歩き納め 2 歩行月日2012/12/28
歩行時間:7時間00分 休憩時間:0時間35分 延時間:7時間35分
出発時間:8時50分 到着時間:16時25分
歩 数: 35、4500歩 GPS距離:27.7km
行程表
金谷駅 0:30> 諏訪原城跡 0:25> 歩き観音 0:55> 火剣山 0:40> 小夜の中山峠 0:15>
中山新道峠 1:20> 安田の椎の木 0:50> 掛川坂 0:15> 観音寺 0:35> 日限地蔵 0:25>
大井川大橋左岸 0:50> 島田駅
西行法師の歌碑 小夜の中山旧東海道
観歩記
「年たけて またこゆべしと 思ひきや 命なりけり 小夜の中山」
これは西行が69才になり、二度目の奥州藤原氏を訪ねていく旅の途中の歌だという。
解説は色々あるが、この歌は自分に置き換えて解釈しても十分感じるものがある。
私も来年は69才の年寄りになる。今年も色々あったが、またこうやって小夜の中山を越す事が出来た。
これも健康な体があればこそだ。まさに「命なりけり」だ。
この旧東海道をもう少し西へ行った所に芭蕉の句碑が建っている。その句碑には
「命なり わづかの笠の 下涼み」とある。一読すると何と大袈裟なと感じたが、芭蕉は西行を尊敬
していて、西行の「命なりけり」を踏んでいると聞けば何となく納得できる。
それにしても高年芭蕉が年を取ってから、野ざらし紀行で詠んだ小夜の中山の
「馬に寝て 残夢月遠し 茶のけぶり」とは大分趣が違う。
これから歩きを続けている限り、歩き納めはこの西行の歌碑にしよう。
中山新道の中山峠 中山新道より国道1号線
小夜の中山からは、国道1号線の中山トンネルに抜けるハイキングコースを歩いて、粟ヶ岳の麓に
行く事にした。春もこの道は歩いているが、その時は入口は雑草が塞いでいたが、今は雑草は枯れ
気持ち良い道だった。
ハイキングコースは一旦中山新道にでて、そこから国道に向かうようになっている。この中山新道とは
「江戸時代、小夜中山の峻険な峠は東海道の難所として知られていましたが、明治5年に、道路や橋の
建設修理工事を行った者が、かかった費用を交通料として徴収することができるという、有料道路の
建設を認める明治四年太政官布告第648号が発令すると、杉本権蔵が小夜中山を切り開いて道路を
建設しました。中山新道は全長約6.7km、人夫延数万人をかけて明治13年5月に完成しました。」
この中山新道は日本初の有料道路で、石畳は荷馬車が通行禁止だったため、荷馬車をはじめ有料でも
坂の少ない新道を歩く人が多かったと言います。
それはそうだと私も思う。いま歩いてきた小夜の中山の旧東海道から中山新道までは全て下り坂だった。
標高でいえば旧東海道は250m。中山新道は170mと80mも低い位置にあります。しかも旧東海道の
菊川の間の宿は標高100mと低いんですよね。一方の中山新道は、その低い位置まで下らず中腹を
横断して行ってます。これなら少しぐらいの料金なら払っても楽な道を選びますよね。
今年東海道を歩いて色々疑問に感じた事があったが、この小夜の中山の尾根道も納得がいかなかった。
誰が見ても楽な道ができそうなのに、大変な尾根道を歩かせた理由が分からない。
結局助郷の既得権の問題で、街道の変更はむずかしかったのではないかと考えた。更に意地の悪い
見方をするならば、日坂宿と金谷宿間の距離は6.5kmと短く、途中に難所が無ければ、大井川の
川越が心配な旅人は先の金谷へと行ってしまうので、日坂に泊まる旅人が居なくなってしまう。
そこで難所を残した。まさかな~、いくら妄想的歴史観とは言え日坂宿に失礼かな。
前回は中山新道を西に抜けたが、今日は東に行く事にした。ただ東側には「行き止まり」の看板が
建っていたが----
国道1号線バイパスの中山トンネルの上に出た。下を見れば車がひっきりなしに走っている。道は
右側なら降りて車道に出れそうだが、その先の車道は横断できそうもない。左は道は無いが無理を
すれば今は廃道となっているバイパスの取り付け道路には出れそうだが藪漕ぎは気が進まない。
結局中山新道を戻り西側に抜けて、更に粟ヶ岳の近くに行く事にした。
粟ヶ岳 茶畑
歩いた事のない道だが粟ヶ岳が見えているので位置関係はなんとなく分かる。広い農道で車は殆ど
走っていないので気持ち良く歩く事が出来るし、何ヶ所の分岐も余り上にはいかず、下にも行かず
と適当に選択していく気楽さも楽しい。
御林の製茶工場の横を通り、この辺りは粟ヶ岳の麓地区の東山ようで、粟ヶ岳の茶の字がますます
ハッキリしてきた。反対側を見れば茶畑が広がり防霜ファンも立っている。この辺りはまだ開拓して
間もないのか、空地で重機が動いているのが見える。
?? ??
