歩行記録 H28-2-27(土)
歩行時間:6時間15分 休憩時間:1時間05分 延時間:7時間20分
出発時刻:8時40分 到着時刻:16時00分
歩 数: 19、347歩(推定距離13.8km) GPS距離14.0km
行程
本郷入口BS 0:15> 立石神社 1:00> 北のピーク 1:05> 富士見峠 0:25> 高草山 1:00> 池の平 0:55> 磐座
0:25> 十輪寺 0:10> 神神社 1:00> 焼津駅 (※コースタイムは休憩が多くあまり参考になりません)
大崩山塊:北のピーク・高草山から朝比奈川の河津桜
北のピークから高草山に続く尾根
月例となった今月の仲間とのウォークは、立石神社から北のピーク経由で高草山へ行き、帰りは岡部の三輪で神(みわ)
神社の三つ鳥居を見て、朝比奈川の河津桜の中を焼津駅まで帰る予定です。
北のピ-クから高草山の尾根は、志太平野側からは一番目につく尾根で、しかも車で1号線を東に向かうとフロントガラスの
正面に見えてきます。これなら一緒に登る仲間が家族や友人に 「あそこのピークから、尾根伝いに高草山に登った」 と自慢話が
できるのではないかと、深い親心の発揮でコースを選択したつもりなんですが・・・・
距離はおおよそ12-3km程度で丁度よいが、気になるのは北のピークへの道の状況です。特に3本目の農道上は昨年こそ
大分整備されていたが今年はどうだろう。これが一昨年までのように荒れていると、口の悪い仲間に、何と言われる分からない。
そんな不安を感じるコース設定です。
本郷の常夜灯 立石神社の摂社
立石神社の階段を上り、本殿左奥にある一番奥の摂社の左横から登山道は始まる。
登山道に下りた瞬間感じたのは、道が何となく綺麗っぽくなっている事。いつもなら枯れた竹があちこちに散らかっているのに
今年はそれが無い。神社関係の人が片づけてくれたのか、何れにしてもありがたい事です。
私はここの沢状に窪んだ道をトボトボ歩いていると、まるで遍路道を歩いているように感じて好きだったが、今日はトボトボとは
いかなかった。普段は何とも感じなかった斜面も、慣れない人には滑るではないか
「ここで滑ったら怪我をするかな~」 と誰か言うと 「滑ってみればいいじゃんか」 と誰かが返す。
マー本当に怖ければ口もきけないだろうから、冗談が出るうちは大丈夫だろう。
茶ノ木と笹薮の間の道 茶ノ木の間の道 笹薮の間の道
農道に出るたびに一息入れて歩くので、余り疲れを感じないで3本目の農道に合流。問題はこの先だ。
一応皆なに 「この先の林の中の道と茶畑の道は荒れているかもしれない」とことわると
「エー じゃここまでの道は荒れてなかったの?」 とか 「この前みたいな道なき道なの?」 と言われる。
それが林の中の急斜面の場所に出ると、昨年までは上からズルズル滑った跡を逆走していたが、今年はまごうことない道が
付いている。一部踏み跡や目印が不確かだった場所も今は何の懸念もなく歩く事ができた。
途中にある石垣で 「何の石垣だと思う」 と聞くと山城の跡と作業小屋に意見に分かれた。
だが石垣の持つ曲線を見て 「作業小屋を作るのに、こんなにしっかり石垣を組むはずはない。」 と意見が一致した。
本当にこの石垣は “何時、誰が、何の為” に組んだのでしょうね?
