はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

次の遍路は遠江33ヶ所に

2010-03-22 10:41:34 | 寺社遍路
                
 
E-honから遠江33ヶ所を紹介してある「光と風と観音様と」の本が届いた。
次回の遍路を遠江33ヶ所にするか、遠州33ヶ所にするか迷っていたところ、知人から遠州の方は昭和の終わりごろ選定されたと聞いて心が決まった。どうせ歩くなら古い方が魅力もあるし駿河一国とも比較が出来る。
そしてそのとき聞いた本も頼んでおいた。

 本の中に江戸時代の人が巡礼行程160kプラス家までの距離を加えて200kを6日で歩いていたと書いてあった。これを読んで意欲が湧いてきた。
ヨシ!私も同じく全て歩きで6日の遍路で結願を迎えてやる。
馬鹿は死ななきゃ治らない。しかし馬鹿をできるから楽しいのだ。馬鹿をできない人生なんて-----勝手に言い訳をするしかないが。
丁度遍路コースには森の石松が生まれた森町も入っている。馬鹿の先輩の墓参りもしてこよう。

 今回も遍路のルールを決めよう。
1.交通機関は鉄道のみでバスやタクシーは使わない。
2.前回終了した駅から次回は歩き出す。
この2点を実行すれば、点だった札所が一本の線で繋がることになる。距離も駅までの往復が加わるので200kにはなるだろう。
それとご朱印は駿河一国では拘ったが、遠江は無住の寺が多いので、ご朱印には拘らないことにする。
実行は掛川歩こう会の浜名湖一周55kが終る4月4日以降としよう。
そして終わりは遅くても5月一杯にする。サー楽しみができたぞ。

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 駿河一国のHPを毎日作っています。
今構想が練り終わり初回の札所を打込んでいますが、いつ完成するか--- 
3月一杯を目指したがどうやら無理な感じになってきました。

駿河一国33ヶ所巡り8-5

2010-03-16 17:39:24 | 寺社遍路
          

 十国峠から駿河一国の方向を見るが、かすんでいて良く見えない。しかしこの日のために持参した双眼鏡を覗きながら三島大社、千本浜、愛鷹山の麓、富士川の右岸の岡と辿っていった。まさに、駿河一国33観音霊場巡りの打ち上げに相応しい景観で疲れも癒えていく。しかしよく歩いたものだ。今日で8回目。距離にして280KM。歩いていた時間は57時間。オット待った、まだ番外にも行ってないし、熱海駅にも着いていない。感慨に耽るには早すぎる。

          
             十国峠から富士方面

 体が冷えてきた。サー番外の東光寺に行こう。
峠から下る尾根道は絶景だった。右側には香貫山の先に駿河湾。その横は伊豆の山々。更に正面は伊豆大島や初島が見える。視線を左に移すと眼下には湯河原の街、その先は三浦半島や房総半島も見える、まさに今まで歩いた中で一番の景色だろう。
今はまだ1時。予定より1時間も早い。気分は余裕があって景色も楽しめる。

 林の中の東光寺の参道に入ると雪が残っていた。参道の両側に赤い登りが並んでいて、まるで稲荷神社の参道のようだ。

          
              東光寺の参道

ここの参道の一部は変わっていた。本堂裏の宝篋印塔(ほうきょういんとう)に行く道の両側に小型の五輪塔をビッシリ建ててある。下から四角・丸・三角・半丸・上の尖った丸と一応五輪塔のルールを守っている。この様に小型の五輪塔をしかも道の両側にビッシリ建てあるのを見たのは初めてだ。あとで理由を聞いてみよう。

          
              ミニ五輪塔

 参道から寺の受付がチラリ見えた。アレー?カーテンが閉まっていぞ、 マサカ。
慌てて近寄ると、やはりカーテンは閉まり人気も無い。しかし前回あった定休日の札は見えない。本堂の戸を開けようとしたが鍵が掛かっていて開かない。そんな馬鹿な!
前回は休みを確認しなかった私の手落ちだが、今回は昨夜、念のため東光寺のHPで確認してある。間違いなく定休日は水曜日、受付時間は9時から4時になっていた。それなのに詐欺だ! 憤懣やるかたないが、どうしようもない。
大体お寺なのに定休日があるなんてふざけている。HPだって水子供養とか塔婆供養とか宣伝が多い。 ----- 止めよう いくら言ったところで、どうにかなるものでもない。

          
              閻魔大王と宝篋印塔

 怒りの感情を抑えて境内を眺めれば中々いい雰囲気を醸し出している。先ほどの五輪等もそうだが、ここにも苔むした石仏や仁王の代わり(?)に置いてある閻魔大王や生死阿婆(しょうじあば)の石仏もいい。そう石仏に関して言えばここが一番かもしれない。
景色もよく、石仏も良い。なのに--- また始まりそうだ、止めよう。

 東光寺を後に熱海駅に向かう。今1時半、予定より1時間以上早い。のんびり下ろう。
ここからの道は東光寺に登る丁目石が設置されている石仏の道になる。
道の入口は幹が曲がりくねった馬酔木の並木になっていたが、まだ花を付けていない。痩せ尾根の道に馬酔木の並木の道はいい雰囲気だ。その道も10分も歩くと終わり、次は草原の尾根道に変わる。前回はここを左に曲り岩戸山経由で伊豆山神社の方面に行ったが、今日は真直ぐ石仏の道を下る。

          
              馬酔木のトンネル

ただチョット心配な事がある。前回十字縦走で痛めた足が、これから熱海駅まで続く長い急な下りで再発しないか心配な事だ。今朝歩き出した時は右足のふくらはぎに少し違和感を感じたが、歩いているうちに感じなくなって今は何でもない。このまま駅までもってくれるといいのだが。

