はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

高草山・潮見平

2009-11-30 10:56:12 | 低山歩き
 西の谷口と関方口を登り降りして車に戻った。
もうこれで高草山を二往復した事になる。本当に物好きだと自分でもアホたれる。

 ここから先の農道は走ったことは無いが、さっき歩いた富士見峠のすぐ下の農道、そして池の平の農道に通じているだろうと判断して車を走らせた。

 案の定じきに富士見峠下の農道に出た。登り口の写真を撮ろうと車を路肩に寄せる。
更に路肩にと切り返しをするためバックした。
「ガジ ガジ」と異様な音と衝撃が伝わってきた。慌ててブレーキを踏み前進した。
もう一度バックをして路肩に寄せようとすると「ガラガラ」と音がする。
バンバーを引っ掛けて引きずっているのかと思ったが、それにしてはハンドルが取られる。
車から降りてみると左後ろのタイヤがペッチャンコだ。
エッ!パンクしたのかと見てみるとタイヤの側面がグサリと抉られたように穴が開いていた。
これじゃとてもパンク修理では済みそうにない。タイヤを替えなければならなそうだ。
このタイヤ今年の春に替えたばかりなのに、なんでだよ!また金が掛かってしまう。
年金オンリーの生活ではこの臨時出費は痛いし情けない、泣くに泣けない。
それに妻にはとても言えないし、ばれれば山に行かせてもらえなくなる。どうしよう?
こうなったら仕方ないヘソクリを下ろしてタイヤ交換をしてしまおう。そして全て黙っていよう。
方針は決めたが意気消沈した気分でのタイヤ交換は腕に力が入らなかった。
(このブログは妻は知らない。またパソコンの操作もできない妻に見られる恐れは無い)

 気を取り直して池の平に向けて進む。
池の平は山中では珍しく広々と開けた所で車は何所にでも置ける。さっきのように隅に移動する必要もない。
サー気を取り直して最後の歩きに挑戦しよう。

 ここに車を置いたら時石に下り、時石から、さっきのみかんのあった潮見平へと登る。
そしてそこから引き返して同じ道をここ池の平まで戻ってくる。
普通ならこんな馬鹿な登山をする人はいないだろうが、これもまた楽しいだ。

 そうだ気分転換にウォーキングシューズの事も報告しておこう。
1回目に大井川の河川敷を歩いた時は右足の踝の上辺りが靴と当たり皮がむけ血が滲んでしまった。
その次は予めキズバンを貼って歩いたら何ともなかった。
今ではキズバンも貼らずそのままでも何とも無い。
靴が足に馴染んだのか、それとも足が靴に慣れたのか分からないが1万4千円出して駄目で4千円で異常無し。靴選びは難しい。

 前回の道を時石に向かって歩いていて驚いた事にぶつかった。
前回一本杉の標識が変な方向を向いていたと書いたが、その標識が直っていた。
農道に対し直角に立って一本杉の方向を林の方だと指している。
標識の根元を見ても厚い鉄板を道路の脇のコンクリートへ固定してあるので道具無しでは曲げる事は出来そうもない。
イタズラで曲げたりとても出来そうもないのだが、前回とは向きが違っている。
どうしたのだろう?と考えながら道路脇の階段を下りて林の中に入る。
すると前回倒木で歩きにくかった所に新しい迂回路ができていた。階段もしっかりつけてある。
若しかして、ここが倒木で歩けなかったので農道を迂回させようと標識を隠してあったのかもしれない。
理由は分からないが、ともかく標識は正しい方向を向いていた。

 だが帰りに車でこの農道を走ったら、とんでもなく遠回りをして知らないに出てしまった。
前回は思い切って林の道を進んで良かったと思った。と思う反面岡部町の標識の付け方はやはりおかしいと腹も立ってきた(やつ当たり)
腹も立ったが、やはり感謝しなければいけない。こんな山道も修復をしてくれるのだから。

 それにしても一本杉だか大杉だかが出てこない。
林の中の山道を出て後ろを振り返ると杉の森は見えるが一本杉と言える様な木は見えない。
丁度みかんの収獲をしていた人がいたので聞いてみた。
「一本杉は何所にあるのですか?」
「一本杉はもっと上だよ」
「今一本杉の標識のある所から来たけど途中には無かったけど」
「見えにくい所にあるから分からなかったじゃないの」
一本杉が見えにくい?? しかし結局分からずじまい。
標識もあるし麓の案内板に書いてあった一本杉だか大杉は、こうして幻の杉になってしまった。

 時石に着いた。前回はここから下って三輪のバス停に行ったが、今日はここから登って潮見平に行く。
登り始めると大正時代の標識と書かれた案内板が石の標識を指している。
大正時代にハイキングなんて考えられないから、きっと高草山の祠にお参りに行く参道だったのかも知れないな。
その横に「池の平 高草山 →」と書かれた手製の標識が。まだこの上に池の平に行く分岐があるのだろうか?

