はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

高草山・北のピークへ2

2013-01-21 10:07:53 | 低山歩き
高草山・北のピークへ2                   歩行月日2013/01/15

歩行時間:7時間40分 休憩時間:0時間30分 延時間:8時間10分
出発時間:8時00分 到着時間:16時10分
歩  数: 28、880歩  GPS距離:17.5km

行程表
 三輪登山口 0:55> 池の平 0:25> 北のピーク 2:10> 本郷入口バス停 0:10> 立石神社 1:10>
 北のピーク 1:00> 高草山 0:40> 法華寺 1:10> 焼津駅

 
              立石神社                  境内社の古毛利神社

 観歩記
静鉄バスの焼津・岡部線の本郷入口から歩き直しをした。途中から岡部の山の辺の道になるのだが
不思議な事にまだ歩いて事がなかった。山辺の道は4回以上は歩いているのだが、そのいずれも
山の辺の道が目的ではなく何かのついでに歩いていたので、去年「志太の微笑仏を訪ねて」で歩いた
ときも、奥まった所の部分は省略してしまっていた。
そして辿りついた立石神社の入口には山辺の道の標識が建っていた。矢張り立石神社も山の辺の道の
コースの一部だったのだ。次回は一度山の辺の道を忠実に歩こうと思う。

立石神社の縁起書を見るが、この神社特有な事は特に書いてなかった。ただ境内の一番奥に鎮座して
いる境内社は「古毛利神社は子守大明神といわれている最古に神社」とあり、まるで言葉遊びをしている
ような神様だった。
北のピークへの道はその古毛利神社の横から延びていた。その道は想像していたよりしっかりした道で、
今は歩く人も少なく手入れはされていないが、かっては大いに利用されていたような登山道だった。
標識やテープ類の目印は少なかったが、迷ったり悩んだりするような場所も無く、また危険を感じるような
所も皆無だった。途中で2回農道を横断し3回目の農道に出た場所が、例の北のピークから降りてきて
最初に農道と合流する場所だった。

ここまでは誰でも歩けそうな道で、前回紹介した鈴木紳弌氏の本には
「以前には本郷から北のピークへ登ってくる道があったが今は無くなっている」とある。
多分ここまでの道が以前の道なのだろう。

  
   林の中の急登              放置茶畑の間の道          竹藪の道

問題はここから北のピークへの登りで、前回下ったときは歩くというより滑って降りた感じだったので
何となく気が進まない。それでも気を取り直して先ほど付けたリボンの登り口から林の中に入って行く。
足を踏ん張るとズルっと下がってしまうが富士山の宝永山を登るよりは楽だった。ここは林の中なので
幹や根に手を掛ける事が出来るのでその分助かる。それに距離が短く20分も掛からず通過できるのも
ありがたい。
その林の中に気になる石垣がある。よく林の中で見かける植林地を平坦にする簡単な石垣ではなく、
城の石垣の様に傾斜も付いた本格的な石垣で、とても素人の業とは思えない。こんな場所に何なん
だろう?昔ここに祭祀場があったのだろうか、イヤ砦かもしれないと空想を膨らますのだが、石垣の
石はそんなに古くは見えない。私の妄想的歴史観をもってしても解釈できなかった。

林が終わると今度は放置された茶畑の間を歩く。前日降った雨がお茶の葉に残っていて冷たくてなら
ない。この道もこのまま放棄しておけば、何年かすれば茶の木が延びて歩く事も出来なくなるだろう。
茶畑が終わると今度は竹藪だ。ここもこのままだと竹の勢いに負けてしまいそうな感がある。
それにしても武石神社から三本目の農道に出合うまでの道と、そこから北のピークまでの道は明らかに
違う。この林の部分は、ともかくピークから農道まで繋がればよいとばかりに作った感じの道だった。

  
          林の中の石垣             南アルプスが見えた

3本目の農道から30分ほどで北のピークへ到着。本郷入口のバス停からなら1時間半で北のピークに
登る事が出来る。三輪登山口から池の平経由で来ても同じ位の時間だが、この道が無いと池の平と
北のピークが往復になってしまう。それでは面白くないので、矢張り高草山-北のピーク-立石神社
の縦走コースの方が魅力的だ。再度鈴木氏の本から引用する。
「北のピークから岡部に抜けられる登山道が出来れば、高草山から縦走もできるし、回遊もでき
この山の魅力は飛躍的に増大するだろう。北のピークには放棄された茶園があるのでここを整備し、
ベンチや木陰などを設けて、登山道を付けたい。岡部町は健康を標榜していることだし、手ごろな
登山コース作りを町にお願いしたい」

北のピークからの景色は県下随一は兎も角「藤枝市内随一の展望台」である事は間違いないのだから
是非とも検討をして欲しい。
そういえば昨年志太の微笑仏を訪ねて歩いたときも、役所に対して「微笑仏まつり」を開催して寺々に
祀られている微笑仏を公開して欲しいと書いた事もある。木喰上人の微笑仏は全国的な人気もあるし
評判を呼ぶと思うのだが・・・・・

そんな他力本願ばかりではいけない。とはいえ登山道造りや整備は私の力では及ばないので、せめて
道案内のリボン付けをしよう。特に目印の少なかった立石神社から3本目の農道までの間は1月中に
取り付る。以上約束します。

 
          四等三角点                 池の平

前回紹介した地中に埋められている三角点です。枯葉を覗いて文字を見えるようにしました。
どうですか「四 三 等」と見えるでしょう。これは横書きの四等の間に、縦書きの三角点の三が見えて
います。
池の平まで戻ってきたがこのまま帰るには余りにも早すぎる。すでに今日の三つの目的は果たしたので
後の予定は無かった。どうしようか考えた末ある事を思い出した。
昨年焼津七福神で花沢の法華寺から上の林道経由で石脇へ歩いたとき焼津市で建てた「高草山」
書かれた古い道標を見た事がある。その先が何処に出るか知らないが、多分あそこだろうと思い当たる
場所があるので、そこから下ってみよう。

 
         花沢の表示はない降口            標識があった山道

場所は高草山から鞍掛峠に向かい下り、そこから登りになる鞍部の所で、丁度左に山頂の電波塔に行く
舗装道路が接近した所である。右側は茶畑でモノレールの出発点になっていて道標も立っている。
そのモノレールに沿って下るののだが勿論道標には花沢の表示は無い。
モノレールは茶畑に沿って左にカーブしているが、道らしき跡は一段下がった所にあった。
下に降りてみると何と立派な道が付いている。しかも北のピークにあった標識も付いていた。これは
きっと岡部の澤口さん付けてくれたのだろうが本当にありがたい。これでこの道は完歩したも同然だ。

