歩行記録 H27-8-8(土)
歩行時間:6時間05分 休憩時間:1時間45分 延時間:7時間50分
出発時刻:8時30分 到着時刻:16時20分
歩 数: 33、879歩(推定距離25.4km) GPS距離24.2km
行程表
亀崎駅 0:35> 12番 0:35> 13番 0:05> 14番 0:20> 15番 0:30> 17番 0:05> 16番 0:45> 番外 0:15> 18番
0:20> 19番 0:10> 20番 1:30> 21番 0:40> 22番 0:05> 23番 0:10> 武豊駅
番外海蔵寺(49度)
温度計 海蔵寺境内
次の番外海蔵寺(かいぞうじ)は、平泉寺から真っ直ぐ南下しアピタの手前の川を左折して線路を渡る。と、地図はなっていた。
だが川の手前まで行くと東西に延びる道はあるのだが、いずれもガードレールで塞がれていた。ただガードレールの先には草の
影から舗装面が見えている。なら車だけが通行止かとも思うが、その先の線路には踏切らしき物は見えない。
更に線路の手前には高いフェンスが見えているので、とてもじゃないがフェンスを越してまで線路を渡る勇気は無い。仕方なく
今来た道を引き返すしかなかった。
後で分かった事だが、この辺りに前回紹介した 「唐松の井戸」 があったようだ。先に知っていればと残念な思いをしている。
私の印刷してきた地図は、YAHOO!の地図からスタートとゴールに札所を指定して、徒歩のルートを検索したものを印刷して
きている。これが中々の優れ物で、今迄も知らない道のウォーキングや遍路には利用してきたが、まず間違いはなかった。
しかも徒歩で指定してあるので、車の入れない道も探し出してくれ距離も大幅に短縮になる。
この地図さえれば日本中の知らない道でも歩く事ができると信頼していた。
それが今回のように踏切の無くて歩けない道を指定してあるなんて初めての事だ。踏切は最近廃止したのだろうか?
今日のコースでこの16番と地蔵寺間は、距離が一番長くて時間も丁度昼頃だった事もあり暑くて仕方なかった。
ようよう海蔵寺に着いて先ずは水をガブガブと飲む。すると汗がドット吹きだし、タオルで何度拭ってもキリが無かった。
一体今の気温は何度だろうと背中の温度計を見てみると。 嘘か真か 49度 を指していた。
これは証拠写真を撮らなければとGPSの距離計と一緒に写しておきました。
でも49度ですよ。49度! 風呂の温度より高い。そんな中を何kも何時間も歩くなんて正気な沙汰ではない。
また前回のように熱が出て寝込んでしまうのではないか不安も感じる。ウーンこの先どうしよう?
止めるか、続けるか。ここが思案のしどころだ。と、思うものの、暑くはあるが体には異変は起きていない。
歩いた距離もまだ15kmに過ぎない。
2回目の今回は前回に懲りてゴールも予定より短くし、途中からでも中止できるよう各札所からの駅への道も調べてきてある。
まだ大丈夫! もう少し様子を見ながら歩く事にしよう。
(49度の温度計が狂っているのではないかと思い、家で別の温度計と並べておいたのだが異常はなかった)
海蔵寺も白っぽい境内の広い寺で片隅には大きな宝篋印塔も建っていた。何を誰を祀ってあるのか分からないが中々立派だ。
海蔵寺の所在地は阿久比町から半田市になっていた。そのため阿久比町の札所にはあった案内板は、ここ半田市の海蔵寺には
無かった。案内板があれば興味のある話を読めたのに ------
薬師・弘法堂 「この寺に大師法来の法衣あり」の石碑
薬師如来と弘法大師を祀ってあったお堂は薬師堂だったか弘法堂だったか忘れてしまったが、そのお堂の前には 「この寺に
大師法来の法衣あり」 と刻まれた石碑が建っていた。この謂れは海蔵寺第2世は神通力を備えた和尚で、遠く離れた高野山で
大火が発生するのを予知して、未然に防いだ威徳により高野山から「蓮糸の法衣」 を賜った逸話だという。
第2世の和尚は神通力のある人で、遠く離れた高野山で大火が発生するのを神通力で予知され祈祷して庭に散水し、その
大火を未然に防いだという伝説があります。その威徳で高野山から贈られた「蓮糸の法衣」が寺の宝になっているそうです。
その法衣は今でも寺宝として海蔵寺に収納されているらしい。
この石碑にある大師とは誰を指すのか。高野山の火事を防いだお礼なのだから当然真言宗の大師と云う事になる。
だが海蔵寺の開創は1489年なのに真言宗の大師7人の全ては1200年以前の人だった。
そうか 高野山即ち弘法大師と解釈させて、高野山から授与する物は全て弘法大師が授与した事にしているのか。
よって “大師法来” とは “弘法大師法来” となるのだろう。そのためか寺宝ではあるが市の文化財にも指定されていなかった。
弘法大師 薬師如来
お堂の中には弘法大師が祀られていて、その前には 「知多四国」 と 「直伝弘法」 の二つの霊場の幟が立っていた。
その横には薬師如来も祀られていて 「東海薬師霊場」 の立看板が掲げられていた。
一つの寺で三つの霊場の札所なのだろう。
ところでこの海蔵寺の宗派は “蓮糸の法衣” から云っても真言宗と思いますよね。しかし現在は曹洞宗でした。
日本の寺の宗派は分かりにくいですね。
お詣りが終わったが、まだまだ余力はあり遍路を続けることにした。
