はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

孫と二人で富士登山 2

2011-08-31 10:22:29 | 低山歩き
 孫の快調な登りをみていたので、お鉢巡りを10時35分に何の迷いもなく出発した。
剣が峰の下りでは「今日最初の下りだね」と意気揚々と下っていた。
下りきれば次は緩やかな登りが始まる。調子の良かった孫の足が遅くなってきた。
「まだ登りがあるの?」と不満も出てくる。

          
           金名水?

 時折ガスに包まれる剣ヶ峰や大きく口を開けた火口を見せて気分転換をはかる。
下の方に四角い枠が見えた。前回は金名水の位置が分らず撤去されてしまったと思ったが、どうやらあれが金名水のようだ。
昔はあの横を歩く道もあったが何故か今は無かった。

 富士吉田口山頂は相変わらず賑っていた。ツアーで来たのか団体が「万歳! 万歳!」と叫んでいる。
そうそう前回の宿題を思い出した。この山頂にある神社は地図や標識では「久須志神社」となっているが、前回写した神社の写真は「富士山頂上奥宮」となっていた。
神社の前に石碑が立っていたが、何て彫られていたか自信が無かった。それを今回確認しようと思っていた。そして神社入口の石碑には「富士山頂上浅間大社奥宮」となっていた。
これでは途中にあった標識の「久須志神社」は何所に行ったのだろう。宮司さんに聞いてみた。
「ここは久須志神社ではないのですか?」
「はい久須志神社です」
「入口に浅間大社奥宮と書かれていますが?」
「はい。ここは浅間大社の奥宮です。久須志神社は浅間大社の末社ですので」
ようは久須志神社は浅間大社の末社なので、これで間違いないという事らしい。
素人の私にはよく理解できないが、以前はここの看板も「久須志神社」となっていたような気がしたのは勘違いだったのだろうか。

 もう一つ宿題があった。それは剣が峰の三角点の向きが南を向いているかどうか調べる事だ。
剣が峰の三角点の上に方位磁石を置くと。アレー方位磁石の中に泡が幾つも浮いている。何時もは泡など無いのに水漏れでもしたのだろうか? しかしそんな気配はない。
静止している白い針は三角点の表面を向いている。なら、この三角点は南を向いているのだろう。
試しに磁石を動かすと針は磁石と共に動いてしまう。駄目だこれは。薄い気圧で磁石が駄目になってしまったのだろう。というわけで三角点の向きは確認できませんでした。
家に帰り方位磁石を見ると、泡は無く正確に北を指していた。

 富士吉田頂上を出ると緩いアップダウンが続いた。孫は上りは勿論、平らな道でも辛くなってきたようだ。
今まで一度も自分から座り込むことは無かったが、遂に座り込んでしまった。
念のた頭痛がするか吐き気がするか聞いたが、そんな症状は無いと言う。それなら高山病ではないので少し休ませれば回復するだろ。
5分も休むと自分から立ち上がった。これならまだ大丈夫だ。

 御殿場口入口銀名水に11時30分到着。お鉢巡りを1時間15分で回った事になる。
これは私が一人で歩いた時と全く同じ時間で一般的な歩行時間だ。
決して私が速く歩かせたのではないが、登りのとき注意していた「速すぎる」を言わなくなっていた。これが原因だったのだろうか。

 銀名水を11時40分出発。急に人気の無くなった登山道を下って行くと孫が
「小便をしたいと」言い出した。サー困った。
以前なら気軽にしていたのが、有料トイレができた今は立小便はマナー違反どころかルール違反だ。
しかし次のトイレは小1時間程下の7合9尺の小屋までない。辺りを見回したが登山者の姿は無い。
「早くそっちでやちゃいな」と許可を出す。その孫の後姿を見ていた私も催してきてしまった。前後左右を見回して慌てて連れションをしてしまいました。ご免なさい!
終ったあと清々した孫は「600円儲かったね」と満足げだ。
「何が600円なの?」
「だってさっきトイレの入口に1回300円て書いてあったよ」
そう確かに富士吉田山頂のトイレの入口にそう書いてあった。疲れ果てていたくせに、そんな貼紙まで見ていたとは中々油断できない孫だ。

          
           8合目から

 8合目の小屋跡に到着。ガスが時折晴れ御殿場の市街が見えるようになった。
まだ大分残っていた水を半分捨てることにした。
家から2.2ℓ持ってきたが、その半分の1.1ℓ捨てたことになる。
何故そんなに持ってきたって? それは前回6合目から登ったとき0.9ℓが途中で終ってしまったため、今回は少し増やして1人1.1ℓづつもってきたのです。
こんなに残った原因は天候にある。前回は登るとき陽射しが強く、暑くて汗ビッショリになって水を飲んでいたが、飲んだ水分は汗になって出てしまう。おかげでトイレは1度も行かないですんでいた。
それが今回は陽射しがなく、冷たい強風にさらされていたので、汗をかかなかった。そのため水は余り取らなかったが、冷えた体は小便をしたくなってしまった。
水の準備も難しいものですね。

 砂走りでは孫の靴の上から、私の古い厚手の靴下を履かせる。こうすれば靴の中に火山灰が入らないで済む。更に頑丈にするならガムテープを底から踵にかけて貼ってやればいい。
走る前に孫に要領を教えてから見本を示す。今日一番の私の見せ所だった。

 前回も気になったが砂走りを逆送している人が今回もいた。何所へ行くのか聞くと
「今日は御殿場口の7合9尺に泊まる」と言う。
成程前回山小屋で聞いたように皇太子殿下の歩いた道を、プリンスルートと名付け歩く人が増えたようだ。
前回はガスで気が付かなかったが、今日は所々に「プリンスルート」と書かれた標識が目につく。
そのルートは、宝永山から御殿場口の下山道にある走りの6合の小屋跡までは既存の登山道を登り、小屋跡からは新しい道を登山道まで開通したようだ。
さすが皇室のやる事は大きい! 新しい道を開通させてしまうのだから。