最初の難関の林の中の道はクリヤ。次は茶畑と笹薮の道だ。
それがどうした事か、今年は綺麗に整備されていて去年歩いた時よりも歩きやすかった。途中にあった新しい道標には
“2015,01,30”と記されていたが、この頃、整備してくれたのだろうか。その標識は大崩山塊でよく見かける岡部の
Sさんの標識と似ているが感謝です。
今回は簡単に歩けてしまった道だが、この北のピークで 「安倍山系<登山道詳細>」 の著者、松理さんに会った事がある。
松理さんは大崩山塊を安倍山系の下巻で紹介すべく調査中で、3本目の農道上の林を過ぎた藪道通過に苦労していたようだ。
その後発刊された 「安倍山系「下」」 では、立石神社から北のピークまでの道を 「がさついている、藪っぽい、一部藪あり」 と
紹介している。
そんな道を平均年齢71歳の年寄りの、しかも素人軍団でも何の支障なく歩く事ができました。一度は北のピークをと思って
いる方はぜひこの時期に挑戦してみてください。静かで且つ雄大な景色に出合う事でしょう。
そうその雄大な景色を仲間に見せようと思ったのに、今日は富士山や白銀のアルプスは勿論の事、近郊の山々も薄ボンヤリで
写真を写す気にもならなかった。でも大丈夫、私の仲間は 「富士山はいつも見ているから関係ない」 だって。
今日は助かったが、バッチリ景色が見える時は張合いが無い時もある。。
北のピークの茶畑の道 北のピーク
遂に北のピークの北側の茶畑が放置状態になってしまった。この茶の木が伸び放題になると富士山やアルプスを眺められなくなる。
南側の茶畑は昨年は茶の収穫をしたようだが今年はどうなるか。見た感じは病葉が多く、このまま放置される気配が濃厚だ。
そうなると北のピークからの眺めは望めなくなる。
そしていつもここで思うのは、北のピークの一番高い部分は、すでに放置茶畑が覆っていて立ち入る事ができないので、その部分を
市が借り受けるなりをして、茶の木を撤去してくれないかと云う事。そうなればこのコースが人気コースになる事は請け負いです
エッ 階段があったかな? 富士見峠の展望台
北のピークから池の平に向かう尾根道も整備されていて、市が認定しているハイキングコースと何ら見劣りはしない。
そうなると北のピークの放置茶畑が益々残念に思える。
池の平を過ぎればハイキングコースになるのだが、ここにも変化があり、富士見峠に行くまでに階段が4か所もあった。
ここに階段があったとは覚えていないが、新しくできたのだろうか? それともアルコール性健忘症で忘れてしまったのか。
何か気持ちが悪い。
富士見峠の上にパイプを組んだ見晴し台のような物が見える。作業していた人がいたので話をすると、地元の三輪地区の
「ふるさとを守る会」 の人たちだった。まず目についたのが見晴らし台の材木が階段と同じだったので聞いてみると、矢張り
階段はこの人たちが設置してくれたもののだった。
序に北のピークの整備の事も聞くと、あちらは一般の人が善意でやってくれたそうだ。
高草権現 高草山502.9mの標識
高草山の三角点と、社のある所とどちらが高いか仲間に気にして歩いてもらうと、全員が社側が高いと言った。
実は三角点のある西峰は501mで、祠のある東峰は標識によれば502.9mなので仲間の感覚は合っている。
だが焼津市の主催した講演会の講師が
「最近高草山は三角点のある場所より、社の方が高いと言う人がいるけど、それは間違いで、高草山の麓の関方から見れば
明らかに三角点側の方がが高い」 と言い切った。
確かに関方方面から見ると三角点側が高く見え、私も疑問を感じてブログに書いた事がある。その時は同じ程度の高さの山は
見る位置により手前の方が高く見え、奥側が低く見えるのではないかと納得をした。
そこで今日は仲間にその確認をしてもらおうと思っていた。 序に高草権現の鳥居の方向が東を向いていることも確認してもらった。