 15分程歩いて農道へと出る階段を登ると、有りました。例の「潮見平へ ?」の標識が。
やはりこの道が時石と潮見平らを結ぶ山道だったのだ。さっき思い切ってこの道を下れば往復で30分も掛からず時石まで行けたのに。
そうすればパンクもしないで済んだ。疲れが判断を躊躇させてしまったのだ。情けない。

 この辺りは「雲谷」と言うらしい。出合いの場所から少し離れた所に、その謂れが書いてあった。その中にこんな表記があった。
「昔は、神神社も高草山を御神体としていた頃があり-----」やはりさっきの大正時代の標識は参道の案内標識だったのだ。

 潮見平に戻ったが、さすがみかんには手が出ず、そのまま時石に下った。
時石に来て思い出した。時石~潮見平の間で池の平に向かう分岐は無かった。
農道は何回か出合い、そのどれかを進めば池の平に着くだろうが、そんな表示は無い。
然るにこの手製の標識はこの先にあたかも池の平に行く道があるかのようだ。
茶色の案内図には池の平は省略されているので誰かが気を利かせて付けたのだろうが、明らかに間違っている。
ヨシ!とばかりに標識を外して時石の左(北)に当たる分岐点側の木に取り付けた。

 あとは池の平に戻るだけ。途中再度一本杉を注意して行ったが相変わらず幻の木で終わってしまった。

 アーアッ イヤだけどタイヤ交換に行かなければ---


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 明日から7日間の中国旅行。29900円で全食事、全観光付の
 格安旅行がどんなものか。 乞うご期待でお待ち下さい。
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高草山・関方口

2009-11-29 15:07:53 | 低山歩き
 高草山山頂から富士見峠には前回も歩いたが、今日は残念ながら富士山が見えない。
富士山の見えない富士見峠なんてクレープの無いコーヒーのようなもので(古すぎ)ただの笹の生えた狭い山道に過ぎない。なんて悪態をついて富士見峠から潮見平に向かって峠を下る。

 前回も書いたが富士見峠ある岡部町の茶色の案内図は不親切で、概略図を書いてあるのだが富士見峠から池の平方面だけで、ここ富士見峠を下り潮見平に行く案内は省略されている。
だが先日見た池の平の先の時石にある茶色の案内には時石→潮見平→富士見峠の案内はしていた。
きっとこの案内を設置した人は三輪→時石→潮見平→富士見峠→池の平→時石→三輪の一方通行のコースを案内したかったのだろう。
しかしやはり不親切だ。富士見峠から池の平に遠回りせずに直接三輪に下りたい登山者だっているのだから。

 峠を下り始めると直ぐ農道に出た。ここと池の平は農道と尾根道が接近しているので登りの時はホットするが、下りは少々張り合いが無く感じる。更に農道を突っ切り山道を下る。
途中には岡部や藤枝で立てた標識が所々にあるので安心して下っていける。
また農道に出た。道の先に山道を挟んで標識が立っている。
右手の標識は字が風雨でかすれて字が読めない。だがこれが山道だろう。
山道に入ると放置されたみかんの木が。早速1個失敬する。
皮は不器量で薄く剥きにくく猿剥きしかできない。口入れるとウッ酸っぱい!思わず頬っぺたがひっつく。
それでもみんな考える事は同じらしく、みかんの皮があちこちに落ちている。

 道跡がなんだか薄くなってきたように感じる。細い竹薮の中や枯葉に隠れた道もある。
そういえばさっきまで頻繁意にあった標識が、あのみかんの所を最後に見ていない。
どうやら道を間違えたようだ。だが山道は注意してたので分岐点を見落とす事は無い筈だ。
だとするとあのみかんの所の農道が怪しいのか?
そういえば誰かが
「三輪に降りるつもりが違う所に降りてしまった」と言っていたのを聞いた事がある。
やはり間違えたのだろう。しかし今更仕方ない、麓まで降りて何所のか見てみようと腹を括って下山を続けた。

 農道に出るとそこには農道の法面に「関方バス停」と矢印が書いてある。やはり三輪でなく違うに下りてしまったのだ。
次の農道にもやはりペンキで関方バス停の表示があった。もうは近い。

 最初の民家の横を通り抜けると細い車道に出た。そこには「高草山登山道」と彫った石碑が立っていた。
目的地は違ったが、ともかく登山道には間違いない。
標識のある道は全踏破すると決めていたのだから丁度良かったのだ。

道を下っていくと集会場の建物があった。その前に空地があり車を止めてもよさそうな雰囲気だ。
更に下っていくと車の走っている音が聞こえるが車が見えない。
アレと思いながら更に進むと下の方に車が走っていた。
こんな田舎に立体交差?と思ったが間違いなくチャチだが立体交差で下に県道が走っていた。
左に曲り下がって県道を暫く歩くとバス停と案内板とさっき見たと同じような石碑が立っていた。
バス停の名前は「関方」となっている。
今まで見てきた案内板等には「関方」の地名は出ていなかったが、こんな立派な石碑があるのだらから登山口に間違いは無い。HPでは関方口で紹介しよう。これも怪我の功名だろう。

 案内板は大きいが登山には何の役目も果たさない物だった。
一体何のため誰の為の案内板か分からないような代物だ。

 仕方ないまた富士見峠に戻るしかない。しかしどうもこの石碑がきになる。
この位置に登山道入口の石碑があるという事は県道を戻らなくても、石碑の横の道を行けば登山道になるのかもしれない。ヨシ!思い切って行ってみよう。
当たれば三角形の一辺を歩くだけで登山道にぶつかるだろう。
ぶつからなければ?  その時は戻るしかないかも。
途中脇道があったが真っ直ぐ進んだ。道小さな橋を渡って突き当たった。さっき歩いた登山道だった。まだつきは完全には離れていないようだ。

 みかんの木がある農道まで戻ってきた。
下から見ると上側の山道の入口には岡部町の例の茶色の案内図が立っている。
それを見ると、ここが潮見平で山道は富士見峠に通じている事は分かる。
だが潮見平から下のことは何も書かれていない。
これでは下ってきた人は三輪も関方も行き方が分からない。
やはり不親切な案内図だ。