           
            走りの6合にあるプリントルートの標識

 前回は霧で包まれていた宝永山の馬の背は今日は晴れていた。
新しい標識も見える

          
           宝永山馬の背

 これならまだ一度も行った事のない宝永山の突端にも行けそうだ。孫に行くか聞くと「戻ってくるなら、ここで待つ」と言う。
サーどうしよう。待たして自分だけ往復するか、それとも諦めるか。
火口の中を見るとガスは無く登山者の姿も沢山見える。私たちの後ろにも三々五々登山者がいる。
「じゃーお祖父ちゃんは一人で行ってくるから、翔大は一人でこの道をユックリ下って行きな」と随分冷たいことを言ってしまった。
孫は「うん」と言って一人で下って行く。

          
           宝永山の案内盤

標識には宝永山まで10分と書いてあったが、半分走るように行くと5分もかからず宝永山の突端に着いてしまった。
そこには新しい大きな案内盤があったが下界はガスで見えなかった。写真を1枚写し慌てて引き返すことに。元来た道を戻ろうとすると下に下る細い道があった。多分この道も火口に下る道だろう。若し違っても強引に下ってしまえばいいとその道を下って行った。
すぐに正規の登山道に合流し下を見ると孫が杖を振っていた。一人でこんな所を歩かされて心細かったのだろ。上ばかり気にして歩いていたのだ。私も金剛杖を振って合図した。
こういうことはやってはいけませんね。反省しています。

火口の底に14時5分到着。ここまで来ればもう先は見えた。あと30分も歩けば新五合目に付く。
孫はベンチに顔を付けて休んでいる。15分ほどして
「サーいつまでも、こうしていても仕方ない。出発するよ」
「うん」と立ち上がり前方を見て「また登りなの」とげんなりした様子だ。
「大丈夫 ここの坂はすぐ終るから。あそこに行けば朝通った6合目が見えるよ」と元気付ける。

 
富士宮側宝永火口標識               ダウンした孫

歩いているときは決して遅くなくダラダラした歩きではなかったが、火口底からの登りが終ると、全体力を使い果たしたように火山灰の上に寝転んでしまった。
そのまま休ませながら少々無理のさせすぎを反省してしまった。

10分ほどたって横になっていた孫が顔を上げた。
「ほらあそこに6合目の小屋が見える」と教えると急に元気なった。きっと見知った所が見えたので安心感と残っていた気力が奮い立ったのだろう。
6合目では休まずそのまま新5五合目に下る。新五合目で「アイスでも食べるか?」と声をかけるが「いらない」と言って車まで一気に下ってしまった。

 帰りの車の中で「また富士山に来るか」と聞くと「うん 今度はご来光が見たい」と言った。
これで孫との約束も果たせてた。少々無理をさせたようだが孫は富士山を嫌いにならなかった。
やっと私にも満足感が湧いてきた。

8回目の東海道を歩いてきました

2011-08-30 10:40:26 | ウォーキング
 愛知県の名鉄豊明駅から津島駅までの41kmを歩いてきました。
自分の失敗で次から次におきるハプニングで、豊明駅に付いた時には少々戦意喪失の状態になってしまい、気乗りのしない出発でした。

それでも気を取り直して、鳴海宿、宮宿、七里の渡しまで東海道を歩き、渡しの代わりの陸路は、佐屋街道の津島駅まで予定通り歩く事が出来ました。

ハプニングとは何か。 それは後でのお楽しみに。



東海道あるいてきます

2011-08-29 04:05:38 | ウォーキング
 今日は愛知県の豊明駅から尾張の宮(熱田)宿まで歩きます。
正規の東海道はここから桑名まで「七里の渡し」渡りますが、私は陸路を歩きます。

宮宿からは街道マップも参考書にもルートが記載されていないので、ネットで調べた資料を参考にします。
街道の分りづらい所だけネットの地図を印刷して持って行きます。
山の中に入るのではないので何とかなるでしょう。

 ゴール予定は愛知県の津島駅で、岐阜県との県境を流れている木曽川の手前です。
概算距離は35kmですが、今回も長くなる可能性があります。
果たして何所まで歩けるか。そして何所まで「駅から東海道」を続ける事が出来るか楽しみにしていて下さい。



孫と二人で富士登山

2011-08-26 14:48:13 | 低山歩き
     孫と二人の登山ルート        2011/8/24
     

 8月24日9才の孫と二人で、日帰りの富士登山に行ってきました。

孫が小学4年生になった去年「富士登山に連れてってやる」と約束をしたが、私や孫の都合で実現できなかった。
そこで今年は「必ず行く」と確約をしたにもかかわらず、既に夏休みは終りの週になってしまった。
このままだと”嘘つき爺さん”になってしまいそうで、最後には富士山の天気予報と睨めっこの状態が続いた。

今年は秋雨前線の南下が早く、富士山の麓の静岡県でも毎日のように雨が降っている。
それでも8月21日の天気予報では24日の水曜日と27日の土曜日に傘マークが付いていない。サーどうしよう。
もう決断しなければならない。土曜日では遅すぎるし、天気予報が変わる恐れもある。それなら24日にするしかないと決断した。
月曜日の天気予報でも24日は傘マークは無い。もう予報は見るのは止める事にして準備に掛かった。
登山の前日、娘から「お父さん富士山に雨の予報が出ているよ。本当に行くの」と電話があった。
仕方なく予報を覗いてみると雲と傘マークが開いて"曇り時々霧、一時雨"となっている。しかしこの予報では雨が何時降るのか分らない。
そこで富士山の麓の御殿場と富士宮の予報を見ると午後6時から傘マークが付いている。
それなら5時前には登山は終わる予定なので、何とか雨に合わないで済むだろうと、都合の良い解釈をして決行することにした。
近所に住む孫も迎えに行き準備は万端整った。

          
           富士宮口新五合目

 24日早朝自宅を出発して富士宮新5合目に着いたのは4時半。
駐車場は既に満杯で、近くの道端にも車が止まっている。仕方なく5合目から大分下がった所に駐車するしかなかった。
富士登山の時季には遅いこの頃に、こんなに登山者がいるとは思わなかった。これでは最盛期のマイカー規制は当然だろう。
私が駐車したのは富士山を背に左側、つまり下りの車線の路肩に駐車したのだが、その時点では右(上り)側の停めてある車はなかった。それが下山してきた時は右側にも所々駐車してある車があった。
これでは道の両側が車で大型バスは通りにくいだろうと思っていたら、何と右側駐車のフロントガラスには軒並み「駐車違反」の赤紙が貼られていた。
マイカー登山を考えている人は ご用心!ご用心! ですよ。