 ヤーいい眺めだ。初島から熱海に向かう船の航跡が白く見える。この道は矢張り駿河一国の中で一番の道だろう。若し道のベスト3を挙げるなら、1番はこの石仏の道。2番は島田の智満寺に行く農道。3番は薩埵峠か藤枝清水山の農道だろうか。ともかくこの道がダントツの事は確かだ。
昔の人も味な事をする。駿河一国の番外に伊豆の寺を選んで絶景を楽しませリラックスさせ、次に温泉の湯治で身体を癒してくれる。これで遍路で疲れた心身ともに回復するだろう。
 右側に姫の沢公園がズート続いている。随分広い公園だ。スカイラインの入口から始まっていたから3kはあるだろう。この公園はアスレチックが色々あるので孫を連れてきて自分はご朱印を貰いにいく。ウーンいい手だ。春休みになった考えてもいいな。

          
           石仏の道 大島と初島が見える

 車道に出た。案内によると石仏の道は下の交差点を下る方向に続いているようだが、私は直接熱海駅に向かう事にした。交差点を下がらず真直ぐ歩いていると変なことにまた丁目石が出てきた。11丁目9.7.5と奇数の丁目石だ。案内図では先ほどの交差点を下がる方向が石仏の道となっていたのに何故だろう。分からないがマーイイか。

           
               石仏の道の丁目石

 前回熱海駅から石仏の道の入口への道が分からず、迷って迷って2時間も掛かってしまった。しかし今日は大丈夫。まずはゴルフ場を目指し、次はMOA美術館。美術館が過ぎたら桃山小学校と中学校の間に出る、その後は駅を目指せばよい。
急な車道を足の爪先を丸めるようにして下る。時折ある階段の細い道は、きっと近道にだろうと判断し下って行くと案の定近道だった。登りではチョット出来ないが下りは「全ての道は駅に通ず」だと思うことにした。

 線路のガードを潜り右に折れるとゴールの熱海駅前。
昔の遍路は熱海で湯治をしたが、私にはそんな余裕が無い。と思ったら。待てよ。座った集団が見える。近づいてみると皆ズボンの裾を捲くって足湯に入っていた。ラッキー!これで私も湯治が出来る。早速ズボンを捲くり温泉に脚を浸す。アーいい気持ちだ。時間はまだ3時前。充分時間はある。ノンビリ足湯に使っていると眠くなってしまった。

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 次は何所を歩こう? 遠江か遠州の遍路か、それとも富士山麓の一周か。いずれにしても4月4日の浜名湖一周55kウォークが終ってからの話にしよう。それまでは駿河一国のHPを何とかしなければと思っています。

駿河一国33ヶ所巡り8-4

2010-03-15 16:12:37 | 寺社遍路
 飲んだとき書いたものを読み返すのは恐い。自分のくだらなさばかりが目に付いて自己嫌悪に落ちってしまう。お調子者をさらけ出す自分が嫌になる。
そんな訳で一昨日何所まで何を書いたか確認しないまま続きを熱函道路の分岐から始めます。
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 今日の服装は三島駅を出るときは完全装備でジャンパーにトレーナーを着ていたが、三島大社でトレーナーを脱いでジャンパーだけにした。今日の予報はお日様マーク一色だったが今予報通り上空には雲がない。そのせいか朝は冷え込んだが徐々に暑くなってきていて、岐れ道の交差点でジャンパーも脱いでいた。
そして熱函の分岐地点ではオープンシャツも脱いで半袖のシャツとチョッキをだけの姿になってしまった。むき出しの腕は少し風が冷たく感じるが体の火照りが冷めて体が軽く感じる。

 時折道の左側から顔を出す富士山は、TVの冬の風物詩で大根や野沢菜の収獲風景のバックの富士山と同じ姿をしている。その野菜があるかと辺りを見回すが今は時期が遅いのか見当たらない。確かそのとき野沢菜は静岡で消費するのでなく長野県に出荷して野沢菜漬けするといっていた。この様に長野に産物を出荷して製品化する物に天草もある。野沢菜が里の幸なら天草は海の幸だが、伊豆の海で採れた天草を長野の茅野地方に送って寒天を作ってもいる。長野と収獲時季の違いを利用する野沢菜と、長野の寒さが必要な寒天作り。どちらも伊豆で生産して長野で製品化している。なんだか静岡と長野のイメージでは逆のような気がするが面白いものだ。

          
              旧道からの富士山

 両脇が植林された道になると腕は更に冷たくなってきた。だが身体は熱く背中は汗で濡れている。昼飯の時最初は日陰で食べ始めたが、すぐ寒くなってきたので日向に移動した。
昼飯を食べ始めたのが10時40分。役場から熱海峠まで約12k。そして今昼飯を食べている生コン会社の前までが7km。もう半分以上歩いている。
今日の予定は前回の十字縦走で懲りていたので余裕のある行程を組んである。その予定では熱海峠に13時着。熱海駅は16時半を予定してある。この分で行けば熱海峠には12時過ぎには着きそうなので予定を大分上回りそうだ。いつも予定に追われていた今までと違い今日はのんびり出来そうで嬉しい。

 道の脇に「水準点」書かれた立て札が立っていた。その下には4つの石に囲まれた丸い金属板が埋められている。その金属を良く見ると「一等水準点 ---- 国土地理院」と書かれている。水準点なる物があることは知っていたが、その役目は忘れていた。ネットで調べてみると
「水準点は、全国の主な国道等に沿って約2kmごとに設置してあります。この水準点を使用して、土地の高さを精密に(mm単位)に求めることができます」とある。なるほど標高を算出する道具なのか、しかもここの水準点は一等とあるので重要なのだろう。
でも三角点との違いは何だろう? これも国土地理院のHPに「三角点は山の頂上付近や見晴らしのよい所に設置され、経度、緯度が正確に求められます」要は三角点は場所、水準点は高さを求める「点」なのだろう。
ついでに基準点も紹介すると基準点とは三角点や水準点など地図作成や測量の基準となるものだそうです。