 近くを更に見回すと潮見平を説明した案内板もあった。それによると潮見平とは
「三輪地区から登りますと、最初に海が見える平らな所」だそうだ。
池の平が山の中では清々と広く平らな所だったので潮見平もそのような所を想像していたが間違いだった。
ここは平と言われても農道を作るとき尾根に延びる所が少し平地になっただけで、どこにでもあるような地形だ。

農道を更に下ると農道の山手側に「潮見平へ ?」と書かれた岡部町の標識が立っていた。
「?」はイタズラでなくちゃんとした文字だ。
「?」 何だろ? 何が「?」だろう? ?だらけになってしまいそうだ。
標識のある農道の谷側には階段があり山道が下の林の中に延びている。
これが時石経由で三輪に行く道だろうとは思ったが若し違っていたら-------
と言うより少々疲れが出ていたので再度下がって登るのはイヤだった。
一度富士見峠まで登って車に行き、農道を車で移動し池の平から時石に向かい、それから潮見平に行くほうが間違いが無い。
そう判断して車に戻るべく富士見峠へと向かった。

高草山・西の谷口

2009-11-28 13:01:52 | 低山歩き
 西の谷口の登り口が分からないので以前農道をドライブして見つけてあった登山道の途中にある登り口を出発点にした。
そこからは山頂のアンテナが間近かに見えるので、おおよそ8割がた登った地点だろうか。またそこは上手い具合に農道が広くなっていて車を停めても支障がない。

 今日の予定は、ここから麓に下って登山口に行き、バス停や駐車場を探してみる積もりだ。そして再度登り直して山頂に向かう。
山頂からは富士見峠に行き先日歩き残した三輪口の潮見平のコースを歩く予定をしている。

 8時10分ストレッチをやって下り始めた。
麓のバス停には8時50分着いたが、そのバス停は何と坂本口と同じバス停「坂本」だった。
坂本口はバス停から県道を離れ、真っ直ぐ林叟寺に向かうのだが、西の谷口は県道を岡部方面(北)に向かって進む。
5分ほど歩くと左手に自動車の修理場のような建物がある。そこを右折するのだが看板も無くチョット分かりにくい。
県道に横断歩道があり民家と民家に挟まれた4m程の巾の道で、山に向かっいる道だが不安なら地元の人に聞いたほうがいいだろう。

 そこからやはり5分ほど歩くと西の谷公園がある。
その公園は余り利用されている気配は無いが、かなり広いので駐車場代わりに利用しても大丈夫そうだ。
一応トイレや案内板もあり、更に何故か狸やアモイの置物まである公園だ。

 前方には山頂のアンテナが見える。道の脇には食用の梅が植わっていて、春先には香りと眺めが良いかも知れない。
農道が大きく分岐している地点では標識通り右手の農道を進む。やがて堰堤脇に山道の表示が出てくる。
この山道、季節が合えば嬉しい贈物をくれる。山道の途中に放置されたみかんの木が1本あり鈴なりに実をつけているだ。
その木の周りにはみかんの皮が落ちていて私と同じようにプレゼントを味わった人がいたことが分かる。
早速味わってみると若干酸っぱいが水分が多く喉が渇きを癒してくれる。

 よその登山口より登りが急に感じるのは体調のせいだろうか?
茶畑の中の急坂を直登する所に変わった階段があった、古タイヤをずらして段々にしてある道で、登りは階段の段差が低く弾力もあって登りやすかった。
しかし下りは逆に歩幅と高さが合わなく、更に足の踏み場が狭いので歩きにくかった。
モノレールを挟んで左右にその階段があったので登りと下りを分けて作れば歩きやすい階段に変身するかも。
しかし古タイヤを利用するなぞ中々のアイデアだ。
とその時は自分の車のタイヤが古タイヤになってしまうとは夢にも思っていなかった。

 車を停めてある農道に出た。
そこからは階段が続いている山道が見える。サー山頂までは後一頑張りだ。

 西の谷の頂上は三角点のある頂側にあって、金網を入口を潜っていく。
今日は富士山も見えていなかったので祠のある山頂には行かずに、そのまま富士見峠へと向かった。

 西の谷登山口は石脇や坂本口と比べ利用者が少ないのか案内板も少ない。しかし困る場所も不安を感じる場所も無い。
ただバス停あたりと県道を分岐する所には何か表示をしてくれれば助かるのだが。
山頂までの距離は公園の案内板によれば、石脇が2.1k、坂本が2.2k、西の谷が2.6kとなっていた。
時間は石脇も坂本も60~70分、ここもバス停から70分で公園からなら60分ほどで大差はない。
ただ西の谷は坂がきついように感じた。最後の林道からの階段の登りもきつかった。
眺めは志太平野は見えるが伊豆半島や海は坂本口のBコースの尾根が邪魔をしていて全体が見えない。
利用価値としては、人と合わない静かな山を求めている人向きかも。

コースタイム
坂本バス停 →10→ 西の谷公園 →60→ 山頂
山頂 →40→ 西の谷公園 →10→ バス停

大崩山塊全コース完歩!!

2009-11-27 17:49:18 | 低山歩き
 遂にやりました!! 大崩山塊の全コース完歩を!!