 車から500mほど歩いて、いよいよ5時に新5合目を出発。
歩き出した孫は元気一杯で足は速い。「速すぎる」と注意するが、すぐに早くなってしまう。
この注意も最初から「しっかり歩け」では先が思いやられる。問題は何所まで元気に歩けるかだ。

 私が子供を富士山に連れてくる方針は、自分で歩いて、自分の荷物は自分で持つことが基本だ。
そのため子供や孫も小学3年生になるまでは連れてきていない。とは言っても辛いだけで、二度と富士登山など来たくないと思われるのは困る。
富士山には自分の力で登り、楽しい思い出を作れるようになるよう心がけてきた積りだ。

 その点今回の富士山は今までと違い少々きつい行程になってしまっている。
今までは富士宮新5合から八合目へ、ここから御殿場口に横断して7合9尺の赤岩館に宿泊した。
翌日は小屋でご来光を見て朝飯を食べてから出発し、剣が峰に登頂したあとお鉢を回って7合9尺に戻ってくる。
預けた着替えなどの荷物を受け取り、次は御殿場口を走りの6号まで下ったあと、御殿場口と別れて宝永山に向う。そして宝永山の火口を抜けて富士宮口の新5合目に戻るコースを採ってきた。

 それが4年前に上の孫とこのコースを歩いたとき富士宮口8合目で「この横断路は危険ですので通行止めです」と山小屋の人に言われてしまった。御殿場口に予約してあったので強引に通ったのが、もうあの経験はしたくない。
昨年はその入口を見ただけだったが入口は頑丈にロープなどで封鎖されていて、有料便所を管理する人が立っていて「この道は通行禁止です」と言っていた。
今年の海から剣が峰に行く時は便所のコインが自動投入になったせいか、管理人は居なかったがロープで簡単に封鎖してあった。

 そんな訳で今年は富士宮新5合から、そのまま富士宮の山頂に登り、お鉢巡りをした後は以前と同じように御殿場口から宝永山経由で富士宮に戻る予定だ。
今まで1泊2日で歩いていたのを11日コースに短縮してしまってあるのだから、富士山が初めての孫には大変かもしれない。なので余計「速すぎる」が多くなる。

7合目あたりまでは抜かされるばっかりだったが、徐々に私たちも追い抜くようになった。孫も抜かえす事ができ満足の様子で速さは衰えず「速すぎる」の注意は何時までも続いた。
8合目では既に山小屋や診療所の冬篭りの準備も始まっていて、御殿場口への封鎖個所もロープは垂れていて通れる状態になっていた。

          
           早くも冬支度

8合目を過ぎても孫の速度は落ちず「速すぎる」は孫の為と言うより私の為に言っている様なものだった。何しろ11日に私が一人で歩いたときよりも速いペースだ。途中にあった万年雪も教えてやろうと思っていたが、それも分からず通り過ぎる始末だった。
頑張った孫は山小屋以外で休んだのは1回だけで、山頂にも予定より早く9時40分に到着してしまった。
11日の日は富士宮6合から山頂まで4時間20分。そして今回は5合目からだと4時間40分。6合目からだと4時間15分だった。
大体同じようなペースだが、これで「速すぎる」と注意しなかったらどうなっていたのだろう?
私よりよっぽど速かったか、それとも途中でばてていたか------

          
           気圧が少なく膨らんだ菓子袋

昼飯を噴火口を見ながら食べる。孫は家から持ってきた握飯2個もペロリと食べてしまった。どうやら高山病の心配も無さそうだ。だが幾つも持ってきた菓子類は殆ど手をつけていない。これは何時もの孫の様子とは違う。やはり高山の影響か疲れの影響があるのだろう。

心配していた天気もまずまずで時折ガスに包まれるが雨の心配は無さそうだ。ただ11日に比べ風が強く、その風が冷たい。
途中からジャンパーを着込んだが、それでも休憩していると寒くなる。
前回は暑くて汗をビッショリかいて水も900mlでは足りなかったので、今日は二人で4本計2.2ℓ持ってきている。頂上に着いたが水の殆どは残っていたので、200mlの1本をこぼす事にした。
 
          
           剣が峰の馬の背のブルトーザー

 剣が峰の馬の背で珍しい光景にあった。ブルトーザーが馬の背の道普請をしていた。更に剣が峰に続く階段の下にもブルトーザーが止まっている。ブルが山頂まで登る事は知っていたが剣が峰の直下まで登るとは思ってもいなかった。
(約20年ほど前に御殿場口の太郎坊から山頂までブルに乗りました。楽は楽でしたが埃まみれになり懲り懲りでした。下山時はブルは遠慮して歩いて帰った経験があります)

馬の背で転んでしまった。前回は1歩づつ着実に登ったのだが、今日はブルが通ったばかりで平らな岩がツルツルになっていた。そこで恥ずかしくも転んでしまい、杖を持っていた指に擦り傷を作ってしまった。
孫に「大丈夫?」と心配され、どちらが引率者か分からない始末だ。

           
            剣が峰にて

 剣が峰に10時20分到着。満足げな孫の写真を写して展望台に。
展望台では雲海と言うより曇っていて下界は何も見えない。ガスが急に動いて一挙に霧に包まれた。霧雨より大粒な雨振り出したので慌てて展望台より降りて合羽を着用した。
雨粒は合羽を着終わった頃には、おさまったが寒さもあったのでそのまま着ている事に。

孫は快調。迷わずお鉢巡りに出発した。


孫と二人で富士登山

2011-08-25 17:40:43 | 低山歩き
24日の日に9才の孫と日帰りで富士登山に行ってきました。
夏休みは終わりに近づくのに天候は安定しない。
もう残されたのは決断のみで、富士山の天気予報では昼に傘が開いていましたが出発しました。

