近にそのような半開き状態の物は見当たらなかった。と、なるとこの葉は単なる雑草か?

 写真がヤブレガサなら次なる葉はスペードグサと名付けてもよさそうだ。
そして次なる草はハチノジグサ(八の字草)か、はたまたハノジグサ(ハの字草)か。イエイエこの草の名前は知っています。
もう少し立つと花茎が伸びてきて小さな花が幾つも咲いてきます。種類にもよるがこの辺りのミズヒキは上から見ると赤く、下から
見ると白くなり、あたかも紅白の水引のように見える事から名が付いたという。花が咲く頃には八の字模様は消えてしまいます。

 
                  吊  橋                                山原中継所

 山頂に中継所がある通称 「山原(やんばら)」 の大道山が随分近くに見えてきた。この山は山原地区から登り、山伝いに
柏尾峠に行こうとしたが、道が分からず梅ケ谷集落に下ってしまい、そこから柏尾峠に戻り直したことがある。
そのため何時かは再度歩き直そうと思っているのだが、最近はその気持ちが強くなってきた。
その理由は 「黒ラブ賢と賢パパの薔薇と酒の日々・・・たま~に山」 の賢パパさんが時折大道山の写真をアップしてくれる。
その中で雲海が漂う第二東名と富士山の写真が素晴らしく一度はその景色を見てみたいと思いだした。
だが雲海がいつ出るか分からず家から来るには遠すぎるので、所詮は儚い夢に過ぎないでしょう。
ならせめて大道山からの富士山は見ておきたいと思うこの頃です。

 雲海と云えば最近有名になった兵庫県の竹田城は、地元の愛好家が雲海の出そうなときに写真を撮りに通いつめたそうです。
その写真がコンテストに選ばれたのがブームの切っ掛けとか。
賢パパさんも傑作写真を物にして大道山を世に知らしめてください。

  
      放置茶畑の中の道                いずれはこうなる                   第2東名

 放置茶畑の中の道もこの程度なら何ら問題が無いが、登山道の手入れがされないと2枚目の写真のようになり次第に歩く事が
難しくなってくる。
 大崩山塊でも以前はメインのコースだったのが途中の茶畑が放置されてからは、雑草が生い茂り夏には歩く人が少なくなった
道もある。せめて草刈りぐらいは協力したいと思うのだが、草刈鎌や鋸も無い状態では購入してまではと二の足を踏んでしまう。
結局思うだけで何の協力もしないで文句ばかり言う年寄りに成り下がってしまっている。

 
           山原中継所への道(右)                               灌漑施設

 ここが大道山への分岐点です。高山に向かう道より大分歩かれているように見えるので、こちらから歩けば苦労しないで大道山に
行けそうです。

 山道近くの場所に土管を立たような物が所々にあり、鉄の蓋をどかして中を覗くと蛇口が見えた。
途中の道脇には水道のバルブの様な物もあり、茶畑用の灌漑設備だろうと思っていた。だがそれにしてはいささか大袈裟すぎると
思っていたら、今度は茶畑も何もない山林の中にも土管が出て来た。
ではこの灌漑設備は山林にも水を供給しているのか? あまり聞いたことはないなー。逆に山林が水源地の自然の溜池としての
効能があるとは聞いているが、その山林に水を撒く? 
この程度の低山ならそれも可能だが、大井川や天竜川奥の山林に果たしてそんな事が可能だろうか???

            
         薄紫のスミレ                白っぽいスミレ               マムシグサ

 たまには花の写真をと思ってもこの程度の写真しか写せなかった。
実は昨日地元の山野草展を見てきたが、その中にテンナンショウの仲間のマムシグサ(蝮草)、ウラシマソウ(浦島草)、ムサシ
アブミ(武蔵鐙)、ユキモチソウ(雪餅草)が展示されていた。
この中で私が山で見た事のあるのはマムシクサとウラシマソウの2種だが、ウラシマソウは一昨年一度見ただけだった。
そのとき見たウラシマソウソウの釣り糸(蔓)の出先は、仏炎苞(ぶつえんほう)の先から伸びていたと思った。
だが展示会のウラシマソウの蔓は全て仏炎苞の中から出ていた。中を覗いてみたかったが展示物なので触るわけにはいかない。
家に帰り調べてみると私の勘違いで蔓は仏炎苞の中から伸びていた。

 
                       ネットにあった写真を利用して説明を加えました

マムシグサ=  仏炎苞は緑のものや紫のものがあり、葉よりも上に出る。棒状の付属体を持つ。
ウラシマソウ= 仏炎苞は褐色の舌状の舷部を持ち葉の下につく。付属体の先が長く糸状に伸びて垂れ下がるた。
ユキモチソウ= 仏炎苞は筒部の外側が紫、内側は白く先端は垂れない。付属帯は餅のように丸く白く膨らんでいる。
ムサシアブミ= 鐙の名は仏炎苞の形状から。私見だが展示会の仏炎苞の先端は丸まっていた。

 この山にもマムシグサは沢山あるが他の種類は見当たらなかった。そこでマムシグサの仏炎苞の付属体を見てみようと
そーとスカートを捲るように剥がしてみた。(なんか隠微な感じで胸がドキッとした)
中には白い棒のような1本延びていた。マムシグサは雌雄異株とあったがこれは雄だろうか?

      
                       800m峰                               高山南峰の標識

 大道山(山原)への2カ所目の分岐を過ぎた辺りからは、傾斜がきつい長い道が始まる。
最初にここに来た時は、薄い踏み跡と目印が少ない道で、登りは良いが下りは道を見失いそうで嫌だと思った。
それが昨年登ってみると、ジクサクのはっきりした道になっていたので歩く人が増えたのだと思った。
ところが今年は3度目で落ち着いていたのか、その2本の道がある事に気がついた。ナ~んだだった。

 柏尾峠の標高が225mで高山南峰は800m。標高差575mだからきつい筈だ。
だがいずれにしてもその傾斜のきつい道は高山の南手前の南峰までで終りで、そこから高山は楽になる。

 
               コアジサイか?                              コアジサイの群落?

 高山南峰を下りだすと西側の斜面にコアジサイ(小紫陽花)と思われる小木が出て来た。葉はコアジサイにそっくりだし蕾は小さくて
定かではないが付き方がアジサイに似ている。多分コアジサイだろうと思っていたが、更に先に進むと同じ木が群落を作っていた。
そうなると急にコアジサイかどうか自信を持てなくなってしまった。
だって、これだけの群落のコアジサイなら 「高山のコアジサイ」 として知られているだろうが、そんな話は聞いた事が無い。

 家で “高山 コアジサイ” で検索するとヒットしました。間違いなく静岡の高山です。
しかし中を開いてみると、いずれも静岡市葵区水見色にある 「高山・市民の森」 の記事でした。
残念というかシメタというか、若しこれがコアジサイなら 「竜爪・高山のコアジサイ」 ネット初登場の栄冠に輝く事ができる。
なんて想像してしまいました。

 
                                   高草山のコアジサイ

 参考までに、これが一昨年5月24日に写した高草山のコアジサイです。10本程度だったが中々良かった。
この花が群落を作っていれば、ボヤッと浮かび上がるような花園の中に一人佇むなんて素敵じゃないですか。
また宿題が出来てしまったようだ。

      
                      高山の鉄塔                                 真下から

 高山の送電線の鉄塔は、ここより西の方向から良く見える鉄塔で、竜爪の山座固定に使っています。
鉄塔の場所は登山路より少し離れているが今日はここに来る目的があった。最初にここに来た時は鉄塔から再度登山路に戻り、
高山の北を巻く登山道で山頂に向かった。
昨年は鉄塔の先に山頂への道はないかと探したが分からず、登山道に引き返して途中から道と離れ上に向かって山頂に行った。
今回は鉄塔の下からの道が無くても強引に山頂に向かうつもりだ。

 
                将来は植物園?                               ヒメイワダレソウ

 何だろう鉄塔を過ぎた所にバラ線やロープで囲んだ所がある。名札らしき物が各所に下がっていたので、読んでみると “ハーブ”
とか “ヒメイワダレソウ” など書かれている。そのヒメイワダレソウのしたには赤い花が見えている。
ここの植物園でも開くのかしら? それにしても鉄条網はいただけないな。

 因みにヒメイワダレソウを調べてみると 「地面を這うように広がり、ピンクの花をたくさんつけグラウンドカバーに最適」 とか
 「雑草を駆逐するほどの繁殖力で手間も掛らず、あっという間に広がる小さな花が集まった花です」 とあった。
それならここは雑草で一杯なのだから最適かもしれない。だが載っていた写真と、ここの赤い花とは違うような気がする。

      
                       高山山頂                                  山名表示

 鉄条網の横に着いている踏み跡を登り、林の中に入ると。ナ~ンだ。山頂の表示はすぐ先にあった。
登山道は送電線の点検路を利用しているので遠回りになっているのだろう。

高山山頂に10時8分到着。昨年は10時7分だから10分ほど早い到着になった。これは柏尾峠の農道歩きと、ここの近道が
影響しているのだろう。と云う事は脚力は去年より下がっていないと云う事だ。たまたまでも嬉しい事だった。