3月29日に歩き始めて約11ヶ月。途中足の肉離れを起して中断したが、何とか予定通り年内に完歩できた。
あとはHPへのAPを今年中にやってしまいたい。そうしないと駿河一国観音巡りが遅れてしまう。
最近は自分で自分の首を絞めているようで、やる事が次々と発生する。
来週は中国にも行って来るし、そしてその報告をブログで紹介しようと思っている。
オールサンデーの暇つぶしと自己紹介した頃と偉い違いだ。

 今日の最終コースは
西の谷林道 - 坂本バス停 - 西の谷林道 - 高草山頂 - 富士見峠 -
関方バス停 - 富士見峠 - 西の谷林道

池の平 - 時石 - 潮見平 - 時石 - 池の平

 予定では富士見峠を下れば当然先日出合った時石に出ると思ったら、とんでもない。
思ってもいなかった関方と言うに出てしまった。
この関方は案内板等には出ていないが以前
「三輪に下ろうと思ったら関方に出た」とか
「富士見峠の先は注意しないと、とんでもない方に出てしまう」とか聞いた事がある。
そのとんでもない目に私も合ってしまった。

仕方が無いので先日歩いた池の平に車で行って、そこから時石に向かった。
そして潮見平に着いてみたら-------

 今日は疲れた。歩きの疲労だけでなく気分的にも落ち込んでいる。
それはとんでもない事が歩きだけでなく車でも起きてしまった。
車をバックしているとき農道の縁石にタイヤが接触してしまいパンク。
それがパンク修理できない状態でタイヤ交換だって。
泣く泣く一番安いタイヤと交換して金1万3千円也

 妻には内緒なので一人悲しく晩酌で自棄酒を。

印野・御胎内

2009-11-26 19:15:52 | その他
 御殿場に用が出来て行って来た。
在所まで帰るルートは国1を走って東名はめったに使わない。金がかかることも一因だが十里木経由で行くと富士山を真近に見る事ができ、東富士演習場の広大な草原の中を走ることが出来るからだ。

 通常だと沼津まで国1で沼津から御殿場まで246を走るのが普通と思うが、私は富士の新富士駅入口で左折して十里木経由を利用する。このルートだと246経由より10k近くも距離が短縮できるし前記の景色も眺められる。
ただこの道の欠点は前に遅い車がいると中々追い抜けなくてイライラする事があることだ。しかし平日なら交通量も少なく快適なドライブになるのでお薦めルートだと思う。

 今日も東富士演習場の大野原(おおのっぱら)を走っている時、先週の同窓会で印野の御胎内の紅葉が綺麗だと話をしていた事を思い出した。それで急遽紅葉狩りに行く事に。
演習場を過ぎ御殿場の町に入り自衛隊の板妻駐屯地の手前の板妻間差点を左折する。
後はこれから行く御胎内公園や御胎内温泉の看板が有るのでそれに沿って行けばよい。
御胎内(おたいない)とは余り聴きなれない言葉だが、これは富士山の噴火で溶岩洞窟ができ、その洞窟の形状が女性の胎内に似ていたので名付けたとか。
その洞窟は照明は無く、狭くて膝を突く所や頭をぶつけそうな所もあるので注意が要る。山梨県の風穴を想像しているとガッカリするかも----
大人になってから私はこの風穴に入った事は無い。

 いや大きさなら御殿場にも駒門の風穴(こまかどノかざあな)がある。
ここは国の天然杵物にも指定されているが余り有名ではない。が行けばきっとその大きさに驚くだろう。
私の子供の頃は無料で照明も無かったが、今では若干の入場料を取り薄暗い照明をしているようだ。
山梨県ではこのような洞窟をフウケツと言っているが御殿場ではカザアナと呼んでいる。
フウケツよりカザアナの方が何か野生ぽくて合っている様な気がするが身びいきのせいかな。
場所は御殿場に入り246と東名と並走する場所で交差点の名前も確か駒門の風穴だったとおもう。そこを右折すればじきにある。

 ソー今日は御胎内の話だった。150円の入園料を払い中に入るとクヌギやミズナラが高く背を伸ばしている。だがその先の葉は全て落ちていて何も無い。地面は落ち葉で一杯で散策路が見えない状態だ。時折あるもみじは色づいているが、その上に枯葉が落ちていて風情は無い。受付の人の話では紅葉の盛りは10日前だったった言っていたが、正にその通りだった。
しかし落ち葉の中をのんびり散歩するのも良いものだ。落葉したせいで空が見えるようになり明るく感じる森の中を。
去年の春桜の時期に来た時もそうだった。桜にしては小振りの花を付ける富士桜が満開の時で、その時も桜の白さで明るさを感じた事を思い出した。

 来年も桜の時期に来ようと思っている。その時は御胎内の桜を見てから印野のを車で走るのも又いい。家々に咲いている富士桜がまるで桜のぼんぼりのようにボワンと感じられる。長野県の更科の杏の里の桜版だと言ったら言い過ぎか。
印野を過ぎたら次の桜は富士霊園が待っている。今までの桜と違いこれでもかこれでもかと桜が押し寄せてくる。
ただ休日は避けたほうが良い。いつになっても着かない霊園に段々イライラが募るのは確実だから。
その点オールサンデーの今は我が世の春だ。

--- 在所に行くの主だったのでカメラを持っていくのを忘れた -----

高草山(三輪口・池の平)2

2009-11-24 08:11:38 | 低山歩き
 今までも気になっていたが途中にあった標識は全て下の案内で山頂を案内している標識はなかった気がする。
それがここ池の平から時石までは完全にそうなっていた。
今回はたまたま下りだったので困る事は無く、農道から山道に入る場所も分かった。
しかしこれでは登りの時は山道の入口が分からず困る。今日の帰りはここを登らなければならないので一先ずの対策として「農道に標識があったら、その付近に登りの山道がある」と思うこと。(そうでないところも有ったが)
他に池の平からエゴの木の案内板までは農道を歩く。
それともう一つ。農道脇に「一歩杉→」の案内板が林の方を向いて立っている標識がある。
農道からは覗かないと見えないが、そこの矢印は農道を下る方を指している。これにはさすがの私も困った。
標識の下には林の中に続く階段があるので始めは標識の向きが変わってしまったのかとも思ったが、しかし標識は鉄で固定され道路側面のコンクリに打ち付けてある。とても向きが変わるとは思えない。
サーどうしよう、このまま農道を下がって一本杉のほうに行くか。階段を下りて林の山道に入るか。