何故か既視感を感じる道だった。道の両側が迫上がっていて沢に落葉の積もった感じの道で。
そうだ千葉山の丁仏参道の遍路道がこんな感じだった。他にも遍路道ではこんな感じの道が
多かったが、この道が遍路道? そんな筈は無い。この先は高草山で山頂には高草権現の小さな
社しかない。それにその社に格段のご利益があるとは聞いた事はない。では遍路道ではなかったのか。
それにしても最近は歩く人も無い道なのに歩きやすかった。これで歩く人が増えれば枯れ枝などが
踏まれてもっと歩きやすくなるだろう。近年までは多いに利用されていた道だと思うのだが。

 
        送電線の鉄塔の下に出た             見晴台

鞍掛峠に向かう細い農道に合流した。同じような感じの山道が農道の下に延びている。暫くその山道を
下ると人工物が散らかりだしたと思ったら、ミカン畑と送電線の鉄塔の下に出た。
前に見た風景だ。そうだ焼津七福神のとき歩いた道だ。確かこの鉄塔の横には余り見晴らしの良くない
見晴台があり、法華寺の縁起書を書いた案内板があったはずだ。
確認のため出合った農道を右に行くとその見晴台があった。

でもこの場所は自分の想定していた場所ではない。想定していた焼津市の標識の場所は見晴台より
更に左に行った西の方向になる。標識の場所まで行ってみようか、と思ったが時間はすでに3時に
なり、今から行って不確かな道を登るには遅すぎる。今日はここまでにしよう。
しかし高草山からのハイキングコースで分岐する道は無かったが本当に道があるのだろうか?

  
       法華寺の道標               道標(左うつのや地蔵)    道標(元禄十五年)

鉄塔の下から農道に入ると気分は完全に終盤モードに入ってしまい、のんびりした歩きになって
しまった。こうなると思いは乾杯用の酎ハイをどこで買おうかという事ばかり、困ったものだ。

法華寺の入口の下で、見慣れている古い石の道標を改めて見ているとある事に気が付いた。
「右 日本坂ふちゅう道」これは日本坂峠を通って府中(静岡市)への案内だ。
「左 うつのや地蔵道」とあるのは、旧東海道宇津ノ谷峠下にある坂下地蔵の事だろう。
待てよ! なら今歩いてきた道は坂下地蔵へ行く遍路道ではなかったのか。でも違う、法華寺から
宇津ノ谷に抜けるには鞍掛峠がある。峠道があるのにわざわざ峠より高い所を通って行く訳はない。
でも気になる。あの山道の造りは遍路道のようだったし、かっては良く歩いていた道の感じもした。

  
   青=農道 赤=歩いた道

家に帰り早速国土地理院の地図を見て驚いた。私が下ったと思える道が山道として表示されていた。
しかもその分岐場所の標高は276mで、その等高線を辿って行くと鞍掛峠と同じくらいだ。
ウーン! そうなるとあの道が遍路道だった可能性は大きい。
現在鞍掛峠へは農道とハイキングの登山道が延びているが、農道は最近できたものだろう。
登山道は何時からあったか分からないが遍路道の風情は無い。
ただ峠の名前が鞍掛なのは動力に馬を利用していた頃の峠だったとも思える。
ウーン!分からないな。これでどちらかの道に元禄時代の石仏でも祀ってあれば明確になるのだが
石仏は見かけなかったシ。

ついでに宇津ノ谷の坂下地蔵を調べてみると、こんな話が伝わっていた。
「むかし百姓が云う事を聞かない牛に困っていると、どこからか小僧さんが現われ牛の鼻を取って
声を掛けると、牛は楽々云う事をきいた。どこの小僧かと後をつけると地蔵堂の中に消えていった。
それからはこの地蔵は百姓の手助けをしてくれると「鼻取り地蔵」と呼び農家の信仰が厚くなった」

「むかし百姓の若者が伊勢参りに行きたいが、田圃の稲刈りが残っていて行く事が出来ないでいた。
困った若者は兎も角刈れるだけは刈ろうと、朝早く鎌を手に田に出かけた。
すると不思議なことに、一夜のうちに稲が全部が刈りとられていた。喜んだ若者は早速伊勢参りに
出発すると、親切な旅人と一緒になり無事伊勢参りを済ます事が出来た。若者はこの旅人は何処の
人かと後をつけると地蔵堂の中に消えていった。それからは地蔵の事を「稲刈り地蔵」と名付けて
農家の人達はお詣りをして、願いが叶うと鎌を奉納するようになった」


宇津ノ谷の坂下地蔵が農家の人の信仰を集めていたなら、この辺りの農家の人がお参りに行く
可能性は強い。そのお参りに行く遍路道は果たして鞍掛峠の道だったのか、それとも今日歩いた
道なのか。
いつもなら妄想的歴史観が湧いてくるのだが、今日は決定的歴史観が頭を占領した。
”花沢と宇津ノ谷を結ぶ峠道は今日歩いた道” だと断言したい。

一昨年宇津ノ谷の四つの歴史峠を歩くと勝手に銘打って日本坂峠・蔦の細道・宇津ノ谷峠・明治
トンネルを一挙に越えて事がある。その時は法華寺から宇津ノ谷は鞍掛峠を越えたが、次回歩く
時は、この新しく発見した道を歩いて見よう。そうすれば宇津ノ谷側の状態も分かるだろう。

 
        やきつべの道風口坂              石脇の旗懸石

古くて新しい道を見付けたと、勝手に空想し興奮しながら、やきつべの道を歩く。
風口坂の祠の所には蝋梅の花が満開に咲いていた。これからは増々ウォーキングに良い季節に
なるので嬉しくなってくる。さて次は何処を歩こうか。

高草山・北のピークへ

2013-01-18 10:09:09 | 低山歩き
高草山・北のピークへ                   歩行月日2013/01/15

歩行時間:7時間40分 休憩時間:0時間30分 延時間:8時間10分
出発時間:8時00分 到着時間:16時10分
歩  数: 28、880歩  GPS距離:17.5km

行程表
 三輪登山口 0:55> 池の平 0:25> 北のピーク 2:10> 本郷入口バス停 0:10> 立石神社 1:10>
 北のピーク 1:00> 高草山 0:40> 法華寺 1:10> 焼津駅

 観歩記
前日(14日)東京地方は大雪、なら富士山も当然雪だ。しかも今日は東京も静岡も降水確率ゼロと
きている。それなら前回行った北のピークの眺めも、素晴らしいに違いないと急遽出発する事にした。
ルートはなるべく速く北のピークへ着きたいため、直接北のピークを目指したいのだが北のピークの
正確なルートをまだ把握していない。そのためピークの南側の池の平に登り、そこから北のピークに
行く事にした。

