はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

三方分山縦走(城山)

2018-05-21 10:47:09 | 低山歩き
歩行記録                                                           H30-5-11(金)
歩行時間:3時間55分   休憩時間:1時間05分   延時間:6時間40分
出発時刻:6時35分     到着時刻:13時15分
歩  数: 21、536歩(推定距離14.86km)    GPS距離
行程表
 精進湖:他手合浜駐車場 0:45>  0:10> 諏訪神社 0:25> 女坂峠 0:25> 三方分山 0:25> 精進山 1:00>
 富士山展望(1) 0:30> 富士山展望  0:05> 精進峠(三ツ沢峠) 0:25> 南ア展望 1:00> 根子峠(?)
 0:30> パノラマ台 0:05> 烏帽子岳 0:25> 城山 1:00> パノラマ台下 0:30> 他手合浜駐車場


                                  観光用案内図

 
               薄くなった踏み跡                              気持のよい林

  工事作業の邪魔にならないように烏帽子岳を早々に退却して西湖の見える西に下りだすと、道はすぐ向きを南東に変え林の
中へと入って行く。
烏帽子岳までの登山道は何処もがハッキリしていて見落とす心配はなかったが、ここの道に入った途端に道は細くなり林の中は
踏み跡も薄くなっていた。でも大丈夫です。ここまでのハッキリした道と比べてですから、気にするほどのことはありません。
そう言えば麓にあった案内板の地図にはコースタイムが書いてあったが、それも烏帽子岳まででその先は書いてなかった。
この道は余り利用されている道ではないようだが、標識も建ったのでこれからは利用者も増える事でしょう。

  移動手段が主に公共交通機関の私が、コースを設定をする時は、スタートとゴールは別の場合が多くなります。
その所為か山行形態は縦走が多く同じ道を歩く事は少ない。
それは車利用になっても同じで、極力ピストンは避け、なるべく周回ルートになるように設定している。
今回のコースも一般的には女坂峠からパノラマ台までを縦走して、パノラマ台から根子峠まで戻って精進湖に戻ることが多い
らしいが、それでは私の美学(?)に反するので、パノラマ台からは城山周りの周回ルートにしました。
お陰で城山に向かう道は自然林の気持ちのいい道で大成功でした。ここなら仲間ウォークで皆と一緒に歩けそうです。

  
                                 稜線の細道

  細くなった尾根道もあり所々注意をしなけれならない場所も出てきた。
少し前までなら気にもかけないような岩場も、今は注意して歩かないと躓いてしまいかねない。
  昨年久し振りに年に一度の特定検診(健康診断)を受診した。そのときの老化現象把握アンケートに
⦿階段を降りるとき手摺を使う ⦿時々転ぶときがある ⦿日にちや曜日を忘れる事がある ⦿知人の名前が出てこない
などの質問事項があった。 
そう言えば最近では家の階段を降りるとき、必ず手摺に掴まるようになったが、これは自分の平衡感覚が鈍ってきた事を
無意識に感じとっているのだろう。
その影響か山では少しの岩場でも立って下らずしゃがみ込むようになっている。そのため足の間隔が狭くなり、かえって下り
にくくなってしまっている。
また、以前は山でも転ぶ事は殆ど無かったのが、最近では山では時々転ぶ時もある。矢張りこれも老化してきたためなのだろう。
その後の日にちや曜日は、曜日が無縁なオールサンデー生活になったのだから仕方ない、と反論したいが、これとて記憶力が
低下したことに間違いないでしょう。
てなわけで平均年齢74歳の山慣れしない仲間ウォークのコースとしては、ここは失格です。

  
                                 本栖城趾

  烏帽子山から殆ど下り状態で本栖城址に着いてしまった。
一応城跡があったかのように尾根の部分は平らに広くなっているが、案内板が無ければ城跡とは思えない場所です。
 「烏帽子岳より青木ヶ原樹海にせり出した城山山頂の主郭を中心に、南北に細長い稜線の尾根を数ヶ所切って竪堀を設け、
自然の地形を利用して郭を築き、防備を固めた中世山城の形態が残っている。
郭の周囲には麓の樹海の溶岩によって石垣が築かれている。
 城には国境警備のための武士が詰めていた考えられる。また伝承では、狼煙台といわれているが、中世・戦国時代の軍事上
重要な中道往還が山麓を通過しており、監視の役目を果たしていた砦であったことが地形や周囲の遺構、土塁、石塁などから
推定される。」

  ここの城跡を歩いて感じるのは、敵は烏帽子岳側からは攻めてこないということです。鎧兜で身を固めた武者の集団が
小さいとはいえ、何ヶ所もの難所を越えるのは大変だったでしょう。まして軍馬を伴うなど無理な話です。
また城の補給路としても烏帽子岳側から無理なので、きっとこの先の樹海方面に城の出入口があったと思われます。
よってこの先には難所は無いでしょう。

 
                              城址にあった案内図

  案内文の下の周辺地図です。この地図によれば狼煙台は既に過ぎてしまったようだが、案内板に気が付きませんでした。
これから先にも竪堀があるようですが果たして案内板はあるでしょうか? 何しろ人口か自然地形か判断できない私ですので。
  この地図で一番気になったのは城跡ではなく、地図右上の中道往還にある 「信玄築石」 と、地図中央下の 「石塁」 です。
だいたい石塁と築石の違いも分からないので調べてみました。
  「石塁(せきるい):石を積み上げて作った防御用の土手。また,それをめぐらした砦」
 「築石(つきいし):石垣を築くのに用いる石」
だそうです。
なら、信玄築石とは、武田信玄が石塁を築くための石材を集めた場所でしょうか? 納得できないな。

 今日は城山を下った後は樹海の中の東海自然歩道を歩く予定だったが、この築石のある中道往還を歩く方が面白そうです。
良しそこを歩こう。こんな時は一人歩きは気ままなもので、すぐルートを変える事ができます。

    
                              本栖城縄張図                 日本100廃城より

  家に戻ってから本栖城址を検索したら、こんな縄張図がありました。
本栖城であげた狼煙は、本栖城➜三方分山➜左右口峠➜躑躅崎館(甲府)と中継したそうですが本当でしょうか。
そうなると三方分山にも兵士が常駐しなければならないし、更にここ城山から駿河勢が侵略してくのが見えたのでしょうか?
私は狼煙による伝達方法は、風や雲などの天候状態でできないなど不確かな場合が多く、以前から疑問を感じています。

  この縄張図を見たのは山行の後だったが、これを見てもう一度本栖城付近を歩きたくなってしまいました。

 
                      鹿よけ?                                    アップ

  植林された杉の木の根元を白いプラスチック状の物で囲んでいるが、あれは何だろう?
鹿の皮剥ぎ対策対策? にしては根元の部分だけなので上の部分は剥がされてしまいそうだ。
では杉の木の成長調査? にしては面倒すぎる。
なら蔓の巻付き防止対策? エッ!どうやって蔓を防ぐかって?蔓が巻きつきたくてもプラスチックで滑って巻き付けない。
それじゃぁプラスチックの部分が狭すぎるよ。      何でしょう、分かりません。

 
                 自然歩道に合流                             城山登山口

  予想していた通り城山からの下りには難所は無く簡単に下ることができた。
山を降りきった所には 「武田最前線史跡公園 城山跡登山口」 の看板もあったが、史跡公園と名乗るなら、もう少し案内標識を
立てて欲しいところです。

 
                  樹海入口                               茶色の樹海

  城山登山口の場所は東海自然歩道上にあり、自然歩道はここで国道139号線の地下道を潜って樹海の中に入ります。
この時点では信玄築石のある中道往還を行こうと思っていたので、地下道を行かず国道に出る道を探したがありません。
別に道が無くても簡単に国道には出る事はできるが、城跡の案内板にあった信玄築石の案内が無いのは変です。
それに昨夜見た地理院の地図には国道から精進湖へ出る道は車道しか書いてなかった。
さて、どうしましょう。国道でしかも歩道の無い道を歩いてみるか? それか緑の苔むした樹海の中を歩くか?
答えは簡単です。不確かな車道を行くより自然の多い樹海に決まってますよね。

  樹海の中は鬱蒼と茂った大木に苔一杯の緑の世界と思っていませんか。以前の私の頭の中はそんなイメージでした。
ですが富士山一周で樹海を歩くとそのイメージは一変してしまいました。時期が秋だった事もあってか緑の世界ではなく茶色の
世界でした。苔は枯葉に隠され、太いとはいえない木々の間から陽は射し、国道を走る車の排気音が常に聞こえている。
救いは溶岩が見えたくらいだったでしょうか。

  更にその後、須山口登山道や村山古道の苔ワールドの世界を見てからは、樹海のイメージは増々廃れてしまいました。
そして案の定でした。今は春なので緑の苔が顔を出しているかと期待したのですが、相変わらずの景色でした。

 
               緑になってきた樹海                              陥没した溶岩

  それでも樹海の中に入るにつれ苔の緑は増えてきました。
溶岩が丸く陥没した所にはシダ類も生えていました。樹海も奥に入れば苔ワールドの世界を見られるのかな。

 
                 民宿村入口                                国道横断

  この眺めもイメージに良くない。折角の樹海の雰囲気が一変に醒めてしまう感じです。これが西湖のいやしの里や忍野八海の
ような萱葺の建物だったらと思います。

  国道は芝桜見物の車で本栖湖方面が渋滞していた。渋滞は樹海に入る地下道の所でもしていたが、まさかこんな方まで続いて
いるとは思わなかった。これでは一度渋滞の列を出たら戻るのが大変そうです。
パノラマ台ではゴールした後に竜ヶ岳の入口を調べようと思っていが、信玄築石のことを知ってからはそちらに行こうと思った。
だが道が不確かだったためそれも諦め、また竜ヶ岳が復活した。しかし樹海に入る時この渋滞を見てまたまた考えが変る。
渋滞に戻るのも大変だが、渋滞が長いと帰り時間も遅くなってしまう。エーイそれなら真っすぐ家に帰ろう。と。

 
              女坂峠入口が見える                             パノラマ台下

  終盤モードにスイッチが切り替わると歩行速度は遅くなり、しかも寄道をしながらの歩きになってしまいます。
精進湖の先に見える建物はホテルで、その右に白く見える所が女坂峠の入口です。そこからほぼ真っすぐ沢を登った先の鞍部が
女坂峠でしょう。そこから左に尾根を行った頂が三方分山と思われるが自信はありません。

  信玄築石がある中道往還の出口を探しながら歩いたが、それらしき道は見当たりませんでした。あったのは林道らしき道が
1本で、その林道の先は急な斜面になっていました。少し回れば湖畔の平らな道が出来るのに、わざわざ急斜面を登る道にする
必要性を感じません。なら中道往還らしき道は分りませんでした。
湖畔から城山や烏帽子岳、パノラマ台が見えること思ったが、余りにも道が山の付根で、見えるのは手近な高台だけでした。

  パノラマ台下です。ここを登れば根子峠で稜線の道に合流するようです。峠までは50分、峠からパノラマ台までは15分と
なっています。この道がパノラマ台に一番近い道のようです。
尤も案内板に根子峠の名称は書いてありませんでした。

   
                              精進湖の子抱富士

  これが精進湖の子抱き富士の一般的眺めです。条件が良ければ逆さ富士も見えるのですが、今日はさざ波が立っています。   

   
                               精進湖駐車場

  朝出る時は霧で景色が見えなかったが、こんな風に富士山が見えていたのですね。

   
                                展望地かな?

