はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

遠州33観音1-6

2010-09-30 10:37:12 | 寺社遍路
「駅から遍路」
 遠州33観音1回目  遍路日2010/9/17 距離40.2km 歩行時間7時間15分

 遠州森町駅―1番蓮華寺―3番長福寺―4番春林院―5番大雲院―6番永江院
 7:50
                    ―8番常現寺―9番龍雲寺―菊川駅
                                      17:30

                    8番常現寺(ご朱印)

                  6番永江院 ― 8常現寺
                  13:30       15:10
             距離=約10.0Km  所要時間=約1時間40分

             

今日は大きな忘れ物をしてしまった。朝が早く涼しかった事もあり、ついうっかり帽子を被ってくるのを忘れてしまったのだ。気づいたのは藤枝駅に着いてからで今更家に戻ったら遅くなってしまうと、そのまま来てしまった。
塩の道など木陰のある所や家の陰がある所はいいが、直射日光がもろに当る場所は暑くてたまらない。
最初のうちは格好をつけてA4の地図を翳したりしていたが、それではとても間尺に合わなくなり、結局タオルを取り出して被る事にした。
最初は頬被り、次が泥棒被りをしたが、どちらも顔が暑っ苦しくなる。それではと姉さん被りをしたが、これは何か気恥ずかしい。別にどうと言う事は無いだろうが"姉さん"の言葉から女性の被り方と脳に刷り込まれてしまっているようだ。
何被りと言うのだろうタオルを後頭部で結ぶやり方もやったが、これは額の上の髪の毛が押さえられて眩しくて余計暑く感じてしまった。
歩きながら色々試行錯誤して辿り着いたのは----
ただタオルを頭に乗せるだけの方法。こうすると圧迫感も無く耳や首筋も隠れるので涼しく感じる。難点は風に吹かれるとすぐ捲くれてしまう事だったが丁度この日は風が弱く助かった。
普段なら風が弱いと不満を感じるのに今日は風が吹くと不満を感じる。何とも勝手が強い男だろう。

道はいつしか旧東海道の国道1号線に入っていた。
遍路をしていて一番面白くないのが、いやつらいのが交通量の多い太い道を歩く時だ。
以前は東京から京都までの東海道53次を歩いてみたいと強く思っていたが、その殆どがこんな道が続くのかと思うと、その気は少なくなってしまった。
どうせ宿泊費を払って歩くなら東海道より熊野古道とか中山道の方が魅力的だと思えてきている。
ただ折角静岡県に住んでいるのだから東海道を無視するのも淋しい。そこでせめて静岡そう駿河と遠州だけでも歩いてみるかと考えが変わってきている。
来年の「駅からウォーク」は静岡県の東海道を歩く事にするかと腹が決まった。

ようやく国道と離れ旧東海道の日坂宿に入った。丁度祭りの日だったので屋台が出ていたが、本番は明日からの土日のようで動く気配はない。
いつもは公開されている旅籠の川西屋には「祭典のため公開を中止します」と張り紙がしてあった。きっと説明役のボランティアが祭りに参加するからだろうが、逆に他所から来る人の多いこんな日こそ公開した方がいいのではないかと思うのだ。

 

日坂宿を通り過ぎると今は国道ではないが旧国道の道に入る。こんな道も面白くないが車が少ないのは助かる。
道の脇に大きなラブホテルがあり歩いていても中の様子が少し見える。金曜の3時なのに2台の車が停まっている。1台はナンバープレートを隠す遮蔽物を置き、もう1台はそのまま駐車している。
ナンバーを隠している車は若しかして不倫なのか----
前期高齢者を過ぎてもくだらないも妄想が頭をよぎる不良遍路でした。

この常現寺は遠江33観音では粟ヶ岳山頂の倒壊寸前のお堂の本尊を祀ってあるので、その時一度きている。門前に日清・日露・そし大東亜戦争の慰霊碑があり、その石の頭部が当時の軍人の帽子になっているユニークな石碑がある寺だ。

その時門前にあった地蔵の頭が無いと書いたが今日見てみると、あたまの所に丸い石がのっている。
たまたまあの時だけ無かったのか、地蔵さんが不憫と思ってのせたのか-----

       

