はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

奥沼+沼津アルプス

2016-03-31 17:06:36 | 低山歩き
歩行記録                                                           H28-3-29(火)
歩行時間:8時間00分   休憩時間:1時間05分   延時間:9時間05分
出発時刻:7時30分     到着時刻:16時35分
歩  数: 25、611歩(推定距離18.17km)    GPS距離13.2km
行程
 原木駅 1:10> 日守山 1:35> 大平山 0:50> 鷲頭山 0:10> 小鷲頭山 0:40> 志下山 0:45> 徳倉山 0:40>
 横 山 1:00> 香貫山 1:10> 沼津駅

                                   奥沼津アルプス


 松理さんのブログの奥沼津アルプスの記事を見て急にその気になってしまった。
沼津アルプスには5年前、巷間に囁かれている 「アップダウンが多く厳しい山」 と思って歩いたがが、思っていたより楽に感じた。
香貫山に着いた時間が早かったので更に千本浜を片浜駅まで歩こうとさえ思った事を覚えている。
その所為かどうか、静焼アルプスの方がよっぽど大変だと変な郷土愛に目覚めてしまっていた。

 その沼津アルプスを歩いている時、地元の人が 「奥沼津アルプスは余り開拓されていないので人は少なく、梯子場などもあって
面白い。沼津アルプスを含めての縦走は余程の健脚でないと歩けない」
等聞き、なら一度は歩かなければと思った。
しかし記憶力がとみに薄くなったこの頃は、すっかりそんな事は忘れていた。
それが飯間山で出会った若者と沼アと静焼アの比較を話したこともあり、松理さんのブログで記憶の隅に埋まれていた物が
甦り、ブログを見た翌日には出かけてしまった。


                            登山道入り口までの地図

 伊豆箱根鉄道駿豆線の原木(ばらき)駅から登山道入り口までは石堂橋を渡る分かりやすい道でした。


 
             狩野川越しの富士山                              石堂橋

 いつもなら富士山が見えるかどうか気になる場所だが、今日は突然の出発だったのでそんなことは忘れていた。
だがご覧のように少し薄いが見えていた。薄かろうがどうだろうが見えればいい。
富士山の裾は愛鷹山に隠されてしまっているが明らかに静岡側から見るより雪の量が多い。以前NHKで山梨県側に比べて
静岡側の雪の少ない理由は “本州の太平洋側と日本海側の雪の量の違いと同じで、水分を含んだ冷たい空気が富士山に当たり
大量の雪を降らせ、雪を降らせた後の乾燥した空気が静岡側に流れるので雪が降らない” と説明をしていた。
しかしその説明をしたお天気お姉さんがこの景色を見たらきっと顔を赤くするだろう。だってあの雪が多い場所は静岡県の御殿場
なのだし、更に言うなら山梨県の山中湖から見る冬の富士山は、右側に雪が多いものが多い。あの雪の多い場所も静岡県側だ。

 石堂橋の向こうに見える山は倒木や竹林などあって荒れているように見えるが、これから行く道は大丈夫だろうか。
急に不安になってきた。けど松理さんのブログには “道が荒れている” 等の記述は無かったから多分大丈夫だろう。
と、すぐ他人の所為にする。

 石堂橋を渡った先の道は、田舎道なのにやけに交通量のある道だった。だが横断歩道に立つと車はすぐ止まってくれた。
伊豆の人は何と親切だろう。感謝です。
 車道を渡り一先ず下の道に下りたが、車道を歩いても登山道入口には出合う事ができます。

      
             登山道入り口                            県道沿いにある入口の標識

 車道と山が接近した所に登山道入り口の標識が立っていた。ここから登山道に入ってからはもう道に迷うことなかった。
そうだ香貫山の上りと下りを除いてはですが。

  
   最初の上り(鳥居の手前を右)         何処までも続く竹藪の道              ロープがあちこちに

 車道横の細い上りの舗装道を、こんな道が続いているのだろうかなど下向いて黙々と登る。小さな祠の鳥居まで来てアレー? 
道が無い。慌てて振り返ったら少し下に分岐が見えた。良かったが気を付けなければ。
たったさっき “道に迷うことはなかった” と書いてしまったが、これも道に迷ったのかな?

 大崩山塊でも時折見かける竹藪の道だが、よく踏まれている道は道幅も広く竹の切株もない。
これなら安心して歩けると思ったが、昨晩雨が降ったのか、それとも今朝霜が降りたのか、竹の葉が濡れていて上着もズボンも
ビッショリ濡れてしまった。しかも道も湿っていてヌルヌルしている。滑らないように気を付けなければ。
こんな道が日守山まで続いた。

 最初のうちは触らなかったロープも、一度利用してしまうと癖になるのか、その後はあれば使う状態になってしまった。
自分以外に誰もいないので自分専用にロープを使えるので振られる心配はない。

 
          日守山入口(中から写す)                              日守山の展望台

 前方に柵が見えてきた。確か松理さんは柵の隙間から出て大平山に登ったとあったが、ここは柵の下を潜らなければ中に
入れない。柵の中にはむこう向きの標識が立っているので、ともかく中に入ろう。
標識は右(南)方向を指して 「大平山」 になっていた。

 柵の中は芝生公園のようになっていて展望台もある。桜の枝に吊るした山名表示には 「日守山192m」 とあった。
待てよ? 昨晩大雑把に見た地理院の地図には、大平山の手前の山は 「大嵐山」 になっていた。なのにここは “日守山”?

 
          箱根山方面                               富士山が隠れてしまった愛鷹山方面

 展望台からの景色は富士山こそ雲に隠れてしまっていたが広大な裾野が広がっているのが見える。眼下には蛇行した狩野川も
見えていたので渡ってきた石堂橋を探したが分からなかった。更に展望台から下には遊歩道と思われる擬木の階段が続いている。
どうやらこちらが正規の道のようで松理さんはこの道を登ってきたようだ。

 広場で掃除をしていたお年寄りに話を聞くと
 「ここの公園は竹下首相時代の故郷創生資金に 『田方平野を一望する公園』 として応募したら、当選して整備した公園だよ。
あんたが歩いた道は昔は畑へ行く道だったが、今は畑をやるモンが居なくなったので、山に登るモンだけが歩いているよ。」

だって。

  
      日守村三角点案内板               大平山と鷲頭山                  日守山出口

 日守山の日守村三角点の案内。これを見た時はフーンと思っただけだったが、後で大平山の三角点を調べたくて地理院の
 “準点閲覧サービス” 見た時、ついでに日守村の三角点を見てみたら標高が違っている事に気がついた。
案内板には 「192.20m」 地理院では 「191.20m」 と1mの違いがある。更に案内板の設置年月を見ると 「平成24年5月」
あり、一方地理院の標高改算は 「20140313」 となっていた。
既に今日の日付さえ覚束なくなってきた私には、年号と西暦がごっちゃになっているとチンプンカンプンだ。
これを年号に統合すると 「H24年 対 H26年」 なる。
そうか平成24年に案内板を付けた時は192.2mだったのが、2年後の標高調査で1m低い191.2mになったのだろう。

 以前測量に詳しいウォークキング仲間に 「三角点の白い杭に標高を書けば、三角点にもっと親しみが湧く」 と話したら
 「三角点は標高の改定があるので、その度に杭を訂正するのは手間暇が掛かり過ぎる」 と言われてしまった。
その時は納得できなかったが、確かにこのような事が起こる場合がある。標高を知りたければ自分で調べろと云う事だろう。

 広場から二つの尖った山が見えたのでお年寄りに聞くと
 「手前の高く見えるのが大平山で、奥の低く見える方が鷲頭山だが実際は奥の鷲頭山の方が30m以上高いらしいよ」
教えてくれた。確かに手前の山の方が高く見える。あれで30m以上も奥の山が高いとは思えないが事実なら仕方ない。
そういえば高草山の三角点と祠と比べ、どちらの標高が高いか論争があったが、あそこの標高の差はたった2mだった。
それじゃあ遠くからの見た目で高さ比べをするのは無理と云うものだ。あの時の講師がこの写真を見たら何と言うかな。

 日守山から大平山に向かうルートは柵の切れ目になっている。標識もあるので迷うことは無いが、この広場を作った団体の
中に山歩きをする人がいなかったのだろうか。歩いてばかりいて地元の行事に参加しないハイカーの私は反省しなければ。

  
           石切場跡                  江間分岐の標識                   ケルン

 絶壁が見えるが余りに絶壁過ぎる。良く見れば絶壁の同士の角度が直角になっている。これは昔の石切場の跡なのだろう。
江戸城築城の際には伊豆から多くの石を切出し、その跡が伊豆の西海岸には多く残っている。ここも江戸城の石を切出したのか?
いやここは東海岸なので江戸に送るには伊豆半島をグルリ回らなければならない。じゃぁ江戸城でなければどこの城だろう?
ここに案内板があれば納得できるのだが。

 江間への分岐点には沼津アルプスらしい標識が立っていた。そこに 「横穴群 下り10分くらい」 とあったので一瞬迷ったが
下りに10分、登りに15分、見学5分でも30分は掛かってしまう。この先がどうなるのか分からないので諦めるしかなかった。
そこの標識に 「大嵐山(日守山)」 と書かれていた。どうやら日守山は地元の人の呼び名で、大嵐山は地図からきた名前のようだ。

      
             シドメの花                         伊豆3山(城山・葛城山・発端丈山)多分

 道脇に “シドメ” の花が咲いていた。この花は御殿場では荷車の通る轍の間に良く咲いていた花で、花の後には緑色の
ピンポン玉くらいの実を付ける。食べてもおいしくないが一時期果実ブームの時は、このシドメの実も漬けたと聞く。
そうそうシドメの名前は余り流通していなくて “草ぼけ” の方が知られているようです。

 南の方が開けた場所から城山・葛城山・発端丈山がらしき山が見えていた。
中央の一番高い山には山頂にアンテナも見える事から葛城山で間違いはない。では左に見えるのは岩登りで有名な城山で、
右が発端丈山なのだろう。
左から城山(342m)、葛城山(452m)、発端丈山(410m)だが、矢張り一番近い葛城山がより高く見える。



 苔むした大きな岩が道を塞ぐ。ここは分岐点で岩の前の木の幹に、マジックで書かれた行き先表示があった。
イタズラ? いえ違いした。その木の前には上の写真のような長い標識も取り付けてあった。

  
         岩陰を行く道                  梯子(上から)                   梯子(下から)

 岩が多くなり道も細くなってきた。そろそろ梯子のある場所に近づいてきたようだ。
アラー岩の上から覗き込むと梯子の先が見えていた。私は高い場所に向かっているので当然梯子は登るものだと思っていた。
それが下りとは想定外だ。きっと下りの方が怖いだろうと、慎重に手にしていたストックを背中とザックの間に差す。
怖い所が苦手な私だが、梯子はしっかり固定され怖さを感じることなく下りる事ができた。
写真では梯子の降り口が怖そうに見えるが左程の事はありません。尤も恐怖感は人により違いはあるので何とも言えないが
小笠山の小笠池から中継所に登る痩せ尾根 (否あれは尾根と云えるような場所ではない) の方がよっぽども怖かった。
あそこを渡った後も怖さは続き、普段何ともないような場所でも怖くて近づけなかったくらいだった。
松理さんのブログには、この階段の事には触れていませんでしたので、あの超ベテランにはこの程度は普通の道なのでしょう。

  
           細い道                       礫岩?                   ロープのある岩場

 ここの岩も小笠丘陵と同じように小石が圧力等により固まった礫岩(れきがん)のようだ。だが小笠丘陵の礫岩と明らかに違う
のは礫の大きさだった。通常礫の大きさは直径2mm以上の岩石の破片とされているが、まさに小笠丘陵の礫岩はその言葉通りの
小さな砂利状の礫の中に、少し大き目の河原の石のように丸みのある礫が混じっている。
一方ここの礫は10㎝以上と大きく、しかも角の尖った山の石のような礫だった。
更に小笠丘陵では出っ張っている礫をストックで突っつくとポロリと抜け落ちるのもあるが、ここのは礫を固める粘着物が強いのか
びくともしない。
小笠丘陵の礫岩は脆くて如何にも小石が強烈な圧力で固まったように見えるが、ここの礫岩はセメントのような接着物質で固めた
ように見える。同じ礫岩でも大分違いがある事を知った。