          
               水準点

 軽井沢集落に入った。今でこそ車があるので麓との行き来が容易に出来るが昔は大変だっただろう。そんな大変で不便な場所に何故住み着いたのか? 田圃は勿論ないが畑も見当たらない。となると農家ではないようだ。そういえば歩いて来る途中の道路標識に「原生林入口」の看板が立っていたが、それが生計の元なのだろうか? いや確か原生林は江戸時代から伐採禁止の「禁伐林」と言われていたようなので、そこが生計の元とは考えられない。しかしこの山の中では森林を相手にするしか生活できないだろうから、やはり樵とか森林管理などをしていたのだろう。
集落の中に満開の枝垂れ桃の横に古い屋根のお堂があった。ただ周りがアルミサッシでなので若干残念な気がするが、それでも風情があった。

          
               泉竜寺のお堂

 道路の横に雪が見え出した。通行の邪魔になる量どころか歩くにも支障はない。しかし雪がある事はあったのだから「積雪注意」の警報も許してやろう。

          
              道路脇の雪

雪がチラホラ出始めると熱海峠の標識があった。やっと峠に着いた。後は十国峠に登って今まで歩いてきた駿河一国を眺める事にしようと気楽に考えて歩き始めた。
熱海峠から伊豆スカイラインの入口に向かい途中で霊園の入口側へと折れたのだが、その道の急なこと。今日一番のアルバイトになってしまった。やっとの思いで姫の沢公園や霊園、東光寺、十国峠のへの分岐点に着いた。背中は汗でビッショリだが尾根に出たので風が強くなってきた。

          
              熱海峠の標識

それにしても今日は道に困らなかった。三島から下田街道を歩き函南役場から熱函道路に入る。そして途中から旧道を歩いてここに到着。張り合いのないくらい順当だった。しかもここから先は11月に歩いたばかりなので記憶も残っている。

 芝生の道をケーブルカーの山頂駅に向かって進む。建物は白っぽいので大場川から見た建物とは違うのかもしれない。よく分からない。
尾根には雪が所々残っていて風が更に強く冷たくなってきた。もう半袖一枚では寒すぎる。時折居る観光客はコートやジャンパーでの完全防備だ。この格好で一緒に写真を撮ったら面白い写真になるだろう。それにしても寒い。汗が冷えてきて余計寒くなってくる。やっと建物まで辿り着き慌ててオープンシャツを着てジャンパーも羽織った。ホット人心地がついたところで景色を眺めよう。

          
             十国峠のケーブル駅と富士山

 十国峠の名前の謂れは、きっと十の国(藩)が見えるということでついたのだろうが、これも白髪三千丈の類で大げさな表現だろう。私の知識では先ず伊豆、駿河、相模しか思いつかない。またそれらに隣接する遠江や甲斐、武蔵を入れたとしても六ヶ国に過ぎない。
その答えが山頂の石碑に書いてあった。天明3年に書かれた文章で「伊豆、相模、武蔵、安房、上総、下総更に駿河、遠江、信濃、甲斐」の十カ国が見えるとなっている。確かに今も房総半島が薄く見えていので安房と上総は見えそうだ。それに南アルプスも見えるから信濃も見える事にしよう。これで合計九ヶ国、後一つ下総は見えるだろうか? 下総は今の千葉県の成田空港のあたりだが相模や武蔵に隠れて見えないような気もするが---- そんな細かい事はどうでも良い。ここは十国が見えるほど素晴らしい景観の地には間違いがない。

           
                十国峠の石碑

掛川歩こう会(蔦の細道)

2010-03-14 17:41:50 | 低山歩き
 今日は掛川歩こう会の蔦の細道・やきつべの道ウォーク30kを歩いてきました。
まだ木曜日の疲れが残っていたが、大崩山塊は私のホームグラウンド。いつもは一人で歩く所を団体で歩いたらどう感じるか、と思い参加しました。報告は駿河一国の後でします。

 そー嬉しい事があった。私の作った大崩山塊のタイムスケジュールが花沢の里の水車小屋の中に置いてあった。
経緯は以前書いた?ので省略するが暇つぶしで始めた事が他人の役に立つとはありがたいことだ。お祝いをしなくちゃー。
静岡や志太の方はこのタイムスケジュールを参考にして大崩山塊を歩いてください。そして十字縦走に挑戦してみてください。

駿河一国33ヶ所巡り8-3

2010-03-13 21:53:58 | 寺社遍路
 伊豆箱根の駿豆線の大場駅を過ぎ川を渡ると道の正面にモダンな建物が見えてきた。地図で確認すると函南役場のように思うが役場にしては風変わりだ。段々近づいていくと交差点の名前が見えてきた。「岐れ道」となっている。間違いはないあのモダンな建物が役場なのだ。それにしても建物と地名のアンバランスさが面白い。普通なら追分だろうがそうせずに分かれ道それも分かれとせずに岐れ道とするとこがにくい。
 しかし分かれ道となると何所と何所の分かれ道なのか、地図で見ると下田街道は先ほど富士山を見た大場川のあたりで右手に別れてしまったようだ。それでは何所だろう地図を見ると左に行く道は言わずと知れた熱海に向かう道。では右側は、どうやら畑毛温泉のようだ。温泉と温泉との岐れ道なのだろう。きっと。

          
               函南役場  

 左手の熱海への道を歩き始めるとNTT伊豆病院があった。以前は伊豆逓信病院と言っていたが、その頃この病院の人間ドックへ入って辛い経験をした事がある。胃のレントゲン検査用のバリュウムを飲んで強烈な便秘になってしまったのだ。出したくても出ない。尻の先まで来ているのだが最後の出口が詰まっていてどうしても出ない。尻全体が硬くなり熱を持った状態になってしまった。違う病院に行ったが下剤をくれるだけだったが下剤を飲んでも出口は開かない。かえって苦しくなるだけだった。
そして最後に選んだ方法は以前小説で読んだことがあるやり方で、薄いビニールの手袋をして------- 止めよう。あの苦しく痛い経験は二度としたくない。