  湖と反対側の山を写した写真を拡大してみたら、山上で写真を撮った展望地らしき岩場が見えていました。
右の縦に長い岩は展望地1から覗き込んだ岩のように見えるが、右は展望地1なのか2なのか分かりません
パノラマ写真を写しておけばよかったと後悔しました。

   
                              山名の紹介は止めた

  一番左端は城山だとは思うが自信のない事は止めましょう。ともかくあの稜線を縦走してきた事は確かです。
車が国道139号に出る赤池交差点は渋滞していなくてスムーズに合流できた。
渋滞の列は先程より縮まり、城山登山口の辺りから始まり芝桜祭の会場までは続いていた。
先日のネモフィラの丘や足利植物園の渋滞を経験している身には、この位の渋滞は何でもない。とは言いません。
乗せてもらっている渋滞と、運転している渋滞では、矢張り感じる度合いが違いますね。
朝は新東名で来たが帰りはバイパスで1,500円の節約です。

    
                           以前あったハイキングコース案内板

  家に戻って信玄築石を調べるにつれ今回見落としたことが残念になってきた。
 「武田信玄が敵の攻撃に備える為、青木ケ原樹海内に溶岩で築いた防壁。 石塁は高さ2m位で約2キロほど続いている。」
なんて紹介してあるのも読むと増々行きたくなってしまった。だがどうせ行くなら富士山が見え、しかも冠雪した時に行きたい。
コースは精進湖の今回と同じ駐車場に車を止め、三ッ沢(精進)峠に直登し精進湖越しの子抱富士を見る。
次はパノラマ台に向かい子抱富士を見てから西に尾根を下り、中之倉峠から本栖湖越しの富士山を眺める。
こうすれば三者三様の富士山を眺め比較する事ができる。
中之倉峠から本栖湖湖畔に下り東海自然歩道石塁を見ながら城山登山道に出る。登山口付近では点在している石塁を見学
して、その時点で余裕があれば城山に上り竪堀や狼煙台を確認するのもいいだろう。
そして最後は国道を歩いて中道往還に行き信玄築石を見る。なんてコースはどうだろう。
コースとしては面白そうだが問題は精進湖から三ッ沢(精進)峠に直登する道の入口が分かるかどうかだ。
しかし案ずるより産むが易しで古い案内板を紹介しているブログがありました。それによれば三ッ沢(精進)峠の登り口は今回
車を停めた駐車場にあるようです。なら簡単に登り口は見つかるでしょう。

  私の場合、山に行くと宿題が減るのではなく、宿題が増えてしまうのは問題でが、好奇心が湧くのは青春の証拠だとか。
なら私はまだ青春真っ只中。加齢症状を気にせず青春を謳歌しなければ。     晩秋に行ってみます。

三方分山縦走(展望地)

2018-05-17 11:58:06 | 低山歩き
歩行記録                                                           H30-5-11(金)
歩行時間:3時間55分   休憩時間:1時間05分   延時間:6時間40分
出発時刻:6時35分     到着時刻:13時15分
歩  数: 21、536歩(推定距離14.86km)    GPS距離
行程表
 精進湖:他手合浜駐車場 0:45>  0:10> 諏訪神社 0:25> 女坂峠 0:25> 三方分山 0:25> 精進山 1:00>
 富士山展望(1) 0:30> 富士山展望  0:05> 精進峠(三ツ沢峠) 0:25> 南ア展望 1:00> 根子峠(?)
 0:30> パノラマ台 0:05> 烏帽子岳 0:25> 城山 1:00> パノラマ台下 0:30> 他手合浜駐車場

     
                          三方分山周回ルート概略図

 
               ピークにあった鉄の社                              三角点

  三方分山を少し下り、ほんの少し登った所の岩の上に、鉄製の屋根の形が社に似た物がボルトで固定されていた。
扉や窓は無いが一円玉が2枚供えられているのをみると矢張り社なのだろうか。
社を置くだけならともかく、コンクリやボルトを使って固定までする事が許されるのか。一体誰が何のために遣ったのだろう。

  社の写真を写して登山道に戻ると、目の前に三角点の標石が目に入った。何と何と! ここが精進山のようです。
三角点が有るとはいえ、三方分山から10分も掛からず、標高差はたった13m程しかない場所です。
山頂標も無く、ピークとは言え誰も気が付かずに通り過ぎてしまいそうな場所です。
では三角点の点名は何なのだろうと地理院の地図で確認すると、 「西ノ入 三等三角点 標高1404.88m」 となっていた。
さらに三角点の住所と私有地かどうかを点の記で調べようと思ったが、点の記は作成されていなかった。
 
              富士山展望地(1)入口                            富士山展望地(1)

  この尾根から期待の富士山を見たいと、左(東)側に入る踏み跡はないかと注意しながら下って行くが踏み跡はなく富士山も
樹間の隙間からチラチラ見えるだけだ。どうやら勝手な期待を掛け過ぎたかなと思い出した頃、ありました踏み跡が。
精進山(三角点)から約15・6分でしょうか、明らかに人の踏み跡が左に付いている。
踏み跡は下って行く登山道をほんの1m登り、左に続いているが、その先は木が無く開けて状態になっている。
正にピンポン! です。


                             富士山展望地(1)から

  厳密に言えば、富士山と大室山と精進湖が一直線ではないがこれなら我慢の範囲内です。
富士山の麓に大室山を配置した眺めを 「子抱き富士」 とよぶようだが、撮影スポットとしては精進湖湖畔から写したものが多い。
それはそれで良いだが、どうですかこんな眺めの子抱き富士は。

 
                 駐車場アップ                                横にあった岩

  精進湖に手前に駐車場が見えているので、カメラでアップしてみると私の車も見えている。
あの駐車場が今朝車を置いた 「他手合浜駐車場」 でした。

  狭い展望地なので私は怖くて立って写真を写せなかったが、ふと横を覗くと細く立った岩が見えた。あの岩なら駐車場から
確認できるかもしれないと恐々写しておきました。

  一昨年本栖湖周回の時、本栖湖の西岸にある中之倉峠から西の方角に南アルプスが見えたのを思い出した。
あそこで見えたのだから、ここからでも西側に南アルプスが見えるだろうと、今度は道の右側を注意して歩く事にした。

 
                また踏み跡があった                            標識が見える

  精進山からの下りの道は順調に歩けているが、まだ時刻は午前9時。このままでは本当に午前中にゴールしてしまうかも
なんて思い出したが、その時はその時だ。何なら竜ヶ岳へ行ってもいい。なんて調子のよい考えも浮かんでいた。
しかし右側には踏み跡が出てきません。南アは見えないのかなと思い出した時に、またもや左(東)に踏み跡があった。
登山道にデンと居座った岩の横から左へと踏み跡は延びている。登山道は岩の下に続いていて、下には標識が見えている。
若しかしたらあそこは精進峠なのか? ならこの踏み跡は精進湖に行く道か? だが標識も目印も無い。

 
                ここも展望地だ                              三方分山かな

  既に富士山の眺めは満足していたが、どうせならこの踏み跡の先も確認してみようと踏み跡を辿り左に入る。
さっきはすぐ展望地に出たが、ここは踏み跡が先に延びていて、10mか20mも行って前方が開けた場所に出た。
正面にはさっき見た景色と同じ景色が広がっているが、イヤさっきの展望地より視界は広く、左(北)側には三方分山らしき
山から、右にはこれから行く城山らしきピークもも見える。
更にこの展望地は広々としていて、安心して写真を写す事ができるので、さっきの展望地より撮影には適しています。

  三方分山と思われるピークの奥には一段と高く尖ったピークも見えるが、あの山は?????
家に戻ってネット地図で調べるが、三方分山の北には三方分山より低い釈迦ケ岳くらいしかない。と、結局分からなかった。
それでも三方分山が写真に表示した通りなら、その稜線を右に行った先は女坂峠と五湖山だろう。
何年か前に富士山の麓を一周した時に、五湖台との別名のある足和田山に登った事がある。当然山頂からは富士五湖が全て
見えるだろうと思ったが私には確認できなかった。
果たしてあの五湖山から富士五湖の全てが見えるだろうか、逃がした魚がだんだん大きくなってくる。


                             富士山展望地(2)から

  展望地1と同じ構図だが、見る位置が南に移動したので、撮影地と精進湖と富士山が少しずれてしまった。
1と2のどちらからの富士山が良いか? ウーン微妙ですね。

 
               標識(後ろを振り返る)                             リボンの標識

  岩のある登山道に戻り、1分も掛からず標識のある鞍部に到着。写真の右上の高台が展望地2です。
標識は稜線の方向の行先は書いてないが、稜線から西に下ると身延町、東に下れば精進湖畔となっていた。
ただ現在地名は書いてないが、標識の隣の木の幹に蒔いたリボンには、現在地を 「精進峠」 と書いてあります。
だが待てよ、リボンには今来た方角を “精進湖山” と書いてあるが精進山ではなかったのか? 信用できないかな。

  精進山は兎も角、三方分山の標識には “精進峠45分” と書いてあり、ここまで展望地での写真撮影を含めて48分で来ている。
ならこの峠が 「精進峠」 で間違いは無さそうだ。どうせ標識を建てるなら現在地も書いてくれれば助かるのだが。

 
                  崩壊地                                アセビが多くなった

  峠を少し登った右側が崩れていて、ロープが張ってあるが登山道はなんの危険もありません。
怖がりな癖に、こんな場所があると怖いもの見たさですぐ覗いてみたくなってしまいます。
ここは今日何ヶ所かあった崩壊地の中でも最大で、上の方まで崩れていたので上を通る時はなるべく左に寄って歩いてしまった。

  これまでは小さなアセビが多かったが、この辺りは奇怪な形状になった幹のアセビが多かった。
それと同時に、道は白い小砂利が覆っていたが、これは崩壊場所で見た岩の色と同じでした。
石と言えば女坂峠を付近の石は割れた角がどれもが尖っていて、古代なら少し加工すれば包丁代わりにもなりそうだった。

 
                 三ッ沢峠の標識                             西への踏み跡

  精進峠から20分程の所に 「⇦パノラマ台 三ッ沢峠➩」 のに標識が立っていた。
三ッ沢峠? さっきの峠は精進峠だったのに、三ッ沢峠とはどこにあった峠だろう? 
さっき私が精進峠と判断した所の峠名はリボンに書いてあっただけだが、本当は三ッ沢峠だったのだろうか?
すると精進峠は???

