はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

知多四国23番蓮花院

2015-10-12 10:00:00 | 寺社遍路
歩行記録                                                         H27-8-8(土)
歩行時間:6時間05分   休憩時間:1時間45分   延時間:7時間50分
出発時刻:8時30分     到着時刻:16時20分
歩  数: 33、879歩(推定距離25.4km)    GPS距離24.2km
行程表
亀崎駅 0:35> 12番 0:35> 13番 0:05> 14番 0:20> 15番 0:30> 17番 0:05> 16番 0:45> 番外 0:15> 18番
 0:20> 19番 0:10> 20番 1:30> 21番 0:40> 22番 0:05> 23番 0:10> 武豊駅

                                  23番蓮花院(張子大師)

 
              23番蓮花院山門                            本堂(右)と弘法堂

 22番から23番蓮花院(れんかいん)へは国道247まで戻り少し南下した、地名が “ヒジリ田” の住宅地の中にあった。
 「ヒジリ田」 とは、またもや曰くがありそうな地名なので調べてみると案の定だった。
 「戦国時代ここを訪れた旅の僧が、飢えに苦しんでいた村人に農耕の技術を教え飢餓から救った。収穫の喜び湧く村人は、
その地を “聖田” と名付け、近くにお堂を建て僧の偉業に感謝した。そのお堂が蓮花院の始まりと伝えられている。」


 知多四国を歩いていて四国霊場と少し違うなと感じるのは、この様な伝説が四国なら全て弘法大師の遺業になっている。
それが知多四国では平泉寺の井戸もそうだったように弘法大師以外の僧の話と伝わっている。
これは知多半島は四国と違い弘法大師を余り身近に感じていなかったのではないか。いや違うな。知多半島には知多四国霊場
以外にも四国直傳弘法霊場等もあり、決して知多半島の人が弘法大師に親しみを感じていなかったわけではない。では何故か。
また勝手な空想をするならば、知多半島の人は正直者が多く、昔からの言い伝えを子孫にそのまま伝えてきたのだろう。
一方四国では弘法大師誕生の地であるので、なんでも弘法大師の遺業としてしまったのではないのか。

 知多地方の正直者の気持ちが地名表記も現れている気がする。上ケ、ヒジリ田、エゲ屋敷、ヲヲガケなど片仮名表記の地名が
多いが、これは地元の人は読めるが、余所者には読めないではないかと優しく気を使ってくれたのだろう。
ヒジリ田→聖田、エゲ屋敷→会下屋敷、ヲヲガケ→大崖(多分)となるのではないかと思うが、確かに読み難い地名もある。

 
                   弘法堂                                   本 堂

 目立つ蓮花院の案内板に誘導されて小路に入ると、余り変わり映えのしない蓮花院の山門が見てきた。だが山門の上に何やら
派手な色彩の建物が見えている。あれは何だ? と期待を込めて境内に入ると異様な建物が目に入った。
正面(左)の弘法堂は二層になっていてカラフルな五色の幕を廻らせてある。建物も赤く彩色されていて派手な感じがする。

 右側の本堂は一転して屋根に唐門風曲線を多用した建物だった。この建築様式をなんと呼ぶのか分からないが、一般寺院に
比べて変わっている事は確かだ。私流にあえて言うなら 「虚仮脅かし風」 建築様式とよびたい。
本堂が2階にあったのも変わっていた。

 
                  弘法堂内部                           手水場の観音さん

 弘法堂の内部は外観に比べ、いたってシンプルだった。イエ失礼を顧みずハッキリ言うなら外観に比べいたって質素だった。
そして境内の手水場には矢張り仏像があり、それも取って付けたような金色の観世音菩薩の立像だった。。
細身の姿に少し体を傾げたお姿は艶めかしくもあり、これぞまさしく蓮花院風だと思った。

  
         張子大師                                  名称不明

 癒したい箇所を収め札を貼ると身代わりになってくれるという大師像。
貼られてある紙をよく見ると 「病魔即」 と見えるのは 「病魔即退散」 の事だろう。他にも人体の図もあるので、体の悪い個所を
具体的に図示しているのか。それにしてもどの紙も古くて重篤な皮膚病患者の肌の様に見え、とても触る気にはなれなかった。
でもこのお大師さんの前掛けには 「CUTE STYLE」 とあったのには笑えた。

 今度は鳥追い風な形をした女性像があったが、鳥追いにしては被っている笠が違うし、手にしている物も三味線ではなく杖を
突いている。多分女性のお遍路姿を現しているのだろうが、この像も何となく色っぽく感じた。
でもとても触る気にはなれません。こちらの像も人体図や般若心経の一部らしき文字、それに “昭和60年9月” 等の年月を
書いた古い紙が体一面に貼ってあった。
でもこうして見ていると他の寺に多い “オビンズル様” より興味は湧く。もう少し新しい納め札等を貼ってあれば真似をする人も
現れるだろう。

それにしても変わった寺だったが、それなりに楽しかった。
                                 22番から23番蓮花院への道

 蓮花院からJRの武豊駅には線路伝いに行く分かりやすい道だった。
JRの武豊線はこの武豊駅で終点だが、更に先には名鉄の河和線が走っていて、次回からは利用することになる。
今日歩いてみてJRと名鉄の線路は余り離れていなかったので多分駅も近いだろう。
何しろ青春18切符を利用しているので、不便でも何でも最大限JRを使う積りなので駅の間が離れていると困るのだ。

 1回目の遍路で熱中症に起因する急性膀胱炎(?)に罹ったので、今日は体の様子を気にしながら歩いた。
だが歩き終わった今、何処にも不調は感じない。多分家に帰った後も大丈夫だろう。
全部で98寺ある札所だが、今日までに廻ったのはたったの25寺。先を急がないと青春18切符が使えなくなってしまう。

                                 23番番蓮花院から武豊駅への道