はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

ビク石周回-2

2015-10-03 10:00:00 | 低山歩き
歩行記録                                                          H27-9-29(火)
歩行時間:6時間25分   休憩時間:1時間45分   延時間:8時間10分
出発時刻:8時25分     到着時刻:16時35分
歩  数: 29、039歩(推定距離21.2km)    GPS距離18.0km
行程表1
玉露の里 0:25> 不動の滝 0:20>  新舟駐車場 1:10> びく石山頂 0:45> 地蔵峠 0:30> 新舟駐車場
行程表2
新舟駐車場 0:30> 地蔵峠 0:20> 農道合流 0:45> 下大沢 0:10> 西方八幡宮 1:10> 中里橋 0:20 ゆらく

      
            山頂広場の四阿                          下・上大沢分岐

 昼飯にはまだ早かったので一服して山頂を出発した。上大沢コースの入口にある四阿は、真ん中に桜の木がありその部分の
屋根は無い。きっと花見の時に桜がチラチラする光景を想像して建てたのだろう。
しかし四阿の中のベンチは何時使ったか分からない状態で、とても座る気にはなれない。春の桜の頃だってどうだろう、きっと
このベンチで休憩する人はいないと思う。

 山頂広場から3分ほどで上大沢の沢ルートの分岐に着いた。
今日は直進する剣ヶ峰コースの稜線を地蔵峠まで下るのだが、こちらのコースには 「中堅者」 と注意書きがあった。
私はとても中堅者とは言えないが、この道の登りは何度か歩いているので不安は感じなかった。
ただこの周回コースが初心者でも歩けるなら、それこそ山の初心者ばかりの近所の仲間と歩こうと思っている。
今日はその下見も兼ねたルート探索だ。

 春には椿の花を求めて歩いた尾根道は、今はキノコの盛りの時季なのか、アチコチにキノコが目に付いた。
登りは巨岩を見ながら、下りはキノコを撮りながらのんびり歩こう。

      
   落葉に半分埋もれて肉厚で柔らかそうだが                 すくっと立った軸に節が、笠は平らで中央が薄茶色

      
  これで笠が茶色ならチョコにある。だが笠には棘が      アケビの皮のような色で食べられそう

      
   茶色で薄い笠は如何にも脆そうだ                           一方こちらは木の根にしがみつき堅そうだ

  
   最初のキノコと同じかな?                        このキノコは群生している

 
   まるで花弁のように笠が裂けている。 右のキノコと同じ種類? 軸も写したいが横になるのがつらい。

 
   肉厚の傘にポツポツ斑点が。毒キノコかな              オヤ!これはナメコかシメジか

 
   アップにするとこんな感じ。右のキノコはまだ成長過程のキノコ   大木の根元にあった

 キノコ撮りをしながら歩いていた尾根道だが、確かに山歩きが苦手な人には向いていない。登りでは感じなかったが、急斜面の
堅い土の上に乗った砂利が、滑りそうで怖く感じるかもしれない。近所の人と歩くのは止める事にした。

                 
              地蔵峠の祠が見えた                        地蔵峠の石仏
 
 キノコ撮りをしながらゆっくり歩いので45分掛かって地蔵峠に到着。
地蔵尊の光背の右には 「文政元寅年 笹川村中」 の文字が見え、左には 「七月吉日 大澤村中」 の文字が見える。
文政元年の西暦1818年には、この峠を通じて笹川と大沢は交流があったのだ。だがそれから190年経った今、果たして
道は残っているのだろうか。

 問題は峠から新舟への道が、新舟の何処に出るかだが、 「■■大典記念 昭和三年十一月 新■」 と書かれた駐車場の
上の道標の所に出れれば最高だと思っている。。
ただあの道標は昭和3年に道を開通させたのか、それとも道標を建てたのかハッキリしない。若しかすると文政年間の道と
昭和の道とは違うという事も考えられる。
しかし、いずれにしろ昭和3年には峠から駐車場までの道はあったのだから、その痕跡は今でも残っていると思いたい。

 
              地蔵峠にあった標識                   上大沢へのハイキングコース(標識が見える)

 地蔵峠の祠の横に手製の標識が取り付けてある。これは以前来た時にも有ったが、その時は良く見ていなくて四辻だと思っていた。
今回実際に歩くのでよく見ると標識は五辻になっていて、しかも今まで気付かなかった道には 「笹川八十八石駐車場」 と書いてある。
ラッキー! これで新舟の駐車場に着いたも同然だと気が楽になった。