 悩んだ末この案内板は登りの人のための物で、農道の下にある一本杉を案内している。よってこの階段は山道の入口だ。と林の中に入る事に。
無謀? イエイエここ大崩山塊の山は花沢山の海岸部と朝鮮岩付近はともかく、他は比較的安全だし、何も道のない所に行くわけではない。道を下ってさえ行けば必ず県道にぶつかる所だ。

 林に入り暫く進むと標識と大きい石が二つあった。標識によるとここが時石だと分かったが書かれている地図に納得いかない。
時石を背に地図を見ると今来た道は左手になる。だが地図はその道は少し延びているだけで消えてしまい一本杉も池の平の文字もない。
一方真っ直ぐ延びている道は何度か農道と出合いながら「潮見平」に続いている。しかし富士見峠や高草山の表示はない。何とも中途半端な地図だ。
中途半端といえば一本杉も時々名前が大杉になったりしていたが、この程度ならご愛嬌で済むが、地図はもう少し丁寧に表示して欲しい。

 大きな石が二つあり、どちらが時石か分からないが昔この石に陽が射してくると昼飯にしたので時石と言うようになったとか。
しかしここは林の中で陽が射すような場所ではない。昔は木がなかったのかな?

 時石から5分ほどで山道の登り口の農道に出る。標識もあり入口を見落とす事はないが、登る時はこの入口の10m程手前に標識があるので注意が必要だ。山道の入口は「彩香橋」を渡ってからの標識の所を入る事。

 農道を歩いていると案内板があった。それを見て今歩いた道の標識が下りばかりだった理由が分かった。
案内板のイラストには富士見峠と時石の分岐先に池の平も潮見平も書いてある。
だが案内板の「順路と所要時間」のコースをみると
三輪→時石→潮見平→富士見峠→高草山→富士見峠→池の平→一本杉→時石→三輪
となっていて逆コースの時間は無い。
きっと地元の人は登りは潮見平経由で下りは池の平と決めてしまったのだろう。それで時石や富士見峠の案内板の地図に反対方向を書かなかったのだ。
 しかしこれでいいのかな? 次回は潮見平の上り下りをするのでハッキリするが車の一方通行と違い逆に行く人もいるはずなのだから--------

 山道の入口から10分も歩けば県道に出る。バス停「三輪」も見えている。

 三輪から引き返して池の平経由で富士見峠に登った。
今降りてきたばかりなので所々にある農道から山道の入口は分かったが始めての人だったらどうだろう。
特に絶対分からないと思う所は池の平から尾根に登る山道の入口だ。
始めての人なら100%の人が農道をそのまま進んでしまうだろう。
マー農道を行っても何処かで潮見平や坂本口、石脇口の標識にぶつかるだろうが。

 この池の平のコースは踏み跡が薄い所も有るので経験の少ない人の単独行は避けたほうが良いと思う。

高草山(三輪口・池の平)

2009-11-23 10:26:19 | 低山歩き
山頂→富士見峠→池の平→三輪の往復の報告です。
三輪から上りたかったが登り口や駐車場が分からないので、山頂から麓に降りて、更に山頂に登るコースを取ることにした。

神社のある山頂側から三角点のある山頂に向かう。
途中にある標識は神社の方を山頂と案内しているが実際はどちらがの方が高いのか。
私の持っている安物の高度計ではどちらも変化なく分からない。国土地理院の地図では神社側に無線中継所、三角点のあるほうに当然だが△と標高が書いてある。
となると三角点がある方のが高いのか?と思いたくなるのだが、辞書には
「三角点とは通常、見晴らしの良い場所に設置されるため高山の山頂付近に設置されている場合が多い」となっている。
すると三角点は見晴らしが良ければ低くても設置される事があると言うことだろう。
確かに高草山も三角点のある頂の方が志太平野を一望できる。かたや神社のある頂は富士山こそ見えるが満観峰の山並みが視界を邪魔している。
実際に現地を歩くと神社側からは下りが多く登りは少ない。そう考えていくと神社側の頂の方が高いのだろう。

 三角点の前にあるラバウル戦没者の慰霊碑の前を通り富士見峠の入口に行く。
入口から寂れた感じで踏み後も少ない。だが道が草にさえ覆われていなければ、こんな道の方が好きだし歩きやすい。
尾根筋に付いた道は杉っ葉が積り道を隠しているが注意してみれば充分分かる。
土は腐葉土状態で柔らかく衝撃が少なく歩きやすい。坂本や石脇口と同じく下りだけの道だが急坂ではなく滑る事もない。

 今歩いている場所は麓から見ると山頂から緩やかに下って高草山の北端の岡部のほうに続いている尾根の所だ。
途中に尾根の木を伐採した場所から南アルプス前衛の山の後ろに真っ白になった主峰の嶺が見える。
峠は山頂から15分位の所に富士見峠の看板が立っていた。

 見える見える北東の方向の満観峰の上に富士山が見える(写真)。なるほどここが富士見峠かと納得した。近くの看板に
「現在では高草山の山頂では雑木が生茂り霊峰富士が余りうまく見えませんが、ここからは万(?)観峰ごしに富士山がよく見えます」と書いてあった。
ウーンどちらが景観を邪魔する木が多いかと言うと、ここの丈の短い草木の方が邪魔のような気がする。こんな看板を立てるくらいならもっとが清々草木を伐採しててくれれば良いのにと思った。