 山名表示の下に今来た道をさして 「50m先 鉄塔下 展望地」 となっていたが眺めのいい場所があったけかな?
曇っていたので良く分からないまま歩いてしまった。


一等三角点の高根山 2

2016-04-21 17:00:27 | ウォーキング
歩行記録                                                           H28-4-15(土)
歩行時間:6時間45分   休憩時間:2時間15分   延時間:9時間00分
出発時刻:6時40分     到着時刻:15時40分
歩  数: 43、739歩(推定距離30.62km)    GPS距離31.3km
行程
 はばたき橋 1:40> 登山口 0:45> 高根山 0:50> 県道出合 0:50> 勝間田公園 1:10> 勝間田城址 1:30>
 諏訪原城址 1:00> 金谷駅
                                     諏訪原城址
      
                   県道出合(地図表示)                           三面六臂馬頭観音

 車の停まっている場所が県道合流地点です。正面に見える採石場は高根山と県道を挟んだ北側の採石場です。
県道脇に二体の馬頭観音が祀られていました。その内の一体は三面六臂(さんめんろっぴ)の座像の馬頭観音です。
馬頭観音の石仏自体は珍しくないが、このように三面六臂の馬頭観音は、この辺りでは中々お目にかかれません。
 「おん あみりと どはんば うんはった そわか」 

      
                     勝間田公園入口                             勝間田公園入口

 面白みのない車道を勝間田公園に向かう。つつじ祭りは既に終わったのか駐車場に止まっている車は少ない。

 
                勝間田公園                                 勝間田公園

 途中にあった公園の案内板には 「みやまつつじ」 とあったが、公園内の案内板には 「コバノミツバツツジ(小葉の三葉躑躅)」
なっていた。そこでネットの植物図鑑で “ミヤマツツジ” を調べたが、その名で記載されたツツジはなかった。
どうやら “ミヤマツツジ” は通称らしいので、案内板は “ミツバツツジ” としてほしいところだ。
 そのツツジは既に盛りを過ぎていて、花の色は薄く葉が目立つようになっていた。山頂の広場にも家族連れが1組いただけの
静かな勝間田公園を早々に引き上げ、次の勝間田城址に向かう事にした。

      
                錆び始めた陳列列車                               三葉つつじ

 写真で見れば普通に展示された列車のように見えるが、実際は塗装が剥がれだしてボロボロしているし、窓は割れているのか
新聞紙を張ってある。すでに見学はできない状態で立入禁止のロープを張ってある。
屋根も無く、雨ざらし日晒しの状態なので、例え頑丈な鉄製の列車も経年劣化で錆びてボロボロになるだろう。

 道路脇の花壇の中に歌碑があったので読んでみた。
      遠足          ちなつ  
 えんそくは 久し振りに行ったよ
 あの頃とは ちがって 今の私は 車椅子
 だれかに押してもらわなければ どこにも行けれない
 くたくたになるまで あるけたら どんなにか幸せだろうと思う
 私は両方やったから 幸せだね
 おかあさん ありがと 

 咲いていたミツバツツジは勝間田公園のツツジより色も濃くきれいだった。

それにしても勝間田城址に中々着かない。前回は勝間田川左岸沿いの県道を南に下ったが、今日は右岸の旧道を歩いている。
若干の登り勾配だが大したことが無いのに前回より疲れを感じるのは、気温が高くなったせいだろうか。

 
             勝間田城址案内板                            勝間田城址入口

 やっと勝間田城址の入口に到着。低くしゃがまないで済む場所を探して、今日初めて腰を下ろして休憩をした。
ここでの目的は前回見落とした “南曲輪” の見学だが、見たって別にどうと云う事が無いのは分っている。しかし見残しがあると
気分が良くないので、それを解消するだけの目的だ。

 勝間田城へは新芽の伸びた茶畑の中の登城路を歩くので気分が良い。かってここに城があった時はどういう状態だったのだろう。
詰城だった勝間田城なので、城主をはじめ家臣たちの屋敷がこの辺りに建っていたのかもしれない。
そんな空想をしながら写真を撮ると、シャッターを押すと同時にレンズが自動的に収まってしまって 「電池を交換してください」
表示されてしまった。アーア 昨夜充電するのを忘れてしまったのだ。
で、以後は写真はありません。

 南曲輪と腰曲輪は東尾根曲輪(多分)から細い道で通じていた。だが曲輪自体は狭く、兵が10人入れるかどうかだ。
位置は本丸の横なので、敵が来襲した時は本丸と曲輪で敵を挟み撃ちにはできるだろう。
とは云え、ここまで敵兵が侵略してしまえば最早落城は間違いないだろう。この手の城は籠城が目的なので、いったん敵が
城内に入ってしまえば為す術はなかったろう。

 本丸の後ろから “一騎駆” の道を通り裏山に出る。前回ここを下った時は急な斜面で驚いたが、登りに歩けば左程のことはなく
上の駐車場に着いてしまった。この道は勝間田城落城の際、落武者となった城兵達が同盟軍の横地城を目指して落ち延びた道か、
それとも勝間田城を攻撃した今川勢が密かに忍び込んだ道なのだろうか。どっちにしても正しく強者どもの夢の跡だ。

 勝間田城址から金谷の諏訪原城まで牧の原台地の上の道も長い。茶畑はそこかしこにあるが平地の茶畑は見栄えがしない。
吉野の桜が一目千本と云われるのは、丘陵の上から見るからであって、平地ではそれこそ一目百本に過ぎないだろう。
茶畑も同じで斜面にウネウネとした茶の畝が見えなければ価値は半減する。
平地の茶畑の “一目千本” は茶の木ではなく防霜ファンを指す言葉とも言えるだろう。それにしてもお茶屋が多いのにも感心
する。それも製茶工場を持った製造販売が多く、通信販売で有名なお茶の荒畑園もあった。

    
                               諏訪原城縄張図

 諏訪原城は武田勝頼が遠江侵攻の拠点とするため遠州の入口の牧ノ原台地に築いた城で、城内に諏訪大明神を祀ったことから
諏訪原城の名になったと云われている。
遠州拠点の城、高天神城を攻略するための陣城として築城したが、攻略後は兵站基地としての重要な役割を担っていた。
1575年5月、徳川家康は長篠の戦で勝頼を敗走させると、その勢いをもって諏訪原城を攻撃し1ヶ月の攻防の末に落城させた。
高天神城の兵站基地であった諏訪原城が落城すると、補給路を封じられた高天神城の士気は弱まり、1581年落城した。

 そんな歴史のある諏訪原城の特徴は
 ・武田流築城術が随所にあり、特に三日月堀や丸馬出残っている。
   (三日月堀=三日月のように半円形の堀。 丸馬出=半円形の城の戦闘用出入口)
 ・城の後方は断崖絶壁で当時はその下を大井川が流れていた。
   (“天正の瀬替” により大井川の流れが東に移動した。)
 ・城域内を東海道が通過し、物資の調達が容易だった。 
などが挙げられるが、私のような城音痴が見ても、その堀の深さには驚きます。一般に山城の堀は空堀で浅く、余り防御には
役立たないような物が多いが、ここの堀は如何にも堀と云った感じがし、一ヶ月の長い籠城戦を戦えたのも頷けます。

 徳川の城となった諏訪原城はさらに強固に改修されて、今度は駿河を守る城となったが、家康が江戸に移るとあっけなく
廃城されてしまった。
狸親父の家康は江戸を守るために経費が掛かる城より、大井川に橋を架けさせない方を選んだのだろう。

(以後の写真は昨年暮の歩き納めの時の写真です)
      
                    三号堀                                  最近掘り出された堀

 三号堀は二の曲輪の馬出部分の三日月堀の堀で、丸みを帯びた堀が分かります。長さは70m、巾14.5m
三号堀の先では年末に行った時は発掘調査中だったが、今は整備も終わり散策路もできていた。

 
                 本曲輪馬出                               本曲輪(天守台)

 本曲輪・本丸・天守台など表示されたこの城の主要部分。
 「本丸跡:城主の居住するところで 軍政を司る所」
 「天守台地:この城は山城であり天守閣はなく 二層からなる矢倉(櫓)があり 物見が常駐しており 敵の動きを監視していた。」

オヤ? どっちの表現が正しいのだろう。物見櫓かそれとも城主の住まいか? 余りケチはつけず両方あったとしておこう。

 城の名称は難しい。ここにも曲輪や本丸、櫓などの表現があるが、いわゆる曲輪とは、
 「城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域の名称。」で、要は曲輪とは建造物ではなく区域を指している。
一方本丸とは 「城の中核となる曲輪の名称。一の曲輪・本曲輪・一の丸とも称する。」 と曲輪なのだ。
さらに櫓は 「防御や物見のために建てられた建築物」 で、昔は “矢倉” と云う字を使っていたように、武器の収納庫でもあった。

 
                 本曲輪から                                 カンカン井戸

 本曲輪は平らな平地で如何にも城の中枢部があった場所のように見える。ここにあった物見櫓がどちらの方向を監視していたか
分からないが、現在は北東の方向が開け、金谷と島田の町を分断する大井川。さらにその遠くには富士山も見える場所だった。

 今日はカンカン井戸からメインの散策路ではないが 「水の手廓」 に下りてみた。
水の手曲輪とはその名の通り 「当城で使用される水の水源地である。現在は地域の簡易水道の水源地となっている。」 そうです。
しかし矢印の付いた標識に従い下ったものの、水源だったと思われる桝から溢れ出した水が辺りに溜まっていて、山の格好だから
良いようなもので、街着の見学者は止めた方がよさそうな散策路だった。
この散策路を下れば旧国道1号線に出るのだが、今日は途中の分岐を上に登る道を辿って城の何処に出るのか調べてみた。

