歩行記録 H28-10-21(金)
歩行時間:5時間55分 休憩時間:1時間10分 延時間:7時間05分
出発時刻:8時25分 到着時刻:15時30分
歩 数: 30、137歩(推定距離21.4km) GPS距離20.2km
行程表
蔵田BS 1:05> 高尾山 0:30> 笠張山 1:15> 水車村 0:15> 不動峡 0:45> 中山公園 0:40> 新東名下 0:35>
峠の地蔵 0:15> 心学寺 0:35> 金吹橋BS
吊橋の先の古民家 水車小屋
2回で終わる予定だった高尾山が、まだゴールの中山バス停に着かない。脚のピッチは遅くても話のピッチは上げなければ。
古民家へ行く吊橋は今まで渡った事はなかったが、今日は時間に余裕があるので渡ってみた。
遠くで見れば風情がある兜造りの古民家だが、近くで見ればご覧の通りの乱雑さ。
壊れた水車小屋が1軒あるだけで 「水車村」 と名乗るような所だから仕方ないかも。
と、皮肉を言っていたら新しい水車小屋があったが・・・・・・・・・・
不動峡憩いの広場 不動峡摩崖仏
昨年秋仲間ウォークで来た時は開いていた “山の市” も今年はまだ開いていない。
尤も紅葉の時でも休日しか開催されない市に出合うのは、静岡空港で飛行機を見る事が出来る確率より低いかも。
摩崖仏は彫が浅いのか年々不動尊の姿が薄くなくなってきているように感じる。以前見た国東半島の摩崖仏は1300年前に
彫られたのにハッキリしていたが、ここの摩崖仏は30年も経っていない。岩質が悪いのだろうか?
温泉宿跡 シュウメイギク
かって温泉宿があった名残の石橋の向こうに赤い花が咲いている。コスモスかな? それならワザワザは立入禁止の橋を渡る
事はないが、何となくコスモスとは違う風情を感じる。
周りに車や人がいないことを確認して、通行止の柵を跨いで橋を渡った。
通行止めなので不安を感じて橋の上に立ったが頑丈な石橋でピクともしない。見た目より余程しっかりしていた。
橋は少し反りのあるアーチ橋なので、橋の荷重を両支点に分散して、普通の平橋より頑丈なのだろう。
橋の上で少し飛び跳ねてみたが当然ビクともしない。オット今は橋の話ではなく花の話だった。
花はどうやら赤色のシュウメイギク(秋明菊)のようだ。この花は野生の花ではないので、温泉宿の仲居が客の無聊を癒すために
植えたものかもしれない。そう思えば風情は増す。
双子山ハイキングコース入口か? 中山公園
ゴールの中山バス停を目指し黙々と車道を歩く。中山は二子山へのハイキングコースの入口だが、まだここから双子山には
歩いた事がない。
そうだこれから双子山コースを確認するのも良いかもしれない。確かハイキングコースの入口は材木屋の所だったと思ったが・・・・・
アレー? そこにあった筈の標識が無い。勘違いしているのかなぁ?