  峠名がハッキリしなかったので家に戻ってから調べてみると、三ッ沢峠も精進峠も同じ峠だと云う事が分りました。
三ッ沢とは峠の先の身延にある集落名で、精進湖側から身延に行く人は三ッ沢峠と呼び、、逆に身延から精進湖に行く人は
精進峠と呼んでいたのだろう。
一般的に峠名は利用する者が多い方の名前が残るらしい。ならここは身延参りに行く人の方が多いと思われる精進湖側からの方が
多かっただろうから、峠名は “三ッ沢峠”と呼んでいたと思う。
それが富士五湖への観光客が増えてきた近年は、誰も知らない三ッ沢峠より精進峠が分かりやすいだろうとなったのでしょう。
若しかして三方分山下の精進山も最近付けた名前かもしれないな。三角点の名前も違うのだから。

  南アルプスの展望地の事を諦めた分けではなく、道の右側は注意しながら歩いていた。
標識のあった場所から10分位、峠からなら30分位行った道の右側に、上に延びている踏み跡を見つけた。
OK! これが南アルプスの展望地に間違いないでしょう。


                               南アルプス遠望

  展望地には違いないだろうが思っていたよりスケールは小さくガッカリしてしまいました。
たが、兎も角南アの一部は見えた事は確かです。

 
            根子峠?(振り返って見る)                             分岐の標識

  又もや標識と左に下る道も見えてきた。正規の標識はさっきと同じ 「⇦パノラマ台 三ッ沢峠➩」 となっていたが、その下の
リボンには現在地を 「根子峠」 と書いてある。麓にあった観光者用の案内図にはパノラマ台から精進湖の
パノラマ台に抜ける道は描いてあるが、峠名は書いてない。また現地にも現在位名は書いてなかった。
どうもここの標識は中途半端が多い。ハイカーを呼びたいなら、もう少ししっかり表示して欲しいものだ。
峠から下に下る道は広く、多くの人が歩かれているようです。


                          麓にあった観光用地図案内板

  麓にあった観光用地図の案内板です。登山用ではなく観光客用なのだから山道の案内は程々でいいでしょうが、ここで気に
なるのは、精進峠に見晴らしポイントのマークがあることです。
この案内地図を見て精進峠に登ったとして、一体何人の人が見晴らしポイントに行けたでしょうか。
折角地図で案内したのですから、現地にも案内標識を建てるべきだと思います。
更に現地には精進湖への標識があるのだから、その道も観光地図にも書いた方が親切だと思います。 

 
                  御料局                                小砂利の発生源

  道にあった標石に刻まれた文字を見ると 「御料局」 と読める。御料局の標石は三方分山の山頂にもあり、明治時代には
この辺りの
山は皇室の土地だったのでしょう。
待てよ! この辺りが御料局の土地だったなら、精進山は現在は国有地の筈だ。ならあの鉄の社は不法建物だったりして。

  精進峠の上は白い小砂利が道の上にあったが、この辺りは他の山でもよく見かける黒い小さな砂利が道を覆っていた。
イヤ~! その発生源を見つけました。黒曜石とまでは行かないが地面に埋まった黒い石の表面が四分五裂に砕けている。
その砕け散った小砂利が流れ落ちて道を覆うようだ。
こんな小砂利の道を下るときは注意が必要です。疲れが出てくる後半には、足の踏ん張りが効かずに転ぶ事もあります。
歳は取りたくありません。

 
                 中之倉峠分岐                              パノラマ台

  根子峠から15分程で千円札の逆さ富士の見える中之倉峠への分岐に出た。
一昨年はパノラマ台からここを下り本栖湖周辺を歩いて一周した道です。

  分岐から富士山が見えるパノラマ台には5分もかからず到着。
パノラマ台には若い人10名ほどが写真を写していた。話している言葉が日本語ではない。
中国語か韓国語か分からないまま 「中国からですか?」 と声を掛けると 「イエ韓国です。」 と返ってきた。
へー外国からわざわざ日本に来てこんな山に登るのかと思ったが、考えてみれば自分だって外国では、名も無いような山や道を
歩いていた。
余り大変でなく、しかも富士山が見えるならここは十分満足できる山だろう。

  日本語で今日のコースを聞くと、本栖湖の中之倉峠からパノラマ台に来て精進湖に下るコースだと言う。
そうか中之倉峠で本栖湖の先に見える富士山を見て、パノラマ台からは樹海や朝霧高原の先に添える富士山を見る。
中々いいコース設定です。でも今の私なら折角精進湖に行くなら根子峠を下るのではなく、その先の精進峠まで足を延ばし
精進湖と子抱富士が合わせて見える景色も見せてやりたな。


                               パノラマ台から

  さてどこから見た富士山の眺めが一番良いか。個人的には精進湖が入った方が良く感じるのですがね。


                                 三湖と富士山

  河口湖と西湖そして精進湖が見えている。地図では本栖湖も近くにあるのだが見えていない。パノラマ台と本栖湖の間には
高台も無いから樹木を伐採すれば本栖湖が見えるのだろうか。若し見えるなら伐採して欲しいな。
伐採が駄目なら足和田山(五湖山)のように見晴らし台を建ててくれてもいい。
折角外国からのお客が来るのだから、それ位のお接待をしなければ・・・・・・・・

 
           富士三湖                              三方分山?

  「お元気ですか」 と韓国女性が富士山に向かって叫んでいる。何かで聞いたフレーズだが思い出せない。
家に戻り調べてみると
 「日本語が分からない韓国人でも知っている「お元気ですか」という日本語は、映画「Love Letter」の名台詞だ。
雪原で今はこの世にいない婚約者に「お元気ですか」と叫ぶ女性の姿は21年前、多くの韓国の観客の心を掴んだ。
そして「Love Letter」は多くの韓国人の心に冬、雪、初恋を代表する映画として刻まれている。」
のだそうです。

  「Love Letter」なる映画は見た事はないが、山で聞いた 「お元気ですか」 の言葉は憂いを含んでいた。
あの女性は親しいを知人を亡くしたのだろうか。

  案内板の後ろに見える双耳峰の山が三方分山らしい。そうなると展望地2で見た三方分山の形とは全然違う。
矢張り私は地図を読む力は無さそうです。よって私が写真で案内する山名は当てにならないということです。ご免なさい。

 
                   烏帽子岳                               烏帽子岳の標識

  韓国グループを置いて烏帽子岳に向かって下る。まだこの先には烏帽子岳があるのだから余り下らないで欲しいのだが
樹間に湖の水面が見える辺りまで下り、今度は上りが始まる。
と、言葉で言えばそうなるが、実際は15・6分しかかからない楽な道です。

  何やらこの山頂も人の気配を感じる。団体でもいるのだろうか山頂に行くと作業服にヘルメット姿の人が10人ほどいた。
富士山の見える方角にはヘリコプターで釣り下したような大きな荷が幾つも見える。
聞いてみるとアンテナの増設工事だとか。邪魔にならないように隅に座り昼飯にした。

  山頂にはパノラマ台、本栖湖、城山の三方を指す標識が建っているが、一昨年来た時にはこの標識は無かった。
あの時は富士山が南に見える事が納得できず、三辻となったこの山頂で、パノラマ台はどの道を行くのか迷ってしまった。
西湖が見える西に延びる急な下りと、北に行く緩やかな下りの道。あの時は地図を頭に思い浮かべると余計こんがらがるので、
兎も角 “俺は西湖と反対の方向に行くのだ” と、北に延びる道を選択した。
そんな私のブログ見て標識を建ててくれたのではないだろうが、こうして標識があれば誰もが安心して歩けます。
標識の手前に見えているのは三等三角点の 「烏帽子ヶ岳」 です。


                               烏帽子岳からの富士山

  烏帽子岳は作業中でしかも大きな荷物があり遠慮しいしい写真を写したので、余り芳しい出来ではありません。

三方分山縦走(中道往還)

2018-05-15 09:00:05 | 低山歩き
歩行記録                                                           H30-5-11(金)
歩行時間:3時間55分   休憩時間:1時間05分   延時間:6時間40分
出発時刻:6時35分     到着時刻:13時15分
歩  数: 21、536歩(推定距離14.86km)    GPS距離
行程表
 精進湖:他手合浜駐車場 0:45>  0:10> 諏訪神社 0:25> 女坂峠 0:25> 三方分山 0:25> 精進山 1:00>
 富士山展望(1) 0:30> 富士山展望  0:05> 精進峠(三ツ沢峠) 0:25> 南ア展望 1:00> 根子峠(?)
 0:30> パノラマ台 0:05> 烏帽子岳 0:25> 城山 1:00> パノラマ台下 0:30> 他手合浜駐車場

     
                            三方分山周回ルート概略図

  一昨年の11月に本栖湖周回の縦走をしたとき、あやさんからのコメントに
 「精進湖の無料の駐車場を起点に、三方分山~パノラマ台を歩くコースはハイキングクラブ御用達ルートなので、みなさん
そちらからですよ。
でも、このコースだと午前中で終わってしまうので、はぐれさんには物足りないと思うけれど、仲間ウォークにはオススメかも。」

と書いてくれました。これに対し私は
 「三方分山の名は標識にも出ていました。コースを調べてみたら、中々面白そうなコースがとれそうです。富士山が白くなった
頃に歩くのも良さそうですね。」
と返信していたがすっかり忘れていました。
その事を思い出し、行くなら早く行かないと雪が無くなってしまうと、富士山が見えるそうな機会を窺っていました。
我家の2階からも富士山は見えるが、何しろ80km近く離れているので、この時期になると毎日富士山方面は霞んでいて
見えない日が多くなってしまいます。
しかし富士山の麓の精進湖からなら雲さえ無ければ見えるだろうと、天気予報が晴マーク一色になったらと思っていました。

