はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

大崩山塊:東西尾根縦走

2017-03-30 11:01:42 | 低山歩き
                   大崩山塊:朝鮮岩からと高草山縦走 

歩行記録                             H29-3-28(火)
歩行時間:6時間15分   休憩時間:1時間00分   延時間:7時間15分
出発時刻:6時00分     到着時刻:13時15分
歩  数: 22、869歩(推定距離16.23km)    GPS距離.km
行程表
 安倍川駅 1:25> 朝鮮岩 1:05> 丸子富士 0:30> 満観峰 0:30> 鞍掛峠 0:55> 高草山 1:35> 廻沢口
 0:15> 岡部団地入口BS

 毎日見ているブログに高草山のキスミレが相次いで紹介されて、見頃は “今週末” となっている。たが週末の天気予報が余り
良くない。それなら降水確率0%で晴れマーク一色の明日(28日)が良いと行ってきました。
勿論キスミレだけでは面白くないので、まだ少し早いかもしれないがヤマブキと山桜の様子も気にかかる。
なら朝鮮岩から満観峰に抜け高草山に行くのもいいが、それだけではまだ足りない。他には・・・・

 例年この時期は大崩山塊の静焼アルプス縦走と称して、徳願寺の佐渡山から飯間山、宇津ノ谷峠、444m峰、満観峰、花沢山、
カンポ下の縦走や、朝鮮岩から満観峰、高草山、花沢山、満観峰、444m峰、宇津ノ谷峠を十字縦走などと勝手に名前を付けて
歩いていた。だが今年はどうしてか意欲が湧いてこずに今になっている。
今回もそれなら十字縦走を兼ねて歩けばいいと思ったが、その意欲は湧いてきませんでした。

それでも高草山までの縦走だけでは物足りなく、思いついたのは昨年の静焼アルプスを歩いたときに宇津ノ谷峠とロンショウの間の
鞍部に新しい標識が付いた事です。以前こあった “悪路” の標識に変わり、新しい標識の略図には、東に下ると宇津ノ谷集落とある
ので、静焼アルプスを歩いていて疲れた時の逃げ道になりそうです。
ヨシ!今日はその道を確認してこよう。宇津ノ谷峠までのコースは現地で決めればいいとコースも決定しました。

       
                  小野平のベンチ                               洒落た温度計

 丸子川の居尻橋を渡り井尻峠への分岐を過ぎると、道は徐々に傾斜を増して小野薬師寺に寄らない直登コースは更にきつくなる。
そんな急登も中電の25号鉄塔を過ぎ小野平の稜線になると緩やかになってホッとできる。
小野平にはベンチがあるが視界は効かない。だがきつい登りが終って誰もがもが立ち止まって休憩をしたくなる場所でもある。

 
                  ヤマブキ                                  ヤマブキ

 ヤマブキは大崩山塊の中腹に見られる花で、小野平から朝鮮岩、林叟院Aコース、カンポの尾根の大日堂下、満観峰の舟川の
農道などで見る事ができるが、容易にどこでも見れれる花です。
このヤマブキの大株が満開の時は、花の黄色が辺りを明るくしているようにも見え、それは見事に感じます。

 そんな期待を抱いていたのですが、ヤマブキはまだ葉が開いたばかりで蕾が付いていな枝が殆どでした。

 
                  朝鮮岩                                    周りが焦げていた

 朝鮮岩がいつもと違って見えていた。前回来た時は岩の手前は丈の低い雑木が生えていて、岩は直接見えなかったのが、周りの
雑木を伐採したので岩が物見台のように見えるようになっていた。
ウン!この方が断然格好いいし、名前にも合っている。
だが、岩の周りをよく見ると黒焦げの状態があちこちの残っていて、中には木の幹まで黒くなっているのもある。
どうやら火も使って伐採後の整理をしたようだが、こんな急な場所で火を使うんなんて怖くはなかったのだろうか。
私では山火事が心配でとてもできそうにない。いやそれ以前に急斜面が怖くて伐採すらできないだろう。

 
                日本平はかすみ                                 富士山は見えない

 天気予報は晴マーク一色だったのに雲は多く、霞はかかり冴えない天気だった。
これでヤマブキに次いで富士山の眺望の夢も断たれた。

       
              ロープ場                            第一展望台と書いてある

 大崩山塊の中で随一のロープ場です。でもこの程度なら私でも上りはロープには触れずに登る事ができます。
 第一展望台と標識の建つ場所にベンチがあるが眺めは今一。それにしても第二は何処にあるのだろうか。

       
                   丸子富士山頂                               山頂のの石碑

 この稜線には何ヶ所も巻道があるが、その中で一番巻道との差が大きいのはここの丸子富士への登りです。なので他の巻道は
気軽に歩いてしまうが、この巻道は分岐に来ると考えてしまいます。
巻道との差が大きい分、ここを避けると何かズルをしたような気がして心苦しくなってしまいます。そして二度と登らなくなってしまい
そうで、それも嫌なんです。

 だが、折角登っても視界も効かない張りあいのない丸子富士山頂です。桜の大木が1本あるが、まだ蕾も見えない状態なので
当分は咲きそうにありません。
山頂には三等三角点舟川と小さな祠と石碑があって、その石碑には 「金光山 蔵王権現」 と刻まれています。
この山の名前は 「丸子富士」 と重たい名が付いているのに “金光山”???です。

確か “◯◯富士” の名称は富士山が見えない場所で富士山に似た山が付ける名前だと思っていたが、この二つの富士は並んで
見える場所がある。そのため偽物のみすぼらしが余計に際立ってしまい、大崩山塊大好き人間の私には恥ずかしく感じてしまいます。
以前私はこの山は山の形状から “三角山” 、山の歴史から “吐月峰” がいいのではと思っていたが、ここに “金光山” とあるなら
金光山の方がいいような気がします。

 
                満観峰山頂                                 山頂の手製ベンチ

 9時過ぎに着いた満観峰山頂には珍しく誰も居なかったが、休憩しているうちに次々と鞍掛方面から登ってきた。
安倍川駅から満観峰まではほぼ予定通り3時間で来れたが。これが焼津駅からだと2時間30分位と若干短縮できる。
だが焼津駅から歩く人は稀で花沢の里の観光駐車場から歩く人が多い。駐車場からだと1時間20分で山頂に着くので、花沢から
歩く人が多いようです。元日の山頂で初日の出見るときは2ヶ所ある大きな駐車場は満杯になり、山道は行列になります。

 今日は景色が駄目なので山頂のベンチを紹介します。老巧化した四阿を撤去したあとはテーブルに丸太のベンチになりました。
そしてその先の富士山の見える方には、材木でできた簡易なベンチがある並べられている。見た目は格好悪いが眺めが良いので
人気は高く、他にも何脚かあるテーブル付きベンチより利用する人が多い気がする。

 満観峰から鞍掛峠への下りは蔦の細道の分岐には行かず、山頂直下の階段の所から始まる脇道に入った。
この脇道は去年花沢山で転倒したとき上りで初めて歩いたが、距離も短く余りメリットは感じなかった。それでも下りも一度は歩か
ないと思い入ったが、生憎道が湿っていて滑ること滑る事。入った事を後悔しました。
歩いた時間はたった5分。これでは近道と云ってもたかが知れてるでしょう。

      
          モグラの餌場                    モグラの餌場              イヌシデ? オオバヤナギ?

 鞍掛峠までは何人ものハイカーとすれ違う。一番多いのは私と同じようなリタイアした年金組のようで、しかも単独行が多い。
小遣いが少ないので金の掛からない低山歩きは丁度良いのだろう。

 鞍掛峠上の放置茶畑の横の登山道が深く耕かされていた。勿論猪の蚯蚓取りの痕で珍しくも無いが、ここのは土の表面だけでなく
まるでスコップで掘返したように深く掘られていた。蚯蚓がこんな深くにいるとは思えないが茶畑の横で土が柔らかいのだろうか。

 この幹肌の木は以前にも大崩山塊で見た事があり調べたが分からなかった。今回は強い味方があるので早速取り出して調べてみると、
 「イヌシデ(犬四手)」 の幹肌と似ていた。 「樹皮は網目状の縞模様」 と書いてあり葉の形状も書いてあったが、まだ葉は付いていない。
それでもまだ自信が持てず家に戻ってからネットで調べると 「オオバヤナギ(大葉柳)」 の幹肌がそっくりだった。
説明には 「河岸の砂礫地に生え河畔林を作り、樹皮は灰褐色で縦に裂け目が入る」 とあったが、ここは河岸でもないし砂礫地でもない。
果たしてどちらが正解なのか、それとも別の木なのか。植物の判定は難しい。

 
            散らかっている?山林                              第?展望台

 登山道を歩いていると以前から気になっていた林を覗いてみた。林の中の杉の木には肥料のビニール袋などを根元に巻き付けて
あるが、それが外れて辺りに散らかっている。自分の土地だから許されるのかもしれないが、あまり見た目は良くない。

 今日の目的の一つの山桜の様子見だが、すでに丸子富士で諦めていた。だがここからは三角点のピークや花沢山の斜面の山桜が
何本も見えるのだが・・・・・ウーン矢張りやここからでも山桜が咲いた木は1本として見えなかった。まだ大分早いのだろう。

 コアジサイの咲く所から上に延びる踏み跡は以前から気になっていた。この時季なら何か花が咲いていないかと入り込んでみると、
土の中から少し顔を出した丸太の階段が上に続いている。どうやら古い登山道のようだった。
古い階段が終えても上に延びる踏み跡は続いていたが、もう少し経てば雑草に覆い隠されてしまいそうな心細い踏み跡だった。
その踏み跡を少し上に登った上には登山道があって期待した花には出合えなかった。
この踏み跡の入口からの登山道は、右に迂回して林道の近くを通り再度向きを左に変えている。多分古い直登の道を緩やかな
道に作り変えたのだろう。上から踏み跡を見ても分かりにくく下りに使うには無理そうです。

 
              キスミレ群生地入口                              キスミレ群生地

 キスミレの群生地に上の入口から入っていくと、上からでも群生地に何人かの人影が見えた。
大砲レンズを付けたカメラや三脚を据えて花を狙っているカメラマンがいたが、彼らが写せばこの貧弱な群生地も見栄えのする花場と
化すのだろうから写真とは恐ろしいものだ。
私も素敵な写真を撮りたく、意を決してカメラ講座に参加したが一回出席しただけで止めてしまった。
何しろ講師曰く 「1枚写すのに10分20分は当たり前」 だそうで、私のように一度の歩きで100枚から200枚写す者には適さなかった。
講座内容も完全マニュアルで写すことが目的で、私はその手前のシャッタースピード優先や、絞り優先の撮影方法を学びたかったので
内容が高度すぎました。
そんな言分けを妻にして一度で止めてしまうなんて、とんだ無駄遣いだったと反省しています。

 
                                       キスミレ

 キスミレのブログには “今年のキスミレは開花が遅く、見頃は今週末” だと紹介したものが多かったが、中はこんな風に紹介している
ブログもあった。
 「「見ごろは来週」と言っている見物客の声が耳に入ってきましたが、今年の見ごろは今でしょう。」 と、私もこの意見に大賛成です。

 何故か年々花影が薄くなっているように思えるキスミレに対し、年々濃くなってきているのは群生地の横の道です。
何年か前までは入口に大きな木の枝を置いたりして踏み跡を隠そうとしていたが、今ではそんな事もなく群生地にはキスミレの保存を
している高草山研究会の写真入りの注意書きまである。
焼津市では高草山のキスミレとヤマタバコ群落を特定植物群落にしていて、キスミレ観察会やキスミレウォーク等も開催していた。
コーラスグループの “キスミレ” やディーサービス “きすみれ” もあるくらい焼津市民に知られているのだから、この際花沢山城跡の
整備もさることながら、この群生地保護に力を入れたらどうだろうか。金を入れたから絶滅危惧種のキスミレが復活するほど甘いもの
ではないだろうが、無償で奉仕してくれている人たちの援助にはなるだろう。
それにこれだけ有名になったのなら、隠すよりも公開した方が盗掘や踏み荒らしなどの不法行為も減るのではないかな。

 登山道に戻り次のコースをしばし考えた。残った目的の道探しは宇津ノ谷峠の先だが、その前にこのコースの下に咲いているらしい
コシノコバイモを見て見たい。キスミレを紹介したブログにはこのコシノコバイモとセットで紹介しているのが多いので、この下と辺りとは
思うが咲いている場所を見つけれるかどうかは分からない。マー多分駄目でしょう。結局林叟院まで行って戻ることになりそうです。
止めた、止めた。ともかく高草山にまで登ってから考えよう。

小笠丘陵周回2

2017-03-24 10:06:12 | 低山歩き
                   小笠丘陵周回:三ツ峰から138度展望台 

歩行記録                             H29-3-17(金)
歩行時間:7時間25分   休憩時間:1時間25分   延時間:8時間50分
出発時刻:7時15分     到着時刻:16時05分
歩  数: 29、404歩(推定距離20.9km)    GPS距離17.9km
行程表
 掛川駅 1:00> 登山口 0:50> 小笠山 1:00> 中尾根鉄塔 0:10> 山本橋 0:35> 三ツ峰尾根合流 0:20>
 道迷い後三ツ峰尾根合流地点 0:15> 三ツ峰 0:35> 腹摺峠 0:35> 138展望台。 0:50> 六枚屏風 0:20>
 登山口 0:55> 掛川駅
                                  小笠丘陵略図


