高草山・北のピークへ2 歩行月日2013/01/15
歩行時間:7時間40分 休憩時間:0時間30分 延時間:8時間10分
出発時間:8時00分 到着時間:16時10分
歩 数: 28、880歩 GPS距離:17.5km
行程表
三輪登山口 0:55> 池の平 0:25> 北のピーク 2:10> 本郷入口バス停 0:10> 立石神社 1:10>
北のピーク 1:00> 高草山 0:40> 法華寺 1:10> 焼津駅
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/44/25b977453a577d48489dd21e8a2ed674.jpg)
立石神社 境内社の古毛利神社
観歩記
静鉄バスの焼津・岡部線の本郷入口から歩き直しをした。途中から岡部の山の辺の道になるのだが
不思議な事にまだ歩いて事がなかった。山辺の道は4回以上は歩いているのだが、そのいずれも
山の辺の道が目的ではなく何かのついでに歩いていたので、去年「志太の微笑仏を訪ねて」で歩いた
ときも、奥まった所の部分は省略してしまっていた。
そして辿りついた立石神社の入口には山辺の道の標識が建っていた。矢張り立石神社も山の辺の道の
コースの一部だったのだ。次回は一度山の辺の道を忠実に歩こうと思う。
立石神社の縁起書を見るが、この神社特有な事は特に書いてなかった。ただ境内の一番奥に鎮座して
いる境内社は「古毛利神社は子守大明神といわれている最古に神社」とあり、まるで言葉遊びをしている
ような神様だった。
北のピークへの道はその古毛利神社の横から延びていた。その道は想像していたよりしっかりした道で、
今は歩く人も少なく手入れはされていないが、かっては大いに利用されていたような登山道だった。
標識やテープ類の目印は少なかったが、迷ったり悩んだりするような場所も無く、また危険を感じるような
所も皆無だった。途中で2回農道を横断し3回目の農道に出た場所が、例の北のピークから降りてきて
最初に農道と合流する場所だった。
ここまでは誰でも歩けそうな道で、前回紹介した鈴木紳弌氏の本には
「以前には本郷から北のピークへ登ってくる道があったが今は無くなっている」とある。
多分ここまでの道が以前の道なのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/a2/053c04510784ff1d2a293f4836940c9f.jpg)
林の中の急登 放置茶畑の間の道 竹藪の道
問題はここから北のピークへの登りで、前回下ったときは歩くというより滑って降りた感じだったので
何となく気が進まない。それでも気を取り直して先ほど付けたリボンの登り口から林の中に入って行く。
足を踏ん張るとズルっと下がってしまうが富士山の宝永山を登るよりは楽だった。ここは林の中なので
幹や根に手を掛ける事が出来るのでその分助かる。それに距離が短く20分も掛からず通過できるのも
ありがたい。
その林の中に気になる石垣がある。よく林の中で見かける植林地を平坦にする簡単な石垣ではなく、
城の石垣の様に傾斜も付いた本格的な石垣で、とても素人の業とは思えない。こんな場所に何なん
だろう?昔ここに祭祀場があったのだろうか、イヤ砦かもしれないと空想を膨らますのだが、石垣の
石はそんなに古くは見えない。私の妄想的歴史観をもってしても解釈できなかった。
林が終わると今度は放置された茶畑の間を歩く。前日降った雨がお茶の葉に残っていて冷たくてなら
ない。この道もこのまま放棄しておけば、何年かすれば茶の木が延びて歩く事も出来なくなるだろう。
茶畑が終わると今度は竹藪だ。ここもこのままだと竹の勢いに負けてしまいそうな感がある。
それにしても武石神社から三本目の農道に出合うまでの道と、そこから北のピークまでの道は明らかに
違う。この林の部分は、ともかくピークから農道まで繋がればよいとばかりに作った感じの道だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/00/5b5b249396dda6a2bee8f3a0a9a7214c.jpg)
林の中の石垣 南アルプスが見えた
3本目の農道から30分ほどで北のピークへ到着。本郷入口のバス停からなら1時間半で北のピークに
登る事が出来る。三輪登山口から池の平経由で来ても同じ位の時間だが、この道が無いと池の平と
北のピークが往復になってしまう。それでは面白くないので、矢張り高草山-北のピーク-立石神社
の縦走コースの方が魅力的だ。再度鈴木氏の本から引用する。
「北のピークから岡部に抜けられる登山道が出来れば、高草山から縦走もできるし、回遊もでき
この山の魅力は飛躍的に増大するだろう。北のピークには放棄された茶園があるのでここを整備し、