中山バス停近くの中山公園に13時5分に到着。早速藤枝市のガイドマップを広げて双子山コースの入口を調べるがはっきりしない。
双子山コースの所要時間は4時間40分とあるので、今出るとゴールは5時半頃になってしまう。
ウーン!どうしよう。行くべきか、行かざるべきか。
今日はライトも持っていないし、入口も定かではない。無理はよそう程々が大事だ。と、中止することに決定。
時間もたっぷりあるので今歩いて来た高尾山コースの紹介分を読んでみた。
自然の景色を楽しみながら歩く、本格ハイキングコース
「鼻崎の大スギの南側から登ります。林道を経由して尾根づたいに進むと、高尾山山頂に着きます。
山頂を後にして進むと、広場に出ます。そこから笠張山に向かって少し行くと、次の分岐点に着きます。
滝ノ谷不動峡への道を進むと滝ノ谷に着き、水車村・不動峡を見ながら、不動峡入口バス停に向います。」
上級コース・・・
足に自信のある本格者向けコース。
歩行時間が長時間に及び、野を越え、山越えの本格的な登山コース。
以上藤枝市のHPより
まずは一番気になる所要時間は、HPでは5時間10分となっているが私の所要時間は笠張山を含めて4時間40分だった。
マー妥当な線だろう。
歩行時間もHPは蔵田から中山までが3時間10分で、私は笠張山を含めて3時間20分と同じようなものだった。
(笠張山は往復で30分掛かったが、その中には10分はの休憩時間も含まれている)
そんなわけで藤枝市のガイドブックの時間は、私と同じようなものなので、これから4時間半も掛かる双子山は止めてよかった。
しかしマー 足弱になったものだ。このようなガイドブックの歩行時間が自分の歩行時間とほぼ同じなんて。
次に気になるのは紹介文。
「高尾山山頂を後にして進むと、広場に出ます。そこから笠張山に向かって少し行くと、次の分岐点に着きます。」 とあるが、
“広場” とは何処を指しているのだろうか? 多分トイレや記念碑のある場所の事だと思うが、そこから笠張山の方に行くとなると
林道を歩く事になり、滝ノ谷に行くにはすごく遠回りになってしまう。ここは
「高尾山山頂を後にして進むと、トイレのある林道と合流します。その林道を横断し隣の道を進んでいくと、笠張山との分岐点に
着きます。」 とした方が理解しやすいだろう。
更に笠張山下の分岐からヤマメの郷の案内も
「滝ノ谷不動峡への道を進むと滝ノ谷に着き、水車村・不動峡を見ながら、不動峡入口バス停に向います。」 といとも簡単にあるが
これでは実際に歩く人には役に立たない。私なら
「笠張山との分岐から滝ノ谷への道に入り15分も下ると、林の中の道が少し崩れている場所に出ます。そこを左折して沢状の道を
少し下ると道は小さな尾根上の道になります。その道を10分も下ると赤いペグの刺さった分岐に出ます。その分岐を右に下りだすと
沢音が聞こえてきて、右下に堰堤が見えてきます。
さらに下って行くとハイキングコースの標識が二つあり、その先で沢が合流した地点に出ます。
ここは左の沢を渡るので左の川岸に下り、沢の石の上を対岸に渡ります。対岸に渡ったら正面上に黒いパイプが見えるので、その
横の崖状の場所を登れば舗装された林道に出ます。後は林道を下って行けば水車村、滝ノ谷へと出ます。」
何とも長くダラダラした文章だが道迷いを避けるためには仕方ない。これが嫌なら必要ヵ所に標識を立てるしかない。
私が想定しているハイキングコースの案内は、分岐点の写真を多用して道迷いを少なくしするようなものにしたいと思っている。
そして主観を減らし、あっさりした案内文にしたいと思ってます。
中山橋の八兵衛さん 経塚山
双子山を止めたのでまだ時間も早い。ここからバスに乗るのも馬鹿らしいので瀬戸川沿いに歩くことにした。
滝沢川と瀬戸川の合流地点の堤防工事が終わり、撤去されていた川中島八兵衛の石碑が戻っていた。
あのまま処分されるのかと心配していたが戻ってきて良かった。
更に瀬戸川を下って行くと経塚山が見えてきた。昔、清水寺はこの山に建っていたが兵火で焼け、現在の地に移転したという。
