はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

志太奥:椿山・菩提山・笠張山周回

2017-05-31 09:39:49 | 低山歩き
                       椿 山1 
歩行記録                                                        H29-5-28(日)
歩行時間:7時間10分   休憩時間:2時間35分   延時間:9時間45分
出発時刻:6時45分     到着時刻:16時30分
歩  数:36、750歩(推定距離26.08km)    GPS距離24.1km
行程表
 農民組合 0:30> 上滝沢バス停 0:10>  農道入口 0:50> 開拓の礎 0:10> 椿山三角点 0:40> 桧峠 0:55>
 菩提山 0:20> 林道滝之谷峠 0:25> 笠張山登山口 0:35> 笠張山 0:15> 新道登山口 0:35> 林道滝之谷峠
 0:50> 水車村 0:20> 不動峡 0:35> 農民組合430
                                                             
                                 志太奥周回概略図
        
                                 椿山への概略図


  今回も藤枝ハイキングコースの調査です。椿山には山桜の咲く頃見に調査を兼ねて歩く予定だったが、桜の時季を逸してしまい
今になってしまいました。
このコースは今までに何度も紹介しているので何故また調査かと思われるかもしれないが、今まで歩いたコ-スは全て北の高所から
南に低所へ向かって南下ばかりしていました。
例えば高尾山から椿山に向かって歩くとすると、出発点の蔵田バス停の標高は約417mでゴールの中山バス停の標高は83mです。
その差は約330mもあるし、蔵田に到着してからのバスの便も少ないと敬遠しています。
更に陽射しを遮る物の少ない椿山の上りや、笠張山の笹薮の急坂を登るのも大変な感じで嫌すが、市のハイキングコースが北上する
様になっているので仕方ありません。所要時間がどうしても必要ですので。

          
                 滝沢城跡の西砦と東砦                                 火の見櫓

  本来はもっと上の上滝沢までバスで行く予定で時刻表を調べたが良く分からない。多分平日は2時台に1本で、休日は11時台に
あるようだが、これでは私の足ではとても明るいうちにはゴールできないと車を利用しました。
車を停めたのは県道81号の不動峡への分岐点の、今は利用されていないないような農民組合の空地に停めました。

  これから向かう北の方角に二つの山が見えています。この山には駿河南朝方の拠点だった中川根の徳山城(無双連山)の
出城があり、瀬戸川向こう側にある北朝方今川の花倉城と対峙していた伝えられています。
そんな話を聞いて城のあった二つの山を見れば、山の間を通る街道に睨みを利かせていたと思いますよね。でも違うんです。
川根方面に向かう街道は左(西砦)の山の左裾を通っているのです。では砦の間の道はというと、不動峡から杣道を通り川根に
出る道しかなく、態々軍勢が歩く道でもなく、二つの山の上に砦を作る必要性が分かりません。

          
                     川沿いの石仏                                川中島八兵衛の碑

  八坂神社の前を流れる滝沢川沿いに幾つかの石仏が祀られていた。
この辺りを歩く時は志太地方特有の八兵衛さんの石碑を探しながら歩いているのだが最近はとんと発見できなくなってしまった。
何でも旧志太郡内には50とも80ともいわれる石碑が祀られているらしい。私も30基以上を確認したがまだまだある。
以前八兵衛さんのHPを作ろうなんて思い八兵衛さんだけを探しに歩いた事もあるが、HPの記憶容量が一杯になったのか
1枚の写真をアップしようとすると3,4分も掛かるようになってしまいHPは開店休業中になってしまった。
それでもいつかはと思い墓石状の石碑を見かけると彫られた文字を確認しています。

  今も10基ほど並んだ石仏を確認していくと、中央の石碑のに 「紀伊國 川中嶋小長谷八兵衛」の文字が確認できた。
これはラッキーです。今日は何かいい事が起きるかもしれない。期待して歩こう。

          
             上滝沢バス停                             椿山への農道分岐

  現地のバスの時刻表を見ても良く分かりません。ハッキリしているのは1日2本か3本しか無いという事です。
こんな状態でも市のガイドブックにはバスを利用すると書いてあるのですから情けない。
バス停近くの花壇を整備していた方にバスの事を聞くと
 「バスは幼稚園か小学生しか乗らないし、俺も乗った事はないから分からないなぁ。」 だそうです。
それどもいい機会だったので前から気になっていた椿山からの初日の出の事を聞くと
 「昔はあそこへ初日の出を見に行ったもんもいたが、今じゃぁ聞かないなぁ。」
イエそれでも構いません。例え誰も居なくても綺麗な初日を拝む事ができるなら。
毎年行っている満観峰の初日は年々参拝者が増えて、今年は焼津市で甘酒も振る舞うようになって余計増えた気がする。
はぐれを自称するひねくれ者の私としてはチョット場違いな場所になってしまったので、新しい所を探していたのです。

  直進する道は農道ではありませんよ、これでも県道215号です。その県道から斜めに登る道が椿山に行く農道です。
以前のハイキングコースはこの県道を直進して椿山には寄らずに菩提山を目指していたが、最新版のガイドブックはこの農道を
登って、椿山にも寄るようになっていた。
このコース変更は大賛成で、以前にこのブログで椿山に寄る様に書いた事もありますので、農道の登りは苦労するであろうが
果たしてどんな感想を持つか楽しみです。

          
                ホオノキ                                ホオノキの花

  少し離れた所に大きな葉を持った木が見えていた。葉の形がホオノキのように見えるが自信がない。その葉の上に矢張り大きな
花が幾つか付いていた。普段ならわざわざ行かないが今日はハイキングコースなので時間的余裕はあると写して来ました。
ネットで確認すると間違いなくホオノキでした。

 
                 ???                                     ???

  ピンボケで済みません。タチアオイの先端部のように上に向かった穂に赤と白の水引のような花が付いています。
一方こちらは矢張り穂状に伸びた先には黒い花が付いています。一見枯れているように見えるが花の先からは雄蕊のような物が
見えているので枯れてはいなさそうです。

          
                       ウツギ?                                     ササユリ

  多分ウツギでしょう。ウツギというと垂れ下がっている物が多いので、このように花穂が上に立っていると別の花のように見えます。
笹百合が1本だけありました。蕾はまだ2個しかない若木のようです。

          
                       ツツジ                                 多分ナルコユリ

  日陰も無く登りばかりの農道歩きは疲れるが、その代りなのか次々の色々な花が顔を出してくれる。
その殆どの花の名前は分からなく、家でネットや辞典を見るが中々分からない。重い思いをして植物辞典を持ってきても、時間が
かかるだけで名前が分かることはまずない。そのため今は辞典を持ち歩く事は少なくなってしまった。
今日も辞典は持ってきていないがこの花なら分かります。つつじです。でも何ツツジかは分かりませんが。

  ナルコユリとアマドコロの区別はつけにくいが、花が三つ以上ついているのはナルコユリらしいのでこれはナルコユリでしょう。  

 
                  木 苺                                  ヘアピンカーブ

  美味しそうに色づいたキイチゴは早速いただきました。
農道が強烈なヘアパピンカーブになっていた。こんなカーブでは私の運転技術では曲がり切れそうまない。
でも初日の出は上滝沢のバス停辺りから歩こうと思っているので支障はありません。

 
                 開拓の礎                                  初日はこの方向

  ヘアピンカーブからの直線の先が展望の良い開拓の碑のある場所です。
フ~やっと開拓の礎に到着。バス停からここまで1時間も掛かってしまった。ガイドブックはどうだろうと見てみると、ここより先の
椿山までが1.8kの40分となっていた。
例え写真を撮りながらとしても1時間とはだらしがなさ過ぎると、万歩計の歩測距離を見るとバス停から開拓の礎まで3.8kmだった。
これは明らかに不自然ですので家に戻ってからYAHOO!の道路距離測定をすると、開拓の礎まで3.5kmとなった。
矢張りおかしいですねェ~。慎重居士の私は(?)さらに山の超ベテランで豪脚の方のヤマレコ記録を見ると、なんとその方でさえ
バス停椿山間を50分掛かっていました。これは明らかにガイドブックのミスプリでしょう。
因みに古いガイドマップは県道を直進して桧峠までを80分となっていて、新しい方は椿山経由桧峠が同じ80分でした。
そして距離も同じ3.5kmです。これはミスプリどころではなく明らかに手抜きです。椿山を追加するにあたり現地調査を行わず
前のデータを半分に分けただけでしょう。そのため眺めの良い開拓の礎についても何も案内してありませんでした。

  話は変わって初日の出の事です。初日の出の方向は東110度あたりですので方位磁石で確認すると、何とマ~高草山の右下と
烏帽子形山の左下が重なる辺りでした。これではどうでしょう、見える事は間違いないが果たして期待通りの初日の出になるかどうか。
一遍に期待は冷めてしまいました。どうやら来年も初日は満観峰で迎える事のなりそうです。


                                      北の眺め

  これから行く菩提山と笠張山が見えていたが、やけにその間隔が広く感じる。昨年までは見えていた高尾山の電波塔が撤去されて
しまったので山が分かり難くなってしまった。しかし高根山のアンテナが見えているので間違いはないだろう。

 
                 東側の眺め                                南東側の眺め

  東側にはこれも電波塔のある高草山があるので分かりやすい。高草山から左に目を移すと特徴的な三角形の丸子富士も分かり
やすいので、その少し右にある満観峰も判断できる。
  南の方角には海が見えていてその東側には、これまた山頂がとがった筒のように見える経塚山もすぐ分かる。昔はこの山の
山頂に清水寺があったことから経塚山になったのだろうが、山形自体が経筒のような感じだ。
その経塚山の稜線を左に移動して一番高い所の左の平坦部が清水山のタンクのある所です。

  先程はガイドブックにケチを付けてしまいましたが、ガイドブックではこんな紹介もしてくれています。
 「桧峠の辺りは昭和の初期、国立天文台の建設候補地に挙がるほど、空気が澄み、星を見るのに適した場所です。」
天文台といえば、お隣の双子山への農道の途中に、屋根の下の部分に鉄のレールを敷いた家が2軒ほどあった。何のためのレール
なのか分からなかったが、知人が言うには 「天体を観測するために屋根を移動させるのだ」 と教えてくれた。
それもここの天文台の話を聞けば納得ができます。

  今日は残念ながら霞んでいて富士山も見えないが、ここからの富士山の眺めも中々の物です。藤枝市の富士山ビューポイントには
入っていないが入ってもおかしくないと思っています。
アラアラ少しのんびりし過ぎて25分も休憩してしまった。そろそろ出ないと千秋楽の相撲が見れなくなってしまいます。

岡部:山辺の道2

2017-05-27 17:08:26 | ウォーキング
                       南陽寺から大旅籠柏屋へ 
歩行記録                                                        H29-5-14(日)
歩行時間:2時間55分   休憩時間:1時間35分   延時間:4時間30分
出発時刻:7時50分     到着時刻:12時20分
歩  数:14、293歩(推定距離10.14km)    GPS距離8.6km
行程表
 神神社バス停 0:02> 神神社 0:18> 十輪寺 0:20> 興福寺 0:20> タンク 0:15> 常昌院 0:20> 南陽寺 0:15>
 立石神社 0:10> 多福寺 0:15> 展望台 0:05> 光泰寺 0:10> 正応院 0:10> 大旅籠柏屋 0:15> 岡部観光案内所 
                                                             
                            岡部:山辺の道概略図2



 
                 和田の地蔵尊                              老人ホーム横の道

  みかん山の四阿の横に石仏群が安置されていた。案内板を読むと、ここにはお地蔵さんや馬頭観音などが祀られていて、昔は
ここに農耕などに使われていた牛馬が葬られていたのではないかとあった。
当時貧しい農家では墓に石塔など無かったと思われるが、牛馬の墓に石仏が建つ。という事は、人の命より高かったのだろう。

  そしてその横には疲れ果ていく所も無くなった年寄りがいる場所がある。私ももうすぐ入るのかな。

 
                  南陽寺                                  南陽寺の鬼瓦

  南陽寺の境内に置いてあった鬼瓦は、角こそないが鬼が睨みを利かせていた。更にその下には “神谷山” の山号も見える。
では現在の屋根はと見ると、何ともシンプルな屋根で鬼瓦も山号も付いていない。なら昔は大寺だったのかと門前の案内板を見たが、
これから行く光泰寺の末寺で、長い間無住で廃寺同然になっていたあった。

                  
               不動明王の線刻石仏                      石仏下の彫物

 案内板にはこんな事も書いてあった。
 「雨乞いのため線刻不動明王を山上に祀り、人々の信仰を集めたが、大正時代に境内に移した。」
その線刻不動明王は何とも風変わりで、初めて見る表情をしていたが、これはこれで面白く、これが150年前までは山の上に
置いてあったとはとても思えないぐらい保存状況はよかった。
境内の庚申塔の横にあった石塔の下部には、これまた風変わりな彫物があった。普通の庚申さんなら “見ざる、聞かざる、
言わざる” の三猿を彫ってあるが、ここのは座った人物が頭を垂れて合掌して必死に祈っているように見える。
上の文字は供養塔とは読めるが、その上の文字は分からない。何とも気になるお寺だったが人の気配はなかった。

