はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

菩提山下見

2015-10-16 10:00:00 | 低山歩き
歩行記録                                                          H27-10-13(火)
歩行時間:8時間40分   休憩時間:1時間15分   延時間:9時間55分
出発時刻:7時55分     到着時刻:17時50分
歩  数: 45、269歩(推定距離33.0km)    GPS距離32.1km
行程表
中山BS 0:40> 不動峡 0:20>  水車村 1:00> 菩提山登山道入口 0:10> 滝之谷峠 0:25> 道不明 0:55> 
菩提山登山道入口 0:25> 菩提山 0:40> 桧峠  0:35> 椿山 1:00 上滝沢 0:35 中山BS 1:55 藤枝駅
 
                      不動峡・菩提山・椿山観歩記

 来月の知人ウォーキングに、紅葉の不動峡から菩提山と椿山を回るコースを考えていたが、コースの一部を歩いた事が
なかったので下見に行ってきました。
 朝の出発も当日と同じようにバスを利用したのでのんびりモードの山行になりそうです。

 
                  滝沢城跡                                滝沢城跡案内

 島田市相賀に向かう県道81号と別れ、滝ノ谷に向かう所に、地域の観光案内板に 「滝沢城」 の事が書いてあった。
その中に 「滝之谷川を挟んで西砦・東砦の二城一連式」 とあるので、写真の左の山が西砦で右が東砦であったようだ。
更に “徳山城の出城”とか “葉梨城との対峙関係” から、この城の味方は城後方の西にいて、敵は城の東前面にいた事になる。
この様な状況で出城を造るなら、東の敵からの進路を食い止める、当然西に向かう街道の守備が目的になる。
そのため街道を挟む東西の山に城を造ったのかた思ったのだが ---------
だが二城一連式の滝沢城の間の道は、細い谷間を抜けて山を越える道で、本城のある徳山とはズート離れた場所に出てしまう。
一方西砦のある山の西側には大井川に抜ける街道があるのだから不思議だ。
敵を攻撃するための進軍なら、当然出城なんかは蹴散らかして進むだろうし、大軍なら狭い道より広い道の方が進軍しやすい。
本当に城が両方の山の上にあったのだろうか?
私の妄想的歴史観は疑問を投げかけるのでした。
 国土地理院の地図では左の東砦の山は 「城山」 で380mの山頂には三等三角点が設置されていた。だが案内板には
“西砦には堀切、曲輪などが残る” とあり、どちらがメインの砦だったのか考えてしまう。

 
                  滝ノ谷川                               通行禁止の橋

 滝ノ谷川が渓流ポクなった所に、元は立派だったと偲ばせる石の太鼓橋がかかっている。今は対岸に何の建物はないが、
整然とした石垣や階段などが見えているので、最初見た時は滝沢城の守り神の神社があったのかと思ってしまった。
だがそんな貴重な神社を村人がそのままにするわけはないので、新興宗教の施設があったのでは、とも思った。
今は通行禁止で橋は渡れないが、いつかは入ってみたいと思っている。

 その太鼓橋から少し上流で地元の建設業者が川の護岸工事をしていた。川の底を眺めていた作業員がいたので
 「あそこに太鼓橋があったけど、元は何だったのですか?」 と聞いてみた。
 「あの太鼓橋の渡った所は旅館があって、しかも温泉旅館だったって話だ。」
エー旅館が-? 太い杉の木や石垣があるのでてっきり神社と思っていたが、旅館とは意外だった。旅館が建つほどの敷地が
あるようには見えなかったし、それより何よりジメジメしていて気持ち悪そうな場所だった。
しかし若し旅館だったら、あの太鼓橋からおしてかなり立派な旅館だったろう。いや旅館と云うより金持が金にあかせて建てた
別宅って感じの方があっている。
温泉? もし本当としても高温の温泉ではなく、低温の鉱泉だっただろう。
地元の町興しに太鼓橋の所に案内板を建てれば興味を深く読む人も多いのではないかな。尤も歩いて来る人は少ないが。

 
                      磨崖仏のお堂                         不動峡の磨崖仏

 不動峡の磨崖仏の所にはお堂が建っていて、建物の周りにある通路から磨崖仏を眺める事ができます。
今日は午前中で明るかったせいか、へたな私でも写真を写す事ができました。
木の枝が大きくなって磨崖仏を見えにくくしているが、これが数少ない紅葉するモミジだから切るに切れないか。

 
              ホトトギス(上から)                           ホトトギス(横から)

 磨崖仏の説明板の下にホトトギスが咲いていた。花の形や斑点の状態からしてホトトギスに違いない。
大崩山塊では1株しか目にしなかったが、ここでは注意してみるとアチコチに咲いていた。ただどれも背丈が低く、花も2輪か3輪の
ものが多いのは土壌が瘠せているのかな。

      
             囲炉裏                                炭焼き小屋

 磨崖仏を過ぎた所にある “山の市” は今日もお休み。尤も今日は平日の8時台だから閉店していて当然だろう。
前回来た9月21日の祝日に店が開いてなかったので、一年中開かないのではとブログに書いてしまったが、後日ittaさんの
コメントで開店している時もある事を知りました。悪い事を書いてしまった。ご免なさい。