 写真右端のような場所もあったが取っ手になる岩が多く難なく通過できる。かえってロープなど触らない方が登りやすかった。

 
           小山が島のように見える                              大平山が近い

 そんな難所を過ぎると平らな岩の上から田方平野を一望でる場所があったが、相変わらず富士山は隠れたままだった。
山の際には飛び石のごとく小山が続いていて、この辺りが内海だった時代にはさぞかし風光明媚な場所だったと思えた。
尤もその時代にこの景色を眺める人間が居たかどうかは知らないが。

 振り返れば大平山がすぐ近くに見える。思ったより時間が掛かっているがあと少しだ。

  
        梯子(上から)                   梯子(下から)                  大平山の山頂表示

 景色を眺めた場所からは岩も無くなり後は傾斜の強い道だけだろうと思ったら違った。またもや梯子の頭が見えている。
今度も梯子を下るようだ。でもここの梯子は最初の梯子より楽に下る事ができた。

 二つ目の梯子を過ぎると急登が待っていた。それでもロープにすがって登れたので大分楽ができた。
梯子から15分ほどの奮闘でやっと大平山到着。

大崩山塊:静焼アルプス縦走 Ⅲ

2016-03-28 09:51:05 | 低山歩き
歩行記録                                                           H28-3-22(火)
歩行時間11時間20分   休憩時間:1時間45分   延時間:13時間05分
出発時刻:6時00分     到着時刻:19時05分
歩  数: 45、146歩(推定距離29.5km)    GPS距離22.7km
行程
 安倍川駅 0:30> 佐渡山 1:05> 仏平 0:15> 梵天山 0:25> 歓昌院坂 0:35> 駿河峰 0:30> 大鈩山 0:50>
 飯間山 1:20> 宇津ノ谷峠 0:20> 蔦の細道 1:20> 444m峰 0:20> 満観峰 0:45> 日本坂峠 0:30>
 花沢山 1:00> 道標の峠 0:55> カンポ下 0:40> 焼津駅

                                   静焼アルプス後半
 
  
      ダイラボウへの標識                ロンショウ?                    道の駅への標識
       
 飯間山からしばらく行った所に気になる標識が一昨年付いた。
 「ダイラボウ⇒こっちだよ」 と書いてある標識で、上には野田沢峠までの略図も書いてある。
以前大崩山塊からダイラボウまで歩きたいと思い、ダイラボウの麓の西又峠で道を探したが分からなかったことがある。
ここにある略図も西又峠までではなく、手前の野田沢峠までしか書いてない。そのため歩く決断が付かないでいる。

 その標識の横に三等三角点朝比奈がある。そこにも 「朝比奈(ロンショウ)412.2m」 の初めて見る標識が付いていた。
しかし “ロンショウ” って何だろう。三角点の名称は朝比奈だし、日本語? アイヌ語? それとも略語か。
若しかしたらここからダイラボウまで道がある。そのより拠がここの入口ですって事かな? 一先ずそうにしておこう。

 更に下ると今度は東に下る分岐に 「道の駅」 の標識がある。この道は道の駅に車を置いて、宇津ノ谷峠からの周回コースに
なる利用価値のある道です。ただ5月ともなると一部雑草が生い茂るので冬場がお勧めです。

 この急な坂が上りでなくて良かったと思いながら鞍部に着くと、ここにも 「道の駅」 の標識が付いた。
以前この道の入口には 「悪路」 と書いてあったり、わざわざ略図を書いて “×” を書いてあったりした。
その道が整備されたのだろう。いつか歩いて見なければ。

      
                    丸子富士と満観峰                            倒木にキノコ

 いくら眺めが悪いと云っても一枚ぐらい景色も紹介しないと。
どうですかどれが丸子富士か分かりますか? 左側の三角形の山がそうですが富士山と云えると思います?

 倒木いや伐採され倒れたままの木にキノコが生えている。若しかしてと近づいて見ると椎茸だった。
今の椎茸栽培は榾木に椎茸菌を植えつける方法だが、昔は榾木に鉈目を入れて椎茸菌が飛んできそうな所に置いていたという。
そのため椎茸菌が飛んでくる場所を探す職業の人がいたと小説で読んだことがある。
その自然発生の椎茸かと思ったがどうやら違うようだ。倒れている木には何カ所も菌を打ち込んだような黒い傷跡がある。
手抜き栽培をしたため椎茸の発生率が良くないのだろう。これでは椎茸菌が勿体ないと椎茸菌の値段を調べてみた。
安い椎茸種駒は千個で2千5百円で1個当たり40銭と1円以下だった。それならやってみても面白いだろう。

  
           ロープ場               はるか下に宇津ノ谷峠                  宇津ノ谷峠

 一昨年方向感覚を失った場所も、昨年から目印のビニール紐がこれでもか、と云うくらいついたので難なく通過。
宇津ノ谷峠近くの岡部の三等三角点を過ぎると道はまたもや急になる。ロープ場もあり、はるか下に宇津ノ谷峠が見る場所は
次に登る蔦の細道への斜面も見えるので余り下りたくないのが本心だ。

ようやく宇津ノ谷峠に到着。フ~疲れた。
休む場所もないので峠を横断して次の斜面に取付くのだが、今までここでは一苦労していた。斜面が滑りやすので立っては
登れず屈んで登るのだが手掛かりになるものが無い。そのため下から勢いを付けたり、埋まっている小石を抓むように取っ手
代わりにしたりしていた。ただ危険性は無いのでヤッキリしながらも面白半分で余裕をもって対応していたが。

それが今年はその斜面に何やら小さな切り株が段々のようにある。今までここに木が生えていた記憶ないので、良く見ると
切株ではなく木を土に打ち込んであるようだ。お陰で今年は宇津ノ谷峠を難なく通過する事ができた。

      
                宇津ノ谷トンネル排煙施設                          中電の階段の杭

 斜面を登った所で農道に合流。本来なら農道を横断して階段を上り、茶畑を通ってこの先にある排煙施設に出るのだが
その茶畑の中を通るのが何となく嫌で、一度農道を歩いてからは専ら農道を歩くようになっていた。

 国1宇津ノ谷トンネルの排煙施設の南側を回り込んで山道に入る。ここからカンポ下までまた長い山道が続く。
以前排煙施設から鉄塔の下を通っていた道は、伐採工事のあとからは鉄塔下の平らな道を行くようになっている。
その鉄塔への階段が崩れ杭がむき出しになっていた。この中電の黒い樹脂製の土留めは、2ヶ所を同じ樹脂の杭で止めてあるが
案外丈夫だと感じていた。その杭がむき出しなっているのを初めて見て驚いた。ずいぶん長い杭で、あれだけ埋め込むには何か
道具でもなければ難しそうだ。逆に言えばあれだけ長い杭が地中に刺さっているのだから丈夫なのだろう。

 
                蔦の細道(峠)                              蔦の細道静岡口側

 蔦の細道では夫婦と思われる中年カップルが休んでいた。女性が 「綺麗で気持ちが良い」 と何度も言っていた。
何度もここを歩いている私は鈍感になって景色には何も感じず、やっと蔦の細道に着いた。と思うだけになってしまった。
それでも何年か前に静岡側の林を伐採して、富士山が見えるようになったときは嬉しかったが。

それにしてもここの標識はバス停か何かを案内しているようで風情が無さすぎだ。ここに来る人は平安時代の
 「うつつにも 夢にも人に あわぬなりけり」 の蔦の細道を思い描いているのだろうに・・・・

  
                                 444m峰への尾根道

 蔦の細道から444m峰までは二つのピークを越さなければならない。中でも最初のピークの上りはきつく、いつもハーハー
しながら登っている。それでも二つ目のピークを越せば444m峰は近い。
  
 
                満観峰山頂                               満観峰山

 満観峰に着いたのが2時50分で昨年より20分遅くなってしまった。これには理由があり今年は途中で丁度20分ばかり
植物採取をしていたからです。余裕のない工程とは分かっているが、ケチな私は土産にありそうなものを見つけると見過ごす
事ができないのですよね。これからの季節はわらび、フキ、タラの芽を見つけるとどうしても足が止まってしまいます。

 以前もあった周辺の山の写真に山名を書いたパノラマ写真がまた取り付けられていた。
カラー写真で写真と実際の山と見比べがつきやすく、非常に分かりやすかった。だが長持ちをせず1年か2年で駄目になって
しまった。今回の写真も同じような作りで余り長持ちはしそうもない。
四阿を撤去した跡に立派なテーブルを付けてくれたが、どちらかと云えば写真の方を援助して、長持ちする物にして欲しかった。
と、疲れた頭は文句ばかり思いつく。

 満観峰から丸子富士の方を見て、それから花沢山を見ればその工程の差は一目瞭然です。更に花沢山から海の近くに見える
簡保の宿までの低いが長い尾根をみると、まだまだ先は遠いと感じてしまう。
きっと花沢山までが朝鮮岩ルートと同じくらいの大変さだろう。そこから更に低いとはいえアップダウンのある尾根は続いている。

  
          長い階段                      穴地蔵                     日本坂峠

 444m峰は蔦の細道から登る方が大変だが、花沢山へは満観峰から行く方が楽に感じる。その代り上りは少ないが長い
階段の下りはある。
 日本武尊が隠れたとされる峠の穴地蔵にお参りすれば、その下が日本坂峠です。
サー今日最後の登りを頑張ろう。

      
               丸子富士                         花沢山手前から静岡市街

 丸子富士のケチばかり付けていては申し訳ない。先ほどの写真よりは富士山に見えますかね~。
このアングルが丸子富士が一番富士山らしく見える場所だと思います。
丸子富士の山裾の方に山桜が咲いているのが見えたが、尾根筋にある桜の大木は一輪も咲いていなかった。
先日TVのニュースで東京の桜の開花状況を伝えていて 「今日は数輪咲いているが、開花は5.6輪咲かなければならないので
今日は開花宣言は出ません。」
と気象庁の職員が言っていた。
アレー数輪って5.6輪の事じゃぁなかったのかと電子辞書で調べてみたら 「2、3個から5、6個」 とあった。
またネットでは 「2個から9個で1桁で複数以上」 なんてものもあった。
ようは曖昧な数なのですね。だから政治家が “数日中” とか “一両日中” なんて使いたがるのだろう。
ところで気象庁の職員は自分勘違いを全国放送されてしまったことになり、放送後は恥ずかしかっただろう。

 
            花沢山山頂下の広場                               花沢山山頂

 花沢山頂の電波反射板の撤去後は相変わらず整備されないままだった。この広場の周りの木を伐採すれば、北には富士山と
静岡市街、南には焼津や藤枝などの志太平野が一望できるのに惜しい事だ。
若し宝くじでも当たれば、この辺りの土地を買収して整備したいくらいだ。(もっとも宝くじは買ったことは無いけどね。)


 今、時間は4時20分。これから山道の終わるカンポ下までは2時間弱はかかるだろう。今日に日没時間は6時位なので
急がないと山道で日が暮れてしまいそうだ。と休憩もそこそこにして出発をした。

      
         花沢山の長い階段                              石部峠

 花沢山の長い階段は上りでも下りでも厄介だ。擬木の階段は雨で土が流れてしまい擬木が浮き出していて歩きずらい。
結局階段の横を歩くので増々階段が浮き上がってしまう。
この擬木の階段が中電の樹脂の階段だったらどうだろう。横幅が擬木に比べ1/3程度などで水の量が少なく流れる出る
土の量も少ないのではないか。道は狭くなるが、結局は擬木だって歩きながらすれ違う事は出来ないのだから同じことだ。
これから擬木の階段を整備する所は一考の価値はあると思う。予算だってグンと少なくなるだろう。

 石部峠に着くと一応ホッとする。ここまで来ればもう厳しい上り下りは無い。またここからは水車小屋経由で花沢の郷に下る
事もできるので縦走を続けるか再考する事ができる。でもまだ大丈夫、後は時間との戦いだ。

 
                道了尊                                     道標の峠

 厳しいアップダウンは無いがそれなりのアップダウンは続いている。今は疲れよりも時間が気になる。
急ごうと思っても足の速度は増してこない。他人が見れば、きっと “ゆっくり歩いている” とみえるだろう。

 砂張屋の道標が最後の逃げ口だが時間は5時20分。カンポ下まではあと1時間はかからないので6時少し過ぎたころ到着
できそうだ。それなら陽が沈んでもまだ明るさは残っているだろうと、少し暗くなってきた峠を出発した。

 
                高草山                                     伊豆半島

 高草山や満観峰が黒く見えるようになってきた。昨日山の準備をしている時、ヘッドランプをと一瞬思ったが、今まで何度も
この静焼アルプス縦走をしているが、明かりを欲しいと思った事は一度もない。例え衰えが出始めたとはいえ、まだまだ大丈夫だ。
と思ったのはチョッと早まったかな? 