  コースはあやさんのコースに、パノラマ台から烏帽子山、城山を加え、更に樹海の中を歩いて帰るコースにしました。
これなら “ハイキングクラブ御用達ルート” と言われないでしょうから。

 
                  他手合浜駐車場                             他手合浜

  山梨県に入った辺りから霧が出てきて、精進湖に着いた時が一番濃かった頃でした。
しかしこの霧は不安を抱くような霧ではなく、朝霧のような感じで今日の晴天を確約してくれるような霧でした。
事前に駐車場の場所を地図で調べたが良く分かりませんでした。仕方なくインフォメーションの i マークの所に車を乗り
入れてみると、どうやらそこが無料駐車場のようでした。

 
                旧上九一色村のMH                            中道往還入口

  湖畔の道路にミミズクの絵柄のMHが目についた。ミミズクの顔の横には “九上” とデザインされた文字も見えます。
これは上九一色村(現河口湖町)の村章で、鳥は村の鳥コノハズクだそうです。
上九一色村で思い出すのは何と言ってもオウム真理教のサティアンですが、サティアンの建っていた場所はもっと南側の静岡県
境に近い場所で、一時ガリバー王国なるテーマパークができ、それも潰れ今は公園になっているそうです。

  湖畔の車道から何処かで左に入らなければならないが、きっと標識が立っていると安心して歩いていました。
オット危ない、危ない! 霧のせいでもないが、橋の欄干の上にある2枚の標識を見落とすところでした。
標識には “精進の大杉” と “諏訪神社” とあるが “三方分山” や “女坂峠” は無い。
しかし昨夜確認した地理院の地図には “精進の大杉” を通って女坂峠に向かっていたので間違いないでしょう。

  左折した道の両側には湖畔には無かった民家が建ち並んでいた。そして案内板も。
どうやらこの道は 「中道(なかみち)往還」 と呼ぶ古道で、案内板には
 旧中道往還と居村集落 中道往還とは、古代から開かれていたと云われ、甲斐と駿河を結ぶ三つの街道のうち若彦道、
富士川街道の間を通る路であることから 「中道」 と呼ばれるようになったと 「甲斐国志」 に書かれている。
  戦国時代には武田信玄、織田信長、徳川家康等の武将が往来した軍用道と使われた。
  江戸時代の居村集落では、海産物の荷駄賃稼や下駄、天秤棒、鍬の柄、角箸などの細工物で生計をたてていた。」


 分かりやすい説明で大筋理解できたが、三つの街道の位置関係が良く分からない。
今朝、私は西の焼津方面から富士川(街道)を渡ってここに来ている。なので真中に中道往還があるなら、若彦道は
更に東にあることになる。
古道は兎も角、現在の道路でなら静岡県から山梨県に行く道で、ここより東となると富士山の向こう側の御殿場から
富士五湖に抜ける道しかない。
では興津から身延を抜けて甲府に抜ける通称身延路はどうなるのだろう? 疑問が湧いてくる。

家に戻り調べてみました。以下ウイキペディアより抜粋します。
 「中道往還のルート 甲府-左右口-精進-本栖-人穴-大宮(富士宮)-吉原湊
甲斐と駿河を最短距離で結んでいたこともあって、主に海産物の輸送路として利用され、この峠道を馬の背に揺られ甲府へ
運ばれたアワビの醤油漬けが、現在山梨県の名産品となっている鮑の煮貝である。」

 「富士川街道 別名:駿州往還、甲州往還、河内路(かわうちじ)、身延路。
ルート 甲府-市川大門-鰍沢-身延-南部-万沢-宍原-興津
日本三大急流と呼ばれる富士川と連なる山地の間を通っていたことから、幾つもの難所があった。
駿州往還の険しさから、甲斐から駿河へ下る場合は富士川水運を使い街道を歩く者はいないと記している。」

 「若彦路 若彦の呼称は日本武尊の子に由来するといわれ、甲州と駿河を結ぶ官道であったという。
若彦路の道筋は甲府盆地から鳥坂峠を経て芦川村(笛吹市)に至り、富士北西麓を駿河国富士郡上井出村(富士宮市)に
達するルートが想定されているが、他にも色々説がある。」


  三つの街道の西からの順番は富士川街道(身延路)、中道往還、若彦路で、甲斐側の出発地は甲府だが、駿河側は
富士川街道が興津、由比、岩淵で、中道往還と若彦路は吉原湊だったようです。
では富士山東麓の山中湖から御殿場(御厨)に抜ける道は無かったのでしょうか。
イエイエ当時の御殿場方面は駿河ではなく相模だったので、数に入れなかったのではないのかな。

  この類の話となるとくどくなる癖は歳を取っても直りません。

 
                     龍泉寺                                   諏訪神社と大杉

  精進の大杉は幹回りが12.6m、樹高が40mあり、国の天然記念物に指定されています。
龍泉寺、諏訪神社とも萱葺の屋根で落ち着いた風情を感じます。
精進湖に来た時は濃かった霧も大分薄れてきたので、上からの富士山の眺めは期待できそうです。

 
                 居村の民家                              民家の解体

  街道沿いに間口が狭く奥に長い建物が何棟か建っていたが、街道風景を写すのを忘れたしまいました。
この民家は今は空家のような雰囲気ですが、低い2階には窓がありません。養蚕でもしたのでしょうか。
他の民家も似たような造りが多く、中には2階がもう少し高くて窓のある家もあります。
ただどの家も奥行きの割には間口が狭いのは、京都のように間口税を取られたからでしょうか。
イエイエそんな事はありませんよね。多分湖から山地がすぐで、何軒も家を建てる土地が無かったからでしょう。

  住宅の案内板に気になる事が書いてありました。
 「この地域は武田氏に仕えた九一色衆に属し、諸商売役免許を与えられた。」 とあります。
私の気になったのは 「九一色」 の言葉ですが、以前から上九一色村の語源に興味を感じていたので調べてみました。
例によりウイキペディアからの引用です。
 「中世には甲駿間を結ぶ中道往還が通じ、九一色郷に九一色衆と呼ばれる在郷の武士団が住み、戦功により
武田氏から諸役免除の朱印状を受けた。明治入り精進村は近郷の村と合併し九一色村となる。
明治22年の町村制により、九一色村の一部が上九一色村となり、残部は下九一色村となる。」


  残念ながら九一色の語源は分らなかったが、一般的に “一色” とは、荘園制の時代には税として租(穀物)・庸(労役)・
調(繊維)があり、一色とはその内のどれか一つを納めればよいとされていました。
となると最初の “九” が分かりません。もしかするとここは狭い土地でなので穀物の生産は少なく、九種類の木工製品を
納めたのかな。例えば案内板にあった “下駄、天秤棒、鍬の柄、角箸” など九種類を。多分そんな事はないでしょう。

  民家の解体が行われていたが、町で見るような乱暴な解体方法ではなく丁寧に解体されていた。
きっとどこかで再生されるのでしょう。

 
             気持のいい自然林の道                                堰 堤

  何時も静岡の低山を歩いているので、山への登り出しは茶畑とか植林された林の中が多い。
ところが山梨を歩くと最初から自然林の中の道が始まり気持ちよく歩けます。
この道は古道の中道往還なのだが、街道の面影はなく山道そのものの感じがする。

  二つ目の大きな堰堤の巻道は堰堤より大分上まで登るので、このまま沢筋と離れるのかと思ったら、また道は沢へと
下っていた。

 
              いつの石積みだろう                               九十九折

  堰堤を巻いて上に出ると、道は九十九折となり古い石積みが所々に出てきて、何となく古道の面影を醸しだす。
この石積みは何時頃積まれた物だろうか? 道は源流部に続く沢筋に付いているし、下には大きな堰堤もある。
大雨が降れば水も出そうな地形だが道は流されないのだろうか。
気にはなるが石垣が残っているのを見れば、水が出ても知れているのでしょう。

 
              女坂峠(阿難坂)                              女坂峠(阿難坂)

  女坂峠の標高は1210mもある。私の普段歩く大崩山塊の山は500m程度の低山ばかりです。
なので1000mを越すと、良く歩いたと嬉しくなってきます。
しかしここは麓の大杉からは30分も掛かっていません。何しろ麓の大杉の標高が910mもあるので、峠との標高差は
300mしかありません。これでは楽なはずです。

  女坂峠は古道らしく峠には石仏もあり名前の謂れも紹介されていた。
 「中道往還には二つの峠があり阿難坂(女坂)はその一つである。阿難坂の “難” という字が示すように中道往還の
中でも難所に一つである。 “峠” と “坂” は同じ意味を持ち古い道では多くみられる。
  女坂という別名は、身重な女性が道中で出産後、母子ともに亡くなり、埋葬され供養のため、子を抱いた石地蔵を建て、
この石地蔵が女石と名付けられたことから女坂と呼ばれるようになった。」


  初め “女坂峠” と聞いた時は近くにもっと険しい “男坂峠” があるのかと思ったが、近くには峠は無かった。
私は山寺などにある急な男坂に対して、なだらかな女坂をイメージしたが、ここの峠の女は女性そのものでした。
静岡県には身重の女性が山賊に襲われて、子供産んで亡くなった無念さに、夜ごと泣いて石になった “夜泣石” がある。
だがこの峠では石の地蔵を祀ったのはいいが、それを “女石” と呼ぶなんて風情が無さすぎだ。
せめて坂の名前は “無念坂” とか “子抱坂” にして欲しかったな。エッ! 女坂より悪いですか・・・・・

  坂は峠と同じ意味を持つとの説明に納得できた。と云っても全ての坂が峠とは思わないが。
大崩山塊に “歓昌院坂” と名の付いた峠道がある。この峠は古くは東海道とも、安倍川の川止の際の抜道でもあったと
される道です。この峠をブログで紹介するとき、歓昌院坂と書くと峠への上り下りの道を想像されてしまいそうで
 “歓昌院坂峠” などと書いていたが、これでは重複語になってしまうのですね。
これと同じような表現で “道” もある。旧東海道の山越えで “蔦の細道” があるが、ここも峠を表したいときは
 “蔦の細道峠” と書いています。どちらも書きずらいのですが諦めて書いています。

  標識の 「五湖山3000m」 を見て、気づくと同時に驚いた。
何を気づいたかと言うと、あやさんのコメントに五湖山が三方分山の前に書かれていたが、五湖台なら知っているが
五湖山は名前も聞いたことは無いし、場所も分からなかったのでパスしてしまった。
それがこの先にあるなんて、驚くと同時にガッカリしてしまった。何故かと言えば今回のコースも精進湖を一周したかったが
一周するコースを思いつかず周回コースではあるが、精進湖は半周しかしていない。
残念! もっと早く気づけば良かった