これは矢張り講演会で 「高草山山頂の社は神神社の御神体で、神神社の三つ鳥居はこの社の方向を向いている。」 と紹介していた
からだ。
確かにこの説は一般的で私も当初はそう思っていたのだが、何度も高草山や神神社を訪れていると疑問を感じるようになっていた。
その私の疑問を仲間たちはどう感じるか、これも神神社で確認しようと思っている。
高草山からのコースは西の谷を農道まで下り、今度は農道を歩いて富士見峠下まで行き、そこから山道に入って潮見平、時石、
神神社と下る予定だった。
それが西の谷を下って農道の所まで来たが仲間の一人が中々下ってこない。10分ほど待ったが下りてこないので迎えに行くと
道に座り込んでしきりに足を揉んでいた。足が攣って痛くて歩けないと言う。
こうなると年寄り軍団は弱い。背負ってやる事は出来ないので、できるのは口で励ますことぐらいだ。ともかく農道まで下りて、
そこでヒッチハイクをするかタクシーを呼ぶか考えよう。と農道まで下ってもらう。
ところが舗装された農道に立つと痛みが和らいだと言い歩けるようになった。アー良かった。
しかし結局は富士見峠下からの山道は下ることはできず三輪まで農道を歩く事にした。それでも高草山は農道があり、時折車が
走っているので最悪の時は何とかなる。これで農道が遠い場所だったらどうすればよいのだ。と考えるとゾーとした。
次回からはその点も顧慮してコースを設定しないと・・・・・・
池の平の水源 池の平の溜池
池の平の語源となった水源を久し振りにのぞき込んでみた。透明な水がたっぷり溜まっていた。この水を昔は飲用していたと
案内板にはあり、そこから流れれた水を溜めた水で作物の消毒用に使っていたらしい。
池の平水源の上 見事な色の桜が咲いていた
だがこの水源地の上には茶畑が広がっていて一見きれいに見えるが、この茶畑を消毒した薬分が地下に染みて、この水源に
湧いていると思うと、とても飲む気にはなれない。
前回歩いた菊川の横地城趾の横に、魚の住まない “丹野池” があるが、そこも周りは茶畑だった。きっとここの水も今では飲用
にはしないだろう。
農道下にピンクの色も爽やかな桜が見えてきた。染井吉野に比べ色が濃いので河津桜かな?
「俺は古来の桜のように、もっと色の薄い白っぽい桜の方が好きだ。」 と誰かが言ったが、同感だったが、これはこれでいい。
山の神入口 山の神奥の院
道の横に注連縄で張った場所に案内板がある。若しやこれはと近づいて行った。
高草山西側の策牛(むちうし)、関方、三輪の集落では、高草山中腹に “山の神”の奥の院があり、そこで春になると矢を射って
矢の飛んだ方向でその年の豊作を占う風習がある。
その “山の神” を祀った奥の院を見たいと、西の斜面を歩くときは注意しているのだが、まだ策牛の奥の院しか見つけていない。
しかしこの注連縄はその奥の院の一つらしい。案内板には
「山の神祭 祭日二月八日 山の神の磐座に紅白の重ね御幣を立てる。祝詞のあと竹と藤弦で作った大弓で四方に向かって
大矢を射る。これにより邪気を払い、治山治水と山の幸、野の幸の豊穣をを祈る。この山の神祭は古代祭祀の姿を現代に残す
貴重なもので、元三輪村の氏子が毎年行事をつとめる。 藤枝市教育委員会」 とある
確かに私の求めていた奥の院で、三輪集落の “山の神” のようだ。しかしこれは私の考えていたイメージとは違っていた。
私は以前見たブログに
「三輪の山の神は、明らかに「神神社」の磐座で、そこは神神社の飛地社有地であり、神神社の三輪鳥居が向いている方向に
ある」 とあった。なので三輪の山の神は神神社との祭礼だと思っていた。ところが案内板には神神社の事は一言も書いてない。
では “神神社の飛地社有地” も間違っているのだろうか? (三つ鳥居の向きは怪しいが)
マーいい。ともかく奥を見てみようと、仲間に5分の猶予を貰い沢筋を遡ってみた。入口からほんの30mも行くと、注連縄張った
場所があり、細竹で作った祭壇もあった。