 新道と旧道の分岐点に着いた。この道は熱海と函南を結ぶ道路で熱函(ねっかん)道路と呼ばれている県道11号だ。新道は長いトンネルで山を抜けて旧道に合流する元有料道路で、旧道は熱海峠を越えてから少し下がった所で新道と合流している。
今日行く十国峠は熱海峠を越えて更に高い位置にあるので必然的に旧道を歩く事になるが旧道で良かったと思った。まず1k余のトンネルを歩かなくて済む。次に交通量に格段の違いある事。これは車道を歩く上には何よりの魅力だ。

          
               熱函道路分岐点

 分岐点の交通情報が「この先山道 積雪注意」の表示が出ている。まさか?麓から見た山には白い物は見えなかった。それなのに積雪注意?理解できない。
先ごろあったチリ地震の津波情報でも、情報は出ても避難する人は静岡県では数%しかいなかたったと新聞にでていた。新聞は津波の恐ろしさを強調して非難しない人を攻めていたが私でも避難しなかっただろう。第一波が小笠原諸島に来て次が東北地方にきた。その全てが避難に当たらない高さなのに津波情報は翌日の10時ごろまで出ていた。それでは避難する人が少なくて当り前だと思う。津波警報を出すのはよい。しかし解除も速やかに行わないと警報自身の信頼性が無くなってしまう。これでは避難する人が少なくて当然だと思う。
と言っても、これから先の道が雪かどうかはその時点では分からなかったが。

 旧道に入ると極端に車が少なくなった。走っている車は伊豆か沼津のナンバーが多い。今まで駿河一国を歩いてきて1番から26番札所の蒲原辺りまでは静岡ナンバーばかりだった。それが富士川を渡ると富士山ナンバーと沼津ナンバーに替わった。そして今日三島に入ると伊豆ナンバーが多くなった。よく歩いたものだ。
 
 話は変わるが車のナンバーといえばアメリカ旅行に行ったとき、向こうのナンバープレートを見て驚いた。それは日本のように数字と字ばかりでなく絵やイラストも入っていた。例えばフロリダ州だとオレンジのイラスト。ネバタ州はラスベガスの夜景、ワイオミングはロデオのイラストとそれぞれに趣向を凝らしてある。これを日本にも導入して静岡は登呂遺跡の竪穴住居。富士山は言わずと知れた富士山。沼津はウーン困った。何にしよう。思いつかない。伊豆は踊子のイラストはどうだろう。こうすればご当地の特徴をアピールすることもできる。それに字の読めない子供でも絵なら興味を覚えるし、仮に目撃情報を求めるとき、今まで無理だった幼児に聞くことも出来る。デメリットは無いような気がするが。勿論後ろは法律が煩いらしいので当面は前のナンバープレートしか出来ないだろうが。

          
           ワイオミング州のナンバープレート

 チョット余りにも脱線のしすぎだ。
実は今日孫と静岡草薙球場に楽天対ヤクルトのオープン戦を見て来た。そのあと一杯が二杯。二杯が三杯となってしまい気分がいいまま書いていたら話が進まなくなってしまった。明日は掛川歩こう会の例会だし、この位にしておかないと朝が辛くなる。そうそう野球は2:4で楽天の負け。敗戦投手は岩隈だった。おやすみなさい。

駿河一国33ヶ所巡り8-2

2010-03-12 13:11:59 | 寺社遍路
三島駅 - 函南役場 - 熱海峠 - 十国峠 - 東光寺 - 熱海駅
7:40 1:14     2:30    21     14     1:10 14:50
    6.7k    12.6k    1.6k    1.1k    5.4k 

  歩行距離 27.4kM     歩行時速 5.0Km
  歩行時間 5時間28分    休憩時間 1時間40分


 3月11日朝7時40分三島駅を出発。前回の遍路で三島大社から駅までは歩いているので迷う事もなく歩ける。前回薄暗くてはっきり見えなかった白滝公園や小川の流れも見えるが水が少なくて、みすぼらしい感じだ。川の水も綺麗そうだが流れが少なく、とても清流とは思えない。若しかして三島梅花藻があるのではないかと目を凝らすのだが見つからなかった。

          
              白滝公園

 三島大社に着いたがまだ早いのでお参りする人の姿は見えない。神主が境内を変わった竹箒で掃除している。箒の先が小竹を纏めて縛ってある箒ではなく。細い竹の先を切らずに延びたままの物を数本束ねてあるだけだ。この箒で軽く掃いて落葉を集めている。これなら砂は動かないので埃も立たないだろう。それにその動きも柔らかで優雅に見える。まさに必要は発明の母だ。
ご朱印所があった。まさかまだやっていないだろうと思いながらも覗き込むが案の定誰も居ない。ここのご朱印は諦めよう。
ご朱印と言えば今日再度番外の東光寺に登る理由は二つある。一つは今回の遍路は点である札所を歩くことにより線で繫ぐこと。その線も何本の線でなく一番清水寺から番外の東光寺まで1本の線で結びたいと思っていた。それと同時に全札所のご朱印を受けようとも思っている。今のところ此処迄歩いて線は続いているがご朱印は17番札所の一ヶ所が欠けた状態だ。しかし17番は山中の寺だが静岡市内なので後でも何とかなるだろう。

          
               三島大社

 今日登る東光寺は去年の11月熱海で高校の同窓会が開かれたときお参りしたが、生憎定休日だったのでご朱印を受けれなかった。しかもその時登ったのは熱海からで三島からではない。となると一本の線が二本になってしまう。それでは面白くないので再度登り直すことにしていた。そして先週天気予報の「久し振りに晴れる」を聞いて早速準備に取り掛かったのだが、定休日が水曜日だった事を思い出した。仕方ないので遍路を止めて大崩山塊の十字縦走にした経緯もある。
今日は木曜日、寺も定休日ではない。しかも天気は最高。新聞の予報欄は東北から静岡にかけて全てお日様マーク。しかも静岡は降水確率が0%になっている。色々あったが結局最後は有終の美を飾る事ができるのだ。