  驚いたと云ってもこれは自分の早合点で、標識の “3000m” を標高と思ってしまったのです。

 
                 崩壊場所                                 崩壊場所

  峠から登りだすと北側の斜面が太く抉られ沢のように下に走っている。そんな場所が3ヶ所か4ヶ所もあったが登山道を歩く
限り何の危険性もありません。どうやら北側の斜面は東側に比べ急のようで、中道往還は女坂峠から北の方が難所のようです。
中道往還と平行に走っている国道358号(精進ブルーライン)を車で甲府に向かって走っても、山が深く次の集落の古関町
までは大分走った気がします。

  道脇に岩の割れ目から幹を伸ばしている木があった。幹の太さが今は割れ目と同じだが、これから気が成長するにつれ
割れ目はどうなっていくのだろう。割れ目が広がるのか、それとも幹の形が太くならずに扁平になって成長するのか。
その結果が分かるのは何年後でしょう? 当然私は見り事は出来ません。

   
          根性△△                                 ヤマツツジ

  道脇に岩の割れ目から幹を伸ばしている木があった。幹の太さが今は割れ目と同じだが、これから木が成長するにつれ
割れ目はどうなっていくのだろう。割れ目が広がるのか、それとも幹の形が太くならずに扁平になって成長するのか。
その結果が分かるのは何年後でしょう? 当然私は見る事は出来ません。

  山に入って初めて見る花です。ヤマツツジはこの後も時々見かけたが、他の花はマムシグサが咲いていたくらいでした。
この辺りの山は花が少ないのですかね。

    
                     三方分山山頂                                    三方分山の標識

  上りが終り緩やかになった先が三方分山山頂だった。
あやさんのコメントに 「三方分山」 と書かれていたが、その読み方が分からず “みかたぶんざん” とか “さんぽうぶんざん” なのかと
思っていました。正しい読みは 「さんぽうぶんざん」 でした。
そうなるとその意味が気になる悪い癖が起きてきます。素直に読めば “三方を分ける山” となるので、山頂の地図を見てみると
確かに尾根筋によって三つに分かれています。更にその尾根は市町村の境界にもなっています。
試しに国土地理院の地図でそれぞれの場所をクリックすると、見事に 「河口湖町精進」 、 「甲府市古関町」 、 「身延町八坂」
別れました。多分この集落を分ける山ということで三方分山になったのでしょう。

  
                                  三方分山山頂

  女坂峠から上る尾根途中からも樹間越しに富士山は見えていたので、山頂からも富士山は見えるとは思っていました。
しかし山頂から見えた富士山は私の期待していた姿ではありません。
今回の山行では富士山と大室山と精進湖が一直線に並んだ姿を期待していたが、これでは見える範囲も狭く、精進湖は小さく、
大室山は右に偏ってい過ぎる。
これがパノラマ台まで行ってしまうと、視界は広がるが精進湖は見えなくなり、大室山は今度は左になってしまう。
あとの期待はパノラマ台まで行く途中の尾根筋からだが、果たしてそんな景色が見えるかどうかです。

仲間ウォーク:粟ヶ岳

2018-05-09 09:58:08 | 低山歩き
歩行記録                                                           H30-5-5(土)
歩行時間:3時間55分   休憩時間:1時間05分   延時間:5時間00分
出発時刻:9時20分     到着時刻:14時20分
歩  数: 17、368歩(推定距離11.98km)    GPS距離10.8km
行程表
 倉真温泉バス停(駐車場)0:45> 県道・滝入口 0:10> 松葉(不動)の滝 0:10> 直登分岐 0:25> 林道合流 0:25> 東山道合流
 0:25> 粟ヶ岳 1:00> 榎辻 0:30> 宝殿神社  0:05> 倉真温泉バス停(駐車場)


                             粟ヶ岳周回ルート概略図

  5月の仲間ウォークは、今年寒波襲来の日に氷瀑を見たくて歩いた倉真温泉から粟ヶ岳周回ルートにしました。
滝の上から山頂へ直登するか林道経由にするかは、そのときの仲間の様子を見てから決める予定です。

 
               松葉城址入口                                アカショウビンの巣?

  前回と同じ倉真温泉の有料駐車場(¥200)に車を置いて出発したのは9時20分と遅かった。
これは粟ヶ岳の山頂で昼飯にしたいためだが、朝余裕があり過ぎると気分がだらけるようでどうも調子が出ません。

  松葉城跡は前回入口に進入禁止のロープがあったが、今はロープも無いので進入禁止は解除されたようです。
一人ならこれ幸いと行くところですがここはグッと我慢です。

  蜂の空家にアカショウビンは居るでしょうか?  残念ながら巣の入口に動く気配はありません。

 
                県道との分岐                                松葉のカヤ

  県道と云っても殆ど車が走っていない道から、更に車に出合う確率の低い林道に入ります。
その入口には掛川市指定の 「松葉のカヤ」 が見えています。樹高は14m程ですが周りに邪魔をするものが無く四方に清々と
枝を伸ばしています。このカヤは雌株なので6月ごろには実を付けるそうです。

              
                夫婦滝?女滝?                     松葉(不動)の滝

  松葉の滝駐車場を過ぎると左側から水が落ちる音が聞こえてきます。覗き込むと木の間から滝が見えてきます。
前回は冬の渇水期で滝に水はなかったが今日はかなりあります。
この滝は夫婦滝でしょうか、それとも女滝でしょうか、パンフレットには書いてあるが案内板が無いので分かりません。

  案内板と云えば松葉の滝に滝の案内板が立っていたが、前回は無かったと思う。更に滝から沢を渡り上に道に
行く近道の分岐にも標識が立っていたが、これも前回は無かったと思います。有難い事です。
松葉の滝も水量が多く中々見応えがあります。

              
                滝にある不動尊                       滝の不動尊?

  案内板にこんな事が書いてあります。
 「村人が滝に行ってみると・・・・滝に中腹に一体の石像があるのが目に留まりました。これが石に刻まれた立派な
不動尊であることが分かると誰と云うとなく、この滝を不動の滝と呼ぶようになりました。」

小さな祠に祀られた石仏がその不動尊なのか、それとも滝の中に見えている(心が清くなければ見えません)のが
不動尊なのか、さてどちらでしょう。

  不動尊の話がいつの間にかユネスコの世界文化遺産に推薦された 「長崎の潜伏キリシタン」 の話になった。
私はこのニュースをNHKTVで見て “潜伏キリシタン” に違和感を感じて、手元にある電子手帳で調べたが
 “かくれキリシタン” はあるものの潜伏キリシタンは載っていなかった。
翌日の新聞にもこのニュースは載っていて、その中の図表に 潜伏キリシタンの下に明治以降キリスト教に戻った信者と
キリスト教に戻らなかった かくれキリシタン の2種類があるようになっていた。
ついでに得意のウィキペディアを見てみると
 『隠れキリシタンとは一般的には
1・強制改宗により仏教を信仰していると見せかけ、キリスト教を偽装棄教した信者。
2・明治に禁教令が解かれ潜伏する必要がなくなっても、江戸時代の秘教形態を守り、カトリック教会に戻らない信者。
がいるが、敢えて両者を区別する場合、1・は 「潜伏キリシタン」 、2・は 「カクレキリシタン」 と呼ぶ。』

何となく理解はできたが、すると世界遺産に推薦されたのは、江戸時代の禁教令から明治のそれが解除されるまでの間の
文化が推薦されたのであって、禁教令からの教えを今でも守っている信者(隠れキリシタン)の文化は指定外なのだろうか。
何だか欧米のキリスト教文化の人たちがキリスト教に戻らなかった信者を無視したように感じるのは私の僻みでしょうか。
後日新聞の川柳欄にこんな句が掲載されました。
 「知らなんだ 隠れキリシタンと 思っていた」

 仲間の誰もが潜伏キリシタンを知らなかったが、どうやらこれからはカクレキリシタンより潜伏キリシタンなる言葉が
幅を利かせそうです。
話は滝の中の岩がキリストかマリア様に見えるだったが、平均年齢74歳で世間の汚濁に染まり切っている仲間の誰もが、
滝の中にキリスト教の神は見る事ができませんでした。

        
       モリアオガエルの卵(水中)                      モリアオガエルの卵(木の上)

  沢を渡り近道の急斜面を登って粟ヶ岳山頂への直登入口に着いた。ここで直登ルートか林道ルートか決めなければ
ならないが、中間の一人が 「今の登りより急なの?」 と聞くので 「今のはジグザクだったけど、ここは真っすぐで手を
使う場所もある」
と云うと 「じゃぁ林道コースの方がいい」 と言った。
それでも私が 「直登コースは林道コースに比べて距離も時間も半分以下」 と言ったが、最初に言った言葉に反論する
人は無く林道コースを行く事になった。

  前回は大きな石を投げ入れても割れなかった溜池に、モリアオガエルの卵が浮いていて、近くの木の葉の先端には
まだ水に落ちていない卵が幾つも付いていました。

 
     モリアオガエルの産卵(Hondaキャンプより)                      ヤマアジサイ

これを見た仲間の一人が 「蛙はあの枝先に卵を産むのだろうか?」 と疑問を投げかけた。
私は 「あんな細い所では蛙は行けないので、上で産んだ卵が徐々にずれ落ちてくる。」 と言い、ある者は
 「いや少し離れた所から勢いをつけて産み付ける。」 とか 「蛙は軽いから先端に行って産む。」 の意見が出た。
その場で結論が出なかったので後で調べると、どうやら蛙が葉の先端に行って生むが正解のようでした。

  アジサイは 「藍色が集まった」 を意味する 「集真藍(あずさい)」 から訛ったものという説が一般的らしいですが、
漢字表記の 「紫陽花」 は、唐の詩人白居易が別の花に付けた名が、平安時代に誤ってアジサイにこの漢字を当てた事で
広まったようです。フーン知らなかったな。
  
 
              「茶」の字の下で一服                             霞んでいた景色

  東山からの道に合流するまでは日陰で緩やかな道だったが、東山からの道になると坂は急になり陽を浴びるようになった。
生憎今日は遠くは、いや近くも霞んでいて景色は良くなかった。
 “茶” の字の案内の下で一服しながらの記念撮影。

  前回山頂にあった茶草で作った戌の置物は撤去されていたが、今日は5月5日の子供の日で山頂付近は賑わっていた。
茶屋の中も満員でだったが、これは我々には関係なく、昼飯は茶屋の外に座り込んで食べた。