16番から番外海蔵寺への道
歩行時間:6時間05分 休憩時間:1時間45分 延時間:7時間50分
出発時刻:8時30分 到着時刻:16時20分
歩 数: 33、879歩(推定距離25.4km) GPS距離24.2km
行程表
亀崎駅 0:35> 12番 0:35> 13番 0:05> 14番 0:20> 15番 0:30> 17番 0:05> 16番 0:45> 番外 0:15> 18番
0:20> 19番 0:10> 20番 1:30> 21番 0:40> 22番 0:05> 23番 0:10> 武豊駅
番外海蔵寺(49度)
温度計 海蔵寺境内
次の番外海蔵寺(かいぞうじ)は、平泉寺から真っ直ぐ南下しアピタの手前の川を左折して線路を渡る。と、地図はなっていた。
だが川の手前まで行くと東西に延びる道はあるのだが、いずれもガードレールで塞がれていた。ただガードレールの先には草の
影から舗装面が見えている。なら車だけが通行止かとも思うが、その先の線路には踏切らしき物は見えない。
更に線路の手前には高いフェンスが見えているので、とてもじゃないがフェンスを越してまで線路を渡る勇気は無い。仕方なく
今来た道を引き返すしかなかった。
後で分かった事だが、この辺りに前回紹介した 「唐松の井戸」 があったようだ。先に知っていればと残念な思いをしている。
私の印刷してきた地図は、YAHOO!の地図からスタートとゴールに札所を指定して、徒歩のルートを検索したものを印刷して
きている。これが中々の優れ物で、今迄も知らない道のウォーキングや遍路には利用してきたが、まず間違いはなかった。
しかも徒歩で指定してあるので、車の入れない道も探し出してくれ距離も大幅に短縮になる。
この地図さえれば日本中の知らない道でも歩く事ができると信頼していた。
それが今回のように踏切の無くて歩けない道を指定してあるなんて初めての事だ。踏切は最近廃止したのだろうか?
今日のコースでこの16番と地蔵寺間は、距離が一番長くて時間も丁度昼頃だった事もあり暑くて仕方なかった。
ようよう海蔵寺に着いて先ずは水をガブガブと飲む。すると汗がドット吹きだし、タオルで何度拭ってもキリが無かった。
一体今の気温は何度だろうと背中の温度計を見てみると。 嘘か真か 49度 を指していた。
これは証拠写真を撮らなければとGPSの距離計と一緒に写しておきました。
でも49度ですよ。49度! 風呂の温度より高い。そんな中を何kも何時間も歩くなんて正気な沙汰ではない。
また前回のように熱が出て寝込んでしまうのではないか不安も感じる。ウーンこの先どうしよう?
止めるか、続けるか。ここが思案のしどころだ。と、思うものの、暑くはあるが体には異変は起きていない。
歩いた距離もまだ15kmに過ぎない。
2回目の今回は前回に懲りてゴールも予定より短くし、途中からでも中止できるよう各札所からの駅への道も調べてきてある。
まだ大丈夫! もう少し様子を見ながら歩く事にしよう。
(49度の温度計が狂っているのではないかと思い、家で別の温度計と並べておいたのだが異常はなかった)
海蔵寺も白っぽい境内の広い寺で片隅には大きな宝篋印塔も建っていた。何を誰を祀ってあるのか分からないが中々立派だ。
海蔵寺の所在地は阿久比町から半田市になっていた。そのため阿久比町の札所にはあった案内板は、ここ半田市の海蔵寺には
無かった。案内板があれば興味のある話を読めたのに ------
薬師・弘法堂 「この寺に大師法来の法衣あり」の石碑
薬師如来と弘法大師を祀ってあったお堂は薬師堂だったか弘法堂だったか忘れてしまったが、そのお堂の前には 「この寺に
大師法来の法衣あり」 と刻まれた石碑が建っていた。この謂れは海蔵寺第2世は神通力を備えた和尚で、遠く離れた高野山で
大火が発生するのを予知して、未然に防いだ威徳により高野山から「蓮糸の法衣」 を賜った逸話だという。
第2世の和尚は神通力のある人で、遠く離れた高野山で大火が発生するのを神通力で予知され祈祷して庭に散水し、その
大火を未然に防いだという伝説があります。その威徳で高野山から贈られた「蓮糸の法衣」が寺の宝になっているそうです。
その法衣は今でも寺宝として海蔵寺に収納されているらしい。
この石碑にある大師とは誰を指すのか。高野山の火事を防いだお礼なのだから当然真言宗の大師と云う事になる。
だが海蔵寺の開創は1489年なのに真言宗の大師7人の全ては1200年以前の人だった。
そうか 高野山即ち弘法大師と解釈させて、高野山から授与する物は全て弘法大師が授与した事にしているのか。
よって “大師法来” とは “弘法大師法来” となるのだろう。そのためか寺宝ではあるが市の文化財にも指定されていなかった。
弘法大師 薬師如来
お堂の中には弘法大師が祀られていて、その前には 「知多四国」 と 「直伝弘法」 の二つの霊場の幟が立っていた。
その横には薬師如来も祀られていて 「東海薬師霊場」 の立看板が掲げられていた。
一つの寺で三つの霊場の札所なのだろう。
ところでこの海蔵寺の宗派は “蓮糸の法衣” から云っても真言宗と思いますよね。しかし現在は曹洞宗でした。
日本の寺の宗派は分かりにくいですね。
お詣りが終わったが、まだまだ余力はあり遍路を続けることにした。
16番から番外海蔵寺への道