ベンチや木陰などを設けて、登山道を付けたい。岡部町は健康を標榜していることだし、手ごろな
登山コース作りを町にお願いしたい」
北のピークからの景色は県下随一は兎も角「藤枝市内随一の展望台」である事は間違いないのだから
是非とも検討をして欲しい。
そういえば昨年志太の微笑仏を訪ねて歩いたときも、役所に対して「微笑仏まつり」を開催して寺々に
祀られている微笑仏を公開して欲しいと書いた事もある。木喰上人の微笑仏は全国的な人気もあるし
評判を呼ぶと思うのだが・・・・・
そんな他力本願ばかりではいけない。とはいえ登山道造りや整備は私の力では及ばないので、せめて
道案内のリボン付けをしよう。特に目印の少なかった立石神社から3本目の農道までの間は1月中に
取り付る。以上約束します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/71/6ab6bf1857055d4f84dfb689858e6cec.jpg)
四等三角点 池の平
前回紹介した地中に埋められている三角点です。枯葉を覗いて文字を見えるようにしました。
どうですか「四 三 等」と見えるでしょう。これは横書きの四等の間に、縦書きの三角点の三が見えて
います。
池の平まで戻ってきたがこのまま帰るには余りにも早すぎる。すでに今日の三つの目的は果たしたので
後の予定は無かった。どうしようか考えた末ある事を思い出した。
昨年焼津七福神で花沢の法華寺から上の林道経由で石脇へ歩いたとき焼津市で建てた「高草山」と
書かれた古い道標を見た事がある。その先が何処に出るか知らないが、多分あそこだろうと思い当たる
場所があるので、そこから下ってみよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/9d/081320dce7a7e765fd0ca99916e7b901.jpg)
花沢の表示はない降口 標識があった山道
場所は高草山から鞍掛峠に向かい下り、そこから登りになる鞍部の所で、丁度左に山頂の電波塔に行く
舗装道路が接近した所である。右側は茶畑でモノレールの出発点になっていて道標も立っている。
そのモノレールに沿って下るののだが勿論道標には花沢の表示は無い。
モノレールは茶畑に沿って左にカーブしているが、道らしき跡は一段下がった所にあった。
下に降りてみると何と立派な道が付いている。しかも北のピークにあった標識も付いていた。これは
きっと岡部の澤口さん付けてくれたのだろうが本当にありがたい。これでこの道は完歩したも同然だ。
何故か既視感を感じる道だった。道の両側が迫上がっていて沢に落葉の積もった感じの道で。
そうだ千葉山の丁仏参道の遍路道がこんな感じだった。他にも遍路道ではこんな感じの道が
多かったが、この道が遍路道? そんな筈は無い。この先は高草山で山頂には高草権現の小さな
社しかない。それにその社に格段のご利益があるとは聞いた事はない。では遍路道ではなかったのか。
それにしても最近は歩く人も無い道なのに歩きやすかった。これで歩く人が増えれば枯れ枝などが
踏まれてもっと歩きやすくなるだろう。近年までは多いに利用されていた道だと思うのだが。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/9e/c0579eca391c845722dc6527afffccea.jpg)
送電線の鉄塔の下に出た 見晴台
鞍掛峠に向かう細い農道に合流した。同じような感じの山道が農道の下に延びている。暫くその山道を
下ると人工物が散らかりだしたと思ったら、ミカン畑と送電線の鉄塔の下に出た。
前に見た風景だ。そうだ焼津七福神のとき歩いた道だ。確かこの鉄塔の横には余り見晴らしの良くない
見晴台があり、法華寺の縁起書を書いた案内板があったはずだ。
確認のため出合った農道を右に行くとその見晴台があった。
でもこの場所は自分の想定していた場所ではない。想定していた焼津市の標識の場所は見晴台より
更に左に行った西の方向になる。標識の場所まで行ってみようか、と思ったが時間はすでに3時に
なり、今から行って不確かな道を登るには遅すぎる。今日はここまでにしよう。
しかし高草山からのハイキングコースで分岐する道は無かったが本当に道があるのだろうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/f5/697addda0d68d292516d4454df6a8d96.jpg)
法華寺の道標 道標(左うつのや地蔵) 道標(元禄十五年)
鉄塔の下から農道に入ると気分は完全に終盤モードに入ってしまい、のんびりした歩きになって