今回の遍路では事前に「遠州33観音 奉納経」と書かれた納経帳を購入してある。この納経帳はすでに主要な部分は印刷されていて札所で納経を受けると札所番号と寺院名それと中央に押印する梵字の三つの朱印を押してくれる。
正にご朱印帳そのもので朱印料は100円となっている。四国や秩父それに駿河一国のご朱印は納経帳に墨書をしてくれて300円した。それに比べれば安いのだが、その価値観は----

まーそんな分けで遠州では若し寺の人に会えたらご朱印をして、会えない時は呼鈴を押してまではしないと決めていた。今日も今まで1番蓮華寺でご朱印を受けただけだ。

常現寺で休憩をしていると中から僧侶が出てきた。
「ご朱印をお願いできますか」と聞くと黙って手を出す。納経帳を渡すと寺の中に入って行った。暫くして出てきて「はい」と言って納経帳を差し出してきた。
「有難うございました」といい100円玉を手渡す。
それで終わり。「ご苦労様です」も「お気をつけて」もない。
寺としてはたった100円で手間暇かけるのが面倒だろうが何となく不愉快に感じる。自分から積極的に納経しない理由もこんな事にもある。

遠州33観音

2010-09-29 17:30:05 | 寺社遍路
遠州33観音の3日目の遍路に行ってきました。

7-12-11-15-16-15-14の7寺打って37.3kmでした。
今日までの3回で山場は終った事になりますので、あとは歩けばいい(当り前か)だけです。
今日の気温は30度にいっていなかったせいもあり大分過ごしやすかった。
それでも日向は相変わらず汗ビッショリでした。

報告は後日ですが溜まりすぎて帰国が混乱しそうです。


遠州33観音1-5

2010-09-28 14:43:27 | 寺社遍路
「駅から遍路」
 遠州33観音1回目  遍路日2010/9/17 距離40.2km 歩行時間7時間15分

 遠州森町駅―1番蓮華寺―3番長福寺―4番春林院―5番大雲院―6番永江院
 7:50
                    ―8番常現寺―9番龍雲寺―菊川駅
                                      17:30

                    6番永江院(寺・院・庵)

                  5番大雲院 ― 6番永江院
                  12:30      13:10
              距離=約3.6Km  所要時間=約40分

              

大雲院から掛川の大池あたりまでは遠江と同じ道なので気楽に歩ける。
道の両側に池のある所が大池で、そこに大きく立派な常夜灯が立っている。最初秋葉神社の路の常夜灯と思ったがよく見ると土台の所に日本鋪道と彫られていた。あとで知人に聞くとこの常夜灯の奥に秋葉路という名の団地があることが分った。

初日の今日はすでに5寺を打ち終わった。そのうち寺の名前に院が付くのが3寺あったが、これに2番の大洞院を加えると4寺が院が付く事になる。遠州全体では6寺あるのだが、前回の遠江33では院の付く名前は1寺しかなかった。
また駿河一国でも4寺あったが、ここの遠州では1番から6番までの内4寺も院が付いているのは極めて多い気がする。

1番で院とは格式が寺より下と聞いて納得したが、ここ6番の永江院にまで来て疑問が湧いてきた。
今日寄った4番も5番もそしてこの6番も大きな寺だ。

            

しかも4番の春林院には「春林院末寺」と貼られた石碑(写真)も建っていた。
それによると春林院には7軒のお寺と2軒の庵があると表示されている。寺より格式の低い院が寺の末寺を7軒も持っているとは何とも不思議な話だ。

家に帰りネットで調べてみると色々な意見が書いてありました。少し紹介すると
「寺と院で格式などに違いはなく、院も寺も長い正式名称の略です。浅草寺は「金龍山伝法院浅草寺」で、知恩院は「華頂上知恩院大三寺」だそうです」

「寺は本来"宗教儀式を執り行う場所"を意味しており、院は"僧侶が宿泊するところ"を意味していました。両方を併せ持つ所ということで「寺院」と呼んでいたものと思われます。
また僧侶が居る寺は規模が大きいなど、副次的な意味が付帯されて規模の大小、格式などの高低で寺と院を別に考えることも起りました」

「寺は、山号、院号、寺号の普通3つを持っていますが、その全てを呼んでいると長くて面倒なので、その1つだけを通称として呼ぶ場合があります。この場合は特に格がどうのこうのということはありません」