私としては珍しく駅からバスに乗って出発地に。前回歩いた三輪バス停で下車し登山口から出発した。
この三輪登山口からは、途中の時石から富士見峠と池の平へ分岐している。
だが、何故か案内板や道標は一方通行のようになっていて、時石から富士見峠には登り、池の平から
時石は下るようになっている。今は道を覚えたが始めて時石から池の平に歩いた時は、ハイキング
コースが分からず結局農道を登ってしまった事がある。
また富士見峠から三輪に向かった時は、三輪でなく一つ南側の関方登山口に降りてしまった。
その原因は道標の建て方が富士見峠からは登り優先で、池の平からは下り優先に付いているため、
反対方向に歩くと、農道からハイキングコースへの入口が分かりにくいなってしまっている。
今日は時石から一方通行の逆方向の池の平に向かうのだが、果たして道は覚えているか楽しみだ。

 
          時石の案内板と通行禁止の標識          農道の通行禁止の標識

エー何で? 時石の分岐点に池の平方面は「土砂崩れのため 通行禁止」の立札が立っていた。
立札は小さいが基礎はコンクリで固めてある恒久的な立札だ。確かこの先は少し歩けば農道に出る
はずだ。ヨシその農道まで行ってみよう。
5分も歩くと農道に出たが、途中に土砂崩れの形跡は無かった。土砂崩れはこの先なのだろうと、
今登ってきた道の入口を振り返るとなんとそこにも
「土砂崩れのため 通行禁止」の札がガードレールに取り付けてある。
という事は今歩いてきた時石から農道までの間に土砂崩れヶ所があったという事か?
まさかー 土砂崩れの場所もなかったし、修復したような場所もなかった。何故だろうな?
狐に抓まれたようだったが、その後も土砂崩れヶ所は無く無事池の平に到着。(土砂崩れはともかく、
この時石から池の平への道は、一度下りを歩いた事のある人でないと大変だと思います)

 
        北のピークから富士山               北のピークから南アルプス

今日は目印の赤いリボンを持ってきているので、分かり難かったり不安を感じる場所に縛りながら行く。
このような事はめったにやる方ではないが、北のピークを知ってもらうためには道が明確でなければ
歩いて貰えないと準備してきました。

北のピークに着いたのだが……… トホホ…前回よりは良いが今日も景色がはっきりしない。
でも今日も写真を公開しなければ北のピークの展望を疑られてしまう。こんな写真で不本意だが一先ず
アップしておきます。

今日の目的の目的の一番は、北のピークからの写真を撮る事だったが余り満足できなかった。
二番目の目的は前回北のピークから下った農道から武石神社への道を再度探す事。そして三つ目は
若し武石神社への道が見つからないなら、もっと楽にピークから農道へ下る道を探す事だった。
昨夜地図を確認すると北のピークの西側直下まで農道が来ている事が分かったし、ピークには現在も
栽培されている茶畑もあるので必ずその農道に下る道が有る筈だ。


               農道へのモノレールから志太平野

先ずピークから茶畑の西側周囲を回ってみるがそれらしき道はない。次にこの茶畑用のモノレールの
場所に行き、レールに沿って下ってみる。だが傾斜がきつくてとても歩いて下れそうにない。
この農業用のモノレールは少しの傾斜どころか、人が立っては歩けない様な傾斜もレールさえあれば
平気で動いている。なので農道に行けるからと安易にレールの横は歩かない方が良い。
しかもモノレールの横は歩き難いし、レールに触れると赤錆が付いてしまうので始末に悪い道だ。



  
             アンテナの降り口          モノレールの降り口

最初のモノレールの道は諦めて、池の平方面に少し戻り、次の茶畑に出た。またモノレールがあり
下には農道も見えている。よしそれならここを下ってみようとレールに沿って下り始めると、途中には
志太平野の眺めが良い場所もあり中々良い。その場所からモノレールは真っ直ぐ下って行くが
農道との出合いの場所が少し降りにくいので、茶畑の間を右に曲がって下ると容易に農道に出る事が
出来た。更にハイキングコースを池の平方面に行くとTVのアンテナらしき物が立っているので、
そこを下っても同じ場所に下る事が出来る。この道は送電線の点検路で農道には点検路を示す
黄色の標識があった。これで今日の目標の三つ目はクリアできた。

         
         北のピークからのモノレール         ミツバチの箱

農道を右折して、下から北のピークへ直接行く道を探す事にした。
あった!あった!モノレールの終点があったが、これではとても上り下りする事はできそうもない。
隣にある沢は、ほぼ垂直状態だし、例えレールに捕まって歩くにしても無理のようだ。
なら先ほどの道が、この農道から北のピークに行くには最良な道だろう。
農道かハイキングコースまで約5分。そこから北のピークまでも5分程度行ける。
この道なら車で来れば約10分程度で北のピークに登る事が出来る。天気が良く眺めの良い日に
写真を写しに来る事も可能だ。

農道の終点まで行ってみた。途中の道路の法面の上には所々に蜜蜂の巣箱が置いてある。
この巣箱は他の山でも見る事はあるが、高草山周辺は特に多いように感じていた。
その巣箱の設置してある場所の多くは、道路の法面の上とか堰堤の上のなどで、道路の近くが
多いのは点検が楽なためなのか。
今までこの巣箱に触れている人を見た事がないが、どのように蜂蜜を収集するのだろう?
一度見てみたい。
それになんだろう貼紙がしてある。「ハチ巣箱 撤去のお願い この道路の法面は公道敷のため、
私有物の無断設置は禁止されています。平成24年3月31日に撤去をお願いします」
と書いてある。
こんな張り紙は他では見た事がないが、どこからか苦情が出て貼紙をしたのだろうか。
撤去の期限は9ヶ月以上過ぎているが巣箱はまだ残っている。設置者は巣箱を放棄したのか、
それとも巣箱には蜂がいないのか、イヤイヤ貼紙は役所のゼスチャーと甘く見ているのか。

下って来たところから8分ほどで農道の終点に到着。農道の最終部は太くなっているので車で
来たらここでUターンすれば良さそうだ。
次は農道を戻り、更に下って前回北のピークから急斜面を下って出た農道に行って武石神社に
行く道を探してみる。もし道を見付ければ神社まで下って再度北のピークへ登る事にする。だが
道が分からないときは農道を戻ってモノレールの所から北のピークへ戻ろう。どちらにしても
ご苦労な事で好きでなければできない事だ。いや馬鹿でも出来るかもしれないな。

前回北のピークからの道が出合った農道を歩いたのだが、その下って来た場所も分からない。
結局終点まで行ってしまい、また戻る事になってしまった。前回歩いてまだ1週間も経っていない
のに情けない。
終点からの戻りは、谷側より山側を重点的に見ながら歩いて、ようやく合流地点を発見した。