 
            山本橋と点検路標識                             溝のような沢を少し上る

 次の目標地の5号鉄塔には山本橋を渡った橋の袂から入る。橋の保護柵には中電の送電線点検路の標識が付いています。
点検路の先の尾根の上に見える鉄塔は18号と19号だが、これから行く鉄塔は5号です。送電線は繋がっているのに何故でしょう?
ここに来るといつも悩むのだが、結論が出ないまま今になっている。

 点検路は橋から10m程堤防を歩き、山の斜面が始まる所から小さな溝のような沢の横を溯ります。
右側の斜面を見ながら20mも行くと、樹脂製の黒い点検路の階段が見えてくるので、溝を渡って階段に入れば後はハッキリした
踏み跡が続きます。
分かってしまえば明瞭なこの道も、一度では見つける事ができず三度目にやっと探し当てる事ができました。

       
          点検路の樹脂製階段                            5号鉄塔

 左程急でもない斜面だが黒い階段は延々と続き、階段が終った先には5号鉄塔が見えてきます。
先程下った中尾根の鉄塔からの下りの急な坂は、ハイキングコースだったのに階段は無く、こちらは普通の人は歩かないのに
階段がある。マーどっちにしても階段があって助かります。

 
              右はヌタ場の入口                               ヌタ場

 急な坂は5号鉄塔で終わり、あとは尾根状の所についた踏み跡を登ります。
昨年は無かった赤いビニールテープの目印が付いているのを見ると、ここを歩く人もいるのでしょう。
若しかしてこのブログを読んで歩いたのかも、なんて考えると楽しくなってきますね。

 途中でヌタ場らしき場所に行こうと、尾根の道と分かれ右の細い道を下ります。どうですこんな細い道も頭に入っているのですから
このコースは免許皆伝ですな。と自己満足を感じながら。
 ここは斜面が小さな崖になった下にある平らな場所で、水が少し湧いているようです。見た目にはヌタ場と思えるのだが今まで
獣の毛や足跡を見つける事ができずヌタ場と断定できなかった。
今日も毛や足跡を探してウロウロして見つけたのは、猪の足跡と思しき爪先が二つに割れた跡だった。ぬかるみの中に付いた
足跡を写真に撮ったが、残念!ゴチャゴチャしていて撮った本人にさえ判読できなかった。

            

 今日ここを歩く理由は、昨年尾根の合流部にある三辻で三ツ峰に行く道が分からずにさ迷い歩き、2度目も迷いに迷って
何とか三ツ峰に行くことはできたが、正確に地形を理解できとは言えなかった。
その時私の頭にあった地形は上図のようなもので、合流部の三辻に出たら右に行けば三ツ峰だと云う事だけだった。
2度目の山行から家に戻り地図を参考にして考えた結果、なんとか納得でる案が浮かんだの、その検証を1年後の今日やろうと
ここにやって来ました。

 でも内心は自信満々でさっきもヌタ場に迷わず行くこともできたので、三辻についても何の心配も感じなかった。
しかしその時私の頭にあった地形は、最初にこに来た時と同じように、合流部の三辻を右に曲れば三ツ峰だと云うものだった。

 
           いかにも尾根道らしい                             この先に崖がある

 三辻に出て右に曲がる道を少し下れば、いかにも尾根道らしい道になり一先ず間違いはなかったと安心します。
しかしそこから踏み跡は林の中をズンズン下りだしたので、変だと思いながらも確信のないまま戻るのも嫌なので先に進んだ。
古い目印を2・3か所で目にしたのも悪く、下の方に広場が見える所まで来てしまった。
そうだあの広場の先は崖になっていて、その下には民家や県道が走っている。去年ここには2回も迷い込んだ場所だ。
車の排気音も聞こえてきてやっと自分のミスを認め引き返す事にした。
帰りの上り坂では何故間違えたのか考えたが結論は出ない。尾根の丁字路に出たら右に曲がる筈だと思い込んでいるのだから。

      
       後ろ(歩いて来た道)               右(下りの道)                    左(登りの道)

 三辻に戻り再度三方の道を確認した。山本橋から来た道は下り坂で目印が何個か付いている。
今間違った右の道の先には広くなった尾根道も見えているので、如何にもハイキングコース然として見える。
だが目印は1個も無い。そういえば去年こちら側にあった目印を外した事を思い出した。
これから行く左は上り坂の道で、3本の中では一番歩かれていないように見える。だがよく見ると赤い目印が付いているのが見える。
冷静に考えれば左の道を・・・・・・・ ウーン無理だ。矢張り三ツ峰は右にあるという固定観念がある限り左の道には行く事ができない。

 
              見慣れた倒木                               中尾根が見える

 とは言え左の道を行くしかないのでしばらく歩いていくと、見た覚えのある倒木が出てきた。更に進むと右側に中尾根も見えてきた。
この道が三ツ峰に行く道で間違いないようだが、頭では納得する事ができなかった。
今日歩くにあたり去年のブログはあえて見てこなかったのは、自信もあったし復習しないで歩いた方のがより理解できると思っていた。
なのにこのこの様だ。

        
 家に戻り昨年のブログを見ると三辻の行先を試行錯誤していたのが分かる。
2回目の歩きを終わった時点でもヌタ場の位置も特定でないでいるし、更に何故左側が三ツ峰か理解していなかった。

       
 更に試行錯誤を続け最終的に自分を納得させたのが上の略図です。
尾根の丁字路に合流したと思っていた三辻は、尾根の中間ではなく尾根の開始点のY字路だったのです。そう思えば三ツ峰方面が
左になるというのも理解できる。
このことをすっかり忘れていて、ここに初めて来たときと同じく、尾根の中間に合流したと思ったのだから進歩がない。

 マーそんな訳で、私の思考停止してしまった頭の紹介でした。

 
               三ツ峰の進入禁止箇所                            三ツ峰山頂

 その後は順調に進み三ツ峰山頂手前の進入禁止のテープの所に出た。
何故ここがこんな大袈裟な進入禁止になっているのか良く分からないが、道が不明確だからだなのでしょう。
アッそうだ例の三辻の崖で行止りになっている方向には、枯枝を積んでおきました。そして三ツ峰方面には目印も付けておきました。

 三ツ峰山頂には丁度12時に到着。ゴールの掛川駅に後4時間で着くかどうかは見当もつかないが何とかなるだろう。
山頂にあったインドネシアの国旗のような赤白の板が見当違いの方に落ちていたので、山頂の木の枝の間に挟んでおきました。

       
              オット勢い込んでジャンプすると                            墜落です。

 昼飯が終り三ツ峰山頂を出ればすぐ崖の縁を歩く縦走路に合流します。急傾斜の前方には危険防止のロープが張ってある。
斜面を調子よく下ってきて、勢い余ってジャンプしてしまえば、マー死ぬことはないだろうが大怪我は間違いないでしょうな。
何年か前に崖から落ちた人を救助するためヘリコプターが出動したか、そんな事になりませんように気を付けましょう。

 
            エコパのグランドが見えた                               腹摺峠

 景色は余り清々は見えないが、時折崖の縁が開けすぐ下にはエコパのグランドが見える場所もあった。
この北の尾根の下にはエコパのウォーキングコースがあるので、以前ウォーキングコースを歩いたとき、崖の下に行く道が無いかと
踏み跡を探しながら歩いたが、見つける事はできなかった。
私には崖の上からだと怖くて覗き込む事は出来ないので、下から見たかったがそれは敵わなかった。

 モノラックのレール沿いの坂を下れば腹擦峠の四辻にでる。東西の道は北の尾根の縦走路で、南北の道は掛川と海辺の横須賀を
結ぶ重要な街道だったとか。その面影なのか南は切り通しなっていて昔は荷車が通っていたような感じもする。
ただ歩いてみるとこの切通しの先はじきに細い山道になってしまうのは何故だろう。
一方南に下る道は太いまま県道まで続いていて、所々には簡易舗装の痕も見える。どうやら南側は山の傾斜が緩く、茶畑や山林の
開拓が行われ、その農道が峠まで延びていたのだろう。途中にあったモノラックもその証拠のようにも思える。
だが、北の斜面は傾斜がきついため農地や山林が作られなかったので農道も伸びなかった。と一先ずそうしておこう。

標識のある道は4ヶ所だが、ここにはもう1本重要な道がある(私にとっては)。
掛川に向かう北の道と展望台に向かう南の道の間に沢状に窪んだ箇所が先に続いている。この窪みを3・4分も行くと低い尾根状の
所に出て、その少し下に峠の語源になった腹摺岩がある。
左右の岩がせり出し隘路になった岩の間を、荷や人を乗せて馬が通る際、その腹が岩で擦れたことから腹摺峠の名が付いたと云う。
そんな話もこの岩を見れば何となく納得できる感じです。
そのままこの岩を下れば、すぐ下で峠からの道に合流して掛川の高御所に下る事ができます。
 
 と、そんな説明をしたのに今日は腹摺岩には行きません。何となく到着時間の4時が気なってきたからです。

 
          新しい侵入防止のロープ                              138度展望台

 崖の縁に行かないように新しいロープが張られていました。今でもコースの整備をしてくれているのは有難いことです。
整備と云えば昨日(22日)現役時代の仲間4人と飲む機会があり、そこでビックリしてそして嬉し恥ずかしの話を聞いた。
仲間の一人が 「北のピークの草刈りをしてきた。」 と言い出したのです。突然の話で瞬間意味が分からなかったが、彼の言うには
ブログで北のピークの道が荒れているのを知り除草してきたと言う。
当然何のブログか気になるので聞いてみると「はぐれ遍路のブログに決まっているよ。」 と言う。私は自分のブログの事は知人には
話していないので変だと思い更に聞いてみると 『前回の飲み会の時に 「はぐれ」 と言うヒントを聞いたのでそれで検索した』 そうだ。
どうやら4・5年前にあった一杯会で自分から喋っていたようだ。お恥ずかしい。
それはともかく北のピークの道が除草されたなら丁度良い機会です。富士山は見えないかもしれないが是非行ってみてください。
S・Kさんありがとうございました。
                                                八高山         粟ヶ岳

                                    掛川・袋井展望

 今日は生憎富士山も南アルプスも見えていない。また近くも春霞なのかボンヤリとしている。これからはこんな状態の日が続くだろう。
しかしこの景色を見ていると疑問が湧いてきた。昔の大井川は右に見える粟ヶ岳側より流れ込んでいて、今私がいる小笠丘陵が隆起
する前はこちらに向かった流れていたという。その証拠に小笠丘陵には砂利や河原石がある。
だが、粟ヶ岳側から水が流れ込んでいたとしたら、左の袋井側に続く今でも低地の方向には水は流れ込まなかったのだろうか?
以前袋井は地盤が悪く地震に弱いと聞いた事がある。もし大井川が流れ込んでいたら砂利などの地層で地震には弱くない筈だが?

 所詮私の頭では千年や万年前の地形など想像すらできません。なので妄想的歴史観も浮かんできませんでした。

 
                 犬戻り                                    六枚屏風分岐

 展望台で既に1時半を過ぎていたが、4時までに2時間30分。もし間に合わないようなら近道もあるのだがどうしよう。
エイ! 行ってしまえと近道になる2ヶ所の分岐を通過して六枚屏風に向かう事にした。

 “犬戻し” とは両側が絶壁になった痩尾根の上を歩く所で、犬でも怖がって戻ってしまうので名が付いたようだ。
今は頑丈な橋が架かっているので私でも渡ることができるのは有難い事です。

 
               六枚屏風上のロープ場                          六枚屏風入口

 分岐から暫くは朝歩いた道を戻る。更に下って行くと六枚屏風上のロープ場に出るのだが、これを見て以前仲間と一緒にここを
歩いた事を思い出し少し怖くなった。事故が無かったから良かったが、山歩きに慣れていない平均年齢73歳の高齢者が歩くような
道ではない。その時は仲間に六枚屏風を見せてたい一心で、こんな場所があるとは思いもつかなかった。桑原!桑原!

 六枚屏風の入口に着いたが既に2時半を回っている。これから六枚屏風まで往復して中に入れば20分は掛かるだろう。
そうなるととても4時までに掛川駅に戻る事ができない。止めよう。

 
                   何だろう?                                  水路の洞窟

 左の藪の中でガサガサ音がする。鳥だろうかと思ったが音はいつまでたっても止まず鳥も飛び立たない。何だろう?
猪だと怖いがそれほど大きな音ではないが、と思っていると茶色の動物が転がってきた。よく見れば2匹の動物がくんずほぐれつ
しながら道の方に転がってきたのだ。慌ててカメラの電源を入れると、何とマーこんな時に 「電池を交換してください」 と出てきた。
2匹の動物は鳴き声も上げずにくんずほぐれつしながら移動している。
さらにもう1台のカメラを取り出し写したが草の影に入ってしまいハッキリしない。もう少し近づこうと1歩前に動くと動物は突然離れて
藪の中に滑るように逃げ込んでしまった。
色や大きさはリスのようにも見えたがハッキリわからない。一体何だったのだろう?