 伊豆半島が見えていた。昼間より景色が見えるようになってきたが今更遅い。
木の間から太陽が山に沈むのが見えた。まだ6時にはならないのに何だ。と思ったが、一般的に日の出日の入りは水平線上に
太陽が出入りする時間を指すのだから、山が近くにあればそれだけ日の出は遅く、日の入りは早くなるのだ。
そんなことも気づかないとは情けない。

      
              松風閣                              夕闇迫る焼津市街

 フーやっとホテルが見えた。ここまで来ればカンポ下は近い。とホッとすすものの、何故かそこからの道がいつもより擬木の
階段が多く感じたのは何故だろう。疲れか、それとも焦りか。

      
         簡保の宿への道が見えた                           カンポ下

 カンポ下に着いたのが6時15分。暗くはなってきたもののまだ歩数計の数値が読めるくらいの暗さだった。
この程度なら例え明かりを持っていても点ける事はないだろう。ともかく明るいうちに山道を出れてよかった。

 カンポ下のハイキングコースの入口には相変わらず 「大崩ハイキングコースの通行禁止」 の貼り紙がしてあった。
以前は花沢山や道標の峠でも見た貼り紙だが、今日はどちらにも無かったので通行禁止が解除されたのかと思ったが違った。
きっとなくなってしまったのだろう。通行禁止の場所を夕方歩くとは70台の男がやる事ではないかな・・・・・・・・

 カンポ下でホッとしたが、まだここから焼津駅まで40分は歩かなければならない。最後の一頑張りだと車道を下り始めると
右の斜面から獣の激しい息づかいと争っているような物音がした。ドキッとしてストックを構え斜面を見るが何も見えない。
砂利が落ちる音も聞こえだし恐怖心が湧いてきた、。慌てて大きな声を出し、ここに人間がいる事をアピールした。
それが功を成したのか争う息遣いは止み元の静寂に戻った。

いつもは山中で鹿や猪を見たいと思っているが、今はそんな気分にはなれず山中でこの場面に出会わなかった事に感謝した。
それにしても猪は鳴き声を出さないのだろうか、疑問に思いネットで調べると色々の場面があり、猪対猪の戦いではお互いに
威嚇の鳴き声を挙げ戦っていた。また1匹の犬対複数の猪では両者とも無言。 犬と猪が1対1では犬は無言で負け気味の猪は
豚のような “ブーブー” といった声を出していた。
なのでここで聞いた争いの音が猪とも言い切れないが、猪では無いとも言い切れない。でも多分猪だろう。

 そんなおまけもついて焼津駅に着いたのは7時5分。安倍川駅を出て13時間の静焼アルプスでした。
今回は今までで一番時間のかかってしまったが、まだここを歩く事ができたのだから普通の低山歩きなら大丈夫かな。
一先ずそう思って72歳も頑張ろう。(4月1日が誕生日です。嘘ではありませんよ) 乾杯の氷結は旨かった。

大崩山塊:静焼アルプス縦走 Ⅱ

2016-03-26 10:41:17 | 低山歩き
歩行記録                                                           H28-3-22(火)
歩行時間11時間20分   休憩時間:1時間45分   延時間:13時間05分
出発時刻:6時00分     到着時刻:19時05分
歩  数: 45、146歩(推定距離29.5km)    GPS距離22.7km
行程
 安倍川駅 0:30> 佐渡山 1:05> 仏平 0:15> 梵天山 0:25> 歓昌院坂 0:35> 駿河峰 0:30> 大鈩山 0:50>
 飯間山 1:20> 宇津ノ谷峠 0:20> 蔦の細道 1:20> 444m峰 0:20> 満観峰 0:45> 日本坂峠 0:30>
 花沢山 1:00> 道標の峠 0:55> カンポ下 0:40> 焼津駅

                                   山の呼称・古称
 
            

      
        出発点の西宮神社入口                    これかから歩く徳願寺の尾根

 藤枝駅を始発電車に乗り安倍川駅を出たのが6時丁度。これから12時間以上の厳しい山道歩きが始まるかと思うと気力が
湧く前に不安がよぎる歳になってしまいました。
70歳までは、このコースを完歩すれば 「海から剣が峰(0富士)」 の挑戦権を得たとしていたが、一昨年十里木で挫折してから
方針を変更して、このコースを完歩できれば今年もまだまだ歩ける。と自己満足を得るためのコースにしています。

 旧国1の佐渡交差点の西宮神社の参道が長い尾根歩きの出発点です。

      
              佐渡山                              佐渡山から静岡市街

 佐渡山山頂にある菜園の石垣が、まるで古墳のように見えるのは、西宮神社の裏にある 「佐渡古墳群」 の影響でしょうか。
でもここに古墳があっても決して不自然ではない場所だと思う。それも下の古墳は目下の者で、山頂は長の古墳だったりして。

 102.7mの佐渡山には四等三角点佐渡があります。そこからはこれから歩く靜焼アルプスの徳願寺尾根が見えています。
富士山は少し東に移動した菜園から見えるはずですが残念ながら今日は顔を出していません。

 佐渡山の上りの道は問題ないが、下りに菜園の中を歩くので気を使わなければならない。早朝一人で歩くなら問題ないが
複数で歩くとなると来た道を下って農道を歩く方が良いかもしれません。

 
               手児の呼坂                                  徳願寺

 佐渡山を下り農道に出たら農道を横断して再度山道に入る。
以前ここからの道は小枝や竹が散乱していて歩いている気配は感じられない荒れた道だった。それが年々踏み跡がハッキリして
きて、今や山道と云っても恥ずかしくない道になっている。

 道が下りになると前方に石碑が見えてくる。そこが最古の東海道だった 「手児(てご)の呼坂」 です。
峠には石碑の他に呼坂の由来を紹介した案内板もあるが今回は省略。
峠から再度山道を登り次に農道に出たら徳願寺までは農道歩きです。
徳願寺からも安倍川や静岡市を前景にした富士山が見えるはずですが矢張り駄目だった。

戦国時代末期、大和国方広寺の梵鐘に 「国と銘うった事から 「方広寺鐘銘事件」 が勃発。その弁明のために大阪から
駿府の家康の元に来た片桐且元(かつもと)だが、家康に面会を求めて鞠子宿大鈩の誓願寺に滞在していた。
結局家康には会えずに、そのまま大阪に引き返したとされ、その且元の墓が大鈩の誓願寺にある。

それが何故徳願寺に関係あるのか・・・・
片桐且元が当初滞在していたのは駿府内の宿だったが、家康の勘気を抑えるため駿府を離れた徳願寺で待機した。
だが実際に徳願寺に来てみると駿府町内は丸見え、しかも家康の住む駿府城を見下ろす位置にあった。
これでは恐れ多いと、慌てた且元は駿府から更に遠い大鈩の誓願寺に滞在することにした。とそんな説もあるのです。

しかしその話が何故今回の縦走に関係あるのかって? 
それは今日は天候の関係で余り良くない眺めだが、本来はここからの眺めが良いと云う事を言いたかったのです。
だから私のブログはダラダラ長くなる。

      
                  仏平・梵天山入口                               徳願寺山の標識

 徳願寺から更に農道を登ると仏平や梵天山の入口に着く。
法面の壁に書かれた 「梵天山」 の文字は薄くなってきたが、まず見落とすことは無いだろう。
山道に入るとすぐ丁字路にぶつかる。ここには左右に目印があるので迷うが右に曲がればよい。
 次の分岐は歩いている平らな道に上から下ってきた道が合流している所で、ここは左の上に行く道を取る。
直進する道は再度農道に出て、富士山の景勝地 「丸山花木園」 に通じている。
こn分岐を過ぎれば後は目印や標識が多く迷う所は無いと思う。

 仏平の入口を入り宇津ノ谷峠までで唯一富士山が見える場所が仏平の手前にある。今日は当然富士山は駄目だとフト視線を
山側に向けると 「徳願寺山(大窪山)ピーク 352」 の標識が目に入った。今まで気づかなかったが最近取り付けたのだろうか。
この山はかって徳願寺の前身の大窪寺(だいあじ)があった場所で、現在の徳願寺の山号は 「大窪山(だいあさん)」 だ。
だとすると山名は正確には 「大窪山」 ではないだろうか。しかし “だいあさん” では読める人はまずいないだろうが。

 
                  仏 平                                   梵天山

 そのピークから少し行った平坦な場所に仏平の標識がある。この辺りにかっての大窪寺はあったようだ。
仏平から梵天山の間は傾斜が緩く歩きやすい道になる。

 梵天山の山頂にも初めて見る標識が2枚もあり 「小豆山375.8」 と 「二等三角点 丸子宿Ⅰ375.8m 高山(梵天山)(小豆山)」
あった。
標識を付けてくれた方は調べて付けてくれたのだろうが、これではこれから梵天山・小豆山・高山のどれを呼べばよいのだろうか。
梵天山が正しいとは思わないが、大窪寺のあった仏平の近くの山なので、仏に関係ある梵天山でも良さそうに思うが。

 
               歓昌院坂(峠)                                駿河峰

 折角登った376mの梵天山から一気に200mも下り171mの歓昌院坂にようよう到着。
この峠に以前は 「梵天山への坂道は 中.高生以上、40代までの男性、30代までの女性、歩き慣れている人、記録を取りたい
人以外は止めた方が無難です」
と書いた面白い看板があったが、今では朽ち果ててかすかに残骸があるだけだった。

 次の駿河峰の標高は410m程なので今度は240mを登り返すことになる。
その登りに備え一服した後、重い腰上げて歩き出すと、うしろから「ザッ ザッ」と音がした。若しや猪かそれとも鹿かとストックを
両手に構えて振り返ると、男性がすごい勢いで下ってきて、そのまま峠で休むことなく登りだし、アッと言う間に追いつかれてしまった。
この山域で人に会う事殆どなく、しかも平日の朝8時半にここを歩くと云う事は長距離の縦走だろう。同じような事をやる人がいる
ものだと嬉しくなり 「何処まで行くんですか?」 と声をかけた。
 「一先ず宇津ノ谷峠まで行って、時間的に余裕があったら満観峰から朝鮮岩に行こうと思っている。」
 「時間的には大丈夫ですよ。私は満観峰から花沢山に抜けてカンポ下に下る予定です。朝鮮岩に行くよりよっぽど大変だけど
面白いですよ。」
と静焼アルプス縦走を勧めてみる。
 「花沢山はまだ行った事がないからなー。満観峰で時間的余裕があったら行ってみます。じゃ何処かでまた会いましょう」
 「(どこかで会いましょうって言っても会うわけないよな。これだけスピードが違ければ)」 これは心の中の声です。

別れた後でハッとした。若しかして今の人は毎日ブログを見ているあの人ではなかったか・・・・
顔をブログにアップしているので自然に顔を覚えてしまったが、あの顔にソックだった様な気がする。でも確か先日のブログには
このコースは今年は止めたと書いてあった。違うかな? もしそうだったら聞きたい事があったのに残念な事をした。
(ところが翌日そのブログを見ると間違いなくその 「賢パパさん」 でした。)

 駿河峰にも新しい標識が2枚取り付けてあった。そのうちの1枚は 「古称 駿河嶺」 となっていた。
そう云えば途中にあった標識の “駿河峰” の “峰” の字の横に “嶺” と書き加えられた物が幾つかあったが、この事なのか。
だが古称を言い出せばきりがないと思う。梵天山もそうだったが、呼び名が幾つにもなって混乱を招くだけだ。余り実態の合わ
ない名前なら改称してもよいが、ワザワザ慣れている名前を変える必要があるのだろうか。

 私は大崩山塊の中で好きになれない山名が二つある。一つは時折文句をつけている丸子富士だ。
本物の富士山と並んで見える山に、ワザワザ◯◯富士などと付ける必要があるのか。それも本物にそっくりならいざ知らず
三角形だからと◯◯富士では当の山も気が重かろう。
きっとあの山にも古称はあるだろうが、何だったら今川時代に麓の紫屋寺の住職だった連歌師の宗長が、寺で作った灰吹きに
 “吐月峰(とげっぽう)” と名付け販売した故事があった。
その月を吐く山が今の丸子富士なのだから 「吐月峰」 の山名でも良いのではとも思う。