ハイキングコースにはなっていないが、一度調査して踏跡があれば登ってみたいと思っている。
峠の地蔵入口 峠の地蔵入口
新東名の橋桁の所に地元の町内会が建てた 「峠の地蔵」 の案内板が建っていた。 今までも見ていただろうが、ここを歩く時は
疲れているので気にもならなかった。それが今日はまだ脚にも時間にも余裕があるので確認する気になった。
新東名の取付道路が真っすぐ上に向かう坂の途中で、取付道路を歩いても “峠の地蔵” が有るわけはないと気がついた。
どうしよう? 引き返すべきかと迷い始めた時に下からタイミング良く軽トラが登ってきた。
「すみません。峠の地蔵に行きたいのですが、この先にありますか?」
「有るには有るが、まだ大分先だよ。」 と言う。どの程度先かと聞くと
「この坂の頂上の下の農道を、右の峰道に沿って行くと有るらしいけど、俺はそっちは行った事なからなぁ」 少々心細い返事だ。
さらにしつっこく聞くと
「地蔵さんの道は宮原に行く峰の道だが、どのくらい行くかなぁ? 大分あると思うよ。この道は谷稲葉の心学寺に出る道で
上まで行けば後は下りだからじきに着くよ」 だそうです。
話の中に谷稲葉の心学寺に行ける道とあったので急にファイトが湧いてきた。
何年か前に藤枝七福神で心学寺に訪れた時に、山越えで清水寺に行く道は無いかと寺で聞くと、僧は 「道は無い」 と言っていた。
それがこんなに立派な道があるとは驚きだ。これはいつか歩く時のためにも確認しておかなければと急な坂を登ることにした。
取付道路の頂上部のすぐ下に “峠の地蔵” の案内板が建っていた。サーどうしよう、さっきの人は “大分ある” と言っていたが
大分じゃァ分からない。でも “峰の道” とも言っていたが眺めがいいのかな? それに何といっても “峠の地蔵” の名前がいい。
若し眺めの良い場所の六地蔵だったら後悔をすると、頭の中に東海自然歩道の南部町の六地蔵が浮べながら歩いた。
経塚山 藤枝市街
両側が茶畑になった細い農道は、峰ではないが徐々に高度を上げ遠くが見えるようになってきた。さっき瀬戸川沿いに見えた
経塚山が、今度は姿を変えて見えてきた。前回登った島田の矢倉山と同じようにドッテ腹に新東名が突っ込んでいる。
南の方角には藤枝の市街地も見えている。こんな景色でも今日一番の眺めだ。
峠の地蔵尊
そんな眺めの良い場所に六地蔵はあった。期待していたような丸彫りでもなく六地蔵でもない舟形の石仏だった。
横に建つ案内板には
「峠の地蔵尊 心学寺から寺島に抜ける峠にある石造には、左千葉道・右高根道の道しるべの表示がある。
別名、『会下坂』とも言い、心学寺の修行僧が越えた峠道」
なるほどね。千葉山から高根山に抜ける修行道だったのか。
石仏の 「右・高根道」 は何とか読めたが千葉道は分からなかった。
シュウメイギク 心学寺の定規筋
一応満足して取付道路に戻り先に進む。心学寺の参道には、先ほど温泉宿の跡で見たシュウメイギクが咲いていた。
心学寺の塀は今までも見ていたはずなのに、塀に施された 「定規筋」 には気がつかなかった。今日改めてみると塀には白い横筋が
4本見えている。この定規筋は昨年 「知多四国八十八観音霊場」 を歩いて知ったのだが、定規筋とは
「御所や格式の高い寺院では、壁面に定規筋と呼ぶ白色の横筋を入れる〈筋塀(すじべい)〉が使われた。
筋の数は格式によって異なり,最高は5本であった。」 だそうだ。
知多四国では幾つかの寺が定規筋の塀を見たが、静岡の寺では見た覚えがなかった。それが地元の寺で確認すとはついている。
因みに心学寺の縁起書を見ると
「金龍山心学寺 心学寺は永正元年(1504)曹洞宗寺院として創設された。開基は三條内大臣実望公の母である。(中略)
また、心学寺旧参道には弘法堂がありあり、かっての島田から岡部に至る旧道の風情が残っている。」
とあり、右大臣の母親が心学寺を開基したとなっている。
大臣本人ならともかく、その母親でも四本の定規筋が許されたのだろうか? 若しかして単なる模様として筋を付けたのか?