しまった。こうなると思いは乾杯用の酎ハイをどこで買おうかという事ばかり、困ったものだ。
法華寺の入口の下で、見慣れている古い石の道標を改めて見ているとある事に気が付いた。
「右 日本坂ふちゅう道」これは日本坂峠を通って府中(静岡市)への案内だ。
「左 うつのや地蔵道」とあるのは、旧東海道宇津ノ谷峠下にある坂下地蔵の事だろう。
待てよ! なら今歩いてきた道は坂下地蔵へ行く遍路道ではなかったのか。でも違う、法華寺から
宇津ノ谷に抜けるには鞍掛峠がある。峠道があるのにわざわざ峠より高い所を通って行く訳はない。
でも気になる。あの山道の造りは遍路道のようだったし、かっては良く歩いていた道の感じもした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/0e/c856ca211af3d141a39160dd5882ed95.jpg)
青=農道 赤=歩いた道
家に帰り早速国土地理院の地図を見て驚いた。私が下ったと思える道が山道として表示されていた。
しかもその分岐場所の標高は276mで、その等高線を辿って行くと鞍掛峠と同じくらいだ。
ウーン! そうなるとあの道が遍路道だった可能性は大きい。
現在鞍掛峠へは農道とハイキングの登山道が延びているが、農道は最近できたものだろう。
登山道は何時からあったか分からないが遍路道の風情は無い。
ただ峠の名前が鞍掛なのは動力に馬を利用していた頃の峠だったとも思える。
ウーン!分からないな。これでどちらかの道に元禄時代の石仏でも祀ってあれば明確になるのだが
石仏は見かけなかったシ。
ついでに宇津ノ谷の坂下地蔵を調べてみると、こんな話が伝わっていた。
「むかし百姓が云う事を聞かない牛に困っていると、どこからか小僧さんが現われ牛の鼻を取って
声を掛けると、牛は楽々云う事をきいた。どこの小僧かと後をつけると地蔵堂の中に消えていった。
それからはこの地蔵は百姓の手助けをしてくれると「鼻取り地蔵」と呼び農家の信仰が厚くなった」
「むかし百姓の若者が伊勢参りに行きたいが、田圃の稲刈りが残っていて行く事が出来ないでいた。
困った若者は兎も角刈れるだけは刈ろうと、朝早く鎌を手に田に出かけた。
すると不思議なことに、一夜のうちに稲が全部が刈りとられていた。喜んだ若者は早速伊勢参りに
出発すると、親切な旅人と一緒になり無事伊勢参りを済ます事が出来た。若者はこの旅人は何処の
人かと後をつけると地蔵堂の中に消えていった。それからは地蔵の事を「稲刈り地蔵」と名付けて
農家の人達はお詣りをして、願いが叶うと鎌を奉納するようになった」
宇津ノ谷の坂下地蔵が農家の人の信仰を集めていたなら、この辺りの農家の人がお参りに行く
可能性は強い。そのお参りに行く遍路道は果たして鞍掛峠の道だったのか、それとも今日歩いた
道なのか。
いつもなら妄想的歴史観が湧いてくるのだが、今日は決定的歴史観が頭を占領した。
”花沢と宇津ノ谷を結ぶ峠道は今日歩いた道” だと断言したい。
一昨年宇津ノ谷の四つの歴史峠を歩くと勝手に銘打って日本坂峠・蔦の細道・宇津ノ谷峠・明治
トンネルを一挙に越えて事がある。その時は法華寺から宇津ノ谷は鞍掛峠を越えたが、次回歩く
時は、この新しく発見した道を歩いて見よう。そうすれば宇津ノ谷側の状態も分かるだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/bf/4ed74685950bf4d77ea0968ce5603437.jpg)
やきつべの道風口坂 石脇の旗懸石
古くて新しい道を見付けたと、勝手に空想し興奮しながら、やきつべの道を歩く。
風口坂の祠の所には蝋梅の花が満開に咲いていた。これからは増々ウォーキングに良い季節に
なるので嬉しくなってくる。さて次は何処を歩こうか。
歩行時間:7時間40分 休憩時間:0時間30分 延時間:8時間10分
出発時間:8時00分 到着時間:16時10分
歩 数: 28、880歩 GPS距離:17.5km
行程表
三輪登山口 0:55> 池の平 0:25> 北のピーク 2:10> 本郷入口バス停 0:10> 立石神社 1:10>
北のピーク 1:00> 高草山 0:40> 法華寺 1:10> 焼津駅
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/08/9d1e7c0c5f087df3ca4d182faf16b7eb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/44/25b977453a577d48489dd21e8a2ed674.jpg)
立石神社 境内社の古毛利神社
観歩記
静鉄バスの焼津・岡部線の本郷入口から歩き直しをした。途中から岡部の山の辺の道になるのだが