          
               立石神社への道                              紫 蘭

  先程と同じような磨き石の石畳の道になった。多分山辺の道を制定するとき作ったのだろう。
旧岡部町は観光にはかなり力を入れていて、玉露の里や朝比奈大龍勢等もある。そうだ他にも旧東海道岡部宿の電線の地中化や
高草山ハイキングコースの石の標識もある。それが町村合併した後は陰りも見えてきたように感じるは私の思いすごしか・・・・・・

  立石神社の前に紫蘭がかかたまって咲いていました。

 
                立石神社                                        本 殿

  立石神社は北のピークの入口なので何度も来たことがある。同じように何度も行っていた神神社で新しい事が分かったが、ここでも
何かないかとキョロキョロしながら歩いたが何もない。

                  
                   石 祠                             踏み跡がある

  北のピークの入口は立石神社本殿の左奥からの浅い沢を登るのだが、今日は右側奥に行ってみた。
新しい注連縄を張った小さな祠の上に踏み跡が続いていたので覗き込んでみると、その先にはロープを張った細い道があった。
神社関係の道か、それとも登山道なのか。気にはなるが細い道の下は20mはありそうな絶壁になっている。
しかも細い道の一部は崩れているし、張ってあるロープも古そうで頼りなさそうだ。
それに例えこの道が登山道でも行先の上には農道があるので、ここを登るメリットはない。など言分けを考えて中止しました。
誰かこの道を歩いて、どうなっているか教えてくれないかな。

          
               ご神木                              土公神様(じのかみさま)

  帰りもキョロキョロしながら下りて行くと小さな祠の所にこんな案内が
 「土公神様(じのかみさま) この場所は土公神の主護する所なり、すべての人間は土から生まれ土に還るのが原則なり、
人の一生はこの土公神に左右されるといわれています。神社仏閣も土公神に依って守られています。合掌」

でもね。その土公神様の横が古いお札やお飾りの集積場で、まるでゴミ箱でした。

          
              内谷の常夜灯                              多福寺

  ここにも常夜灯が建っていて、案内板には秋葉神社の常夜灯で天保14(1843)年建立とあるが、火口の中にはお札も電球も
見えなかった。

  先週寄った多福寺が見えてきた。この方角から見ればすぐ分かるのだが先週は上から下ってきたので標識の文字を見るまで
分からなかった。

    
          地蔵尊                     子安観音?                    一国巡礼塔

  特に見るべきものも無く、こんな物でお茶を濁します。

    
        農道のヤマブキ                 ハコネウツギ                   ユキノシタ

  先週と同じようにバイパスを潜り高台に出たが、今日はそこから県道に下らず更に上にある金毘羅さんの展望台に向けて登る。
時季遅れだろうヤマブキが農道の上に散って彩りを添えていた。誰かが植えたようなハコネウツギやユキノシタの花も咲いていた。

 
                  光泰寺                               西国三十三観音菩薩

  光泰寺の前身は高草山山上にあった修験者の道場の十楽院ともいわれている。十楽院が荒廃していた江戸時代の初めのころ、
十楽院を多福寺の辺りに移したが、東海道が賑わって来ると更に岡部宿に近い現在の地に移したそうです。
その読みが当たったのでしょう現在の光泰寺は中々の大寺です。
  ここ光泰寺も微笑仏が二体祀られているが、残念ながら安置されている本堂の扉は鍵がかかっていて開きませんでした。

          
              穴地蔵入口                                   穴地蔵

  薬師堂裏の小さな洞窟には、前列に修験道の開祖とされる役行者と地蔵尊。その後ろには釈迦如来が祀られています。
通称 「穴地蔵」 と呼ばれているが、これも高草山にあった十楽院の時代のものらしいです。
穴地蔵といえば穴の空いた自然石を奉納してある日本坂峠の穴地蔵を思い出すが、ここの穴地蔵にはそのような物は無かった。

          
             湯殿山供養塔                                    地蔵尊

  薬師堂横に 「湯殿山 大峯 立山 富士 西國四國 秩父坂東 神仏順礼供養塔」 が建っていた。
何とも欲張った供養塔だが、間違いなく “神仏混交” だった。
これを昔一人の人がやったのなら見事なことだ、いや現代だってこれを一人で歩き通した人が居れば大したものだ。
私なんて8カ所の内3ヶ所しか歩いていない。これから全ては無理でも、先日読んだ小説の舞台だった湯殿山は歩いてみたい。

          
                     正応院山門                                  正応院多宝塔

  小締りしたお寺だが緑豊かで庭木も手入れが良く行き届いた気持ち良いお寺でした。
中でも駿河路ではここが唯一といわれる多宝塔は緑の中に良く映えていました。
ところで多宝塔って2階建てのように見えるが実際は1階建てだと書いてあるものがありましたが、本当はどうなのでしょう。
見てみたい気がします。ここの多宝塔は中が見えませんでした。

         
             本堂須弥壇                                  参 道

  その代りに本堂の扉が少し開いていて中を覗く事ができました。正面の須弥壇には小さな多分日蓮上人と思われる仏像と、
その後ろには金色の字で 「南無妙法蓮華経」 (多分)と書かれた大きな板状の物が見えました。
兎も角気持ち良い寺でゆっくり休みたいがゴールは間近なので先に進みます。

         
                      佐護神社                                     何でしょう?

  正応院を過ぎた所に聞きなれない名前の佐護神社があった。さっきは西宮神社もあったがこちらは時折聞く名前なのでパスを
したが佐護神社には寄ってみた。参道の階段横の案内板を読むが理解できない。分かったのは佐護神社は立石神社の御旅所と
あるので立石神社の末社のようなものなのだろう。神社の別名を 「おしゃもつっつぁん」 といって、農耕の神、測量の神あるいは
安産の神と様々な説があると書いてある。
そんな事はどうでも良いがこの “おしゃもつっつぁん” はどこかで聞いた事がある。しばし考えて思い出した。確か大崩山塊の入口の
花沢の里の歯痛の神様がこんな名前だった気がする。
早速花沢の写真を調べると、有りました、有りました 「オシャモッツアン」 が。
こちらの説明には 「山際の大きな岩はオシャモッツアンとよばれています。歯痛や子供の病気にご利益があるといわれ、花沢の
人々が信仰してきました。」

同じ高草山の山麓なのに同じ言葉で違う意味で説明されているとは? 自分の記憶はまだ満更でもないと自画自賛するも、オシャ
モッツアンの事はそれ以上は分かりませんでした。

  名前が分からないだけではなく、プレハブの小屋の中には地鎮祭のように盛り上げられ御幣が建てられていた。これも一体
何なのでしょうね。分からない事ばかりの神社でした。そうそう佐護神社もヒットするのは岡部だけで、他には無いのだろうか。

 
                  姿見の橋                                  写してみました

  旧岡部町の努力は買うが、この橋はやり過ぎで好きではない。
 「小野小町は絶世の美人で歌人としても有名だった。晩年に東国へ下る途中、この岡部宿に泊まったという。小町はこの橋の上に
立ち止まり、夕日に映える西山の景色の美しさに見とれていたが、ふと目を橋の下の水面に移すと、そこには長旅で疲れ果てた
自分の姿が映っていた。そして過ぎし昔の面影をうしなってしまった老いの身を嘆き悲しんだという。
宿場の人はこの橋を「小野小町の姿見の橋」と名付けたという。」


 どぶに架かったような橋が小野小町の姿見の橋なら、その辺に石でも置いて “義経の腰掛石” にしてもいいし、太い木には
 “◯◯の馬留の木” にしてもいい。要は何でも有りになってしまい歯止めがかからなくなる。やはり節度が必要だろう。

 
                 岡部宿本陣址                                  内 部

  一転してこのような施設は大歓迎です。数年前には無かった大旅籠柏屋の横には、歴史を感じさせるような門塀が再現されていた。
当時の本陣の間取りを平面表示してあり、建物が無い分その広さが実感できた。
横の無料ギャラリーでは、タイミング良く木喰上人の切り絵の展示も行われていたり、東海道の宿場の様子なども説明してあったので
思いもかけず時間を取られてしまった。

 
                  水琴窟                                大旅籠柏屋

  本陣址と大旅籠とは繋がっていて裏から入る事ができる。いつもは街道から眺めるだけで過ごしていたが今日は内部も見る事が
できた。とはいえ有料の建物には上がりませんでした。

  そうだ。最後に一言余計なことを。山辺の道ハイキングコースは多宝塔のある正応院がゴールになっているが、ここは矢張り
大旅籠柏屋をゴールにするべきだ。知っている人はここまで来るが、知らない人はゴールでバスに乗ってしまう。
印刷物はともかく正応院の入口に大旅籠か本陣址の標識を建てたらどうだろうか。

岡部:山辺の道1

2017-05-25 17:20:18 | ウォーキング
                       神神社からみかん山へ 
歩行記録                                                        H29-5-21(日)
歩行時間:2時間55分   休憩時間:1時間35分   延時間:4時間30分
出発時刻:7時50分     到着時刻:12時20分
歩  数:14、293歩(推定距離10.14km)    GPS距離8.6km
行程表
 神神社バス停 0:02> 神神社 0:18> 十輪寺 0:20> 興福寺 0:20> タンク 0:15> 常昌院 0:20> 南陽寺 0:15>
 立石神社 0:10> 多福寺 0:15> 展望台 0:05> 光泰寺 0:10> 正応院 0:10> 大旅籠柏屋 0:15> 岡部観光案内所                                                             
                               岡部:山辺の道概略図1
            

  先週歩いた大崩山塊の農道歩きで歩き切れなかった藤枝市ハイキングコースの 「里山の道」 に早速行くことにしました。
とは云え、里山の道だけでは余りにも短すぎるので、コース続きの 「山辺の道」 も一緒に歩く事にしました。
山辺の道は部分部分は歩いていたが、通しで歩いた事はなかったので丁度良い機会でした。

 
                 神(みわ)神社                               三つ鳥居

  山辺の道の出発地の神(みわ)神社までは、焼津駅からバスを利用する最近得意なお手軽ウォーキングです。
神神社や三つ鳥居については何回も紹介してきたので今回は省略しようと思っていたが、新しい話を聞いたので再度紹介します
  丁度この日は町内の清掃日らしく境内にはシャベルや箒を持った人たちが集まっていました。
その中のお茶の支度をしていた女性が神社の方だというので早速質問をしてみました。
 「三つ鳥居は高草山の方向を向いているのですか?」 と聞くと
 「三つ鳥居の先にある祭祀場の方向を向いているそうですよ。」
 「祭祀場?って高草山じゃないですか?」
と聞き返したがどうも要領を得ない。
しかし自分でも良く理解していない事を余りしつこく聞くのも悪いと思い止めておきました。

 
                  三つ鳥居                               ハライド(払井所)

  拝殿の裏に回ると掃き掃除をしていた男性ががいたので挨拶をして格子塀の隙間から写真を写していた。
すると 「写真を撮るなららここから入って写せばいいよ。」 と階段上の格子戸を指してくれた。
その格子戸はいつもは鍵が掛かっているのだが、今日は掃除のためか鍵が掛かっていなかった。
 「え~ いいですか、すみません。」 「でも三つ鳥居を入らないでくださいよ。」 なんて会話を交わして中に入る。
  鳥居の先の注連縄で区切った所に、紙垂(しで)を付けた竹が4本刺してあった。
ウーンこれは何だ? まさかこれが祭祀場で鳥居はここを向いている? いやそんな事はない鳥居と竹の間は3mもない。
掃除をしていた人に先ほどと同じ質問をしてみた。すると男性は
 「高草山を向いているのは鳥居ではなくハライドで、鳥居は山の神さんの方を向いている。」 と教えてくれたが良く分からない。
 「ハライドって何ですか?」 と聞くと
 「払うに井戸の井と所と書いてハライド(払井所)と言うのだけど、ほらそこの注連縄の所がそうだよ。」 と竹を指した方を指す。
更に 「山の神さんって方の上城址の上にあるのですか?」
 「いや、あれじゃなくて磐座のある山の神さんだよ。」
 そうです、そうです。ここで思い出しました。去年仲間ウォークで北のピークの帰り農道脇にあった磐座の事を。
そこにあった藤枝市の案内板には
 「山の神祭 祭日二月八日 山の神の磐座に紅白の重ね御幣を立てる。祝詞のあと竹と藤弦で作った大弓で四方に向かって
大矢を射る。これにより邪気を払い、治山治水と山の幸、野の幸の豊穣をを祈る。この山の神祭は古代祭祀の姿を現代に残す
貴重なもので、元三輪村の氏子が毎年行事をつとめる。 藤枝市教育委員会」
とあった。
しかしあの方向だと鳥居の向きが少し東の高草山寄りだけど・・・・・その点を確認すると
 「三つ鳥居は何度も立て替えているので少しは向きも変わるよ。」
そうですよね。私のように細かい事に拘らず、おおらかなに考えた方が古代儀式には相応しいでしょう。
そして三つ鳥居の向きは高草山ではなく磐座の方向を向いているとこれからは信じます。
(これは三つ鳥居を紹介した大部分の説と反しますが。)
掃除をしていた方には他にも色々教えてもらいましたので、機会があったら紹介します。