 峠の案内図をみるとここで道は二手に別れて、一本は尾根筋の方に延び池の平と書いてある。後一本の下りの道は何も書いてなく途中で消えている。何所に続いているのか分からないので尾根道を歩くことにした。
 いま歩いてきたような道が続く。踏跡は薄い所もあるがが困るような事はない。送電線を2・3本過ぎたあたりで左手の下のほうに農道と何脚かのベンチが見えた。と思ったら標識が尾根と離れる下を指して「池の平」となっていた。山頂からここまで約25分。

 池の平は確かに「たいら」と言うに相応しく山中にしては珍しい平坦地だ。看板には「標高350mの遊水地で日照りが続いても水が絶える事はない」と書いてあった。
それなら若しかして此処に古代人が住んでいたのではなかろうか。現在では350mと標高が高いがその当時なら志太平野は海の中。ここから海岸まではそう遠くはないはずだ。そしてお墓は先日行った笛吹き段公園の古墳だ。そんな空想も出来るような場所だった。

高草山(石脇口)

2009-11-22 10:54:07 | 低山歩き
 21日に高草山の残された登山口の石脇口と三輪口を歩いてきた。
残りは西の谷口だけとなるので後1回で大崩山塊の標識なる登山道を全て完歩した事になる。

予定コースは
石脇→高草山頂→富士見峠→三輪→富士見峠→山頂→石脇 の予定だ。
細かい事は現地に行かなければ分からないので多分に変更になりそうだ。
特に富士見峠への案内は何所にも出ていず。たた山頂に富士見峠への標識があるだけなので実際に三輪へ降りられるかも分からない。

 ここの石脇口には駐車場がないので地元の人に聞くと
「観光トイレの前に置く人が多い」と、いい事を聞いた。早速そこに駐車して8時35分に出発。
トイレの横の道を真っ直ぐ進む。道がカーブすると民家は無くなり道も林道状態に。
この道は来年やる予定の駿河33ヶ所で歩くかもしれないので注意深く見ていると「花沢へ」と書かれた標識が目に入った。
花沢には札所があるのできっとこの道を歩くことになるだろう。

花沢への道と分岐して山頂と表示された道を進む。
右手に高草山ハイキングコース入口の標識が立っている。ここからイヨイヨ山道の開始だ。
それ程歩かないうちに視界が開け後ろには焼津港や焼津の町が見えてきた。
さらに簡保の尾根から続く花沢山も見える。花沢山の山頂には巨大反射板が微かに見えている。
どうやらこの石脇口は先日昇った坂本口より低い地点から景色が見えるようだ。とするとここが一番眺めの良いコースかもしれない。いやいやまだ三輪や西の谷コースも歩いてないのでわからない。などどうでもよい事を考えながら登る。

 道は高草山特有の農道に出ては、また登山道に入るのを繰り返しながら高度を上げていく。
4回目の林道から山道に入った所には竹製のベンチががあり、その先の道が急になりロープの手摺も張ってある。
息はハーハーしているが歩こう会の時のようなゼーゼーではないのでまだ余裕はある。休憩せずそのまま進行。

 5回目の農道に出合ったとき左の方を見ると標識が見える。どうやらあの標識は坂本口の標識のようだ。麓では大分離れていたが、ここではもう20m位しかない。
と言うことは坂本口との出合いももう直ぐのはずだ。合流すれば頂上も近い。

 結局山道に入ってから農道に5回出合って山頂に着く。
時間は9時35分。出発が8時35分だからジャスト1時間。
坂本口は1時間10分だったから10分早いが、その日の体調や写真撮影の時間など考えればどちらの登山口も同じようなものだろう。

 山頂の神社のベンチには早朝登山の人か、お年寄りが3人話をしている。
聞いていると富士山の話で今日の富士山が久し振りに綺麗に見えると話をしている。
確かに今日の富士山は5合目から上は雪をかぶり雲もなく見えている。だが私にはどうもハッキリしないように見え
「なんだか霞がかかっていてハッキリしてませんね」と話の仲間に加わる。
「いやー最近は、良くてこのなもので昔のような抜けるような青空はないよ」
「地球温暖化でスモッグが発生して遠くは霞むのかもしれない」
「そう言えば昔はここから伊豆の八丈島が見えたが今じゃ大島でさえ見えやーしない」
「八丈島は無理だら。見えるのは180k先までだから、八丈島は無理だよ」
「いや見えた。確かに見えた。島を順番に数えていったから間違いはない」
先日十国峠で見た島影も初島と大島は間違いないが後は想像に過ぎなかったが、この「見えた」と言っている人も想像がいつの間にか確信に変わってしまったのだろう。

 話題がが変わって今度は歩行時間の話になった。
私が「皆さんは、ここまでどの位で登ってくるんですか?」と聞くと
「若いときは40分で登った事もあったが、今じゃ50分ぐらいかなー」と。
他の人も大体50分が多かった。
「だけど小さい子は元気がある。この前なんか幼稚園の年長の遠足と一緒になったが、あの子ら1時間10分で登ってしまった」凄い!私と同じ時間だ。
どうも最近歩きの自信が無くなることが多い。歩こう会での距離の長さ、歩く速度等でショックを受け。そして今は自分は幼稚園並でしかない事を認識させられた。

最後に今日歩く予定の富士見峠の事を聞いたが誰も行ったことがなく
「標識はあるようだけど、道が荒れていて草茫々だと聞いた事がある」と言っていた。

 老人達と別れ私その草茫々の道へと進む。

熱海・伊豆山神社

2009-11-21 17:13:14 | 寺社遍路
 東光寺を1時半に出発。予定では伊豆山神社に3時半、熱海駅には4時半前に着くだろうと検討をつけた。同窓会は6時から宴会の開始とあったからホテルに着いて温泉に入る時間もあるだろう。
 