          
               下田街道

 寄り道が長すぎた先を急ごう。三島大社の前の道が伊豆の下田に続く下田街道の出発点になっている。今は建物や道は綺麗になっているが人通りもなく車も走っていない。と思っていたのもつかのま、商店街が過ぎた辺りから車が多くなってきた。丁度通勤ラッシュの時間帯になったのだろう。しかしこの道は歩道が一段高くなっているので車が多くても安心して歩ける。前回の根方街道のように立ち止って車をやり過ごす事もない。
前の信号が赤だ。立ち止って何気なく後ろを振り向くと「ウアー!」内心叫び声を挙げてしまった。真白な雪を被った富士山が家の屋根越しに見えていた。富士山の前にはこれも薄っすら白くなっている愛鷹山も見える。今日は最高! 自然に足が急ぎ足になる。

          
              街中からの富士山

 大場川渡る所で富士山の裾まで見えてきた。正面に宝永山の火口が口をあけている。左の雪が少ないのが静岡側で右の下の方まで雪があるのが御殿場側。その雪の下に茶色く見えるのが大野原いわゆる東富士演習場だ。
この写真を見て誰でも気づくのが雪の量の違いだと思う。宝永山を境に東側は多く、西側は少ない。この写真では分からないが、この富士山の反対の山梨県側の雪は御殿場側より若干少ない程度だと思う。
以前NHKの天気予報士が「静岡側と山梨側の雪の量の違いは、湿った空気が北側の山梨県側に当たり雪を降らせ、その乾いた空気が静岡側に流れるので雪が降らない」と説明していた。
その説も一理はあるだろうが私は少し違う考えを持っている。降る雪の量は左程違わなくても風、陽射し、地形が大きく影響しているのだと思う。まず雪の少ない静岡側は南や西に当たり一日中陽射しがある。更に冬は強い西風が吹き荒れる。それにより雪は早く融け残った雪も風で飛ばされてしまう。飛ばされた雪は低い所に集るので静岡側の雪はギザギザ状態に見える事になる。一方御殿場側は東を向いているため陽射しも多くなく風も穏やかだ。地形は火山灰で比較的平らなため降った雪は流される事も少ない。そのためかギザギザには見えない。更に森林限界点が低いので降った雪が木に隠される事なく、もろに見えるため多めに見える事もあるのだろう。
山梨県側は北側に位置するので日照時間が少なく解ける度合いが低いので、いつまでも雪が残っていて、あたかも雪がたくさん降ったように見えるのではないだろうか。

          
               大場川からの富士山

川から東側の山の上に建物が見える。あれは若しかして十国峠のケーブルカーの山頂駅か? 目を凝らして見るが分からない。東側はなだらかな山並みが続いている。あの山の何所かを通って熱海に行かなければならない。それにしてもまだまだ遠い先は長い。

          
             あそこが十国峠?

駿河一国33ヶ所巡り8

2010-03-11 18:22:59 | 寺社遍路
 今日駿河一国の最後の遍路に行ってきました。
三島駅を出発し熱海峠から十国峠に出て番外の東光寺を打ちました。
帰りは東光寺から石仏の道を下り熱海駅までの全コースで33.7kでした。
足の調子が今一だったので少々不安もありましたが無事結願することができました。
報告はまた明日からします。


大崩山塊十字縦走挑戦5

2010-03-08 17:28:15 | 低山歩き
コース4

 満観峰  -  丸子富士  -  朝鮮岩  -  丸子  
 14:10 20分       55分       60分 17:00 
       3.4k      2.0k      1.4k 21.5k 

 疲れが蓄積されてきたのか段々休憩時間が長くなってきた。残りの行程は1/4でほどで十字の最後のとんがり部分を残すだけになった。国道が走っている丸子には後2時間も歩けば着くだろう。今は2時だから4時頃には着きそうだ。しかし丸子から車を置いてある宇津ノ谷の道の駅まではどうしよう。歩いて行くかバスで行くか。距離は5k程なので1時間強で着くだろう。今の調子なら歩いて行けそうだが---
丸子に着いてから考えよう。

 サーそろそろ出発しないと。重い腰を上げて歩き出した。
ここから次の丸子富士には最初は下りで楽だが、最後に丸子富士への登りが中々大変だ。そこさえ過ぎてしまえば後は楽勝の行程だ。
満観峰から下りきった所に小坂に下る分岐がある。その道の途中に駿河一国の11番札所の観音堂があり、その先は万葉時代の東海道に続いている。その事を歩きながら考えていてある事を思い出した。
確か万葉時代の東海道は、この下の小坂から井尻峠を越えて丸子に下って安倍川に出ていたはずだ。ただ安倍川が増水した時は上流の藁科川を渡ってから安倍川を渡っていたので、その時は丸子から安倍川に出ずに更に上に行き、矢張り札所のある歓昌院坂を越えて藁科川に出たという。
今立っている所は、その歓昌院からの延長線上にある。ようは分岐を右(南)に下れば東海道、左(北)に行けば東海道の巻き道の歓昌院になる。それならここは峠になっていて左にも下る道はあるはずだ。と思ってみてみるが今はその痕跡はない。
 古道を歩いていると楽しくなる。自分が考古学者になった積りであれこれ想像して、専門家から見れば見当外れな事も大発見したかのように思ってしまう。今もあたかも古道発見とばかりに興奮してしまった。でもここは峠だったと思うのだが------

