はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

ビク石周回-3

2015-10-04 10:00:00 | 低山歩き
歩行記録                                                          H27-9-29(火)
歩行時間:6時間25分   休憩時間:1時間45分   延時間:8時間10分
出発時刻:8時25分     到着時刻:16時35分
歩  数: 29、039歩(推定距離21.2km)    GPS距離18.0km
行程表1
玉露の里 0:25> 不動の滝 0:20>  新舟駐車場 1:10> びく石山頂 0:45> 地蔵峠 0:30> 新舟駐車場
行程表2
新舟駐車場 0:30> 地蔵峠 0:20> 農道合流 0:45> 下大沢 0:10> 西方八幡宮 1:10> 中里橋 0:20 ゆらく

 
                        赤線が歩いた道 黄線が歩く予定だった道。
                         下大沢からおとみ坂経由ゆらくの道

 当初の予定では新舟駐車場から地蔵峠に戻り、そこから春に歩いた道を稜線伝いに一宇戸峠まで行き、更に天王山に上って
西方の白藤会館に下る予定だった。だが結果は方向違いの下大沢に着いてしまった。

 
                新舟駐車場                              駐車場上の分岐

 駐車場で昼飯を食い終り便所に入って驚いた。山の中の公衆便所なら蜘蛛の巣や枯葉が舞い込んだ汚いトイレを想像していた
のに、トイレの中は今掃除をしたばかりのように綺麗だった。便器も決して新しくないが茶色の染みも無く駅の便器より綺麗だった。
集落の人が毎日掃除をしてくれているのだろうがありがたい事だ。

 道標のある分岐を今度は左の道を登って行く。

  
              十四地蔵尊の分岐                                十四地蔵尊

 道標から100m程先の分岐を右に下る道は十四地蔵尊へ行く道で、地蔵峠には左の道を登って行く。
十四地蔵尊については一昨年の駿河百地蔵に詳しく書いたので こちら を参照してください。
 地蔵尊の分岐から左前方の電信柱には 「水玉神社」 入口の看板が見えている。
なので、地蔵峠にあった水玉神社への表示も、山道の入口にあった駐車場への表示も、どちらも間違っていなかった事になる。

 
                3番目の分岐                                登山道入口

 地蔵尊の分岐から更に20mほど上ると、また分岐に出る。そこは左の橋を渡って人家の見えない農道に入る。
(右のガードレール沿いの道は、今日断念した駐車所への道が続いているのだろうか)
橋を渡ると左側にナンバープレートのない廃車が置いてあり、その先の右上には栗の木が2本か3本生えている。
その栗の木の手前を登って登山道に入るのだが、入口には良く見れば赤い目印が付いている。
ここまで駐車場から5分も掛からないので通り過ぎないこと

 
             山道に入ってすぐの眺め                          林の山道入口

 農道から山道に入り栗の木の上から後ろを見れば、こんな景色が見えている。右は栗の木でその下には農道も見える。

 栗の木の上から林に入る山道が幅広になると、すぐ左上に林の中に入る道の分岐がある。写真では左下の少し草が無い所が
そうで、赤い目印もあるが細く葉の付いた枝ばかりで見分けにくい場所です。
一番目立ったのは氷結の空缶を枝先に突っ込んである奴です。(氷結が思わぬ大任を果たしている)
幅広の道は更に緩やかな傾斜で林の中に直進しているので注意が肝心です。
栗の木の上から1分以上歩いても分岐に気が付かなかったら、再度栗の木の上まで戻ってやり直してください。

 この道を下る時は下に下にと歩けば自然に駐車場に着いてしまいます。上りの場合はこの分岐さえ分かれば、あとは林の中の
道で、赤い目印を注意して行けば、難なく地蔵峠に着いてしまいます。              

      
     地蔵峠から天王山への道                         倒木に付いたキノコ

 地蔵峠の地蔵に無事駐車場へ行き着けたお礼をして本日の最終章の開始です。
 地蔵峠から天王山への道は登り勾配の軽いアップダウンのある道で、途中には大きな木が生えていた。
これもキノコだろう。倒木にビッシリ付いたキノコは、形はキクラゲに似ているが色が違う。キクラゲは黒かったがこれは白くて
まだ成長過程のキクラゲなのだろうか。

 
        林の出口に天王山の標識が有った。                     林から出た茶畑 前方に天王山

 道が平らになったので、そろそろ春歩いたとき迷った場所辺りだと思ったが、稜線の道はよく踏み込まれていて、これを外すのは
勿体ない。多分この道が天王山に続いているのだろう。