       
                   阿波々神社に参拝                             粟ヶ岳山頂

    阿波々(あわわ)神社に参拝して無限の井戸や粟ヶ岳の山頂標識、磐座等を回りながら南平に向かう。
磐座は仲間ウォークでは昨年の直虎ブームで行った、引佐の天白磐座遺跡に次いでの見学です。特に感想も無かったので
 「磐座より上に神社があるのは不自然だ。」 と持論をぶってしまいました。

 
                 南平から                                  茶草場

  当然南平からの眺めも霞んでいてよくありません。
注意しながら茶草場の斜面を下れば、後は緩やかな下りが続く道ばかり。時間も予定通りなので自然とのんびりした歩きに
なってしまいます。
そんなとき中年の男性と女性の二人連れが登ってきたが、女性の方は大分疲れたようで杖にすがって歩いている。
 「頂上まで後どのくらいですか?」 と聞かれ、女性の歩き方から 「そうですね1時間以上はかかるでしょう」 と答えると
 「さっき道を間違えてしまって、途中で仕事をしていた人に聞いたら 「逆に歩いているよ」 と言われてしまって
引き返してきたけど、それが1時間ぐらいだったので間違えてなければもう頂上だったのに」
と妬ましげに言う。
何処で間違えたのか聞くと、倉真温泉から登ってきて、榎平で掛川方面に間違えて下ってしまったようだった。

 
                  榎 平                                 見晴しの丘

  榎平に着いてさっきの夫婦は何故間違えたのだろうと標識を見ると、前回は紙の標識だったのが、今回はプラスチックの
標識になっていた。表示は 「尾根ルート ⇦➩」 となっていて、確かに左矢印の方向が掛川方面に下る道を指している。
これでは事前調査をしない標識頼りのハイカーでは間違う可能性がある。
折角つけてくれた標識だが、ここのような四辻ではそれぞれの行先を書いた標識の方が分かりやすいと思う。
標識の向きを少し動かそうと思ったが、標識の “尾根ルート” とは何処を指してているのか考えてしまった。
粟ヶ岳に向かう林道は山の中腹を切り開いた道で、掛川に下る道は地図を見れば尾根道ともいえる。ならば標識の向きは
今のままで良さそうです。ウーン! これは再考の余地ある標識だ。

       
                    9号鉄塔                               けやきとぶなの夫婦木

  前回はハイキングコースと離れて展望台となっている9号鉄塔に登ったが、今回は私一人平らなハイキングコースを歩き
仲間だけ展望台回りにした。エヘヘ楽をしちゃった。

  前回気になった 「けやきとぶなの夫婦木」 に到着。今日は私の植物の師匠も来ているので早速聞いてみた。
 「ケヤキは合っているが、ブナの方はシイだと思う。シイはブナ科なのでブナと書いたのかな」 だそうです。

  最後に期待していたのはサンコウチョウだったが、姿はおろか鳴き声も聞こえませんでした。
ゴールの駐車場に2時20分に到着。ゆっくり歩いた5時間の行程でしたが何故か疲れます。
以前と違い短い距離でも歩き終わると結構疲れを感じ、翌日もその疲れが残ってしまうようになりました。
これが一時的な体調不良だといいんですが。

大鈩山と蕨

2018-04-25 11:23:15 | 低山歩き
歩行記録                                                       H30-4-20(金)
出発時刻:7時00分   到着時刻:11時間00分   延時間:3時間00分
歩  数: 10、289歩(推定距離7.01km)
行程表
 誓願寺  大鈩山  農道出合  誓願寺


                       大鈩山概念図

  今年は桜が異常に早く咲き、それにつられるように他の花も早くなっている。例年なら蕨採りも今頃から出かけているのだが
どうやら今年は蕨も早くなっているようだ。
大井川の河川敷では4月5日に大鍋一杯の蕨が採れたし、4月10日にドウダン原で蕨採りの方が 「今年は蕨がもう無い」
言っていた。
なので今日は蕨は採れなくて元々で、来年採れそうな場所の確認をして来ようと弁当も持たず家を出ました。
行先は大崩山塊の舟川方面か、それとも大鈩山のどちらにしようと迷ったが、若しかしてナンジャモンジャかギンリョウソウを
見る事ができるかと、誓願寺から大鈩山方面に行く事にする。

   
                 誓願寺のナンジャモンジャ                               羊歯の山道

  考えてみればナンジャモンジャは桜の花と同じような頃に咲くので、この時季では当然遅く葉のみが茂った状態でした。
それでも隣の八重桜はまだ落花盛んだが、少しは花も残っていた。

  誓願寺に車を停めたら駐車場から寺の庭園に入り、すぐ右の墓地に向かいます。墓地の右端の階段を上り階段が終ったら
上に向かう踏み跡を行きます。すぐ林に入るが明確な道は続いています。
例年と月日は同じでも気候が違うと草花の成長も違うようで、今年は羊歯が伸びていて朝露が服を濡らします。

 
               立入禁止                                 葉が開いた蕨

  二軒屋からの道と合流すると道は若干太くなります。車を寺に置いた時は墓地の横を上るが、バスで来た時は二軒屋からの
道が若干近いようです。ただ山道に入る場所が分かり難いので、一度ここを下って確認してからの方が良いでしょう。

  登山道の横にビニールテープが張られ “立入禁止” の札が出てきます。ここは蕨を管理しているので蕨採りを禁止している
ようです。そのような所は敬遠して上に向かいます。
しかし道端にある蕨は、どれもこれも既に伸びきっていて葉が開いた状態です。矢張りくる時期が遅かったようです。

 
               ギンリョウソウ                              竹林の道

  林の中には蕨はありません。しかしこの林はギンリョウソウ(銀竜草)の群落があるのですが、今年はその花(?)も非常に
少ない。多い時は林のあちこちに白い塊りを作っているのだが、今年は道端にほんの少しあっただけだった。
ギンリョウソウの事を書く時は必ずネットを見るのだが、その度に不思議に思うのはウイキペディアにギンリョウソウの学術的
分類を “ツツジ目 ツツジ科” としてあることです。
納得できず他の植物図鑑を調べると、多くは “イチヤクソウ科” とあったが、中には “イチヤクソウ科からツツジ科に移行” とか
 “ギンリョウソウ属からツツジ科に移行” などと書いてあるものもあったので、あながち “ツツジ科” でも間違いではない
ようです。しかし何処がどうツツジなのか私には理解できません。

  里山では付き物の竹林の道です。勿論蕨はありません。 

 
               大鈩山への分岐                             レールは急降下

  モノラックのレールが始まる所で道が分岐しています。道標は無いが大鈩山や飯間山方面は右方向を上ります。
レールに沿って直進する道はまだ歩いた事はないが、地図ではこの先は国1沿の赤目ヶ谷上集落に続く農道に出ています。
蕨はこの分岐より上には無いのは分かっているので、この新しい道を調べてみる事にしました。

  私の蕨の探し方は茶畑回りとか放置茶畑の中やその周辺が主で、茶畑も無く森林ばかりのような場所は探しません。
さら他のシダ類が蔓延ってくるとワラビの生命力は弱いのか、すぐ縄張り争いに負けて生えなくなってしまいます。
そのため下草刈りのが行われない場所は数年で蕨は採れなくなってしまいます。
そんな分けで蕨のある場所を知っていると云っても、その場所は変化してきます。

  マ~そんな訳で分岐より上は林ばかりなので蕨はありません。そこで来年のために新しい場所を見つけようとレールに沿って
初めて歩く道に入ります。
道が下ることは分っていますが、少し開けた所から見えた光景は、放置茶畑に藪、そして竹林と蕨の生えそうな場所ではない。
農道まで下ればめぼしい場所はあるかもしれないが、このまま下るにはまだ9時前なので早すぎる。
それなら大鈩山の先の気になっている道標の道を歩いてみよう。確かあそこも農道に合流していたはずだ。
急遽レールをバックして分岐点に戻る事にした。

 
               山道らしくなった                            直登への分岐

  分岐からの上の道は一応山道らしくなってくるが傾斜は緩く歩きやすい。最初の支尾根が発生した所に古く枯れた道標が
残っているが、多分ここを登れば四等三角点の赤目ヶ谷なのだろうがまだ歩いていない。ここまで分岐から約10分。
更に10分も行くとまた支尾根が発生し、そこには分かりやすい印刷して道標が張ってある。
この支尾根を直登した上で飯間山からの縦走路に合流する近道になるのだが、今日は久し振り直登せず一般道を歩く事にする。

 
              縦走路合流                                直登との合流

  直登の分岐から約10分で縦走路に合流する。飯間山は今来た道を直進して大鈩山はこの合流部を鋭角に曲がります。
ここから尾根部分になり傾斜が少しきつくなるが、5分程で先程の直登部分と合流。
アレー? あの直登の入口からここまで15分で来てしまった。以前直登した時はここまでは10分程だったので若干は近道だが
左程の事はない、頭では三角形の一辺か二辺を歩くかの違いなので、随分近道だと思っていたがそれ程でもなかった。

 
               不動尊分岐                                大鈩山

  大鈩の不動尊への分岐ですが、ここを下っても茶畑も農道も無く不動尊に出てしまいます。よって蕨は無いのでパス。
分岐から直ぐで大鈩山頂ですが視界は効かずピークでもない淋しい山頂です。
以前この徳願寺の尾根を縦走していた人が、大鈩山に気が付かなかったなんて話を聞いた事があるが、その原因は縦走路は
山頂の約5m手前で鋭角に右に曲がっています。その先にある標識が目に入った人はそのまま右折して山頂には行かず通り過ぎて
いたようです。だが今は標識が沢山付いているの、まず見落とす事はないでしょう。

 
               二軒屋(誓願寺)分岐                            分岐の標識

  初めて歩く気になった道は大鈩山から約10分の所から始まります。
植林された林の尾根を快調に下って行くと木の根元に標識が見えます。縦走路はここを左に曲がるのですが、以前ここには
この木の根元の標識しか無く、それに気が付かず道なりに下ってしまって人が多かったようです。
しかし写真では標識が写っていないが、左側には標識や目印が幾つも付いているのでまず見落とす事はないでしょう。

  禁猟区の看板の上に付いた道標には直進方向に 「誓願寺」 、左折方向には 「徳願寺」 とマジックで追記されてます。
私は以前からこの “誓願寺” に疑問を持っていて、不動尊入口を越してから誓願寺に行くには不動尊の道を横断しなければ
行く事ができないと、思っていました。つまりこのマジックは間違っているのだと。
しかし何かの折に 『安倍山系』 の著者松浦氏(松理さん)に 「分岐を直進すると農道に出る」 と聞いて地図を見ると
道は繋がっていないが、確かに分岐を下って行けば農道に出そうだった。
今日は来年の蕨のためにも、マジックに書かれた誓願寺の確認のためにも歩いてみます。