不思議な事にまだ歩いて事がなかった。山辺の道は4回以上は歩いているのだが、そのいずれも
山の辺の道が目的ではなく何かのついでに歩いていたので、去年「志太の微笑仏を訪ねて」で歩いた
ときも、奥まった所の部分は省略してしまっていた。
そして辿りついた立石神社の入口には山辺の道の標識が建っていた。矢張り立石神社も山の辺の道の
コースの一部だったのだ。次回は一度山の辺の道を忠実に歩こうと思う。
立石神社の縁起書を見るが、この神社特有な事は特に書いてなかった。ただ境内の一番奥に鎮座して
いる境内社は「古毛利神社は子守大明神といわれている最古に神社」とあり、まるで言葉遊びをしている
ような神様だった。
北のピークへの道はその古毛利神社の横から延びていた。その道は想像していたよりしっかりした道で、
今は歩く人も少なく手入れはされていないが、かっては大いに利用されていたような登山道だった。
標識やテープ類の目印は少なかったが、迷ったり悩んだりするような場所も無く、また危険を感じるような
所も皆無だった。途中で2回農道を横断し3回目の農道に出た場所が、例の北のピークから降りてきて
最初に農道と合流する場所だった。
ここまでは誰でも歩けそうな道で、前回紹介した鈴木紳弌氏の本には
「以前には本郷から北のピークへ登ってくる道があったが今は無くなっている」とある。
多分ここまでの道が以前の道なのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/75/473edf72d98d3a2818c67a1f64f8dc68.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/da/feb6420670dc48aeb8d0865d87d9e340.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/a2/053c04510784ff1d2a293f4836940c9f.jpg)
林の中の急登 放置茶畑の間の道 竹藪の道
問題はここから北のピークへの登りで、前回下ったときは歩くというより滑って降りた感じだったので
何となく気が進まない。それでも気を取り直して先ほど付けたリボンの登り口から林の中に入って行く。
足を踏ん張るとズルっと下がってしまうが富士山の宝永山を登るよりは楽だった。ここは林の中なので
幹や根に手を掛ける事が出来るのでその分助かる。それに距離が短く20分も掛からず通過できるのも
ありがたい。
その林の中に気になる石垣がある。よく林の中で見かける植林地を平坦にする簡単な石垣ではなく、
城の石垣の様に傾斜も付いた本格的な石垣で、とても素人の業とは思えない。こんな場所に何なん
だろう?昔ここに祭祀場があったのだろうか、イヤ砦かもしれないと空想を膨らますのだが、石垣の
石はそんなに古くは見えない。私の妄想的歴史観をもってしても解釈できなかった。
林が終わると今度は放置された茶畑の間を歩く。前日降った雨がお茶の葉に残っていて冷たくてなら
ない。この道もこのまま放棄しておけば、何年かすれば茶の木が延びて歩く事も出来なくなるだろう。
茶畑が終わると今度は竹藪だ。ここもこのままだと竹の勢いに負けてしまいそうな感がある。
それにしても武石神社から三本目の農道に出合うまでの道と、そこから北のピークまでの道は明らかに
違う。この林の部分は、ともかくピークから農道まで繋がればよいとばかりに作った感じの道だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/8b/17806eb8ebd0a7759f3a64ae38d50287.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/00/5b5b249396dda6a2bee8f3a0a9a7214c.jpg)
林の中の石垣 南アルプスが見えた
3本目の農道から30分ほどで北のピークへ到着。本郷入口のバス停からなら1時間半で北のピークに
登る事が出来る。三輪登山口から池の平経由で来ても同じ位の時間だが、この道が無いと池の平と
北のピークが往復になってしまう。それでは面白くないので、矢張り高草山-北のピーク-立石神社
の縦走コースの方が魅力的だ。再度鈴木氏の本から引用する。
「北のピークから岡部に抜けられる登山道が出来れば、高草山から縦走もできるし、回遊もでき
この山の魅力は飛躍的に増大するだろう。北のピークには放棄された茶園があるのでここを整備し、
ベンチや木陰などを設けて、登山道を付けたい。岡部町は健康を標榜していることだし、手ごろな
登山コース作りを町にお願いしたい」