 五辻の紹介をします。先ずビク石山頂から下って来た剣ヶ峰コースの道は祠の前を通って南西に下ります。

 
左がびく石への剣ヶ峰コース(標識が見える)右が駐車場への道        駐車場への道にあった朽ちた小屋

 次に山頂に行く剣ヶ峰コースは今歩いて来た道で北に向かって登って行きます。写真では左の上りの道です。
右の平らな道が今回分かった駐車場の道で標識には点線で書かれていました。

 駐車場への道の入口は踏み跡もハッキリとした道だったが、少し入ると道が崩れていて注意を要した個所があった。
だがそこを過ぎると又しっかり踏まれた道になったので、気を良くしながら5分も進んで行くと赤い目印も付いていた。
更に進むと今度は朽ち始めた作業小屋が現れ、道はその小屋の前に通じていた。
だが、だがです。小屋まではあった道が小屋の先には無くなっていた。
じゃぁ道は下の林の中に入るのかと見るが、何処を見ても道のようでもあるし、道では無いような気がする所だった。
目印はと探すが見当たらない。
さてどうしよう。まだ他にも本命の道があるのだから決断すのは早い方が良い。と、引返す事にした。

                 
                  天王山への道                      水玉神社への道

 地蔵峠の五辻に戻り分岐の説明を続ける。上大沢に下る左の南に登る道は、春に歩いた天王山への道だ。
最後に残された本命と思っている水玉神社と書かれた道は、多分国土地理院の地図に出ていた不動の滝に続く道だろう。
本当は駐車場へ直接出る道を歩きたいが、今回は水玉神社への道を歩き駐車場への道は次回再挑戦しよう。

    
                  標識にPの文字が                            水玉神社への道

 駐車場へと書いてある道を歩き始める時は地蔵さんに手を合わせただけだったが、今度を地蔵菩薩の真言を唱え
 “無事駐車場に行けますように” とお願いをしてから水玉神社への道に入った。
こちらのの道も入口はしっかりしているが油断はできない。だが入口にはまだ新しい赤い目印が2ヶ所も付いていて、
更に30mも入った所には、ナント!ナント! 「2015.2.10 八十八石(P) 笹川→」 と書いてある標識もあった。
なんでだ? 地蔵峠の標識には駐車場への道は北東に延びる道とあり、今引返してきたばかりだ。
こっちの道は水玉神社と書いてあったのに ------
親切で標識を付けてくれるのは分かるが、行先の書き方は付けてくれた人の解釈で変わってしまう。
この道は多分水玉神社経由駐車場なのだろうが、問題は水玉神社が何処にあるかと云う事だ。
この標識は今年2月に付けてくれたばかりなので悪くても踏み跡はあるだろう。

 写真のような道を歩き、傾斜のきつい林の中に入ると下の方に人家の屋根が幾つか見えた。なんか簡単に着いてしまったと
歩き易そうな所を右に向かった。アレー?道が無い。慌てて目印の所まで戻り次の目印を見つけて無事下る事ができた。
どうやら人家の屋根を見て気が緩んでしまったようだ。
この林の中は目印の間隔が広い所もあるが、先、先と目印を確認して行けばどうという事のない道です。

 林を出ると農道と民家がすぐ近くにあったが、この集落が何処の集落なのか分からない。朝歩いて来た道ではなかったので
一先ず下り始めた。でも変なんです。朝歩いて来た道に民家がこんなにあった所は無かった。
変だ!変だ! と思いながら下って行くと、右に水玉神社の看板が見えた。成程これなら峠の祠の横にあった標識が正解だ。
問題は駐車場までどのくらい戻るかだ。など考え神社の入口から5mも下ると左側に見た事のある風景が現れた。
しかも看板には 「十四地蔵尊」 の文字が見える。なんだぁーここは一昨年 「駿河百地蔵」 で寄った場所だ。
確かここから駐車場まではホンの数分で着くはずだ。

 地蔵峠から道標の横を通り駐車場には30分で着きました。
この道は林の中で目印を見落とさないようにすれば他には危険な所は無く、山頂から地蔵峠までの尾根道の下りの方が、
よっぽども注意が必要だった。

 この道が文政年間に歩いていた道かどうかは分からないが、私としてはこれで満足です。
もう地蔵峠から、もう1本の駐車場への道は歩く気はなくなっていた。
これで入舟駐車場を起点とした 「びく石周回コース」 は完成としよう。

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