 緩い下り坂で岩戸山の分岐には容易に到着。ここから伊豆山神社に向かうのだが標識には岩戸山しか書いてない。だが先ほどの案内板では岩戸山の先には間違いなく伊豆山神社とあった。それに東光寺の本尊を伊豆山神社に移したとも書いてあったのできっと神社に続く道がある筈だと納得させて前に進む。

 右手には先ほど登ったケーブルカーの建物も見えてきた。道は太く緩い下りで歩きやすく快調に進む。途中から標識に岩戸山、伊豆山神社と出てきたので残っていた不安も解消した。

 前方の林越えに双耳峰の山が間近に見えた。あれが岩戸山かと思いながら歩を進めるうちに上り坂になってきた。標識に「岩戸山近道」とあったのでそちらを進む。前方にベンチが見える。あれが山頂なのか岩山など見えない穏やかな山相だが-----

やはりそこが山頂で三角点と標識があった。今1時55分、お寺から25分で到着したことになる。
さて伊豆山にはと標識を見るが書いてない。狭い山中には3本の道がついている。今来た近道は北側。それに西と東に各1本づつ。とすると西の道は近道でなく正規の道か、そして東の道が伊豆山に向かう道だろうと見当をつけ歩き出す。
少し行くと送電線の鉄塔の下に着く。その下に小さな標識が2個あり一つは「何とか観音」(忘れた)と書いてあり、細い急坂と言うより80度くらいありそうな絶壁。ロープは張ってあるが今日は一先ずパス。もう一つには伊豆山神社で書かれていて一安心。
後で気づいたが、あの観音さんの方に行けば岩戸らしき物があったのではないかと思う。

 道は太く整備されていて歩きやすい。高度はドンドン下っていく。道の脇にマムシグサのあの毒々しい赤い実が垂れ下がっている。
やはり熱海は焼津より暖かいのかもしれない。焼津ではマムシグサの実は既に見当たらなし、マツムシソウまで咲いているのだから。
いや若しかすると温泉で地熱が高いのかもしれないなどくだらない事を考えながら下っていく。

 農道に出た。小さな案内板とパンフレット入れがあったがパンフレットは無かった。
案内板を見るがよく分からない。姫の沢公園の案内図には伊豆山神社の前に本宮神社に寄って行くようになっていたが、ここの案内図では直接伊豆山神社に行くようになっている。
特に本宮神社には行きたいとも思っていなかったので、この案内図の通り歩いていこう。

 農道に出て無意識のうちに右側の下りの方を歩き出す。緩い下りが終わると道は上りになった。前方を見ると更に上へと続いている。おかしい。変だ。
仕方なく後戻りして案内図をもう一度確認する。やはり間違っていた。神社は農道を左側を行かなければならなかった。その後は右、右に曲っていくようだ。
再度仕切りなおしで歩き出した。最初は上り坂だが直に下り坂になる。しかし前方には道路が塞がられていて通行止めになっている。
全くどうなっているのだ。熱海の道の案内は悪すぎる。段々腹が立ってきた。
イライラしながら見回すと保養所らしきもの見えた。それなら何とかなると塞いでない歩道を抜ける。
建物は間違いなく保養所で確か案内図に書いてあったような気がする。その後は次々と保養所は現れてきた。

 この道は農道ではなく保養所用の観光道路なのか。歩道もついて道も太い。ただその歩道には背の高い草が生えていて結局車道を歩くしかなかったが。
この後の道は山勘で右右と歩いて行く。間違っても下に行けば県道や国道も走っている。都合が悪ければ神社も止めていい。
そうなると不思議なもので間違いなく進んでいく。その内に本宮神社の参道入口に出た。予定ではこの参道を下るはずだったがマーいいだろう。
やっと伊豆山神社ハイキングコース入口に着いた。ここで舗装道路と分かれて山道になる。
この道も本宮神社の参道なのか沢を利用した道だった。道は落葉と土が混じって泥んこ状態。水は無いが湿った土で靴は真っ黒。ここで滑ったら困ると思わぬ緊張を強いられた。
マー歩きにくい事、歩きにくい事、この道を10分ぐらい歩いたのだろうか、やっと舗装道路に出るとそこが伊豆山神社だった。

 東光寺で納経できなかったので、ここではやってもらおうと「納経をお願いします」と頼むと巫女さんが「御朱印でよろしいですか」と言った。
そうか神社は御朱印と言って寺は納経と言うのか。経は神社には関係ないなと納得した。
帰ってから調べてみるとWikipediaにはこのように記載されていた
「記念スタンプとは違い、寺社の職員や僧侶、神職などが押印する。単に印を押すだけでなく、その下に墨書で寺社名や参拝日などが書かれ、その墨書も含めて「御朱印」と呼ばれる」
となるとお寺でも写経したお経を納めるわけではないので「御朱印をお願いします」と言えば良いのか、と納得。

 伊豆山神社から熱海駅まで25分かかって歩いてしまった。あー疲れた。
それでも予定通り伊豆山神社には3時半。駅には30分早い4時に着いた。
しかしホテルまで歩く予定だったが送迎バスに乗ることにした。