「大きな寺の中にはいくつも院があります。またその本寺の中にはなく、別の場所にあるけ末寺や子寺を○○院とするケースもあります。こういう場合は本寺に対して格の違いがあります」

ようは格式を表す場合もあるし、ただ単なる通称の場合もあると言うことか。
蓮華寺で聞いた話は蓮華寺と大洞院の間では格式。春林院の末寺との関係は単なる呼称の違いなのだろう。

               

ここ6番永江院も大きな寺だった。
そうか遠州の札所はバスが停車できる事を条件に札所を指定したとか。大きな寺が多いわけだ。
それにしてもこの周辺に"院”が多いわけは見当も付かなかった。ただ単なる偶然なのだろうか?

遠州33観音1-4

2010-09-27 10:52:19 | 寺社遍路
「駅から遍路」
 遠州33観音1回目  遍路日2010/9/17 距離40.2km 歩行時間7時間15分

 遠州森町駅―1番蓮華寺―3番長福寺―4番春林院―5番大雲院―6番永江院
 7:50
                    ―8番常現寺―9番龍雲寺―菊川駅
                                      17:30

                5番大雲院院(はがき)

             4番春林院 ― 5番大雲院
              11:00      11:55
          距離=約5.3Km  所要時間=約55分


 

鎮守の森の横を通り5番大雲院に向かう。
この大雲院は遠江33観音14番札所にもなっていて、そこには知蓮寺という古い名前で紹介されている。ご本尊は同じ聖観音で、ある時は知蓮院、またある時は大雲院の本尊となり結構忙しい身だ。これは歴史の古い遠江では、その歴史にのっとった表現をして、昭和末に制定した遠州では分りやすく現在の寺の名称にしたのだろう。

前回の道は北の大尾山から下って札所に行ったが、今回は西から向かう事になる。
春林院を出て原野谷川を渡るとき東の方向が一望できた。田圃が続いた先に低い岡がみえる。どうやらあの岡を越した向こうに5番札所はあるようだ。
その原野谷川の橋がカーブをしていた。それほど長くないのにカーブをしている橋など珍しいと思い写真を1枚。写真にするとカーブの状態は分らなかった。

ゴルフ場のある低い岡を越え大雲院に到着。ここには参拝の記録用ノートが置いてある。前回の5月14日の分を開くと、あるある私の下手な字で名前を書いてある。その時は記事欄に遠江33と書いたが今日は遠州33と書いておいた。

そうだお礼参りで1番に戻ったとき、この参拝ノートのことを話してみよう。四国の1番霊山寺の参拝ノートのように、お礼参りの欄も作っておけばお礼参りもする人も出てきて参拝者が増えるかもしれない。よし!わすれずに話をしよう。

このお寺には珍しい木があって名前を「多羅葉(たらよう)」と言う。

                    

説明によると、この木はモチノキ科に属していて葉の表面を傷つけると黒くなり跡が残って文字が書けると書いてある。葉書の語源もこの木から出たとも書いてある。確かに葉書の漢字は葉に書くとなっているので説得力もある。
更に昔お釈迦様もこの木の葉にお経を書いたともあるが、何枚の葉がいたことやら。
1枚貰って家で書いてみた。
             

なるほどはっきり字が読める。
葉っぱを取って今日で10日目。字は読めるが葉っぱが枯れてきて茶色くカサカサになってきた。これでは一ヶ月もすれば粉々になってしまいそうだ。

遠江33でも紹介したが、この寺の穴地蔵、体の穴の部分の病気にご利益があり、全快すると穴のあいた自然石を供えることになっているという。
同じような風習のある焼津の穴地蔵は平たい穴のあいた自然石を紐に吊るして供えるが、ここでは丸みのある穴のあいた石を供えてある。

            

どちらのがご利益があるのかな?