 農道を下って行くと水路が洞窟の中に流れ込んでいる。自然の穴にしては丸みもあり人工の物なのか眺めていると車が来た。
これ幸いとばかりに自然か人工か聞いてみると 「昔からあるのでハッキリしないが多分人間が掘ったものだと思う」 と教えてくれた。
確かにこんな流れでは岩に穴が開く事はないだろうから人間が掘ったようだ。

小笠丘陵周回

2017-03-20 11:57:34 | 低山歩き
                   小笠丘陵周回:小笠山から中尾根 

歩行記録                             H29-3-17(金)
歩行時間:7時間25分   休憩時間:1時間25分   延時間:8時間50分
出発時刻:7時15分     到着時刻:16時05分
歩  数: 29、404歩(推定距離20.9km)    GPS距離17.9km
行程表
 掛川駅 1:00> 登山口 0:50> 小笠山 1:00> 中尾根鉄塔 0:10> 山本橋 0:35> 三ツ峰尾根合流 0:20>
 道迷い後三ツ峰尾根合流地点 0:15> 三ツ峰 0:35> 腹摺峠 0:35> 138展望台。 0:50> 六枚屏風 0:20>
 登山口 0:55> 掛川駅
                                  小笠丘陵略図


 掛川駅を発着とした小笠丘陵の周回コースを歩いてきました。今回は六枚屏風の北の尾根を登ることと、昨年何回か歩いてやっと
道を理解できたと思っている山本橋から三ツ峰に抜ける道を歩く事が主目的です。
どちらも一般ルートではないため道標はありませんが、リボンなどの目印はそこそこ付いています。
そして帰りは4時までに掛川駅に戻ること。これは前回ゴールの駅に着いたのが5時過ぎだったため、心配した妻からの厳命です。

  
            遠江33観音1番札所結縁寺                             新しい標識

 掛川駅南口を降り駅前の道を真直ぐ南に向かう。県道403号の上張矢崎の交差点を渡り、すぐ右折して上に行く農道に入る。
そこに去年は無かった新しい標識が立っていた。その後も同じような標識があったので標識の整備をしてくれたようです。

                                 案内板上の周回略図
 

 途中にあった案内板のハイキングコースマップに今日歩くルートを重ねてみました。黄色の丸は案内板に表示がない部分です。
本来の小笠丘陵周回なら小笠神社にも行きたいところだが、今日は省略します。理由は・・・・・ 疲れるから。
これで4時までに掛川駅に戻りたいのですが、戻れるかどうかは神のみぞ知るです。

 
            六枚屏風への分岐                              農道終点(案内板にPとあり)

 いつもならここを左折して六枚屏風の尾根に取付くのだが、今日はそのまま直進して、この先にある尾根から取付きます。
本来なら六枚屏風に先に行きたいのだが、これから行くルートは傾斜がきつく下りには適さないと、数年前に歩いた記憶があります。
その記憶が正しいかどうかは分からないが、一応それを尊重して下りは避けて登りにする事にしました。

          
                  登山道入口(ロープが見える)                            急傾斜

 農道の終点には車数台が置ける空地があり、駐車場の看板は無いが車は置いてもよさそうです。
そこから一歩先は沢状態になっているが、左側を見ると斜面にロープが張ってあるのが見える。矢張り記憶通りの傾斜のようだ。
登りだした坂はかなり急で、小笠丘陵の中では有数の斜度の坂だと思ったが、ロープもあり木の幹や根もあるので登るには特に
支障はなく怖さもない。

 途中にサカキカヅラの冠毛のついた種があちこちに落ちていたので上を見ても木は特定できなかった。特に特徴のない葉なので
竹とんぼ状の実が付いていなければ判別できないし、実の色も葉と同じ緑色なのでこれも見つけにくい。
斜面の上なので、あちこち移動する事も出来ず結局見つける事はできなかった。

 
               粟ヶ岳が見えた                                  横は崖

 左に見える六枚屏風の尾根と同じくらいの高さまでくるとロープ場が終り、視界が開けて掛川の一部と粟ヶ岳が見える。
こんな景色でも小笠丘陵では貴重な展望地なのですから、マー小笠丘陵は眺めが良い山とは云えないでしょう。
ここからは小さなピークを幾つか越えるなだらかな道になるが、登山口までの平らな農道が長かった分、入口が急だったようです。

このルートにも小笠丘陵特有の崖は健在です。崖に近づき覗き込む度胸がないので崖かどうか分かりにくいが、まさしく崖です。

 
                のどかな道もあり                               崖横の道もある

 ロープ場を過ぎれば基本的にはのどかな道が続き、横に崖のある個所も道が広いので怖さを感じず歩く事ができる。
どちらかと云えば六枚屛風の尾根よりも気持ちの良い尾根だが、一度しか歩かなかった理由は、あちら側には六枚屏風という
小笠丘陵随一の奇観があるからに他なりません。

   
                                 気は抜けないが楽しい道

 どうです、こんな感じの道が続いているので余り疲れも感じずに歩く事ができます。

 
               六枚屛風の道と合流                              崖上の道だった

 登り始めて35分で六枚屛風の尾根道と合流した。ここを10分も下れば六枚屛風の入口です。
今歩いて来た道を振り返ると、何と!何と! 道の横は絶壁になっている。歩いている時は崖下は見えない、いや見ないようして
歩いているので恐怖感は湧かないが、この崖を見てからあの道を歩くとなるときっと怖いだろうな・・・・

 
                主尾根合流                                  掛川市街

 そこから5分強で小笠山に続く尾根に合流する。本来ならここを右に138度展望台に向えば、景色を見るのに適している午前中に
展望台に行けるのだが、今日は三ツ峰に県道側から登りたいので左の小笠山に向かう。
太いハイキングコースを歩いて山頂に向かうのも良いが、左の尾根の上の踏み跡を行けば、木の間から掛川の市街を眺めながら
山頂に出る事ができます。
   
             小笠山山頂                                 点の記より小笠山山頂

 広場になった小笠山山頂ですが景色は見えず三角点がポツンとあるだけの淋しい山頂です。
四等三角点の点名は 「小笠山」 標高は246.79m、設置場所住所は 「袋井市愛野字腹摺」 となっています。
ここで少々ビックリ。私はこの先にある小笠神社が掛川市なので、山頂もてっきり掛川だと思い込んでいたので、慌てて地図を
確認すると、北側の市境は小笠山から138°展望台、腹摺峠、三ツ峰に続く尾根だった。
更に南側は小笠山から電波塔、3本目の尾根を境としているので、尾根の下の東側にある小笠神社は。掛川市で当然で、
山頂は丁度市境なので掛川でも袋井どちらでもよかった。
更に気になるのは “愛野” とか “腹摺” とあることで、一般的には愛野は法多山尊永寺がある辺り、それより上のは “豊沢” の
筈です。また、腹摺は字名なので地図では分からないが腹摺峠の場所とは大分離れています。

 先ず “愛野” から調べてみると、矢張り愛野は愛野駅やエコパのある周辺で、それより山(南)側は “豊沢” になっていた。
なので山頂付近は当然豊沢の筈です。一方 “腹摺” は調べる術は無かったが、山頂付近が腹摺とは中々思う事は出来ない。
私が山頂付近に字名を付けるなら “砦” としたい。なぜならこの辺りは戦国時代に徳川家康が武田軍の高天神城を攻めるとき
小笠砦を築いた場所だからです。

 地理院の点の記から略図を複写してしまった。図の右の崖のマークは大袈裟でなく本当に崖になっています。
三角点を中心とした道の上の方に行くと、少し展望が効く場所があります。点線の下は少し先で自然歩道と合流しています。
写真を見ていて気付いたのは、去年まであった白い杭が無い事。どうしたのだろう?

 
                 県道合流                                  のんびりした道

 小笠山から中尾根に行く道は2本あり、1本は山頂すぐ下から右に曲がる道だが、そこには以前は無かった 「中尾根」 への標識が
付いていた。この標識は麓で見た標識とは違う形なので山全体に標識を追加したのかもしれない。
もう1本は更に山頂から小笠神社に向かって行くと、高札場のような案内板のある四辻に出る。そこを右に行けば山頂からの道と
合流する。今日は近道でもある山頂下の道を歩いたが、山頂から約5.6分で県道に合流した。
県道の先には中尾根の道が見えています。

 中尾根は三ツ峰などがある北の尾根に比べ、なだらかで起伏も少なく、また道の横に崖も無くのんびり歩ける道です。

 
             倒木の根の裏の河原石                            袋井と法多山が見えた

 倒木が根の裏を見せて倒れている。そこに付いている石は山石のようにゴツゴツした石ではなく河原の石のように丸みを持った石だ。
以前も紹介したが小笠丘陵は大昔は大井川の川底で、当時大井川は現在の掛川から太平洋に注いでいたらしい。
大井川上流から運ばれてきた土砂は堆積し、長い年月の間に隆起と侵食を繰返し、いつしか現在のような丘陵になったという。

 昨日(16日)地元の歴史講座で 「大井川の生立ち」 の話しを聞いてきたが、その中に小笠丘陵は現在も隆起を続け、何千年後には
千mを超える山になると話していた。
確かにこの倒木や歩いて来た道は砂利や河原石が多く、場所によっては砂利を敷いたような所もあり隆起した事は間違いない。
講座の講師は更にこんな話もしてくれた 『小笠山の語源は 「笠山」 で、隆起した場所の上に木や草が笠のように乗っている事から
名前が付きました。』
オッ!ホントかよぉ? そんな所は見た事はないが。
さらに講師は 「小笠山と同じような場所はトルコのカッパドキアが有名です。」 と、ここまで来ると何か眉に唾を付けたくなるような話だ。
何しろカッパドキアは岩山で、ここは泥(泥層)と石(礫層)の集まりだ。それでも同じなのかなぁ?
 「私の話を確かめたいなら、マー1万年ぐらい長生きをして確かめてください。」 講師の話は面白くアッと言う間の1時間半でした。

 緩やかに高度を落としていく中尾根の道はのんびり歩けて良いのだが、面白味が無いのが欠点だ。景色も時折右に北の尾根が
見えるくらいなので張合いが無い。そんな景色も袋井市街や法多山の屋根が見えてきたら中尾根も終りに近い。

       
                   中電の鉄塔                                 最後の下り坂

 中電の鉄塔が見えてたら尾根も終盤で、後は急な下りが待っているだけです。
2本目の鉄塔を過ぎると下りは更に急になるが、木に掴まったり木の根を踏む事ができるので案外容易に下る事ができる。
下の方まで見える坂を下れば平坦な林で県道はもう目と鼻の先だ。

 
               県道から振り返る                                 山本橋

 県道に出て振り返ってみると尾根の上には今横を歩いて来た鉄塔が見えていた。
県道の20m程先に山本橋が見えている。ここで今日の工程のほぼ半分は終りになり、後は東に向けて引き返す事になる。
時間はまだ11時にもなっていない。この分では三ツ峰が丁度12時ごろになり昼飯に丁度良さそうです。

高尾山・烏帽子形山・三角山縦走3

2017-03-16 13:34:21 | 低山歩き
                   志太奥の山:三角山 

歩行記録                             H29-3-8(水)
歩行時間:7時間25分   休憩時間:0時間50分   延時間:8時間15分
出発時刻:9時00分     到着時刻:17時15分
歩  数: 36、197歩(推定距離25.7km)    GPS距離17.7km
行程表
 蔵田バス停 0:30> 山道入口 0:15> 高尾山 1:00> 不動峡分岐 0:30> 陶芸センタ 0:15> ゆらく 0:25> 石仏隧道
 1:20> 烏帽子形山 0:30> 三角山 0:15> 農道合流 0:35> 車道合流 0:05> 清水寺分岐 0:30> 清水寺 1:00>
 勝草橋 0:15> 藤枝駅
                                  三角山から瀬戸川までの略図

                                                              (赤線は推定です)
      
                                  烏帽子形山からの道

 花倉城址への分岐までは来た道を引き返す。流石下りは楽でいい。上りは25分掛かったのに下りはたったの10分少々だった。

 
              登山道横に放置茶畑                              三角山山頂

 三角山への登りになると、その右側にはモノラックのレールと放置茶畑が目についた。多分近くまで農道が来ているのだろう。
三角山には思ったより簡単に到着。烏帽子形山から20分ほどだった。
山頂は山名表示板があるだけだが、暗っぽい山道を歩いて来たので前方がやけに明るく感じた。


                                 三角山からの展望

 それもその筈、山頂の南面は開けていて藤枝の街と里山が一望できた。
正面に見えるのは先月歩いた蓮華寺池から清水山、経塚山の山波だ。清水山のタンクも見えている。今日はこれから清水山と
経塚山の一番低い所を抜けて清水寺に出る予定だが、足の方は? ウンまだ大丈夫だ。
ここの展望が開けているのは、茶畑が山頂直下まであったので、畑を作る際に周囲の木を伐採したからだろう。
山頂の景観を求めて木を伐採すると自然破壊だと言われ、農地や無線施設など作るときは余り苦情は出ないようだ。
確かに闇雲に木を伐採するのはいただけないが、景観を求めて山頂のほんの一部を切るだけなら許されてみいいような気がする。

 
                 山道の入口                                   農道合流

 山頂を下りだせばまた林の中の道で視界はない。ただ左程急でもない下りなので気楽に歩く事ができる。
山頂から約15分で農道に合流。そこには軽トラが溜まっていて何か作業している人もいた。
「今日は」 と今日初めての挨拶をするが返事はない。近づいてもう一度云うがまたもや無視。
どうやらお年寄りだったので耳が遠いようだ。余り近づいて驚かしても悪いと、今日最初の挨拶は諦めた。

 
                 天王山                                    花倉城址とビク石?