お陰で無事孫を剣が峰の上に立たせる事ができ「嘘つき爺さん」にならずにすみました。

詳しい事は後日報告します

孫と二人で富士登山

2011-08-24 01:49:00 | 低山歩き
 今年の夏は小4の下の孫を富士山に連れて行く約束をしていた。
それなのに自分の「海から剣が峰へ」の予定が天候不順で中々実行できず遅くなってしまった。
そのあおりを受けて孫との約束を果たせないままになっている。

 先週後半から天気予報と睨めっこをしていたが中々決断がつかなかった。
孫は初めての富士山なので少しでも天気の良い時にと思う爺心。しかし夏休みは28日までだという。
孫は先生や友達に「富士登山をする」と喋ってあるので止める訳にもいかない。
結局雨の合間を狙って今日行く事にしました。

コースは富士宮新五合目から剣が峰に上り、お鉢巡りをして御殿場口を下る。
そうして宝永火口底を通って富士宮新五合に戻るコースです。

果たして天気は1日持ってくれるのか、綱渡りの富士登山になりそうです。

海から剣が峰へ2日目-2

2011-08-23 10:49:37 | 低山歩き
                  お鉢巡りから下山へ
          
           剣が峰の三角点

 今年は何時になく剣が峰が空いていた。例年だと日本最高の標識で写真を写そうとすると、20分や30分待ちになるのはざらだが、今年は列も無くいつでも標識を写す事ができた。
空いていたので気がついたのだが、最高峰の標識の横に三角点の標識もあった。ここは3776mの日本最高峰。しかも見晴らしは良い。当然一等三角点だと思いますよね。
それが何と二等三角点でした。不思議ですよね。それともう一つ、この三角点の向きは南を向いていたのだろうか?
山頂ではそのことに気がつかなく写真だけ写したが、今こうして写真を見ると三角点と書かれた面が、東南の方向のような気がする。次回登った時はその点も確認しよう。

 今年は展望台の上にも上った。ここは最高峰の標識より少し奥の南側にある人口の展望台で、3776mより高い位置にあります。
登山者が多いと入口の狭い展望台は混雑するので敬遠するのだが、今年はすぐ入れた。この展望台からは静岡県の西の方向が見ることが出来るのだが、生憎今は雲海で遮られていて下界を見ることが出来なかった。ただ展望台のすぐ下から始まる大沢崩れの突端は見ることが出来た。この崩れが大きくなると富士山の山容が一変してしまうらしいので、早く有効な手を打ってほしい。

             
              安河原からの剣が峰

 今年はまだ余裕がある。去年はここから引き返してしまったが、今年はお鉢を回って御殿場口に出よう。
火口の外輪と内輪の間にある広い場所には、以前は宇宙線研究所?とか金名水などの建物や小石を並べて書いた落書き等があったが、今は綺麗に撤去されている。これも世界遺産認定に向けての準備なのか? 後ろを振り向くと違う形で剣が峰が見える。
昨日から今までズート登りだったが、やっと下り道になった。快調!快調!高山病の気配はない。

 
富士吉田口山頂奥宮              山頂の自動販売機

 吉田口山頂は相変わらず賑っている。山小屋では自動販売機を設置したり、土産物の台を所狭しと並べている。以前来た時はこれにスピーカーの音も混ざり、日本一の山の山頂というより神社の縁日来ている様だった。それに比べれば今日はまだいい。
山頂に神社の標識を見ると「富士山頂上奥宮」となっていた。確かここは浅間大社でなくて久須志神社と言うはずだったが、どうなったのだろう? しっかりしているようで矢張り呆けているのか。疑問は感じてもその後の詰めがない。これも次回行ったときに確認しよう。

 
吉田口側からの剣が峰             旧電話局の頂からの剣が峰

 吉田側から見る剣が峰は残雪のある火口の上に乗っているように見える。写真だと脆そうな岩で地震が襲えば崩れてしまいそうにもみえるが、実際は凄く大きくてそんな不安は感じません。写真の剣が峰の左の稜線が馬の背です。

火口の反対側には吉田口の下山道が山頂から始まっている。岩も少なく電光形に作られた下山道はいかにも快適そうに見える。それに対して富士宮口は上りも下りも同じ道で岩のゴツゴツした狭い道だ。これでは例え山小屋が混もうが登山道が渋滞しようが吉田口に登山者が集るはずだと感じた。

岩に囲まれた小屋があった。これはNTTの山頂電話局の跡で今では閉鎖してしまっている。
街中では携帯電話に押されて公衆電話が撤去されているが、富士山も同じ現象が起きている。
最初の子供を連れて富士山に来た時は山頂から電話をするなど考えもしなかったが、二人目の子供の時は違った。ここの電話局の所にテレホンカードの公衆電話があって富士山頂から家に電話をして喜んだものだ。それが孫の時代になった今は公衆電話どころか電話局もなくなってしまい、山頂からは携帯電話がなければ気楽に電話をすることが出来ない。
便利になったのか不便になったのか、携帯電話を持たない私には分らない。

 昭和の時代車の運転免許証を持たない人を「昭和のいざり」など言ったが、今では私の様な者は「平成のつんぼ」なのだろうか。
右の写真はその電話局付近から剣が峰を写したもので、手前にある建物は富士宮口です。

          
          御殿場口山頂銀名水

 電話局の頂を下ると御殿場口山頂の銀名水になる。山頂と言っても鞍部になった所で山頂の雰囲気はないが剣が峰が良く見える。御殿場口を登ってきて、ここから剣が峰を見るとホッとした事を思い出した。
御殿場口はどの上り口よりも標高差もあり距離も長い。そのため登山者には嫌われ御殿場口を登る人は本当に少ない。
だが下山となると走りの六号から始まる大砂走りは雄大かつ軽快だ。
何度も富士山に登っていて大砂走りを経験したことのない人は、是非一度御殿場口を下山口として利用してみてください。後悔することはないと思います。

 銀名水からの降り口は岩がゴロゴロした道で、とても砂走りと言えたような道ではない。ここを砂走りと勘違いして走る人はいないと思いますが、ここで走ったら遭難事故が発生してしまいます。砂走りはまだ先の7合目からで、大砂走りは6合目からです。
この辺りは御殿場口の胸突き八丁で登りでは一番苦しい場所です。この場所は麓から富士山を見たとき宝永山の火口から山頂に延びる沢の部分に当ります。冬ここで滑落すとアイスバーンになった雪の上を宝永山の中まで一気に滑り落ちてしまうでしょう。