これが磐座? 今まで磐座と名の付く物は幾つも見たがウーン。これじゃ磐座と云うよりガレ場に過ぎない。
それに矢を射ると云っても周りは開けてないので射った矢の方向と云ってもナ~。これなら策牛の奥の院の方がよっぽど矢を
射る場所には相応しい。
オッともう止めよう。罰が当たると困る。沢はまだ上流に続いているので、この奥に本来の奥の院があるかもしれない。
今日は時間が無いが、いつかもう少し奥まで行ってみよう。
十輪寺山門 モクレンと山門
足を攣った仲間も農道を歩いたので、何とかバスの走る県道まで下る事ができてバスで帰る事にした。
予定より大分遅くなったが、今日は距離が身近いので時間には余裕がある。そこでモクレン寺として知られた十輪寺に寄って
みたが、さすがにモクレンには早すぎた。
寺の貼り紙にはモクレン祭は 「3月12・13日」 に行われるそうです。十輪寺は木食上人の微笑仏が二体祀られていて自由に
拝観できるので、モクレンと合わせて見学するのもいいですね。序に神神社に寄ればもっといいでしょう。。
神(みわ)神社 三つ鳥居
神神社の三つ鳥居の方向が、高草山山頂の高草山権現の社の方向に向いているかどうか確認するため、仲間に鳥居の向きを
覚えてもらい、山頂が見える場所から確認してもらった。すると全員が 「違う」 と言う。
一度神神社の宮司にこれらの事を聞いてみたいと思っているが、宮司さんを境内で見た事が無く実現していない。残念だなー。
もう一つ講演会で聞いた話を確認するため、朝比奈川の堤防の手前から高草山山頂を見てもらった。この辺りから高草山を
見ると、手前の三角点のある西峰の方が高く見える。そこで仲間に実際歩いた時は社側が高いと言ったが、ここから見てどう
思うか聞いてみると、意外な返事が返ってきた。
「山頂ではお社のある方が高いと思ったが、こうしてみるとあれは思い違いで、三角点のあった方が高い」 と言う。
わたしが 「三角点は501mで、社の横にあった標識は502.9mだった。」 と言っても納得してくれなかった。
じゃ次は社の方が高く見える場所で話を聞いてみよう。
朝比奈川の河津桜 桜と菜の花のコラボ
土手の河津桜は丁度満開状態だった。山で見た桜の色と比べ大分濃いが、これは光線の関係か、それとも実際に濃いのか。
これでは確かに色が濃すぎてくどく感じてしまい、染井吉野の淡いピンクの方が可憐に思える。
歩行時間:6時間15分 休憩時間:1時間05分 延時間:7時間20分
出発時刻:8時40分 到着時刻:16時00分
歩 数: 19、347歩(推定距離13.8km) GPS距離14.0km
行程
本郷入口BS 0:15> 立石神社 1:00> 北のピーク 1:05> 富士見峠 0:25> 高草山 1:00> 池の平 0:55> 磐座
0:25> 十輪寺 0:10> 神神社 1:00> 焼津駅 (※コースタイムは休憩が多くあまり参考になりません)
大崩山塊:北のピーク・高草山から朝比奈川の河津桜
北のピークから高草山に続く尾根
月例となった今月の仲間とのウォークは、立石神社から北のピーク経由で高草山へ行き、帰りは岡部の三輪で神(みわ)
神社の三つ鳥居を見て、朝比奈川の河津桜の中を焼津駅まで帰る予定です。
北のピ-クから高草山の尾根は、志太平野側からは一番目につく尾根で、しかも車で1号線を東に向かうとフロントガラスの
正面に見えてきます。これなら一緒に登る仲間が家族や友人に 「あそこのピークから、尾根伝いに高草山に登った」 と自慢話が
できるのではないかと、深い親心の発揮でコースを選択したつもりなんですが・・・・
距離はおおよそ12-3km程度で丁度よいが、気になるのは北のピークへの道の状況です。特に3本目の農道上は昨年こそ
大分整備されていたが今年はどうだろう。これが一昨年までのように荒れていると、口の悪い仲間に、何と言われる分からない。
そんな不安を感じるコース設定です。