遠州33観音1-3

2010-09-25 11:41:38 | 寺社遍路
「駅から遍路」
 遠州33観音1回目  遍路日2010/9/17 距離40.2km 歩行時間7時間15分

 遠州森町駅―1番蓮華寺―3番長福寺―4番春林院―5番大雲院―6番永江院
 7:50
                    ―8番常現寺―9番龍雲寺―菊川駅
                                      17:30

                4番春林院(野生動物)

             3番長福寺 ― 4番春林院
              10:10      10:50
          距離=約3.4Km  所要時間=約40分



地図の隣のライオンのような写真に驚いたでしょうが、このことは後ほど説明します。

3番を打ち終わり塩の道の標識の所に戻る。塩の道はこのまま東に進んでいくが、4番への道は先ほどの道に戻り南下して西に向かうようだ。
この区間は地図で調べたが余り明確ではなかったので、県道を行くより直接札所に向かう道を選んである。
先ず最初の分岐は旧道の途中から十字路を小学校に向かうようになっている。
旧道を歩いて行くと右の奥に学校らしき建物が見えた。しかしこの交差点はT字路で十字路ではなかったので、仕方なくそのまま直進すると、なんと旧道は県道と合流してしまった。
慌てて引き返し先ほどのT字路を右折して事なきを得たのだが、家に帰りGPSの経路を見ると間違えた所がはっきり出ていた。

学校を過ぎた先に岡が見える。後はもう雰囲気で余り細くない舗装された道を選び岡のふもとを目指す。
岡のふもとに着くと道が分岐していて1本は田圃の横の平らな道。もう1本は田圃道より若干太い岡の上に行く道。さーどっちにしよう。
立ち止って迷っていると岡の上に続く道を何かが横断している。何だろう犬か? いや違う。ジャーなんだ? アッ!いのししだ!! 成獣とは言いがたいが間違いなく猪だ。慌ててデジカメを手にした時は、猪は草の斜面を駆け上がってしまった。カメラを手に連れの猪が来ないかと暫く待ったが来なかった。残念。

遍路や低山歩きをしていると時々野生の動物に出会うことがある。
中でも一番ビックリしたのは天城山で大型の鹿が横を駆け抜けていったとき。
ザッザッと何かが走る音がしたので振り向くと大きな鹿が馬のような足音をたてて、私の横を駆け抜けて行った。
その時は一瞬の事で恐いよりビックリしてしまった。

恐かったのは秩父遍路で山奥の奥の院への尾根の遍路で猿の群に出会ったときだ。私の進行方向の遍路道の両側に猿達が日向ぼっこをしていた。私が行くと猿は逃げるでもなく、そのままの状態で私を見ている。私も立ち止って猿が移動してくれるのを待ったが一向に動く気配はない。猿の様子を見ていると動く猿は居ずに時折私の方を見るだけでおとなしく落ち着いた感じにみえた。そこで少しづつ少しづつ前進をして何とか通り抜ける事ができた。
麓の札所でこの事を話したら「ここの群の猿は比較的おとなしいがはぐれ猿は恐い」と言っていた。

四国遍路では蛇とカラスに出会った。蛇は冬以外は何度も出くわすが見るたびにゾクとする。気持ちは悪いが蛇を恐がっていては一人歩きはできない。蛇を踏みそうになった時はゾクゾクと身の毛もよだつが、こっちが先に見つけたときはわざとガサガサ音を立てて蛇が逃げるようにしている。
カラスは1羽や2羽、いや10羽や20羽は気にならないが、足摺岬に行く早朝、操業前の水産会社の周りにカラスの大群がいたときは気持ちが悪かった。ヒチコックの「鳥」を見ていたので、この大群が襲ってきたらと金剛杖を握り締めて通り抜けた。

 そして最初のライオンのような写真。これも私が写しました。
アメリカのグランドキャニオンに行ったとき、前方の薮の中に何やら動物が。その時はカメラを手にしていたので素早く写す事ができた。添乗員の話でボブキャットと言う名前は分ったが、普段は動きか素早くこんな写真は中々撮れないと褒められてしまった。

話を戻そう。
分岐点は猪の通った上に続く道を行く事にする。岡の上に登るとそこは茶園が続いていた。流石静岡県、どこに行っても茶畑があるんだと感心してしまう。
道を岡の隅を行くように進んでいくと、すぐ下にの屋根が見えたきた。寺の屋根はと探したが見つからない。ただ鎮守の森のような物が見えたので多分あのあたりだろうと検討をつけて下っていった。

 森の近くに来ると公園らしき芝生の中に観音さんが見えた。

 