          
                      堂殿三角点                                   十輪寺

  木蓮の寺・十輪寺に行く前に墓地の中を登る三角点のある高台に寄って行きます。
標高38.87mと低い高台ですが、四等三角点と並んで木蓮漢音を祀ってありました。ここは低いながらも眺めが良く、今見てきた
神神社の森も見えています。しかし残念ながら三つ鳥居は見えませんでした。

  木蓮が植栽された中を下って十輪寺に向かいます。寺の後ろに見えるピークが北のピークと思いたいのですが、分かりません。

                 
              木喰仏:子安地蔵                       木喰仏:虚空蔵菩薩

  木蓮で有名な十輪寺だが木食上人の彫った木喰仏を安置している寺とも知られている。特に十輪寺では木喰仏を安置してある
本堂の入口に 「ご自由に本堂でお参りください」 と貼紙をしてくれてあるので気軽に本堂に入る事ができます。
  木喰仏は独特な微笑をたたえいているため、微笑仏(みしょうぶつ)とも呼ばれるかなり有名な仏像です。。
特に左側の子安地蔵は静岡県下の木喰仏の中でも傑作と言われているそうです。

     
         虚空蔵菩薩                    制作風景                     木喰上人自画像

  山辺の道のゴールの少し先にある 「岡部宿本陣址」 で丁度木喰仏の切り絵の展示が行われていたので紹介しておきます。

切り絵の仏像は十輪寺の虚空蔵菩薩で
 「高さ113cm 左手に宝珠を持った素朴な作りで、軽やかな笑みを浮かべた柔和な表情をしています。」 と説明されていた。
仏像の後ろには仏像名や制作年月、祈願等の墨書が記されているそうです。そして本人の自画像も笑みを浮かべていました。

 
              金毘羅さんの展望台                                潮 山

  十輪寺横の 「金毘羅神社や展望台があります」 の標識が以前から気になっていたので良い機会なので登ってみました。
高台の上には金毘羅神社があり、境内にはパイプで組んだ展望台も設置されていた。先程登った三角点より北西の方向にある
潮山が良く見えていた。

      
          馬(牛)頭観音                   線刻石仏                         納め札

  名前は興福寺と立派だが宝形造りの小さなお堂です。堂前にある案内板には
 「ご本尊の薬師如来立像は、皇極天皇3(645)年、東国に流行した疫病治癒のために、当地に大和の大神神社の分霊が祭られた
折、奈良の興福寺の許可を得て祭ったものと伝えられている。
 この仏像は聖徳太子の作と言い伝えられているが、その作風は飛鳥物より藤原仏の特徴がより多く備えている。
なお、この仏像は興福寺の秘仏として33年ごとに開帳され、次の開帳は2018年を予定している。」

この文章を素直に読めば
 “大神神社の分霊を神神社に祭るとき、一緒に来た薬師如来像を奈良の興福寺の許可を得て、お堂を興福寺と名付けて祭った。”
となりそうですが、でも何の許可を奈良の興福寺から得たのでしょう?。寺の名前? それとも薬師如来を祭る許可?
同じ名前の寺のなんかザラにありますよね。例えば清水の舞台で有名な清水寺は、ここ藤枝にもありますよね。
薬師如来だって、これを本尊にしている寺は、それこそ数えきれないくらいあるので、その許可の内容が分かりません。
と、ケチは付けたものの、来年が33年目のご開帳の年になるのでお参りしたい気持ちも湧いてきます。

  馬頭観音と云うより牛の頭に似ているので牛頭観音かな? 大正時代の石仏ですが舟形の面が急角度になっていて如何にも
岡部の石仏の特徴を持っています。
  写真中央の線刻石仏は薬師如来と思いたいが女性的な顔や頭、更に手が何本か見えるので千手観音かしら?
祠の中に祀られているが年々色は薄れ、線も細くなっていくようです。
その祠に板の納め札が打ち付けてあり、その内の一枚には
 「祈念 家内安全無病息災 志太四国三十三札所巡礼 平成元年十一月吉日 羽淵不動山・札所めぐり一行」 となっていた。
へぇ~私の地元の志太にも33霊場があるのかと初めて知り、それに羽淵不動山は同じ旧大井川町にある寺だった。
これじゃ探して見なければ街道歩きや霊場巡りを趣味としている者としては男がすたる。
なんてまた新しい宿題を思いついてしまった。全く自分でも好きだなぁと思います。

    
        三輪の常夜灯                 ムラサキカタバミか                テイカカズラ

  大崩山塊の西の麓を歩いていると時折このような大きな常夜灯に出くわす事があり、これもそのうちの一つです。
火口の中にはお札が見えるが折り曲っていて文字を読む事ができないが多分秋葉神社の物だろう。そのお札の上には電球が
ついている。お祭りのときには灯すのだろうか?

  次に目指すのは先程の金毘羅さんから見えた水道のタンクです。本来ならわざわざ高台まで行かなくても良さそうに感じるが
何と言ってもここはハイキングコ-スなのだから仕方ない。
農道の脇には紫のカタバミが咲いていたがこのカタバミは増えて困る。我家でも以前大きな黄色のカタバミを買ってきて庭に植えた
ところ、増えて増えて毎年取らなければ狭い庭が占領されしまうほどの勢いです。

  テイカカズラは先週の農道歩きでは見かけなかったが、この農道では既に盛りは過ぎていたが咲いていた。
このテイカカズラの漢字は 「定家蔓」 と書き、新古今和歌集を撰進した 「藤原定家」 の事だそうです。
その名前が花の名前になった謂れが結構面白いので再度紹介します。
 「都に来た旅の僧が雨宿りをしていると、若い女人が現れ、ここは藤原定家が建てた屋敷だと教えました。
そして女は僧を、定家と人目を忍ぶ深い契りを結んだ式子内親王の墓に案内します。
女は葛の絡んだ墓を見ながら、若くして死んだ定家の執心が、葛となって内親王の墓にまといつき、内親王の魂は安まることがないと
物語った。それを聞いた旅の僧は、内親王の成仏を願って墓の前で読経して内親王を弔いました。
その夜、内親王の霊が墓の中から現れ、成仏したことを喜び、報恩のためと舞を舞い、やがてもとの墓の中に帰り、再び定家葛に
まといつかれて姿を消しました。」
とさ。でもまた葛にまといつかれたら休まるときがないのではないかな?

     
         竹林の農道                 一面竹の葉の農道                 タンクが見えた

  この山も放置竹林が巾を利かせている。道路一面竹の葉に覆われた道は車だと滑りそうに思える。
だが直ぐ近くに竹林があれば陽射しが遮られるので暑さが加減されるが、竹林が離れるとサンサンと太陽を浴びながらの歩きに
なるので暑くてたまらなくなる。もう熱中症にはなりたくないので水分の補給を忘れないようにしなければ。

 
              兵隊寺常昌院の本堂                             兵隊さんの木造
             
  兵隊寺として知られている常昌院の本堂に入ると、あるはあるは兵隊の人形が正面本尊を祭ってある部屋にも、その左右の部屋
にも所狭しと祀ってあった。全部で224体もあるらしい。その謂れを書いたチラシがあったので紹介します。
 「明治に30年に入ったころ、常昌院が狭すぎるので本堂を建てたいと発願したが、檀家の少ない常昌院では本堂を新築する金が
無かった。その頃日本は日露戦争の勝利に湧いていたので、その大勝利を記念して本堂建設を呼びかければ檀徒以外にも賛同する
人があるかもしれないと寺の役員は相談していた。すると役員の中から 「戦勝記念なら英霊を顕彰する英霊殿として、志太郡下に
呼びかけたらよい」 という名案が出た。早速郡下の遺族に協力を呼びかけると4500円ほどの浄財を勧募する事ができた。
その浄財の一部から224体の木造彫刻を制作して、新築なった本堂にお祀りした。」
そうです。

中々の知恵者と行動力のある人がいたものです。
木造には1体1体に住所氏名の書いた板が立てかけられていました。今でもお参りにくる遺族の方はいるのでしょうか。
そう云えば同じように兵隊の像を祀った寺が、知多半島の新四国88霊場を歩いた時にもあった。あの像に比べればここの像は
室内に安置され、一体一体に名前も書かれ大事に祀られている。

 
                 みかん山への坂                              みかん山

  常昌院から少し戻り車は通れないが綺麗に整備された坂を登ってみかん山に向かう。
みかん山は岡部町時代に作れた施設だが、今は雑草が生茂り普通のミカン畑より手入れが悪い状態になってしまった。
このような施設は作るのは容易でも維持管理するのが難しいのだろう。先日歩いた白藤の里のアーモンド里造りも挫折していたが
ここもこのままでは同じ運命をたどるだろう。それでもアーモンドなら花見ができるがミカンではそれもできない。
しかもなったミカンも取れないとなるとわざわざここへ来る人がいるのだろうか。

大崩山塊:農道歩き3

2017-05-23 10:33:22 | ウォーキング
                       三輪分岐から岡部支所へ 
歩行記録                                                        H29-5-14(日)
歩行時間:7時間30分   休憩時間:1時間30分   延時間:9時間00分
出発時刻:7時15分     到着時刻:15時20分
歩  数:37、499歩(推定距離26.62km)    GPS距離25.4km
行程表
 焼津駅 0:50> 農道入口 0:25> 道標の峠入口 1:05> 兎沢遺跡分岐 1:20> 石部峠入口 0:25> 日本坂峠入口
 0:20> 鞍掛峠入口 0:10> 石脇口 0:25> 笛吹段 0:40> 西の谷口 0:20> 富士見峠下 1:00> 池の平 0:30>
 間違った分岐 0:10> 農道終点 0:25> 間違った分岐 0:40> 北のピーク登山道 0:20> 多福寺 1:00> 県道合流
 0:30> 岡部支所バス停
                                                             
                           三輪分岐から国1バイパストンネル上までの概略図
      
                           国1バイパストンネル上から岡部支所までの概略図
          

 
          ハイキングコースの標識がった                     ここでハイキングコースとはお別れ

  気になっていたハイキングコースと合流。これで少しは安心したがハイキングコースは大杉に向けてまたもや林の中に。
これからの農道もサラサラ自信は無いが何とかなるだろう。

 
         この分岐は上りの直線へ                          もう上では行き過ぎだと左に行く

  分岐に出ました。下から来た農道の突当りには 「高草山 ➩」 の大きな案内板が貼ってある。これは以前にも見た事があるが
どの道を来て見たのか記憶が無い。だが、下から来た道の正面に高草山の案内があるのは、下から来る車が多いからだろう。
なら、下からの道は三輪や本郷から来た道になる。これから行く道は余り車の通らない上から3本目の農道なのだから、ここは直進だ。

  上りの続く道を歩いているとピークのある稜線が見てきた。なんか随分上に来たしまったが大丈夫だろうか?
そんな不安を感じながら歩いていると次の分岐が見えて来た。もう上に行くのはよそう、ここは左の道だ。

          
                   葉が黄色くなった竹林                               藤の残骸

  葉が黄色く変色した竹林がある。竹は60年とか120年に一度枯れるらしいが、枯れる時は地下茎が繋がっている竹の全てが
枯れるという。そのため一つ竹林が全滅してしまう事があるようだ。この黄変はその前兆なのか? 分かりません。

  山でも藤の花の時季には遅く、色褪せた花が枯れて垂れ下がっている状態だった。

 
          アレー?稜線が無くなってしまった                        農道が行止りに!!