本郷の常夜灯 立石神社の摂社
立石神社の階段を上り、本殿左奥にある一番奥の摂社の左横から登山道は始まる。
登山道に下りた瞬間感じたのは、道が何となく綺麗っぽくなっている事。いつもなら枯れた竹があちこちに散らかっているのに
今年はそれが無い。神社関係の人が片づけてくれたのか、何れにしてもありがたい事です。
私はここの沢状に窪んだ道をトボトボ歩いていると、まるで遍路道を歩いているように感じて好きだったが、今日はトボトボとは
いかなかった。普段は何とも感じなかった斜面も、慣れない人には滑るではないか
「ここで滑ったら怪我をするかな~」 と誰か言うと 「滑ってみればいいじゃんか」 と誰かが返す。
マー本当に怖ければ口もきけないだろうから、冗談が出るうちは大丈夫だろう。
茶ノ木と笹薮の間の道 茶ノ木の間の道 笹薮の間の道
農道に出るたびに一息入れて歩くので、余り疲れを感じないで3本目の農道に合流。問題はこの先だ。
一応皆なに 「この先の林の中の道と茶畑の道は荒れているかもしれない」とことわると
「エー じゃここまでの道は荒れてなかったの?」 とか 「この前みたいな道なき道なの?」 と言われる。
それが林の中の急斜面の場所に出ると、昨年までは上からズルズル滑った跡を逆走していたが、今年はまごうことない道が
付いている。一部踏み跡や目印が不確かだった場所も今は何の懸念もなく歩く事ができた。
途中にある石垣で 「何の石垣だと思う」 と聞くと山城の跡と作業小屋に意見に分かれた。
だが石垣の持つ曲線を見て 「作業小屋を作るのに、こんなにしっかり石垣を組むはずはない。」 と意見が一致した。
本当にこの石垣は “何時、誰が、何の為” に組んだのでしょうね?
最初の難関の林の中の道はクリヤ。次は茶畑と笹薮の道だ。
それがどうした事か、今年は綺麗に整備されていて去年歩いた時よりも歩きやすかった。途中にあった新しい道標には
“2015,01,30”と記されていたが、この頃、整備してくれたのだろうか。その標識は大崩山塊でよく見かける岡部の
Sさんの標識と似ているが感謝です。
今回は簡単に歩けてしまった道だが、この北のピークで 「安倍山系<登山道詳細>」 の著者、松理さんに会った事がある。
松理さんは大崩山塊を安倍山系の下巻で紹介すべく調査中で、3本目の農道上の林を過ぎた藪道通過に苦労していたようだ。
その後発刊された 「安倍山系「下」」 では、立石神社から北のピークまでの道を 「がさついている、藪っぽい、一部藪あり」 と
紹介している。
そんな道を平均年齢71歳の年寄りの、しかも素人軍団でも何の支障なく歩く事ができました。一度は北のピークをと思って
いる方はぜひこの時期に挑戦してみてください。静かで且つ雄大な景色に出合う事でしょう。
そうその雄大な景色を仲間に見せようと思ったのに、今日は富士山や白銀のアルプスは勿論の事、近郊の山々も薄ボンヤリで
写真を写す気にもならなかった。でも大丈夫、私の仲間は 「富士山はいつも見ているから関係ない」 だって。
今日は助かったが、バッチリ景色が見える時は張合いが無い時もある。。
北のピークの茶畑の道 北のピーク
遂に北のピークの北側の茶畑が放置状態になってしまった。この茶の木が伸び放題になると富士山やアルプスを眺められなくなる。
南側の茶畑は昨年は茶の収穫をしたようだが今年はどうなるか。見た感じは病葉が多く、このまま放置される気配が濃厚だ。
そうなると北のピークからの眺めは望めなくなる。
そしていつもここで思うのは、北のピークの一番高い部分は、すでに放置茶畑が覆っていて立ち入る事ができないので、その部分を
市が借り受けるなりをして、茶の木を撤去してくれないかと云う事。そうなればこのコースが人気コースになる事は請け負いです
エッ 階段があったかな? 富士見峠の展望台
北のピークから池の平に向かう尾根道も整備されていて、市が認定しているハイキングコースと何ら見劣りはしない。