これは何だろう。別々な所にあったのだが並べると何やら怪しげな雰囲気が無いでもない。
粟ヶ岳 猪の罠
今まで左側から見ていた粟ヶ岳の茶の字が、ようやく右側から見れるようになった。ここまで来れば
もういいだろう。あとは右(東)方向の道をとって金谷に下る事にする。
安田の大シイ 安田の大シイ
静岡県指定天然記念物 安田の大シイの木の横に出た。この椎の木は根回りが18.5m、枝張が
東西26m・南北23mの巨木です。今年同じ島田市の千葉山の十本杉の一本頼朝杉が倒れてし
まったが、この椎の木なら倒れると言うよりも枝折れをしてしまいそうな感じがする。
根元から何本も枝分かれした枝は支柱で支えられていた。
ここから先は以前遠江3観音で歩いた事がある。どうせなら札所の観音寺にもお参りしていこう。
茶畑 粟ヶ岳と茶畑
牧の原台地の茶畑も広いが、ここの茶畑もそれに負けないぐらい広い。牧の原は平らな茶畑が
多いが、ここの茶畑は傾斜があるので一目でより多い茶畑を見る事が出来る。
粟ヶ岳も今日は良く見た。しかしここで台地を下り金谷に出るのでお別れになる。
新東名 古道掛川坂
台地から下り出すとようやく大井川が見えてきた。その手前には新東名が走っている。
この台地からの急な坂は掛川坂といい、慶長9年の大井川の大洪水で島田宿が流されてしまい
東海道は11年間も山側の北廻りコースになった。その時の道がこの掛川坂だと言う。
案内板があり「藤枝-東光寺-元島田-大鳥-大井川-牛尾-新宿-谷北-掛川坂―行田原-小鮒川-
御林-日坂-掛川」とルートが書いてある。この内幾つかの地名は聞いた事があるが、道はどう
なっているのだろうか、歩けるものなら歩いてみたいが---
案内板の横の道がその古道のようだが、中々どうして塩の道の秋葉山裏参道や青崩れ下の
廃屋街道より余程もしっかりした道だ。
この古道は今は歩く人はいないが近年までは利用していたような感じだ。
観音寺 33観音像石塔
観音寺の後ろは新東名の騒音防止用の隔壁が建っているが、さぞかし観音様は喧しかろう。
静かな雰囲気が破られた損害賠償はあったのだろうか。
この境内には1枚の石に33観音像を彫った珍しい石仏がある。六地蔵なら時々見かけるが33観音を
彫った物はここでしか見た事がない。この様な状態の石碑は何と言うのだろうか?板碑?とも
ちがうのかな。チョット自信が無い。
さてここからは金谷駅に帰る予定だったが、歩行距離がが17kmしかなっていない。少なくても
30kmは歩こうと思っていたので、またまた行先変更。
これから金谷の日限地蔵によって大井川を渡り島田駅に出る事にしよう。
結局島田駅までの歩行距離は27.7kmで30kにはならなかったが打ち止めにした。
歩行時間:7時間00分 休憩時間:0時間35分 延時間:7時間35分
出発時間:8時50分 到着時間:16時25分
歩 数: 35、4500歩 GPS距離:27.7km
行程表
金谷駅 0:30> 諏訪原城跡 0:25> 歩き観音 0:55> 火剣山 0:40> 小夜の中山峠 0:15>
中山新道峠 1:20> 安田の椎の木 0:50> 掛川坂 0:15> 観音寺 0:35> 日限地蔵 0:25>
大井川大橋左岸 0:50> 島田駅
西行法師の歌碑 小夜の中山旧東海道
観歩記
「年たけて またこゆべしと 思ひきや 命なりけり 小夜の中山」
これは西行が69才になり、二度目の奥州藤原氏を訪ねていく旅の途中の歌だという。
解説は色々あるが、この歌は自分に置き換えて解釈しても十分感じるものがある。
私も来年は69才の年寄りになる。今年も色々あったが、またこうやって小夜の中山を越す事が出来た。