  この道が2本目でも3本目でも途中には北のピークへの登り口があるから、例え間違えたとしてもそこから引き返せばよい。
なんて思いながら歩いていたが、中々北のピークの上り口が出てこない。
登り口を見落としたのかと思い出したころ、覆い被さる様に続いていた右側の斜面が無くなり、突然上が開けた茶畑になった。
そんな馬鹿なと思いながらもここは記憶があった。北のピークへ初めて来たとき、登り口を探して農道を歩いていたら、この農道の
終点に出てしまったのだ。
アーァ! やっぱり2本目の農道に来てしまった。もう戻るしかないが何故北のピークの登り口が分からなかったのか?
帰り道は注意しながら歩いて、そこから山道を下の農道に下れば、数分で3本目の農道に着く事ができる。

 
              やっと戻ってきた                                  畑総記念碑

  注意深く歩いた積りだったが、登り口は見つからず元の分岐まで戻ってしまった。今度こそはと右の道を選んで下る。
分岐の少し下に畑総の記念碑が建っていた。これも見覚えがあったので道は間違いはない。

  農道の記念碑は建ててから時が経つと荒れている場合が多いが、ここの記念碑周辺は綺麗に整理されていた。
畑総とは 「畑地帯総合土地改良事業」 のことで “農業生産基盤の整備” を旗印に・農道の整備 ・農業用水施設 ・区画整理などを
主に行う事業で、費用負担は国が50% 県が25% 地元が25%を支出するとなっていました。
この法律のお陰で山間地にも農道が整備され、私も多いに利用させてもらっているので文句が言える立場ではないが、最近は殆ど
車が走っている形跡のない道が増えてきている。そんな農道を見ると建設時に農家負担が無かったからだと思っていた。
しかし地元が25%も負担すると知り驚いたが、農道の中には少しの畑のために延々と続く道もある。そんな道の負担を少ない畑の
持主持ったのだろうか? 少々信じられない話で、きっと抜け道があったのではと今でも疑っている。
通行料を取られても文句も言えない立場なのに “よく言うよ” と自分でも分かっています。
だいたい今回の農道歩きも農道があってこそのコースなのですから。

 
              今度も上に行く道を                              岡部が見えてきた

  畑総の記念碑横に農道の案内地図もあったが、現在地も書いてなく良く分からなかった。しかし今2本目の農道を引き返したのだ
から、もう上に行っても農道が途中で終わる事はない。いや分岐を必ず上に行かなければ3本目の農道に行けなくなってしまう。
そう分かればもう道の心配はない。ゴール予定の岡部の街も見えてきたので後一頑張りです。

 
              北のピークの上り口                             国1バイパスが近づいた

  やっと見覚えのある登り口を見つけた。と言っても見て分かったのではなく、反対側の降り口にあるカーブミラーに巻いてあった
赤いテープを見たからだった。これは北のピークを歩き始めた頃に私が付けたテープで、思わぬところで役に立ってくれた。
それにしても例え似たような法面の斜面が多いとはいえ、何回も歩いている所が分からないなんてボケたものだ。
2本目と3本目の間にある山道を下ればわずかな時間で来れたのに、農道を歩いたせいで45分も掛かってしまいました。

  国1のバイパスがいよいよ近づいてきた。最後の農道はバイパスの先の山を越すのだが、どの辺りを越すのかな。

          
                     独り茶刈り                           バイパストンネルの上辺りだ

  一人で茶刈機を操作してお茶を刈っている人がいた。茶刈りの風景は何回となく見ているが一人でやっているのは初めて見た。
手伝ってくれる家族が居なければ、こうして一人で刈るしかなく、暫くすると一人作業は無理になり放置茶畑になってしまう。

  次にあった分岐は下らずに右に伸びる農道に入った。前回はここを下りバイパスの南側に出たが、今日はバイパスの上を通り
できるなら旧東海道の岡部の街に直接下りたいと思っているが、果たしてどこに出るか楽しみです。
バイパスが真下に見えてきたので、この下はバイパスのトンネルの上辺りだろう。そして後は下りのみになることを願う。

 
          アレー? バイアパスを潜る?                         はて どっちに行けばいい?

  トンネルの上らしき場所を過ぎると期待通り道は下り坂になったが、やけに急な下りのうえに曲りくねった道になった。
その道が平らになるとガードが出てきて、そのすぐ先には山がある。
さっきトンネルの上を越してきたのに今度はガードを潜る? バイパスを越せば旧国1や東海道に出る筈なのに一体何なのだ?
方向化感覚を失い頭がパニックに陥ってしまったようだ。

  そのガードを潜ると丁字の分岐になっていて、一体俺はどっちに行けばいいんだと思案六筒。
アチコチをキョロキョロすると道路の左奥にトンネルが見えた。エッ!チョッと待った。旧国1にはトンネルは無いし、バイパスも1ヶ所
あるだけだ。するとここは越したと思ったトンネルの上をグルグル歩いて、またバイパスの横に出てしまった事になる。
方位磁石を取り出して見て見るとトンネル側は北を指し、反対側は当然南だった。
今日のコースは南の海側から北の岡部側に歩くのだと思い込んでいる。なので北のトンネル側に行きたいが何となく気が進まない。
それより電柱が続いている南側に下った方が民家が早く出てきそうだ。ここは安全策を取ろうと丁字路を右に曲がりました。

 
                   多福寺                                またバイパスを潜る

  バイパス側に見慣れた色の標識が建っていたので回り込んで見てみてみると、なんだー! 標識は岡部の山辺の道ハイキング
コースの物だった。標識に書いてある 「多福寺」 は以前来たことがあるが、見る物がなかったのでその後は来ていない。

もう道は分る。さっき方向感覚がおかしくなったのは、バイパスを越してから大分歩いたので、当然岡部の街の方に出るものだと
思い込んでしまったからだ。後で地図を見れば一目瞭然なのに、自分の頭を過信して地図を持たない事が原因です。と、一応表面的
には反省するのですが、多分これからも地図は持ち歩かないでしょう。頭の隅にこのようなパニックを楽しむ気持ちがある限り。

  もう道は分っています。バイパスの側道を行けば県道焼津岡部線にある本郷入口バス停に出ます。
それならもう少し農道を歩いて少しでも岡部の街に近づこうとまたもやバイパスのガードを潜ります。

 
               メキシコマンネングサ?                         メキシコマンネングサ?

  本当に最後の上りになるであろう道をヨタヨタ登って高台に出ると、そこには多肉植物のような葉を持った黄色の花が咲いていた。
当然名前は分からないので写真に撮り家で調べると、どうやら 「メキシコマンネングサ」 の様でした。説明を読むと
 「多肉質の帰化植物。グランドカバーに利用されるが、道や空地に野生化しているのもある。」 そうです。とこれも最後の受け売り。

 
           県道焼津岡部線に合流                                 岡部支所

  ようやく県道213号焼津岡部線の岡部小学校前に到着しました。
県道を右折すれば岡部支所はもうすぐです。支所の建物の後ろの山は、竹藪が山頂まで生茂り登頂意欲の湧かない山ですが、
これも藤枝市のハイキングコースの指定されている 「里山の道コース」 です。
実は今日は農道歩きが終ったらこのコースも歩こうと思っていたのですが、今は大分疲れてそんな気力は湧いてこない。
そう簡単に諦めたものの、この里山だけで態々歩きに来るのも詰まらないし、ハイキングコースを全て紹介しようと思っているので
いつかは歩かなければならない。余り遅くなると藪蚊や蜘蛛の巣攻撃に晒される恐れもある。なんて悲観的な思いばかりが湧いてくる。
それも全て私の脚力が衰えたからだと分かっているだけに淋しいゴールになってしまいました。、

大崩山塊:農道歩き2

2017-05-20 14:24:00 | ウォーキング
                   石脇合流部から三輪合流部上までの農道歩き 
歩行記録                                                        H29-5-14(日)
歩行時間:7時間30分   休憩時間:1時間30分   延時間:9時間00分
出発時刻:7時15分     到着時刻:15時20分
歩  数:37、499歩(推定距離26.62km)    GPS距離25.4km
行程表
 焼津駅 0:50> 農道入口 0:25> 道標の峠入口 1:05> 兎沢遺跡分岐 1:20> 石部峠入口 0:25> 日本坂峠入口
 0:20> 鞍掛峠入口 0:10> 石脇口 0:25> 笛吹段 0:40> 西の谷口 0:20> 富士見峠下 1:00> 池の平 0:30>
 間違った分岐 0:10> 農道終点 0:25> 間違った分岐 0:40> 北のピーク登山道 0:20> 多福寺 1:00> 県道合流
 0:30> 岡部支所バス停
                                                             
                           石脇合流地点から三輪分岐上までの概略図


 
       坂本Aの沢コースと岡コースの合流地点                      古墳のような茶畑

  石脇からの登山道を一登りすると坂本Aコースと合流する。丸く盛り上がり古墳の様な茶畑を左に巻けば沢コース、右の農道を
下れば岡コースで坂本の林叟院に出る。
ここで今日初めて会ったハイカーは岡コースを下って行った。更に岡コースを30人くらいの団体が登ってきた。
どうやらAコースの中でも岡コースの方が人気があるようだ。

  農道の脇でモノラックの手入れをしているお年寄りの農家の人がいたので、これ幸いと話しかけた。
 「あの丸い茶畑は恰好がいいですね。インターネットに良く写真が載っていますよ。」
 「そうかね。あれはうちの茶畑だが、80近い俺が一人で世話をするのも大変だが、役所の人に頼まれるのでなぁ。」
 「子供は手伝ってくれないのですか?」
 「儲かりもしない茶畑を親として息子にやれとも云えないしなぁー。孫がやってくれるといいだけれどな。」
 「まるで古墳のように見えるけど、開墾するとき古墳は出なかったのですかねぇ?」
 「大きい声じゃ言えないが、俺のひい爺さんやひこ爺さんが畑を起こした時は結構古墳があって、勾玉や刀が出てきたらしい。
刀って言っても錆びた直刀で鉄の棒のようだったらしいが、静岡の方の人がそれらを買いに来ていたので、酒代の足しになると
こっそり売ってしまったらしいよ。当時も本当はとどけなきゃぁ駄目だったけどね。」
 「昔の人も眺めのいいとこにお墓を作りたかったのですかねぇ?」
 「多分そうだよ。だけど死んだ人をここまで運んでくるのは大変だったろうなぁ」
 「死んだ人を運ぶのも大変だったけど、古墳の石を運んでくるのがもっと大変じゃぁなかったのかなぁ」 
 「石は結構あるから、上で取って転がしてきただと。思うよ」

 なんて楽しい話は続いた。更に話題を変えて
 「この茶畑の前はアブラギリを栽培して油を搾っていたのですか?」 と聞くと
 「アブラギリ? 知らんなー 絞ったのは柿の渋で小さな実のチンチロ柿を取ったもんだよ。」
 「チンチロ柿って鳴沢不動のとこにある信濃柿のことですか?」
 「信濃柿なんて言わなかったなぁ、あの頃はあちこちに生えていたけど今は見たことはないな。」
 「その頃ここは何を作っていたのですか?」
 「その頃は養蚕が盛んで、この辺りは桑の木で一杯だったよ。養蚕が駄目になってお茶やミカンになったけどね。」

話は中々尽きませんが余りお邪魔しても悪い。色々お話ありがとうございました。またお会いしたら話を聞かせてください。
でもちょとショックだったのはアブラギリを知らなかったことで、講演ではアブラギリの栽培は 「高草山中腹一帯で行われていた」 と
言っていたけどな。尤もそれは江戸時代か明治の初めのころの話で、農家の人が80歳としてもそれよりはるか昔の事でなので、
知らないのも無理はないか。

          
                            キバナコスモス か オオキンケイギク か?

  笛吹段の入口に黄色い花が咲いていた。一見キバナコスモスのように見えるが花びらの数は多いし、葉の形も違うようだ。
調べてみるとオオキンケイギクに似ているようだが、この花は特定外来生物に指定されていて国内での栽培は禁止されていた。
ではなんて花だろう?