 するとその道は城から離れ送電線の鉄塔の下に通じていた。更に上に行くと城と金谷石畳に通じる車道に出た。
こんな道を歩く見学者はいないだろうが、入口の標識があるのだから分岐にも標識を付けるべきだろう。

 サーここからどうしよう。大井川の河川敷を歩いて家まで帰るか。それともこのまま金谷駅ゴールとすべきか。
時間は15時で距離は29km。もう少し歩いても支障の無い時間と距離だと随分迷ったが金谷駅ゴールとした。
昨日の蕨採りの屈伸運動で足腰も痛いので 「無理」 は止めて、歩き納めで知った金谷の酒屋で氷結を買って乾杯しよう。
実はこの酒屋で前回賞味期限が近い氷結を1本75円で買う事ができた。勿論飲んでも何の支障も無いし味も変わっていない。
まだあの氷結があるかなと若干期待をして酒屋に向かった。
だが店は開いているもの何度声を掛けても応答がない。諦めかけて棚の上を見ると 「試供品です。ご自由にお持ちください」
書かれた紙の上に氷結が3本置いてあった。賞味期限を見るとまだ1年以上もある。何故それが試供品なのか?
理解できなままここでもまた悩む。貰っていい物なのか悪い物か。サーどうしよう。
100円おいていこうかと思ったが、それでは前回より高くなってしまう。エイ! 試供品だ。貰っていこう。

格別に美味しい乾杯でした。

一等三角点の高根山へ

2016-04-19 11:16:22 | ウォーキング
歩行記録                                                           H28-4-15(土)
歩行時間:6時間45分   休憩時間:2時間15分   延時間:9時間00分
出発時刻:6時40分     到着時刻:15時40分
歩  数: 43、739歩(推定距離30.62km)    GPS距離31.3km
行程
 はばたき橋 1:40> 登山口 0:45> 高根山 0:50> 県道出合 0:50> 勝間田公園 1:10> 勝間田城址 1:30>
 諏訪原城址 1:00> 金谷駅
                                     一等三角点
 
               大井川の流域変更                               高根山遠望

 自宅近くの大井川のはばたき橋を出発。今日も遠くは霞んでいて富士山は顔を出していません。
大井川は年中と言っていいくらい護岸工事をしていて、そのたびに水の流れを工事に支障のない向きに変更している。
大河の流れを変更すると聞くと大工事を思い浮かべるが、大井川の流域変更はいとも簡単です。
何しろ “河原砂漠” と化すほど水が少なくて川床は砂利だけ。ブルでその砂利を寄せるだけで川の流れは変わってしまいます。

 大井川の西岸には今日の歩く予定の高根山が見えているが、見るからに低い丘のような山だ。
それもそのはずで標高150.5mの超低山なので、一等三角点が無ければ行く気はならないような山です。
しかしその超低山に前回は肘鉄をくらい敗退して・・・・イエ違いました。敗退したのではなく 「旅とは何かを見残してくることだ」
実践してきたのでした。
何しろ私の旅は思い付きで決行することが多く、事前準備を殆どしません。格好良く言えば 「無計画の計画」 ですが、そのため
見残しや、やり残しはザラの事で、毎回宿題が残ってしまいます。
で、今回の計画は高根山で一等三角点を確認したあと、三つ葉ツツジの咲く勝間田公園に向かう。そこからこれも前回見落とした
勝間田城址の南曲輪を見て昼飯にする。
その後は牧之原台地を北に向かい諏訪原城を見学して、疲れや時間を考えて金谷駅ゴールか自宅ゴールかを決める。
それが今日の計画です。ルートは昨日蕨採りから帰ったあとYahoo!の地図で確認してあります。

 
         高根山登山口(地点表示)                          茶畑の上の方にガードルが見える

 前回登山口を勝手に判断したため採石場の上に出てしまったので、今回は登山口をバッチリ確認してある。
丁度その場所は坂部交差点の南の 「清水堂」 の近くで、これなら分りやすく、また人にも聞きやすい。
更に清水堂の先の分岐には地元が建ててくれた 「高根山登山口」 の標識があったので迷わず山頂に向かう事ができた。

 茶畑の斜面の上にガードレールが見えていて、作業道を行けば近道になりそうだが、昨日見た地図には極端なカーブは
無く、ただ単調に西の山頂に向かっていた。
一先ず近道は止め農道を行くとメインの農道は大きく右に曲がっているが、細めの農道が直進していた。
フー助かった近道をしないでと分岐から50mも入ると、軽トラに乗った人に 「何処へ行くの?」 と声を掛けられた。
 「高根山です。」 と言うと 「俺はこの辺は良く歩いているが、この先は道は無いよ。お高根さんはさっきの農道を登って上に
出た所に標識があるから、そこがお高根さんの登り口だよ。」
と教えたくれた。
またもやフー!助かっただった。一旦戻って大きくカーブした農道を上りきると間違いなく標識があった。

      
            雑木林の山道                            ツツジが咲いていた

 しばらく未舗装の道を行き山道になるが、そこにも標識があり安心して入る事ができた。
超低山というか里山の雑木林の中の道だが、ツツジが咲いていたり時折ピンクのリボンもあり山道の雰囲気はある。

      
              ????                                ????

 なんていう花なのだろう? 細い管のような花弁(?)が密集している花は、遠くからはシモツケソウに似て見えた。
植物辞典で調べたが結局分からない。花も木も多すぎて私には覚えきれない。

 
                白山神社                                    一等三角点

 所詮は超低山で山道に入って15分ほどで山頂に着いてしまった。
鳥居の先に見えるのは高根神社ならぬ白山神社。神社の縁起書を読むと
 白山神社 御祭神:大巳貴命  勧請年:仁安元年(1166)  勧請元:大和国城上郡三輪神社  由緒:札木の墨書には
 「大風雨順時日月清明成就」 の五穀豊穣祈念の文字が判読される。
 また、白山神社は高根神社または高根白山神社とも云われ、昔日照りの時は雨ご請いの神社で有名でした。境内地は大蔵省より
白山神社に譲渡された。」 


 高根白山神社とは藤枝市蔵田の高根山にある神社と名前が同じだが何か縁があるのだろうか?
だがここの縁起書には勧請元が大和国の三輪神社とあるのだから、この神社は当然三輪神社になると思うが何故か白山神社。
どういう謂れがあって白山神社になったのか不明だが興味を覚える。
 一方、蔵田の白山神社を調べると 「高根白山神社は文治4年(1188年)、瀬戸川の水源聖地、高根山に加賀の白山神社より
分霊、勧請したと伝えられています。」
とあり、これなら明らかに白山神社で間違いはない。

 これらの事実を以て私流に考えるなら、当初は三輪神社と号していたが、同じ高根山の白山神社が人気が出たので、それに
あやかって三輪神社を白山神社の名前を変えたのではないかな。  そんな事は無いか・・・・
 
 神社の墨書の 「大風雨順時日月清明成就」 の意味も分からなかったので調べてみました。
これは “風雨順時 + 日月清明 + 成就” の事のようで、 「風雨順時(常のように雨や風が吹き)」 + 「日月清明(太陽や月が
清らかで、明るく輝く
)」 + 「成就(なりますように)」 と理解すればよいようだ。
正に五穀豊穣を願う気持ちっを表した言葉の様です。尤も “大” の字は不要のような気がするが。
実は雨乞いの呪文なら “日月清明” は安倍清明の名前を呪文の中に読み込んだのではないかと思ったが違うようでした。

     
           一等三角点                      天測点                   天測点アップ

 三角点の案内板が建っていたが一等ならこの位の待遇をしても当然だと思える。
先日行った弓張山地の神石山の一等三角点には何の案内もなく淋しく感じたものだ。
案内板に 「観測方向:高天神山、八高山、竜爪山、万城岳(天城山) 点の記:三角点は山の頂上付近や見晴らしの良いところに
設置され、(中略)郷土の誇りです。」
とあった。
 
 今まで私は三角点はそれこそ “点” と考えていて “三角” の事は考えた事も無かった。それがこの案内板に “観測方向” として
隣接した三角点名を挙げていた。

          
                            一等三角点網

 早速それらの一等三角点を線で結んだのが上図です。今まで三角点の三角網は、どれもが同じ大きさの正三角形かと思って
いたが違っていました。このように大きさも形も違う三角形の集まりでした。

      
                              二等三角点網

 更に二等三角点網も書いてみました。三角点の名前が昔の村の名前で聞いても何処なのか見当がつきません。
これが三等、四等となれば更に細かくなりキリがなさそうなのでこれで止めておきましょう。

 そうだ天測点の話もしないと。
天測点の説明を読んだがよく理解できなかったので、案内板にあった文章をそのまま紹介します。
 「坂部村天測点點 點之記 静岡県に一ヶ所しかない天測点とは
日本の三角点の経緯度は元東京天文台の原点を基準に、三角測量によって相対的に求めていたが測量誤差が生じる。
そこで天文測量といい、恒星による要所々々で子午儀を使って天体観測から絶対位置を求めました。この位置を天測点といいます。
1954年から1958年までに全国の35の道府県に48点が設置されました。国土交通省国土地理院」


 
              山頂裏から採石跡                               山頂裏から採石場

 神社の北や西側はバラ線やロープを張り立入禁止になっていて、看板には 「大三工業 立入禁止」 となっている。きっと採石を
している会社なのだろう。失礼して隙間から入り藪をかき分けていくと、見えました、見えました、前回無念の撤退場所が。
下を覗き込むととても私が上り下りできる斜面ではない。あの時無理をしないで良かった。とホッとした。