お寺はこの公園の横にあり森は矢張り八王子神社という鎮守の森だった。
高台から寺の屋根が見えなかったのは、寺が高台の崖に近すぎて見えなかったようだ。

4番春林院。寺・院・庵からいくと、この春林院は何処かの寺の末寺なのだろうか。それにしては立派な寺だ。

遠州33観音1-2

2010-09-24 11:56:34 | 寺社遍路
「駅から遍路」
 遠州33観音1回目  遍路日2010/9/17 距離40.2km 歩行時間7時間15分

 遠州森町駅―1番蓮華寺―3番長福寺―4番春林院―5番大雲院―6番永江院
 7:50
                    ―8番常現寺―9番龍雲寺―菊川駅
                                      17:30

                3番長福寺(塩の道)

    1番蓮華寺 ― 戸綿駅 ― (塩の道) ― 原田駅 ― 3番長福寺
     8:40                                 9:55
          距離=約7.3Km  所要時間=約1時間14分

 

蓮華寺を出て森町の古い町並みの中を歩く。森町には何度となく来ているが町中の街道を歩いた事はないので丁度良い機会だ。町並みの一部には格子がついた古い民家も残っていて旧街道の面影もある。
確か森町は信州街道や秋葉街道の一部で塩の道も通っていて当時は大勢の旅人で賑っていたらしい。中でも特に古着屋が多い事ででも有名だったらしいが、何故こんな東海道から離れた山の中の宿場で古着屋が多かったのだろうかと考えたが分らなかった。

 天浜線の戸綿駅から塩の道に入った。線路沿いの車道から離れて、山裾を辿るように塩の道は続いている。車道より距離は延びるが日陰も多く歩きやすい。所々に塩の道保存会の名前の入った道標が立っているので助かるが、全ての道の角にあるわけではないので時々迷いながら歩く事になる。
今までの「駅から遍路」では必ず昭文社の都市図を持参してきたが、今回は磐田以西の都市図がないので購入しなければならない。しかしそれももったないので遠州33では必要な場所をヤフーの地図を落とし込み、それをエクセルで加工印刷して持ってきている。A41枚に何ヶ所もの場所を印刷してあるので、今日は3枚の地図を持ってきた。
ただこれは初めてのことなので一応都市図も持参してきている。もしこれで支障が無ければ磐田以西の都市図は買わないでおこうとけちな考えをもっている。

 低い岡を越える所で車道に出る。車道と言っても車は1台も走っていずのんびり下っていた。右手に塩の道の標識があり、またここから細い道に入るように誘っている。車道の先には天浜線の線路、その横には県道も走っている。地図を見ると塩の道の旧道の方が大分遠回りのように感じる。そこで方針を変えて県道を歩く事にした。
しかし県道は暑かった。日陰は無いし車が煩い。結局天浜線の原田駅の先でまた塩の道の旧道に戻ってしまった。
旧道に戻った途中から左に脇道があると覗き込んで県道の先を確認した。3番の長福寺は県道を横断した所にあるので見落としてはならない。何度目かの確認で県道の先に道が延びている所があったので行ってみると。ピンポンあたり! 3番札所の案内があった。
そして山門の入口には立派な塩の道の標識も立っている。

          

 四国遍路のときも立派な四国の道の標識と小さな遍路札とがあった。どちらが役に立ったかと言うと当然遍路札だった。四国の道の標識は大きな角にはあるが小さな道には無い。しかも指す方向が自由が利かないらしく、余り正確な方向を指していないので迷う事が度々あった。
ここの塩の道の立派な標識も札所の前では「みちしるべ」としての役目は薄いし、こんな立派な物を所々に設置するのでなく、小さくて安いものを数多く設置したほうのが「みちしるべ」としては効果があるだろう。そうここでは塩の道保存会の設置した「みちしるべ」をもっと数多く設置してもらいたいが無理だろうか。
この道標が備わっていれば塩の道を歩いてみたいのだが。

 3番長福寺は726年に行基が開創した古刹で境内には役の行者を祀った行者堂もある

遠州33観音1-1

2010-09-23 16:57:45 | 寺社遍路
       「駅から遍路」   
          遠州33観音1回目-1      2010/9/17

          