   
               急に細くなった                              落葉の道

  植林された林が終ると道は細くなり羊歯に覆われだした。だが無理のなら戻れば良いと気は楽だった。
細い羊歯の道はすぐ終わり、次の道は落葉の積もった沢状の道だった。お不動さんに下る道もこれと同じような道だったが
それより傾斜は緩く楽だったが落葉が滑るので注意が必要だった。
しかしこの程度なら年寄り仲間の低山歩きのコースにも使えそうです。

   
               ガレた道                                 農道が見えた

  楽な感じで下って行くと沢音が聞こえてきて道はガレ場の斜面を斜め横断する道になった。
写した写真は楽そうな所だが、実際はもっとガレた急さ斜面で、とても仲間との歩きでは使えそうもない場所でした。
そんな場所が終るとようやく下に農道が見えてきて、この区間唯一の道標があった。

 
                農道降り口                               丸子富士

  農道の上に出たが道路面までは1m程あり、とても今の私には飛び降りる事ができません。
視線を右に左に動かして斜面になった降り口を見つけました。アー良かった。
ここま縦走路の分岐から約12分程でした。

 次回ここを登るとき登り口が分かるだろうか疑問だが、農道入口から登ってきて何に使うのか分からない大きな鉄枠の先の
カーブの手前です。付近には右にもカーブの左上にも壊れた作業小屋がありました。

 
                不動尊道と合流                            不動尊道と合流

  農道に出るとミカン畑があり周りには草地も目に入る。蕨の葉は無いかと鵜の目鷹の目で探したが蕨の葉は無い。
わざわざ農道を離れてミカン畑に入るのも億劫にになっていたし、時刻も10時半を過ぎている。
今日は弁当を持ってきていないし、昼までに家に帰りたいのでこれ以上のんびりするわけにはいかない。
でも多分この農道脇には蕨は無いでしょう。そんな気がします。

  大鈩不動尊の道に合流した場所は、不動尊の手前にある “日本一の大鯛焼き” の店の少し不動尊寄りでした。
ここまでが農道に合流してから約10分でした。
合流点は誓願寺よりお不動さんに大分近い場所だが、分岐の表記は誓願寺と大鈩不動尊とどちらが良いのだろう。
どちらでも間違いはないがウーン! 矢張り 「誓願寺」 のが良いのかな。それとも両方を併記するのも、いやそんなスペースは
あそこには無い。矢張り誓願寺で良しとするか。

  そうそう探していた蕨の葉はお不動さんへの道では目に入ったが、近くには民家もありとても蕨があったとしても採りにくい。
それになんだかんだと云っても収穫はレジ袋2/3はあったのでもう良しとします。

紅白の花を求めて島田奥へ(柏原)

2018-04-21 16:01:15 | 低山歩き
歩行記録                                                       H30-4-10(火)
歩行時間:4時間40分   休憩時間:0時間50分   延時間:5時間30分
出発時刻:8時50分     到着時刻:14時20分
歩  数: 21、028歩(推定距離14.51km)    GPS距離km
行程表
 静居寺 0:25> 林道終点 0:35> 農道出合 0:05> 矢倉山入口 0:35> 田代霊園 0:35> ドウダン原 0:55>
 柏原 0:30> 赤松地蔵堂 0:20> 伊太集落 0:20> 国1BP下 0:20> 静居寺 

    
                     柏原分岐                               柏原への山道

  満開のドウダンツツジに満足して道を戻れば、直ぐある柏原の分岐で女性が標識を確認していたが大丈夫でしょうか。
ここの標識は行先はしっかり書いてあるし、地図まで付いているので迷う事はないだろと判断して、会釈をしただけで右に下る
柏原の道に入る。
柏原への道は、ほぼ下り状態で道もはっきりしているので快調に歩けるハイキングコースでした。

 
               34号鉄塔                                 分岐の表示

  道が送電線の鉄塔の下を通っていたので鉄の蜘蛛の巣を写しておいた。
道が二俣になった所に〇の上下に矢印の付いた標識が立っていたが、そうかこれはこの先で分岐した道が合流すのだと納得して
進むと、案の定道が合流した所に同じ標識が立っていた。
このような標識は有難く、初めて来た時はこのように道が分岐していると、不安になるのだがこれなら安心して歩けます。

 
                大井川が見えた                              水溜り

  分岐から木の間の道が続いていたが、40分ほど歩いた所で大井川が見える場所に出た。
大井川に架かっている橋は車も通れる水路橋で、左の端の山は粟ヶ岳とは分かるが、中央の鉄塔のたくさん建っている山の
名前は分かりません。

  見晴しの利く場所と道を挟んだ反対側が黒く見えるので覗いてみると、道に沿って細長い水溜りができている。
水溜りと云っても深さもありかなりな物だが、最近これほど水が溜まる雨が降ったかな? 覚えていない。
ヌタ場どころか動物の水飲み場かしら?

 
                ドウダンツツジ                          ドウダンツツジの群生?

  この界隈でドウダンツツジを目にするのは、ドウダン原だけだが(ペンションの付近にもあるが、移植したのではないかな)
理由は何なんだろう。気候はこの辺りなら何処も変わらないので、土質の違いなのかなどと考えながら歩いていると、タイミング
良く白い花が見えた。藪の中に身を入れて確認すると間違いなくドウダンツツジだった。
この辺りもドウダンツツジは群生していたが、何故か花の咲いているのは藪の中で、ドウダンと思われる木が群生している所は
花が付いていない。

 
                柏 原                                 柏原から大井川

  ドウダンが目につき出して直に草の広場に出た。広場の正面に標識もある事からここが柏原だろう。
広場の周りにもトウダンが咲いているのを見ると、この辺りはドウダン原より広い範囲でドウダンが生育しているようです。
眺めも良く広場もあるので、ここのドウダンを保護してやれば、ドウダン原より人気の出る場所になりそうです。

  ここから先の道はと、広場からの道を探すと、標識の横から大井川に向かって下る道と、広場の上から南に延びる道があった。
どちらの道にも標識は無いが、多分伊太和里の湯に行くのは南に延びている林を伐採した太い道で、大井川に向かって下る道は
新東名大井川高架の橋桁に出る道だと判断をした。

  ベンチに座りしばらくすると女性が一人大井川の方から登ってきた。挨拶をして道を確認すると大井川から登ってきたと言う。
では伊太和里の湯はもう1本の道かと聞くと、 「あの道は歩いた事はないので知らないが、伊太和里の湯に行くには、大井川へ
下る途中に標識のある分岐を行けばよい」
と教えてくれた。
ラッキーです。女性が来なければ南に延びている道を行ってしまいました。しかし何となくもう1本の道にも未練があった。

    
               急な階段                            新東名がよく見える

  大井川に下る道は真中がよく踏まれた赤土の道で、いかにもハイキングコースらしい。
道は直に傾斜はきつくなり階段が現れた。踏板に滑り止めの鋲が付いた階段は延々と下に延びていて、ここを登るのは中々
大変そうです。
こんな急坂があるのじゃぁ柏原がドウダンの名所になっても登る人は増えそうもない、なんて思いながら下るが、ここの階段は
結構歩きやすい。長い階段と云えば大崩山塊の花沢山だが、あの階段は擬木で段差が大きく、しかも水が溜まる範囲が広い
のか土が流されていて、とても階段を歩ける状態ではない。そのため階段横の斜面を歩くようになってしまっている。
その点ここの階段は一人が歩く幅しかないが、段差が低く歩きやすいので斜面には足跡は無い。
こんな階段が増えてくれると有難いな。

    
                      標識がある                               「伊太」とある   

  前方に標識があり、正面は 「ハイキングコース入口」 で、鋭角に曲がる方は 「伊太」 になっている。
ここを行けば一気に伊太和里にの湯に行けるだろう鋭角に曲がった。
そう言えばさっきの女性は理解できない事を言っていた。
 「分岐を行くとお墓に出るのでそこから温泉に向かうと」 と言っていた。伊太和里の湯で墓と云えば田代霊園んで、今日もその
横を通ってきた。だが霊園は温泉より上にあり、この分岐は温泉よりズーと下だ。温泉を通らずして墓に行ける訳はないので
 「お墓は田代霊園ですか?」 と聞くが 「お墓の名前は知らない」 そうだ。だが 「2回歩いた事がある」 そうです。

  少しぐらいは疑問が残ったまま歩く方が面白いので、何の不安も無く伊太の道に踏み込んだのだが・・・・・・・・・
ほんの10m行かないで踏み跡が分からなくなってしまった。地形などから見当をつけて先に進んだが、その先にも踏み跡はない。
更に先もと思ったが、ここなら入口にすぐ引き返す事ができると自分に似合わず弱気になって戻る事にした。
まだ入口から少ししか入っていないのに戻る道が分からず、出た所は標識から外れた場所だった。

  後日この辺りの山に詳しい人に話を聞くチャンスがあったので、この道の事を聞くと
 「柏原南東の尾根方向に「伊太」の道標がありますが、新東名工事で寸断され現在は廃道です。従って柏原から直接伊太へ
下る道は現在ありません。」
との事です。入り込まないで良かったな。
序に静居寺の道も確認すると 
 「静居寺からの道は沢沿いを進み、沢が左(西)に振れていく手前で沢を渡り小尾根に取り付きます。5、6年前には、壊れた
橋があったと思います。
僅かでアスファルトの農道終点に出て、これを登って行くと茶畑となって244.2三角点に出ます。2万5千分の1地形図の通りです。
薄暗い陰気な道で、ハイキングに使う人は殆どいません。マムシもよく居る場所なので、あまりお薦めのルートではありません。」


  私が狙った道もその道だったが、小尾根に延びる道は確認できなかった。多分幾つもあった壊れた橋の一つから延びていた
のだろう。それに確かにあの辺りは湿った感じがする場所で蛇がいてもおかしくなさそうな所だった。
次回の探索は蛇が出なくなる冬に、今度は上から歩いて確認してみます。

 
               新東名が近くなる                           黒曜石?