             
                     立石神社への降り口

次は立石神社に下る道を探さなければならない。と今度は簡単に降り口を発見。上からの合流部の
10m程北に行った所に下る道があり、その1m内側に標識があった。分かってみれば何という事は
ないが、これでは初めての人は探しにくい。残っていた赤いリボンを登り口と降り口に縛り付けて
立石神社に向かった。

高草山北尾根縦走2

2013-01-13 11:21:40 | 低山歩き
高草山北尾根縦走2                   歩行月日2013/01/08

歩行時間:8時間00分 休憩時間:1時間05分 延時間:9時間05分
出発時間:7時00分 到着時間:16時05分
歩  数: 37、446歩  GPS距離:22.6km

行程表
 焼津駅 0:30> 簡保下 2:00> 花沢山 1:10> 満観峰 1:10> 高草山 0:40> 北のピーク
 1:40> 神神社> 0:50> 焼津駅


                         高草山北尾根稜線


                   高草山北尾根マップ(赤線山道・青線農道)
 観歩記
慰霊碑と並んだ電波塔の横から北の尾根道は延びている。道の太さなどは特に変わりがないが足への
衝撃が少ない感じがした。これは山道に積もった落葉が、歩く人が少ないので柔らかさを保っている
のだろう。
今日は花沢山から日本坂峠で3人の単独の人と擦違い、更に日本坂から満観峰にかけても、何組もの
人も擦違った。また満観峰の山頂には4組ほどの登山者が休憩をしていたが、元旦の朝の混み具合を
考えれば比較の断ではない。それにして今日は平日なのに登山者が多い。これは穏やかな天気に誘わ
れて来ているのだろうか。
朝下着を含めて6枚来ていた服は、徐々に脱いできて今は3枚になっている。それでも背中はじっとり
汗ばんでくる暑さだ。これで遠くが霞んでいなければ最高なのだが・・・・・

             
                  富士見峠からの富士山

大崩山塊には幾つかの尾根があるが、一番賑わう尾根は満観峰から日本坂峠の尾根だ。逆に
少ない尾根は、徳願寺から宇津ノ谷峠にかけての尾根道だと思う。この北尾根も歩く人は少ない
が、それでもこの先の富士見峠までは時折擦違う事もある。
登山者が少ない理由は、この北尾根も徳願寺の尾根も景色が良くないからだと思う。しかも北尾根は
北に行けば行くほど焼津駅から離れ、舗装路を歩く距離が長くなってしまう。
私自身もこの尾根を歩くのは少ないうえ、歩いても富士見峠を下る事が多い。とはいえ道はしっかり
しているし、標識も他所の尾根には無いような大理石の標識まである。

この北尾根からも南アルプスが見えた場所があったが、笹が成長して視界を塞いでしまっていた。
そうなると景色が見えるのは富士見峠だが、あそこも雑草が生い茂っている可能性が高いとだろうと
思っていたら、峠付近の雑草は下刈りがされていた。でも見えたのは薄い富士山だった。
この富士見峠を西に下れば、岡部の三輪登山口と焼津の関方登山口に抜ける事が出来ます。

 
          池の平が見えた                池の平への標識

木の間から池の平のベンチが見えてきた。ここまでは高草山からの緩い下り勾配の道が続き快調に
歩く事が出来るので、まだ15分しか経っていない。
この池の平を西に下って行くと、先ほどに富士見峠からの道と合流して三輪口に出る事が出来る。
その三輪登山口にある大きなハイキングコースの案内板にも、この池の平がハイキングコースの
北の端で、この先は記載されていない。
多分これが最後の標識だろう。2本立っている標識は、どちらも池の平を指して下山を促していて、
尾根の先を指す標識は無い。でも道は若干雑草が多くなったが、しっかり分かる道が付いている。
ここからは私には初めての道になるので楽しみだ。果たしてどんな道で、どんな景色だろう。

 
            手製の標識              倒木地帯

木の幹の標識が取り付けられている。「←立石神社 高草山→」となっているが、立石神社が何処の
神社なのか分からない。だがその神社に抜けれることは間違いないので、この道を戻らなくて済む
のは嬉しかった。これで一安心だ。
この手製の標識は北のピークまで要所要所に付いていたので安心して歩く事が出来ました。
標識に「澤口さん ありがとう」と書いてある。そうかこの標識も岡部の澤口さんが付けてくれたのか、
澤口さんとは大崩山塊の道の整備をしてくれたり、山頂には登山ノートを設置し、その保管庫まで
建ててくれている。その上、公的な標識の無い徳願寺の尾根から満観峰にかけては、このように
標識を取り付けてくれてあるので安心して歩く事が出来ます。本当にありがとうございます。
更にこのコースは、標識以外にもリボンやテープも取り付けてくれてあるので道に迷う事はない。

ハイキングコース上にも倒木もあるが、歩くのに邪魔な部分は切断してくれてあるので支障なく歩く
事が出来る。これも澤口さんがやってくれたのだろうか、本当にありがたい事だ。
           
  
           後ろには高草山が              国道1号線のバイパス

送電線の鉄塔の所から後ろを振り向くと高草山が見えている。また西の方向には国1のバイパスも
真下に見えてきたので、北のピ-クの近くに来ているだろう。

 
          地中に埋められていた構造物           北のピーク

オヤあれは何だろう? 茶畑の横に四角いコンクリの桝の中に入った大理石が見える。
一見三角点の上の部分に似てるが、このように地中に埋め込まれている三角点など見た事はない。
しかも三角点の近くには必ずある白い杭も見当たらない。
興味を覚えて枯葉を取り除いてみると「四等」の文字が見えてきた。やはり三角点だった。
でもなぜ三角点を地中に入れたのか?考えられるの茶畑の横のため農作業の邪魔にならないように
地中に埋めたとしか考えられない。でもこれはこれでいいアイデアだと思う。古い三角点は表面が
風化してしまい何等かも判断できない物も多い。それをこのようにしておけば落葉などに保護されて
大理石に刻まれた文字はいつまでもはっきり見る事が出来る。と、思ったが矢張りその方法は駄目だ。
ここの様に落葉なら良いが、土や石がが入り込んでしまえば風化はしなくても読む事が出来なくなって
しまう。残念!
整然と刈り込まれている茶畑が出てきた。道かどうか分からないがお茶の木の間を掻き分けるように
して突端に立つと、その北の先には視界を遮るピークは無かった。ここが北のピークでした。

           
                 北のピ-クから富士山

鈴木紳弌氏曰く「ここは県下随一の山の展望台と思う」は置いておくとしても、確かに安倍奥や
南アルプス前衛の山が幾重かになって見える景色は大崩山塊随一だと思う。
鈴木氏は言う「最初にこの場所に立って、眼前に展開する山々の連なりに驚嘆した。白く光った
3千m級の山々が手に取るように近くに見えるし、その前衛になる山達も堂々としていて、近郊の
馴染みの山をその前に配している」
とその感激を連綿と書いている。