遍路コース
遠州森町駅 ― 1番蓮華寺 ― 3番長福寺 ― 4番春林院 ― 5番大雲院 ― 
6番永江院 ― 8番常現寺 ― 9番龍雲寺 ― 菊川駅

所要時間(休憩時間含まず)
遠州森町駅 -15- 1番 -1:15- 3番 -40- 4番 -55- 5番 -40- 
6番 1:40 8番 -1:20- 9番 -30- 菊川駅

歩行距離 40.2km  歩行歩数 48083歩 
延時間  9:40   歩行時間 7:14  休憩時間 2:26
歩行時間内平均時速 5.6km   延時間内平均時速 4.2km  平均歩幅 84cm

コース設定理由
最初の札所の1番はこの遍路の設定事項だから当然だが、2番を省略した理由は
一ヶ寺だけ遠く離れた御前崎市にある10番江雲寺にある。
普通に札所順に歩くなら菊川駅から10番江雲寺を打ったあと、11番の途中にある
バスターミナルからバスに乗り掛川駅に戻る事になる。
その次は掛川からバスターミナルまでバスで行き11番に向かえばよいのだが、
だが駅から遍路を標榜している今回の遍路はバスは使えない。
そうなるとどうしても10番を打ったあと掛川駅に戻り、次回は掛川駅からから11番まで歩かなければならない。
通常なら1日目は1番から6番までで掛川駅が終点。
2日目は7・8・9として菊川駅がゴール。そして3日目は菊川から10番に行きバスターミナルがゴールとなる。更に4日目はバスターミナルから11番に向かうのが一般的だろう。

悩んでいて閃いた。それなら掛川駅の近くにある7番を順番から外して11番の前に打つ。
更に2番は1番から往復するような場所にあるので、これを最終日の1番にお礼参りする前に
打てばよい。そうすれば行程が一日短くて済みそうだ。
ようは1日目は1・3から6・8・9で菊川駅がゴール。2日目は菊川-10-掛川とし、3日目に掛川-7-11- と打っていく。距離を計算してみると1日目が43km。2日目が50km。3日目が37kmとなった。
これなら何とか挑戦する範囲内だし、2日目の50kは駅から遍路を実行するには避けては通れない道なのだからと。
そんな訳で2番と7番が抜け落ちました。

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          1番 蓮華寺(微笑仏)

     
                               遠州森町駅

 7時50分遠州森町駅を出発。
この森町駅は第3セクター天竜浜名湖鉄道の天浜線の中ほどにある。天浜線はJR東海道線の掛川から内陸部を通り新所原駅を結んでいる路線で、国鉄の時代は二俣線と呼ばれていた。
この線の開通のきっかけは戦時中海沿いを走る東海道線が空襲でやられた時の補完設備だったと聞いたことがある。なので開通当初から利用者は少なかったらしい。
この天浜線も他の第3セクターの例に漏れず、利用者が少なく苦戦をしているという。今日も平日の通勤時間帯なのに人影は無く寂れているとしか言いようのない風景を晒していた。

1番札所は駅から山の手に向かい15分ほどの所にある。この蓮華寺は遠江33観音10番札所にもなっているので前にも参拝していが、その時は着いたのがまだ3時半にも係わらず寺は閉まっていた。今日も時間が早いので駄目だろうと納経は諦めていた。
蓮華寺は別名萩寺とも呼ばれていて萩の花で有名な寺でもある。寺に入口には萩祭の看板が立っていて祭りは明日と明後日の土日に行われるようだ。
だが境内の萩は枝が四方に延びているが花は見当たらない。遅いのか早いのか今夏の猛暑に花の時期も狂ってしまったのだろうか。

          

 観音堂にお参りをして本堂に向かうとおばあさんの姿が
「おはようございます。納経をしてもらえますか?」
「はいどうぞ。こちらに来てください」と納経所の扉を明けてくれた。
ご朱印を受けながら萩の花のことを聞くと
「萩は先代萩や丸は萩葉はもう終ったけど、錦萩はこれから咲きますよ」と言って他にも何種類かの萩の名前を言った。ついでに以前から拝観したかった木喰上人の微笑仏のことを聞くと「今でも拝観できますよと」本堂を開けて観音堂に案内してくれる。

木喰仏は想像していたより大きく1m以上ももあるだろうか。丸顔でその名の通り微笑をたたえいて子供を抱えている。名前を「子安地蔵尊像」と言い、木喰上人が83歳の晩年にこの観音堂で一晩で彫ったとされている。