北のピークからの景色は県下随一は兎も角「藤枝市内随一の展望台」である事は間違いないのだから
是非とも検討をして欲しい。
そういえば昨年志太の微笑仏を訪ねて歩いたときも、役所に対して「微笑仏まつり」を開催して寺々に
祀られている微笑仏を公開して欲しいと書いた事もある。木喰上人の微笑仏は全国的な人気もあるし
評判を呼ぶと思うのだが・・・・・
そんな他力本願ばかりではいけない。とはいえ登山道造りや整備は私の力では及ばないので、せめて
道案内のリボン付けをしよう。特に目印の少なかった立石神社から3本目の農道までの間は1月中に
取り付る。以上約束します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/f2/7126a5d0b8c41c9933fbffff2fcfaa3a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/71/6ab6bf1857055d4f84dfb689858e6cec.jpg)
四等三角点 池の平
前回紹介した地中に埋められている三角点です。枯葉を覗いて文字を見えるようにしました。
どうですか「四 三 等」と見えるでしょう。これは横書きの四等の間に、縦書きの三角点の三が見えて
います。
池の平まで戻ってきたがこのまま帰るには余りにも早すぎる。すでに今日の三つの目的は果たしたので
後の予定は無かった。どうしようか考えた末ある事を思い出した。
昨年焼津七福神で花沢の法華寺から上の林道経由で石脇へ歩いたとき焼津市で建てた「高草山」と
書かれた古い道標を見た事がある。その先が何処に出るか知らないが、多分あそこだろうと思い当たる
場所があるので、そこから下ってみよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/eb/55ec04f94ba2dbdcc05fd9d5aab5bda7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/9d/081320dce7a7e765fd0ca99916e7b901.jpg)
花沢の表示はない降口 標識があった山道
場所は高草山から鞍掛峠に向かい下り、そこから登りになる鞍部の所で、丁度左に山頂の電波塔に行く
舗装道路が接近した所である。右側は茶畑でモノレールの出発点になっていて道標も立っている。
そのモノレールに沿って下るののだが勿論道標には花沢の表示は無い。
モノレールは茶畑に沿って左にカーブしているが、道らしき跡は一段下がった所にあった。
下に降りてみると何と立派な道が付いている。しかも北のピークにあった標識も付いていた。これは
きっと岡部の澤口さん付けてくれたのだろうが本当にありがたい。これでこの道は完歩したも同然だ。
何故か既視感を感じる道だった。道の両側が迫上がっていて沢に落葉の積もった感じの道で。
そうだ千葉山の丁仏参道の遍路道がこんな感じだった。他にも遍路道ではこんな感じの道が
多かったが、この道が遍路道? そんな筈は無い。この先は高草山で山頂には高草権現の小さな
社しかない。それにその社に格段のご利益があるとは聞いた事はない。では遍路道ではなかったのか。
それにしても最近は歩く人も無い道なのに歩きやすかった。これで歩く人が増えれば枯れ枝などが
踏まれてもっと歩きやすくなるだろう。近年までは多いに利用されていた道だと思うのだが。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/94/394d2a40ea429fe7d29adf1c231a868d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/9e/c0579eca391c845722dc6527afffccea.jpg)
送電線の鉄塔の下に出た 見晴台
鞍掛峠に向かう細い農道に合流した。同じような感じの山道が農道の下に延びている。暫くその山道を
下ると人工物が散らかりだしたと思ったら、ミカン畑と送電線の鉄塔の下に出た。
前に見た風景だ。そうだ焼津七福神のとき歩いた道だ。確かこの鉄塔の横には余り見晴らしの良くない
見晴台があり、法華寺の縁起書を書いた案内板があったはずだ。
確認のため出合った農道を右に行くとその見晴台があった。
でもこの場所は自分の想定していた場所ではない。想定していた焼津市の標識の場所は見晴台より
更に左に行った西の方向になる。標識の場所まで行ってみようか、と思ったが時間はすでに3時に
なり、今から行って不確かな道を登るには遅すぎる。今日はここまでにしよう。