 農道歩きになると周りの山が見えるようなった。左に見えるのは葉梨の天王山で、去年の12月には初めて天王山からビク石まで
通しの縦走をした。そう云えば天王山にはクマガイソウの群落があると看板が出ていたが一度見て見たい。
そうだそれなら瀬戸川沿いの中山から烏帽子形山に登り、花倉城址から天王山に抜けるのも楽しいかもしれない。
アレー? 天王山の後ろに見えているのは富士山ではないか。生憎雲が邪魔をして見えないが惜しい事をした。

 更に後ろを振り返ると花倉城址が見えている。あの山は南側が少し伐採され展望地になっているので判断がつけやすい。
その右奥に見えるのは位置的にビク石の筈だが、ビク石がまるで坊主の頭が二つあるように見えるのに納得できない。
昨年歩いた青羽根のパノラマコースからも、こんな形に見えていたがどうもスッキリしなかった。
ビク石は高尾山側(西)から見ると平坦な稜線で、どこがビク石山頂なのか判断できないでいる。願わくば、ビク石は山頂まで林道が
延びているので、携帯電話のアンテナでも立ててくれないかな。そうすれば悩まずに済むのだが。

 今日歩いたコースの高尾山は瀬戸川右岸(西)で、烏帽子形山は瀬戸川左岸(東)になる。
同じくビク石から稜線が延びている天王山は、朝比奈川右岸に位置して瀬戸川には接していない。
これは天王山と烏帽子形山の間にビク石を水源とする葉梨川が流れているからで、その葉梨川は国道1号線近くで、朝比奈川に
合流し、更に河口近くでは瀬戸川とも合流して瀬戸川として駿河湾に注いでいる。
そしてわが愛する大崩山塊は更に東に合って、朝比奈川と安倍川の間に位置する山塊です。
このようにしばしば歩く山を川と結びつけると、その位置関係がより明確になる気がします。

 
                                        農道歩き

 のどかな気分で農道を歩いていると余り疲れを感じないで済む。尤もここが下りの道だからそう感じるのだろうが。
珍しく定植したばかりの茶畑があった。最近では放置する茶畑はあっても新しく植える畑は殆ど見た事がない。特にミカン畑の新しい
畑は見た事がない。デコポンとかハルミとか美味しい品種があるのにもったいない事だ。

 
         車道出合にある大きな屋根の家                              清水寺入口

 前方に大きくて傾斜の強い屋根が見えてきた。あの家の前の道は花倉の郷と瀬戸川沿いの寺島を結ぶ道で、その川の近くには
菖蒲の経塚園があったとか。今日烏帽子形山に登らないで清水寺に行くときは、その近くを通るので探してみようと思っていた。
そこで何故菖蒲園の名前を “京塚園” でなく “経塚園” にしたのか聞けば、山の名前が “京塚山” ともなった理由が分かるのではと
考えていた。でも、今更そこまで歩く気はしない。

 清水寺に向かう農道の入口は新東名のPAと同じになったので分かりやすい。写真後ろの盛り上がった山は経塚山です。

 
                新東名を越して                             ショウジョウバカマ(猩々袴)

 新東名のガードを潜った先から最後の上りが始まる。フーフー言いながら登って後ろを振り返ると新東名と今歩いて来ただろう
山が見えていた。一番高く見るのが烏帽子形山で、手前の山が三角山か、それとも高い山が三角山? 
写真を拡大してみると、後ろの高い山の山頂付近は木が伐採されているように見える。なら三角山だろう。あそこからもこの辺りは
良く見えていたのだから。

 土手にスイバの葉が紅葉したような物が沢山生えている。これはショウジョウバカマの葉で、4月上旬頃ここを歩くとピンクの花が
一杯咲いている。このショウジョウバカマのピンクの花の色は猩々には合わないし、可憐な花も猩々とも思えない。
何故 “猩々袴” なんて名前になったのだろう?
島田の慶寿寺に咲くショウジョウバカマは時折新聞などで報道されるが、そこと同じくらい咲いているかな。

 
                経塚山への分岐                             工事中だった

 やっと経塚山の分岐に出た。これでほぼ上り坂は終わりになった。足はまだ大丈夫だが経塚山に寄る元気はない。
石仏があり雰囲気のある場所で道路工事が行われていた。そういえばさっき 「工事中 全面通行止」 の看板が出ていたが、歩行者は
大丈夫だろうと勝手に解釈して歩いて来たが、見ると車が停まっていて通り抜けが難しそうだ。
ここはグズグズせず機先を制しなければと 「すみません。通してください」 と大きな声で言うと 「ヤー済みませんねぇ 狭いけど気を
付けて通ってください」
と言ってくれた。
安心したものの車の横は狭く、開けたあった車の窓に掴まってやっと通り抜ける事ができた。ふ~疲れた。

 
            竹とんぼ状のサカキカズラ                          サカキカズラの根元

 サカキカズラの場所に着き早速見て見ると、まだ実が10個ほど残っている。辺りに冠毛の付いた種はと探したが無い。
前回この木を見た時はつる性植物だと気が付かなかったので今回は良く見てみた。だが矢張りつる性植物には見えなかった。
根元からは何本の茎が密集するように生えていて、蔓というより藪の雑木と言った感じがする。
枝もツルのようにクネクネ曲ってはいず、茎の間は真っすぐに伸び、茎の所でクキと曲っているように見える。

        
             名札を付けた                               割れそうな実

 一先ず持ってきた名札を付けた。これでこの木の事を教えてくれた老夫婦も名前を知る事ができるだろうし、私もこの名前は
完全に覚る事ができる。あの時声を掛けて本当に良かった。

 良く見れば割れ目がハッキリしている実があった。これなら明日には種が顔を出し空中遊泳を始めるだろう。

 
                 清水寺参道                                   不動明王

 毎度のことながら清水寺に参拝をして急な階段を下る。最近はこんな階段でも手摺を使って降りるようになってしまった。
今は “転ばぬ先の杖” なんて言い訳をしているが、そのうち手摺がなければ下れなくなってしまいかねない。
そうなったら低山歩きは終わりだろう。

 
               藤枝サッカー場                                メタセコイアの道

 すでに太陽は低く夕方状態なのでサッカー場は逆光になり、影が多くて見えにくい。当然写真の出来栄えも良くはない。
秋には綺麗に紅葉するメタセコイアもまだ枯木状態で見る影もないが、それでもこの形を見ればすぐ名前が分かる木です。

 
        国1バイパスと金毘羅山・五州岳                                五州岳

 バイパスの先に見えるのは手前が五州岳で、低いのが金毘羅山です。歩いたときは感じなかったが、こうしてみると結構離れて
いるのが分かる。それにしても両方とも低い山で里山とも呼びずらい感じがする。
でも今月下旬か4月上旬の櫻のころに、もう一度歩こうと思っています。同じコースでも花枯れの時と桜が満開の時とでどれだけ
感じが違うか、体験するのも面白いのではないでしょうか。

 
                桜トンネル                                    勝草橋

 桜トンネルの桜の蕾はまだ小さくて固い。静岡県の桜の開花予想は3月31日だとか、見頃はそれから1週間後だとすると4月6日
頃になりそうだ。今年の瀬戸川の桜祭りは4月1・2日なので、これでは一分咲状態の桜祭りになりそうだ。
そう云えば東北大震災の時は桜の開花が遅く、ここでも桜祭りの時は蕾状態だった。たまたま歩こう会で祭りの日にここに来ると
東日本大震災にかこつけて、桜祭りを1週間延期するとの貼紙がしてあった。それを読んで随分腹がったたが、さすが間違いに気が
付いたのか、その年の桜祭りは中止になった。
 花の時季を見極めるのは難しいのは分かる。私のように直前で日にちを変える事ができても中々花真っ盛りには遭遇しない。
延期したい気持ちは十分わかるので、何かにかずけるのではなく素直に花が咲いていないので1週間延期するとすればいい。

 対岸に薄っすらと白い帯状の物が見える。多分あれは河川敷にあった梅林だろう。あの時はまだ蕾だったが今は盛りのようだ。
なんて考えながら歩いているうちに勝草橋に着いた。藤枝駅はもう一息だ。

高尾山・烏帽子形山・三角山縦走2

2017-03-14 12:05:25 | 低山歩き
                   志太奥の山:烏帽子形山 

歩行記録                             H29-3-8(水)
歩行時間:7時間25分   休憩時間:0時間50分   延時間:8時間15分
出発時刻:9時00分     到着時刻:17時15分
歩  数: 36、197歩(推定距離25.7km)    GPS距離17.7km
行程表
 蔵田バス停 0:30> 山道入口 0:15> 高尾山 1:00> 不動峡分岐 0:30> 陶芸センタ 0:15> ゆらく 0:25> 石仏隧道
 1:20> 烏帽子形山 0:30> 三角山 0:15> 農道合流 0:35> 車道合流 0:05> 清水寺分岐 0:30> 清水寺 1:00>
 勝草橋 0:15> 藤枝駅
                                  烏帽子形山から三角山略図
            
                                                          (青線は推定です)


 
                 烏帽子形山?                                  県道を曲がる

 ゆらくではバスの時間も調べずに通過する。下手に時間を調べて丁度良いのがあると気が変わってバスに乗ってしまうかもしれない。
少し前までは決してしなかった行動だが、最近は疲れを後日に残すよりいいと、意気地無しになってしまった。

 前に見える山は烏帽子山だろうか? 烏帽子で思い浮かべるのは、ちょん髷を覆う尖がり帽子の形だが、ここからの形はとても
尖がり帽子には見えない。
先月登った藤枝の烏帽子山は正にそんな形の山だったが、この山も見る場所によっては烏帽子に見える所があるのだろうか。
 山の名前も気にかかる。烏帽子山と烏帽子形山。多分東海道に近い烏帽子山は藤枝宿の目印だったと聞くので、古くから名前が
あったと思われる。
一方この烏帽子形山はそれ以後名付けたと思われるので、烏帽子山と同じ名前では紛らわしいと、 “形” を追加して烏帽子形山と
したと思う。ただ気になるのは名前の読み方で、私は “えぼしがたやま” と読んでいるが、烏帽子の一種の “烏帽子形” は
 “えぼしなり” と読むらしい。この山は “えぼしがた山” か “えぼしなり山” かどちらだろう。

烏帽子形山は何年か前に一度登った事があるが、景色も見えず面白くない山だったと記憶している。なので興味は湧かないが・・・・
待てよ、烏帽子形山は藤枝のハイキングコースに指定されているので一度登ろうと思っていたのだった。ならこの機会にどうだろう。
それに烏帽子形山から三角山に抜ければ清水寺への道の所に出る。でも足は? ウーン大丈夫そうだ。良し行ってみよう。

 烏帽子形山の登山口は、蔵田に向かう県道32号線から岡部に抜ける81号線に入り、石仏隧道を越した所にある。
その県道の入口が近づいて来たが本当に大丈夫なのだろうか? でも前方に見える烏帽子形山らしき山はなだらかな格好だ。
それにハイキングコースなのだから多寡が知れている。なんて自分自身を励ましている私でした。

 
           石仏隧道の石仏ではありません                           石仏隧道と祠

 県道81号に入ると地蔵尊や庚申塔、それに六地蔵なども安置されているが、これは石仏隧道の石仏ではありません。
そこから更に分も登るとトンネルの入口と右側にトタンの小屋が見えてきます。その小屋の中に石仏は安置されています。

 
           凍結防止用塩化カルシューム                          石仏隧道の石仏

 小屋の前に凍結防止用の塩化カルシュームが置いてある。伊豆の達磨山では融雪剤と凍結防止剤の勉強をしたが、確か塩化
カルシウムは融雪剤で雪が降った後にまいて、急いで雪を溶かしたい時に使用する薬剤のはずだ。
この辺りではまず雪は降らないので融雪剤というより融氷剤と云った方が適切な気がするが、その融氷剤の後ろには
 「凍結時のみ御利用ください」 と書いてある。
そうか静岡のような暖地では凍結する前に凍結防止剤を道路にまくより、凍ってからまいた方のが経済的なのだろう。

 石仏ですか、実は石仏隧道の名前を聞いて、その響きに誘われてこの峠に初めて来た時はがっかりしてしまいました・・・・・・・

 
              ハイキングコース入口                          細い農道は続いている

 隧道から5分も下った廃屋の所にハイキングコースの標識が建っている。ここを右折して細いが舗装されている農道に入る。
細い沢沿いの細い農道は緩やかな登りで、陽射しは無いが風も無く体は暖かい。   