 そうだ三角点の案内に “三角点は見晴らしの良いところに設置され郷土の誇りだ” と書いてあったが、ここに三角点を設置した
頃は見晴らしが良かったのだろう。それならいっそのこと山頂の樹木を切り払い見晴しを良くしたらどうだろう。
神罰があたる・・・? イエイエ 神罰があたるなら神社の裏を削除してしまった砕石工場が既にあたっているでしょう。
自然保護? ソウそれも大事だが何も開発をするのではなく、少し昔の状態に戻し、ここの三角点に隣接する一等三角点を見通せる
ようにするだけです。しかもここの土地は大蔵省から神社が貰い受けているので問題はないし・・・・

 駿河湾や遠州灘が見え、天城山や富士山を眺める事の出来る里山として、地元だけでなく三角点の愛好家も訪れるかもしれない。
そんな空想をしながら腰かけようとして腰を屈めると、イテテテ! 太腿の後ろや腰が痛くてしゃがむ事ができない。
そう云えば今朝、家を出る時から足腰がギクシャクしていたが、原因は昨日の蕨採りだと分かっていたので余り気にしなかった。
何しろ昨日歩いた距離はたった2kmにも満たないのだから、どうと云う事は無い筈だ。
でも違うんですよね、蕨採りは。何しろ蕨を取るためにしゃがむ回数が半端じゃない。いわば膝の屈伸運動を何度となく繰り返して
いるようなものだ。その影響が今日に残ってしまったのだ。歳は取りたくないものだ。
そんな訳でしゃがみ事なく立ったままの休憩になってしまった。


                              高根山の歩行地図

 高根山山頂には2本の道があり、今歩いてきた表参道の道と、もう1本は山頂から北に下り道だった。多分この道が県道にある
地蔵峠のトンネルに向かう道だろうと下る事にした。
急な下り坂を下り始めると樹木の間から採石場がチラチラ見えていた。ウンこれなら間違いなく地蔵峠への道だ、と思うのも束の間、
すぐ舗装された農道に出てしまった。
左に登る先には携帯電話のアンテナ塔が見えているので、そこへ行く道だろうと判断し、右に下がる道をとった。
その農道を10分も下ると太めの道に合流し、そこの写真を写していて何となく見た覚えがあるが気がした。がそんな事は無い筈だ。
だがホンの数mも下ると急な斜面にある茶畑が出て来た。アッ!ここはさっき間違いを指摘され戻った道だ。何でだろう?
あのおじさんは山頂に行く道を知らなかったのだろうか? でも農道に出合った所には標識もあったのに?
でもマーいいや、おかげでグルリ周回することができたのだから感謝すべきだろう。

 
           朝も見た急斜面の茶畑                            下に下る農道が見えた

 同じ道を清水堂まで引き返すのも面白くないので、途中にあった農道の分岐を入っていくと道はズンズン登っていく。
右(南)側にはさっきの急斜面の茶畑が見えてきた。どうか道が終わっていませんようにと祈りながら登って行き、ようやく稜線に
出ると北側が開け、県道や採石場が見てきた。それよりなにより茶畑の間には下に延びている農道が見えた。
フーこれで一安心、後は下るだけだ。

 家に帰り地理院の地図で確認すると一目瞭然だった。なんで行く前にこれを確認しないでYahoo!の地図だけを見たのだ。と、
毎度の反省をした。
それにしても前回の高根山で採石場上から引き返したあと再度挑戦をしないで良かったと思う。夕方この農道に来れば結局山
頂には行けずに引き返すはめになっただろうから。

蕨採り

2016-04-17 11:17:16 | ウォーキング
 「蕨採り 今日は何処まで行ったやら」 と私が蕨採りに出かけると妻は心配してくれました。
それが毎回の事になると
 「今日もまた 蕨尽くしの 食膳だ」 「他人にやる ために足腰疲れさせ」 と皮肉を言うようになり、最近では
 「発癌性 あると知りつつ 取ってくる」 と不信の目を向けるようになってしまいました。

 そんな蕨採りに行ってきました。収穫は
 はこの程度です。

これをごみを取り除き。大きさ順に分けてから灰汁取をする鍋に入れます。
 今回は3鍋でした。
今回の蕨は量はそこそこですが、太くて色が濃く柔らかそうな物が多かった。

その上に重曹を適当にかけて熱湯を注ぎ落し蓋をします。
 水が緑に変色してきました。
この状態で一晩おきます。

 水洗いをして綺麗な水に漬けます。

翌朝の味噌汁は
 オッと湯気でレンズが曇りました。

 蕨の具沢山の味噌汁です。

 ついでに卵とじも。


 こんな感じで保管します。
大きさを揃えて輪ゴムで止めておくと、他人に分ける時に便利です。

そうそうこの日はタラの芽とコシアブラも少し。こちらはすぐ天麩羅にしてもらいました。

このタラの芽は緑の細い幹の物ではなく、太い白い幹の疑いのないタラの芽だけです。

我家の蕨料理は他にも、お浸し、天麩羅、蕨ご飯などをします。


カタクリ咲く湖西連峰 Ⅲ

2016-04-12 17:19:06 | 低山歩き
歩行記録                                                           H28-4-6(水)
歩行時間:6時間25分   休憩時間:1時間25分   延時間:7時間50分
出発時刻:7時00分     到着時刻:14時50分
歩  数: 31、123歩(推定距離22.09km)    GPS距離19.4km
行程
 二川駅 0:40> 松明峠(東山) 1:00> TV塔 0:15> 普門寺峠 0:15> 神石山 0:10> 雨宿岩 0:30> 多米峠 1:10>
 大知波峠 0:25> 富士見岩 0:30> 本坂峠 0:30> 国道出合い 1:00> 三ケ日駅

                                  新・花の百名山
   
           タラの芽                     マムシグサ                    赤い道

 私が勝手にタラの芽の若木と思っている木はあり過ぎるほどあったが、本物のタラの芽も所々で見かける。
本物の芽を取って香りを嗅ぐが匂いはしない。横にある若木の芽も嗅いてみると爽やかな香りする。
一度のこの新芽をザックに入れて歩いたら、常に爽やかな香りが漂ってきた。その新芽を家で天麩羅にして食べると、香りは
わからなくなり、タラの芽の特有のヌルッとした感触もしなかった。
別に腹痛にもならずに済んだが、特に美味しい物でもなく、まずい物でもなかった。
マー天麩羅にしてしまえば柿やお茶やユキノシタも皆同じようなものだが。

以前長野の旅館でモミジの葉の天麩羅を食べて 「美味しい!」 と盛んに褒めている人がいたが、本当に味が分かっているのか
疑問に感じた。尤も私みたいな味音痴に言われたくはないだろうが・・・・・

 この時季お馴染みのマムシクサだが、その名は茎のまだら模様がマムシに似ているところからついたという。
だが茎もすることながら、この新芽の時の皮の表面の模様の方が、ハッキリしていて蛇の皮に似ていると思うのだが。

 
              イヌツゲの案内                                 石巻尾根分岐

 この辺りはイヌツゲの自生地だと案内した案内があったが、イヌツゲの木は余り見当たらなかった。

 このルートを歩いてて道に悩み事は無かったが、一カ所アレ~って感じの標識があった。
豊橋自然歩道の稜線から西に分かれて石巻山へ行く分岐点の標識に、西向けて “遊歩道経て石巻山へ” とあり、北に向けて
 “石巻尾根分岐” 、南は今来た “多米峠” になっていた。 私の行きたいのは大知波峠や本坂峠だがその記載は無い。
標識が無ければ何も悩むことなく北に向かった登っていく所だったのでそのまま直進をした。
するとまた石巻山を案内する標識が出て来た。さっきの標識はこの分岐を案内していたのだろうが、一言本坂峠か大知波峠を加えて
おけばもっと優しい標識になるだろう。

 
              大知波峠                                     大知波峠

 広々とした草原に出た。広場には標識や案内板、それと陶製の置物は五百羅漢か。
石碑には 「国指定史跡 大知波峠廃寺跡」 とある。案内場を読んだがあまりはっきりしないが、兎も角ここに10世紀から11世紀に
かけて大きな寺があったようだ。
 広い草原では蕨採りをしている女性が3人と小さな愛玩犬を曳いた中年女性がいた。今日はすれ違った人は4・5人と少なく
カタクリ群生地や神石山のベンチでも2人づつ腰かけていただけだ。平日だからこんなものかもしれないが勿体ない気がする。

   
         多米村三角点                   イヌツゲ                      イヌツゲ

 多米村の三等三角点の標高は400.34mでここまでの最高峰だが、沼津アルプスのような急激なアップダウンは無いので
案外楽に歩ける。花もあり、景色も良く、完備された標識と楽な道。お勧めのハイキングコースです。

 イヌツゲの案内板があった辺りでは、小さな木しか見つからなかったが、ここには太くなったイヌツゲが何本もあった。
しかし花が咲くわけでも葉が紅葉するわけでもないイヌツゲは、魅力を感じない木の仲間だろう。
でも私はこの木に愛着がある。私が小学生だった頃の御殿場地方は、道祖神(どうそうじんと言っていた)が盛んで、地区の
小学生は総出で竹刈やお飾り集めに没頭した。1月14日のどんどん焼(どんど焼とは言わなかった)の夜は1軒の家に集まり
御馳走の夕飯を食べて、その後は無料の映画を見に行ったものだ。それが当時の私には一番の楽しみごとだった。
 それとイヌツゲがどう結びつくかだが、各家庭では “どうそうじん” に合わせて紅白の花餅をイヌツゲ(ビンカと言っていた)の枝に
差して飾る風習があり、そのビンカを取ってくるのも子供の役目だった。
オッと誤解しないでくださいよ、餅を差すといっても1個や2個じゃぁないので、高さ横ともに60cm位はある枝でした。なのでとても
手で折るなん事はできないので鋸で切ったものです。そのビンカを家に持ち帰り無駄な枝や葉を落として整枝してから餅を差します。
そしてそれを玄関近くの柱に縛って飾ったものです。 そんな思い出があるのでこの面白みのない木に愛着を感じるのです。
でもここのイヌツゲは上に高いが、子供の頃あったビンカは、もっと背が低く横幅のある木で小川の畔に生えていました。