こんな素晴らしい景色を遠くが霞んで見える日の写真では「なんだこの程度か」と思われかねない。
今日は写真のアップは止めておこう。その代り近いうちにもう一度ここに来る事にしよう。
でも富士山だけは証拠写真として掲載しておきます。

      
        竹藪の中の道                    農道に合流

ピークからは茶畑の端を北に向かうと竹藪を切り開いた道が付いている。今は季節が冬だから
良いが、これが夏だったらどうだろうか。竹や雑草が延びて道の判別が難しくなりそうだ。
この北のピークは矢張り冬に登るのが適していると思う。

竹藪が終わると今度は急斜面の林の中に入る。道と言えるかどうか、ともかく滑り降りた跡が
あるので、それに沿って下って行く。道標は見当たらなくなったが木に巻いたテープがあるので
道の心配は無かった。

北のピークから15分ほどで農道に合流。普通ならこれで一安心なのだが、今日は徹底的に
北に向かって行ってみようと思っていたので、農道を更に北に向かって登って行った。
だが10分も行かないうちの農道は終わってしまい、その付近を調べたが標識やテープ類は
見当たらない。これで完全に気分は一段落してしまい農道を下る事にした。

 
          下に山辺の道が見える           神神社の三つ鳥居

この高草山の西面は農道がいたる所に出来ているので山道を歩くよりも難しい。兎も角分岐は北の
方角に下っていくと、下に見た事のある風景が出てきた。どうやら岡部の山の辺の道に出たようだ。
結局立石神社の場所は分からなかったが、家に帰り調べてみると下って来た道より更に北の方角に
あった。若しかして最初に農道に合流したとき目印を見落としてしまったのではないか。
そんな疑問も湧いてきたので、近いうちに必ず北のピークに登る事にしよう。
そして北のピークの景色の良さを紹介しよう。

帰りに寄った神神社の三つ鳥居が夕日に照らされて輝いていました。

高草山北尾根縦走1

2013-01-10 10:39:28 | 低山歩き
高草山西尾根縦走1                   歩行月日2013/01/08

歩行時間:8時間00分 休憩時間:1時間05分 延時間:9時間05分
出発時間:7時00分 到着時間:16時05分
歩  数: 37、446歩  GPS距離:22.6km

行程表
 焼津駅 0:30> 簡保下 2:00> 花沢山 1:10> 満観峰 1:10> 高草山 0:40> 北のピーク
 1:40> 神神社> 0:50> 焼津駅

 観歩記
大崩山塊の公的な標識のあるコースは、全コース走破していると自負している私だが、以前から
気になっているピークがある。場所は高草山から北に延びる尾根の最北端のピョコンと飛び出た
ピークだが、道標はそのピークの大分手前の池の平で終わっている。
確かに標識は無かったが、これでは高草山の北尾根は1/3程度しか歩いていない事になってしまう。
国道1号を車で東に向かっていると、そのピークが正面に見えるので気になって仕方無かった。
そんな折、藤枝市在住の鈴木紳弌氏の「高草山・低山の四季博物館」の中に、このピークの事が
書いてあるのを見つけた。
「小高いピークが396mの北のピークである。南に遠く高草山の山頂が見える。北の方向は
素晴らしい景色が展開している。(中略) ここは県下随一の山の展望台と思う。私がこの場所に
立って眼前に展開する山々の連なりに驚嘆した。」
これでは是非とも、このピークに登らなければ
ならないと思いだした。
だがこの様な場所は道はあっても踏み跡は薄く、雑草が生えていると判断が難しくなる。しかも
草の下には今年の干支の動物が潜んでいる恐れもある。更に遠くの景色を眺めるには冬が一番だ。
と言うわけで今年最初の低山歩きは、このピークを目標にしました。


                簡保下から満観峰への稜線

コースは北のピークだけを目指すのでは、余りにも距離が少なすぎる。そこで高草山からの縦走を
考えたが、それでも短い。それならいっそ焼津方面から見える大崩全山を一気に歩いてしまえ、と
簡保の尾根から花沢山に登り、日本坂峠から満観峰に向かう。
満観峰からは正月元旦に歩いた道を鞍掛峠に下り、そこから高草山に出る。


                高草山から北の尾根の稜線

高草山からは北の尾根を富士見峠、池の平と歩くのだが、そこから先はまだ歩いた事がない。
兎も角北のピークまでは尾根伝いに何としてでも行きたい。そして北のピークから道があれば進み、
無ければ池の平に引返そう。

                
                      当目大橋からの日の出

早めの出発にしたので、瀬戸川を跨ぐ当目大橋から日の出を見る事が出来た。橋の少し先は
海なので山の海抜がそのまま標高差になる。最初は449m登り、花沢山に行き、次は147m下り
日本坂峠に出る。簡保下から満観峰まではアップダウンが続く中々大変な尾根歩きになる。
しかも花沢山までの尾根歩きは景色に恵まれず、途中で焼津市街が見える場所は二ヶ所程度で、
海から静岡の海岸が見える場所は一ヶ所しかない。

 
         サッポロビール工場               焼津市街

どうも今日は空気が澄んでいない。遠くの山や近くの焼津市街が霞んで見える。放射冷却で水蒸気が
昇っているのだろうか。これでは満観峰からの富士山や、初めて行く北のピークの景色が心配だ。

 
         日本平                    花沢山山頂からの眺め

日本平や安倍川河口の風力発電の風車は見えたが、駿河湾奥にある富士や沼津は見えていない。
これでは富士山は駄目かもしれない。地元の私でも朝富士山が見える事を確認してから登らなけ
れば、こうして外れになってしまうのだから、スッキリした富士山を見るのは難しい。
どうも昨年途中から富士山に嫌われたのか、中々スッキリした富士山を見れていない。

花沢山は富士山からでも伊豆の山でも、西は小笠山や粟ヶ岳からも見えている山で、本来なら
景色の良い山なのだが、植林とJRの反射板のために景色が塞がれてしまっている。
山頂下の防火帯から少し見えていた焼津の街も、杉の枝が伸びてきて見えなくなってしまった。


 
          静岡市街と富士山              日本坂峠

花沢山から少し北に行った所から、静岡市街と富士山が見える場所がある。
今日は霞んでいたので富士山は諦めていたが何とか見る事が出来た。
日本坂峠付近は一昨年の台風による倒木で、鬱蒼としていた峠が明るい峠に変身してしまった。
おかげで峠から満観峰にかけ所々で富士山が見えるようになったのは怪我の功名か。

