駅からウォーク
「湖北五山と神々の里ウォーク」
金指駅 ― 宝林寺 ― 実相寺 ― 龍潭寺 ― 井伊谷宮 ― 天白磐座遺跡 ― 方広寺
8:40 8:50 9:20 9:55 10:20 10:35 12:00
0k 1.3k 3.0k 5.1k 5.8k 6.8k 13k
― 風越峠 ― 只木遺跡 ― 大福寺 ― 摩訶耶寺 ― 浜名惣社 ― 三ヶ日駅
13:30 14:10 14:50 1520 15:40 16:00
18.5k 21.5k 25.2k 26.5k 27.4k 28.6k
4、摩訶耶寺から浜名惣社と三ケ日へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/06/6d45845da66754a996e5f54eccf8effb.jpg)
◎道案内
浜名惣社へ
①摩訶耶寺を出て先ほど来た道を南西の方に進む。
②右に菓子の製造会社(グリコ?)の前に神社の看板があるので、そこから入る。
三ヶ日駅へ
①浜名惣社の鳥居を潜り南西に行くと別所街道と出会うので左折する。
右を見るとコンビニや県道が見える。
②古い大きな店の前を通り過ぎると信号のある四辻交差点になる。
浜松行きのバスはこの交差点を左折すると三ケ日バス停がある。
天浜線三ヶ日駅は交差点を直進する。
③信号のある西天王町の交差点を左折して、次の角を右に曲れば駅に出る。
◎道中記
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/e7/06887077d980746c4adb0b5948e4d30a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/6e/fdc3b0de99c96974bb7e547ec61241e7.jpg)
神社パンフレットより
浜名惣社神明宮本殿の説明をそのまま書くと
「切妻造・茅葺の神明造建物である。厚板を立てて井桁に組み上げた壁をもつ板倉造の建物で、
屋根には神明造の特色のある千本(ちぎ)と鰹魚木(かつおぎ)がのり、妻は外側につく棟特柱で
支えれている」そうです。
難しい事は分らないが、古色蒼然とした階段の上にある社は、さすが国指定の文化財の雰囲気を
もっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/d4/c5a77b0f65907e4845cb979e87c4ed72.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/18/a252ffcadb7d345bf658205f6e24a432.jpg)
本殿階段の下には「天羽槌雄命社」(あめのはづちをのみことしゃ)と立札があり、養蚕や機織の
神様だと書いてある。機織の神様というと去年駿河一国33観音巡りで歩いたとき、富士宮の神社も
たしか機織や製紙の神様を祀ってあったはずだ。
調べてみると富士宮の倭文神社では織物や製紙の神である健羽雷神を奉っていた。
養蚕や機織と織物や製紙と表現は少し違うが同じような物だと思うが、奉ってある神様は天羽槌雄命と
健羽雷神と違っている。果たしてどちらの神様の方がご利益はあったか。
現在井の国といわれたこの奥浜名地方で繊維や製紙産業があるとは聞いた事がない。
一方雷神が居た富士郡は、今でも製紙産業が栄えている。
となると倭文神社の健羽雷神の方がご利益があったという事になるのかな。
灯篭の立並ぶ境内から拝殿を眺めると、その屋根の後ろには神々しい本殿が見えていて、何とも
云えない雰囲気を醸し出している。境内の入口には常夜灯の鞘堂が建っているが、その鞘堂も見事な
造りだった。東海道を歩いて鞘堂は何ヶ所も見たが、その中で「竜灯」と名付けられていた磐田の
鞘堂もあったが、そのどれよりも立派だと思う。なにせ、この鞘堂の屋根には鯱が乗っていた。
奥浜名に、こんな立派な神社があるとは知らなかったし、浜名惣社の名前も聞いた事が無かった。
まだまだ私は歩き足りないという事だろう。もっと歩かなければ。
境内の入口に立っていた神社の縁起書に嬉しい事が書いてあった。
「三種の神器を奉じて大和の国より伊賀・伊勢・美濃・尾張の地を経て御鎮座の地を定めよとの
思召しによって太田命の御先導で御船にてこの地に行幸になられて四十余日御行宮の後、
更に御神託によって勢州渡会の五十鈴川の辺に移御なされた」と書いてある。
そう私の空想どおり昔の浜名湖は湾だったのだ。だから三種の神器の一行も舟でこの地(三ケ日)
に着いたのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/b4/fc81afbd6a3b3baab1c399c6de67383f.jpg)
道案内で別所街道を左折すると書いたが、別所街道の別所とはどこにあるのだろうか?