十国峠→(10)→東光寺→(20)→岩戸山→(80)→伊豆山神社→(25)→熱海駅

駿河33ヶ所(番外)2

2009-11-20 12:13:30 | 寺社遍路
 決断はくだしたが若干の不安を残したまま歩き始めた。
沢を利用して作ったような道が続く。
このような道は島田の丁仏参道でもであったが、昔の人の道作りは沢を利用して労力を使わないようにしてたのだろうか。
こんな道は晴れて道が湿っていない時は落葉もあり歩きやすいが、雨が降り出したら歩きにくくなる道だ。
雨水が道に流れ込み靴をぬらし、足元はグジュグジュになって泥んこになる。
ズルッと滑ったら最後ズボンも濡らしてしまうだろう、そんな風になりそうな感じの道だ。
そんな道も22丁目の石仏のあたりに来ると尾根道に変わる。
後ろを振り返れば初島や大島が見え出す。更に登ると伊豆半島の入江や大島の隣にも利島だろうか岩山のような島や、更に沖には船のように細長く中央が膨らんだ形の島は新島か。
雲が多く日は差していないが遠くもよく見える。

 22丁目の石仏を過ぎた所に案内標識が建っていた。そこには日金山東光寺まで55分と出ている。更に十国峠は70分となっていた。
この道で間違いないことが分かり一安心。それにしても何故この東光寺とか十国峠の文字を入口の案内に書かないのか疑問だ。
このような案内板は分からない人のためにあるものだろうに、分かっている人が作っているため、このくらいは分かるだろうと勝手に解釈して省略してしまうのだろうか。
更に少しの登った所の案内板には上側に○丁目石仏、下側に△丁目石仏と記してあったが、これは何のための案内板か? 一丁は約109mそれを案内しても意味のない気がするが。

 文句はそれくらいにして気持ちが良い尾根道を登っていくと道端にマツムシソウが咲いていた。確かマツムシソウは夏から秋に咲く花と思っていたが11月中旬に咲いているとは驚きだ。やはり熱海は暖かいのかな?
薄い紫色で花弁の長い優雅なマツムシソウが群生はしていないが所々に咲いている。更にその付近には名前が分からない黄色の小さな花弁が集った花も咲いている。何とも気持ちの良い尾根道だった。
 そんな尾根道が終わる所に岩戸山への分岐の案内があった。岩戸山は始めて聞く名前だが、きっと岩戸のような大きな岩があるのだろうが距離も時間も分からないので諦めて前に進む。

 次にあったのが末代上人と言う人の宝篋印塔(ほうきょういんとう)で、この僧は若い頃この日金山で修行し1149年(久安5年)富士山の山頂に大日寺という仏堂を建立し富士山修験道の開祖とされるらしい。
案内板を読んで最後の「富士山を世界遺産にする熱海の会」とあったのには苦笑いをしてしまった。努力をしているというかアピールのし過ぎと言うか。富士山をユネスコの文化遺産にしたいのなら慌てて文化を作っているかのように取られかねない名称は必要ないと思うのだが。更にそこにあった卒塔婆にもその名前があった。

 馬酔木やシキミ(?)の林を抜けると右手に日金山頂上と彫られた石塔があった。山頂らしからぬ場所だが寺があるのでそこを山頂としているのだろか。何はともあれ番外の日金山東光寺に着いた。

 しかしやけに静かで人気が無く駐車場はあるが車は停まっていない。本堂で般若心経を唱えて納経を受けるべく受付を覗くと、なんと「今日は(毎週水曜日)お休みです」と書かれた紙が貼ってある。嘘だ!お寺に定休日があるなんて聞いた事は無い。庫裏らしき建物も雨戸が閉まっている。どうやらここには住んでいない風情だ。毎日下から通勤しているのだろう。観光地にある観光寺と呆れてしまった。
しかし納経はどうしよう。要はスタンプラリーと一緒で来たと言う証拠を欲しいだけだが一ヶ所でも欠けると満足できない気がする。
仕方ない明日同窓会が終わったらもう一度来る事にしよう。熱海の駅裏の道を再度歩いてはっきりさせたい気もあるし、明日ならもっと天気が良いかもしれない。

 車道を覗き込むと「十国峠ハイキングコース」と書かれた標識が建っている。そうだこの寺の上は十国峠があると思い出し行ってみる事に。
車道を数分進むと太い道に出てる。その左手に姫の沢公園入口があり大きな案内板が立っていた。それによると公園は石仏の道の入口辺りから始まりここまで続いている随分と大きな公園のようだ。
 更に案内板を見ると途中分岐のあった岩戸山の案内も出ている。標高734mの山頂を越して道は伊豆山神社へ続いている。距離や時間は書いてないが駅から東光寺まで迷ってロス時間が多かったが3時間で着いている。それなら岩戸山へは距離は伸びるが下りが主になるので2時間ほどで伊豆山神社へ着くだろうと予想を立てた。
今時間は1時。峠まで往復してきて寺を出るのを1時半。すると伊豆山神社に着くのは3時半。よしそれで行こう。

 芝生の道をケーブルカーの山頂駅のある場所を目指して歩き始める。左手に芦ノ湖らしきものが見え出した。位置がチョット変だなと思いながら高度上げていくとそれは芦ノ湖ではなく駿河湾だと分かった。海の手前に見えている山脈は最近沼津アルプスと呼んでいる山だろう。富士山が麓だけ見せて後は雲の中の状態で見えてきた。後ろには大島などの島々に加え真鶴岬や神奈川県の町も見えている。
さすがケーブルカーを作るくらいだから景色がよい。
お寺の横を覗いて本当に良かった。あのまま下ればこの景色も見れず、伊豆山神社にも行けずに終わってしまっていた。苦あれば楽あり、楽あれば苦あり。いや捨てる神もあれば拾う神もありか、人生全て塞翁が馬なのか、何でもいいが脚を延ばして良かった。