 丸子富士へは山頂へ行く道と山頂を避けて行く巻き道がある。今回は当然山頂の三角点を確認する必要があるので山頂に向かう。
最後の一踏ん張りをして山頂に到着。この山頂に立てば先程の巻き道がある理由がわかる。山頂は祠と三角点があるだけで視界は一切利かない。一度登れば次からはわざわざ登る気も起きない所だ。なのに富士と言う名前が着いているのは何故か?それは山頂部分が三角形になっているからのようだ。なんとも安易な名前にしたものだ。富士山を見えない土地でならいざ知らず、富士山の麓の静岡でこんな名前にするなんてセンスを疑ってしまう。
山頂にある石碑に「金光山藏王権現」と彫ってある。それなら金光山でも良さそうだ。また麓の紫屋寺ではこの辺りから月が出るので「吐月峰」と詠んでいる。それなら吐月峰と付ければもっと風情がある。

          
           丸子富士山頂 後ろの白い杭は三角点の表示

 丸子富士から朝鮮岩に行く途中る両膝の内側辺りが痛くなってきた。時折立ち止って手で押さえるのだが痛みは少しづつ頻度を増してくる。平らな道や登りになると痛くないのだが下りになると痛くなってくる。所謂膝が笑うという現象なのかもしれない。今までこんな経験はなかったが、どうしたのだろう?歩き過ぎた?いやそんな事はない。まだ18k程度しか歩いていない。それではどうしたのだ。下りが多く膝への衝撃が強くなりすぎた?ウーン分からないが後残りも少ないのだから頑張ろう。

 紅葉台と看板のある所に花が咲いていた。黄色の管のような花弁で仄かに甘い香りもする。最初は蝋梅かと思ったが近づいてみると違った。ではマンサクか?花の付き方は似ていても花弁の長さが短すぎて全然違う。
よく見るとなんだ名札が付いていた。「檀香梅」と書いてある。家に帰り調べてみるとこんな説明もあった「花 密にして香濃く、色 深黄なること紫檀の如きものは、檀香梅(ダンコウバイ)と名づく。最佳なり」と。ここではこの花は蝋梅科に属するとなっていた。更に「ダンコウバイの黄色は鮮やかでしかも花が密集してつくのでひと際美しい。和名は檀香梅の字をあてているが、中国ではこの名はロウバイという園芸品種を指している。檀香(だんこう)とは香木の総称で、本種にも芳香があるため、別名を鬱金花(うこんばな)と呼ぶ地方もある」ともかく蝋梅に似ていて香りが良く黄色の花が咲く花には間違いはない。
それにしてもこの花は自然にここに生えたのか、それとも名札を付けた人が植えてくれたのだろうか。
こうして山歩きや遍路をしていると物知りになってくる。と言っても最早前期高齢者。少々晩すぎだが。

          
             紅葉台の檀香梅

 フー中々朝鮮岩に着かない。もう登りはないと思っているとまた登りが現れる。やっとこの山塊で唯一ロープを設置してある岩場(大袈裟過ぎか)についた。いつもなら軽くロープに触る程度だったが今日は違う。足が痛いのでロープに全身の体重をかけてブル下がるようにして下った。ロープ様々だ。
岩が終ると朝鮮岩は目の前。ベンチにズシンと腰かけ静岡の町並みを見る。ここからの景色は何時見て楽しくなる。新幹線や在来線。東名高速や国道。海に浮かぶ船など、さながらジオラマを見ているようだ。
 芋切干をつまみながらボケっと景色を見ていると時が経つのが早い。もう20分もこうしている。すでに4時になる。満観峰では4時過ぎには丸子に降りれる予定だったが、それには遅れてしまった。しかし5時前には充分着くだろう。いやだが歩くことにしよう。

          
              朝鮮岩から静岡市街

 朝鮮岩の平らな部分が終わり下り坂になると「アッ痛い!」悲鳴を挙げてしまった。左の膝の内側に鈍痛が走った。慌てて体重を右足に移すと「ウアー」こちらも痛みが走る。先程までの痛みより数段痛い。休んだのが悪かったのか、それとも終りが近づき気が緩んでしまったのか。ともかく痛い。今日は杖を持ってきて良かった。杖に体重をかけながら膝を曲げないよう、摺るように進むしかない。下り坂だというのに汗が出てくる。冷や汗かもしれない。少しづつ少しづつ進むしかない。
何とかお寺の入口に着いた。しかしお寺の参道には階段があるので回り道をする。道はザラザラした簡易舗装がされていたので歩きやすく痛みが減ってきた。それでも横になって歩いたり、後ろ向きになって歩いたり工夫をしながら歩いた。
やっと民家のある平地まで降りてきた。アー良かった。本当にホッとした。これが山頂付近だったらどうしたらよいだろう。今日のような日は登山者もいないし山で作業している人もいない。携帯電話も持っていない。それらを考えるとゾーとなる。やはり山は例え低くても甘く見てはいけない。今日も朝6時に出発したから何とか明るいうちに下山する事ができたが、これからはもっと慎重に行動しよう。

 傾斜の少ない車道を歩き出した。アレー痛くない。あんなに痛かった膝がなんともない。指で押してみても痛くない。早足で歩いてみると---矢張り痛くない。これは一体どうしたのだ?鼻を摘まれたようだった。

 そんな訳で丸子の交差点に着いたのは丁度5時だった。
これから先の宇津ノ谷までの後5kは既に歩く気は無くなっていたのでバスで帰ることにした。
宇津ノ谷に着いたのが6時5分。12時間の行程はこうして終りました。

          
              暗くなった宇津ノ谷トンネル

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 家に帰り風呂の中で脚を良く揉んだが、ふくらはぎも太ももも柔らかく痛みは無い。膝も痛くない。翌日は大事を取って温泉に行き再度良く揉んでおいた。
次の日の朝、布団の中で伸びをするとふくらはぎがビリビリ痛い。触ってみると柔らかかったふくらはぎがパンパンに張っていて押すと痛い。何なんだこれは。訳が分からずともかく湿布をしておいた。結局5日後の今日も痛みがあって同じ状態だ。
ただ平らな所を歩く限り痛くないので先程思いきって河川敷を10k歩いてきた。今特に変化はない。果たして明日どうなっている事やら--------