 更に駿河峰の事を云うなら “駿河” とは旧国名でもある。その名前を冠するなら駿河国を代表する山でなければと思う。
ところがこの駿河峰ときたら静岡の町から見えるだろうか? 見えたとしても梵天山越しに頭がチョッと見えるだけだろう。
この山が見える場所と云ったら駿河湾が考えられるが、そのため駿河の名を付けたのか? 
更に駿河峰の後ろには、駿河峰より高い482mの飯間山が控えている。その飯間山でさえ飯間は麓のの名前だ。
そうなると駿河峰にしても駿河嶺にしても、いつ付けた名前なのか、何を根拠に付けたのか疑問が湧いてくる。
ならいっそのこと紫屋寺や歓昌院坂の名前にもなった駿河33カ所霊場歓昌院の山号の 「天柱山」 なんてどうだろう。
ただこの天柱山は三角点の手前にあるピークかもしれないが・・・・

        
               誓願寺へ?                                 大鈩山

 大鈩山の手前の尾根状の所に出て左に90度曲がる所がある。大鈩山に向かっている時は出合った先が急斜面なので
間違いようもない所だが、下ってくると尾根の上をそのまま下ってしまいそうになる。今は左に目印が沢山ついているので
見落とすことは無いだろうが、目印の無かった頃はこの標識を見落とすと駿河峰に向かっている筈なのに見当違いな所に出て
しまったようだ。
標識には “誓願寺” となっているが、この下にあるのは大鈩不動尊で誓願寺はそこよりズート下だ。一度確認したい思ったが
私にとっては殆ど利用価値のないルートなので、中々その気になれず今になっている。一度は歩いてみようかな。

 大鈩山は道に迷うと言うより山頂に寄れずに通過してしまう山だったが、今は標識や目印も多く、更に木も切られていて
素通りをしてしまう事は無いだろう。と云っても大鈩山も何もない山頂ですが。
 駿河峰をの標識に “大鈩山50分” と書いてあったので、せめてその時間内には到着したいが、最近の自分の速度ではそれも
難しいかなと思っていた。で、時計を見ると32分で歩いていた。まさかナ~ 私が早い筈はないので表示が遅すぎるのか。
でもそれで気分が良くなったのは事実です。

     
                     飯間山                                新しい山名表示板

 大鈩山にも標識に “飯間山へ60分” とあり計ってみると丁度50分で歩いていた。更に気を良くして休んでいると若い男性が
一人で来た。彼曰く徳願寺の下を “9時に出た” そうだ。私は徳願寺から飯間山まで約3時間半掛かっているが、この人は
1時間半で来たことになる。しかも徳願寺からでなく徳願寺の下から。
少し膨らんできた自信は一気にしぼんでしまった。
 この若者も満観峰から朝鮮岩に下るのだそうだ。以前にもそのコースを歩いていた静岡の人がいたが、家が静岡なら安倍川に
戻る周回コースの方が便利なのだろう。私は焼津駅の方が家に近くなので花沢山に行く訳ではないが、静岡の人には駅が遠くなる
静焼アルプスは余り魅力が湧かないのかな。

 若者がこんな事を言った。
 「最近このコースは目印や標識が増えて迷わなくなった。特にこの標識は分かりやすいので助かる。」 と去年取り付けられた
標識を指さし、更に 「同じ標識が安倍城址にもあるので、きっと同じ人が付けてくれたのだろう」 と言っていた。
この標識は去年の静焼アルプスのブログで取り上げ “見やすくて良いのだが、大鈩山の標識は勘違いをする” と書いたら
標識を付けた方から直接 “変更した” とメールがきて恐縮してしまった事があった。
 アッそうだ前回紹介した小笠丘陵で、徘徊の元になった謎の三辻に、この標識があったら徘徊しないで済んだだろう。
この方が小笠丘陵まで足を延ばすと思えないが、淡い期待を抱いて・・・・・・・・・

                       
                                 大鈩山の見やすい標識
 

大崩山塊:静焼アルプス縦走

2016-03-24 15:48:11 | 低山歩き
歩行記録                                                           H28-3-22(火)
歩行時間11時間20分   休憩時間:1時間45分   延時間:13時間05分
出発時刻:6時00分     到着時刻:19時05分
歩  数: 45、146歩(推定距離29.5km)    GPS距離22.7km
行程
 安倍川駅 0:30> 佐渡山 1:05> 仏平 0:15> 梵天山 0:25> 歓昌院坂 0:35> 駿河峰 0:30> 大鈩山 0:50>
 飯間山 1:20> 宇津ノ谷峠 0:20> 蔦の細道 1:20> 444m峰 0:20> 満観峰 0:45> 日本坂峠 0:30>
 花沢山 1:00> 道標の峠 0:55> カンポ下 0:40> 焼津駅

                                   大崩山塊の縦走路
 
            

 私にとっては一番の苛酷な低山歩きに行ってきました。
その名は 「大崩山塊:静焼アルプス」 です。と、言っても自称ですので誰も知らないと思いますけど・・・・
高草山や満観峰にかけての一帯は、南アルプスの山脈が南下し、最後に駿河湾に没する前衛中の前衛の山塊ですが
特に呼び名がありません。一般的には “高草周辺” とか “花沢山周辺” と表現されているようですが何とも不便です。
ここにも安倍川奥の山を “安倍奥” と呼ぶような名前があればと思い 「大崩山塊」 と名付け勝手に使っています。

  「静焼アルプス」 の名前は、大崩山塊には徳願寺から始まる尾根を “丸子アルプス” 。簡保の尾根を起点とした尾根を
 “焼津アルプス” と一部では呼んでいるようです。
その両アルプスを縦走するとなると “丸子・焼津アルプス” となって何とも言いにくい。そこで “静岡” と “焼津” の頭を取って
 「静焼アルプス」
としました。(大崩山塊があるのにアルプスと名付けるのは重複していて不自然だと思っているのだが)

 “静焼アルプス” のコースは、安倍川駅を出て国1の佐渡交差点から山に入ると、後は尾根伝いに梵天山、飯間山と
丸子アルプスを歩き、次いで宇津ノ谷峠から444m峰、満観峰、花沢山と続きます。花沢山からは下りが多いがまだまだ続く
焼津アルプスをカンポ下まで歩きます。でもまだ焼津駅までの車道歩きが残っている厳しさです。

 “言うは簡単行うは難し” で日本坂峠に着くころは花沢山の上りを見て毎回溜息をついています。それでもこのコースを完歩できれば
今年も何とか歩けるだろうと目安のコースにしています。これは私のモットーにしている 「無理せず、楽せず、程々に」 の2項目には
反しているが、1年に2・3回の事と目をつむる事にしています。

 と、ここまで書いて今回のブログの方針を変更。今回は私が歩いた大崩山塊のコース紹介をします。

             
 次の 「十字縦走」 は、静焼アルプスより距離は長いが、辛さは “苛酷” ではなく “過酷” 程度です。
安倍川駅から朝鮮岩・満観峰・高草山と行き一旦ここから石脇口を下り、途中から農道を花沢城趾、花沢山駐車場、野秋神社を通り
道標のある峠に向かいます。道標の峠からは静焼アルプスと逆コースで花沢山、満観峰、444m峰と縦走して宇津ノ谷峠に出ます。
宇津ノ谷峠から飯間山に向かう事ができれば大崩山塊の完全縦走になるのだが、自分の実力を知っている私は無理はしません。
未練を残しながらも宇津ノ谷集落に下り、途中から丸子川の遊歩道を歩いて安倍川駅に戻ります。
十字縦走の名前は尾根の部分(緑色)の形から名付けました。
この二つのコースが大崩山塊で私が認定している 「豪脚コース」 です。ぜひ一度歩いてみてください。

         
 志太平野側の焼津・藤枝にお住まいの方ならこんなコースはどうでしょう。志太平野の東に見える大崩山塊の全ての尾根を縦走する
 「志太側尾根縦走」 なら 「あの尾根を通しで全部歩いた」 と話のタネになる事請け負いです。
出発はどちらからでもよいが、北のピーク側から登ったほうのが何となく楽に感じます。ただ、立石神社と北のピークの間は冬以外の
季節は雑草が伸びていて道が分からないこともあるので冬限定コースと思った方が良いかもしれません。
冬以外は池の平から三輪に下るか、矢張り池の平から北のピークを往復すれば支障なく歩けます。

              
 次も焼津側から大崩山塊を見て見える高草山、満観峰、花沢山の 「焼津3山縦走」 です。
このコースは前項の “志太側尾根縦走” と似たり寄ったりだが、444m峰から富士見峠に抜けるバリエーションルートを加味しました。
444m峰の針金の後ろから廻沢林道に下るのですが、踏み跡も薄く、目印も少ないので自信の無い方はお止めください。
林道から富士見峠には中電の送電線鉄塔28号峰から富士見峠に向かいます。
以上二つは 「健脚コース」 と位置付けています。

 ここからは私の趣味の世界のウォーキングコースですが 「大崩山塊歴史街道巡り」 があります。
安倍川駅-井尻峠-日本坂峠-蔦の細道-宇津ノ谷峠-明治トンネル-手児の呼坂-安倍川駅
万葉時代の最初の官道だった日本坂峠、井尻峠、手児の呼坂は、日本武尊が通ったとされています。
また蔦の細道は伊勢物語で 「駿河なる 宇津の山辺の うつつにも 夢にも人に あわぬなりけり」 と歌われた峠道。
鎌倉時代から江戸時代にかけて歩かれた宇津ノ谷峠は三つの峠の中で一番標高が低いのに、一番峠らしい峠です。
この峠は源頼朝を初めてとして豊臣秀吉、徳川家康、幕末には坂本竜馬などが歩いているが、彼らが今見ている景色と同じ景色を
見たと思うと感慨深いものがあります。

 「志太側農道散歩」カンポの尾根の下から始まる農道をグルリ回って岡部の国1バスまで歩くコースです。
今頃からだと農道脇には色々な植物を見る事ができます。

 「微笑仏(ほほえみぶつ)を尋ねて」
焼津駅-石脇大日堂-宝積寺-勢岩寺-常楽寺-十輪寺-光泰寺-梅林院-常楽院-藤枝駅
微笑仏とは、江戸時代中期の木喰上人が、全国を行脚しながら彫った千体の木彫りの仏像の事です。 普通木喰仏と呼ばれて
いるが、その仏像が微笑んでいる事から微笑仏とも呼ばれているようです。
ここ志太地方には木喰上人は2ヶ月近く滞在して、13体の微笑仏を彫ったが、現存しているのは12体だそうです。
そのうち5体は焼津、7体が藤枝市の残っているが焼津市の4体は寺には無く、焼津市歴史民族資料館に保管されいます。
そのため “微笑仏を訪ねて” と称しても、実際には微笑仏を全て拝観することは不可能で、例え寺で保管してあっても中々
お詣りはしにくい物です。それでお彼岸に合わせた回ったことがあるが、それでも全部を拝観する事は出来なかった。
そこでお願いです、年に一度 「微笑仏祭」 を催して全寺で拝観できるようにしてくれないかと。

 中には途中で挫折した 「大崩山塊城趾廻り」 もありました。
用宗駅-用宗城址-花沢城趾-方の上城址-丸子城趾-安倍川駅と歩く予定だったが、最初の用宗城址を打ったあと赤坂峠から
山越えをして小坂集落に向かう予定だった。150号のバイパストンネル上から藪漕ぎになり、最後は放置茶畑に出っくわした。
茶の木の間は枝が密集していて入れなかったが、幸い茶の木の上はクズの蔓が縦横無尽に広がっていたので、その上を渡る
ことにした。当然立っては歩けないので四つん這いになって蔓の間に落ちないようにして何とか渡り終わった。
その間、約20mほどだったが全体力を使い果たしてしまったようで、何とか日本坂峠を越して花沢城址に行ったものの、その後は
気力、体力も無くなり焼津駅に向ってしまいました。