     
         戦没者慰霊碑                花沢在郷軍人会の銘

登山道脇の四等三角点のある場所から林の中に入った所に、小さな戦没者の慰霊碑がある。
麓の花沢地区の在郷軍人会が建てたもので、花沢と海の方向に向かって立っている。
正月用の新しい小さなお飾りがあるのを見ると、今でも大事にされているようだ。

 
         満観峰の案内板               満観峰からの富士山

満観峰の山頂に写真付きの案内板が設置されている。金属製の本格的な物ではなく、誰か個人が
建ててくれたようだが、山の名前が入った写真はハッキリしているので非常に見やすい。
同じく山頂にあるコンクリート製の案内板は、この手製の案内板に比べると残念ながら見劣りが
してしまう。作った年代が違うから仕方ないが、もう少し細かい案内が必要だ。

 
         高草山の慰霊碑からの景色           戦没者慰霊塔

高草山は双耳峰で神社がある山頂と、三角点のある山頂に分かれているが、最近は高草山に来ても
神社側山頂に登って、お詣りをするだけで下ってしまっていた。だが今日は三角点の先の北の尾根を
歩くので、そちらに行ってみて驚いた。今までは電波塔の前にベンチはあるが、桜の木が邪魔をして
視界を塞いでいたのが、なんとその桜の木が何本も伐採されていた。視界を確保するため切ったのか、
それとも桜の木が倒れたので切ったのか分からないが、これは喜ばしい事だ。
以前ブログでこの桜の事で悪口を書いてしまった。それは1年の内10日ばかりの花見のために桜を
植えて、残りの350日は折角の景観を塞いでしまっていると。
その所為ではないだろうが、こうして焼津の街が見えればベンチに座る気にもなる。
そうだこの桜を切った空地に「黄スミレ」を植えたらどうだろう。ここから少し下に黄スミレの群生地が
あるが、そこと似たような植生の様に感じるが。

高草山の三角点の前に「ソロモン群島戦没者 無名戦士之碑」がある。ここも桜の木や棕櫚の木を
植えてあって海側を塞いでいる。慰霊碑をここに建てたのはソロモン群島に続く南の海が見えるから
だろう。なのにその海を見え難くしてしまうのは本末転倒だ。
ついでに言うと、慰霊碑に大砲の弾や船の錨を展示してあるのは如何な物か。
特に大砲の弾を置いてある心境が分からない。
さらに言えば「無名戦士」と一括りにされる戦死者も憐れなものだ。一人ひとり親が付けた名前が
あるのに無名戦士では憐れ過ぎる。
沖縄戦の平和の礎や、原爆で亡くなった人の名前を記入する、死没者名簿のように無名で無く
する方法は無かったのか。
どうもここに来ると良くない。先ほど見た花沢地区の慰霊碑に比べてしまい気分が落ち込む。
そう言えばこの慰霊碑には新しい花も、しめ縄も無い。
無名と一括りにされては、お詣りする気にもならないのだろうか。

遠州三山初詣ウォーク2

2013-01-07 17:52:59 | 寺社遍路
遠州三山初詣ウォーク2                   歩行月日2013/01/03

歩行時間:6時間50分 休憩時間:1時間50分 延時間:8時間40分
出発時間:7時30分 到着時間:16時10分
歩  数: 44、542歩  GPS距離:29.8km

行程表
 掛川駅 1:00> 展望台 1:30> 法多山 1:30> 久野城跡 0:30> 可睡斎 0:50>
 油山寺
 1:30> 愛野駅

 観歩記
塩の道で森町の天方城跡に行ったときに「武田信玄は久野弾正忠宗を残し天方城を守らせた。
翌年の徳川勢による天方城攻落の際、久野弾正は必死に防戦したが遂に力尽き甲斐へ逃げ
去ってしまった」
とあった。さらに弾正の事を調べると、久野弾正は元々は久野城主の一族で
久野家一族の政変の結果、天方城に行ったのも分かった。少々長くなるが引用します。

「永禄11年12月、徳川家康は武田軍に駿府を追われた今川氏真が籠っていた掛川城を一気に囲んだ。
一方久野城の久野宗能は今川の恩に報いるために、久野城に籠って徳川軍を迎え撃つことにした。
掛川城を囲む家康にとって久野城は邪魔な存在だが、兵と時間を割くことは得策ではなかった。
そこで家康は使者を宗能のもと送り説得に努めた。
この時期には今川の没落は誰の目にも明らかであいり、宗能は一族存立のため城内の異論を押え
家康に従う決意を固めた。
この頃、武田軍も駿河から遠江へ兵を進めていて、宗能は家康の命に従って武田勢と戦ったが、
対陣中の久野一族の者に武田方からしきりに誘いの手が伸びていた。と同時に掛川城の今川方
からも内通の誘いがあり、久野城内は揺れた。
今川氏真からは、家康を討ち取れば遠江一国を与えると云ってきたので、一族の久野弾正忠宗政は
掛川城の今川勢とともに家康を挟み討ちにすることを進言した。
しかし宗能はこの進言を言下に却下し家康への忠を明確にしたのであった。
弾正忠宗政らは掛川城兵を久野城内に引き入れて宗能を討ち取ることを謀ったが、この謀計は
事前に宗能らの知るところとなり、家康の加勢を得て一挙に反乱者たちを鎮圧する行動に出た。
宗能からの通報を受けた家康は直ち久野城本丸に攻め込み、反乱を鎮圧したのであった。」

この政変で久野弾正忠宗は天方城に落ち延びて武田に味方したのだった。

ここまでは天方城に行ってから調べたのだが、実際に久野城に行けば違う解説もあるかもしれない
と楽しみにしていたのだが -----

 
        久野城跡大手門                  西の丸への登り

久野城は標高34mの独立丘陵を利用して築かれた丘城で、本丸を中心に階段状に曲輪を配して
いるらしいが城音痴の私にはよく分からない。ただ本丸下は自然の崖を利用して石垣がわりにして
あり、これなら攀じ登れないだろうとは思った。ただ案内板の
「当国第一の要害にして、例え何万騎を差し向けても落べくも見えず」は少々誇張だと感じた。
その案内板なのだが、私の期待していた記述は何も書いてなかった。

次は可睡斎に向かう道だが、地図も無く事前調査もしていない。しかし多分大丈夫だ。西の丸の
高台に登り西の方角を見れば工場の高い建物が見える。あの方向に向かえば可睡斎への参道に
出るだろうから、そこを北に行けばよいだけだ。

  
       この岩は何だろう?                 これは何仏?