       
                                      サカキカズラ?の種が舞っていた

 木の枝に白い錦糸のよう物が付いている。辺りを見ると道路の上や草の上のも落ちている。純白の細い絹糸のような冠毛は
最近名前を知った 「サカキカズラ」 に違いない。周囲を見回したが竹とんぼのように二つの実が付いたカズラの枝は見つける
事ができなかった。
そうなると一概にこの冠毛の付いた種をサカキカズラと言い切る事が出来なくなる。この実の名前を調べているとき、同じような
冠毛を “ガガイモの種が舞っている” と紹介した写真があった。果たしてこの種はどちらだろう。

 冠毛を手に取ってポイと投げてやると、少しの風でもスーと風に流されながら舞っている姿は優雅なものだった。
そしてその着地体勢は当然ながら重い種が下になっている。木の枝に引っかかった種もそのうち冠毛が朽ちて地面に落ちるだろう。
上手くできているものだ。

                      
                                  
 なだらかだった農道も小さな滝が現れた辺りから傾斜を増してくるが知れたものです。

 
           花沢城址と烏帽子形山の分岐点                     烏帽子形山への標識

 最後の坂を上りきって花沢城址と烏帽子形山の分岐点に到着。正面の標識には右に行く烏帽子形山しか書いてないが、左に行けば
すぐ花倉城址になる。今までもここは何回か来たがいつも左折して花倉城址に向かっていた。
その方が楽な事もあるが花倉城址の入口には眺めの良い場所もあるし、下りものんびり歩ける尾根道もある。
一方烏帽子形山の方は一度しか歩いた事しかないが、その時の印象が面白くなかったので自然と避けるようになってしまった。
だが今日はそんな事を言ってはいられない。清水寺に行くのだから。

 
                                    烏帽子形山への道

 分岐から暫くは放置茶畑の横を登って行き、茶畑が終ると何となく雰囲気のいい山道になった。

     
                                   烏帽子形山への道

 そんな道も徐々に傾斜を増してきて息が切れる。標識や目印は以前より増えた感じで道に悩み事はなく丁度良い位だ。
標識に 「烏帽子山あっち 花倉城跡こっち」 なんて書いてあり、思わずニヤリとしてくる。

 
               助宗と山頂の分岐                                 偽ピーク

 花倉城址との分岐から約25分ほどで助宗集落と山頂の分岐に着いた。清水寺は助宗の先にあるのでここから下って行けばよいが、
ここまで来たからには烏帽子山の山頂に行かなければ。
 若干傾斜が緩くなり上の方が明るくなってきた。やっと山頂だとケルンのある場所に着いたが山名表示も三角点も無い。
それに道はまだ先に延びている。うーん! 騙された偽ピ-クだった。

     
                                   烏帽子形山への道

 同じような道が次々と出てきて、最初に来た時は分岐からこんなに歩いたかしら? と考えながら歩いたが何も思い出せない。

 
                またもや偽ピーク                              中山への分岐

 階段がありその先は明るくなっているので今度こそ山頂だろうとピークに出たが、またもや道は続いている。そういえば麓で見た
烏帽子山は山頂付近長い平な稜線が続いていた。その稜線を歩いているのだろうか。それに下は傾斜がきついが?

 少し下った先に標識が幾つかあり幅広のベンチが設けられていた。標識を見るとここから下った先は 「中山」 となっている。
思い出しました。始めてきた時、帰りに間違ってここを下ってしまい、農道に出て下に中学校などが見えてきて間違いに気づき
登り返したことがあった。その時に標識やベンチがあったかは覚えていないが多分無かっただろう。

         
            最後の階段                                  ここを曲がって

 少し思い出した事がある。間違って分岐を下り登り返した時は、烏帽子形山には中山からの方がよっぽど近く、しかも楽で
分岐からは山頂まではすぐだったという事だ。その記憶が間違いなければ山頂は近い。

 そうだ最後の坂を登って尾根に出た所を直角に曲がった覚えがある。そしてその先は山頂だった筈だ。

 
             2017年2月の烏帽子形山山頂                   2012年1月の烏帽子形山山頂

 フ~やっと山頂に到着。助宗の分岐から25分掛かっているが、2度も騙された割には思ったよりは時間は掛かっていない。
多分疲れと先の事を考えて早く山頂に付きたかったので気が焦っていたのだろう。

 山頂にはベンチとテーブルがあるが、これが前回もあったのだろうかと、古い写真を見たが写した位置が違うので良く分からない。
雰囲気的にはなさそうだがそれより明らかに違うのは三角点の白い杭だ。今回の写真には山名表示板の右に建っているが、前回は
左側に建っている。それに三角点の標石は前回はハッキリ写っているが、今回のには写っていない。
写真を写すとき三角点が無ければ疑問に思うだろうが全然覚えていない。5年間の事を思い出して認知症ではないとホッとしたっが
たった幾日か前の事を思い出せない。古い事は覚えていて、最近の事を忘れてしまうのは認知症の症状だと聞いた事がある。
ヤバいかな。困ったものです。

 点の記に何か書いてないか調べてみたが2009年に調査し、2014年に標高改算をしているだけで三角点自身の変更は書かれていない。
ただ三角点の点名が 「烏帽子山」 になっているのはお笑いですね。それでいながら設置場所は 「藤枝市本郷字エボシ形3659番」
なっていました。

アーァ! これではまた宿題を作ってしまったようだ。近いうち確認に来なければ。

 ハイキングコースはここから引き返す事になっているが、山名表示の後ろを見ると薄い踏み跡がありしかも階段までもある。
土に覆われてはいるが確かに階段だ。一体何のための階段か? 送電線は無いので点検路ではない。
若しかしてここを行けば石仏隧道の上を通り487m峰からビク石まで続く道だろうか。何とも気になるがこちらは私に手に負えない。
瀬戸川の流域を踏破しているittaさんが歩いてくれないかしら。

高尾山・烏帽子形山・三角山縦走

2017-03-13 09:06:38 | 低山歩き
                   志太奥の山:高尾山 

歩行記録                             H29-3-8(水)
歩行時間:7時間25分   休憩時間:0時間50分   延時間:8時間15分
出発時刻:9時00分     到着時刻:17時15分
歩  数: 36、197歩(推定距離25.7km)    GPS距離17.7km
行程表
 蔵田バス停 0:30> 山道入口 0:15> 高尾山 1:00> 不動峡分岐 0:30> 陶芸センタ 0:15> ゆらく 0:25> 石仏隧道
 1:20> 烏帽子形山 0:30> 三角山 0:15> 農道合流 0:35> 車道合流 0:05> 清水寺分岐 0:30> 清水寺 1:00>
 勝草橋 0:15> 藤枝駅
                       蔵田から高尾山経由陶芸センタ
 

例年この時期には志太奥の高尾山から笠張山、菩提山、椿山を縦走していたのだが、今年は何となく気が進まない。
理由は三つあって、その一つ目は、昨年この縦走以外にも何度かこの山域を歩いている事。
二つ目は、清水山で見つけた 「サカキカズラ(榊葛)」 に名札を付けたいので、最後は清水寺に寄りたいと思っている事。
だが以前なら兎も角、今の私の脚力では4山縦走後清水寺まで歩く元気はないの困っている。
最後は知人から 「椿山の山桜は藤枝の隠れた花見スポット」 と聞いた事だった。送られてきた写真を見ると確かにに大崩山塊より
山桜が集中しているように見える。
ならば一度は確認しなければ、この辺りのハイキングコースの紹介をしている身にとって情けないと思うようになっている。
と、そんなこんなでバスを降りて歩き出してからも今日のコースは決まっていなかった。

       
            鼻崎の大杉                                  林道銘鈑

 鼻崎の大杉の所で県道と別れ林道に入る。その入口に林道高尾線の銘鈑が 埋め込んであった。
そうだいつもはこの先で山道に入るのだが、今日は林道を歩いて高尾山に行ってみよう。

 
                最初の登山道入口                          作業道の登山道が合流した

 最初の登山道入口は見送り、そのまま林道を進む。景色は林道沿いに木々に邪魔をされ時折高根山が見えるくらいだ。
冷たい風が林道を吹き抜けるので体は暖かくなってきたが顔が冷たい。蔵田の道路にある温度計は7℃だったが、ここはそれより
冷えているようだった。

 登山道を歩くと山道に入ってすぐ急な坂が作業道に出るまでは続いている。更に2本目の作用道に合流してからは、なだらかな
作業道を歩いて林道に合流していた。
それに比べ林道は常に上り坂だが登山道のような急な登りはないので、明らかに林道の方が楽だった。
しかし急坂がないので楽は楽だが多分遠回りなので時間は掛かるだろう。なんて思いながら歩いていた。

 最初の作業道に合流したが、何か変?
登山道だと最初の作業道は横断するだけで林道には面していなかったのに、この作業道には見慣れた道標もある。
しかもその合流地点は何か見覚えもある。若しやと思って林道の少し先を見ると、そこには山頂に延びる登山道の入口があった。
後で前回の記録と見比べると、最初の登山道入口から林道に合流までの時間は、登山道だと約40分、林道だと25分だった。
変だと思い更に前のデータで一番早かったのを探すと35分の時もあったが、それでも林道の方が早い。
今までは林道歩きの方が時間は掛かると思っていたが認識を改めなければならないな。

 
                     高尾山                                山頂から高根山

 もちろん誰も居ない山頂です。毎年この山域を歩いているが登山者にあったのは一度きりだった。多分今日も誰とも会わないだろう。
眺めは ウーン!残念。高根山とその奥の沢筋が白くなった安倍川右岸の山は見えているが、その後ろに白い富士山が見える筈だが
今日は見えていない。折角景色を眺めるのに邪魔な木を切ってくれてあるのに残念だった。

  
          山頂の彫刻               バス停近くに彫刻                   2度だった

 山頂にフクロウの彫刻が置いてあるが、これと同じような物が蔵田バス停の近くにも置いてあった。
目の辺りが何となく似ているので同じ人が彫ったものだろう。(無事)カエル(帰る)でなくてフクロウなのは、苦労せず帰れるように
 “不苦労” なのだろうか。

 気温はさらに下がって2℃になっていた。だがここは風が当たらないので火照った体を冷やすには丁度良かった。

  
              最初の中里分岐                              アンテナが撤去されていた

 山頂直下の分岐に来てまた悩んでしまった。このまま山道を歩いて笠張山に向かうか、それともここからまだ歩いた事のない
中里方面に下ってみるか。
しばし悩んで、そうだ! ここをゆらくに下って清水寺に向えばいい。タイミング良くバスがあれば乗ってもいいだろう。

 分岐から中里方面に向かうとすぐ林道に合流する。その先にはNTTのアンテナ塔が建っている筈だ。
アレー? アンテナの塔がない。アンテナの塔の下の建物は残されているが、その上にある筈のアンテナの塔は撤去されていた。
去年の10月下旬に歩いたときはアンテナ塔はあって、ブログには
 「塔はしっかりしていたが肝心のアンテナは付いているのだろうか? 見た目には何もないように見えたが」 と書いてある。
矢張りあの時も塔はあったがアンテナのない不要な施設だったのだろう。
しかし私にとっては必要な施設で、この塔が無くなる事により高尾山の位置の特定が出来なくなってしまう。

 
             林道脇の中里分岐                                陶芸センタ分岐

 NTTの建物のすぐ下の林道脇に中里への道標が建っている。ここからが初めて歩く道になる。
下りだして5分もしないで次の分岐があり、直進は中里茶業組合、右折は中里陶芸センタになっている。
茶業組合の場所は知らないが、瀬戸川の中里橋近くの “高尾山” の標識が建っているので、多分あそこに出るだろうと思っている。
一方陶芸センタの場所は分るし、道標はセンタから不動峡に向かう峠越えの所に建っている。
距離は茶業組合の方が近そうだが、センタへの道は尾根を歩くようなので眺めが良さそうだ。なら陶芸センタの道にしよう。

 
             ロープが張られていた                                茶畑遭遇

 右に曲がった道は組合へ向かう道より薄いような気がするが大丈夫そうです。それより気になったのは虎ロープが背より高い所に
張ってあったのは何でしょうね? 立入禁止? でも踏み跡はハッキリしている。
更に少し行くとまた虎ロープが張ってあったが、今度は明らかに誘導ロープでその先は立入らないようになっている。
何でしょうね。さっきのロープは?