そうなると北のピークの放置茶畑が益々残念に思える。
池の平を過ぎればハイキングコースになるのだが、ここにも変化があり、富士見峠に行くまでに階段が4か所もあった。
ここに階段があったとは覚えていないが、新しくできたのだろうか? それともアルコール性健忘症で忘れてしまったのか。
何か気持ちが悪い。
富士見峠の上にパイプを組んだ見晴し台のような物が見える。作業していた人がいたので話をすると、地元の三輪地区の
「ふるさとを守る会」 の人たちだった。まず目についたのが見晴らし台の材木が階段と同じだったので聞いてみると、矢張り
階段はこの人たちが設置してくれたもののだった。
序に北のピークの整備の事も聞くと、あちらは一般の人が善意でやってくれたそうだ。
高草権現 高草山502.9mの標識
高草山の三角点と、社のある所とどちらが高いか仲間に気にして歩いてもらうと、全員が社側が高いと言った。
実は三角点のある西峰は501mで、祠のある東峰は標識によれば502.9mなので仲間の感覚は合っている。
だが焼津市の主催した講演会の講師が
「最近高草山は三角点のある場所より、社の方が高いと言う人がいるけど、それは間違いで、高草山の麓の関方から見れば
明らかに三角点側の方がが高い」 と言い切った。
確かに関方方面から見ると三角点側が高く見え、私も疑問を感じてブログに書いた事がある。その時は同じ程度の高さの山は
見る位置により手前の方が高く見え、奥側が低く見えるのではないかと納得をした。
そこで今日は仲間にその確認をしてもらおうと思っていた。 序に高草権現の鳥居の方向が東を向いていることも確認してもらった。
これは矢張り講演会で 「高草山山頂の社は神神社の御神体で、神神社の三つ鳥居はこの社の方向を向いている。」 と紹介していた
からだ。
確かにこの説は一般的で私も当初はそう思っていたのだが、何度も高草山や神神社を訪れていると疑問を感じるようになっていた。
その私の疑問を仲間たちはどう感じるか、これも神神社で確認しようと思っている。
高草山からのコースは西の谷を農道まで下り、今度は農道を歩いて富士見峠下まで行き、そこから山道に入って潮見平、時石、
神神社と下る予定だった。
それが西の谷を下って農道の所まで来たが仲間の一人が中々下ってこない。10分ほど待ったが下りてこないので迎えに行くと
道に座り込んでしきりに足を揉んでいた。足が攣って痛くて歩けないと言う。
こうなると年寄り軍団は弱い。背負ってやる事は出来ないので、できるのは口で励ますことぐらいだ。ともかく農道まで下りて、
そこでヒッチハイクをするかタクシーを呼ぶか考えよう。と農道まで下ってもらう。
ところが舗装された農道に立つと痛みが和らいだと言い歩けるようになった。アー良かった。
しかし結局は富士見峠下からの山道は下ることはできず三輪まで農道を歩く事にした。それでも高草山は農道があり、時折車が
走っているので最悪の時は何とかなる。これで農道が遠い場所だったらどうすればよいのだ。と考えるとゾーとした。
次回からはその点も顧慮してコースを設定しないと・・・・・・
池の平の水源 池の平の溜池
池の平の語源となった水源を久し振りにのぞき込んでみた。透明な水がたっぷり溜まっていた。この水を昔は飲用していたと
案内板にはあり、そこから流れれた水を溜めた水で作物の消毒用に使っていたらしい。
池の平水源の上 見事な色の桜が咲いていた
だがこの水源地の上には茶畑が広がっていて一見きれいに見えるが、この茶畑を消毒した薬分が地下に染みて、この水源に
湧いていると思うと、とても飲む気にはなれない。
前回歩いた菊川の横地城趾の横に、魚の住まない “丹野池” があるが、そこも周りは茶畑だった。きっとここの水も今では飲用
にはしないだろう。
農道下にピンクの色も爽やかな桜が見えてきた。染井吉野に比べ色が濃いので河津桜かな?