 今回のテーマは “静焼アルプス” だったのがとんでもない方向に入ってしまったので、この位で止めておきます。
次回は間違いなく “静焼アルプス” にします。

小笠丘陵徘徊Ⅳ

2016-03-21 11:52:44 | 低山歩き
歩行記録                                                            H28-3-13(日)
歩行時間:6時間55分   休憩時間:1時間55分   延時間:8時間50分
出発時刻:7時25分     到着時刻:16時15分
歩  数: 26、849歩(推定距離19.1km)    GPS距離19.0km
行程
 菊川駅 0:55> 遍路標識エコパ南1P 0:30> 山本橋 0:10> NO16分岐 0:15> 法多山参道 0:10> NO16分岐 0:20>
 尾根出合 0:15> 三ツ峰 0:10> 尾根出合 0:10> NO16分岐 0:15> 尾根出合 0:20> 行止り 0:15> 尾根出合 0:10>
 ヌタ場 0:05> NO16分岐 0:25> 奥の院 0:25> 2号鉄塔  0:20> エコパ 0:30> エコパ東1P 1:15> 掛川駅

                                   解決した謎の三辻 
 2回の徘徊で併せて7回も立ち寄った尾根の合流部だったが、歩き終わってもまだそこの状況を理解できないでいた。
それがゴールして禁断症状を起こし始めた脳にアルコールを補充すると、ある考えを思いついた・・・・・

       
                             三辻の合流部
 上の写真が尾根の合流部です。
この時は左に見えていた法多山奥の院に行きたかったので無意識のうちに左に曲がったようだ。だがしばらく行くと右側に
尾根が見えてきたので間違いに気づき慌てて合流部に戻った。
このような事は時々ある事で次に考えた “次は曲らずまっすぐ行く” も正しかった。 だが私の足は何故か今登ってきた
山本橋への道を戻っていたのだ。
今考えると尾根の見えた左は県道に下る道なので、そっちに行っては駄目だと左には行かず直進(右)したようだ。
これが躓きの元で、少し前に歩いた道なのに気が付かず、しかも途中の分岐点も見落としヌタ場に行ってしまった。
その先の道も不明確になってきたので、ここから合流部に引き返したが、この時点ではヌタ場の道が山本橋へ戻る道だとは
気づいていなかった。
合流部に戻り今日の道の探索は諦めて山本橋に戻る事にして、入ったのが今日初めて歩く道だった。それなのに初めて歩く
道だと気づかなまま、下った先は崖で通行不能になっていて引き返すしかなかった。
またまた合流部に引き返したものの、もう戻る道が分からなくなっていた。三辻の先は三ツ峰とヌタ場と崖で通行不能の道。
結局唯一結論が出ていない三ツ峰の道を行く事にしたので、通行止の柵を見つけた時は正直ドキッとしてしまった。
             
             

 それらの事を考慮して書いたのが上の概略図で、その事を頭に入れて2回目の挑戦です。
道を見失わないようにと紛らわしい個所には目印を付けながら三辻の合流部に到着。そこからヌタ場を目指して間違えなく
左に曲ったのだが、またもや右側に尾根が見えてきてしまった。ヤッキリしながらも兎も角三ツ峰まで行き三辻に引き返した。
そして今度こそ三辻では左に曲がらないよう注意して入った道は、またもや山本橋に戻る道だった。
ただ前回と違う点は紛らわしい所に目印を付けておいたので、途中で山本橋への道だと気づき三辻へ引き返す事ができた点だ。

 だが合流部から再度ヌタ場を目指して入った道の先は、ヌタ場ではなく崖の通行不能の場所だった。ただ崖の先を見ると
山裾には川が流れていて、その先に車道が見えていた。と云う事はここは山本橋からの道より三ツ峰側になる事が分かった。
          
 三辻へ戻って書いたのが上の略図です。
三ツ峰の方向が右から左になり、崖で通行不能の場所が山本橋への道と違う事が分かった。だがヌタ場の道は分らないまま
だったが、道の探索を諦めて山本橋に戻る途中でそのヌタ場も見つける事ができた。ただそれ以上の事は考え付かなかった。

 それが飢えた脳にアルコールが注入され気づいたのは、山本橋からの道は尾根の縦走路に合流したのではなく、その道こそが
尾根の縦走路で、崖に続く脇道が合流したのだと云う事。合流部も “丁字路” ではなく “Y字路” なのだ。
          
 そう考えれば三ツ峰側から左に曲がると山本橋に戻ってしまうからと、右に曲がったのに山本橋の道に入ってしまったのも
解決できるし、崖の下に川が流れ、その先に県道が見えていのも理解できる。
       
 更に県道や川等を付け加えたのが上の概略図です。
ここまできてやっと三辻の謎は氷解したが少々自分が恐ろしくなってきたのも事実です。
右左の判断が不明確になり、同じ道を引き返してもそれが分からないと云う事は、高速道路を逆走する行動と同じだろう。
まさか頭を冴えさせるために常にアルコールを注入するわけにもいかないし・・・・・
困った事です。

小笠丘陵徘徊 Ⅲ

2016-03-19 09:54:27 | 低山歩き
歩行記録                                                            H28-3-13(日)
歩行時間:6時間55分   休憩時間:1時間55分   延時間:8時間50分
出発時刻:7時25分     到着時刻:16時15分
歩  数: 26、849歩(推定距離19.1km)    GPS距離19.0km
行程
 菊川駅 0:55> 遍路標識エコパ南1P 0:30> 山本橋 0:10> NO16分岐 0:15> 法多山参道 0:10> NO16分岐 0:20>
 尾根出合 0:15> 三ツ峰 0:10> 尾根出合 0:10> NO16分岐 0:15> 尾根出合 0:20> 行止り 0:15> 尾根出合 0:10>
 ヌタ場 0:05> NO16分岐 0:25> 奥の院 0:25> 2号鉄塔  0:20> エコパ 0:30> エコパ東1P 1:15> 掛川駅

                                   最後の徘徊 
 
                法多山尊永寺                              法多山尊永寺

 NO16号の標識のある分岐から朝歩いた道を法多山に向かって下る。
今日は何度も同じ道を歩いたものだ。尾根の合流部には合計4回も行ってしまったし、前回を合わせれば7回も行った事になる。
これだけ短期間に何度も行けば、当然辺りの地理は把握できるはずなのに、まだ疑問点ばかりだ。
現地で地図を見ながら調べても理解できないのだから、もうどうしょうもない。地形図を読めない悲しさだ。

 いつまでも気落ちしていても仕方ないと、気を取り直して沢を横切り参道に出ると 「何処から来たのですか。」 と声をかけられた。
山の名前を言っても理解できないだろうと 「山を越して来ました。」 と言っておいた。
すると 「へ~ 山の中にもお詣りに来る道があるのだすかぁ」 とひどく感心したように私を眺めた。
これで気落ちしていた気分が少し持ち直したのだから私は軽い男だ。

 朝、呼び込みのいた門前の駐車場を見て、今日はお寺で催し事があるのでは、と思ったが特にそんなことは無いようだ。
普通の土日で参拝者が多いとは、さすが “東海の高野山” の事はある。

  
        3・4・5標識                      4号鉄塔                     3・4標識

 参道横のNO16の標識が本堂の方向を指していたので、周りを見ながら歩いたが次の標識は見当たらなかった。
僧侶の墓と思われる無縫塔の墓地から、ロープを張ってある坂を上り奥の院に向かうのだが、その坂の入口が急で歩きにくい。
これでは供え物を持って奥の院に行く事は出来ないのではないかな? と感じるくらいだ。
尤も奥の院は小さく、いつ見ても何の代わり映えがしないので、果たして僧侶たちがここにお参りに来ているかどうかだが。

 16号鉄塔の存在は分からないまま4号鉄塔に着いてしまった。ここにある送電線の案内表示は3・4・5号で16号は無い。
地図を見てもここより東には送電線は走っていない。
アッ チョッと待った! ハイキングマップで、この4号鉄塔から南に走る送電線を追ってみると、なんと 「7号鉄塔」 と思われる
場所に 「NO19」 と載っている。確か県道山本橋近くの電柱に “NO6” 表示があったが、その裏に “NO18” の表示もあった。
送電線名は “愛野大須賀線” と “西掛川大須賀線” の違いがあったが、もしかすると・・・・・

 私の妄想は鉄塔番号は違うが愛野線も西掛川線も同じ送電線ではないかと云う事だ。
つまり4号は16号と5号は17号とすれば途中にあった標識も理解できる。また6号の裏の18号も然りだ。
しかし愛野線の1号はエコパの南Pで地下に入ってしまうので、西掛川線の13号より先の行先が不明になってしまう。
止めよう。冴えていない頭で、いくら考えても正解は出そうもない。

 3号4号の標識は、エコパからの138°展望台に続く道の真ん中に立っていて見落とすことは無い。

  
          最後の断崖                3号の先に2号鉄塔が                3号鉄塔の名札

 縦走路に入ると、またもや右側には断崖絶壁が現れる。ここにある断崖はこの縦走路の中では一番高度差がありそうだが、
高度恐怖症の私には覗き込む事ができないので、満足のいく写真は写せなかった。
 尾根道にある3号鉄塔の先には2号鉄塔も見えている。朝は2号の先に3号が見えたが今は逆の眺めになった。
この2号鉄塔には珍しく鉄塔番号が表示されていた。勿論3号と書かれていたが、残念ながら15号の表示は無かった。

      
                   エコパ.法多山の道へ合流                           2・3号標識 

 平坦な林に入るとエコパのビオトープから法多山に行く道と合流する。エコパには右に行けばよいのだが、またもやくだらない
考えが頭をよぎり、2号鉄塔にも行ってみる事にして左折した。
車道に出る前にある2号鉄塔への階段をフーフーしながら登る自分の気が知れない・・・・・・・

  
        2号の先3号鉄塔                2号鉄塔の名札                スタジアムが見えた
  
 先程通ってきた3号鉄塔は見えていたが、すぐ下にある筈の1号鉄塔は樹木が邪魔をして見えなかった。踏み跡はと探したが
それも見当たらない。だがまたもや余計なものを見つけてしまった。
それは稜線を辿るように北に延びている踏み跡だった。道とは言いづらい感じの踏み跡だが、十分辿っていくことは出来そうだ。
もうこうなると我慢が出来ない。今、登ってきた階段を下るより、こっちの方が断然面白そうだと、またもや新しい道へ。

 一旦上っていた道が下りだすとシダが増えだした。鞍部に着くと左右に下る凹みは一面のシダに覆われているが、その凹みの
中央部は踏み跡のようにも沢のようにも見える。正面への上りは・・・・・ ウーン殆ど踏み跡らしきものは無い。
でもここを右に下ればすぐ林の中のビオトープへの道に出てしまい面白くない。ならもう少し登ってみよう。

 程なくして正面が急斜面の場所にでるとエコパの屋根が見えてきた。だが正面の斜面は下れそうもないので、左にあった踏み跡
らしき跡を辿って行く事にした。

      
               スタジアムとグランドが見えた                         こんな側溝が5カ所あった

 更に下るとグランドとスタジアムが随分近くに見えるようになった。ヤレヤレ何とか着いた。と一安心したがそれは甘かった。
写真は藪の上の部分で藪が薄く見えるが、実際は体を進めるのが苦労するほどの藪で、仕方なく右に下る林の中に逃げた。
だがそこもすぐに藪になり、どうせ同じ藪なら正面突破を図ってやれと直接グランドの藪を下る事にした。
茶畑の藪よりは数段良いが、時折いばらのある枝があり顔や手に痛みが走る。体で押し切れない蔓は少し下がり踏みつけて
進む。あと少しだと云うのに後悔しはじめた。こんな事なら2号鉄塔に登らなければ、とうにグランドに着いているものを・・・・・・

 下をのぞき込むと何やら側溝のような物が見ていた。あそこまで行けば何とかなりそうだと再びやる気が湧く。
側溝に着いたものの、右に行っても左に行っても下は同じような藪だった。いや藪がだんだん薄くなってきた感じだ。

 
                 やっと着いた                               最後の徘徊カ所

 また下を見ると側溝が見え、そこを目指す。そんなことを5回も繰り返しやっと石垣の上に出た。
直接飛び降りるには高すぎたので、自転車置き場の後ろの石垣が終わる所まで移動して無事グランド着。

 山の写真の右の鉄塔が2号で、そこから頂を下った所に見えるのが3号鉄塔。歩いた道は更に少し登ったあとで、手前の
斜面を下ったようだ。
このように歩いた場所を眺めていると楽しくなってきて、また歩いてみようとなるのだが、ここは違った。
マ~一度は話のタネに歩いてもよいが、再度歩く気にはならないし、他人に進める気にもならない。
これなら1号から直接2号鉄塔に行く方が利用価値がありそうな気がする。
こんな風にして今日最後の徘徊は終わりました。