これも健康な体があればこそだ。まさに「命なりけり」だ。
この旧東海道をもう少し西へ行った所に芭蕉の句碑が建っている。その句碑には
「命なり わづかの笠の 下涼み」とある。一読すると何と大袈裟なと感じたが、芭蕉は西行を尊敬
していて、西行の「命なりけり」を踏んでいると聞けば何となく納得できる。
それにしても高年芭蕉が年を取ってから、野ざらし紀行で詠んだ小夜の中山の
「馬に寝て 残夢月遠し 茶のけぶり」とは大分趣が違う。
これから歩きを続けている限り、歩き納めはこの西行の歌碑にしよう。
中山新道の中山峠 中山新道より国道1号線
小夜の中山からは、国道1号線の中山トンネルに抜けるハイキングコースを歩いて、粟ヶ岳の麓に
行く事にした。春もこの道は歩いているが、その時は入口は雑草が塞いでいたが、今は雑草は枯れ
気持ち良い道だった。
ハイキングコースは一旦中山新道にでて、そこから国道に向かうようになっている。この中山新道とは
「江戸時代、小夜中山の峻険な峠は東海道の難所として知られていましたが、明治5年に、道路や橋の
建設修理工事を行った者が、かかった費用を交通料として徴収することができるという、有料道路の
建設を認める明治四年太政官布告第648号が発令すると、杉本権蔵が小夜中山を切り開いて道路を
建設しました。中山新道は全長約6.7km、人夫延数万人をかけて明治13年5月に完成しました。」
この中山新道は日本初の有料道路で、石畳は荷馬車が通行禁止だったため、荷馬車をはじめ有料でも
坂の少ない新道を歩く人が多かったと言います。
それはそうだと私も思う。いま歩いてきた小夜の中山の旧東海道から中山新道までは全て下り坂だった。
標高でいえば旧東海道は250m。中山新道は170mと80mも低い位置にあります。しかも旧東海道の
菊川の間の宿は標高100mと低いんですよね。一方の中山新道は、その低い位置まで下らず中腹を
横断して行ってます。これなら少しぐらいの料金なら払っても楽な道を選びますよね。
今年東海道を歩いて色々疑問に感じた事があったが、この小夜の中山の尾根道も納得がいかなかった。
誰が見ても楽な道ができそうなのに、大変な尾根道を歩かせた理由が分からない。
結局助郷の既得権の問題で、街道の変更はむずかしかったのではないかと考えた。更に意地の悪い
見方をするならば、日坂宿と金谷宿間の距離は6.5kmと短く、途中に難所が無ければ、大井川の
川越が心配な旅人は先の金谷へと行ってしまうので、日坂に泊まる旅人が居なくなってしまう。
そこで難所を残した。まさかな~、いくら妄想的歴史観とは言え日坂宿に失礼かな。
前回は中山新道を西に抜けたが、今日は東に行く事にした。ただ東側には「行き止まり」の看板が
建っていたが----
国道1号線バイパスの中山トンネルの上に出た。下を見れば車がひっきりなしに走っている。道は
右側なら降りて車道に出れそうだが、その先の車道は横断できそうもない。左は道は無いが無理を
すれば今は廃道となっているバイパスの取り付け道路には出れそうだが藪漕ぎは気が進まない。
結局中山新道を戻り西側に抜けて、更に粟ヶ岳の近くに行く事にした。
粟ヶ岳 茶畑
歩いた事のない道だが粟ヶ岳が見えているので位置関係はなんとなく分かる。広い農道で車は殆ど
走っていないので気持ち良く歩く事が出来るし、何ヶ所の分岐も余り上にはいかず、下にも行かず
と適当に選択していく気楽さも楽しい。
御林の製茶工場の横を通り、この辺りは粟ヶ岳の麓地区の東山ようで、粟ヶ岳の茶の字がますます
ハッキリしてきた。反対側を見れば茶畑が広がり防霜ファンも立っている。この辺りはまだ開拓して
間もないのか、空地で重機が動いているのが見える。
?? ??