大崩山塊十字縦走挑戦4

2010-03-07 17:45:47 | 低山歩き
コース3

 花沢駐車場  -  高草山  -  鞍掛峠  -  満観峰  
 11:10   70分       30分      25分   2:00 
         3.4k      2.0k     1.4k 

 道の駅から花沢駐車場までちょうど10k、時間は5時間掛かっている。平地なら2時間もあれば歩ける距離なのに山道になると例えハイキングコースでも倍以上の5時間も掛かってしまう。時速なら5kしかない事になる。本当に山道の時間は予測できない。
これから残りの半分を歩くのだが距離も時間も同じくらい掛かるだろう。すると今11時だから4時台には何とかゴールできるかもしれない。何はともかく明るいうちに山から降りたいと思っているので気持ちは自然先に行き、休憩時間も短くなる。

 駐車場から高草山のハイキングコースの入口までは農道歩きになる。今まで山道だったので平らなアサファルトの道が歩きやすく感じる。それでいて舗装道路が続くと今度は山道が恋しくなってくる。勝手なものだ。

 この道は先日駿河一国の3回目に歩いたばかりの道で、万葉時代の東海道でやきつべの道と呼ばれている。
その時この道から高草山に向かう農道があったので昨夜調べた。すると予想どうり高草山に向かう農道だった。しかも途中でハイキングコースに合流していた。それならこれから高草山の登山口の石脇まで行かなくても直接山道に合流できるので大分距離を短縮できるだろう。ただこの道は途中分岐があるので注意しなければならない。何はともかく集落へ行く道は避けて山に向かう道を歩くと憶えてきた。
 花沢城址の杭のある5差路をまず山側の道に入る。次に集落を避けてまた右の道に入る。傾斜のきつい農道を歩くとグイグイと高度が上がっていくようで気持ちがいい。どうやら体調も快調だ。また集落に行く道があった。これもパスして登りの道を行く。
午前中下ってきた簡保に続く尾根の高さに段々近づき、そして越していく。こうして初めての道を歩くのは楽しい。これから何に出会うのかと期待感がある。殆どの場合何もないのだが、その期待感と不安感を感じる楽しさがある。だからなのか私は何所へ行きたいか聞かれると行った事のない場所を挙げてしまう。
妻に言わせれば「少し放浪癖がある」と言う事らしい。

 ハイキングコース入口の標識があった。ここは石脇口から歩き始めて最初に農道と出合う場所だった。これなら駐車場のない石脇口より花沢駐車場に車を置いて歩いてきても左程大変ではない。これからはこの道を利用しよう。

          
              石脇口入口

 何度も歩いた事のある石脇コースだったが、なんと道を間違えてしまった。4回目の農道との合流部は少し農道を歩いてから山道に入るようになっている。そのとき疲れが出てきたのか下を向いて黙々と歩いてしまった。気が付くと前に山道入口の標識があった。けど何か変だ違和感を感じる。後ろを振り返ってみると50mほど下にも標識が見える。どうやら石脇の山道を通り過ぎてきてしまったようだ。近くの標識を見ると案の定坂本口の標識になっていた。今は上りでなので、どの口を登っても山頂に着くが、これが下りなら全然離れた場所に着いてしまう。気をつけなければいけないな。

 そのまま坂本口を登り続ける。焼津の町が見えているがどんより曇っていてはっきり見えない。でも霧は消え雨の心配はなさそうだ。逆に陽射しがないぶん熱くなく歩きやすい。写真を1枚撮り山頂に向かう。疲れている割には元気はある。ここを立ち止らずに歩けるのだから。まだまだ大丈夫だ。

          
              どんよりした焼津

 高草山の双耳峰の一方の山頂である祠の前は通過する。いつもなら祠を山頂としているのだが今日は違う。今日はもう一方の三角点のある山頂が目的地だ。何故かと言うと今日の十字縦走の条件として東西南北の尾根の制覇と山の名前が付いている満観峰、花沢、高草そして丸子富士の登頂、そして4つの三角点の踏破をあげてある。そのためには高草山も祠から少し離れた三角点側の山頂にも来なければならなかったのだ。
でもどちらの頂が正規な高草山の山頂なのだろう?。
三角点の近くにある案内板には祠の方を指して山頂としてある。また実際山頂に来て、祠から三角点側へ行く方が下りが多く感じる。
しかし三角点がある方が高いのではないかと今までは思っていた。でもこのブログを書いていて分かった。三角点は高い場所より見晴らしの良い場所の方が条件にあっている事が。(丸子富士など視界の利かない三角点の理由は分からないが)
確かに祠側の山頂からは富士山や満観峰は見えるが景色が良いとはいえない。一方三角点からは以前は焼津の町が一望できたはずだ。以前?そう今は三角点の前に戦争の慰霊碑が建ち桜の木を植樹してあるので視界は悪くなってしまっている。
そんな理由で私は祠側の方が高い山頂と思う。

          
              山頂の慰霊碑

 ここでも握飯を一つ食べる。今日はコンビニで握飯を4個買ってきた。ほかに食料はバナナ1本、饅頭1個、小切ケーキ1個それと薩摩芋の切干を若干持ってきている。
いつもなら昼飯の時に一度に握飯は食べてしまうのだが今日は分散して食べている。
先ず最初に満観峰でバナナと饅頭。花沢山と駐車場、そしてここ高草山と次に行く満観峰で握飯を1個づづ食べる予定だ。今回の計画は長丁場になるので、いつものように一度に食べて身を重くするより分散してガス欠にならないように注意した方が良い。
握飯が終ったら芋切干をつまみながら歩けばいい。駿河一国でも書いたが、この芋切干は行動食として最高だ。腹持ちはいいし何所でも食べる事が出来る。例え電車の中でもちぎって食べれば恥ずかしい事もない。お陰で四国では時折起きたガス欠症状は最近は起きていない。