 山の市から更に上流に向かうと、自在鉤を吊るした囲炉裏のある小屋が見えたので中に入ってみた。
囲炉裏は兎も角、目に付いたのが地区共同の新聞受だった。9軒分ある新聞受は全て静岡新聞を購読していて、そのうち
1軒が朝日も併せて取っていた。更に気を引かれたのは9軒ある購買者の名字のうち6軒が “臼井” 姓だった事だ。
 「静岡県の苗字(渡辺三義)」 によれば 「臼井姓は県内228位で下田市に多く、島田の臼井氏は下総国稲葉郡臼井庄から
起った千葉氏の流れで、後に今川の家臣になった臼井平八郎の流れを汲む」
とあった。
この滝の谷の臼井氏も多分その流れの末裔だろう。
 思いだ出してください。今朝一番に見た滝沢城は今川氏に敵対する城だったが、その城より敵側に住む滝の谷の臼井氏は、
今川氏が滝沢城を破ったあと住み着いた事になるのでしょうね。

 見学用なのか 「滝ノ谷 黒窯」 と看板がある炭焼き窯も出てきた。水車村は近そうだ。

 
              兜造りの屋根                                   水車小屋

 来月の知人ウオークは近郷の紅葉の名所不動峡から、菩提山・椿山を回る周回コースを考えています。
このコースの一部は歩いた事はないが、藤枝市のハイキングコースにも指定されているコースなので多分大丈夫でしょう。
とは言え、山仲間と歩くならそれで良いが山の初心者を案内するとなると山での障害は極力避けなければならない。
そこで下見をする事にして今日の山行になった。
 藤枝市のハイキングコースは、上滝沢BS-桧峠-菩提山-滝ノ谷峠-水車むら-不動峡-中山BS のコースで、所要時間
6時間5分、距離12.5kmとなっていた。
だがこのコースでは景色を眺める場所がないので、菩提山の横にある展望の良い椿山も加えた周回コースにして、さらに椿山の
長い登り坂を避けるため逆回りのコースを考えている。
この中で私が歩いていないのは水車村から滝ノ谷峠間だが、滝ノ谷峠自体は今迄高尾山から菩提山の縦走で何度も通過している。

 川向こうに屋根が兜造りになった民家見え、その家に行く吊橋もあり風情は良い。だが兜造りの民家は正面から見ると屋根の
補修がされておず見る影もない。そしてその隣が水車小屋だったが、そこの水車も回転するようには見えなかった。

 
              水車村の分岐                               地蔵のある分岐

 結局水車はこれ一つあったきりで道が分岐していた。右に曲がる道にはやまめの里、パターゴルフ、手打ちソバなどの看板の
中に 「高尾山ハイキングコース 蔵田・高尾山」 の道標もあった。だが滝ノ谷峠や菩提山の標識は無い。
さて困った。菩提山コースは水車村から滝ノ谷峠となっていたが何処が水車村なのか? 来る途中には水車村の案内はあったが、
この分岐近くには水車村の表示はない。この壊れかけた水車が水車村か? それとも水車村はまだ先にあるのか?
聞きたくても周りに人はいなかった。
結局この1台の水車のある所を水車村として。左を直進する多分滝ノ谷峠の上に出る舗装された農道を登る事にした。

 実はこの分岐で嬉しい事があった。私が前から探している 「紀ノ国屋八兵衛」 の石碑が分岐の所に立っていたのです。
紀ノ国屋八兵衛とは志太地方だけに伝わる川の護岸と疫病退治する六部さんで、川の畔に建つ石碑は80基ほどあると言われ
ている。私はまだ40基ほどしか見ていないが、その内にHPで所在地の一覧表を作ろうと思っている。

 分岐から農道を20分ほど登った所に地蔵が祀られていた。ヨシ!OK。あの地蔵の所から滝ノ谷峠の地蔵さんに向かって
昔の峠道があるのだろう。
だが右には舗装されていない農道はあるものの、滝ノ谷峠への標識は無かった。またここで悩んでしまった。
 ・近年に造った農道に地蔵を祀る事はない。故にここに地蔵があるのは昔の道があった証拠。
 ・若し分岐点なら藤枝市のハイキングコースなので、ここに標識が無いとは考えられない。。
どっちとも考えられるが、一先ず舗装された農道を行って、滝ノ谷峠を上から下りてみる事にした。
 
 
              菩提山入口                                  滝之谷峠

 上がが明るくなってもう少しで稜線かと期待をするが、曲がりくねったの道は中々稜線に着かない。
やっと菩提山の登山道入口に着いて一先ずホッとした。
ここから菩提山には何度も歩いているが、問題は滝ノ谷峠から下の部分だ。果たして峠を下るとさっきの地蔵の所に出るのか、
或いは高尾山コースの途中に出るのか興味は深い。
もしないで来てしまった。峠から下る農道が何処に伸びているのかも調べて来ていない。慢心、油断、反省します。

 農道の山側には菩提山入口の標識と共に、今登って来た農道方向を指して 「水車むら滝沢」 の標識はあった。
だが滝ノ谷峠の標識は無いので、ここは滝ノ谷峠とは云わないのだろう。先ずは兎も角、山道の入口である滝ノ谷峠に行こう。

                            中山から滝ノ谷峠への農道の道