これは何だろう。別々な所にあったのだが並べると何やら怪しげな雰囲気が無いでもない。
粟ヶ岳 猪の罠
今まで左側から見ていた粟ヶ岳の茶の字が、ようやく右側から見れるようになった。ここまで来れば
もういいだろう。あとは右(東)方向の道をとって金谷に下る事にする。
安田の大シイ 安田の大シイ
静岡県指定天然記念物 安田の大シイの木の横に出た。この椎の木は根回りが18.5m、枝張が
東西26m・南北23mの巨木です。今年同じ島田市の千葉山の十本杉の一本頼朝杉が倒れてし
まったが、この椎の木なら倒れると言うよりも枝折れをしてしまいそうな感じがする。
根元から何本も枝分かれした枝は支柱で支えられていた。
ここから先は以前遠江3観音で歩いた事がある。どうせなら札所の観音寺にもお参りしていこう。
茶畑 粟ヶ岳と茶畑
牧の原台地の茶畑も広いが、ここの茶畑もそれに負けないぐらい広い。牧の原は平らな茶畑が
多いが、ここの茶畑は傾斜があるので一目でより多い茶畑を見る事が出来る。
粟ヶ岳も今日は良く見た。しかしここで台地を下り金谷に出るのでお別れになる。
新東名 古道掛川坂
台地から下り出すとようやく大井川が見えてきた。その手前には新東名が走っている。
この台地からの急な坂は掛川坂といい、慶長9年の大井川の大洪水で島田宿が流されてしまい
東海道は11年間も山側の北廻りコースになった。その時の道がこの掛川坂だと言う。
案内板があり「藤枝-東光寺-元島田-大鳥-大井川-牛尾-新宿-谷北-掛川坂―行田原-小鮒川-
御林-日坂-掛川」とルートが書いてある。この内幾つかの地名は聞いた事があるが、道はどう
なっているのだろうか、歩けるものなら歩いてみたいが---
案内板の横の道がその古道のようだが、中々どうして塩の道の秋葉山裏参道や青崩れ下の
廃屋街道より余程もしっかりした道だ。
この古道は今は歩く人はいないが近年までは利用していたような感じだ。
観音寺 33観音像石塔
観音寺の後ろは新東名の騒音防止用の隔壁が建っているが、さぞかし観音様は喧しかろう。
静かな雰囲気が破られた損害賠償はあったのだろうか。
この境内には1枚の石に33観音像を彫った珍しい石仏がある。六地蔵なら時々見かけるが33観音を
彫った物はここでしか見た事がない。この様な状態の石碑は何と言うのだろうか?板碑?とも
ちがうのかな。チョット自信が無い。
さてここからは金谷駅に帰る予定だったが、歩行距離がが17kmしかなっていない。少なくても
30kmは歩こうと思っていたので、またまた行先変更。
これから金谷の日限地蔵によって大井川を渡り島田駅に出る事にしよう。
結局島田駅までの歩行距離は27.7kmで30kにはならなかったが打ち止めにした。