           

木喰仏は駿河一国の観音巡り岡部町に何体も保存されていて興味があったのだが、拝観を頼める雰囲気でなかったので諦めていた。
それを見ることができると喜んで仏像の前に行ったが、想像していた物とは大分違っていた。微笑仏の名前で想像していたのは優雅な感じの優しい仏像だったが、目の前の仏像は田舎のお爺さんが笑っているといった感じがする。
木喰仏とよく比較される円空仏は、その荒々しさから見ているものを圧倒するが、この微笑仏にはそのような強さは感じない。ただほのぼのとした感じは伝わってくる。
円空仏は正に木を鉈のような物で彫った感じだが、微笑仏は表面が白っぽく滑らかで、木なのか石なのか分りにくい感じがする。
気になったのは抱いている子供だが、抱いているというより動物を掴んでいる感じがして子安観音にしては乱暴だなと感じてしまった。ようは自分の好みとは違っていたという事だ。

写真を写したが上手く写らない。おばあさんに
「この木喰仏の絵葉書がありますか」と聞いてみると
「よそで作ったのがあるから1枚あげますよ」と言って持って来てくれた。(写真左)

他に参拝者も来なかったので色々話を聞いた。その中に今回中止した2番大洞院の話があった。それによると大洞院は昔は蓮華寺の末寺だったので山道が今でも続いているという。
これはいい事を聞いた。最後のお礼参りの時はその山道から、蓮華寺に来ればよい。
その中で寺・院・庵の話があった。昔はこれは寺の格式で寺の下が院、院の下が庵だと説明してくれた。「だから蓮華寺の末寺の大洞院は院なのだ」と何となく説得力のある話だった。
だが待てよー。京都大原三千院や建礼門院、正倉院は格式が低いのか? 疑問は残った。

大分ゆっくりしてしまった。急がないと42kを完歩できなるなる。

遠州33観音霊場巡り

2010-09-21 16:39:44 | 寺社遍路
 「駅から遍路」の遠州33観音霊場巡を開始します。
予定では8日間で280kmを歩こうと計画をしている。

1回目 43k  2回目 50k  3回目 37k  4回目 28k
5回目 34k  6回目 36k  7回目 34k  8回目 20k  合計282km

距離は概算なので正確ではないが誤差はおおよそ1割前後とみている。

計画を立てていて一番悩んだのが2日目だった。
2日目の札所は1ヶ所で御前崎市にある10番紅雲寺だが、最寄の駅は菊川駅でおおよそ
22kはある。帰りにバスを利用すれば次回のコースも容易に設定できるが、それでは
「駅から遍路」が成立しなくなってしまう。

「駅から遍路」に拘るなら菊川駅から往復するか、次の回のコースを考えると掛川駅まで
足を延ばした方がより良くなるので、予定では掛川駅着で50kにした。

このコース設定では1回目から3回目までが難問で、この暑さの中完歩出来るか自信は無い。
しかし遍路は物見遊山ではない。少しは苦労が無ければご利益が少なくなってしまう。
最初の3回をクリアすれば後は容易に完歩できるだろうが、ここで発表した以上頑張って歩くしかない。
有言実行でいこう。

               

遠州33観音霊場巡りのことを少し紹介します。
場所は静岡県西部地方で昔なら遠江(遠州)と呼ばれた地域にあり、東は御前崎から西は
浜名湖を過ぎた湖西市まで。
北は余り深くなく遠州森町で出発の1番も結願の33番もこの森町にある。

観音巡りの指定は遅く、昭和59年に開創された新しい霊場で、
そのため車遍路を主眼としていて山上等の不便場所には霊場が無い。
遠江33観音巡りをしているとき、ある札所の住職が
「遠州はバスが停まれるような大寺しかない」と言っていたが、どうやら本当のようだ。


今回の遍路で自分に課した制約は
1.出発は1番札所。終点もお礼回りを兼ねて1番札所とし、途中の順番は適宜とする。
2.朝の出発は前回ゴールした駅からとし、ゴールも駅到着にする。
3.札所では般若心経、延命十句観音経、回向文を唱える。
の3点とした。

サーこの計画で結願できるかどうか。乞うご期待だ。