          
           八合目跡

 やっと八合目に着いた。だが小屋はご覧のよう小屋の残骸が少し残っているだけだった。胸突き八丁の上に昔は9合目の跡がこの様に残っていたが今は何もない。ここもそのうち自然に戻り、何所が8合目か分らなくなってしまうのだろう。
アッそうだ。富士宮口ではご来光が綺麗に見えない話をしましたが、御殿場口はここの8合目から下ではご来光を見ることが出来ます。ただしここを過ぎると沢の中に入ってしまい見ることが出来ません。

 八合目からの道は太くなったが、まだ石がゴロゴロして走れる状態ではない。ただ下り斜面で自然に歩幅が広がり速度は上がる。そのせいか体が熱くなってきた。標高が下がり気温も上昇してきたのだろう。陽射しが恨めしくなってきた。
そんな時、下から凄い勢いでガスが上がってきた。瞬く間にガスに覆われてしまったが、雨さえ降らなければかえってこの方が快適だ。

皇太子殿下が泊った7合9尺の赤岩館を過ぎると少し変わった建物がある。以前は富士山測候所の避難小屋だったが今は何に使っているのだろう?
この小屋の右側に延びている道がある。この道が富士宮の8合に続いている登山道だ。御殿場側には通行禁止の表示もないが、行き先表示もなかった。

ガスが晴れたりかかったりが繰り返す中、7合目に到着。御殿場口はここで下山道と登山道が分離して、やっと火山灰が深くなり石も減った砂走りが始まる。砂走りでは歩幅を大きくして体を浮かすようにすると徐々に勢いがついて歩幅は優に2mは越えるだろう。でも気を付けて下さい、この辺りにはまだ大きな石が所々にありますので。
砂走りで走るとき気をつけるのは、重心を後にして決して前方に転がらない事。転ぶときは必ず尻餅をつくようにしないと怪我をしてしまいます。以前顔から転んで顔中擦過傷で火山灰の滓がその傷の中に入ってしまった人を見たことがあります。

それから今日のようにガスっていれば少ないが、晴れた日は砂埃が物凄い。私のような調子者が走っていくとモウモウと砂埃がたってしまう。その後を歩く人はマスクかタオルで口を塞ぎたくなるでしょう。

宝永火口への分岐点の走りの6合目には、以前は小屋の残骸と小さな標識しかなかったが、今は立派な標識が立っている。これならガスが深くても見落とす事はないだろう。
本格的な砂走りはここから始まるのだが、今日は富士宮口に行かなければならない。砂走りと別れて右の宝永山の方向に向かう。

          
           宝永山御殿場側の馬の背

 ガスっていて何も見えないが晴れていれば左に砂走りを走る人、右には宝永山の火口や富士宮側が見えるはずだ。
こんな状態の時は火口に下りる分岐点を注意していかなければならない。と思ったら、ここにも立派な道標が立っていて容易に分った。これもプリンスルートのお陰なのだろう。そういえば以前はここまでで、すれ違う人などいなかったが今日は2組の登山者にあった。きっとプリンスルートを歩いているのだろう。
ここの分岐点は直進すれば宝永山の突端。左に曲れば御殿場口の砂走り、そして右行けば宝永山の火口を経由して富士宮口に抜けることが出来る。今日の腹つもりは、このまま直進して宝永山の突端まで往復しようと思っていた。だがこんな霧では仕方ない。行っても何も見えないのだからと止めにした。

 
 宝永山火口底                   火口の底より富士宮側の稜線

 宝永山の下りも砂走りほどではないが快適に下ることが出来た。
火口の底には何組かの登山者もいた。本当に多くなったものだ。だが火口底からの景色はガスが邪魔をして清々見ることが出来ない。ガスの晴れるのを期待して少し待ったが、山頂と御殿場側は晴れることはなかった。火口壁の断崖を写真に撮ろうと思ったが残念。
その代り富士宮側のガスが晴れて、昨日悲鳴を上げながら登った山体観測装置付近の「ズルズル」坂の稜線が見えた。ここから見れば大したことのない斜面に見えるのに何故昨日はあんなに辛かったのだろう?

 火口の底から富士宮側の稜線までの登りは楽だった。このコースで唯一の登りになるが全然心配ありません。稜線までは緩い登り坂で途中立ち止って休憩したりする必要もありません。稜線に着けば昨日歩いた道と合流します。あと6合目まで10分もかかりません。

6合目で預けておいた替着を受け取り、一休みしてバスの終点新五合目に向う。
3時20分新五合目着。富士宮山頂から1時間20分かけてお鉢巡り。御殿場口山頂から富士宮口新五合目まで4時間。休憩時間を含んでいるとは言え少々ユックリした時間になりました。お陰で達成感一杯のゴールになりました。

          
           富士宮口新五合目

海から剣が峰へ2日目-1

2011-08-22 10:35:23 | 低山歩き
   富士宮6合目―剣が峰―宝永火口―富士宮新5合間の歩行ルート 2011/8/11
   

                        剣が峰へ
     

 団体が泊っていたが寝床は余裕があり2人用の布団に一人で寝る事が出来た。
ただ鼾や歯軋り、寝言や寝返りなどの様々の音が気になり一晩中ウツラウツラの状態が続いた。
生ビール1杯でなくカップ酒も飲んで酔って寝てしまえば良かったかな。
どうも私は神経質すぎて困る。いや気が小さすぎるのだろう。
昨夜は家で寝たのに富士山のことが気になり殆ど寝る事が出来なかった。
2日続けての不眠で明日の体調が気に掛かってならない。

団体が起き出した。これで静かになるとホッとしたが結局起床の4時半まで熟睡する事はできなかった。
4時半前に1階の広間に降りていくと弁当の仕度がしてある。これは昼飯用にして、朝飯は昨日コンビニで買ったお握り3個。少しポソポソしていたが充分食べられる。
私が朝食を食べている事に気付いた小屋の人がお茶を入れてくれた。これはありがたかった。