 次の満観峰には高草山と満観峰との間にある鞍掛峠に向かって降りて、峠からは満観峰への最後の長い登りになる。
途中ハイカー2組とすれ違う。いずれも私と同年輩の人達だ。もしこの人達に「何所から歩いてきました?」と聞かれたらなんと答えよう。正直に答えたらさぞかし吃驚するだろうなど空想するとニヤニヤしてきてしまう。まだまだ余裕はある。

 朝通った蔦の細道の分岐にようやく着いた。朝は霧だったが今は霧は晴れている。
ここから万満観峰への登りの時間を朝と比較すれば疲労度が分かるかもしれない。と事前に考えてしまったので張り切ってしまったのか朝8分、今は7分と短縮してしまった。歩数も朝440歩、今410歩。こちらも少ない。マー1分や30歩では大差はないので朝も今も同じペースで歩けたと言う事だ。

          
             霧の晴れた蔦の細道分岐

 満観峰のベンチは乾いていて今度はドカンと座り握飯を食べた。水をせいせい飲みたいが残りが少なくなってしまった。今日もいつもと同じように500mlのペットボトル1本持ってきていた。いつもはこの1本で余る位なのに今日は既に残りが少なくなっている。今回は食事の回数が多かった事と長丁場なので飲む量も増えたのだろう。次回は注意しなければ。
静岡の街は見えるが富士山は見えない。
それでも充分満足だ。朝と比べれば。

          
              満観峰から静岡

大崩山塊十字縦走挑戦3

2010-03-06 14:20:57 | 低山歩き
コース2

 コース1

 満観峰  -  三角点  -  日本坂峠  -  花沢山  -
 8:40  15分      20分       25分       45分   
       0.9k     0.8k       0.6k      1.8k

 花沢分岐  -  花沢駐車場
        25分  11:00
        1.4k

 8時40分霧の満観峰を出発。ここからは東海自然歩道のバイパスコースに指定されていて、いわば大崩山塊の表銀座コースに当たる。しかし今日は私以外にハイカーの姿は見えない。それも当然と言えば当然だ。平日のこんな天気でしかもこんな早い時間に誰が好き好んで山に登るものか、「真性ある中」に罹っている者以外には考えれない行動だ。

 小さな昇り降りを繰り返し433mの三角点に着いた。大崩山塊には4ヶ所の頂に三角点が設置されている。ここと花沢山と高草山、そして丸子富士なのだが景観が望めるのは高草山だけだ。ここの山塊の中で一番の景観を誇る満観峰には設置されていない。三角点とは「相互視通して測量する」ために設置してあるのだから当然視界が開けていえるはずと思うのだが?----

          
             見通しのきかない三角点

 日本坂峠に下がってきたが霧はかかったままだ。日本武尊が賊に追われて隠れたとされる穴地蔵の赤い前掛けがボンヤリ見えている。

          
             霧の穴地蔵

花沢山の上りも立ち止る事もなく通過できた。掛川歩こう会に入ってから明らかに脚力が付いてきた。以前なら何回となく立ち止っていた所でも立ち止らずに歩き通せるようになっている。しかも長距離を歩いた後でも立ち止る回数が少なくなっている。これは脚力が付いたことは勿論だが、体重が減ったことも原因の一つだろう。1年前の3月3日の体重は65.5k、それが昨日の体重は60.1kと5kも減っている。と言う事は去年は今日より5kも重い荷物を背負って歩いていたことになる。それでは大変なはずだ。

          
            花沢山山頂 後ろの白い杭が三角点表示

 花沢山に9時40分到着。霧は少し薄くなってきたような気がする。ベンチは濡れているので座る事ができず、また立ったまま握飯を食う。今日は車を降りてからまだ一度も座っていないが、ズボンが濡れるのも嫌だし、ザックからビニールを出すのも面倒だ。そうだビニールで思い出したが、掛川歩こう会の昼食のとき、私はズボンのまま、じかに石なり草なりの上に座っているが、他の会員を見ていると大概の人が何かしら敷いて座っている。昔ならカモシカや鹿の敷皮を尻にぶら下げていたが随分変わったものだ。歩く格好もバンカラからおしゃれに変わってきたのだろう。私も少しは見習わないと思うときもあるが、相変わらず汚れてもいいように古くなったズボンやシャツを着てしまっている。

 花沢山から簡保の尾根の下りは長い階段が続き登りはさぞかし大変だと思われる所だ。この辺りは大崩山塊の中で一番開発されていない所で大きな山桜があちこちに見える。蕾の具合を確かめたく枝先を見るが高くて膨らんでいるのか判断がつかない。しかしいずれにしろ後3週間もすれば花が咲き出すだろう。当初この十字縦走は長時間掛かるため昼が長くなる春分の日を過ぎてからと想定していたのに急遽今日になってしまった。こうしてみると矢張り計画通りしていれば桜も見ることができたろうにと少し反省してしまった。

          
              花沢分岐

 高度が下がるにつれ霧が薄くなってきて、花沢の里への分岐点に着く頃は霧は完全に消えてしまった。時折見える高草山の山頂付近も少し雲が掛かっている程度で天気も徐々に回復してきている。
この分岐を直進すると簡保の宿に行く事が出来るが今日はここを下がって花沢の里駐車場に向かう。完全縦走なら簡保の宿まで歩くべきだろうが今日は十字縦走だから許してもらおう。

 東海道線、新幹線、国道のバイパス、そして東名と次々とガードを潜ると花沢の里駐車場に着く。これで十字の横棒が終ったので残りは半分になった。今のところ体調は悪くない、疲れもさほどでもないので縦走を続けても大丈夫そうだ。アッ石の表面が乾いている。やっと座る事ができた。それではここでも握飯を食いながら一服するとしよう。
 
          
            花沢駐車場 後ろは高草山