 林が終わる手前に大崩山塊でよく見かける木札の道標が杉の木に取り付けてあった。ウン!これで一安心だ。
この道標は大崩山塊のハイキングコース以外の場所で良く見かける道標で、私はこの道標が有ったお蔭で大崩山塊の全ての
道を歩けたと云っても過言ではないと信頼をしている。
この山域でも天王山から地蔵峠の間で見かけていたので、この道標さえあれば天王山に行けるだろうと自信を持った。

 道標を見て林を出るとそこは予想外に整備された茶畑になっていた。春歩いた時は林の横は放置された茶畑で、背の高さ以上に
伸びた茶の木が遮っていたので、仕方なく林の中に入ってしまい道を見失ったのだが ---------
マー今考えても仕方ない。道標を信じてもう少し行ってみようと、茶畑横の空地を下る事にした。

 
       農道の左前方に天王山が見えた                   荒れている農道の先に天王山が

 茶畑が終わると南に向かう急斜面の農道があった。南には余り行きたくないが仕方ない。多分この先に分岐があるのだろう。
雑草も生えていない急斜面だった農道の傾斜が緩くなると、向きが東になり、その先に天王山が見てきた。
写真では木に隠れて見えないが、天王山から続く稜線は、もっともっと左の方に延びていた。ここからその稜線に向かうには、
一度谷に下りなければならない。
そんな馬鹿な。道標の有った場所からまだ5分も経っていない。若し道標を見落としたなら茶畑の空地の斜面だろうか。
でもあそこも注意しながら下ったが目印も道標も気が付かなかった。
アーア 嫌になるなぁ 時間はまだ2時前なので戻っても大丈夫なのだが。しばし考えて止めることにした。
次回は一宇戸峠から再度登り、林の中の道に入ったら、西(左)側を注意すれば、きっとさっきの茶畑に出るだろう。
そんな言分けを考えて農道を下り始めてしまった。

 最高部にあった茶畑の下の農道は草が生えていなかったが、この辺りの農道は草が茫々で利用されている気配が無い。
では、何故上の方の道が整備されているのか、車はどこを通り茶畑に行くのか不明だった。

 天王山を諦めてしまえば後は気楽なもので、下りの農道をのんびり歩いていた。
右(西)に鋭角に合流する未舗装の道があったが無視。直進する舗装された農道を下る。
次の分岐は左に側に未舗装の農道で、直進は舗装された農道だった。サーどっちを下ろう。なんか直進する道は幅が狭い
気がする。それなら左の道を行こう。どっちを行っても麓に通じているだろう。

 前方に軽トラが停まっていたので、この道が何処に下るのか聞いてみようと、近付くと農道はそこで終わっていた。
その先を見てもミカン畑で細い山道も無かった。
ヤイヤイついてないなと思ったが、ミカンの木の間から人の乗ったモノラックがこちらに向かって来るのが見えた。
モノラックに乗っていたのはミカン畑の持ち主の老夫婦だった。
挨拶を交わすと 「何だねあんたは。ここに何しに来たんだ。」 と警戒気味に聞いてきた。ミカン泥棒が下見に来た思ったのかな?
あわててビク石から地蔵峠を通り天王山に行く予定だったが、ここの来てしまったと説明し、ここから麓への道を聞くと
 「昔は尾根には道が付いていたが、今は車で動くからみんな歩けない道になってしまった。ここから下に行く道は俺が二十歳の
頃はミカンを天秤棒で担いで下ったものだ。だが今じゃぁ藪になちゃってとても歩けたものじゃない。」
との事でした。
奥さんも 「私が嫁に来た時は、家からここまで歩いて来たので、それだけで疲れてしまった。」 と愛想よく話してくれた。
私に対する警戒心も解けたのか、和気藹々と話を続けてしまった。時間に余裕があると楽しいものですね。
ここで聞いた話を箇条書きにすると。
・獣除けの電気柵は12Vの車のバッテリーで4000Vに変圧して使うが、半月ぐらいしか持たないので充電して使う。
・4000Vといっても人間にはピリッてくる位だが雨の日に触るとビリって痺れる。
・獣も勉強していて、兎は線の下から、猪は最近飛び込む事を覚えたので柵をもっと高くしなければならない。
・猿は困りもんで人間がいても木の上からこっちを眺めている。脅かしに流星を猿に向けて打ったが、最初はびっくりして逃げた
けど、今じゃぁ木の上でギャァギャァ叫んで笑っている。
そうそうこんな話もしてくれた。
・ミカンの木の下に白いシート敷いてあるのは、ミカンに水を与えないでストレスをかけて甘くさせている。
業者はあれをやれやれって言うけど、あれをやると100年もったミカンの木が30年しかもたない。俺は絶対やらない。