 
               梅は散ったが                                桜はまだだった

 帰りはエコパの花の郷で桜か梅を見ながら帰ることにしたが、梅には遅く桜には早すぎた。

 
                               バイクでアクロバットをやっていた

 代わりに見たのは駐車場で行われていたオートバイのアクロバットの練習だった。
前輪や後輪を上げたり、後ろ向きに立ち上がったり、走っているバイクを追いかけて飛び乗ったりして中々の物だった。
それにしても駐車場の舗装面にはタイヤの跡が一面に付いていて摩耗の激しさが窺える。さぞかし金も掛かるだろう。

  
         正法寺IC                    富士見台霊園IC                   結縁寺IC
             
 エコパから掛川駅へ向かうコースの難点は、エコパを出てからの道が長くて面白くない事だ。
今日もどの道で戻るかと考え、まだ歩いたことは無いが一番面白くなさそうなバイパスの歩道を選択した。
このバイパス、いえ調べてみたらバイパスではなく県道403号掛川磐田線なのだが、片側2車線の高速道路並みの道路が
東名掛川ICまで続いている。この道路はエコパの完成に合わせて開通したので、東名からエコパを結ぶバイパス機能を持って
いるのだろう。

  
                    いつもと視界が違う                              上張矢崎交差点

 道路は小笠丘陵の麓をほぼ直線で東に向かっているので、掛川駅正面の上張矢崎の信号で北に折れて駅に向かう事にした。
丘陵の麓なのでアップダウンもあり、三角形の2点を歩くので距離も長くなりそう道を、よく歩く気になるものだ。
だが、いつもなら溜池の横を歩くのを上から眺めたり、遠江33観音1番札所の結縁寺も見下ろすなど、普段と違う視線で景色を
眺める事ができた。(でもここも、もう歩く事はないだろう)

 
             掘削中の山                                     掛川駅

 掛川駅北口は乾杯するのに適した場所です。駅の横にはコンビニもあるし、木陰になったベンチもある。
4時は過ぎたと言え、まだ明るい外でアルコールを飲むのは少々気がひけるだが、ここではそんな気兼ねも感じないで済む。
のんびり飲みながら尾根の三辻の謎を考え始めた。今までは堂々巡りを繰り返していた考えが、アルコールで冴えた頭の芯に
ひらめいた事があった。
それは・・・・・・ 続けると長くなりそうだ。続きは次回のこころだ・・・・・・としよう。

小笠丘陵徘徊 Ⅱ

2016-03-18 17:10:57 | 低山歩き
歩行記録                                                            H28-3-13(日)
歩行時間:6時間55分   休憩時間:1時間55分   延時間:8時間50分
出発時刻:7時25分     到着時刻:16時15分
歩  数: 26、849歩(推定距離19.1km)    GPS距離19.0km
行程
 菊川駅 0:55> 遍路標識エコパ南1P 0:30> 山本橋 0:10> NO16分岐 0:15> 法多山参道 0:10> NO16分岐 0:20>
 尾根出合 0:15> 三ツ峰 0:10> 尾根出合 0:10> NO16分岐 0:15> 尾根出合 0:20> 行止り 0:15> 尾根出合 0:10>
 ヌタ場 0:05> NO16分岐 0:25> 奥の院 0:25> 2号鉄塔  0:20> エコパ 0:30> エコパ東1P 1:15> 掛川駅

                           尾根出合の謎・ヌタ場に向かうつもり
            
                               前回の知識で想像していた概略図

 NO16標識の分岐から尾根出合までの分かり難い場所にピンクのリボンを付けようと思っていた。
だが上りの道が続き分かりにくかったのは、前回迷った場所だけで、そこには7カ所にリボンを付けた。
これで誰もが迷わず歩けるだろう。
途中に獣道なのか左右に分かれる薄い道はあるが十分判断できる。基本的に尾根を上に上にと行けば出合地点に着く。

 出合地点に着いたら今度はヌタ場に向かうつもりなので、前回歩いて得た知識で出合地点を左に曲がろうと思っている。
そしてヌタ場では獣の毛などが落ちていないか調べる積りです。
その後はヌタ場の先を無理のない範囲で調べてから、この出合地点に戻ろうと思っていた。

 
               尾根の合流部                          前回三ツ峰の手前で見た倒木?

 この合流部は前回も何度も来たし、写真でも確認しているの見慣れた景色だ。ここを左折して・・・・・・・
アレー左は上りになっている? 前回は上りに向かって行くと、右側に2本目の尾根と思える尾根がが見えたので、慌てて引き
返したが? ヤイヤイ今度もまた右に尾根が見えてきた。だがあの尾根は奥の院に続く北の尾根だと強引に判断して進む。
だが次に見えたのはその尾根の上に立つ送電線の鉄塔だった。
ここまで来れば嫌でも納得しなければならない。この道は三ツ峰へ続く道だと云う事を。
だって奥の院に続く尾根には送電線は無く、あるのは2本目と3本目の尾根なのだから・・・・
 アーァまたやっちゃった。だが前回の記憶通り歩いたのに何故だろう?分からない。ここは兎も角三つ峰まで行って再度尾根の
合流地点まで戻ろうと意気消沈しながら三ツ峰に向かいました。

  
     見覚えのある通行止の柵               三ツ峰山頂                      馬酔木  

 見覚えのある三ツ峰手前の通行止の柵を通れば三ツ峰山頂だ。三角点があるだけの面白みのない山頂で一服しながら気を取り
直してから再度尾根の合流部に戻った。

                             再度ヌタ場に向かうつもり

 合流部まで戻り今度は直進だ。その直進道に入ると何だか見覚えのある道が続くが、これは前回の記憶があるからだろう。
尾根道は直進しているが右側にピンクのリボンがある。まさかさっき付けたリボンじゃないよな、と急に不安になった。
更にリボンの先を見れば次のリボンも見える。アーァまたやっちゃった。この道はさっき16号鉄塔の標識から上って来た道だ。
何だろうな?? 頭がおかしくなってしまったのか。困ったなー。

 兎も角ここはリボンの指示通り標識まで行ってみよう。それから再度尾根の出合地点まで戻ろうと、またもや意気消沈して
歩くのでした。それにしても目印のリボンを付けておいて良かった。

                            再再度ヌタ場に向かうつもり

 尾根の合流地点に戻り、今回は持参した 「小笠山ハイキング・ウォーキングマップ」 を取り出し確認するが分からない。
もうこうなれば左も右も直進も関係ない。まだ歩いていない道を行くしかない。と、決心して3本目の道に入った。

                  
                ウバメガシの中の道                        キノコだが・・・・・

 こちらの道は如何にも尾根道らしい下りが続き、途中からはかなりの傾斜の道になった。所々見覚えのある場所も前回歩いた
からだろう。でもヌタ場に向かう道はこんなに急だったかしら? 

 矢張りと云うかアーァと云うか、この道はヌタ場への道ではなく行止りの道でした。それでも気を取り直し崖の先を見ると
下には川が流れていて、その先には民家と茶畑がある。茶畑の先には舗装された2車線の道が車も走っている。きっと県道だろう。
だが県道より山側に川が流れている場所は法多山から山本橋の間にはない。では山本橋よりもっと小笠山に行った場所なのか?
そんなバカな、それじゃ馬が笑ってしまう。
下る道を探したが見つからない。仕方ないこうなればまたまた尾根の合流地点に戻るしかない。

                                     諦めて戻ろう
         
                             訂正した概略図(でも全然理解できない)

 本日4度目の尾根の合流地点に戻ってきて、方位磁石で方向を確認ながらノートに概略図を記入した。
けれどもいくら考えてもこの合流部の謎が解けない。だいたい何故三ツ峰が合流部を左に行くのか、更に前回行けたヌタ場の
道も分からなくなってしまった。
こりゃあ本当に惚けてしまったのだろうか? こんな場所で惚けてしまったらどうにかなってしまう。仕方ない帰ろう。
帰りは法多山にお参りしてから、4号鉄塔のある奥の院に上り、そこから3号鉄塔に下りエコパに出よう。
それから先はまた考えればいい。(その時の私には、どうしてもこの合流部の謎が解けませんでした。)

       
              ヌタ場1                                  ヌタ場2

 5号鉄塔に下る途中の最初のリボンの所をリボンの方向には行かず、道なりに続く尾根を下ってみた。
けど今日はついていないので無理はしないで引き返そう。と思って少し行くと、アレーここはヌタ場があった場所だ。
右を見れば間違いなくグニュグニュした湿地があった。
そうか前回は目印が無かったので尾根を直進してここの来てしまったのだ。あの時も三ツ峰に行きかけ慌てて合流地点に戻り、
直進したつもりがここのヌタ場に来てしまったのだ。
どうやらあの合流部の三辻の直進らしき道は、三ツ峰と行止りへの道ではなく、三ツ峰と5号鉄塔のへの道のようだ。
そこまで分かったが理解はそれ以上進まなかった。

 
                  ヌタ場3                                  ヌタ場4

 どうですかここはヌタ場と思いませんか。けど周りに獣の毛などはありませんでしたが、ヌタ場としておきましょう。
ヌタ場から西への道を登れば5号鉄塔への道出るのではないかと入っていくと、10mも行かないでその道に合流した。
そこは分かりにくい個所として目印を7個も付けた所だった。これでヌタ場の位置もはっきりした。後は奥の院に向かうのみ。

小笠丘陵徘徊

2016-03-16 09:58:08 | 低山歩き
歩行記録                                                            H28-3-13(日)
歩行時間:6時間55分   休憩時間:1時間55分   延時間:8時間50分
出発時刻:7時25分     到着時刻:16時15分
歩  数: 26、849歩(推定距離19.1km)    GPS距離19.0km
行程
 菊川駅 0:55> 遍路標識エコパ南1P 0:30> 山本橋 0:10> NO16分岐 0:15> 法多山参道 0:10> NO16分岐 0:20>
 尾根出合 0:15> 三ツ峰 0:10> 尾根出合 0:10> NO16分岐 0:15> 尾根出合 0:20> 行止り 0:15> 尾根出合 0:10>
 ヌタ場 0:05> NO16分岐 0:25> 奥の院 0:25> 2号鉄塔  0:20> エコパ 0:30> エコパ東1P 1:15> 掛川駅

                                16号鉄塔標識の先
      
          愛野駅の二宮尊徳像                         動く歩道横の???像

 “鉄は熱いうちに打て” の格言に従い、前回の記憶が残っているうちに中電鉄塔NO16号標識の行き先と、ヌタ場の再確認に
行ってきました。
 愛野駅には何故か二宮尊徳の銅像がある。横にある案内板は尊徳の説明だけで、何故ここにこの像があるのかの説明は無い。
これが掛川なら、全国の各地の 「報徳社」 統括する 「大日本報徳社」 の本社があるので理解できるのだが。

 エコパ入口の動く歩道の横にある像はなんだ?  褌一丁で長髪をバンダナで締め、左手には砲丸?を持ち、胸には仮面の
付いた首飾りをしている。アメリカインデアンのような感じがするが、それが何故ここに座っているのだろう?

      
                      無人モノレールと動く歩道                            動く歩道

 まだ乗った事のないモノレールに乗ってみようとボタンを押したが変化が無い。しかないので動く歩道の前に立つと動き出した。
これが動くと何か得をしたように感じ、動かないと損をしたように思うのは私だけかな。

      
                 エコパ アリーナとスタジアム                          エコパスタジアム

 以前西駐車場のトイレの横からリュック姿の人が出て来たのを見かけ、あんな所にも道があるのだと思っていた。
今日のコースは距離も短く短時間で終わりそうなので、その道を確認して、あわよくば高台にある南駐車場へ通じていれば
ラッキーだと歩いてみることにした。

 その道は公園内の散策路の一つで、行先は “南スタジアム” となっていた。それでは随分遠回りをするだけだと思ったが
途中に南駐車場に抜ける道があるかもと期待を賭けて遊歩道を歩きだした。
歩きやすい散策路はすぐ普通の山道になって、上に延びているので期待は高まってきた。更に進むと左の下にはスタジアムが
見えていて、その先には粟ヶ岳と富士山も顔を出していた。ただ散策路はそこから左に下りだしてしまった。

  
        シダ漕ぎ?の道                  南2Pに出た                     南1Pと1号鉄塔

 でも大丈夫! 想定通り散策路と別れ高台に向かう踏み跡が付いていた。こりゃあ朝からついていると気を良くして踏み跡を
進むと、羊歯の覆い茂った状態になってしまった。だが道らしき痕跡は分かる。
藪漕ぎならぬシダ漕ぎ?をしながら進むが、藪と違って痛くないのが助かる。この道も今の時期なら良いが、さらに雑草の力が
増してくるとどうだろう? 多分痕跡は分からくなってしまうだろうな。

 踏み跡を下り、傾斜が緩くなった先に倒木があった。倒木自体は何でもないが、倒木の先きら踏み跡が分からなくなってしまった。
ただ時折聞こえてくる車の排気音が、すぐ近くから聞こえてくる。きっと車道が近くにあるのだろう。なら強引に進んでも高が知れて
いると藪をかき分けていくと、すぐ前方に駐車場が見えた。倒木から車道までは20m程度で別にどうと云う事もなかった。

 車道を東に歩き出すと鉄塔が3本見えていた。あれが愛野大須賀線の1号から3号鉄塔なのだろう。
1号鉄塔は南1駐車場の中にあり、送電線はここで変圧器を通り地下に入っている。若しかししてこの送電線はエコパ用なのか?