民家の庭に黒い大きな石をケルンのように積んだ物があった。草や木などの植物は生えていない。
一体何だろう。石を積み上げただけでセメントなどで固定もしてない。地震がくれば崩れてしまい
そうだが、何のために建てたのか? 石を買い、輸送費を払って運搬して、重機で積み上げるにも
金がかかったろうに。訳が分からなった。

可睡斎の門前の庵に二体の木像が安置してあった。私の眼には厳かで貴重な仏像に見えるが、
庵の中でなく廊下に立っているところを見ると、貴重な仏像ではないのかもしれない。
ところでこの仏像は何と言う仏さんなのだろう。向かって左の像は薬壺のような物を持っているので
薬師如来か? 右の像は同じようは容姿だが、手は何も持たず親指と人差し指をで丸を作っている。
二体の像の胸には卍が浮き彫りにされているが、これは何を表しているのだろうか。

城跡の事も仏像も、そして石仏の事も何も知らない自分が情けない。この仏像を見て○○仏と云える
ようになりたいのだが、そんな日は来ないだろう。歩くだけでは知識が付く訳がないのだから。

可睡斎については過去何回か紹介したので今日は三尺坊のお姿の天狗を紹介します。
    
      狛犬ならぬ狛天狗                      〃

総本殿前の階段脇の烏天狗の像は、一匹(?)は八手の葉の扇子を、もう一匹は剣と綱を持って
いて参拝者を睨めつけている姿は中々の迫力です。

   
左の鋭い目つきをした烏天狗と、右の金太郎に長い鼻を突けたような天狗は「奉献濃州小牧宿」
の文字が見える。濃州なら美濃の国で現在の岐阜県になる。
これを見ただけても秋葉信仰が遠州だけでなかった事が理解できる。
真ん中の天狗は異様に長い髭をたくわえ黒い顔をしている。鼻の先が曲がったり、鼻からも髭が
延びていたりしているが、何となく興味を覚える面構えだった。

     

オッ!これが天狗か? 鼻が低いと言うよりも、周りで長い鼻を見ているので鼻が無いように
感じてしまう。おまけに鼻と口の間が広いので何かノッペリした感じがしないでもない。
鼻の下が長いとは、これが助平顔か。

家康が信玄に追われて隠れた「出世六の字穴」に行こうとしたが、奥の院方面は進入禁止に
なっていて行く事が出来なかった

可睡斎から油山寺には千鳥ヶ谷池を経由して山道で行く積りだったのだが、どこで道標を見落と
してしまったのか、気が付いたら油山寺の正面に通じる道に出てしまった。今更戻る気も無く
そのまま油山寺に。これで2・3kmは少なくなってしまっただろう。

 
      油山寺山門                      工事中の油山寺本堂

掛川城の大手門を移築した油山寺の山門は、流石にどっしりとした構えをしている。でも何故か
初詣の人は少なく露店も一軒も出ていない。三山の中で一番人気が無いようだ。
1番人気の可睡斎は厄除け、2番の可睡斎は火伏、3番の油山寺は眼病予防なので初詣客が少ない
のも仕方ないのか。厄除け、火伏なら誰でも関係あるが、眼病では罹った人しか縁が無いのだから。

例年の通り奥の院にお詣りをして、次は「菅谷の横穴古墳」に寄る事にする。
場所は油山寺を背に東側の尾根にあるゴルフ場の中にあったはずだ。道は根拠は無いが太めの
道を左折して尾根に向かい、尾根に出て丁の字の交差点を右の南に向かった。

 
     ゴルフ場の扉                    大岡越前の祖父の墓?

ガク!道は当ったのだが横穴遺跡に通じる金網の門が閉まっていた。確か昨年この遺跡は事前
連絡が必要だとは聞いていたが、まさか本当に鍵が掛かっているとは。ショック
こうなれば諦めるしかない。後は帰るのみ。
永源寺の横を通り、太い道を横断して東名高速の跨線橋を渡ると水道タンクに出た。更に南に
向かう道を進んで行くと見た事のある場所に出た。そうだここは大岡越前守の母方の祖父の墓の
ある場所だ。前回来た時は集団だったので近くで見る事は出来なかったので、今日は墓の前まで
行ってみた。しかし古そうな墓はあったが、どれが大岡越前の祖父の墓か分からない。
これも残寝ながら諦めるしかなかった。

      
      あぶら山道の道標                油山道の道標

「右 あぶら山道」と刻まられた道標が立っていた。まるで散らし仮名で書いたように太い細い
ある洒落た文字で、いつ建てたのか見たが彫られていなかった。雰囲気的には新しい感じだ。
また道標が立っていて、今度は「従是油山道」と、今度は先ほどの道標とは打って変わって
太く力強い書き方だった。この道標には案内があり「文化7年(1810)油山寺道標」となっていた。
どうやら私が歩いてきた道は、掛川歩面からの油山寺の参道のようだ。

道は国道1号のバイパスに出たが、ここからどうしよう? 掛川駅に行くか、それとも近くに
ある愛野駅に向かうか。時刻は3時50分でまだ十分明るいが、掛川駅にはここから1時間以上
かかるだろう。そうなると駅到着は5時過ぎになってしまう。風は強くて寒いウーンどうしよう
少しでも弱気になると後は脆い。掛川は諦め愛野に向かう事にした。
不思議な事に、冷たい風の吹き抜ける逆川の土手を、風に向かって歩くのも何故か楽しかった。
まさか乾杯の時間が早まって嬉しいのか、いやそうではなく今日も一日無事歩けた事が嬉しく
感じたのだ。
今年一年も無事歩けますように。

          

遠州三山初詣ウォーク1

2013-01-04 13:18:59 | 寺社遍路
遠州三山初詣ウォーク1                   歩行月日2013/01/03

歩行時間:6時間50分 休憩時間:1時間50分 延時間:8時間40分
出発時間:7時30分 到着時間:16時10分
歩  数: 44、542歩  GPS距離:29.8km

行程表
 掛川駅 1:00> 展望台 1:30> 法多山 1:30> 久野城跡 0:30> 可睡斎 0:50>
 油山寺
 1:30> 愛野駅

 観歩記
今年の初詣コースは小笠山の138°展望台に新しい展望案内板が建ったと聞いたので、その案内板を
見ながら尾根伝いに法多山に向かう事にした。
朝7時半遠州の空っ風が吹き抜ける中を西に向かって歩くのは辛い。元旦の初日の出の時より寒さが
身に染みる。そんな風も富士見霊園を過ぎ、道が林の中に入ると弱まった感がした。


                      138°展望台から掛川方面の眺め

小笠山の138°展望台は〝日本の真ん中展望台”として東経138°の位置にあり、東は牧の原台地から
西の袋井にかけて180度いや200度以上の展望が開けている。東には初日の出で登った大崩山塊、
その手前には、歩き納めで歩いた火剣山や小夜の中山辺りも見えている。今日は薄ボンヤリながら
富士山も見えていた。そしてその横には粟ヶ岳も。
更に視線を西に向ければ、塩の道で歩いた秋葉山も有る筈なのだが、何故か山名が載っていない。
周りの山に隠されているのか? ここで見えないのだから低い場所にある掛川市内の秋葉山遥拝所
から見える筈もない。