 茶業組合の分岐から30分ほど下るとまだ現役の茶畑が出てきて農道が始まった。

 
               農 道                                     農道の分岐

 農道か林道かの区別は難しいが茶畑があったので農道とします。
尾根歩きになりそうなので、ある程度眺めを期待していたが残念ながら見えるのは木だけで、たまに右側の山が見えるだけだった。
無舗装の狭い道が急に太くなり3本に分かれていた。さてどの道をと思っていたら一番左の細い道の所に標識があったので一安心。
そこからは簡易舗装された道になった。

      
                                   高草山と伊豆半島
      
                             富士山の手前はビク石に繋がる尾根か

 そんな道が突然開けて視界が広がった。前方には大崩山塊の高草山が見え、尾根の終端には一段高くなった虚空蔵山も見えている。
駿河湾の先には伊豆の山が見えているが、先日歩いた達磨山や金冠山も見えているのだろうか。
左側には志太の低山が連なっているが、どれがどれだか分らない。情けない話だ。
視線を更に左に移すと何とそこには富士山が見えていた。例え頭しか見えなくてもラッキーでした。

 
                不動峡への分岐                           陶芸センターへの林道

 茶畑の農道から30分ほど農道を下ると、中里の陶芸センターから不動峡に抜ける農道に合流した。ここからはどちらの道も歩いた
事があるが、またここで不動峡かゆらくに下るかで迷ってしまった。コースを決めてないと分岐のたび迷ってしまう。困ったものだ。
でもそれもまた楽しだ。
結局不動峡は去年何度も歩いているので止めて、陶芸センタからゆらくの道を歩く事にした。
この辺りから中里方面には農道でない道もあるようだが、今日は清水寺まで行かなければならないのでおとなしく歩こう。

 農道の下りの道はありふれた景色だが、常に広々とした景色が眺められる気持ちよい道でした。

 
              陶芸センタの屋根                                   ゆらく

 前方に屋根が見えてきたらそこは陶芸センタで県道はもうすぐ。時間はまだ11時40分なのでここらで昼飯を食べておかないと
県道では食べにくくなる。と、適当な所に座り込んでの食事タイムです。

 疲れは今のところ左程でもないのでバスに乗らずに、このまま歩いて清水寺まで歩けそうだ。
時間に余裕があると肉体的にも楽なのか、イヤイヤゆらくまでの歩行距離はまだ10km以下なので余裕があって当然です。

仲間・井の国散策2

2017-03-11 15:06:39 | ウォーキング
             仲間ウォーク:直虎の郷 井の国散策 2

歩行記録          H29-3-5(日)
歩行時間:3時間20分   休憩時間:2時間40分   延時間:6時間00分
出発時刻:8時00分     到着時刻:14時00分
歩  数: 21、902歩(推定距離15.53km)    GPS距離16.2km
行程表
 天浜線金指駅 0:15> 初山宝林寺 0:30> 実相寺 0:40> 龍潭寺 0:30> 井伊谷城跡 0:20> 天白磐座遺跡 0:40>
 細江神社 0:25> 獄門畷 0:10> 気賀の関 0:10> 天浜線気賀駅
                                   井の国散策ルート
  

 磐座遺跡を下り神宮司川の土手に座って昼飯にする。三々五々と言うか皆別々の所に座って昼飯を食べる。
特段昼飯を隠して食べたいわけではないが、いつの間にかこんな食事風景になってしまった。
 
 午後は川に架かる軽便鉄道の廃線跡を辿り気賀に向かうのだが、途中で県道に合流して面白みのない道になりそうなのが心配だ。

       
             秋葉神社鞘堂                           旧引佐町のマンホール

 秋葉さんの鞘堂があったので近づいて見ると “秋葉神社” の杭と案内板があった。説明は秋葉神社の事だけで、鞘堂の事には
何も触れられていない。これでは読んでも詰まらない。
中を覗くと木製の常夜灯があり、祠やお札などは見えなかったが、地図にも秋葉神社の名称になっていた。

 マンホールの蓋の模様が銅鐸になっていて、その銅鐸の中に動物が描かれていた。左の角のある動物は鹿のだろうと全員が
一致したが、右側の2匹は鹿の子供説と鳥説に分かれた。
更に動物に上に書かれている丸の中にメスのマーク()のような物は見当も付かなかった。
結論が出ないままだったが、後でたまたま歴史資料館に寄ったとき、何の絵か聞いてみた。すると係の人は
 「サー何でしょうね? あの絵が貴重で本物は国立博物館で展示しているのですがねぇ。勉強不足で済みません」 だって。
メスのマーク()の事は聞くのは忘れたが、この後、関所か何処かでこのマークと細江町と書かれた物を見たような気がした。
その時は何気なしだったので気にも留めなかったが、家に帰り気になって調べてみると、あのマークは旧細江町の町章で澪標
(みおつくし)を図案化したものだった。澪標とは舟の航路を示す標識の事で、これが建っている所は安全だと表示したようです。
中々いい町章なのに廃止になったのは惜しいですね。

   
                                   道 標                      無事カエル

 思った通り県道歩きは面白くなかった。途中に4階建てアパート4棟が空家になっていて売りに出されていた。
売主は財務局(?)なので国の関係なのだろう。それにしても一度に全ての宿舎を売りに出すとは、建てたこと自体が無駄ではなかったのか。
そんな話をしながら20分ほど歩くと国道362号線に合流した。

県道と国道の合流地点の清水橋袂のポケットパークに、古い石の道標が建っていた。
「右 半僧坊 伊平 左 豊川 三ケ日 道」「右 秋葉 二俣 金指 左 半僧坊 井伊谷 信州 道」「右 浜松 見附 左 秋葉 金指 宮口 道」
彫られている道標は、明治なってから建てられたものだそうです。
見慣れない地名などがあるが、半僧坊は奥山方広寺のことで、二俣は天竜、見附は磐田、宮口は浜北の事です。
道標の横の案内板には 「気賀はかって、本坂道(姫街道)の関所が置かれた宿場町で、浜名湖湖岸の東西交通の要衝でした。
国鉄二俣線が開通するまでの気賀は、浜名湖の舟運を利用した物資の流通の中継地として重要な位置を占め、経済的、文化的発展を
遂げてきました。」

かっては栄えていた気賀だが、中山間地域の狭い土地のせいか、二俣線(天竜浜名湖線)の開通で舟運と共に衰退し始め、今はその
二俣線(天浜線)自体も第三セクターに移行され赤字に喘いでいる。
細江町自身も浜松市の政令指定都市移行に伴い吸収合併されたが、それも仕方ない趨勢だったろう。
たが途中で見た売り出し中のアパートで、合併後も気賀の勢いは取り戻せていないように感じた。

 ところで 「気賀」 と云う地名は、私が歩きを始める数年前までは馴染みがなく、この辺りは 「細江」 と思っていた。
だが駅の名前は気賀駅だし、関所も気賀の関所。何故かと思い調べてみたら、以前は気賀町だったが昭和30年に隣の村と
合併して細江町になったようだ。なので地元では細江より気賀の方に馴染んでいたようです。
だが気賀から離れた所に住む者にとっては、町名である細江は知っていたが、地名の気賀は知る由もなかった。
そして浜松市になった現在の細江町気賀の地名は、 “浜松市北区細江町気賀” と、仕方ないが安易な名付けになっています。

       
          細江神社のご神木                              ご神木の洞

 国道は20mほど歩いただけで細江神社に向かう道に入った。
細江神社は津波に御利益がある神社で、その謂れが社務所の壁に書いてあった。
 「元は新居町に御鎮座。明応7年(1498)に大地震、大海嘯がおこり、神殿、建造物がことごとく流没したが、奇跡的にご神体は
村櫛に漂着、里人仮宮を建てて祀った。
しかし12年後再び地震による大津波のため、気賀のへと漂着された。気賀の里人はこの地に仮宮を建てて祀り、翌月今の地に
社殿を建て、牛頭天王社と称え祀 ることとなった。明治元年社名を細江神社と改め、明治6年郷社に列せられました。」


 アレーではこの神社は2度も津波に遭って流されている。なのに津波除けの神様?
良く分からないが中々立派な神社です。

 ご神木のクスノキの洞では、かって大蛇と大蝙蝠が三日三晩、棲家争いをして血だらけになって戦ったという。
結局両者ともに力尽きてしまったそうですが、洞の中にはそのとき流した血の痕があるそうです。
興味のある人は覗いてみてください。

       
                   藺草(いぐさ)神社                              琉球藺(りゅうきゅうい)

 境内社の一つに 「藺草(いぐさ)神社」 とルビを振ってなければ読めない神社があった。
案内板を見ると 「宝永4年(1707)の大地震があり、押寄せた高潮で沿岸の田には塩が入り稲は全滅になった。当時の気賀の
領主は豊後国(大分県)から琉球藺の苗を取り寄せ領内の田に植えさせた。
これが浜名湖一帯の名産物琉球藺の始まりです。神社の祭神は、その時の領主の近藤縫殿助用隨公です。」


 神社も色々見てきたが植物の名前がそのまま付いた神社は初めてだった。普通なら “近藤神社” とか “用隨神社” になりそうだが。
そうそうここに書かれている領主の近藤家は、湖北五山で紹介した初代彦根藩主井伊直政と仲たがいした近藤氏の一族です。
近藤氏はこの付近一帯の領地を持ち一万石以上の大名になったが、主筋に当たる井伊直政との対立を避け、領地を三分割して
気賀近藤家、井伊谷近藤家、金指近藤家を設立して大名の位を返上している。
今日寄ってきた宝林寺も実相寺も近藤一族が建てた寺です。

   
                                        銅 鐸

 細江神社の横には “姫街道歴史民俗資料館” が建っていいる。普段なら決して入ることのない我々だが、入口に貼ってある
 「入場無料」 の文字に誘われ入ることにした。
受付で早速尋ねたのは例の銅鐸の模様の事だったが、それはもう紹介済みだ。
この資料館には以前も入った事があり、そのとき銅鐸が発見された銅鐸の谷や銅鐸公園に行こうと思ったが実現していない。
歩いて行きたいが銅鐸だけでここまで来る気には中々なれないでいる。そうこうしているうちにわが歩き人生は終ってしまうのだが。

       
            犬潜り道                               犬潜り道から見た浜名湖

 歴史資料館の裏から「犬くぐり道」 は延びていた、少し上にはその入口を再現した柵?がある。 “犬潜り道” とは
 『徳川時代、気賀の関所は新居関所と並んで浜名湖の南北の二大関所だった。しかし、気賀の人は隣村、自分の畑に行くにも
関所を通らねばならず、通行手形がないと役人に帰されてしまい、大変不便が多かった。
それで村人は相談して、時の殿様・近藤縫殿助に穏便な措置を願い出た。殿様は、国の法は曲げられぬ、としたものの、情の
厚い人でもあり 「では、犬の通る道を作ってやれ」 と命じてくれた。
そこで関所の裏側の山すそに沿って、細いうねうねとした粗末な道を作り、途中筵を垂らして下を五十センチほど開け、これは
犬の通る道である、という建前の村人の道とした。村人たちは領主の慈悲に感謝し、村人以外が関所を破り通ろうとするときは、
これを突き出し、関所の役人に協力したという。(『細江町史 資料編』より要約)』


 多分箱根の関所や新居、鈴鹿の関所にも、こんな抜け道があったと思うが、実際歩いてもそんな道は見当たらなかった。
ここだけの道なのだろうか? もしそうなら気賀近藤さんは大したものだ。

  
                  姫地蔵                                   獄門畷(なわて)

 獄門畷(なわて)には犬潜り道とされる細い道を辿り 「姫地蔵」 の横を下るコースを歩いてみた。
姫地蔵に行くには、犬潜り道から太い道に出て、天理教の教会を過ぎた所にある下りの道から行く。
地蔵の祠の上に四阿を建てたような感じで上を覆っていて何とも丁寧なことをしてある。屋根の下は板を張ってあるので集会所として
使っているのかな?
姫地蔵は、天和2年(1682)に建立されたもので、気賀領主・近藤家のお姫様ができものができて困っている時に、この地蔵にお参り
したところ、できものが治ったという御利益のあるお地蔵さんだそうです。
ここでも近藤家が出てきますが、近藤家は気賀の村人に慕われていたのでしょう。

 姫街道に下った所は獄門畷より少し西に来すぎているので東に戻る。
この辺りは犬潜り道、姫地蔵、獄門畷と見物箇所は多いが、多分仲間は余り興味は示さないだろうと、事前に配布するチラシには
 「木の枠や石の地蔵と記念碑があるだけです」 と断り書きをしておいた。その所為か文句も出ず静に案内板を読んでくれた。

 獄門畷の案内文を紹介します。
 「永禄3年(1560)桶狭間の戦いで今川義元が戦死した後、徳川軍の遠州侵攻を防ごうと気賀の人々は領主今川氏のために
堀川城を築き、最後まで戦った。
 永禄12年(1569)堀川城に立て籠もった2千人の男女は、3千余の徳川軍に攻められ落城したといわれる。
大久保彦左衛門の記録には 「男女共になで切りにした」 とあり、その後に捕らえられた約700人の人も、この付近で首を打たれた。
その首をこの小川に沿った土手にさらしたので 「ごくもんなわて」 と云われるようになった。」


 この惨殺事件は徳川家康の汚点とされるが、何故気賀の住民は城に立て籠もってまで家康に抵抗したのだろうか、
家康もまた何故そこまで徹底的に住民を惨殺したのだろうか。疑問は溶けない。