 私の後ろを犬を連れた女性が付いてくるので、何処まで来るのか心配になり声を掛けた。すると
 「大知波峠の下にある “おちばの里” に車を置いてあるので、富士見岩まで行ってそこからおちばの里に下る」 のだそうだ。
成程そんなコースも取れるのか。そういえば今日出会った人で縦走をしている感じの人はいなかった、皆軽装でザックも持たない
人もいたが、きっとこんな周回コースや目的地へピストンしているのだろう。
で、チョッと気になる事があった。確か今の人は 「おちばの里」 と言っていたが 「おおちば(大知波)」 の聞き間違いなのか、それとも
 “大知波” は “おちば” と読むのか。湖西市の地名を調べると 「大知波」「おおちば」 だった。なら聞き間違えかと湖西市のHPで
確認すると、大知波峠の下に 「おちばの里 親水公園」 ありました。紛らわしい話で済みませんでした。

 
                 富士見岩                                  富士見岩

 オォー! 立派な岩がドンと居座っている。岩の上には先客の女性が2名いたが私も仲間入りさせてもらった。
流石に今日の空模様では富士山は見えなかったので 「本当にここから富士山が見えるのですか」 と聞くと
 「勿論見えますよ。こっちの方角です。」 と鉄塔の立つ方角を指さした。

 
                富士見岩から                                 富士見岩から

 上の写真の方向に富士山が見えるらしいが今日は途中の山すら見えない。その彼女たちが面白い事を教えてくれた。
豊橋自然歩道は 「新花の百名山」 に指定されていて、途中に分岐のあった葦毛(いもう)湿原は元からの 「花の百名山」 だと言う。
疑り深い私は家に帰り早速花の百名山を調べてみると、間違いなく両方共に指定されていた。
因みに花の百名山とは田中澄江が 「花の百名山」 の随筆集で紹介した山で、新・花の百名山も田中澄江の 「新・花の百名山」
随筆集で紹介した山だそうだ。

 まず “花の百名山” を見ると、葦毛湿原に咲く 「シラタマホシクサ(白玉星草)」 と、聞いたこともない花が指定されていた。
記事欄には葦毛湿原のことを 「東海のミニ尾瀬」 と紹介していて、湿原を渡る木道の写真も掲載されていた。
 一方 “新・花の百名山” は豊橋自然歩道の名前ではなく、静岡県と愛知県を範囲にした 「弓張山地」 となっていた。
記事欄にはまたもや葦毛湿原の名前が載っていて、花は 「チゴユリ・ミカワバケイソウ・キリンソウ」 だった。
これじゃぁ次回は何としてでも葦毛湿原に行かなければ。と、また新しい宿題が出来てしまった。

 女性たちは先に岩を下りていたっが、私は本坂峠を下る事にしたので岩の上でゆっくり景色を眺めていた。
たまにはこんなゆとりもいいものだ。これで氷結があれば・・・・ イエ私は歩きの途中では飲みません。

      
                  嵩山(すやま)自然歩道分岐                              頭浅間

 剥きだしになった岩盤の上の道に 「嵩山(すせ)自然歩道」 の分岐があった。普通なら “嵩山” を “すせ” とはとても読めないが
東海道の脇街道である姫街道を歩いた時に “嵩山宿” を通ったので、その時に覚えた地名だ。(だがすぐ忘れる)
その嵩山宿への分岐があるなら姫街道の峠である本坂峠は近い。

  “頭浅間” とか “大山浅間” と名の付いた小さな神社に着いた。最初はてっきり浅間神社と思っていたが神社の由緒書きを見て
それが間違いだと云う事に気がついた。
 頭浅間(大山社)  祭神・大山祗命(おおやまずみのみこと) 御利益・頭の病に霊験あらたかとされる。大黒頭巾が願かけの
お礼として、神前の大榊に吊るす風習がある」
そうです。大黒頭巾とは “大きい黒頭巾” ではなく、七福神の大黒天が被っている
ダブダブのベレー帽、謂わば和製ベレー帽みたいなやつです。

 浅間神社の祭神と云えば 「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」 なのだから大山祗命では浅間神社ではない。
大山祗命と云えば愛媛県今治市大三島にある大山祇神社や、静岡県三島市にある三嶋大社の祭神として知られているが、あの
神社は確か海の神を祀っていた筈だ。
少し引っかかったので “頭浅間” をさらに調べると、こんな事が分かった

 嵩山集落には 「頭浅間(大山社)」 の他にも 「腹浅間(原川社)」 「足浅間(富士社)」 が祀られていて、この三社三神を総称して
 「嵩山浅間神社」 としているようだ。
それぞれの神の御利益は、名前の通り “頭浅間” は頭の病、 “腹浅間” は腹の病、そして “足浅間” は勿論足の病に御利益が
あるそうだ。お礼参りには頭巾、腹掛け、脚絆を神前の大榊に掛けるようになっている。
成程その三つが揃えば足腰、腹胸、頭と体の全てに御利益があるわけだから効率がいい。

 この神社には興味や疑問はまだまだあるが、今回はこの位で先に進もう。オッと神前の木には何も無かったが、神社の壁には
白い布の袋のような物が何枚か吊るされていた。これが大黒頭巾なのだろう。
 更に壁には祭りのポスターも貼られていて、そこには
 「嵩山浅間神社は、天平勝宝2年富士山現神社より勧請されたと伝えられる。」
とあった。
更に祭神は腹浅間は “木花咲耶姫” で、足浅間は “秋津姫命” となっていた。
ウーン それでは矢張りこの神社は浅間神社なのだろう。しかし大山祗命や秋津姫命はなぜ祭神になったのか? 
きりがないからここらで止めて先に行こう。
 
      
                      最後の浜名湖                                送電線が地中に?

 神社の裏の浜名湖が見えている所にあった鉄塔は、西から来た送電線は受けているが、そこから先には送電線が延びていなかった。
そのため鉄塔が一方に引かれて倒れるのを防ぐためか、鉄塔上から東の地中に向かって6本のワイヤが延びていた。
と、思ったが、それでは送電線の行き先が無くなってしまう。なら地中に延びているワイヤは送電線なのか?
しかしこんな山の中から送電線を地中化したら設備費が掛かってどうしょうもない。と言っても近くにある施設と云えば神社というより
社に近い腹浅間があるだけだ。さらよく見ると西から来た送電線は7本で地中に向かっているのは6本だ。
本数は見間違いかもしれないが、その鉄塔は間違いなく片方にしか送電線は伸びていなかった。
家に帰り地理院の地図で調べると、神社の鳥居のマークの少し北に、西から伸びて来た線がそこで少し向きを変えて東に延びている。

 その時の私は一時的に錯乱していたのか。いやそんなことはない。鉄塔の証拠写真もあるのだから・・・・・

      
                     本坂峠                                    本坂峠から中山峠への道

 本坂峠に1時15分到着。この峠は今回で4回目だが過去の3回は全て姫街道の峠越えだった。今回はその峠道を横断して更に
北の峠を目指していたが、それは断念してこの峠を下る事にした。
しかしいささか未練が残りその先の道を覗いてみた。 「豊橋自然歩道本線 中山峠まで約4km余 健脚コース」 と書かれた標識の
先に入っていくと、10mも行かないうちに道は雑草や笹に覆われてしまった。止めた、止めた。これで未練はなくなった。

 私が覗いた自然歩道の標識は大きな案内板の左側だったが、案内板の右側には踏み跡もしっかりした道が北に登っている。
その道脇にある白い案内板は営林署の注意書きで道標ではないが、雰囲気としてこの道が中山峠への道だろうと思った。
だが既に気持ちは冷めていて今更登る気にはなれなかった。

      
          姫街道の石畳                               鏡 石

 石畳の途中に 「椿の群生地」 の看板があったが、そこに落下ししている椿の量は尾根道で見たものより少なかった。
標高が低いので花が終わるのが早いのだろう。それでも並木のように両側にある椿の木の数は多く、一度は歩いてみたくなる。

 群生地が終わると一旦舗装道を横断しまた石畳の道を下るのだが、その道は歩きづらかった。
踏みつける事の出来ない木の枝や石がゴロゴロしているし、石畳も滑りやすい。どうやら椿見物やハイカーの人は、さっきの
舗装道路に車を置いて行くので、ここは歩かないようだ。

 三ケ日の宿が近づくと昔の旅人はこの鏡岩に身を写し身だしなみを整えたという。(本当かな?)