                  

 後でエコパの案内図で確認すると、随分手前で散策路から離れてしまったようだ。あのまま散策路を進めば南1Pへの道も
あったかもしれないと若干反省。でも次の楽しみに残しておくのもよいだろう。

 
                山本橋                                  山本橋のNO5鉄塔入口

 まだ時間は9時前なのに法多山の駐車場の呼び込みが立っていた。初詣の時は300円と500円だったが、今日は300円と
100円になっていた。それにしても初詣の時期は過ぎたというのに、呼び込みまで雇って採算にあうのだろうか、それとも今日は
何か催し事があるのだろうか? 今日は一先ず法多山はパスして県道の山本橋に向かう。

 車道を歩きながら左の山の付根を見ながら歩くが、山道の入口らしきものは見当たらない。前回道を迷って県道の見える所まで
下ってしまったが、最後は傾斜がすごく、と云うか崖のような状態で下る事ができなかった。
しかし今歩いている限りでは、そんな場所は見当たらなかった。

 山本橋から点検路標識のNO5鉄塔を確認して山道に入る。

  
          沢の土手を行く                点検路の階段                   5号鉄塔

 沢の土手の上を3分も歩けば、沢の右手に黒い階段があるので、その階段を登れば5号鉄塔下に出る。
5号鉄塔を過ぎると左側に法多山の屋根や4号鉄塔が見えてくるので、今日はこの先にある16号鉄塔の標識の場所を指示通り
左に行ってみる積りだ。
その先はまだ歩いたことが無いが、果たしてどこに出るのだろうか? 予想は今歩いてきた法多山から山本橋の間の車道に出ると
思われるが果たしてどうだろう。

  
    尾根道の先に標識が見えた             沢状の点検路                   参道横の沢が見えた

 今度は右側に先ほどよりズート近い場所にお寺の屋根が見えている。その間は沢になっているようだが左程深い沢ではない。
尾根道状になった先に四辻と点検路の標識が見えていた。標識は今来た道はNO17で、右に下る方はNO16となっている。
直進する道は上り坂で、左の道はトラバス状のはっきりした道が続いている。きっとその道が車道に向かっているのだろう。
そして右に下る点検路は法多山の参道に出るのだ。
沢と道を兼ねたような場所を3mも下れば、下には堰堤のある沢が見えている。あの沢が法多山参道横を流れている沢だろう。 

  
  堰堤と参道手前に標識が見える             参道横の標識              参道(下右に団子茶屋)

 問題はこの沢を渡る場所があるかだと、沢岸まで行ってみるがとても私には手に負えるような場所ではなかった。
道は沢の左岸沿いに続いているので一先ず行くだけ行ってみようと下って行く。程なくして道は沢岸に出た。そこには点検路の
標識があり、今来た道を指してNO17となっている。更に沢向こうを見ると土手の上にも標識が見えている。ならここが渡河点だ。
沢の中を見ると私でも上り下りできそうな段差だったので一安心する。

 沢を渡った先の標識は割れていて、かろうじて本堂方面がNO16と見える。もう一つの沢を指している標識は完全に折れいるが、
NO17を指していたのだろう。
それにしてもここから本堂方面にある送電線の鉄塔は、奥の院の4号鉄塔しか無い筈なのに変な話だが、マーそれは兎も角ここまで
道が通じれば、送電線の愛野大須賀線4号と5号鉄塔の間は結ばれた事になる。4号・5号の標識こそ無かったものの、次回からの
小笠丘陵の北側の尾根と2本目の尾根の周回コースには使えそうだ。

 ではこれから来た道をNO16号分岐まで戻り、目印のリボンを付けながら三ツ峰の尾根に向かおう。
沢を渡っている私を見つけた参拝者が、怪訝そうに藪のな中に入る私を見つめていた。

      
                           山本橋・法多山尊永寺への道(想定)

小笠丘陵彷徨 Ⅲ

2016-03-11 11:38:07 | 低山歩き
歩行記録                                                            H28-3-4(金)
歩行時間:7時間45分   休憩時間:1時間35分   延時間:9時間20分
出発時刻:7時15分     到着時刻:16時35分
歩  数: 19、347歩(推定距離13.8km)    GPS距離14.0km
行程
 掛川駅 0:35> 遍路標識 0:30> 腹摺峠 0:30> 三ツ峰0:30> 法多山奥の院 0:30> 山本橋 0:10> 5号鉄塔
 <<山中徘徊 1:30>> 三ツ峰 0:30> 腹摺峠 0:30> 山本橋 0:05> 6号鉄塔 1:10> 県道出合 1:15> 掛川駅

                                小笠丘陵 帰途

 三ツ峰から先はどうしよう。今更5号鉄塔へは戻る気はないので、奥の院か腹摺峠だが、どちらも朝歩いたばかりだ。
結局朝歩いた時と向きが逆な腹摺峠に戻ることにした。
峠から先は旧街道を県道に出て、5号鉄塔の入口の山本橋に行き、そこから3本目の尾根にある6号鉄塔に上ろう。
そこで山中を徘徊した尾根を見れば、何か分かるかもしれない。その先はそこで考えればいい。

   
   コンクリやアスファルトの破片               サーカスのテント?             石畳のような川床

 腹摺峠から県道への道の峠付近は石がゴロゴロして歩きずらい。その石塊の中にコンクリやアスファルトの破片が混じっている。
以前この道は舗装道路だったのかとも思うが、不思議なことにこの破片があるのは峠付近だけだ。途中からは幅広の草の道で
舗装道路だった気配は感じられない。
地理院の地図ではこの道の表示は狭い2本線で表してある。凡例を見ると
 「1車線の道路: 道路巾3m以上5.5m未満の道路を、地図の上で0.4mmのはばであらわしています。」 とある。
ならこの道はかっては車も走っていた道だったと思われるが、幅広の道は腹摺峠までしか伸びていない。掛川側は切通はあるが
幅広の道はその先で終わっている。いったい何の目的で車道を作ったのだろう。
思いつくのは峠から三つ峰方向に向ってモノレールが走っていて、その先に放置された茶畑がある。その茶畑の農道だったのか?

 ついでに地理院の地図で、お世話になっている一本線の道には、こんな風に説明してあった。
 「軽車道 : 太い1本の線で表示してある軽車道とは、道路はば1.5m以上3m未満の道路です。ただし、地域の状況を考えて、
必要性の低い道は表示しないことがあります。」

 「徒歩道:道路のはばが1.5m未満の道路で破線で表してあります。登山、観光、レクリエーションなどのためによく利用される
道路、集落を結ぶ必要な交通路となっている道路、主要な場所に通じている道路のいずれかかに当てはまるものです。」

 山道はともかく農道なので表示が無い場合が多いが “必要性が低い” と判断されていたようだ。

 この峠道には他にも判断付かない物がある。道が広くなった場所に紅白の厚手の布切れがぶら下がっていて、まるでサーカスの
テントの残骸のようにも見える。付近には何本のロープも残っているので更にその感が強い。
まさかここで余興をやるわけもないので、作業小屋か何かの跡だろうが本当の事は分からない。

 道の横を流れている沢に丸い川石が、まるで石畳のように並んでいる。川の石は上流では岩から離れたばかりで角のある石だが、
水にもまれて下るうちに角が取れて丸い石になる。故に丸い石は上流には無い、と学校で教わった気がする。
なのにここは上流なのに丸い石ばかりだ。何故でしょうね・・・・と考えることが多い峠道でした。。

 
     納得できない徘徊路               同じ電柱で同じ方向にNO6と            NO18の標識が

 県道袋井小笠線の山本橋まで戻り、電柱に取付けてある点検路表示を確認する。当然5号鉄塔の先なので6号となっているが、
その表示板の反対側には、まるで隠すように18号の表示板があった。6号と18号とはと同じ針金で結ばれているので、どちらかが
間違いとは考えられない。
表示板をよく見れば 「愛野大須賀 NO6」「西掛川大須賀線 NO18」 と表示されていて、送電線郡が違う事は分かる。
しかしここから見る限りでは、6号鉄塔の先には同じ送電線郡の7号と思われる鉄塔しか見えていない。
さらにNO6鉄塔に行く途中にあった点検路標識は、5号と6号の表示だけで18号の表示は無かった。

  
        NO6鉄塔                     NO5とNO4鉄塔             NO5鉄塔と法多山本堂

 NO6鉄塔から今日初めて見つけた5号鉄塔と奥の院裏にある4号鉄塔が見えていた。良く見ると4号と5号の間の樹林に区切りが
あるように見えるが、あの間に谷があると云う事か?
一方5号鉄塔と法多山の間は、そのような区切りは見えず、そのまま法多山に行けるように見えるが、実際には違っていた。。

 
       北の尾根の手前にもう一つ尾根が                             県道合流

 小笠丘陵の西側には4本ほどの尾根が東西に走っていて、今歩いているのは北から2本目の尾根になる。尾根の高さは北から
順に高くなり、2本目の尾根から1本目の尾根を見るとその違いは一目瞭然だ。その1本目の尾根の手前に更に低い尾根が見える。
どうやらその尾根が徘徊していた尾根のようだ。分からないながらもこれだけの予備知識があれば次回の道探しの役に立つ。
記憶が忘れないうちに、なるべく早く再肪しよう。

 2本目の尾根は突出したピーク無いので1本目の尾根より楽に歩ける。特に小笠山からこの尾根を下ると、なだらか下り勾配の
尾根道なのでのんびり歩く事ができる。1本目の尾根では時折見かける断崖も、この尾根には無いので誰でも安心して歩ける。

 県道に合流したのは3時10分で、このまま予定通り小笠山に向かえば、掛川駅に着くのは5時頃になってしまいそうだ。
時間的には問題ないが、何だか今日は気分的に疲れてしまい、今更山道を登る気がしなくなってしまった。このまま県道を歩いて
富士見台霊園から掛川駅に戻った方が楽で早く着くだろう。とそんな考えが頭をよぎるともうダメ。足を県道を下りだしてしまった。

  
       営林署の通行止表示               通行止の標識                営林署の通行止表示

 県道を北に向かう途中に、何カ所か小笠山へ向かう道がある。だがその殆どの入口に 「一般者通行止」 表示がしてあった。
 「1・ この歩道は、国有林の事業用・管理用歩道です。遊歩道ではありません。
    また、歩道周辺は、枯れ木・枯れ枝の落下飛来等があり、安全な歩行が確保できませんので、歩行者はご遠慮ください。
  2・ 許可なく通行したときは、事故がっても一切の責任は負いません。      天竜森林管理署長


 通行禁止の理由が崩壊などではなく “枯れ木・枯れ枝の落下飛来” なのが気になるが、崖の多い小笠丘陵の事だから、これを
無視しするのは良くないな。など思いながら歩いていた。

  
          小笠トンネル                138°展望台への道             ここにも営林署の通行止表示

 山本橋に行く県道と別れると道は少し登りだし、その先に小笠山トンネルが見てきた。あのトンネルを潜れば後は下りのみで
1時間も掛からずに掛川駅に着くだろう。駅の乾杯のつまみは何にしよう? など気分は既に終盤モードに入っていた。

 トンネル手前で138°展望台と腹摺峠の尾根の入口の写真を写していると、ここでも営林署の “通行止” の貼り紙が目に入った。
エーなんで? この尾根に入れないなら、小笠山からエコパまでの縦走が出来なくなってしまう。何故なんだ。
今日歩いた掛川から腹摺峠を越えて大須賀に向かう旧街道や、峠から法多山の尾根、さらには2本目の尾根も歩いたが通行止の
貼紙は見なかった。その道は遊歩道で国有林の事業用・管理用歩道ではないと言うのか?
多分そんなことは無いだろう。だいたい崩壊ではなく “枯れ木・枯れ枝の落下飛来” が理由なんて理屈に合わない。全国何処の
山でも “枯れ木・枯れ枝” が無い山など無いだろうし、例え岩山だろうがそこに行くまでに枯木や枯枝はある。
こんな事を許していたら歩ける山など無くなってしまう。
きっと責任逃れのためにやった事だろうが、逆に言えば貼り紙の無い国有林の道を歩いていて、事故にあったら責任を取って
くれると云う事だろうか? 天竜森林管理署長に聞いてみたいものだ。
 不快な気持ちで下って行くと、しっかり舗装されている南西郷農道の入口にも、この貼り紙があった。ウーン腹がたつ!!