まさか信州の別所温泉に続く街道なのか?まさかな。
YAHOOの地図で三ケ日から北に向かって辿ってみました。
三ケ日―宇利峠―新城―長篠―大野―湯谷温泉―東栄町―新野峠まで続き、そこからは
遠州街道と名前を変えて更に北に続いています。だが途中に別所と書かれた地名は見当ら
なかったので、今度は地図ではなく別所街道を検索すると、こんな表現をしたブログが
引っ掛かった。
「別所街道は、愛知県豊橋市から東栄町(昔の別所)までを結ぶ道です」
次に三ケ日から南の方向に地図を辿ろうとすると、別所街道の表示は三ケ日バス停の
あった三ケ日四辻の交差点で終っていた。
それでは遠江の別所街道は三ケ日から東栄町に続く街道だったのだろう。
街道の名前は行き先が同じなら出発地が違っても街道の名前は同じになるのだろ。
ただ気になったのはYAHOOの地図では豊橋から東栄町に行く道は伊那街道になっていた。
三ケ日の町に入り少し行くと左に古くて頑丈そうで大きな建物があった。現在その建物には
3軒ほどの店が入っているが昔は何の商売だったのだろう。2階を見ると旅籠だったような
感じもするが分らない。
こんな東海道から離れた片田舎にしては立派過ぎる程の商家だった。
昔、三ケ日が繁栄していた頃の名残を残しているようだ。
三ヶ日駅に16時ゴール。
今回の歩きは思いのほか楽しかった。奥浜名のこの辺りを井の国と呼ぶ事も初めて知ったし、
その井の国に見るべき物が沢山ある事も分った。今日は湖北五山をメインにしたが他にも
銅鐸の谷や古墳めぐり、幡教寺廃寺跡を初めとした廃寺跡散策。更には南北朝時代の古城跡
も幾つかある。そして極めつけは木喰上人の微笑仏まであるとなると、これで終りには出来ない。
ヨシ!この秋には「井の国彷徨」とでもして、何回かこの地を歩いてみよう。
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今回歩いたコースを私の所属する掛川歩こう会の例会で歩く予定です。
実施日はH23年7月24日(日) 集合は天浜線金指駅 8時40分です
コースは今回紹介した所を寄る予定ですが、拝観料を支払う場所に入る時間はありません。
詳しい事は7月になったら掛川歩こう会のHPで確認してください。
「湖北五山と神々の里ウォーク」
金指駅 ― 宝林寺 ― 実相寺 ― 龍潭寺 ― 井伊谷宮 ― 天白磐座遺跡 ― 方広寺
8:40 8:50 9:20 9:55 10:20 10:35 12:00
0k 1.3k 3.0k 5.1k 5.8k 6.8k 13k
― 風越峠 ― 只木遺跡 ― 大福寺 ― 摩訶耶寺 ― 浜名惣社 ― 三ヶ日駅
13:30 14:10 14:50 1520 15:40 16:00
18.5k 21.5k 25.2k 26.5k 27.4k 28.6k
4、摩訶耶寺から浜名惣社と三ケ日へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/06/6d45845da66754a996e5f54eccf8effb.jpg)
◎道案内
浜名惣社へ
①摩訶耶寺を出て先ほど来た道を南西の方に進む。
②右に菓子の製造会社(グリコ?)の前に神社の看板があるので、そこから入る。
三ヶ日駅へ
①浜名惣社の鳥居を潜り南西に行くと別所街道と出会うので左折する。
右を見るとコンビニや県道が見える。
②古い大きな店の前を通り過ぎると信号のある四辻交差点になる。
浜松行きのバスはこの交差点を左折すると三ケ日バス停がある。
天浜線三ヶ日駅は交差点を直進する。
③信号のある西天王町の交差点を左折して、次の角を右に曲れば駅に出る。
◎道中記
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/8d/c606f2ec1134d6dce69505b586c95316.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/e7/06887077d980746c4adb0b5948e4d30a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/6e/fdc3b0de99c96974bb7e547ec61241e7.jpg)
神社パンフレットより
浜名惣社神明宮本殿の説明をそのまま書くと
「切妻造・茅葺の神明造建物である。厚板を立てて井桁に組み上げた壁をもつ板倉造の建物で、
屋根には神明造の特色のある千本(ちぎ)と鰹魚木(かつおぎ)がのり、妻は外側につく棟特柱で
支えれている」そうです。
難しい事は分らないが、古色蒼然とした階段の上にある社は、さすが国指定の文化財の雰囲気を
もっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/d4/c5a77b0f65907e4845cb979e87c4ed72.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/18/a252ffcadb7d345bf658205f6e24a432.jpg)
本殿階段の下には「天羽槌雄命社」(あめのはづちをのみことしゃ)と立札があり、養蚕や機織の
神様だと書いてある。機織の神様というと去年駿河一国33観音巡りで歩いたとき、富士宮の神社も
たしか機織や製紙の神様を祀ってあったはずだ。
調べてみると富士宮の倭文神社では織物や製紙の神である健羽雷神を奉っていた。
養蚕や機織と織物や製紙と表現は少し違うが同じような物だと思うが、奉ってある神様は天羽槌雄命と
健羽雷神と違っている。果たしてどちらの神様の方がご利益はあったか。
現在井の国といわれたこの奥浜名地方で繊維や製紙産業があるとは聞いた事がない。
一方雷神が居た富士郡は、今でも製紙産業が栄えている。
となると倭文神社の健羽雷神の方がご利益があったという事になるのかな。
灯篭の立並ぶ境内から拝殿を眺めると、その屋根の後ろには神々しい本殿が見えていて、何とも
云えない雰囲気を醸し出している。境内の入口には常夜灯の鞘堂が建っているが、その鞘堂も見事な
造りだった。東海道を歩いて鞘堂は何ヶ所も見たが、その中で「竜灯」と名付けられていた磐田の
鞘堂もあったが、そのどれよりも立派だと思う。なにせ、この鞘堂の屋根には鯱が乗っていた。
奥浜名に、こんな立派な神社があるとは知らなかったし、浜名惣社の名前も聞いた事が無かった。
まだまだ私は歩き足りないという事だろう。もっと歩かなければ。
境内の入口に立っていた神社の縁起書に嬉しい事が書いてあった。
「三種の神器を奉じて大和の国より伊賀・伊勢・美濃・尾張の地を経て御鎮座の地を定めよとの
思召しによって太田命の御先導で御船にてこの地に行幸になられて四十余日御行宮の後、
更に御神託によって勢州渡会の五十鈴川の辺に移御なされた」と書いてある。
そう私の空想どおり昔の浜名湖は湾だったのだ。だから三種の神器の一行も舟でこの地(三ケ日)
に着いたのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/b4/fc81afbd6a3b3baab1c399c6de67383f.jpg)
道案内で別所街道を左折すると書いたが、別所街道の別所とはどこにあるのだろうか?
まさか信州の別所温泉に続く街道なのか?まさかな。
YAHOOの地図で三ケ日から北に向かって辿ってみました。
三ケ日―宇利峠―新城―長篠―大野―湯谷温泉―東栄町―新野峠まで続き、そこからは
遠州街道と名前を変えて更に北に続いています。だが途中に別所と書かれた地名は見当ら
なかったので、今度は地図ではなく別所街道を検索すると、こんな表現をしたブログが
引っ掛かった。
「別所街道は、愛知県豊橋市から東栄町(昔の別所)までを結ぶ道です」
次に三ケ日から南の方向に地図を辿ろうとすると、別所街道の表示は三ケ日バス停の
あった三ケ日四辻の交差点で終っていた。
それでは遠江の別所街道は三ケ日から東栄町に続く街道だったのだろう。
街道の名前は行き先が同じなら出発地が違っても街道の名前は同じになるのだろ。
ただ気になったのはYAHOOの地図では豊橋から東栄町に行く道は伊那街道になっていた。
三ケ日の町に入り少し行くと左に古くて頑丈そうで大きな建物があった。現在その建物には
3軒ほどの店が入っているが昔は何の商売だったのだろう。2階を見ると旅籠だったような
感じもするが分らない。
こんな東海道から離れた片田舎にしては立派過ぎる程の商家だった。
昔、三ケ日が繁栄していた頃の名残を残しているようだ。
三ヶ日駅に16時ゴール。
今回の歩きは思いのほか楽しかった。奥浜名のこの辺りを井の国と呼ぶ事も初めて知ったし、
その井の国に見るべき物が沢山ある事も分った。今日は湖北五山をメインにしたが他にも
銅鐸の谷や古墳めぐり、幡教寺廃寺跡を初めとした廃寺跡散策。更には南北朝時代の古城跡
も幾つかある。そして極めつけは木喰上人の微笑仏まであるとなると、これで終りには出来ない。
ヨシ!この秋には「井の国彷徨」とでもして、何回かこの地を歩いてみよう。
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今回歩いたコースを私の所属する掛川歩こう会の例会で歩く予定です。
実施日はH23年7月24日(日) 集合は天浜線金指駅 8時40分です
コースは今回紹介した所を寄る予定ですが、拝観料を支払う場所に入る時間はありません。
詳しい事は7月になったら掛川歩こう会のHPで確認してください。