朝食後初めての便所を使った。昔の富士山の便所は臭く汚くて恐くて、それこそ正真正銘の3K便所だった。
それが最近ではバイオ式とかで、ホテルなどとは比べようも無いが、山小屋ならこれで充分だろう。
サー入れる物は入れ、出す物は出した。もうすぐ5時。出発しよう。

「ご来光だ!ご来光だ!」の声が聞こえてきた。見るとカメラを構えた人もいる。
今日の日の出は平地で5時7分。なのに今は5時半頃。しかも辺りは充分明るい。
見上げると宝永山の突端から太陽が顔を出すところだった。
当然日の出の時に見える朝焼けも無い。太陽も出ると同時に眩しくて見ることが出来なくなる。

地平線から上がる太陽は富士宮口からは見られない。だがその後太陽が東側の尾根から出る事は間違いない。
となればこれはこれで日の出には間違いないのか------
先日もTVで富士宮の山小屋の人が「昨日のご来光は綺麗だった」と紹介していたが、このような日の出を指しているのだろうか?
尤も富士宮口でも登山道を外れて御殿場側に移動すればご来光は見えるが、普通に綺麗なご来光を見るなら富士宮口は避けた方がよい。と、言っても富士宮山頂に登っても満足なご来光は見れない。更に富士宮山頂から東の御殿場口の銀名水に下り、電話局跡の頂まで行かなければならないのだから。

          
           7合目はもうすぐだ

 富士登山で辛いのは上の小屋がすぐそこに見えていても中々着かない事だ。
気ばかり焦ってしまうので、なるべく上を見ずに足元を見ながら歩くようにする。
今日は意識的にゆっくり歩く。そして途中では立ち止らず山小屋に着いたらゆっくり休む事にした。
          
 8合目のトイレの横から始まる御殿場口への登山道は今年も封鎖されていた。ご来光を見たいなら、この道をトラバスすれば見ることが出来るのだが-----。
しかしこの道を開放すると、富士宮口のここから上の山小屋はお客が減ってしまう。だから封鎖する。困ったものだ。

 実は私は子供や孫が小学校3年の夏になると富士登山に連れて来ていた。
その時のコースは富士宮口を出発し、この8合目から御殿場口に抜け、御殿場口の7.9合赤岩館に泊まった。翌日は山小屋でご来光を見て、朝食をとってから頂上に向うユックリコースで登っていた。
だが3年前に上の孫とこのコースに来たとき、ここで不快な目にあって以来、この場所を強行突破する気がなくなってしまった。
今年は下の孫を連れて、もう一度富士登山をしなければならないが、ここで口喧嘩をするのも嫌だ。そこで仕方なく今年は日帰り登山にすることにしている。下の孫にとっては、いい迷惑だが仕方ない。

          
           八合目上の鳥居

 8合目の上に鳥居が立っている。ここからが浅間大社の土地だが奥宮のある山頂まではまだまだ苦労は続く。
この辺りは胸突八丁と呼ぶ一番苦しい場所で、昔の人は六根清浄の掛声をかけて登っていたという。しかし最近では六根清浄は全然聞くことは無く、胸突き八丁も言わなくなってきてしまった。言葉としては胸が道につくような急坂が八町(約872m)も続くなんて言い得て妙な気もするが。
六根清浄とは眼根(視覚) 耳根(聴覚) 鼻根(嗅覚) 舌根(味覚) 身根(触覚) 意根(意識)の六根をを清らかにすることだそうです。

          
           富士宮山頂(浅間大社奥宮)

やっと山頂に着いた。時間は9時30分六合目を出て4時間30分。この内、歩いていたのが3時間35分で、休憩していたのが55分だった。このペースだとほぼ標準並の速さで、早い人には抜かれたり、遅い人を追越したりになる。
この時間に新五合から六合目までの30分(歩き20分、休憩10分)を加えて5時間あれば富士宮口のバスの終点から山頂までは充分だろう。

六合目で受け取った朝食をここで食べる事にした。大きなお握りが2個と卵焼きや沢庵などが少々。塩味が利いたお結びも最後は水と一緒に飲み込むように食べ終えた。

          
          富士宮口側から剣が峰

 富士宮山頂の小屋の間を抜けて広場に出ると剣が峰が初めて見える。この景色を見ると山頂に着いた実感が湧く。
火口に近づきお鉢の中を覗きこむと去年より残雪が少なく感じた。
最後の登りになる馬の背も、足元を逆ハの字にして力強く蹴るようにして登る。
この程度なら昨日の宝永火口の「ズルズル」坂より余程も楽だ。
一気に馬の背を登りきり10時15分剣が峰に到着しました。

海から剣が峰へ1日目-4

2011-08-20 12:28:00 | 低山歩き
          山小屋にて

 6合目の山小屋に泊ったのには理由があった。
富士宮口の8合目9合目の小屋は、ご来光を目指す登山者で混雑する。
7合目はあたりは途中でダウンした人や夜間登山者が喧しい。
それなら出発してすぐの6合目なら、泊り客も休憩する客も少なく、ゆっくり寝れると判断した。
それに海から歩いて来ているので余り無理もしたくなかった。

小屋に入って驚いた。「エーなんだ これは?」
広間全体に登山者が食事をとっていた。小屋の人に聞くと団体の宿泊者だという。
ウーン失敗だ。これこそ想定外だった。

団体は群馬県の高校の山岳部で30人ほど居ただろうか。他にも家族ずれ、女性の2人組、
単独行の男性3人がその日の宿泊予約者だった。
こんな事なら予約状況を確認してから予約をするべきだったと後悔するが既に遅い。

単独行の男性と同じテーブルに座り、先ずは800円で生ビーりを1杯頼む。ウーン美味しい。
喉も潤い舌も滑らかになったところで情報収集の開始。

団体と単独行の2人は海から村山古道経由で歩いてきて6合目に泊っていた。
私の事前の調査では須山口より村山古道の方が距離が長かった。それなのに私より早く着いている。
「朝何時に出発したのですか?」と聞くと
「あの団体は朝2時に出たけど、俺は6時に出た」
朝の2時に出発か。それなら焦る事も無くゆっくり歩けたろう。
でも6時に出た人は足が速い。私より大分若そうだが、でも50代はにはなっている。
次に私の出発時間も聞かれた。
「朝、田子の浦で日の出を見てから出発する予定だったが、曇っていたので少し早い5時に出た」
「じゃー今朝は何時に出たの?」???どうも話が噛み合わない。
「今朝って、だから今朝5時に田子の浦を出て来た」と言うと。「エー!」皆の視線が集まった。
意味が分からずいると、小屋の人が「この人たちは村山の村山ジャンボを今朝で来たのだよ」と言う。
話を良く聞いてみると彼らは、一昨日田子の浦を出発して、その日は村山浅間神社の近くにある「村山ジャンボ」というスポーツ宿泊施設に泊り。今日の朝そこを出発して6合目に来たらしい。