 
       日本の真ん中展望台案内図                  掛川城拡大

いつもならサラッと景色を見て終わりなのだが、案内図があると興味を惹かれて次々探していくよう
になり、山上の楽しみが倍加する。この案内板を建ててくれた掛川遊歩会に感謝です。そういえば
小笠丘陵のハイキングマップを作成したのもこの遊歩会だったが素晴らしい活動をしていると思う。

 
        この根の下は何もありません              エコパが見えた

正月のたった2日の御馳走と酒浸りの日だたったのに体重は2kgも増えてしまった。今は二日酔い
とは言えないまでも、スッキリした状態ではないが、冷たい風に当たり大分治ってきている。
それが尾根道を西に向かって歩いていると、常に右側から冷たい風が吹き付けて右側ばかりが
冷えてきてしまった。さらに右側は絶壁が時折顔を出してくるので尚更冷えてくるようだった。
お蔭で頭の中も冷えてきて昨日までの酒っ気は完全に抜けた。

 
        奥の院?                   法多山が下に
 
この道を最初に歩いたとき悩みに悩んだ分岐に出た。ここを右に行けば送電塔14号を経て
エコパと法多山の分岐出るのだが、今日は時間も早い事もあり、左の道の様子を見てみる事に。
すると1分も歩かないうちに社が目に付いた。あれは法多山の奥の院か?
立札が古く字は何も読めない。その祠の横には水道のタンクもある。シメタこれなら法多山への
道があるだろうと更に行くと。ナンダ―法多山がすぐ下にあり、初詣の人も見えていた。
余りの近さに拍子抜けの感がしてしまった。
調子づいて更に道を進んだが今度は寺の境内に下りる道が無い。場所は寺の後ろで参拝者の
姿はチラホラしかない。エイ!正月早々申し訳ないが道の無い斜面を降ろしてもらう事に。
斜面の下は2mほどの石垣だったが、石の出っ張りが大きくて容易に下りる事が出来た。
良かったのは良かったのだが、私の一部始終を見ていた親子連れが怪訝な顔をしていた。

 
       ここを降りました                参拝客の行列

今までの送電塔経由の道は30分以上かかっていたのに、この道ならほんの数分で法多山の
本堂まで来る事が出来る。今回は最後の下りで無法な事をしてしまったが、次回は正しい道を
探してみよう。
ジャンパーにリュック姿の私の姿はきっと浮いて見えるだろうと、参拝もソコソコに撤退する。
オッとその前に名物厄除け団子を2箱買って行こう。
車道に入ると憐れ初詣の車の列は延々と繋がっていた。法多山交差点の信号を過ぎ静岡
理工科大学を過ぎても車の列が終わる事はなかった。

 
       愛野公園の三角点               愛野公園の景色と案内板

大分腹が空いたので愛野公園で昼飯を取る事に。公園の高台の途中に今まで気付かなかった
四等三角点が目に付いた。朝立ち寄った138°展望台には三角点は無かったが、その場所より
展望は落ちるここには三角点がある。展望の良い場所に三角点が有る分けではないと分かって
いるがどうも腑に落ちない私がいる。
そうだ三角点と言えば大井川の堤防に15CM位の丸い真鍮が道路に打ってあった。その真鍮には
「三角点 国調」と刻印が打ってあったがあれは何だったのだろう。
チョット調べたが分からなかったが、あれも三角点の一種なのだろうか。

「どまん中ふくろい展望マップ」と名の付いた立派な案内板が建っている。だがご覧のように
その景観の半分は成長してきた植木により隠されてしまっている。何とももったいない事だ、
このまま行くと更に眺めは悪くなってしまいそうだ。

今日のコースの一番の難所の「愛広大橋」差し掛かる。途轍もない強風が西側から吹付ていて、
しっかり歩かないとフラフラしそうになる。片手は帽子を飛ばされないように押さえながら歩く
のだが何しろ冷たい風で体の芯まで冷めてしまった。
ここの風の強いのは何時もの事で、今までこの橋を渡っていて風が無かった覚えがない位だ。

 
        瑠璃の橋の先に久野城の看板が             久野城跡

今年は去年とコースを変えて久野城跡に寄る事にした。久野城跡は昨年一度行った事があるので
地図も調べず持参もしていない。若干心配があったが、油山寺の参道にある瑠璃橋の前方に白い
看板が建っている小山が見えた。字は読めないがあれはきっと「久野城跡」の看板に違いないと、
その小山を目指し進むことに。そして東名高速のガードを潜って右折すると、ピンポーン!
今年は勘が冴えているようだ。広い空地の先に久野城跡はあった。

H24歩行状況

2013-01-02 14:47:51 | ウォーキング
昨年の私の歩行状況を紹介します。

毎月の上旬・中旬・下旬の歩行距離と体重の下限・平均・上限を表したグラフです。
7月上旬と中旬は旅行に出ていたため歩行距離が少なくなりました。10月中旬は掛川3Dを歩いたため
歩行距離が年間最大になると同時に、そのダメージのため体重も減ってしまいました。



この表の赤い表示一つで1kmを表し、歩行距離により増えていきます。
それを四国88カ所の距離に換算して表示してあります。今年は88カ所を3回遍路した距離に相当しました。



日毎の歩行距離と体重の変化を表したグラフです。12月は塩の道のブログが忙しく遠出をしたのは
歩き納めの1回だけでした。後の12km前後の日は大井川の河川敷を歩いていました。

自作の簡単なグラフですが、これを毎日投入する事により反省点や意欲も湧いてきました。特に体重に
関しては、その日のうちに増減理由を把握できるため、対策を打ちやすく効果があったと思います。
因みに昨年の目標距離は1日平均9.5kmの3477kmでしたが、歩行実質は3554kmで目標を達成できました。
目標体重は59.5kgでしたが、残念ながらこちらは59.7kgで目標は達成できませんでした。
今年の目標は去年と同じく「平均歩行距離9.5km 体重59.5kg」を目標にしたいと思います。

   -------------------------------------------------------------------------------
追記:
 この歩行グラフはエクセルで作った簡単な物ですが、使いたい方がおりましたら送付しますので
 連絡をください。
 

謹賀新年

2013-01-01 10:52:37 | 低山歩き


本年も宜しくお願いいたします。

今年の満観峰は風も弱く、暖かで穏やかな初日の出したので、山頂は200人程の登山者で
過去最高の賑わいでした。
ただ日の出の方角は雲が多く初日の出は今一、今二の状態でした。

しかしこの山頂では日の出以外にも素晴らしい景色を見る事が出来ます。