 
            国道合流(ミカン畑)                             奥浜名湖自然歩道案内板

 歩きづらく感じていた峠道がやっと国道に合流してホッとした。ここからは滑る心配のない舗装道路だけだ。
国道の先に “ふじのくに” と看板のある建物があるがトイレのように見える。
と、ここに旧三ヶ日町が建てた 「奥浜名湖自然歩道案内板」 があった。
それには富士見岩から北の本坂峠・中山峠・宇利峠そしてその先の雨生山を 「奥浜名湖自然歩道」 と案内していた。
そうなると今日は二川自然歩道を松明峠まで歩き、そこから豊橋自然歩道を神石山までを行き、そこで湖西連峰と合流して富士見岩
まで行く。富士見岩で湖西連峰は終り、今度は奥浜名自然歩道と豊橋自然歩道を本坂峠まで歩いた事になる。
これらの名前以外にも、前回コメントをくれたあやさんの “3月の山” のブログに 「弓張山地」 とも書いてがあった。
初めて聞く名前だったので早速調べてみると

   
                               弓張山地概念図

 「弓張山地は、赤石山脈の南側の愛知県豊橋市・新城市と静岡県湖西市・浜松市北区にまたがる、南アルプスの南端の山域で、
愛知県と静岡県境を弓状に連なる山域であり、太平洋沿岸付近まで約50kmに亘って延びている。」
のだそうだ。
 南アルプス云々はさておき、ここの山域全体を表すには中々いい呼称のように感じる。これに浜名湖の西側に当たる本坂峠の
辺りから南を “弓張山地の湖西連峰” 、北を “弓張山地の湖北連峰” としたらどうだろう。
アッ これでは愛知県側が納得しないな。私は矢張り静岡県人だった。

      
            洞窟利用                                  石 垣
 
 家の後ろ側が崖になっている民家では、崖に穴を掘って利用しているようだ。物置だろうか。

 三ケ日の街中を歩いていると感じの良い石材を使った石垣が目につく。ネットで調べると 「三ケ日石」 なる物があるようだが詳細は
分からなかった。石垣を作った当初は白っぽく、年月が経つと色の濃さが増して赤黒く見えるようだ。

 
               浜納豆                                      考える人

 三ケ日駅に着き電車の時刻表を見ると、前の電車は10分ほど前に出たばかりで、次の電車まで50分ほど待たなければならない。
それなら三ケ日名物 「浜納豆」 を久し振りの土産にしようと町の中をうろついた。
浜納豆は普通の糸引き納豆と違い、練っても糸は引かず、形は兎の糞のように丸めた物で色は黒っぽい茶色だ。材料も豆ではなく
味噌そのものの様で、味はショッぱく一度に沢山の量は食べられない。
私は暖かいご飯の中に入れて膨らんで柔らかくして食べたり、そのまま酒のつまみにしたりするが、年中食べたい物ではない。
 写真の包装紙にある “大福寺” とは、中国から浜納豆の製法を持ってきた寺の名前で、今でも製造販売しているそうです。

 三ケ日駅の構内にあるロダンの像。何故ここにと、私が考える人になってしまった。
イエ、ロダンの像を写したかったのではなく、横にある標高表示を写したかったのです。
そこには 「海抜1.6m」 とあるが、これを見るたびに不思議な感覚になる。海から遠く離れ山の中なのに何故1.6mかと。
浜名湖が湖でなく海の一部だとは頭では理解しているのに、山上から見る浜名湖は海には見えないし、岸辺を歩いても打ち寄せる
波の大きさは湖そのものだ。なので海という知識はあるが感覚は湖なってしまうようだ。

 
                三ケ日駅                                   天浜線電車

 浜納豆を買って店にタイミング良く氷結を売っていたので2本購入した。常なら1本だが今日は掛川まで電車を2時間弱も乗る。
それなら1本では足りなかろうと2本買ったのだが、電車に乗る前に1本は飲んでしまい。もう1本を我慢するのが大変だった。

カタクリ咲く湖西連峰へ Ⅱ

2016-04-10 15:38:26 | 低山歩き
歩行記録                                                           H28-4-6(水)
歩行時間:6時間25分   休憩時間:1時間25分   延時間:7時間50分
出発時刻:7時00分     到着時刻:14時50分
歩  数: 31、123歩(推定距離22.09km)    GPS距離19.4km
行程
 二川駅 0:40> 松明峠(東山) 1:00> TV塔 0:15> 普門寺峠 0:15> 神石山 0:10> 雨宿岩 0:30> 多米峠 1:10>
 大知波峠 0:25> 富士見岩 0:30> 本坂峠 0:30> 国道出合い 1:00> 三ケ日駅

                            花の名前が分からない
 
                                 歩行コース

 
                 三つ葉つつじ                               奥浜名湖

 TV塔のカタクリの群生地で花を見ていたのは私だけだった。他にベンチに座った中年カップルがいたが、話に夢中でカタクリには
目もくれなかった。有難い事です。
写真を撮る事に夢中になって、景色の見えるベンチは行かない私を、彼らもきっと有難い事だと思っただろう。

 浜名湖の見える位置が変わってきて奥浜名湖の島も見えてきた。

      
                     普門寺峠                                     望寺岩   

 豊橋自然歩道には幾つか峠があるが、どこの峠も東(右)に下れば静岡県で、西(左)は愛知県だと思っていた。
なのにこの普門寺峠を東に下るのに 「普門寺自然歩道」 と愛知県側で建てたような標識が建っていた。
きっと普門寺は静岡県だが見所が多いので、愛知県では県境に関係なく案内をしているのだろうと思ってた。だが違った。
実際はこの連峰の尾根の最初からが県境ではなく、つぎにある神石山からが県境の尾根になっていた。
そんなことは冒頭に掲げてあるコースの概略図を見れば簡単に分かる事なのに、時間ばかり気にしてコース自体の検討を
しない私らしいと事です。情けない。

 ピークに岩が乱立している所に案内板がある。
 「望寺岩 この岩は元堂址の真上にあたります。岩の中央は鋭く尖っている自然の岩で、目印と同時に、人々の畏敬の対象
だったのでしょう。 まさに寺を望む場所ですが、名の由来は境内の境界を示す中世の言葉 「膀示(ぼうじ)」 と考えられます。」


 分かったようで良く分からない。特に “この岩は元堂址の真上” の “真上” とは何だ? 岩から麓の寺が見えたということなの
だろうか。岩はかっては磐座のような信仰の対象で、やがて寺の御神体や奥の院として寺の所有物になったのか。
案内板は正直な事も書いてある。“望寺石は後世の解釈で昔は膀示石だった” と。
 “膀示” とは辞書には “土地の境界を示すため東西南北の四方に設けたしるし” とある。
なら麓の寺が 「この岩付近は寺の所有物だ」 と声を上げたのだろう。

 東海道を歩いていると字は違うが 「傍示石(杭)」 なる物ををよく見かける。
例えば藤枝市仮宿交差点近くには、 「従西田中領」 や 「従東巖村藩」 の傍示石と傍示杭が建っています。
 “傍” と “膀” の違いは分からないが、要は 「ここはわが藩の土地だ」と 世間に知らしめたかったのでしょう。
オッとまた道草を食ってしまった先を急ごう。

 
              神石山一等三角点                               神石山山頂

 普通の三角点の標石より大きい気がして近づいて見ると、神石山の三角点は一等三角点だった。
この三角点の名称は “神石山” で標高324.95mだが、特に “一等” をアピールするものは無い。
一等だからと云って特に騒ぐこともないが、一等三角点の意味を書いた案内板があれば、もっと三角点に興味を引く人が増えるだろう。

 山頂には “神石” らしき石が無いので。さっき見た望寺岩の石が名前の由来なのか。

 
                落下した椿                                  咲いていた椿

 前方の道が落下した椿で赤く染まっていた。椿の頃に来ればさぞ見事だろうな。
咲いている写真も写せた。

 
                雨宿り岩(前)                                雨宿り岩(裏)

 大きな岩があると転ばない様に木をつっかい棒のように置いてあるのを見かけるが、ここの登山者はそんなユーモアは無いのか、
つっかい棒は1本しかなかった。
 雨宿り岩ってといっても、これでは雨宿りにならないだろう、なんてまたケチを付けていると、右の方から奥には入れる所があり
そこでなら雨宿りができそうだった。

 岩の裏に回ると上に登れそうな感じなので登ってみた。

 
                雨宿り岩(上)                              雨宿り岩(上)

 絶景と言いかねるが、南には今歩いてきた尾根が見えたいた。勿論東西の景色もみる事ができた。

 
         色の付いたミヤマシキミ(深山樒)                         白いミヤマシキミ

 ミヤマシキミの花が咲いていた。この花は植物辞典では 「春先に白い小さな花があつまった花序をつける」 と紹介しているが、
どうですか写真のミヤマシキミは薄赤い色が付いていると思いませんか? 同じ場所に咲いていた花は辞典通りの白い花でした。
新種発見かと思いたいが、どうやら違うようです。色の付いた花は既に盛りを過ぎ枯れる寸前の様でした。きっと花が枯れる時に
段々黒っぽく変色する過程なのかもしれないな。

   
           岩と鉄塔                    三つ葉つつじ                    タラの芽??

 神石山なのだから鉄塔も岩と一緒の方が映えるでしょう。
 くどくてごめんなさい。でも色が素敵です。
 私がタラの芽の若木ではないかと思っている、新芽の香りの良い木です。これがタラの芽ならいくらでもあった。

 
                サクラ?                                 ヤマボウシ?