一度お寺さんに聞いてみたい。
縁起書には “島田から岡部に至る旧道” ともあるが、峠の地蔵には “左千葉道・右高根道” とあった。
さてさてどちらかが間違っているのか、それとも2本の道があったのか興味を惹かれる。
心学寺のある谷稲葉集落には、旧東海道が大井川の氾濫で通行できなかった時の、臨時の東海道があったという。
その道が旧参道から峠の地蔵の道に通じていたのだろうか? 興味が尽きない道でした。
歩行時間:5時間55分 休憩時間:1時間10分 延時間:7時間05分
出発時刻:8時25分 到着時刻:15時30分
歩 数: 30、137歩(推定距離21.4km) GPS距離20.2km
行程表
蔵田BS 1:05> 高尾山 0:30> 笠張山 1:15> 水車村 0:15> 不動峡 0:45> 中山公園 0:40> 新東名下 0:35>
峠の地蔵 0:15> 心学寺 0:35> 金吹橋BS
吊橋の先の古民家 水車小屋
2回で終わる予定だった高尾山が、まだゴールの中山バス停に着かない。脚のピッチは遅くても話のピッチは上げなければ。
古民家へ行く吊橋は今まで渡った事はなかったが、今日は時間に余裕があるので渡ってみた。
遠くで見れば風情がある兜造りの古民家だが、近くで見ればご覧の通りの乱雑さ。
壊れた水車小屋が1軒あるだけで 「水車村」 と名乗るような所だから仕方ないかも。
と、皮肉を言っていたら新しい水車小屋があったが・・・・・・・・・・
不動峡憩いの広場 不動峡摩崖仏
昨年秋仲間ウォークで来た時は開いていた “山の市” も今年はまだ開いていない。
尤も紅葉の時でも休日しか開催されない市に出合うのは、静岡空港で飛行機を見る事が出来る確率より低いかも。
摩崖仏は彫が浅いのか年々不動尊の姿が薄くなくなってきているように感じる。以前見た国東半島の摩崖仏は1300年前に
彫られたのにハッキリしていたが、ここの摩崖仏は30年も経っていない。岩質が悪いのだろうか?
温泉宿跡 シュウメイギク
かって温泉宿があった名残の石橋の向こうに赤い花が咲いている。コスモスかな? それならワザワザは立入禁止の橋を渡る
事はないが、何となくコスモスとは違う風情を感じる。
周りに車や人がいないことを確認して、通行止の柵を跨いで橋を渡った。
通行止めなので不安を感じて橋の上に立ったが頑丈な石橋でピクともしない。見た目より余程しっかりしていた。
橋は少し反りのあるアーチ橋なので、橋の荷重を両支点に分散して、普通の平橋より頑丈なのだろう。
橋の上で少し飛び跳ねてみたが当然ビクともしない。オット今は橋の話ではなく花の話だった。
花はどうやら赤色のシュウメイギク(秋明菊)のようだ。この花は野生の花ではないので、温泉宿の仲居が客の無聊を癒すために
植えたものかもしれない。そう思えば風情は増す。
双子山ハイキングコース入口か? 中山公園
ゴールの中山バス停を目指し黙々と車道を歩く。中山は二子山へのハイキングコースの入口だが、まだここから双子山には
歩いた事がない。
そうだこれから双子山コースを確認するのも良いかもしれない。確かハイキングコースの入口は材木屋の所だったと思ったが・・・・・
アレー? そこにあった筈の標識が無い。勘違いしているのかなぁ?