 
                  笛吹段公園                               笛吹段から焼津港

  笛吹段公園には古墳が再現されているが最近では見に行くこともない。余りに手が入り過ぎていて見ても想像が湧かない。
それなら笛吹段遺跡の一部の坂本Bコースからヒサカキの林を潜り抜けて行く横穴式古墳の方が好きだ。中に入る事は出来ないが
入口からは海も見え、そこに座ると冬なら日向ぼっこのように暖かくのんびりできます。見学者とは一度もあった事はありません。

          
                      スイカズラ                                   ヨウシュヤマゴボウ

  スイカズラの花にクロアゲハがとまり蜜を吸っていた。人間でも吸えるのだから小さな蝶なら満腹になりそうだ。
ヨウシュヤマゴボウ(洋種山牛蒡)は周囲の養分を一人占めしたかと思うぐらい太い茎と大きな葉っぱを持っている。
まだ早いのか花は咲いていないが、咲いても茎や葉に比べ貧弱な花だ。実が色づいてくると牛蒡と云うより色から云っても
葡萄の方が合っている感じがする実が付きます。。
洋種の名前の如く帰化植物で原産は北アメリカとか。根や葉や実も毒があるので触らにほうが無難でしょう。それに色も付くし・・・・・

          
         高草山山頂のアンテナ                            山頂直下の登山口

  朝、瀬戸川を渡るときから見えていた高草山山頂のアンテナが大きく見えてくると、山頂へ直接登る最後のコース 「西の谷」
登山口がある。この西の谷コースは双耳峰の高草山の丁度鞍部から始まっている。
県道側の出発点はバス停坂本だが途中にある西の谷公園に車も置ける。ただこのコースは余り歩く人は少なく、今日見ても山道の
草はどの登山口より一番多かった。

  ここまで石脇、坂本A,Bの登山道は何度も農道を横断していたので、しつこいくらい登山道の標識が建っていた。
それも西の谷の標識があれば終わりです。この辺りは今日一番高い所なので後は基本的には下り坂になる筈です。

          
              シロダモ                                  ヘビイチゴ

  幽霊が両手を垂らしているように見えるのは、シロダモ(白梻)と云うクスノキ科の木で、大きな木になるらしいが目につくのは
この位の大きさで、垂らしたは葉が丁度目に入る位の高さだ。花や実も付けれらしいがまだ見たこことはない、いや見ているかも
しれないが気にもならない花や実なのだろう。
このシロダモの木は矢張り幽霊状態になっていないと私には判別できない。

  ヘビイチゴと思うけど違っていたら御免なさい。実はツルツルしていて美味しそうには見えない。毒ではないが食べも美味しく
ないそうです。勿論食べた事はありません。

 
                 ウツギ                                    富士見峠入口

  ウツギには丁度良い頃だと思ったが余り見る事ができなかった。最近は色の付いた空木が多く白い本来(?)のウツギを見る事が
少なくなったような気がする。

  このお茶の間を3分も登れば富士見峠です。名前の如く峠から富士山が見えるが、今日は霞が掛かっているのでまず駄目だろう。
態々行く気も起きず池の平への道を下る。

 
                ナルコユリの葉                                その蕾

  アマドコロ(甘野老)とナルコユリ(鳴子百合)の区別がつけにくい。大きな違いはアマドコロは花が2個づつつき、ナルコユリは
3個から5個付くとある。蕾の写真を拡大すると蕾は3個か4個だった。なので一応ナルコユリとしておきます。

 
                 池の平                                   池の平のベンチ

  池の平を農道の上から見る機会は少ないが、こうして見れば下界も見え昔の人が好みそうな場所だ。さらにここには昔から水が
湧いていたので集落があったとまでは思わないが墓があったに違いないと思う。
だが案内板はそんな事は書いてないので本当の事は分らないが、多分ここにも古墳があったのだろう。

  ベンチの上の茶畑と木の間を上に行けばすぐ稜線に出ます。稜線を左に行けば北のピーク、右に行けば富士見峠です。
前回の4年前の農道歩きでは、農道に入って、ここ池の平まで約3時間で来ているが、今日は4時間掛かってしまった。
今日は笛吹段下で10分ほど農家の人と話し込んでしまったが、それでも50分は遅い。分かっていても何となく悲しくなる。
更に4年前は稜線伝いに北のピークまで行き、ここにに戻って農道歩きを再開している。勿論今はそんな気はサラサラ起きません。

          
               ???                                    ???

  分かりません。植物の名は師匠と一緒でないと無理ですね。

 
               関方への分岐                                 三輪への分岐

  池の平までの道は自信があったがその先は農道は自信が無い。昔、車で走ったが中々三輪へ下ることができなかった事もある。
昨晩は一応地図を確認してきたが今の私の頭で覚えきれるわけはない。それでも地図を印刷してこないのだからいい度胸だ。
これが街道歩きや遍路だと手持ちの地図を作成し、片手に地図を持ちながら歩くのですからね。
多分山では時々迷うくせにして、何となく自信が湧いてくるのだから不思議なものです。

  池の平を出て最初の分岐は、左は富士見峠下の潮見平や方の上城址、笛吹段公園に出る道です。途中の分岐を下れば関方へ
向かいます。この道は通しでは歩いた事はないが途中の潮見平や方の上城址に行くとき何度か歩いています。

  次の分岐は自信がない。多分左に下る道は三輪に下ってしまう道だと思うので、そうだとしたら農道を完歩できなくなる。
それに池の平を出てすぐ分かれたハイキングコスーにまだ合流していないのだから下るのは早すぎる。
それなら農道の分岐は下らずに上に上にと行けばいいのじゃないかと思うでしょうが、そうもいかない理由があるのです。
これより先にある北のピーク下にある農道の上2本は、途中で終っていて通り抜けできないのです。農道を完歩するには上から
3本目の農道に入らなければなりません。そのためには下り過ぎても駄目、登り過ぎても駄目な状態なので気を使います。

大崩山塊:農道歩き

2017-05-18 16:48:33 | ウォーキング
                       焼津カンポ下から岡部の農道 
歩行記録                                                        H29-5-14(日)
歩行時間:7時間30分   休憩時間:1時間30分   延時間:9時間00分
出発時刻:7時15分     到着時刻:15時20分
歩  数:37、499歩(推定距離26.62km)    GPS距離25.4km
行程表
 焼津駅 0:50> 農道入口 0:25> 道標の峠入口 1:05> 兎沢遺跡分岐 1:20> 石部峠入口 0:25> 日本坂峠入口
 0:20> 鞍掛峠入口 0:10> 石脇口 0:25> 笛吹段 0:40> 西の谷口 0:20> 富士見峠下 1:00> 池の平 0:30>
 間違った分岐 0:10> 農道終点 0:25> 間違った分岐 0:40> 北のピーク登山道 0:20> 多福寺 1:00> 県道合流
 0:30> 岡部支所バス停
                                                             
                           農道入口から石脇口入口までの概略図
  

  昨夜は遅くまで雨が降っていたので予定していた志太奥の山は止めて、久し振りに高草山の農道歩きをする事に。
農道なら全行程舗装なので足元の心配は無いし、道路脇には色々な山草が咲きだした頃なので少しは期待もできそうです。
             
 
             瀬戸川からの高草山                                農道入口

  家を出る時はまだ霧雨状態だったが、焼津駅を歩きだした時はそれも止んだが高草山の上はまだ黒い雲が被さっていた。
でも降水確率は20%なのでそのうち晴れて来るでしょう。

  JRの東海道本線に沿って東に行き、小浜の海雲寺の手前から始まる農道が今日の出発点です。
農道の入口には農道名は書いてないが 「この道は、農作業を行うために作られた農道です。一般車両の通行は大変危険ですので、
関係者以外の通行は、ご遠慮ください。」
と書かれています。
こんな注意書きは時々見かけるが、そんなに危険な道なら農家の車両だって通行禁止だろう。なんて突っ込みたくなる。

 
           九十九折のモミジ(2013.11.30)                         道標の峠入口

  農道を登りだすと直ぐ大きなモミジのある九十九折になる。初めて歩いた時、カーブの所にわざわざ紅葉を何本も植えたのは、
日光のいろは坂を意識したのかもしれない、なら紅葉が綺麗かもしれないと思い歩いてみました。
紅葉ではなく黄葉でしたが、暖地のしかも町の近くにしてはマーマーな眺めでした。

  農道に入り15分も歩くと江戸時代に駿府の海産問屋砂張屋の建てた道標のある峠の入口になる。その当時は峠を越した先の
元小浜で製塩が行われ、取れた塩を駿府まで運んでいたので、この道を “塩の道” と言う人もいます。その根拠として途中にある
塩竃神社を挙げていますが、私には塩も運んだが主に運んだのは海産物ではないかと思っています。

 
            ニリンソウの群落                                一輪だけ残っていた

  農道と別れ、かっての塩の道を少し下った所にニリンソウの群生地があるので覗いてきました。
当然花の時季には遅いと思っていたが、案の定咲いていたのは一輪だけでした。

 
             ハナイカダ??                                  ハナイカダ??

  農道に戻りまた上り坂を歩きはじめると、葉の上にポツンと蕾状の物がのっている葉っぱがあった。
その時は当然ハナイカダと思ったが、今写真を見ていると蕾が葉の中央に無い。ネットで調べるとハナイカダは
 「葉は長さ10cmほどで卵形、フチにぎざぎざがあります。春に葉の真ん中を縦に走る葉脈(主脈)上に1-3輪の花を咲かせます。」
しかし写真の葉はフチにはギザギザは無く、蕾は葉の真ん中ではなく、しかも葉脈の上でもない。
どうもハナイカダではなさそうだが、では何の花だろう?

 
                  ミカンの木                                  ミカンの花

  カンポの尾根の下の畑はミカン畑が多く、そのミカンは今が花の真っ盛りで、木は白い花が胡麻塩を振った如くなっている。
しかし花が少ないのか桜のような見栄えはない。こんな状態ではミカンの花を態々見に来る人はいないのは当然かな。
花をアップにしようと花に近づくと仄かに香りが漂ってくるのは良いが、肉厚の花は桜のような儚さがないのも人気が無い一因か。

          
             ????                                  ???

  この白い花は今回一番多く目にした花で、多い所は農道法面一面に垂れ下がって咲いていた。だが名前が分からない。
ウツギの一種かと思ったがウツギのような筒状の花ではなく、ハッキリ5弁に分かれている。
また、テイカカズラ(定家蔓)もこんな格好に咲くが、花弁の先がスクリューのよう曲っているのでこの花ではない。
 「高草山・低山の四季博物誌」 には春咲く白い花として、ウツギ、スイカズラ、イボタを挙げているが見る限り違うようです。

 
               スイカズラ(吸蔓)                              スイカズラ(金銀花とも)

  スイカズラは花に特徴があり甘い匂いがするのですぐ分かった。
黄色と白の花が咲いていたが、黄色の花は触るとすぐ落ちてしまうので、白い花が枯れる前に変色するのだろうと思っていた。
だが先程の高草山の博物誌には
 「白と黄色の花を混在させているのでキンギンカ(金銀花)とも呼ばれる。スイカズラ(吸蔓)は花の蜜が甘いから、また冬でも葉を
全部は落とさず内側に巻いて寒さに耐えるので、ニンドウ(忍冬)という名前もある。」


     
   仏炎苞は暗紫色で付属体が白く太い    仏炎苞は暗紫色で付属体が黒い     仏炎苞は緑色でで付属体が白く細い

  蔓が延びていないのでどれもがマムシグサ(蝮草)と思われるが、今日見たものでもこれだけの違いがある。
最初に見た付属体が白く太い物は思わずユキモチソウ(雪餅草)かと思ってしまった。だが今年山野草展で見たユキモチソウの
付属体は、もっと真っ白で正しく雪や餅の白さだった。そして付属体自体はもっと扁平で大きかった。

  次に見たのは仏炎苞は同じように暗紫色だが付属体が黒くて小さかった。
更に3枚目のマムシグサは一番多い種類で、仏炎苞は緑色で付属体が白く細い物だ。
これらの全てがマムシグサとしても名前が違うだろうと調べてみたら、仏炎苞が紫褐色のもをムラサキマムシグサ。
仏炎苞が緑色をしているのがアオマムシグサと記した物があった。それ適用するなら前2枚はムラサキマムシグサで、3枚目が
アオマムシグサとなるのだろうが、付属体の色や太さで分類はしていない。ようは良く分からなかった。

      
          崖の上の鉢の巣箱               鉢が活動している巣箱             切株を利用した巣箱

  大崩山塊の志太側の農道には日本蜜蜂の巣箱が沢山設置してある。農道の管理者は巣箱を撤去するよう貼紙をしてあるが一向に
減る様子はない。だが巣箱はあるが鉢が活動しているのを見るのは珍しく、蜂のいる巣は一割も無いと思う。
日本蜜蜂は大がかりな養蜂が行われている西洋蜜蜂と違い、蜂は小さく採ってくる蜜の量も少ないので2~3年に1度しか蜜は取れない
ようです。それでもこれだけ巣箱があるという事は蜜が美味しいのか、それとも高く売れるのか・・・・・

  1枚目の巣箱は自然の岩の中断にあり、どこから登って設置したのだろうかとルートを探してしまいました。
大崩山塊は登山道を歩いていると岩場は無くなだらかな山だが、山の斜面を切り崩して作った農道の法面は岩場をよく目にします。
2枚目は一般的な設置法で農道法面のブロックの上に巣箱を置いてあります。この巣箱が撤去の対象でしょうか。
3枚目は切株を利用した珍しい設置方法でした。こんな状態で蜂蜜をどうやって回収するのか不思議です。

 
            焼津の街並みが見えてきた                             山桑の実

  農道が兎沢遺跡と分岐した先から焼津の街並みが見えてきた。線刻画の壁画がある兎沢遺跡からも、これと同じような景色を
眺める事ができるので、昔の人も私と同じように眺めがいい所に眠りたいらしい。それにここなら墓石が苦労しないで手に入りそうだ。
写真では小さくて見にくいが焼津港や、東海道本線、国道150号線、東海道新幹線、東名高速も写っています。
左の尾根はカンポの尾根です。