ところでこの下の何処かと聞くと
・俺たちの澄んでいた下大沢に出るが、昔は下と上の大沢で55軒あったのが、今じゃ5件5件の10軒しかない。
・本当は下大沢でも良かったが、市役所が60万円出すから麓に下りろとうるさく催促に来た。息子夫婦も下に住みたがったので
今は西方に家を建てて住んでいる。
・市から60万円貰うには、家はこわさくてもいいけど、畳は上げて泊れないようにしなければならない。
・強制ではないので下に住むのが、どうしてもやな人はそのまま住んでもいい。

下大沢に下る道も確認した。
・この上の直進する舗装道路は行き止まりだから、その上の舗装されていない道を行くと下大沢に出る。
アレアレさっきはあの道は絶対下に通じていないと思った道が正解だとは。俺の勘も当てにならない。
 等々30分ぐらい話をしていたかな。

 
               下大沢の合流部                         瀬戸川上流の中里への分岐

 話をしている時間が長かったので、農道に出合ってから下大沢までの正確な時間は分からなくなってしまったが凡そ45分位か。
下大沢のどの辺りに合流するのか興味があったが、合流地点は庚申塔などの石仏を祀ってある所に合流した。
 この農道なら上大沢まで行かずに地蔵峠に行く事ができるので、利用価値があるかもしれない。道は確か上に上にと向かって
行けば標識の有った茶畑に出るから間違いにくい。
(農道は国土地理院の地図でも正確に表示されていないし、ましてやお気に入りのYHHO!の地図も駄目だ)

 下大沢集落を下る途中に先程話に出た家があった。まだ新しいその家は何処かの社長が別荘用に建てたのだが、市の言い分に
従って畳を上げて泊れないようにしてあるらしい。だが正月には集落の人を呼んで宴会を開くそうだ。
ミカン山の持ち主の人も毎年参加するのを楽しみにしているが、宴会が終わると参加者全員引上げるそうだ。

 西方八幡宮を過ぎ西北(間違いではありません)小学校前の分岐でしばし考えた。このまま前進すれば何度も歩いた道になる。
今日は天王山に行けなかったのだから新しい道を歩いたらどうだ。と。
          
                     嫌な奴がいた                            おとみ坂の記念碑

 この道の1本下(南)には石仏隧道のある県道が走っている。そこは“石仏隧道” の名に惹かれて歩いてみたが名前負けを
する峠道だった。ただその道は両側から山が迫り暗い細い道だった覚えがある。
それに比べこっちの道は、広くて平で明るく歩き易いというか何も見る物も無い道だった。畑もないので車も殆ど走っていず
只々テクテク歩くのみだった。それにしても道が平らすぎる。まさかこのまま峠越えしないで瀬戸川流域に出てしまうのかと
思ってしまうくらい平らな道が続いた。
しかしそんな事は無く、最後はしっかり上り坂になった。その峠と思われる所に 「おとみ坂」 の記念碑が建っていた。
案内文には 「農免農道 昭和56年完成 おとみ坂の由来は、かってこの峠にあった茶屋の名前をとる」 のだそうです。

 ところで 「農免農道」 という言葉は時々聞くが、今までは農業用道路として免許(許可)が降りた道路かと思っていた。
ところが今回調べてみると、農免農道とは 「農林漁業用揮発油税財源身替農道」 の略称というが “免” の言葉が入っていない。
これは 「通常ガソリンの取引には揮発油税がかかるが、農業用機械に消費されるガソリンについては免除することになっている。
しかし、取引の際にそのガソリンの使用目的を確かめるのは現実的ではないため、農業用機械に消費される分の揮発油税に
相当する額を財源として道路を整備することで、揮発油税の免除に代えている。」

要は “揮発油税の除” から農免農道の言葉が生まれたらしい。フーン
しかし、こんな制度ができため不要不急の農道が造られた可能性もある。

 昔この峠に茶屋があったとか。足の達者な昔の人が、この位の峠で茶屋によって一服したか眉唾物だと思うが
「お富さん」 なる女性が峠で --------

 
            着いた先の中里地区                             ゆらく

 着いた先は先週歩いて橋の名前が分からなかった “中里橋”の袂だった。
瀬戸川沿いの農免農道の入口に立つ道路標識は、全て瀬戸川上流を指す物ばかりで西方方面の物は何も無かった。
せめて西方方面とか岡部方面とかがあっても良さそうだが。

 久し振りに営業している日帰り温泉の “ゆらく” に着いた。
今の時間は時間は4時35分だが、このまま歩いて行くとゴールの藤枝駅に着く前に真っ暗になりそうだ。途中でバスに乗っても
始発のここから乗っても400円のバス料金は変わりない。それならここからバスで帰ろうとバスを待つことにした。