 旧東海道を歩いていると “畷(なわて)” と付く地名が時々出てきた。例えば袋井には “木原畷” 、浜松には “八丁畷” があった。
だが、その場合の 畷 は 「長い直線の道」 と云う意味だった。
だが、ここは気賀の宿場内で枡形などもあり、とても直線道路とは言えない。実は 畷 にはもう一つ 「堤のように高く築き上げてある道」
との意味があるようです。なのでここの場合をその土手にさらし首を並べたのでしょう。
家康は信長に負けないくらい残酷な一面があったようです。

 「好々爺のイメージだった大久保彦左衛門が本当かなぁ?」 と感想も出たが、確かに一心太助と共に出たTVドラマのイメージとは
ほど遠い大久保彦左衛門ですね。

 

 川と線路を渡って気賀の関所に向かった。ここまでも有料施設には入っていないが、ここでも有料なら当然入る気はなかった。
以前歩こう会の主催で湖北五山を歩いたとき、ある寺の人が 「歩きの人は金を落とさない」 と言っていたが、正にその通りだ。
しかし家に帰って今日の事を奥さんに話したら 「私も直虎のところに行ってみたい」 と言うかもしれない。そうなれば大蔵省付きの
旅行となり、入場料や食堂、土産などでお金を落とすかもしれない。なので歩きの人間も余り無下に扱わないでください。

 無駄話はともかく関所に行くと 「大河ドラマ館が開館中は関所は無料です。」 と貼紙がしてあった。
ラッキーと中に入ったが特に興味を引く物は無い。無料だからいいが、これで金を払ったならブツブツ言いたくなるような物だった。
そんなこんなですぐ出てきてしまい時計を見ると1時53分。次の電車は1時58分でまだ5分ある。その次は1時間後だ。
それからの忙しい事と云ったらなかった。70過ぎの年寄り4人がヨタヨタしながら小走りで駅に向かう姿はさぞ滑稽な姿だったろう。
当然ドラマ館は立ち寄りませんでした。

仲間・井の国散策

2017-03-09 10:54:20 | ウォーキング
       仲間ウォーク:直虎の郷 井の国散策 1

歩行記録          H29-3-5(日)
歩行時間:3時間20分   休憩時間:2時間40分   延時間:6時間00分
出発時刻:8時00分     到着時刻:14時00分
歩  数: 21、902歩(推定距離15.53km)    GPS距離16.2km
行程表
 天浜線金指駅 0:15> 初山宝林寺 0:30> 実相寺 0:40> 龍潭寺 0:30> 井伊谷城跡 0:20> 天白磐座遺跡 0:40>
 細江神社 0:25> 獄門畷 0:10> 気賀の関 0:10> 天浜線気賀駅
                                   井の国散策ルート
  

 2月の仲間ウォークが私の都合で3月にずれ込んでしまい、慌てて計画したのが初詣で歩いた 「井の国散策」 だった。
このコースは前回の仲間ウォークの時に、油山寺に置いてあった 「遠州路 戦国歴史めぐりの旅 スタンプ帳」 に仲間がスタンプを
押しているのを見て私が提案したが、良いでもなく嫌でもなく何の反応も無かった。
マーこれはいつもの事なので気にせず、たまにはミーちゃんハーちゃんになって若返ることも必要だろうと計画した。
それに大河ドラマファンの女性が大挙して押し寄せているかもしれないので、若しかして・・・・・ そんな事はないか。

 
               初山宝林寺仏殿                                 仏殿内部

直虎とは直接関係は無いが金指に来た以上は、ここいに寄らなければと先ず初山宝林寺に向かう。
山門の工事はまだ続いていて垂れ幕が下がって中は見えない。矢張り寺は “直虎なんて関係ない” と思っているのだろう。
開門時間は10時なので人けが無い境内を見学させてもらう。

       
                   初山宝林寺方丈                               弥勒菩薩半跏思惟像

 写真では同じように見える屋根だが、仏殿の屋根は杉の板材を葺いた「こけら葺き」で、方丈の屋根は 「かや葺き」 だそうです。
矢張りこの寺はいつ見ても恰好がいいと思う。いつか内部も見学したいものです。

 
               実相寺鐘楼門                                    実相寺庭園

 実相寺の庭園では無料の録音再生装置で寺の説明を聞いていると、石の名前や配置の意味が良く分かる。
仲間も 「無料はいいよね。」 と神妙に聞いていた。

 
               シャクヤク(芍薬)畑                                柿 園

 前回初詣で歩いたときは気が付かなかったが、マルチの穴から茶色の勢いのいい芽がニョキニョキと突き出ていた。
何となくシャクヤクに似ていたが自信がなかったが、仲間が 「多分芍薬で漢方薬の原料にするのだろう」 と言う。
そこで畑で作業をしていて女性に聞くと 「シャクヤクの花を栽培しています」 との事だった。

 柿畑で 「我家の柿は、これより低いが今年は90個ほど収穫した」 と自慢すると 「家には届かなかった」 と即座に反撃されてしまった。

 
              井伊家発祥の井戸                                新野馬之助の墓

 「エ~ あれが発祥の井戸なの?」「女城主 直虎」 を見ていた仲間が井戸が近づくと声を上げた。
さもありなんです。TVだとこの井戸は林の中の神秘的な場所に設定されているので、これを見ると幻滅しますよね。
ここで議論になったのは “祖霊之地” の石碑の裏にある木の種類。皆は 「キンカンだ」 と言うので、私が
 「キンカンじゃなくて彦根の紋にあるタチバナ(橘)だ。」 と近くにある彦根藩の紋を指して説明するが
 「いや これは実も成っているのでキンカンだ。」 と言い張る。
 「キンカンにしては実が一回り大きいのでタチバナだ。」 と言っても納得しない。どうやら私の植物知識は信用されていないようだ。
因みに師匠の意見もキンカンでした。
私には植物学上の判断はできないが 「2006年5月20日に彦根から移植した橘」 との記述も読んだ記憶があるのですがねぇ。

 龍潭寺には直虎の墓だけではなく 「新野左馬助」 の墓もある。
彼は御前崎の新野新城の城主で今川家の家臣だったが、今川家の命により井伊谷へ目付家老として送り込まれた。
そこで井伊家と血縁関係を結んだ左馬助は以後井伊家を助け、初代彦根藩主直政の逃亡をも助けたとも言われている。
その恩に報いるためか、幕末になって井伊家の子孫が新野家の養子となり新野家を再興させたという。
この話が本当なら、彦根城に左馬助を祀る社か何かがあると思うのだが。

       
          井伊谷城跡への道                              ア~ 観光地

 井伊谷城跡は今回が初めてなので期待を持っていた。
井伊谷宮から引佐の街中を歩いているとゾロゾロと人の歩いているのが見える。宝林寺や実相寺には観光客はいなかったが、
発祥の井戸には三々五々、龍潭寺と井伊谷宮にはゾロゾロいた。だが城跡には約100mの上りがあるので観光客は少ないだろうと
思っていたが外れでした。
道は新しく整備され手摺も付けられ、途中にはお休み処と2ヶ所にベンチも設けられていた。だが我々はザックも担いだ歩きの恰好。
途中で休んでは沽券に係わると一気に山頂まで歩き通した。あ~ 恰好を付けるのも疲れるものだ。

 
                井伊谷城跡                                井伊谷城跡展望地

 本丸があった場所なのだろうか山頂は広場になっていて井伊谷が一望できた。
井伊谷城は井伊家の居城なのか詰城なのか二つの説があり、この城の下に井伊館がありここは山城だったと言う説と、詰城は
遥か彼方の三岳城でここは居城だったという説がある。
三岳城は南北朝時代、後醍醐天皇の宗良親王が井伊家に保護を求めてこの城で戦ったが、北朝方に責められ落城した記録がある。
一方井伊谷城は一時は直虎も住んでいたが、家老小野政次に攻められて龍潭寺に逃れた事もあったという。

  
                            井伊谷城跡の展望台から井の国一望

 今見てきた龍潭寺や井伊谷宮の森も、これから行く天白磐座遺跡の森も見えている。遠くにはアクトタワーや浜名湖の東名の
橋も見える。今日は遠くは霞んでいるがこのくらい見えればヨシとしよう。俄か直虎ファンは満足してくれたかな?

       
              四等三角点                                 三岳山

 井伊谷城の最高点には 「四等三角点 北神宮寺」 が設置されている。標高は114.9mで、設置場所は “井伊谷字城山” とある
ので、この山は “城山” と地元では呼んでいるのだろうか?

 北東の少し開けた所から三岳城のあった三岳山が見えている、ここから見れば山の形で三岳山の名前の謂れが理解できる。
真中の頂が御岳山の山頂で二等三角点あり、点名は “三岳村” とあるので、かっては三岳村があったのだろう。
設置場所の住所は “引佐町三岳字城山” となっているのが分からない。何故 “字三岳山” ではないのか?

 
               渭伊神社の瓦                                 渭伊神社本殿

 井伊谷城跡を下って次は天白磐座遺跡に向かうのに、来た道を歩くのでは面白くないと山の中腹の道を行くことにした。
途中で農作業をしていた中年の男性に 「この道は天白磐座遺跡に行けますか?」 と聞くと
 「渭伊神社に行くなら戻って街の中を行った方が分かりやすいよ。」 と言う。
 「その道は今歩いて来たので別の道を歩こうと思って。この道は抜けれますか?」
 「抜けれるけど途中で下った方がいいよ。行き過ぎてしまうから」
そうかな? 納得はしなかったが一応お礼を言って先に進んだ。
確かに途中に下る道はあったが、方向が今来た方に戻りそうなので、そのまま前進すると仲間の不安げな感じが伝わってくる。
でも多分大丈夫! 事前に遍路の時と同じ手法で道は調べてある。この先では県道に合流して中学校がある筈だ。
で、結果はその通り! 仲間の信頼はさらに増したようだ。尤もそれは道に関してだけだが。

 直接磐座に行く道はあるが、一応神社にお参りしてからと神社の境内に行くと、相変わらずゲートボールをやっていた。
 「今時ゲートボールなんて珍しいねぇ。」 と仲間が声を掛けると 「グランドゴルフもやっているよ。」 と返ってきた。
 「この前来た時もゲートボールをやっていたけど?」 と私が聞くと
 「アーそれはここが狭いのでグランドゴルフは出来ないからだよ。グランドゴルフは別の会場でやっているよ。」
前回ゲートボールをやっているのを見て、私が勝手に “地元のボスがグランドゴルフが嫌いだから” と判断したのが間違いだと
分かった。ご免なさい。思い込みと独断が強いのが私に悪い癖だと分かっているのですが・・・・・・・・
何でも聞いてみなければ分からないものだ。とあらためて認識しました。

       
       
                                     天白磐座遺跡

 今まで何回も来ている渭伊神社と磐座だが、見学者がいた事はなかった。それが今日は何組かの見学者がパンフレットや冊子を
手に見学していた。関係者にとってはまさにNHK様様だろうが、これが来年も続くかは疑問でしょうね。

 私は気に入っている磐座だが、仲間の反応はいま一つ。

伊豆:達磨山・金冠山2

2017-03-01 16:56:41 | 低山歩き
       伊豆山稜歩道達磨山から金冠山経由で木負へ 2

歩行記録          H29-2-25(土)
歩行時間:4時間00分   休憩時間:1時間15分   延時間:5時間15分
出発時刻:9時55分     到着時刻:15時10分
歩  数: 19、503歩(推定距離13.84km)    GPS距離12.8km
行程表
 戸田峠バス停 0:50> 達磨山 0:50> 戸田峠 0:15> 金冠山 0:25> 林道横展望台 0:15> 市民の森入口 0:10>
 大洞展望台 0:05> 大杉 0:40> 大滝(不動尊) 0:15> 禅長寺 0:15> 河内農協バス停

                             達磨山から木負までの略図
                    

                      
                   魅力的な下り道                              歩きたくなる道

 昼飯を食べ終わるまではレストハウスから虹の郷経由で梅林へ下る予定だった。それが市民の森に下る道を見て気が変わった。
道のズート先には内浦湾と淡島が見えている。その手前に見える集落はバス停のある木負(きしょう)集落だ。
あそこまで歩いて行けるなんて魅力的と思いませんか。私はこんな道を見ると歩きたくなってしまうのですよね。
結局帰り道は梅園は止めて木負に下ることにした。

 少し下ると更に歩きたくなるよう道が見えてくる。たまりませんね~。

 
               沢道・尾根道分岐                                戸田湾

 右に行けば沢道らしいが当然尾根道を歩く。
前回も尾根道だったので今回は道を知るためにも沢道を歩くべきだが、矢張り魅力的な道には敵わない。

分岐から少し行った所にある展望岩から戸田湾を見ると、こちらにも下ってみたくなるが、戸田に下ってしまうと後が高くついてしまうし、
車道以外の道を知らないので歩く気にはなりません。

     
                     アセビの森                                 貧弱になった道標

 気持ちの良い明るい草原の道は長く続かず、次は一転して薄暗いアセビの森の道に入る。
アセビの木肌は黒くウネウネと曲り、葉が鬱蒼としているので薄暗くなり、一人で歩いていると寂寥を感じてしまう。
孤独癖の強い私には、こんな道が合っているのか胸がザワザワしきて、独りだという事を強く感じてしまう。
そんな道に合わせるか如く、山稜歩道では立派だった道標が 少し貧弱なった 「金冠山ハイキング道」 に変わった。