中山バス停近くの中山公園に13時5分に到着。早速藤枝市のガイドマップを広げて双子山コースの入口を調べるがはっきりしない。
双子山コースの所要時間は4時間40分とあるので、今出るとゴールは5時半頃になってしまう。
ウーン!どうしよう。行くべきか、行かざるべきか。
今日はライトも持っていないし、入口も定かではない。無理はよそう程々が大事だ。と、中止することに決定。
時間もたっぷりあるので今歩いて来た高尾山コースの紹介分を読んでみた。
自然の景色を楽しみながら歩く、本格ハイキングコース
「鼻崎の大スギの南側から登ります。林道を経由して尾根づたいに進むと、高尾山山頂に着きます。
山頂を後にして進むと、広場に出ます。そこから笠張山に向かって少し行くと、次の分岐点に着きます。
滝ノ谷不動峡への道を進むと滝ノ谷に着き、水車村・不動峡を見ながら、不動峡入口バス停に向います。」
上級コース・・・
足に自信のある本格者向けコース。
歩行時間が長時間に及び、野を越え、山越えの本格的な登山コース。
以上藤枝市のHPより
まずは一番気になる所要時間は、HPでは5時間10分となっているが私の所要時間は笠張山を含めて4時間40分だった。
マー妥当な線だろう。
歩行時間もHPは蔵田から中山までが3時間10分で、私は笠張山を含めて3時間20分と同じようなものだった。
(笠張山は往復で30分掛かったが、その中には10分はの休憩時間も含まれている)
そんなわけで藤枝市のガイドブックの時間は、私と同じようなものなので、これから4時間半も掛かる双子山は止めてよかった。
しかしマー 足弱になったものだ。このようなガイドブックの歩行時間が自分の歩行時間とほぼ同じなんて。
次に気になるのは紹介文。
「高尾山山頂を後にして進むと、広場に出ます。そこから笠張山に向かって少し行くと、次の分岐点に着きます。」 とあるが、
“広場” とは何処を指しているのだろうか? 多分トイレや記念碑のある場所の事だと思うが、そこから笠張山の方に行くとなると
林道を歩く事になり、滝ノ谷に行くにはすごく遠回りになってしまう。ここは
「高尾山山頂を後にして進むと、トイレのある林道と合流します。その林道を横断し隣の道を進んでいくと、笠張山との分岐点に
着きます。」 とした方が理解しやすいだろう。
更に笠張山下の分岐からヤマメの郷の案内も
「滝ノ谷不動峡への道を進むと滝ノ谷に着き、水車村・不動峡を見ながら、不動峡入口バス停に向います。」 といとも簡単にあるが
これでは実際に歩く人には役に立たない。私なら
「笠張山との分岐から滝ノ谷への道に入り15分も下ると、林の中の道が少し崩れている場所に出ます。そこを左折して沢状の道を
少し下ると道は小さな尾根上の道になります。その道を10分も下ると赤いペグの刺さった分岐に出ます。その分岐を右に下りだすと
沢音が聞こえてきて、右下に堰堤が見えてきます。
さらに下って行くとハイキングコースの標識が二つあり、その先で沢が合流した地点に出ます。
ここは左の沢を渡るので左の川岸に下り、沢の石の上を対岸に渡ります。対岸に渡ったら正面上に黒いパイプが見えるので、その
横の崖状の場所を登れば舗装された林道に出ます。後は林道を下って行けば水車村、滝ノ谷へと出ます。」
何とも長くダラダラした文章だが道迷いを避けるためには仕方ない。これが嫌なら必要ヵ所に標識を立てるしかない。
私が想定しているハイキングコースの案内は、分岐点の写真を多用して道迷いを少なくしするようなものにしたいと思っている。
そして主観を減らし、あっさりした案内文にしたいと思ってます。
中山橋の八兵衛さん 経塚山
双子山を止めたのでまだ時間も早い。ここからバスに乗るのも馬鹿らしいので瀬戸川沿いに歩くことにした。
滝沢川と瀬戸川の合流地点の堤防工事が終わり、撤去されていた川中島八兵衛の石碑が戻っていた。
あのまま処分されるのかと心配していたが戻ってきて良かった。
更に瀬戸川を下って行くと経塚山が見えてきた。昔、清水寺はこの山に建っていたが兵火で焼け、現在の地に移転したという。
ハイキングコースにはなっていないが、一度調査して踏跡があれば登ってみたいと思っている。
峠の地蔵入口 峠の地蔵入口
新東名の橋桁の所に地元の町内会が建てた 「峠の地蔵」 の案内板が建っていた。 今までも見ていただろうが、ここを歩く時は
