はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

知多四国27番誓海寺

2015-10-21 10:00:00 | 低山歩き
歩行記録                                                         H27-8-12(水)
歩行時間:5時間40分   休憩時間:2時間00分   延時間:7時間40分
出発時刻:8時30分     到着時刻:16時10分
歩  数: 36、270歩(推定距離27.2km)    GPS距離24.4km
行程表
武豊駅 0:15> 24番 0:35> 25番 0:40> 開山 0:30> 番外 0:20> 26番 0:50> 27番 ・ 開山 0:55> 28番 0:45>
 29番 0:45> 34番・31番・32番・30番 0:05> 大井BS 

                       27番 誓海寺 ・ 開山 禅林堂(幻の南セントレア町)

 
             誓海寺山門                                    千手観音・聖観音

 26番から27番誓海寺(せいかいじ)へは、一度国道247まで戻ったら、河和駅の横を通り抜ける国道を南下する。
河和駅の近くには役場があるせいか、今朝電車を下りた武豊駅より賑やかで、国道沿いには商店や民家が建ち並んでいた。
 この美浜町は平成の大合併で隣の南知多町と合併し、町名を 「南セントレア町」 とすると発表したが抗議が殺到。そのため
住民投票を行った結果 “合併拒否” が過半数を占めてしまい、結局合併そのものも白紙に戻り全国で有名になった事がある。

 片仮名の町名といえば北海道の 「ニセコ町」 が有名だが、ニセコはアイヌ語で漢字表記そのものが無いのだから片仮名表
記は当然だと思う。
一方山梨県にある 「南アルプス市」 の片仮名の市名は余り好きではない。確かに南アルプスの最高峰北岳は南アルプス市に
属しているが、南アルプス自体はもっと広大で、人気のある赤石岳や聖岳は山梨県さえも接していない。
そのため新市名を発表すると全国から抗議が集まり、住民投票を求める声もあがったが、結局そのまま南アルプスしになった
経緯がある。

 こんな事を想像してみてください。北アルプスの最高峰奥穂岳は、かって長野県安曇野村と岐阜県上宝村の境界だった。
それをどちらか一方の村が 「北アルプス村」 と名乗ったらどうでしょう。きっと抗議をする人は多いでしょうし、不自然に思う人は
もっと多いでしょう。でも幸いな事に現在はどちらも高山市と松本市に合併したので、そんな不安はなくなっていますが。

 おっとまた脱線をしてしまった。話を元に戻し、河和駅前の信号を左折して国道を暫く南下したあと、山側の道に入ると民家は
少なくなった。そろそろ昼飯を食べたいのだ適当な場所がない。このまま歩くとガス欠を起こしかねない。
何しろ朝飯を4時半に食べているので、既に7時間以上経っている。あれこれ昼飯場所を品定めをしながら歩き、結局峠のような
場所の道の脇に座り込み昼飯を食べた。

 そこから誓海寺入口までは下り坂で楽に歩く事ができた。途中に何故こんな田舎にと思うよな九條の信号を右折して南知多
道路のガードを潜った所に誓海寺の入口はあった。

 四足門の立派な山門があるが、左右が開けているので門があるというより、門を置いてあるといった感じに見える。
その山門の奥には一対の金色の観音像が立っていた。

 
            27番と開山堂の分岐                              弘法堂と本堂

 ここは27番誓海寺と開山所の禅林寺の二つの札所が同じ敷地内にあるので、先ず誓海寺に弘法堂をお詣りした。
お堂の中は 「南無弘法大師」 の提灯が下った祭壇と、「愛染明王尊」 の提灯の祭壇があった。この愛染明王像は弘法大師作と
伝えられているが所謂 「伝弘法大師作」 なのだろう。

 
                 禅林堂                                 山門越しに南知多道路

 弘法堂の隣のお堂が禅林堂で、そのまま横に行く事ができた。お堂の額には 「新四国開創者 禅林堂」 とあり、このお堂は
知多四国霊場 開創に協力した二人行者の一人、岡戸半蔵行者を祀ったお堂だった。お堂の中の祭壇には、杖を持った僧形の
像が安置してあり、これが半蔵行者なのだろう。
 ここでは二つの朱印を同時に押して貰ったが、禅林堂の朱印は 「禅林行者」 となっていた。同じ岡戸半蔵を祀ってあった14番
興昌寺では 「半蔵行者」 と呼んでいたが呼名が変わってしまった。

 この札所は元々は海の近くにあったが、 第2次世界大戦の時、河和海軍航空隊の施設建設のため村ごとこの地区へ(強制)
移住させられたという。その施設跡に行くと、今でも水上機を海に移動するためのスリップ(滑り台)等が残っているという。
地図で海軍航空隊の施設があった辺りを探すと、どこもかしこも 「古布(こう)」 の地名ばかりで、海の近くは大字古布字屋敷で
札所の字は膳切、海に向かって九條、砂行、大坪、溝相と続いていた。大字古布の下にある字の数は14カ所もあった。

 山門を庫裏の方から眺めると後ろの南知多道路が見えていた。
                                    26番から27番誓海寺への道