しかし高草山からのハイキングコースで分岐する道は無かったが本当に道があるのだろうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/45/b2b6aa21b86313adeae507bfb3e65ff7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/49/d531197965151f50083f361c1a27503c.jpg)
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法華寺の道標 道標(左うつのや地蔵) 道標(元禄十五年)
鉄塔の下から農道に入ると気分は完全に終盤モードに入ってしまい、のんびりした歩きになって
しまった。こうなると思いは乾杯用の酎ハイをどこで買おうかという事ばかり、困ったものだ。
法華寺の入口の下で、見慣れている古い石の道標を改めて見ているとある事に気が付いた。
「右 日本坂ふちゅう道」これは日本坂峠を通って府中(静岡市)への案内だ。
「左 うつのや地蔵道」とあるのは、旧東海道宇津ノ谷峠下にある坂下地蔵の事だろう。
待てよ! なら今歩いてきた道は坂下地蔵へ行く遍路道ではなかったのか。でも違う、法華寺から
宇津ノ谷に抜けるには鞍掛峠がある。峠道があるのにわざわざ峠より高い所を通って行く訳はない。
でも気になる。あの山道の造りは遍路道のようだったし、かっては良く歩いていた道の感じもした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/0e/c856ca211af3d141a39160dd5882ed95.jpg)
青=農道 赤=歩いた道
家に帰り早速国土地理院の地図を見て驚いた。私が下ったと思える道が山道として表示されていた。
しかもその分岐場所の標高は276mで、その等高線を辿って行くと鞍掛峠と同じくらいだ。
ウーン! そうなるとあの道が遍路道だった可能性は大きい。
現在鞍掛峠へは農道とハイキングの登山道が延びているが、農道は最近できたものだろう。
登山道は何時からあったか分からないが遍路道の風情は無い。
ただ峠の名前が鞍掛なのは動力に馬を利用していた頃の峠だったとも思える。
ウーン!分からないな。これでどちらかの道に元禄時代の石仏でも祀ってあれば明確になるのだが
石仏は見かけなかったシ。
ついでに宇津ノ谷の坂下地蔵を調べてみると、こんな話が伝わっていた。
「むかし百姓が云う事を聞かない牛に困っていると、どこからか小僧さんが現われ牛の鼻を取って
声を掛けると、牛は楽々云う事をきいた。どこの小僧かと後をつけると地蔵堂の中に消えていった。
それからはこの地蔵は百姓の手助けをしてくれると「鼻取り地蔵」と呼び農家の信仰が厚くなった」
「むかし百姓の若者が伊勢参りに行きたいが、田圃の稲刈りが残っていて行く事が出来ないでいた。
困った若者は兎も角刈れるだけは刈ろうと、朝早く鎌を手に田に出かけた。
すると不思議なことに、一夜のうちに稲が全部が刈りとられていた。喜んだ若者は早速伊勢参りに
出発すると、親切な旅人と一緒になり無事伊勢参りを済ます事が出来た。若者はこの旅人は何処の
人かと後をつけると地蔵堂の中に消えていった。それからは地蔵の事を「稲刈り地蔵」と名付けて
農家の人達はお詣りをして、願いが叶うと鎌を奉納するようになった」
宇津ノ谷の坂下地蔵が農家の人の信仰を集めていたなら、この辺りの農家の人がお参りに行く
可能性は強い。そのお参りに行く遍路道は果たして鞍掛峠の道だったのか、それとも今日歩いた
道なのか。
いつもなら妄想的歴史観が湧いてくるのだが、今日は決定的歴史観が頭を占領した。
”花沢と宇津ノ谷を結ぶ峠道は今日歩いた道” だと断言したい。
一昨年宇津ノ谷の四つの歴史峠を歩くと勝手に銘打って日本坂峠・蔦の細道・宇津ノ谷峠・明治
トンネルを一挙に越えて事がある。その時は法華寺から宇津ノ谷は鞍掛峠を越えたが、次回歩く
時は、この新しく発見した道を歩いて見よう。そうすれば宇津ノ谷側の状態も分かるだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/8f/3876b861bbbda24bb9ad572f9da4bdbf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/bf/4ed74685950bf4d77ea0968ce5603437.jpg)
やきつべの道風口坂 石脇の旗懸石
古くて新しい道を見付けたと、勝手に空想し興奮しながら、やきつべの道を歩く。
風口坂の祠の所には蝋梅の花が満開に咲いていた。これからは増々ウォーキングに良い季節に
なるので嬉しくなってくる。さて次は何処を歩こうか。