でもそれでは高校の山岳部が朝2時に出て来たのは何故だろう?これは後でこっそり聞いたのだが、
彼らは当初村山古道を歩く予定だったが、暗くて道が分らず車道を新5合目まで歩いてきたらしい。
そして小屋に1時ごろ着いて昼寝をしていたという。
何故こっそりかは、
高校の山岳部ともあろうものが、原生林の中の夜道は暗いのは当り前で、そんな判断すら出来ないことを少々軽蔑していたようだった。
更に彼らが着ていた揃いのTシャツに「-4mから3776m」とか「富士山が好きです」とかプリントされている。
何故-4mかと聞くと、田子の浦の海岸で海に4m潜ってから登山を開始するのだ言う。
待てよ田子の浦の海岸は海流が早くて遊泳禁止の筈だが、どこで泳ぐつもりなのだろう。
話では波が荒くて潜るのは中止したとか。

彼らは翌朝小屋で朝食をとり朝3時に出発する予定だとか。朝3時に出てどうするつもりなのだろうか?
山頂でご来光を見るには遅すぎるし、富士宮口からは途中ではご来光は見れない。分っているのかな?
引率者が悪いのか、部員がだらしないのか、何とも問題ありの高校山岳部だった。

お陰で最年長の私が1日で海から6合目まで来たと株が上がってしまった。

話は変わって、
小屋の人に私の帰りのルートを聞かれたので、御殿場口を下って宝永火口を通って富士宮に戻るというと。
「そのルートは最近人気がでてきて プリンスルートと呼んでいる」と言う。
何故プリンスルートかと聞くと、平成20年に皇太子が富士登山した時のルートとか。
だが実際に皇太子の歩いたルートは
富士宮新5合目―宝永火口―御殿場口走りの6合―7.9合赤岩館(泊)だったらしい。
ただこのルートは普通上りでは使わない。宝永火口から御殿場側への登りも大変だが、その後御殿場口の
下山道の砂走りを逆送しなければならない。
今まで何度となく富士登山はしているが、夏の砂走りを登っている登山者は見たことは無い。

このコースはきっと警護の面から登山者が少ない御殿場口を選び、それに少し変化をつけて宝永火口経由にしたのだろう。
中々富士山を知っている人のルート選択だと感心した。
とは言っても物好きな私でも、このコースを登る気はありません。労多くして益少なしだ。

これに関して面白い話を聞いた。
閑古鳥の鳴いている御殿場口の山小屋に少し登山者が戻ったらしい。
特に皇太子の泊った7合9尺赤岩館はウファウファだとか。

更にこんな話も
皇太子の登山の前日、お付の人が小屋の前の石ころを取り除きに来たとか。
マー小屋の人にやらせたのではないから問題はないが、そんな事をやる必要があるのだろうか。
今の天皇陛下が皇太子だったとき浜名湖へ海水浴に来た。その時は前もって白砂を浜に蒔いたとも聞いた。

余り調子に乗って書くと不敬罪で捕まるとこまる。この辺にしておこう。

海から剣が峰へ1日目-3

2011-08-19 11:47:22 | 低山歩き
                     富士宮6合目へ
          
              水ヶ塚の須山口登山道入口(1合目)

13:40発(26.9km)― 水ヶ塚駐車場発
水ヶ塚からの登山道は標識も道も良く整備されていて迷う恐れはない。だが回りは富士山の原生林の中なので暗くなるのは避けたいと思っている。
ここから最初の小屋のある6合目までは約5時間弱を予定しているが、樹林帯は明るい5時半までには抜け出したい。
そんな事を考え出すと、まだ1時半だというのに気分は焦り気味で休憩時間も短めになってしまった。

          
           笹の間の登山道

登山道に入ると道の両側は笹に覆われていた。笹薮を見ると所々に道がある。
しかし地面はしっかり踏み込まれているが、上の笹は生茂ったままだ。多分これが獣道なのだろ。猪などの動物がこの道を利用して縦横無尽に原生林の中を走り回っているのだ。
でも大丈夫です登山道はご覧のように太くハッキリしています。

35分ほど歩いた幕岩分岐の所で休憩している人達が見える。今日最初に会う登山者だ。
私もザックを下ろして挨拶をする。ふと相手のザックを見ると「御殿場市役所観光課」の文字が見えた。
これで一挙に気楽になり、自分も御殿場出身だと話しかけると、5人居た人全員が私の高校の後輩だという事も分った。ただ年代が違うので顔見知りの人はいない。

話をしていくと彼らは定年退職後市役所に臨時雇用で採用され、富士山の登山道をパトロ-ルをしているという。
私が「お金を貰って山を歩けるなら自分もやってみたい」というと家が御殿場ならと残念がってくれた。
パトロールと言っても中々大変で、今もこの上で登山道が崩れていたのでトラロープを張ってきた言う。
でも羨ましいな。私の住む焼津市でもこんな募集がないかしら?