  
         バイパスの信号                 富士見台霊園               富士見台霊園の観音像

 最後の最後で少々気分は悪くなってしまったが、掛川駅では “柔らか何とかチキン” をつまみに乾杯しました。 

小笠丘陵彷徨 Ⅱ

2016-03-09 10:55:32 | 低山歩き
歩行記録                                                            H28-3-4(金)
歩行時間:7時間45分   休憩時間:1時間35分   延時間:9時間20分
出発時刻:7時15分     到着時刻:16時35分
歩  数: 19、347歩(推定距離13.8km)    GPS距離14.0km
行程
 掛川駅 0:35> 遍路標識 0:30> 腹摺峠 0:30> 三ツ峰0:30> 法多山奥の院 0:30> 山本橋 0:10> 5号鉄塔
 <<山中徘徊 1:30>> 三ツ峰 0:30> 腹摺峠 0:30> 山本橋 0:05> 6号鉄塔 1:10> 県道出合 1:15> 掛川駅

                                小笠丘陵 道探し
 
                国土地理院                                  マピオン

 家に戻り国土地理院の地図を眺めると送電線の所に “‥” のマークがあるが何だろう。地理院の凡例を調べたが分からない。
一方鉄塔の表示があるマピオンの地図には、現地と同じように奥の院の裏に鉄塔マークがあるが、他の場所にはない。
また、マピオンには奥の院の表示はあるが地理院には無く、代わりに奥の院に向かうような道が載っている。
だが現地にはこんな道はない。さらに奥の院から鐘撞堂には同じ等高線内にあるので平坦に見えるが実際はかなりの傾斜だ。
 こんな風に地形図を読む事の出来ない私が、地図を持って山を歩いても殆ど活用できないので、いつしか地図は持たなくなって
しまった。

 
    県道合流(鉄塔の見える尾根は3本目の尾根)                   屋根の上に5号鉄塔が見える

 法多山の参道と別れ県道に向かうと正面の尾根の上に鉄塔が見えてきた。だがこの鉄塔は目指している送電線の鉄塔ではなく
別ルートの送電線で、尾根も2本目ではなく3本目の尾根だ。
 県道に入り東に向かって行くと左(北)の低い尾根の上に鉄塔が見えていた。あの鉄塔こそが目指す5号鉄塔なので簡単に
分かりそうなものだが中々分からないでいる。今回も上からは探しきれなかったので下から挑戦するのだが。

               
             山本橋の袂を入る                       中電の階段があった

 県道にある山本橋の袂のフェンスに5号鉄塔への標識が付いていた。前回も同じこの道に入ったが標識には気付かなかった。
しかしこれを見てこれなら5号鉄塔には行きつく事ができる、と元気を盛り返した。
前回は斜面になる所から小さな沢を越して道を探した分からなかったので、今回は素直に沢にある土手を溯って行った。
それこそ橋から2・3分も行った所に、中電の点検路でよく見かける黒い樹脂の階段を見つけた。ラッキー!

  
          5号鉄塔                     上への道                    山本橋からの道

 沢から鉄塔の少し下まで続いていた階段を上り、5号鉄塔には橋から7分も掛からず着いてしまった。
上に行く道が鉄塔の対角線上に延びている。点検路の標識は無いが、これはもう行かなければならない。

 
            法多山尊永寺が見えた                      16号鉄塔への標識(上から写す)

 鉄塔からの道もハッキリした道は続き、途中では左(西)に法多山の屋根も見えてきた。
鉄塔から5分ほど行くと東西に延びる踏み跡が濃い道に合流した。その道の真ん中に 「NO16」 とペンキで書かれた標識が
立っている。標識をよく見ると “中部電力株式会社” と印刷されてもいる。
通常見かける点検路標識ではないが、どうやらこれも中電の標識なのだろう。しかしNO16って何だ?
私の行きたいのはNO4なのに・・・・・・

 さてどの道を進もう、東に下る道は論外として、西のNO16への下りの道か、それとも北に延びる登りの道か。
随分迷ったが先ずは上りの道を調べ、駄目だったらNO16の道に行ってみることにした。

  
         木の根を通る道               シダが多くなった                 踏み跡は無い

 シダが多い場所もあったが道の部分ははっきりしていて問題なく歩ける。
次に出合った北に登る道と西にトラバスする道の分岐でまた迷ったが、このまま上に行くと奥の院から離れてしまう。
それならさっき寺の屋根の見えた西へトラバスする方向に行ってみようと歩き出すが、じきに踏み跡が薄くなってしまった。
強引に “これが踏み跡だ” と判断して進んでいったが、遂に踏み跡どころか踏む場所も無くなってしまった。 

      
             下の方には涸れた沢が見えた                            快調な尾根道

 アーァ! 下を見れば水の無い沢が見えていて、正面はそれに注ぐ支流なのだろう抉られた状態になっている。
止めよう。これ以上無理をして帰り道が分からなくなっても困る。と引き返すことにした。
分岐からたった6・7分しか来ていないのに、もう来た道がハッキリしなくなってしまった。強引に踏み跡だと判断して進んだので
帰りに同じ道を歩くのは中々難しかった。何とか分岐点に戻り再度北に続く道を登りだした。

 上に延びる道は明確で良く踏まれているが、すでに奥の院(4号鉄塔)に行く道ではないと諦めていた。だがこれだけしっかり
した道なので、きっと今朝歩いた三ツ峰から奥の院の間の尾根に合流するのだろうと思っていた。


 
               東西の尾根道に合流                           ヌタ場?

 山本橋から40分ほどで東西に延びる尾根道に合流した。合流部には目印のテープもある。
これで一安心だが、この合流部がどこなのか思いだせない。少し歩いていれば知った場所も出てくるだろうと自然に登り傾斜の
東に向かって歩き出した。
チョッと待った! 右に尾根が見えるがあれは何だ。今私は丘陵の一番北の道を奥の院に向かって歩いているつもりだ。
なのに右に尾根が見えると言う事は! 慌てて方位磁石を取り出して向きを調べると東に向いていた。
これでは奥の院ではなく三ツ峰に行ってしまうと慌てて方向転換した。

 この尾根道に合流したときは東西の道だと判断しながら、足は自然に登りの東方向に向いてしまったようだ。
合流部を過ぎても見覚えのある所は出てこない。それよりなにより右(北)側には無いはずの尾根が見えてきてしまった。
と云う事は、今歩いている尾根道は朝歩いた尾根ではなく、その尾根に通じる支尾根なのだろう。
ならこの下りの道は何処に出るのだ。もう分からない。

 奥の院と朝歩いた尾根の縦走路の間は30mほどしかなく、この道がその間で合流することはありえない。かと言って
奥の院から本堂のに向かう道は右が法多山の境内で、左は急な下りで尾根が合流している気配はない。サー困った。
 小笠丘陵にはいたる所に断崖絶壁や崩壊して道があるが、この先も若しかして・・・・
そんな不安が出始めたころ、道は十字に分岐している所に出た。直進する道は今までと同じような道で、左右の道は何か
作業をしたとき出来たような太い踏み跡だ。
一先ず直進してみると道は羊歯に覆われてきた。普段なら気にせず進むのだが、一度不安を感じた気持ちはすぐ折れる。
仕方ないここで戻ろうと引き返すことにした。

 太い踏み跡まで戻り、少し様子見に北の踏み跡入ってみると・・・・・・・
広場状になった所に泥んこ状の水溜りがある。凹みにただ水が溜まっているのではなく、泥を練ったような状態になっている。
若しかしてここはヌタ場? 周りに獣の毛が付いていないか見るがそれらしきものは無い。水溜りの上の石の間には綺麗な
水が溜まっていた。ならここはヌタ場兼水場なのかもしれない。
グズグズしているとイノシシが来る可能性がある。と慌てて元の道に引き返した。

 多分あれはヌタ場だろう。もう一度気分的に余裕があるときに行ってみたいが 一人ではなぁー。

      
           快適な道を戻って                          戻ってきた合流部

 尾根の合流部まで戻り、今日はここまでにして来た道を戻ることにした。
下り坂の快適な道を調子よく下って行くと、見覚えのない開けた場所に出た。アーァまたやっちゃった。快調に歩くのは良いが、
どこかで分岐を見落としてしまったのだろう。開けた先からは車の排気音も聞こえ県道も見えていた。
しかしそこからは斜面が急になっていて直接下る事は出来そうもない。
でも変なんですよね。送電線のNO16点検路も横切っていないのに県道に出るなんて???
地図もない状態でいくら考えても結論は出ない。ともかく無理はせず5号鉄塔への道を探しながら戻ろう。

 しかし5号鉄塔への道は分からなまま尾根道まで戻ってしまった。
どうしてだろう? いくら考えても理解できないが、このまま再度この道を下っても、またあの開けた場所に出てしまいそうだ。
ならここは尾根道を東に上って行けば朝歩いた尾根に合流するだろう。多分。
それも駄目なら再度この合流部から5号鉄塔を目指して下り、それも駄目であの開けた場所に出たら、今度は草付きの部分を
下る手もある。

 丁度時間も12時なので気を落ち着かせるために昼飯にしよう。(まだ切羽詰まった状態ではありませんでした)
その時は気づかなかったが、家に戻りその時写した合流部の写真を見ると、最初に尾根道に合流した写真(2段上の東西の
尾根道に合流)と、開けた場所から戻った合流部の写真(戻ってきた合流部)が違うのに気付いた。
何なんでしょうね?? 合流部を間違えて下ったとしか考えられないが、いくら私だってそんなバカな事をするかしら・・・・・
若しかしてアルコール性健忘症の症状が進んできたのか、それと自分の居場所が分からくなるアルツハイマーか。いやだなー

 
                アー 通行止だ                            見た事がある標識だ

 尾根の道はしっかり踏み込まれていて、これが途中で終わるとは思えない雰囲気だ。途中枝の付いた倒木があったが、それを
避ける巻道もあった。しかしこの道は何処に出るのだろう? 考えられるの三ツ峰が一番濃厚だが・・・・・

エッ! 前方に紐や枝を使って侵入させないようにした柵がある。まさか通行禁止?
近づいてみると柵の向こうには左右に道が走っていて、新しい目印もついていた。今歩いてきた道にも古い目印は時々あったが
新しい物は無かった。ならこの柵は向こう側からの進入禁止の柵ではないか。
一瞬ドキッとした気持ちもこれで随分落ちついた。

 柵を越えて反対側から見ると、この柵は見た事がある気がしてきた。そうだ三ツ峰の三角点にあった大袈裟な柵と同じだ。
ならこの先に三角点があると左に進むと、これも朝見たインドネシアの国旗のように赤と白の標識が目に入った。
更にその向こうには三角点も見えている。

 こうして何処を歩いているか分らなかった “山中徘徊” は無事終わりました。
こうなると朝には興味は無いと思っていた三ツ峰から県道の道に俄然興味が湧いてきた。これは再度5号鉄塔から登らなければ、
その時は目印を付けながら歩こう。そしてヌタ場ももう一度見てみよう。
アーァまた宿題が増えてしまった。ビク石、高根山と連続して作ってしまった宿題だが、どれもが草が伸びる前に行かなければ。
嬉しい悲鳴? イヤイヤこんな事を繰り返しているから新しい山に挑戦できないのだ。