  この山域は江戸時代はアブラギリを栽培して灯油を絞っていたが、明治なり石油が入ってくるとアブラギリは廃れ、養蚕が盛んに
なると桑の栽培に移行した。更にミカンや茶の栽培も盛んになってくると養蚕も廃れ桑の木も伐採されてしまった。
その名残だろうか大崩山塊を歩いていると時々桑の木に出会う事がある。特に方の上城跡の上には大きな桑の木があって、時季に
なると道が赤黒くなるほど桑の実が落ちている。何個か実を取って食べたが高すぎて中々取れなかった。
ここの桑の木なら手ごろな高さなので実は取りやすいが、まだ白や赤で食べ頃の黒にはなっていない。上手くいかないものです。

 
                 ヤマブキ                                    ヤマブキ

  今年見納めのヤマブキでしょう。

 
              314m峰入口                                   イロハモミジ

  傾斜が強くハーハーしながら歩き、ようやく農道が下り始めたら、そこに314m峰の入口がある。
農道右側の藪木が道にせり出した所から踏み跡が上に向かって付いてます。良く見れば人が入ったように草木が分かれている
ようにも見えます。314m峰から尾根伝いに西に向えば石部峠上のピークに出ます。次にある水車小屋から石部峠の道に行くより
近道なのは間違いないが、314m峰までがかなり不鮮明な踏み跡です。尤も上に上にと向かえば着く事は出来ますが。

  314m峰入口を過ぎると農道の下りが始まり、下りは見晴台の先まで続きます。
モミジの緑の葉の上に赤い竹トンボが沢山ついています。実際飛ぶ(?)ときも竹とんぼのように回りながら飛んでいきます。

          
               花沢集落                               満観峰入口

  石部峠入口や日本坂峠の入口を過ぎて花沢集落が下に見えてきたら鞍掛峠の入口はすぐです。
写真の前方右にある法面の斜面がその入口です。ここまでハイカーにも農家の人にも合わなかったが、ここでは人の声がした。
今日は日曜日なので当然満観峰に行く人は多い筈なのに、声はすれども姿は見えずだった。

 
         2月7日のときは枝が赤かった                          正体はモミジだった

  今年の2月7日にアドベンチャーハイクと称して大崩山塊を歩いた時、最後に高草山と鞍掛峠の鞍部から下って農道に合流した
地点です。その時、枝先の赤い木が2本あり何の木か分からないまま紹介したが、今日来たら何の事はないモミジの木だった。
しかしモミジはモミジでも種子を飛ばす竹とんぼは付いていないのでイロハモミジではなさそうだ。
でも何モミジかわ分かりません。

 
                 ???                                    見晴台

  モミジの木の横に、細くて短い赤い棘がブラシの様に枝先生えている木があった。まるで赤いカスミソウに見えない事はない。
いやカスミソウより霞んでいて赤い棘が花のように見えていた。一体なんの木でしょうかねぇ?

  見晴台には藤棚があり残りの藤が垂れ下がっていた。勿論(?)ここにも誰も居ません。
見晴台が過ぎ今まで下り坂だった道が上りになると鞍掛峠への分岐に出て、ここを鞍掛峠に向えば岡部の廻沢集落に行きます。

  
                 花沢城跡                              兎沢遺跡近くからの花沢城跡

  鞍掛分岐から少し下りになった所の分岐を直進すれば花沢城跡のあるやきつ辺の道に出る。今日はこの分岐を右折して急な登りに
なった農道を行く。
暫く行くと左側に頂上部の樹木が伐採され広場になっている山が見えるが、それが花沢城の曲輪跡です。
以前焼津市の講演会で花沢所を整備すると聞いたが、ここから見る限りまだ整備工事は始まっていないようです。
2枚目の写真は今日歩いてい来た兎沢分岐の上から見た花沢城跡の山ですが、山頂が平らになっていることが分かると思います。

  「桶狭間の敗戦で力をなくした今川を、甲斐武田信玄は好機とばかり駿河侵攻を計った。駿府を平定した武田勢は更に大崩の山を
越えて遠州地方にもその勢力を伸ばすため花沢城や田中城に攻め寄ってきた。
花沢城主だった大原肥前守資長は一ヶ月近く抗戦したが落城した。」


 
                焼津港が見えてきた                          石脇からの農道と合流

  更に農道を進むと焼津港が見えてきた。ここからは焼津と藤枝の志太平野の景色が嫌と云うほど続きます。
尾根の上に見える建物は “簡保の宿 焼津” です。その右の長い堤防内が新焼津港です。
やっと石脇からの農道に合流です。

 
              焼津港が清々見える                               石脇登山道

  ここまで来ると焼津港の全景が見えてきます。中央に見える広い建物はサッポロビールの焼津工場です。

  高草山に登る石脇口の登山道の標識に遭遇です。石脇口は後3度ほど農道を横断するのでまだまだこの先標識は出てきます。
石脇口だけでなく高草山に登る坂本Aコース、Bコースの標識も何度も顔を出して来ます。その標識を見るたびに農道歩きなんか
バカらしくなってきたが我慢、我慢。

藤枝ハイキングコース案内 NO11A

2017-05-15 09:08:11 | 藤枝ハイキングコース




                                                    ↑藤枝市HPより
    ********************************************************************************


    ********************************************************************************

             1・清水山入口バス停                          2・最初の信号を右(北)折
 
 1・ 清水山入口バス停で下車したら、金吹橋(西)の方向20m程にある信号に向かう。
 2・ 信号を右折し北上する。

             3・団地の中を北上する                            4・横断歩道を渡る
 
 3・ 団地の中の道を北に上る。
 4・ 国道1号線バイパスの跨道橋を渡った先の横断歩道を渡る。

             5・清水寺方面に左折                             6・清水寺方面に直進
 
 5・ 清水寺への道路標識に従い左折する。直進する道は藤の里トンネルへ向かう。
 6・ 藤枝総合運動場には曲らず清水寺方向に直進する

               7・厄除地蔵                                  8・不動明王
 
 7・ 8・ 厄除地蔵や不動明王を参拝しながら農道を進む

                  9・清水寺参道                                10・観音堂
 
 9・ 清水寺の石段を登る。
10・ 駿河一国三十三観音一番札所 音羽山清水寺観音堂

              11・西国33観音石仏                             12・農道への近道
 
11・ 漢音道の裏側にでる。
12・ 石仏の左端から農道に出る近道がある。

             13・清水山コースとの分岐                          14・左の道を行く
 
13・ 近道を抜け農道に出るとすぐ清水山から蓮華寺池に行く道との分岐がある。分岐を左に行く。
14・ 古道の趣がある道を抜け標識のある分岐に出たら左の道を下る。木の標識の後ろに古い石の道標があり 「右・花倉」 と
    あるが今は道は途絶えていた。

             15・経塚山との分岐                             16・新東名と三角山
 
15・ 標識には経塚山の表示は無いが直進すれば経塚山に向かう。烏帽子形山は右に下る。
16・ 前方下に新東名が見え、その上にはこれから行く三角山が見えている。

          17・ショウジョウバカマ(猩々袴)                           18・新東名のガード
 
17・ 季節によっては道の土手にショウジョウバカマが咲いている。
18・ 新東名のガードを潜る。

             19・車道を右折する                                20・農道に入る
 
19・ 花倉と助宗を結ぶ車道に出たら右の花倉方面に向かう。
20・ 200m程行くと左に屋根の傾斜の強い家がある。その横の農道に入る。

              21・タンクの所を右折する                          22・駿河湾が見える
 
21・ 右にタンクが見えてたら標識を見落とさないで右折する。
22・ 右折して高台に出ると周りが開けて景色が見えてくる。

              23・右の道を行く                             24・タンク?の横を行く
 

              25・景色が見える                             26・作業小屋の横を行く
 

              27・分岐を左                               16・小屋の横を直進する
 

               29・農道終点                                 30・山道開始
 
35・ 正面に作業小屋が見えてたらそこが農道終点です。
36・ 作業小屋の横から山道になる

                 31・山道                                   32・山道
 

               33・山道                                 34・山道
          

               35・山道                              36・三角山山頂
          

                                  37・三角山からの展望

37・ 三角山山頂からは藤枝方面が開けていて、今歩いてい来た経塚山から清水山の山並が見える。

               38・山道                                 39・山道
          
38・ 三角山からは急な下りになる。
39・ 左側は放置茶畑になっていて錆びたモノラックのレールが残っている。

                          40・山道                               41・鞍部
          
41・ 三角山と烏帽子形山の鞍部には標識が立っていて、ここから烏帽子形山までは上りが続く。
    前方上に見える標識は花倉城跡の分岐ヶ所。

          42・花倉城跡分岐                 43・山道                      44・山道
      
42・ 花倉城跡からの道の合流部分。ここから山頂までは往復してきて、ここを花倉城址に向かう。

                   45・山道                                   46・山道
 
45・46・ 山頂かと思うと違う偽ピークが幾つか続く。

               47・A・Bコース合流                            48・A・Bコース合流
 
47・ 道が下りになった先で中山からのBコースに合流する。竹のベンチがある。
48・ Bコース側からの合流部。


                    山頂からゆらくのコース案内はここをクリックしてください
        ********************************************************************************
       Bコースを見る   ページトップへ戻る    藤枝ハイキングへ戻る      メインメニューに戻る   
 

藤枝ハイキングコース案内 NO11B

2017-05-15 09:06:30 | 藤枝ハイキングコース




                                                    ↑藤枝市HPより
    ********************************************************************************


    ********************************************************************************

             1・中山上バス停から                             2・瀬戸口橋を渡る
 
 1・ 中山上バス停で下車すると瀬戸川に架かる瀬戸口橋と山が見えている。この山は烏帽子形山ではありません。
 2・ 瀬戸川に架かる瀬戸口橋には標識は無いが、橋の袂に 「高山寺」 の案内がある橋を渡る。

             3・紺屋集落の民家                               4・農道脇の竹林
 
 3・ 橋を渡り道なりに紺屋集落の中の道を行く。途中に蕎麦屋があった。
 4・ 左上の小さなお堂を過ぎると民家は終り右が沢になり竹林などが出てくる。

               5・農道を直進                               6・農道を直進
 
 5・ 左に行く道があるが直進する農道を行く。これ以外にも分岐する道はあるが道なりに太い道を歩けば良い。
 6・ 農道を直進
                7・橋を渡る                                8・・ギボウシの葉
 
 7・ 左に小さな家が幾つか集まった陶芸の窯元(?)の建物がある。建物を過ぎると道は右に大きく曲がり橋を渡る。
 8・ 傾斜のきつくなったの道わきには野草が目につきだす。

             9・ホウチャクソウ(宝鐸草)                            10・ヤブレガサ
 

             11・茶畑の間を左に曲がる                          12・高尾山が見えた
 
11・ 茶畑の間の道を左折する。直進する道はすぐ先で舗装が終っている。
12・ やっと視界が開け菩提山・笠張山・高尾山などが見えだす。

             13・つつじ                                  14・農道を左折(要注意!)
 
14・ この分岐が最後の分岐で左折するのだが、標識は無くどちらの道も同じくらいで判断がつきにくい。
    最初歩いた時は間違えて直進して農道終点まで行ってしまった。農道終点手前にはモノラックのレールが横断していた。
    一応ピンクリボンの目印を左側に付けてきたが、いつまであるか分かりません。注意してください。

               15・農道脇の茶畑                               16・農道終点
 
15・ 分岐を左に曲がり右に回り込むように行くと小高くなった茶畑が見えてきます。
16・ 小高い茶畑が見えてくると、今まで登りばかりの道が下りになり、いよいよ農道も終点です。

             17・最初の標識(合成)                           18・竹林の中の道
 
17・ 鞍部になった竹藪の中に今日最初の標識が左右に建っています。
18・ 沢の源流部の道ですが見た目より歩きやすい道です。

               19・階 段                                  20・Aコースと合流
 
19・ 古いながらも階段もある。
20・ その階段を過ぎれば上にベンチが見えてきます。そこがAコースとの合流部です。
    ここに来て初めてハイキングコースの公的標識が建っています。
    このコースは新しい 「ふじえだハイキングコースガイド」 から紹介されたコスで、ガイドには次のように紹介されています。

    「① 中山バス上停から瀬戸口橋を渡り、高山寺のある集落内を進みます。
    ② 集落を抜け、しばらく農道に沿って歩進むと、Aコースに合流し、烏帽子形山山頂につながります。」


    Aコースの距離が長いため中山コースを追加するのは歓迎だが、ガイドブックで紹介するなら少なくても最後の農道分岐には
    標識が必要だと感じます。


                       山頂からゆらくのコース案内はここをクリックしてください
      ***************************************************************************************
       Aコースを見る   ページトップへ戻る    藤枝ハイキングへ戻る      メインメニューに戻る