 ウーンまたもや名前がハッキリしない花が現れた。
離れて見ると桜のように白い花をいっぱい付けた木だが、葉が少なく光が白い花に透けるようになり辺りを明るくしている。
まるで桜が咲いているように見えるが、近づいて見ると花の形はヤマホウシのようだ。アレーだが花弁が4枚じゃあない。
ではヤマボウシでもないな。それに今まで見たヤマホウシは、葉の上に白い花が咲いていたと思うのだが・・・・

 
              落下した花びら?                                   多米峠

 結局この花の名前も分からなかった。 
 多米峠に10時半着。朝が早かったので腹が空いてきたので昼飯にした。

 
                                   湖西連峰案内板

 湖西連峰の案内板を見ていると地元の登山者が話しかけてきた。そこで本坂峠から先の情報を聞くと
 「本坂峠から先は歩く人が少なく距離が長い。更に峠から駅までの距離も長くなるので薦められない。」 と言う。
そうか地元の歩き慣れた人がそう言うのなら、今日は本坂峠で止めておこうか。更に先の情報を聞くと
 「宇利峠の先の湖西連峰にある金山では、土を採る工事で道が無くなってしまったので、金山の山頂でコースを右に折れて林道を
行くしかない。そこに標識は無かったと思うが、全般的に道はあるけど、これからの季節はどうかなぁー」
だそうだ。
少々やる気が無くなったが、次回歩くときに再度検討すればいい。

 湖西連峰とは湖西市に接する尾根を指すらしく、今日歩く稜線でいえば神石山から、これから行く富士見岩までの短い間だった。
それなら豊橋自然歩道のほんの一部に過ぎないのだから、湖西連峰とはおこがましい感じがしないでもない。
そういえばさっきの人は中山峠から先を 「湖北連峰」 と呼んでいたっけ。呼名を付けるのは大変だ。

カタクリ咲く湖西連峰へ

2016-04-08 18:15:57 | 低山歩き
歩行記録                                                           H28-4-6(水)
歩行時間:6時間25分   休憩時間:1時間25分   延時間:7時間50分
出発時刻:7時00分     到着時刻:14時50分
歩  数: 31、123歩(推定距離22.09km)    GPS距離19.4km
行程
 二川駅 0:40> 松明峠(東山) 1:00> TV塔 0:15> 普門寺峠 0:15> 神石山 0:10> 雨宿岩 0:30> 多米峠 1:10>
 大知波峠 0:25> 富士見岩 0:30> 本坂峠 0:30> 国道出合い 1:00> 三ケ日駅

                            カタクリの花は何処だろう
 ネットで三河足助のカタクリの花を探していたら、湖西連峰にカタクリが咲いている記事がヒットした。
記事は3月25日に湖西連峰の宇利峠から二川駅を縦走したものだったがカタクリの花の場所の記載はない。
ならば私も同じコースを歩けばカタクリに遭遇するだろうと考えた。
だがネットには途中にある塩の道の本坂峠までは色々データがあったが、本坂峠から宇利峠の情報はあまりない。有っても
本坂峠先の中山峠からは踏み跡薄いとか迷いやすいとの情報ばかり。
それもそのはずで二川から中山峠までは、愛知県側では 「豊橋自然歩道」 となっているが、その先はようだ範囲外のようだ。
豊橋自然歩道は便利な事に 「トレッキング愛知 豊橋自然歩道&三河の山・尾張の山」 のHPが充実していてこのHPだけで、
コースの大方は分かってしまった。
それによれば中山峠から二川駅までは歩行時間が7時間40分とあるので、休憩を射れれば9時間で歩けそうだ。
問題の中山峠~宇利峠は他のデータから大よそ2時間程度とすると、これだけで11時間になる。更に問題なのは宇利峠から
天浜線の三ケ日駅までが遠く、ここでも2時間はかかりそうだ。すると合計13時間は越えてしまう。
始発電車で藤枝を出ても三ケ日駅に着くのは7時20分。それから歩き出しても二川駅に着くのは夜の8時を過ぎてしまう。
これは歩きなれた山でも避ける時間で、それが初めて行く山ではとても無理だと二川・宇利峠は諦めた。
なら三ケ日・中山峠・二川だと全行程の予定が11時間で二川着が6時半ごろ。ウーンこれでも初めての山ではナー。
では三ケ日・本坂峠・二川なら9時間程度。これなら4時半ごろには二川駅に着きそうだ。

 一度はそのコースに決めたが、もし後で本坂峠から北を歩きたくなったときに中途半端なコースになってしまいそうだ。
なら逆コースの二川駅から歩きだし本命は本坂峠とし、時間的余裕があったら中山峠まで足を延ばすようにする。
次回先の北の方を歩きたくなったら、着いたところから歩けば良いと二川駅出発とした。
豊橋自然歩道のHPのコースタイムは、中山峠から南に向かう時間のようだが、逆コースでも左程の違いは無いだろう。


                                    歩行コース

      
                        二川駅                                最初の標識

 “駅から低山歩き” をしていて最初に困るのは登山口までが分かりにくい事だが、このコースは事前にHPを見ておいたので
難なく最初の標識を見つける事ができた。
何しろ二川駅北口を下りて、旧東海道の駅前交差点を横断して、次の二川駅北の信号を横断してから右折する。信号から200mも
行くとコンビニがあり、その前に最初の標識があるので、そこを左の上り坂に入る。ただここの標識は 「二川自然歩道」 なっていて、
どうやら最初の松明(松明)峠まではこの名前を併用しているようだった。

 
                  MHの蓋                               豊橋自然歩道案内板

 MHの蓋の模様に手筒花火とお城が描かれている。手筒花火と云えば静岡県では新居町を思い浮かべるが、手筒花火の
発祥の地は、ここ豊橋らしい。なんでも徳川家康の鉄砲隊がこの花火の技術を持ち帰り、三河や遠州に広めたとされる。
お城も描かれているが遠州と三河で城と云えば浜松城と岡崎城が有名だが、豊橋にも吉田城なる城があり徳川・今川・織田・武田
の間で争奪戦を繰り返した城らしい。今は復元された鉄櫓が残っているだけだという。
吉田城の吉田とは豊橋の元の地名で、明治に入り豊川に架かる豊橋の名前から豊橋と改名したと東海道を歩いた時に知った。

 伊寶石(いぼいし)神社の入口に豊橋自然歩道の案内板があった。
豊橋自然歩道は松明(たいまつ)峠から西に行った東山登山口を指し、二川自然道は二川から松明峠だと云う事が分かった。
勿論ここには隣県の湖西連峰の事は書いてなかった。

   
          伊寶石神社                  神社裏の山道                    ヤマツツジ

 伊寶石(いぼいし)神社は本殿が鳥居の中に納まるような小じんまりした神社で、社は大きな岩の前にあった。
神社の案内板には 「社殿裏の巨巖にたまる霊水が 疣を取るのに効果があると 古来遠近の信仰が深い」 そうです。
 でも疣の無い私は巨巖には行きませんでした。

 神社からの山道は自然林の中の道で気持ちがいい。林を過ぎても周りには植林された木は見当たらず気持ちいい道は続く。
時々ヤマツツジも咲いていてカタクリへの期待は高まる。見落とさないようにしないと。

 
                  松明峠                               松明峠から浜名湖方面

 松明峠から見晴らしがよく南には二川の町、東には浜名湖が見えている。

 
               松明峠から豊橋方面                              稜線は続く

 西は建物ががビッシリある豊橋の街並み。吉田城は当然分からないが、海の向こうに薄っすらと見える山並みは知多半島か。
北を見ればこれから歩くだろう稜線が延々と続いていて、送電線もその尾根の上を走っていた。

   
          最初の三角点              浜名湖越しのアクトタワー             山桜の上に鉄塔が

 松明峠には4等三角点二川があった。標高は250.7mと低いが、今日も一番高い山でも427mが最高峰の低山ばかりだ。
だが標高は低いが中々の景色なので楽しみだ。浜名湖方面をよく見れば浜松のアクトタワーが霞んで見えていた。
山桜が中腹には転々と見えているが、山中にある山桜は幹が高く、花が上の方にしか見えないので余り綺麗とは言えない。
送電線の鉄塔の下に葉桜になった山桜が咲いていた。

   
                                    山道脇のカタクリ

 アッ! カタクリが咲いている。でも時間が早く陽の光が弱いのか花弁が前に垂れている。これでは駄目だ。
カタクリは胸を張るように花弁を後ろ一杯に反らしている姿が相応しい。数輪の塊が4・5カ所しかないがこれで終わりか?
少し待って胸を反らすまで待つか。いやそんな余裕はない。
そうだカタクリを紹介したブログには花の場所は書いてなかったが 「カタクリの群生地では」 と紹介してあったはずだ。
ならこの先にはきっとカタクリの群生地があるだろうと決めて歩き出した。

   
          藪ツバキ                       尾根の細道を行くと前方が開けた気分いい道

 落下した椿の花がいたる所に落ちている。だが木に咲いた椿の花は少ないうえ緑の濃い葉に隠れ上手く写せない。
実際はもっと大きな木の椿が多いのだが、そうなると写真を写しても赤い花が判然としなかった。

 ピークや道の奥に作られた見晴らしの良い場所が各所にあり、写真のような尾根道を行くと急に前方の視界が広がる所は
気分も高揚してくる。アー! 今日は来てよかったと。

 
               黄スミレの群生地                                  何スミレ?

 ロープで周りを囲った黄スミレの群生地があったが、花の時季に早すぎるのか、それとも遅すぎるのか咲いている花の量が少ない。
それに囲いから離れた場所に咲いてるので、しっかり写真に撮る事ができなかった。
 高草山の群生地に比べれば1/5くらいの規模だろうか。

 この山にも各種のスミレが咲いているが名前が分からない。このスミレもよく見かけるのだが何という名のスミレなのか。
余りにあちこちに咲いているので黄スミレに比べ人気は無いようだ。黄スミレも花が綺麗で人気があるのではなく、希少価値で
人気があるのではないか。自分だけが見た。という優越感を味わいたくて。

      
                    何ツツジ?                                三つ葉つつじ?