最後に実際歩いている人の声を聞きたいと言われたので
「富士宮8合目から御殿場口の7合8尺の避難小屋に抜ける道が、富士宮側で通行止めにしている。
あの道の途中には静岡県の名前が入った道標もあるのにおかしい」と言ってしまった。
彼らに言ったところで、どうなることでもないとは分ってはいるが言わずにいられなかった。
(でもこの件は昨年もブログに書いたのでこの辺りで止めておきます)

           
            苔むした地面

苔が一面に生え茂りまるで自然版の苔庭を見るような場所がある。去年もこれを見て山梨県側にある青木ヶ腹樹海では、もっと素晴らしいだろうと想像をした。
そして秋に富士山麓道一周で訪れた樹海ではガッカリしてしまった。時季が秋だったせいか樹海の中は茶色になった枯葉に埋め尽くされ、緑の苔は何も見えなかったのだ。
それで再度「花の麓道一周」を考え、春に樹海を訪れる計画を建てたのだが、初回予定していた富士宮の下馬桜の時季を逸してしまい計画自体を中止してしまった。花を求めるウォーキングは時期の設定が難しい。

          
           倒木帯の登山道

倒木帯に入ると日差しが強く暑くてたまらない。景色は見えないが樹林帯の方が涼しくて歩き易い。
倒木帯というと普通なら倒木を跨いたり、倒木の下を潜ったりして体力を消耗する所だが、ここの倒木帯は違う。
登山道には1本の倒木も無いので快調に歩ける。陽射しが注ぐので樹林帯とは違い草や花が顔を出している。
今日のような真夏で猛暑の日は陽射しが恨めしいが、普段なら暖かくのんびりした楽しい道になるのだろう。

          
           トラロープが張られた崩壊部分

前の方にトラロープが張られている場所がある。あそこがさっきパトロールに人が言っていた崩壊部分だろう。
雪解け水で柔らかい火山灰の登山道が流され深く掘られている。結構広い部分が崩れているので使われている杭やロープも多い。さっき気楽に「羨ましい」などと言ってしまった事を反省した。彼らのような人のお陰でこうして山を歩く事が出来るのだ。
それにしても火山灰の道は壊れやすいが作るには簡単だ。危険ヶ所を通行止めにすれば、その横はすぐ道になってしまう。
いやだからこそ道を整備しないと辺り一面踏み跡になり草花が絶え、ガスった日などは道を見失う恐れも出てくるのだろう。

          
           樅の木の間の登山道

オット今度は樅の間の細い登山道だ。半袖の腕痛いだろうか?と心配したが、どうと言う事はなかった。
木も若木で葉の先も黄緑色の新芽で柔らかかった。
ただ、今はこんな状態で歩けるが、樅が生長したらどうなるのだろう?

時折見える富士山の頂は、まだまだ遠く高く、とても目標にする気にもなれない。
逆にチラリと見えた宝永山は、近くて高くて絶壁のようにそそり立って見えてた。
「エーあそこへ登る?」と一気に落込んでしまった時もあった。

          
          3合目御殿庭

3合目の御殿庭に着いた。この辺りは背の低い樅や岳樺が庭園のように生えているので御殿庭と呼ぶらしい。
秋には紅葉が綺麗らしいが一度も来ていないので今年は来てみようか。
その時は当然、海からでなく水ヶ塚か5合目からにしますけどね。
奥の白い杭は村山修験者が修行をした場所と書かれていました。

アッあれは何だ! 雷鳥ではないだろうか? 体つきは鳩ぐらいだがもっと丸みがある。羽根は白っぽいのと黒っぽいのと斑になっている。
私に気が付いたのか鳴声もたてずに飛んでいってしまった。
イヤーあれは確かに雷鳥だ。しかし富士山の雷鳥は北アルプスから移住させたが、根絶えてしまったと聞いている。
気になったのでネットで調べてみると。
昭和35年に雷鳥を北アルプスから移住させたが失敗に終った、というのが定説のようだ。
とするとあれは雷鳥ではなかったのだろう。でも若しあれが雷鳥で写真を撮っておけば大スクープだったのに惜しい事をした。

  
 木の枝から落ちた苔?          火山灰にへばりついて咲く花

長野県などの山岳道路を車で走っていくとき、岳樺などの高木の下枝に糸状の苔がブル下がっているのを見かけるが、ここのはどうしたのだろうか、その糸状の苔が枝から落ちて地面に広がっている。
去年歩いたときは木の枝にブル下がっていたような気がするが?これも勘違いないなのだろうか。

火山灰の斜面に張り付くように咲いている花があった。これも名前が分らない。

16:50着(30.2km)―3.5合(森林限界地)―17:00発
フーやっと森林限界地に着いた。下界は雲海で見えないが宝永山や山頂はガスで包まれるもの時折見えてくる。
これで目標の明るいうちに樹林帯を抜け出す事は出来た。今日の宿泊地6合目までは、左の宝永山の火口に沿って登っていけばよい。焦る事はない。もう日が暮れようが真夜中になろうが道も獣も心配ない。これで下界が見えれば大満足なのだが。

実は今日の行程の中で一番大変な場所はこれから始まる。
歩き出すとさっそく始まる宝永山特有の火山灰の上り坂には泣かされた。1歩登って半歩下がるの繰り返しで、急いでいるわけではないのに動悸が激しくなる。直登を止め斜めに電光系に登ったり、大きめな石に足を乗せたりしたが「ズルズルズル」と下がってしまう。

 
 山頂ははるか彼方                山体変動観測装置と宝永山

先程恐怖を感じた宝永山の全容が見えてきた。あのそそり立つように見えたのは御殿場口側にある宝永山の先端で、今回は登る予定にはなっていない。
「アー良かった」と思ったものの「ズルズルズル」は一向に治まってくれない。山体変動観測装置の機器に横に来て、やっと登りが緩くなり「ズルズルズル」が終った。
あとは宝永山火口底への入口を過ぎれば、今日の宿泊地富士宮新6合目はすぐそこだ。

この時間になっても宝永山の底に人影が見える。御殿場側から来た人なのか、それとも火口見物の人なのか分らない。
長く延びた火口壁の影が火口の中を暗くしている。更に第1火口の先の雲海には影富士も映っている。
焦りも無く、緩くなった道をゆっくり歩いて18時丁度に富士の宮口6合目の山小屋に到着。

今日の行程は朝5時の日の出の頃に歩き始めて、日暮れ時の6時着。13時間の行程だった。
樹林帯を暗くなる前に抜け出す事もでき、小屋にも明るいうちに着く事ができた。が私にとっては目一杯過ぎて、追われるように先を急がなければならなかった。とても風景を楽しむながら歩く余裕は無かった。
マー反省は全て終ってからすることにしよう。
明日は剣ヶ峰に登りお鉢巡りもしたいと思っているので、今晩はグッスリ寝て英気を養おう。
ソー生ビールの1杯も飲んで-----