仲間ウォーク:天王山

2017-05-12 10:37:51 | 低山歩き
                       仲間ウォーク:天王山周回 
歩行記録                                                        H29-5-7(日)
歩行時間:3時間25分   休憩時間:0時間50分   延時間:4時間15分
出発時刻:9時00分     到着時刻:13時15分
歩  数:13、094歩(推定距離9.29km)    GPS距離7.8km
行程表
 白藤の里 0:25> 白藤の里 0:35> 葉梨神社 0:35> 天王山 0:20> 展望地 0:25> 一宇戸坂峠 1:05> 白藤の里
                                                             
                              天王山周回ルート概略図
               

  4月の仲間ウォークのときクマガイソウの話が出て5月は葉梨の天王山に登ることになった。
となれば白藤の滝から葉梨神社経由で天王山に登るようになるのだが、そこから先でハタと困った。
藤枝市の天王山ハイキングコースは、山頂からは神社に戻る様になっているが、それでは余りに距離が短すぎる。
かと云って山頂から先の一宇戸坂峠は、峠への下りが一部不鮮明で藪漕ぎの心配がある。さてどうしたものか・・・・
マー藪漕ぎと言ってもほんの数mなのだから、私が先頭に立てば何とかなるだろう。と決行することにしました。

  事前に渡してある案内を見て 「この滝は水が少ないが、ネットにあった写真は水が多かった。今日はどうかなぁ?」 と仲間の
一人がのたまう。写真を見せてもらうと確かに凄い量の水が一気に滝壺になだれ込んでいる。
普段この滝は水量が少なく、白い水の流れが垂直の岩壁を滑るように流れ落ちている様から白藤の滝と名が付いたと思っていた。
しかし写真の滝は様相が全然違うので間違って印刷したのではないかと本文を読むが、白藤の滝に間違いなさそうだった。
滝を楽しみしている仲間には悪いが、多分今日も滝は、白藤の名の如くチョロチョロした滝しか見る事ができないだろう。

          
              民家の藤                                 駐車場の白藤

  地域活性化センター白藤の里の駐車場に車を停めさせてもらうのだが、文句を言われるかビクビクしていた。
だが広い駐車場に停まっていた車は1台だけで人は誰も居ませんでした。
そんなにビクビクするなら滝の近くの駐車場に置けばよいのだが、それだと帰りが大変になると思ったのです。
これで結構を気を使うんですよ仲間ウォークでは。これが一人ならまず車は使わないし、車で来ても滝の駐車場に停めますから。

  滝の駐車場の白藤は満開のものもあったが、メイン藤棚の白藤はまだ蕾状態で大分早そうだ。
 “白藤まつり” と書かれた看板が置かれていたが期間も書いてないし何時のもか分からない。後でネットで調べたら5月5日が
お祭りだったようだ。今年は桜もそうだったがここも花のない花祭りだったのだろう。

                    
                       観音滝                          白藤の滝の滝壺へ

  「ホントだ。水が少ない!」 仲間のガッカリした声がやけに胸に響く。私の責任ではないといえこの日を設定した責任はある。
観音滝も白藤の滝も先月来た時より更に水の量が少なかった。
仲間の一人が 「これなら滝壺まで行けそうだから行ってくる」 と登りだしたが、他の仲間は後に続かない。
私も以前に行った事があるので下で待つことにして、戻った仲間に 「滝壺はあった?」 と聞くと 「無かった」 との返事。
ネットの写真のような瀑布なら当然滝壺ができそうだが、滝壺らしき物が無いという事はあのような水量は珍しいのだろう。
あの状態の滝を見るには大雨や台風の後しかないのかもしれないが一度は見てみたいものだ。
 「旅とは何かを見残してくることだ」 とは云え、ある程度の歳になると見残しはその言葉通りの見残しになってしまいそうです。
この “一度はみてみたい” も “もう見る事はない” と同義語になってしまいそうです。

 
                標識修理                                    修理済

  先頭を歩いていた仲間が農道を曲がらず真っすぐ進んでいくので慌てて 「左に曲がって」 と声を掛ける。
昨年12月に歩いた時はハイキングコースの標識が割れて落ちていた所だが、その割れた標識も今は無い。
 「これじゃぁ標識が無ければ直進してしまうよ。」 と仲間がブツブツ言う。
すると 「アレー? ほらその草の中に標識らしい物があるよ」 と標識の周りの草を折りだすと、上のボルトが外れ下向きになって
字も読めなくなった標識が出てきた。
昨年はこの標識に気付かず、藤枝市のハイキングコースの紹介ブログには 「標識が無いので注意!」 なんて書いてしまった。
さすが二つの眼より十の眼だ。今日帰ったら紹介ブログを訂正しておこう。

  草の中から標識が顔を出したが読めないじゃぁ意味がない。色々やったが平らにはならなかったので、下のボルトも外し直接
ブロックの上に置く事にした。これで一応見えるようになったが草が延びてくればまた隠れてしまうだろう。が、当座の厄には立つ。

 
              クマガイソウの葉                                   天王山

  葉梨神社のシャガの群落はまだ健在だったので 「これだけの群落は余りないよと」 と自慢するが反応は今一。
そして期待のクマガイソウは、アーァ 矢張り花は枯れて座布団のような草の上に残っていたのは、何も付いていない茎だけだった。
私が 「2週間前に来た時は全部花が咲いていたけどなぁ」 とチョビチョビ言うと 「アッ! きたない。自分ばっか」 と返ってくる。
慌てて 「いやあの時は烏帽子形山へ登ったついでだった。」 と弁解したが何処まで分かってくれたか。
それ程花に興味を示さないくせに、こういう時は調子に乗って言い募ってきます。笑いながらですが。

  神社から始まる急な坂も、あと何mの標識に 「遠すぎる」 とか 「近すぎる」 なんて文句を言いながら歩けば苦痛も和らぐ。
ハイキングコースはこの道を下るのだと話すと 「ここの下りは滑りそうだから嫌だ。」 と都合の良い返事が。
 「今日歩く一宇戸坂の下りも急だが、この道みたいに下が固くないから下りやすい」 と予防線を張っておいた。

 
                 天王山                                      竹林の道

 景色の見えない天王山では短い休憩だけで先に進む。ここから先は少し踏み跡が薄い所もあるがどうと云った事はない。
そこでいつも前を歩いているOさんに 「Oさん踏み跡が薄い所もあるけど先頭を行って」 と頼む。
 「アーいいよ。」 と言って先頭を歩いてもらったが、これが中々イエとっても親切で、邪魔な木や竹があると取り除いてくれる。
私なら踏みつけるか蹴とばすぐらいで手でどかす事は余りないのに随分の違いだった。

  Oさんは私が期待していた、イエ心配していた桜の大木の所で案の定踏み跡を間違えてくれた。
 「アッ! そっちではなく右に曲がって」 と言うと 「どうして右って分かるの?」 と聞いてきた。
実はここで私も最初に来た時は、桜の大木に気を取られ、ついつ直進して桜の方に行ってしまった場所です。そこで
 「ほら少し先に目印があるでしょう。こういう場所は先の目印を確認しながら歩かないと踏み跡を見失うよ」 先輩面をした。

 
             ここから急な下りが始まる                         展望地から大崩山塊

  景色も見えない稜線だが、そんなこんなと和気藹々と喋りながら、踏み跡の薄い稜線歩きを楽しむ事ができました。
正面に目印の付いた杉の木が現れたら、ここから向きを左(西)に変えて急な下りに入る。その前に腹ごしらえをしようと、右側に
続いていた槙の間を潜って放置(ミカンかな)畑の上に出て昼飯にした。
ここは天王山からの道で唯一景色が見られる場所だが、放置されたままなので雑草や雑木が延びてきた年々視界が悪くなって
きている。それでもまだ大崩山塊は見えています。

     
        急な下り坂は                      更に急になり            最後は留めの急坂になった

  急な下りが始まり 「勢いをつけないで一歩一歩下って。」 と注意をすると皆黙々と下りだした。
お陰で転倒する者もいなく無事農道の見える場所に到着。問題の藪漕ぎはここからなのだが高々数mに過ぎない。
 「左に下るのだけど目印が付いているので探してみて」 と言うと、今すぐ下に農道を見たばかりなので安心感が湧いたのだろう、
皆は 「どう」 「どう」 と言いながら藪を分けて目印を探しだした。

 「ウワァー!」 とか 「イテェ!」 の叫びが上がりだしたので、慌てて 「どうした?」 と声を掛けると 「竹の葉に滑ったぁ」 との返事。
これは私の失敗です。この場所は私が先頭になって下る予定だったのが、農道を見て私もホッと気が緩んで 「探してみて」 なんて
言ってしまったのですから。
気を取り直して 「下に壊れたような階段が見えるところはある?」 と聞くと 「階段か分からないが段々がある」 との返事がした。
 「そこをゆっくり下り、道路と同じくらいの高さの所に道路に向かう踏み跡があるから、そこから道路に出て。」 と指示をした。
 「ウワァ! イテエ! 棘のある木を掴んじゃたぁ」 との情けない声が最後の悲鳴でした。

  道路に出てから確認すると1回転んだのが2名、2回も2名、3回が1名でした。
もう山歩きは懲りたのではないか心配でしたが、登り口にあった太い竹や目印を隠している藪を取り除く余裕があったので正直
ホッとしました。でも怖くて感想は聞けませんでしたが。

 
             一宇戸坂峠の標識                                  峠の地蔵

  ここから白藤の里まで舗装された農道歩きです。ガードレールには峠の標識が建ち、地蔵尊も祀られています。
この道は藤枝の葉梨集落と岡部の羽佐間集落を結ぶ古道だと思います。その古道を探すためこの山域には何度も来ましたが、いつ
来てもこの道は工事中や通行止の看板が取れた事が無かった。
去年1月に来た時も通行止の看板はあったが、ダメ元と強引に行くと工事はやっていなかったが、農道は途中50m程が繋がって
いなかった。どうやら崩れやすい沢のために工事を中断しているようだったが、歩くには支障なかったのでそこから羽佐間集落に
出てビク石に登ってきた。それが今日歩いてみると工事中の看板は撤去されていたので多分工事は終り農道は開通したのだろう。

 農道途中にある手製の小さな標識の “ビク石” を指して 「ここからビク石に行けるが、ビク石手前の大沢集落にも行けるよ。
竹林が迷路になっていて面白いけど行ってみる?」
と声を掛けるが全員無言。やはりさっきの転倒で懲りたのだろう。
来月の仲間ウォークが心配になってきました。

 
             白藤の里:藤棚と鯉幟                                兜 展

  白藤の里は朝と違い20台くらいの車が停まっていた。一応白藤の藤棚はあるがまだ蕾状態で後ろを泳ぐ鯉幟も淋しそうだった。
建物も開いていたので中に入り 「兜展」 を見学する。
係りの人に 「アーモンドの里というけどアーモンドは何処に植えてあるのですか?」 と聞いてみた。
これは先月清水山に行ったときタンクの所で農家の人が 「白藤の里ではアーモンドう植えてアーモンドの里にする積りだったが、
植えたら植えっぱなしで手入れをしないので枯れちゃった。」
と言っていたのが頭にあったからだ。
 「入口左右に2本と建物の周りに少し植えてあります。」 「へ~それだけ?」 と突っ込むと
 「あの竹藪の所に明治製菓から300本のアーモンドの苗木を寄付してもらって植えたのですが、竹藪の消毒が強すぎて地元の
農家の人が管理してくれた5本以外はみんな枯れちゃいました。」
と竹林の丘を指を指した。
 「て事は、手を入れなかったから枯れちゃったんだ。」 といやらしく更に突っ込む。
 「アーモンドって手入れをしなくても育つって聞いていたから、特に手は入れなかったけど枯れると思わなかった。」
 「300本もあれば手入れも大変だから、今度はリンゴの木のオーナー制度のように、アーモンドもオーナーを募って手入れをさせ、
収穫した実の一部をオーナーにやる様にしたらどう?」
 「ここの植えたアーモンドは花を見るアーモンドで実はつかないそうです。」
そう上手くはいかないようですな。

 下りで失敗したモヤモヤを係りの人にぶつけてしまうなんて男らしくない。申し訳ありませんでした。

          
                  タラの芽・茶の葉・釣鐘人参                           ツリガネニンジン

  今回も道すがらタラの芽、と云うよりタラの若葉と前回意外に美味しかったツリガネニンジン。それと放置茶畑からお茶の
新芽を戴いてテンプラにして晩酌のつまみに。そうそう花倉城跡で取った蕗のキャラ蕗もまだ残っていました。
  ツリガネニンジンは忘れないように写真に写してきたが、何処にもありそうな雑草で、これでは来年まで覚えておけそうもない。

