はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

知多四国24番徳正寺

2015-10-13 10:00:00 | 寺社遍路
歩行記録                                                         H27-8-12(水)
歩行時間:5時間40分   休憩時間:2時間00分   延時間:7時間40分
出発時刻:8時30分     到着時刻:16時10分
歩  数: 36、270歩(推定距離27.2km)    GPS距離24.4km
行程表
武豊駅 0:15> 24番 0:35> 25番 
0:40> 開山 0:30> 番外 0:20> 26番 0:50> 27番 ・ 開山 0:55> 28番 0:45>
 29番 0:45> 34番・31番・32番・30番 0:05> 大井BS 
                                  24番徳正寺(上り?)

       
                    JR武豊駅                               駅前の銅像

 JR武豊線の終点武豊駅で下車。武豊? タケユタカって競馬の騎手にもいたが、ここはタケトヨ町でした。
それでも何かタケユタカと関係ある物がないかと町のHPを見たが、名誉町民でもないし競馬関係の施設も無かった。

 武豊駅前に 「高橋熙君之像」 が建っていた。軍人の像かと思ったが何となく違う感じがしたので調べてみた。
 「昭和23年(1953)に武豊町を襲来した台風13号から列車を守るために殉職した国鉄職員の高橋熙(ひろし)氏の胸像です」
そうだよな、軍人の銅像をこんな駅前に建てる訳はないか。それにしても台風から列車を守るって具体的には何をしたのだろう。
三浦綾子の小説 「塩狩り峠」 では、峠にさしかかった列車が突然離れて下りだした。たまたま乗っていた国鉄職員が身を挺して
列車を停めた話だが、この辺りは平らな土地でそんな事は置きそうもない。
気になってさらに調べると、何の事はないウィキペディアに載っていた。

 「折から襲来した台風13号の影響で発生した高潮により、武豊-東成岩間の線路が流失した。この異変を武豊駅に向かって
進行中の上り列車に知らせるべく、武豊駅駅手・高橋煕(ひろし)が発炎筒を手に、東成岩駅方面へ走り出した。
上り列車の機関士は前方に振られる発炎筒に気付き、非常停止した後東成岩駅まで後退し、列車の乗客乗員約100名は難を
逃れる事ができた。しかしながら高橋駅手は武豊駅に戻ることはできず、翌日線路際で殉職した彼を捜索隊が発見する。」


成程と思ったが説明の中に “武豊駅行き上り列車” とあるのが理解できない。
武豊駅は終点なのだから、武富駅に向かってくる列車は全て下りの筈だ。それが上り列車とは?????
私が勘違いしているのか、それともウィキペディアが間違っているのか --------


                 徳正寺山門                               弘法堂

 どうも歩き出しは地図を読む勘が準備できていないのかまた間違ってしまった。1回目は2番目の札所に行く途中で、2回目は
最初の札所で間違ってしまった。今日も地図のメモには 「信号があったら行き過ぎ」 とあるのに信号まで来てしまった。
戻ってもよいが丁度若者がきたので聞いてみた。
 「私はここの者ではないので分かりませ。アッチョト待ってください」とケイタイを取り出して操作をした。
 「徳正寺と云うお寺は、その家の間を行けばすぐあります。」と教えてくれた。
言われたように家の間を行くとすぐ24番徳正寺はあった。
まるでカーナビのように便利だが、これを使いだしたら遍路の面白味が半減してしまいそうだ。今は事前にネットで地図を調べ
それなりに道の状態が分かってから歩いている。
そのお蔭で遍路が終わっても写真とその地図を見ると色々な事を思い出す事ができブログも書く事ができる。

 オット札所の話もしなければ。
徳正寺の山門に 「願掛 千体地蔵」 のポスターが貼ってあった。この寺にも小さな焼物の千体地蔵があるのだろうと思ったが
次に千体地蔵に気が付いたのは山門を出る時だった。
境内を歩いた限りでは千体地蔵は無かったので本堂の中に祀ってあるのかな。

      
                        撫地蔵                              六角堂

 弘法堂の前に 「撫地蔵」 が祀ってあり 「まず、自分の痛い所を撫でて下さい。次に、お地蔵様の同じ場所を撫でて下さい。
一度では治りませんので、数回繰り返して下さい。二十四番徳正寺」

オビンズル様と同じご利益のお地蔵さんだが、お寺さんも色々考えるのだな。その内に “撫大師” も現れるかもしれない。

 六角堂の中に 「慶亀尊天」 と刻まれた六角柱の石碑を背負った亀の像が安置されていた。徳正寺の山号が 「慶亀山」
よるものだろう。山号に亀が付くのだから海は近いと思うが知多半島を歩き出してからまだ一度も海は見ていない。
しかし今日は海辺の国道を歩くので海は100%見られるだろう。

                                武豊駅から24番徳正寺への道