疲れているので気にもならなかった。それが今日はまだ脚にも時間にも余裕があるので確認する気になった。
新東名の取付道路が真っすぐ上に向かう坂の途中で、取付道路を歩いても “峠の地蔵” が有るわけはないと気がついた。
どうしよう? 引き返すべきかと迷い始めた時に下からタイミング良く軽トラが登ってきた。
「すみません。峠の地蔵に行きたいのですが、この先にありますか?」
「有るには有るが、まだ大分先だよ。」 と言う。どの程度先かと聞くと
「この坂の頂上の下の農道を、右の峰道に沿って行くと有るらしいけど、俺はそっちは行った事なからなぁ」 少々心細い返事だ。
さらにしつっこく聞くと
「地蔵さんの道は宮原に行く峰の道だが、どのくらい行くかなぁ? 大分あると思うよ。この道は谷稲葉の心学寺に出る道で
上まで行けば後は下りだからじきに着くよ」 だそうです。
話の中に谷稲葉の心学寺に行ける道とあったので急にファイトが湧いてきた。
何年か前に藤枝七福神で心学寺に訪れた時に、山越えで清水寺に行く道は無いかと寺で聞くと、僧は 「道は無い」 と言っていた。
それがこんなに立派な道があるとは驚きだ。これはいつか歩く時のためにも確認しておかなければと急な坂を登ることにした。
取付道路の頂上部のすぐ下に “峠の地蔵” の案内板が建っていた。サーどうしよう、さっきの人は “大分ある” と言っていたが
大分じゃァ分からない。でも “峰の道” とも言っていたが眺めがいいのかな? それに何といっても “峠の地蔵” の名前がいい。
若し眺めの良い場所の六地蔵だったら後悔をすると、頭の中に東海自然歩道の南部町の六地蔵が浮べながら歩いた。
経塚山 藤枝市街
両側が茶畑になった細い農道は、峰ではないが徐々に高度を上げ遠くが見えるようになってきた。さっき瀬戸川沿いに見えた
経塚山が、今度は姿を変えて見えてきた。前回登った島田の矢倉山と同じようにドッテ腹に新東名が突っ込んでいる。
南の方角には藤枝の市街地も見えている。こんな景色でも今日一番の眺めだ。
峠の地蔵尊
そんな眺めの良い場所に六地蔵はあった。期待していたような丸彫りでもなく六地蔵でもない舟形の石仏だった。
横に建つ案内板には
「峠の地蔵尊 心学寺から寺島に抜ける峠にある石造には、左千葉道・右高根道の道しるべの表示がある。
別名、『会下坂』とも言い、心学寺の修行僧が越えた峠道」
なるほどね。千葉山から高根山に抜ける修行道だったのか。
石仏の 「右・高根道」 は何とか読めたが千葉道は分からなかった。
シュウメイギク 心学寺の定規筋
一応満足して取付道路に戻り先に進む。心学寺の参道には、先ほど温泉宿の跡で見たシュウメイギクが咲いていた。
心学寺の塀は今までも見ていたはずなのに、塀に施された 「定規筋」 には気がつかなかった。今日改めてみると塀には白い横筋が
4本見えている。この定規筋は昨年 「知多四国八十八観音霊場」 を歩いて知ったのだが、定規筋とは
「御所や格式の高い寺院では、壁面に定規筋と呼ぶ白色の横筋を入れる〈筋塀(すじべい)〉が使われた。
筋の数は格式によって異なり,最高は5本であった。」 だそうだ。
知多四国では幾つかの寺が定規筋の塀を見たが、静岡の寺では見た覚えがなかった。それが地元の寺で確認すとはついている。
因みに心学寺の縁起書を見ると
「金龍山心学寺 心学寺は永正元年(1504)曹洞宗寺院として創設された。開基は三條内大臣実望公の母である。(中略)
また、心学寺旧参道には弘法堂がありあり、かっての島田から岡部に至る旧道の風情が残っている。」
とあり、右大臣の母親が心学寺を開基したとなっている。
大臣本人ならともかく、その母親でも四本の定規筋が許されたのだろうか? 若しかして単なる模様として筋を付けたのか?
一度お寺さんに聞いてみたい。
縁起書には “島田から岡部に至る旧道” ともあるが、峠の地蔵には “左千葉道・右高根道” とあった。
さてさてどちらかが間違っているのか、それとも2本の道があったのか興味を惹かれる。
心学寺のある谷稲葉集落には、旧東海道が大井川の氾濫で通行できなかった時の、臨時の東海道があったという。
その道が旧参道から峠の地蔵の道に通じていたのだろうか? 興味が尽きない道でした。