 何種類かのツツジもあちこちに咲いていた。せめてツツジ位の名前は覚えたい。                

   
           キイチゴ?                  岩の間の道                    巻道がある

 岩場にツツジが咲いていた場所で道が3本に分かれていた。ここのルートは踏み跡も濃く標識もしっかりついているので道の
心配はないが、それでも左右には細い分岐が何カ所かある。ただ縦走コースは一番ハッキリした稜線の道を歩けば間違いはない。
時折オッと見晴台だったと後戻りしたこともあったが安心して歩ける道です。

 だがここの3分岐はどれも同じくらいの道なので迷った。先ずメインと思われる真っすぐ伸びた道を行く。
だが5mも行くと道は無くなっていた。次に行った道の先は岩場になっていて覗くと下に道が見えていた。下れないこともなかったが
下の道を見ればここを通らなくても他に道はありそうだ。
結局最初の分岐を岩の間から下るとすぐ平坦な道に下りる事ができた。その先には先ほど上から覗いた岩があった。

 
           屏風のように長く岩が続いている                      観覧車と新幹線が見えた

 岩場の所に横に長くつながっている岩があったが、この岩の横を歩く道があれば面白そうだ。
“蓑毛(いもう)湿原” に行く標識があった鞍部を過ぎ、次のピ-クから二川方面に観覧車のような物が見えた。カメラの望遠機能で
見ると間違いなく観覧車だった。二川に観覧車があるような遊園地があったかな? 後で調べてみると「のんほいパーク」という
動植物公園という動物園+植物園+遊園地のある欲張った有料公園だった。
しかし “のんぽり” って何だろう? ノンポリならの学生運動に参加しなかった学生を指す言葉だが、ここでは動物園でもなし
植物園でもなし、遊園地でもない、どこにも属さないという事なのか。マサカそんな事は無いだろうが。
一応写真を写しておこうとカメラを構えていると、その公園の前の高架を新幹線が走っていた。タイミング良く写す事ができたが
先頭車両が建物の陰に入っていて、どこに新幹線があるか分からない写真になってしまった。

 
             二川TV中継所                                 カタクリ群生地

 TV中継所ならば粟ヶ岳や高草山、日本平、山原、浜石岳等を思い浮かべてしまうが、二川の中継所はこじっまりした小さな建物が
一つあっただけだった。

だがその前の広場に 「お願い カタクリの自生地です。保護策の中に立ち入らないでください」 の標識があった。
矢張り群生地はあったのだ。休憩もせずにカタクリの写真を撮り始めてしまった。

  

 群生の規模は三河の足助より全然狭く、金谷の群生地より広いといった感じです。ロープ外の道脇にま沢山咲いているので
案外写真は簡単に写す事ができました。

   

 私がここに来たのは4月6日なので、次の週末の9日10日でも十分カタクリの花は間に合うと思います。
興味のある方はお出かけください。

沼津アと静焼アの比較

2016-04-06 10:00:00 | 低山歩き
                        奥沼+沼津アルプスと静焼アルプスの比較

 以前から気になっていた沼津アルプスと静焼アルプスのコースを距離・アップダウン・景観・コース・危険性で比較してみました。
1・距離
先ず同じ尺度の地形図で比較してみてください。
                                      奥沼ア+沼津アルプス



                                  静焼アルプス



 明らかに静焼アルプスの方が距離が長い事が分かります。
 次に実際私が歩いて数値でも比較します。
  
   どうですか一目瞭然ですよね。

2・アップダウン
 データはヤマレコの他人様の物を利用させてもらいました。
                                      奥沼ア+沼津アルプス

 このデータは私の歩いてルートとはほぼ同じでした。
                                            静焼アルプス

 静焼アルプスは殆どが観観峰から朝鮮岩に抜ける人が多く、花沢山に行く人は余りいませんでした。
やっと見つけたこのデータも出発地が安倍川駅でなく手前の手越から、しかも佐渡山も登っていません。
ゴ-ルも花沢山から直接用宗駅に下っているので、カンポの尾根のアップダウンもなく距離も大分短くなっています。
しかし主要な部分のコースは同じなので十分参考になると思います。
ただこのグラフのメモリ幅は、標高部分は沼津の方が広いのでアップダウンが大きくなるが、距離の幅も同じように広いので
今度はアップダウンが小さくなっているかと思います。(合わせれば上も下も同じようなものか)


花沢山からカンポ下経由で焼津駅を歩いているデータがありましたので張り付けました。
用宗駅に直接下るルートより距離は長くなり、細かなアップダウンの続く道は、疲れた足にはかなりの負担になります。

 以上のデータから沼アは距離は短いが小さなアップダウンの多い山と判断できます。
一方静焼アの方は、小さなアップダウンもあるが標高差の大きなアップダウンもあり、しかも距離も長いので疲れそうな
山のように感じます。言い換えれば沼アは北アルプス的で、静焼アは南アルプス的な山だと云えそうです。

 参考に日守山を含まない大平山から香貫山の沼津アルプスが、静焼アのどの辺りと同じかも調べました。
 
この表ではおおよそ蔦の歩道辺りが沼アと同等ぐらいです。
満観峰まで行けば奥沼アを含んだ沼アと同じくらいです。しかし満観峰からは静岡側に下りるにしても、焼津側に下りるに
しても麓まではまだまだ歩かなければなりません。

3・景観
 先ずは次の写真を見てください。

                                  沼ア小鷲頭山から


                                  沼ア小香貫山から


                                  沼ア小香貫山から

一方静焼アルプスは

                                  徳願寺山から
 
               満観峰から                                花沢山から

 このようにすれば景観は同等かと思われるが、実際は数段沼アの方が上です。静焼アルプスから景色の見える場所は
上記写真の徳願寺付近と満観峰、花沢山しかない。(満観峰から花沢山の尾根筋でも富士山は見えるが同じような姿です)
一方沼津アルプスの景観は稜線の到る所から色々な景色を眺める事ができます。
スポットの景色なら静焼アは遜色ないが全体では到底沼アには敵いません。

4・コース
 コースの比較では色々あるが先ず標識を見てみると、これも文句なく沼アの方が上です。登山口に入ってから出るまで
迷うような所はありません。(香貫山には何通りも道があるが最終的には行きつける)
一方静焼アの特に徳願寺の尾根は正規な標識は無く私製の標識だけです。最近はその数も多くなってきていて、目印の
リボンや紐も大幅に増えています。おかげで迷う事は無くなったが余りに目印が多くなりすぎうるさく感じる時もあります。
それが沼アでは日守山の一部に目印はあるものの、大平山から香貫山にかけてはリボン等を目にすることは無かった。
最近車道の上の電線を地中に移動してスッキリした道路があるが、あんな感じで清々して気持ちが良かった。

 コースの面白みも沼アの方が上だ。梯子場や岩場に着いた階段、長いロープ場(尤もこれは多すぎて飽きてしまったが)
木の根やウバメガシの尾根道と飽きないで歩く事ができる。
では静焼アの面白みと考えるが、特に思いつかない。

5・危険度
 コースの危険度だが、これを書くためにネットで “奥沼津アルプス” を検索するとこんな記事が次々現れた。
 “恐怖の低山トレースが解りずらいがテープやロープを目印に素直に歩行すれば迷いません。”
 “ハシゴとハシゴの間の区間が難所。初心者は避けたほうが無難”
 “恐怖の低山、ふみ跡、テープは有るが地図コンパスは必携。”
 “岩登り、梯子などでプチアドベンチャー。道は踏み跡はあるものの何も考えていないと他の踏み跡に引っ張られる” 等々

 もし私が奥沼アに行く前にこれらの記事を読んでいたら果たして行っただろうか? 怖がりの私なので止めたかもしれない。
だが実際歩いてみて踏み跡はハッキリついているし、分岐には標識もあり道に悩むことは無かった。
問題は初心者は避けた方が無難と書かれた梯子だが、この判断は難しい。恐怖感は人それぞれによって違うので何とも
言えないが、怖がりの私でも鳥肌が立つことなく梯子を渡る事ができました。
それ以外に危ないと感じたのは支点間隔の長いロープ場で、注意しないとロープに振られて転ぶことも考えられる。一人で
ロープを使っている時は良いが、複数で利用している時はなおさら注意が必要だと感じた。
  
        奥沼ア梯子1                   奥沼ア梯子2                    長いロープ場

  静焼アで危険な場所は強いて言うなら宇津ノ谷峠の下りにある短いロープだろうか。だがそこはロープがあるお陰で容易に
上り下りできるようになっている。
ネットで調べると徳願寺の尾根の “道迷い” を書いてあるものが多いが、最近のネットには “最近は分かりやすくなった” と書いて
ある記事も複数あった。
危険という段階ではないが花沢山から石部峠の長い下りの階段は、気を付けないと階段が浮き上がっているので躓く恐れがある。
           
          宇津ノ谷峠上のロープ場                   花沢山の階段

結 論
 
 結論を言えば奥沼+沼津アルプスは景色も良く、楽しい山行ができ疲れも程々なので、賑やかに山を楽しみたい人向き。
静焼アルプスは静かな山を好み、自己の鍛錬を好む人向きとなるだろうか。
どちらのコースも歩き甲斐のあるコースです。