島田3山縦走 3

2017-05-08 16:43:38 | 低山歩き
                       双子山から千葉山へ 
歩行記録                                                        H29-4-30(日)
歩行時間:7時間30分   休憩時間:1時間30分   延時間:9時間00分
出発時刻:6時45分     到着時刻:15時45分
歩  数:37、135歩(推定距離26.36km)    GPS距離22.3km
行程表
 六合駅 0:50> 東光寺本堂 0:25> 悠久の森 1:05> 双子山 1:20> 智満寺 0:25> 千葉山 0:20> ペンション
 0:10> ドウダン原 0:25> 伊田和里の湯 0:40> 矢倉山 0:20> 農道合流 1:00> 国1バイパス 0:30> 島田駅
                                                             
                           双子山から千葉山へのルート概略図
                       

  ペンションからドウダン原に向かう道は下りで楽に歩けるが、下りも上りもつつじ見物の俄かハイカーで賑わっている。
その中で古いザックを背負った色黒い一人歩きの老人ハイカーは、周りとは浮いた存在に見えていだろう、なんて自意識過剰気味な
私は考えてしまうので疲れる事はなはだしい。
でもそんな道を10分も歩けば俄かハイカー達の目的地ドウダン原に着く。

 
                 ドウダン原                                ドウダン原の石仏

  ドウダンツツジは既に盛りは過ぎていたがまだまだ見られる状態だった。
この道は伊田から智満寺まで続く “伊田丁仏参道” になっているので、道脇に33ヶ所に亘って石仏が祀られている。
初めてここを歩いたのも丁仏参道をお参りしながら智満寺に向って歩いた時で、それ以来花や紅葉の時季を含め何度も来ている。
そのため見慣れた景色となってしまい最初に来た時の感動はもう湧いてきません。

          
            満開のドウダンも                           アップにすればまだ可憐だった

  盛りを過ぎた中に1本だけ満開の木があり、花をアップにして写せばそれなりになった。
それにしてもこのような高さに咲く花を写すのは楽でいい。小さな草花だとしゃがみ込んでもまだ高く、寝転ぶようにして写さなければ
ならない時もあるので、疲れが出てくるとついついパスしてしまう。

  ドウダン原を過ぎると俄かハイカーとはお別れでまた静かな一人旅の道になります。

 
        尾川と伊太和里の湯との分岐                             伊太和里の湯と矢倉山

  ドウダン原からの快適な道を下って行くと、丁仏参道と伊太和里の湯のとの分岐に出る。
矢倉山の登山口は丁仏参道の先にあるので、本来なら丁仏参道を下れば良いのだが、今日も遠回りになる伊太和里の湯経由の
道を選んでしまった。
イエイエ温泉に入りたくて遠回りの道を選んだのではなくこちらの方が楽だからです。
丁仏参道はここからかなり下って参道の入り口に着き、そこから伊太和里の湯を建設するときに造った造成地に向けて上りになる。
その上りがどうも苦手なんですよね、気分的に。
そのため遠回りでも軽い下りのまま温泉に着き、更に下って矢倉山の登山口に出る温泉経由の道を選ぶようになってしまいました。
こんな考えを持つのは私だけでないようで、以前は尾川集落に抜ける細い道でしたが、今では温泉に出る事ができるのでこちらの
道の方が太い感じになってきています。

  尾川集落が出たので序に “尾川丁仏参道” とのコースも話しておきます。
両方の丁仏参道を歩くには島田駅を出発地にすれば問題はないが、車道歩きが嫌は方は島田駅から大津線天徳寺行きの自主
運行バスに乗り、尾川で下車します。丁度バス停は丁仏参道入口の所ですので入口はすぐ分かります。
そこから尾川丁仏参道を智満寺に向かいますが、丁仏参道完全に歩きたい人は智満寺から千葉山に向かわず、薬師堂下の道を
伊田丁仏参道に入ります。山頂に行っても丁仏参道を行っても、いずれもペンションに出るのでペンションからは同じ道になります。
そしてここの分岐で丁仏参道完全踏破を目指す人はその入口に向かい、拘らない人は温泉への道を行きます。
伊太和里の湯からは島田駅行のバスがあるので、温泉で汗を流してから帰るのも良いですし、更に矢倉山に向かうのも良いでしょう。
このコースは山歩きが好きな人には物足りないでしょうが、ハイキングが目的な人や遍路歩きが好きな人には合っていると思います。
是非一度歩いてみてください。
                                                           
                               矢倉山登山口から国1バイパスへの概略図
        

 
                処理場横の道                                 直登コース入口

  処理場横の空地に車を停めた若いカップルが私の後を歩いてきた。処理場裏の直登コースの入口の写真を撮っていると
 「道ははそちらですか?」 と声を掛けてきた。
 「イエ こっちは直登コースで近道ですが傾斜がきついですよ。一般道はそっちです。」 とフェンス沿いの道を指す。
言いながらも内心は焦ってしまい、若しカップルが直登コース歩くと言ったらどうしようと思った。
実は一昨年初めて歩いた時は踏み跡が薄く悩んだ所もあったし、頂上部に着いてからは方向を見失いウロウロしてしまった。
それが昨年には直登コースの案内も撤去されたので、更に歩く人は少なく踏み跡は薄くなっているだろう。
年寄りが歩こうとしているのに若い人に危ないとも言いづらい、さてどうしよう。
でも取り越し苦労でした。 「なんか入口から傾斜がきつそうね。」 の女性の一言で一般ルート行くようになりました。

      
          目印はある           傾斜は強いが踏み跡はハッキリしている       上に行っても目印はある

  一昨年歩いたときは目印は下にはあったが上には無かったのが、今回は下からコンスタントについている。
全回迷った場所も濃い踏み跡のある横の方向には枯枝を積んで進入禁止を表し、上に向かう踏み跡には目印が幾つか付いている。
これで迷うことなく上に向かう踏み跡を辿る事ができた。

 
             頂上部にも目印はあった                          目印を辿って三角点へ

  さらに前回方向を失った頂上部に着いても目印が幾つかあり、それをたどれば自然に三角点のある頂上に行く事ができた。
案内が撤去された後の方が踏み跡や目印がハッキリしたとは、何とも皮肉な事だが、この道なら誰でも迷わず歩く事ができるだろう。
とは言え歩きやすい階段がある一般道でなく、この道を歩くメリットは何があるか疑問だが。

          
                       矢倉山山頂                                気温は20度

  標高311.03m点名矢倉山には四等三角点が設置されています。
以前は黄色のカタクリなどが植えられていた花壇は今は荒れ放題になっています。きっと猪に荒らされ諦めたのでしょう。
その山頂広場に私が足を踏み入れると同じタイミングで現れた人がいた。思わず 「アレー」 「アラ~」 が重なった。
そうです、直登コースの登山口で分かれた2人連れでした。
私として近道を来たのだから少なくとも5分以上は早く着くと思っていたのに対し、2人もきっと近道の方が速いと思っていただろう。
それがピッタリ同じとは驚くと同時に情けなかった。きっと2人は足が遅い人だと思ったに違いない。

  山頂の気温は20度と高いが風があるので暑さを感じないで済む。それが先程ドウダン原から温泉に向かう時は、山の中腹を
歩いていたせいか蒸し暑くて仕方なかった。
これからその暑さと強烈な日差しの季節になるかと思うと憂鬱になってくる。もう熱中症はコリゴリですので。

         
                       ここに来たらこの景色を見なければ

  矢倉山の山頂は樹木に遮られ視界は効きません。でもそのまま引き返さないください。山頂から西向い1分も下れば崖の
上の展望台に出ます。
何度も見ているので感激はしなくなったが、今日のような霞んだ日でもこの程度の眺めを見る事ができます。

  眼下に伊田集落が見ている。あそこまでなら30分もあれば下れそうだし時間も2時前だ。足もまだ大丈夫そうだし、それより
なにより若しバスが無かったら島田駅まで車道歩きをしなければならない。
以前は苦にならなかった車道歩きが、最近バスを利用するようになってからは何となく大変に感じるようになってきている。
ウーンどうしようかな?

 
         トウアブラギリ(唐油桐)の木                                四 辻

  兎も角下山を始めたが昨年初めて知ったトウアブラギリ(唐油桐)の木が何本も生えている場所があった。
アブラギリは江戸時代にはこの実から灯油を絞るために栽培していたという。こんな山頂部で栽培していたかどうかは分からないが
集まって生えていることは確かだ。
ただすくっと真っすぐ高く伸びた木から実を取るのは大変だろう。去年の秋に歩いた時は実がボトン、ボトンと音を立てて落ちて
いたのでその存在を知る事ができた。当時の採取も自然落下を待って拾ったのだろうか?

  サー伊田へ下るか、そのまま縦走を続けるかの分かれ道に来た。この四辻は右に下れば伊田へ、左に下れば伊太和里の湯に行く
一般道だ。縦走を続けるなら正面の道を登らなければならない。さて、どうしよう。

 
            尾根と別れて右に下る。                                農道合流

  結局縦走を続けることにしました。とみに弱気になってきている最近では珍しい事です。
尾根の途中の分岐を尾根伝いに行っても伊太和里の湯に行けるようですが、貼られている地図見るとここからすぐ農道になって
尾川に行く車道に合流するようです。私としてはメリットが無い道だが一度は歩こうと思っているが中々歩けないでいる道です。

  分岐を右に下り、下りきって登り返せば農道に合流です。
山道の入口には立派な標識が建っているので、農道を来た人もここを見落とすことは無いでしょう。
以前は尾川集落からこの農道を歩いて矢倉山に行ったのですが、島田の街から続く稜線の道を見つけたからは専らそちらの
道に変わり、尾川からの農道は歩かなくなってしまいました。
また右の農道は斎場に行くと標識はなっていますが、こちらはメリットを感じず歩いた事はありませんし歩く気も起きません。
そして今日の行く道も稜線が島田の街まで続く道を歩きます。

          
                    農道横の自然林                             マツバウンラン(松葉海蘭)

  暫くは農道を歩くがこの辺りの林は街が近いのに自然林が多い。植林されている場所もあるがかなりの部分は自然林が占めて
いるのは、傾斜がきついので植林できなかった? そんな部分もあるかもしれないがそれだけではないような気がします。

  農道から山道に入る所には茶畑もありマツバウンランが群れになって咲いていました。
この辺りの林の中に四等三角点大沢があるようですが探す気は起きません。それより山道入口から下っている農道を行くと麓の
旗指(はっさし)集落にある静居寺(じょうこじ)に続いているようです。
その静居寺は牡丹の花が有名で今の時季なら咲いているかもしれないが、この農道は途中で途切れているようです。
それより何より以前静居寺へ牡丹を見に行ったとき、作業をしていた男性に道を聞いたら
 「道はあるがマムシが多いので歩く人はいない」 と教えたくれた。
蛇嫌いな私は蛇でさえ嫌なのにマムシと聞いたらもうこの道は歩く気は無くなってしまった。
ウーン! 今の時季なら蛇はまだいないかもしれない。ウーン! どうしよう。牡丹を見に行くか一瞬迷ったが、今度は弱気の虫が
起きて、今日は疲れているから止めておこうという事になってしまった。

      

      
                                  こんな道が続きます。

  ここの道は中々気持ち良い道で車道を歩いて矢倉山に向かうよりよっぽども楽しく感じます。傾斜も緩やかで上りでも下りでも
左程大変な所はありません。こんなに街に近い道なのに今まで歩いている人に会ったことがありません。
歩く人が少ないのか? イエそんなことない様で道はしっかりしています。この気持ち良い里山の道を一度歩いてみてください。

 
            やっと国1バイパスだ                              矢張り通行止だった

  途中にバラの丘公園とか中央体育館への分岐を無視して歩いていくと、正面にフェンスが何段かになった所に出ます。
今までに何度も書いているので、ご存知の方は又か~とお思いでしょうが、道路建設の無駄遣いの現場です。
でも最近はここまで来れば島田駅は近いとホッとするようになりました。怒りも感動も何度も味あうと薄れてくるようです。

  今日もまたバイパスの対岸は工事中で跨道橋は通行止めになっていました。前回仲間ウォークでここに来た時は焦りましたが、
その時知ったバイパスの横の側道を歩いた方が、跨道橋を渡っていくよりよっぽど楽だと知ったので今回は焦りません。
道路工事は法面の補修ではなく車線の増幅工事のようで、これでは当分この跨道橋は使えそうもなさそうです。

 
             国1バイパス旗指IC                              閑古鳥鳴く島田駅

  バイパス横の歩道に下りて西の方角を見ると旗指ICの標識が建っている。牡丹の静居寺はこの旗指ICの少し上だがどうしよう?
でも一度弱気の虫に襲われた気持ちは立ち直ることはなく、旗指ICとは逆の中央公園通りを目指してしまいました。

  ゴールの島田駅に着いたのが3時45分で丁度9時間で着いた事になる。
歩きながら考えた想定では8時間ぐらいと思ったが1時間余計にかかってしまった。それでも島田駅まで歩けただけでヨシ! としよう。
まだ3時台だと云うのに島田駅には動いている物は見えなかった。