 ところでアセビなのかアシビなのか、どちらが正解なのか調べてみると、簡単に答えが見つかった。
 「枝葉に有毒成分を含んでいるため、馬が食べると酔って足がなえることから 「足癈(あしじひ)」 と呼ばれ、しだいに変化して
 「あしび」 そして 「あせび」 となった。漢字の 「馬酔木」 もその由来による。」
のだそうです。
ならこれからは迷わず 「アセビ」 と言おう。

 山頂から25分ほどで林道に出ると、その先に木製の展望台がある。当然登って景色を確認するが左程の事はなかった。
この展望台からまた林の中の道に入る。

  
              リンカーンの椅子                              こんな感じです

 林の中に一列に並んだ石があり、それには 「列石」 の案内板が建っていた。次あるのが 「リンカーンの椅子」 と名の付いた
石だが、前回は案内板側から見たので、椅子???? だった。
それが今回は案内板の裏側の上から見たので、成程と納得した。
リンカーンの椅子ではピンとこない人のために写真を探しだしたが、余計なお世話だったかな。

 
              管理棟への分岐                                  洞山展望台

 市民の森の管理棟へは前回寄ったが、車がありドアも開いているのに声を掛けても応答が無かった。
結局またこの分岐に戻って縦走を続けたので、今回は管理棟には行かず洞山展望台に向かって歩き続けた。

 金冠山山頂からズート下りだったが、この分岐から展望台までは上りになっている。広い尾根道で市民の森の遊歩道のようだ。
案内板によると 「戦時中には、細長く平坦な尾根を利用して、飛行場が計画されました。」 とあるが、とても想像がつかない。
確かに広いかもしれないが精々セスナ1台が飛び立てる位の広さで、しかも平坦と云っても私には上り坂に感じてしまう尾根だ。
だいたい自国の領土の中で、こんな場所に飛行場を計画する自体が負け戦の証拠だった。と思う。

 尾根の頂上部が標高511mの洞山山頂と思えるが標識が無いので定かではないが、その山頂に洞山展望台があった。
展望台の横から海に浮かぶ淡島が見えていて、いかにも景色が良さそうな展望台で期待が持てる。

 
                 富士山と愛鷹山                             愛鷹山アップ

 まず富士山。 オッ! 愛鷹山が白くなっている。と富士山より愛鷹山の方が気になった。
アップしてみれば、この通り愛鷹山の山頂部分は雪で白っぽくなっていた。格好いい!

      
                   内浦湾と沼津アルプス                             木負集落アップ

 駿河湾がぐんと近くなり、これから向かう木負集落も間近になってきた。
右の写真正面の集落が木負集落で、その先の島が淡島、更に先の山は沼津アルプスの大平山だろう。

 
                発端丈山と葛城山                             大杉への道

 発端丈山と葛城山も見えている。葛城山の山頂にはケーブルカーの山頂駅も見えていた。
ここの洞山展望台は案内板に 『駿河湾を前にした「日本一の富士山」を眺めるに一番ふさわしい所です。』 とあったが、一番か
どうかは別にして、中々眺めの良い展望台だった。


 前回ここに来たのは4年前の11月で、展望台から大杉に向かう入口は、雑草が生茂り階段が見えな状態で若干不安だったが、
今は雑草も無く階段もはっきり見えるので安心して歩く事ができた。

  
                                     河内の大杉

 「県指定天然記念物 河内の大スギ 根廻13m 目通10.5m 樹高43m
 西浦河内の一帯は、かって樹齢百年を超える松や杉が生茂る美林として名高く、戦前においては多量の良材を産出していました。
中でもひときわ大きな、この老杉は大スギと呼ばれ、伐採を惜しむ関係者によって、現在まで大切に保存されてきました。
 樹齢は約400年とされる大スギの樹形は、スギには珍しく地上約3.5mの所で7本に分岐していますが、樹姿も良く、県東部でも
有数のスギの巨木として貴重です。」


 斜面にある杉の人工林の中で、大杉の周りだけは開かれていて他を圧倒する大杉の姿が良く見える。
案内の中にもあるが杉には珍しく幹別れしているので、何本の木が一体化したようにも見える。高さや太さを比較する物が無いので
大きさを実感できないが、木の横に人が立てば、その大きさが分かると思う。
写真技術が下手な私には、この程度にしか写せないが、上手な人が写せばもっと雄大に見えると思う。一見の価値あり

      
               林道を塞いでいる害獣防止電気柵                      林道にも標識がある

 大杉の下には小さな駐車場があり、その少し先で林道の四辻になった。正面の下に下る林道の入口には害獣防止用の
高圧電気の線が3本張ってあり、その横には 「電気柵使用中 高圧・きけん さわるな!!  感電注意!!」  の看板がある。
前回はこれを見て、ここはハイキングコースではないと判断して、左右の林道を上り下りして入口を探した分からなかった。
結局ここに戻り、意を決して高圧線を越して下って行ったら標識があった。

 もちろん今回は道探しなどせず、そのまま林道を下るのだが、林道正面には3本の高圧線があり、線に触らず潜る事は出来ない。
ただ正面は目の高さぐらいまで張ってある線も、道でない場所は急に低くなって跨ぐことも可能だ。
以前は高圧線に素手で触る気は無いが、衣服が触ってもどうとも思わなかった。しかし2年前伊豆で高圧線に触れて2人が死亡した
事故以来、何となく高圧線に触れるのが怖くなっている。

 だいたいここの高圧線は何の目的があって林道の入口だけ目の高さまでに張ってあるのだろうか?
猪対策ならこんな高くしないで線の間隔を狭めた方が良い。飛翔力のある鹿対策なら入口だけ高くしても、他の場所からは自由に
出入りできてしまう。
そうなるとこの林道入口は歩行者侵入防止用と考えるしかない。そう思い前回は道探しをしてしまったのだ。
分かってしまえば何ともないが、初めて歩くハイカーは戸惑う事だろう。せめて感電注意の看板に 「ハイカーは横から入ってください」
の文字があると良いのだが。

 入口から3分も下ると道標がありハイキングコースである事が分かる。

 
                                  沼津アルプスの展望

 今までも沼津アルプスは見えていたが近づいた事もありハッキリ見えるようになった。奥沼津アルプスの大嵐山らしきピークも見える。
徳倉山は別名象山と尾根にあった標識に書いてあったが、その謂れがここから見れば納得できる。丸みのある山頂部分が象の頭で、
右に続く平らな尾根が背中なのだろう。マー立っている象ではなく、伏せをしている象と言ったところだ。

  
                   林道合流                                 こんな所に道標が

 高圧線の場所から20分ほどで戸田峠からの林道に合流した。
合流先の写真を写そうと後ろを振り返ると、何やら祠らしき物と赤や白の幟が見えている。これは確認しないと。
まだ林道を逆登る元気は残っていた。

 オッとその前に高圧線の入口から、ここまでの標識の事も話さなければ。
高圧線の入口には標識が無いと迷うことは必至なので何らかの案内が欲しい。次の標識は分岐にあったので必要だろう。
そして次の標識は分岐が続く場所にあり当然必要だが、上るときは標識の先にもう一つ分岐があるので迷ってしまうだろう。
そして峠からの林道と出合う場所の標識は、なんと登ってきた時は見ない場所に建っていた。迷う人がいたのか一応分岐には
 「大杉・洞山登山ルート➩」 の案内があるので迷う事はないが、標識をここに建てれば最初から問題なかったろう。
そして極めつけは分岐を逆登った祠の下の道標だった。
今は下は川になった崖の途中にあるが、以前は道があったのかと下を見ても、それらしき物は見えない。
では行先はと、目を凝らしてみるが 「河」 の字が読めるだけだ。しかも標識の指す方向に道など無い。
後でこれから向かう木負集落の手前は河内だと分かり、多分この標識は “河内” を指しているのだろうと思った。

 標識が無ければ無いで文句を言うし、有れば有ったでケチをつける。本当に気難しい年寄りだ。 

      
                       不動尊                                 滝が見える

 分岐から見えていた祠の中には、背に赤く彩色した焔を背負う不動明王の石仏が安置され、幟には 「大瀧不動明王」 とあった。
そして横を見れば何段にもなった細い滝が見えている。中でも一番上の滝が滝が大きそうなのであれが大滝だろうか。

      
                      祠の前の杖                          ブロックの道が延びている。

 祠の前には竹で作った杖が何本もおいてあり、上に向かって石のブロックの道が上に向かっている。
多分これはこの上に瀧見台があるのだ、そのための杖なのだ、と上に向かって歩き出した。
途中で終わるかと思ったブロックの階段は途切れる事も無く上に延びている。
途中滝の音が大きくなったが脇道も無く石段は続いていた。

 
          随分上まで来てしまった。                                お堂があった

 後ろを振り返れば下の方に林道が見えている。水音も聞こえないので滝見台は多分無い。有るのは不動尊の奥の院なのだろう。
と少し後悔の気持ちも湧いてきた。
立派で歩き易かった石段は、最後のお堂の所まで続いていたが、随分費用も掛かっただろう。地元の木負は西浦ミカンと漁業で
裕福な家が多いのかな? とそんな思いも湧いてきた歩きやすい石段だった。

                    
                                     河内の大瀧

 お堂の横から多分これが “大瀧” だと思われる滝が見えていた。水量が少なく派手さは無いが登ってきた甲斐があった。
 「ナウマクサンマンダ バサラダンセンダン マカロシヤダ ソワタヤ ウンタラタ カンマン」

 滝の名前には “不動の滝” が多いが、この滝の名前は “大瀧” らしい。更に不動明王を祀ってある場所は意外と滝や沢等の
渓谷に多く、以前藤枝の四不動などと勝手に名前を付けて歩いたが、そのうち三つは渓谷の横にあった。
何故水辺に不動尊が多いか考えてみて思いつくのは 「波切不動」 がある。
弘法大師が唐から帰国のとき嵐に遭遇し、必死に祈願すると不動明王が現れて波を切り裂き無事航海ができたという。
それ以後不動明王は “航海安全” の御利益があると信じられた。
ここから私の妄想的歴史観です。翻って陸上でも通行困難な河川や滝の付近に不動明王を祀って道中の安全を祈ったのではないか。
これでは当たり前すぎて面白くも何ともないかな。

                    
                   源頼政の墓                             菖蒲塚

 前回ここを歩いたときは源頼政も菖蒲御前の事も知らかったので、家に帰った調べてみた。
 「源頼政は保元の乱、平治の乱で勝者の側に属し、戦後は平氏政権下で源氏の長老として中央政界に留まった。
平清盛から信頼されたが、平氏の専横に不満が高まる中で、以仁王と結んで平氏打倒の挙兵を計画したが露見して準備不足のまま
余儀なく挙兵し、宇治平等院の戦いで敗れ自害した(以仁王の挙兵)」
 とあった。
ただ頼政の事は分っても、宇治で討死した頼政の墓が、何故こんな所にあるのかが分からなかった。さらに調べると沼津市のHPに
 「頼政の末孫といわれる高崎八万二千石の城主の松平右京亮が毎年当寺に百石を給した。」 とあった。更に
 「菖蒲御前が源頼政、子仲綱の遺骨を持ってこの寺に潜んだという伝説から頼政堂が建てられ、頼政の後裔と称する上野高崎城主が
改築寄進したものが現在の頼政堂である。」 
とようやく菖蒲御前に触れていた。
 だがそれ以上詳しい事は分から無かったが、伊豆河津の小鍋神社には頼朝の父親の義朝の首塚もあるし、何かと伊豆は源氏に
縁があるのだろう。

 
              禅長寺の頼政堂                                 河内公民館

 初めて禅長寺の境内に入ると、古いがどっしりとした建物があり、それが頼政の菩提を弔う頼政堂だった。
これだけの建物が江戸時代より建てられていたとすると、菖蒲御前の言伝えもあながち作り話とは思えなくなった。

 木負のバス停は海岸線に出た所にあるが、前回は海岸線に出る前に後ろから来たバスに乗って帰った。
その時は何故海岸線に出る前に山の方からバスが来たか分からなかったので、家で調べたが結局分からないままだった。
まさか戸田峠から来るわけはないし、来るとしたらこの集落辺りだろうと 「河内公民館」 の辺りを見ても、バス停の標識は無い。
替りにハイキングコースの案内板などがあったので見ていると、看板の影に隠すように杭が立っていて、上にはブリキの板がある。
回り込んで見るとそれがバス停の標識だった。バス停の名前は 「河内農協」 となっているので、建物は公民館と農協で共用している
のだろうか。
バスは12時台から4時台の昼間のみ4本あった。今の時刻は3時10分。そして時刻表はと見ると3時21分発があった。
海岸線まではあと少しだが、そこまで歩くとこのバスに間に合うかどうか分からない。マーいいだろうとバスに乗ることにしました。

 今日は乗継のタイミング良く次々と乗る事ができた。最後の沼津駅でもホームに出ると同時に島田行の電車が入ってきた。
これで修善寺駅での30分待ちが無ければパーフェクトだったのに。