「俺は古来の桜のように、もっと色の薄い白っぽい桜の方が好きだ。」 と誰かが言ったが、同感だったが、これはこれでいい。
山の神入口 山の神奥の院
道の横に注連縄で張った場所に案内板がある。若しやこれはと近づいて行った。
高草山西側の策牛(むちうし)、関方、三輪の集落では、高草山中腹に “山の神”の奥の院があり、そこで春になると矢を射って
矢の飛んだ方向でその年の豊作を占う風習がある。
その “山の神” を祀った奥の院を見たいと、西の斜面を歩くときは注意しているのだが、まだ策牛の奥の院しか見つけていない。
しかしこの注連縄はその奥の院の一つらしい。案内板には
「山の神祭 祭日二月八日 山の神の磐座に紅白の重ね御幣を立てる。祝詞のあと竹と藤弦で作った大弓で四方に向かって
大矢を射る。これにより邪気を払い、治山治水と山の幸、野の幸の豊穣をを祈る。この山の神祭は古代祭祀の姿を現代に残す
貴重なもので、元三輪村の氏子が毎年行事をつとめる。 藤枝市教育委員会」 とある
確かに私の求めていた奥の院で、三輪集落の “山の神” のようだ。しかしこれは私の考えていたイメージとは違っていた。
私は以前見たブログに
「三輪の山の神は、明らかに「神神社」の磐座で、そこは神神社の飛地社有地であり、神神社の三輪鳥居が向いている方向に
ある」 とあった。なので三輪の山の神は神神社との祭礼だと思っていた。ところが案内板には神神社の事は一言も書いてない。
では “神神社の飛地社有地” も間違っているのだろうか? (三つ鳥居の向きは怪しいが)
マーいい。ともかく奥を見てみようと、仲間に5分の猶予を貰い沢筋を遡ってみた。入口からほんの30mも行くと、注連縄張った
場所があり、細竹で作った祭壇もあった。
これが磐座? 今まで磐座と名の付く物は幾つも見たがウーン。これじゃ磐座と云うよりガレ場に過ぎない。
それに矢を射ると云っても周りは開けてないので射った矢の方向と云ってもナ~。これなら策牛の奥の院の方がよっぽど矢を
射る場所には相応しい。
オッともう止めよう。罰が当たると困る。沢はまだ上流に続いているので、この奥に本来の奥の院があるかもしれない。
今日は時間が無いが、いつかもう少し奥まで行ってみよう。
十輪寺山門 モクレンと山門
足を攣った仲間も農道を歩いたので、何とかバスの走る県道まで下る事ができてバスで帰る事にした。
予定より大分遅くなったが、今日は距離が身近いので時間には余裕がある。そこでモクレン寺として知られた十輪寺に寄って
みたが、さすがにモクレンには早すぎた。
寺の貼り紙にはモクレン祭は 「3月12・13日」 に行われるそうです。十輪寺は木食上人の微笑仏が二体祀られていて自由に
拝観できるので、モクレンと合わせて見学するのもいいですね。序に神神社に寄ればもっといいでしょう。。
神(みわ)神社 三つ鳥居
神神社の三つ鳥居の方向が、高草山山頂の高草山権現の社の方向に向いているかどうか確認するため、仲間に鳥居の向きを
覚えてもらい、山頂が見える場所から確認してもらった。すると全員が 「違う」 と言う。
一度神神社の宮司にこれらの事を聞いてみたいと思っているが、宮司さんを境内で見た事が無く実現していない。残念だなー。
もう一つ講演会で聞いた話を確認するため、朝比奈川の堤防の手前から高草山山頂を見てもらった。この辺りから高草山を
見ると、手前の三角点のある西峰の方が高く見える。そこで仲間に実際歩いた時は社側が高いと言ったが、ここから見てどう
思うか聞いてみると、意外な返事が返ってきた。
「山頂ではお社のある方が高いと思ったが、こうしてみるとあれは思い違いで、三角点のあった方が高い」 と言う。
わたしが 「三角点は501mで、社の横にあった標識は502.9mだった。」 と言っても納得してくれなかった。
じゃ次は社の方が高く見える場所で話を聞いてみよう。
朝比奈川の河津桜 桜と菜の花のコラボ
土手の河津桜は丁度満開状態だった。山で見た桜の色と比べ大分濃いが、これは光線の関係か、それとも実際に濃いのか。
これでは確かに色が濃すぎてくどく感じてしまい、染井吉野の淡いピンクの方が可憐に思える。