  柏原からは随分下に見えていた新東名が同じ高さになってきた。登山口の赤松地蔵尊は近いでしょう。
道に黒い岩石があったが黒曜石だろうか。だが黒曜石は火山岩の一種なのに、この辺りに火山があったとは聞いたことは無い。
以前天城を縦走した時に黒く尖って光る石を拾ったが、後で調べると天城には黒曜石があると知り喜んだことがあった。
黒曜石と云えば、御前崎の “星の糞遺跡” には、縄文時代に信州から持ってきた黒曜石の石器があった。
ここのが黒曜石なら遠い信州から運ばなくて済んだのだから、やはりこれは黒曜石ではないのだろう。

 
              赤松地蔵尊                                新東名より下に来た

  柏原から約30分でハイキングコース入口の赤松地蔵尊に着いた。境内には登山者の車なのか何台か停まっていたが、此処を
歩く人は柏原かドウダン原をピストンするのだろうか? 余り面白いコースではないな。
私なら赤松地蔵か伊太和里に湯に車を置き、赤松地蔵-柏原-ドウダン原-伊太和里の湯-赤松地蔵の一周コースを歩くだろう。
そうだ来年ドウダンツツジの頃に仲間ウォークのコースにどうだろう。そうなれば伊太和里の湯に車を置こう。

  来年の事はどうでも良いが、これから先はどうしよう。もうここまで来てしまえば矢倉山には登る気はしないのでパスとして、
伊太集落から静居寺に行くコース。大井川沿いの県道を国1バイパスまで下って静居寺、あるいは大井川のマラソンコースを
バイパスまで下るコースもできる。
だが大井川沿いの県道は交通量が多いので歩くのは嫌だ。マラソンコースは良いがバイパスに出てからが面倒そうだ。
なら伊太集落に行ってからバイパスに出れば、バイパス横に歩道があるかもしれないのでそれにしよう。

 
              2車線の新東名                           矢倉山の岩場が見える

  折角下った道を今度は車道を登り返す。本当に下らない事をすると思いながら歩くので疲れは増します。
新東名と同じ高になると標識が見えて、トラックの絵の描いた車線から右に移動しろとなっている。
確かこの区間は110kmの試行区間の筈なのに何故なんだ? その先の車線は2車線しかないのも変だ。
110km区間が2車線や3車線になったりしては、80k制限の大型車と度々合流しなければならないので危険この上もない。
とは言えここは間違いなく2車線になっている。

  前方に見える山は登る予定だった矢倉山で、山頂直下の展望台のある岩も見えている。
あそこから見ると新東名が真下に入り込んでいるように見えるが、ここから見ると随分ずれた位置になっていた。

 
             矢倉山登山口                                  山 藤

  矢倉山からは随分離れていると場所に 「⇦矢倉山45分」 の標識が立っていた。今日は矢倉山からここに下る予定だったが、
山頂からここへは下れるが、ここから登るとなるとこの場所が分かり難い場所だ。
ただ矢倉山の標識の横に “玉雲寺墓地” の看板があるので、玉雲寺を探せば何とかなりそうです。

    
                    新東名の入口が無い                           静居寺の看板

 国1バイパス上り線の旗指ICと中央公園までの間を車で走っていると、車線の外側に歩行者用通路が見えるので、今日は
その道を歩こうと思っていた。そこでバイパスに出た所にある橋を渡ったのだが、上り線に行く道は無かった。
家に戻りネットの地図を見ると、私が確認した次の島田市の斎場に行く橋を渡った所から歩行者用の道は延びているようです。
しかも斎場に行く道をズンズン行くと矢倉山入口のある農道の三辻まで続いていた。いつかこの道も歩いてみたいな。

  電信柱に静居寺の案内が出てきたが、寺の名前にはルビが振ってあるので助かります。その一方でこの地区名の 「旗指」
そのままです。この “旗指” の字をを初めて見て正確に読める人は少ない、いや殆どいないでしょう。
普通に読めば “はたさし” か “はたゆび” だろうが、実際は 「はっさし」 と読むようです。
折角寺の名前に仮名を振ってくれたのだから地名にも振ってほしかったな。

  旗指の地名の謂れを書いた案内板がバイパスの近くに立っていたので概略を紹介します。
 「永禄11年から天正年間にかけ、徳川・武田の両軍は千葉山智満寺を中心に猛烈な戦火を交え、この付近の社殿仏閣多数を
廃墟と化した。そのころ徳川の軍勢は、この旗指の地に陣営を布き幾本もの旗樴を風に靡かせ武田の軍勢に対抗した家康公は、
この山の丘の森蔭に本営を置いて全軍を指揮した。家康公は肌身離さず奉持していた守護神を今の三寸神社に奉納して戦勝の
祈願をしたと伝えられている。」


ようはこの幟旗を立てた場所が現在の旗指地区なのでしょう。
この案内板の中で気になったのは、永禄11年に武田と徳川が島田で戦ったとあるが、この年は武田軍が今川義元が没して力を
失った駿河に攻め込んで来た、いわゆる “駿河侵攻” の年です。なので武田の敵は力が弱くなったとはいえ今川勢だった筈です。
この地で武田と徳川が戦ったとしたら、金谷の諏訪原城が徳川勢の攻撃で落城した天正3年以降から、藤枝の田中城が矢張り
徳川の攻撃で開城した天正10年の間だと思われます。
とは言え、その当時となると駿河での武田勢は勢いを失っていたので、家康が守護神を神社に奉納して戦勝祈願をしなければ
ならないような戦闘があったとはとても思えません。多分単なる言伝えなのでしょう。

    
                    清浄結界橋                               無碍門

  何とか無事に静居寺に戻る事ができました。
寺の入口にあった惣門より大分下に 「清浄結界橋」 とあり、その横面には静居寺境内と彫られています。
今は車道が走り民家も立っているが、昔はこの辺りは静寂な地であったのでしょう。

 次にあった 「無碍門」 は “むげもん” とも読むのでしょうか。意味は? ウーン分かりません。
ムゲで思いつくのは “ムゲにしないで” のムゲだが、こちらのムゲは “無下” と書くらしいので関係なさそうです。
次に思いつくのは “融通無碍” で、こちらの意味は “考え方や行動にとらわれるところがなく自由であること” でした。
ならこの門は “何にもとらわれることない心” になって入る門でしょうか。

    
                       鹿背橋                               三門禁葷酒

  またまた難解な言葉が出てきました。 「鹿背橋」 カノセ橋かカセ橋か、それともシカノセ橋か分からないが何でしょうね。
標石の後ろ側には一段高い石があるがこれが鹿背橋なのでしょうか。
とは言え盛り上がった石の状態が鹿の背中とも思えないし、石橋のまだら模様が鹿の模様に似ているとはもっと思えない。
分かりません。

  惣門の前に立っている「三門禁葷酒」 なら “さんもんきんくんしゅ” で意味は寺の中にニンニクのような性のつく食べ物や
酒を持ち込むなという事でしょう。
ウイキペディアに本当かどうか分からないがこんな事が書いてありました。
 「『説文解字』(最古の部首別漢字字典)は「葷」を「臭菜也」(臭い野菜。部首は草冠で音は軍)と説明している通り、本来は
ネギ属の植物を指していたが、なまぐさと訓読みする」
となると生臭坊主はここから来ているのでしょうか。

  今日の目的の紅白の花は、紅の部分は早すぎたが白は大満足でした。次いで来年の初詣用の道調べも残念ながら静居寺
上の道が分からないままです。これは蛇が出なくなった頃にもう一度挑戦しようかと思っています。
来年の初詣ウォークが “島田一社二山3山” とか “島田一社2山三寺” の表題になれば道探しは成功した事になります。
果たしてどうなるか、マ~来年の事を言うと鬼に笑われてしまうのでこのへんで終わります。

紅白の花を求めて島田奥へ(ドウダン原)

2018-04-18 08:45:27 | 低山歩き
歩行記録                                                       H30-4-10(火)
歩行時間:4時間40分   休憩時間:0時間50分   延時間:5時間30分
出発時刻:8時50分     到着時刻:14時20分
歩  数: 21、028歩(推定距離14.51km)    GPS距離km
行程表
 静居寺 0:25> 林道終点 0:35> 農道出合 0:05> 矢倉山入口 0:35> 田代霊園 0:35> ドウダン原 0:55>
 柏原 0:30> 赤松地蔵堂 0:20> 伊太集落 0:20> 国1BP下 0:20> 静居寺 

    
                     矢倉山入口                              矢倉山の階段

  矢倉山の入口を入ると道は急降下して次は上りになる。矢倉山の階段は地元の青年が整備してくれたと以前聞いたことが
あるが、擬木を使った見るからに金が掛かっている階段とは違い、段差も低く幅も適当に狭いので歩き易い道です。 

    
                     尾根道合流                                尾根道

  ここから先は矢倉山には登らず下の四辻を右に曲がって伊太和里の湯に行き、温泉からドウダン原に向かいます。
ドウダン原からの帰りは、伊太丁仏参道を下り矢倉山直登コースで山頂に行き、その後伊太集落に出て車道を静居寺まで
帰ろうと思っています。
だが、尾根道に合流して気が変わった。尾根の合流部を左に行けば矢倉山だが、右の道はまだ歩いた事が無かった。
所詮は麓の尾川集落に行く帰り道用だと思っていたので、標識の下に地図もあったが余り真剣に見た事が無い。
それが 「伊太和里の湯にも行けます」 の文字が目に入り興味を覚えた。
地図を見ると思っていた以上に温泉と離れていない場所で車道と合流している。しかもそこが歩く予定の温泉上の山道の
入口ある田代霊園の近くだった。
これなら矢倉山の四辻から山道入口に行くより、上り坂の車道歩きもグンと少なくなりよっぽど楽そうだった。
そうなれば当然新しい道を歩きます。

 尾根の道は平坦な歩きやすい道だったが5分程で放置茶畑横の農道に出たしまった。

 
             三辻手前の農道が見えた                         お茶の新芽

  農道に出ると先程歩いた三辻手前で千葉山が見えた場所が見えていた。ならあそこからもここが見えるでしょう。
整備されている茶畑はもう柔らかそうな新芽が延びていた。今年は桜が早かったがお茶も早そうです。

 
               農 道                                   農道を歩く人

  山道は平坦で農道は下り坂の歩き易い道です。前方にレジ袋をさげた人かノロノロ、ヨロヨロ歩いています。
追い抜く時に 「蕨が沢山取れましたね」 と声を掛けると、振り向いた顔はポチャポチャとした色白の優しい顔のお年寄りで
 「イヤ今年は蕨が全然少ない。いつもならザック一杯になるのに」 と言う。
確かにザックを見るとペチャンコのままで、レジ袋も蕨が1/3も入っていない。

  私も例年この時期には大崩山塊でザック一杯の蕨を採ってくるが今年はまだ行っていない。
それと言うのも今年は早い段階で大井川の堤防で蕨を大鍋一杯採ったからだ。
大井川の堤防は毎日のように歩いているが、近年土手に蕨の葉が見えるようになったので今年は土手に入ってみた。
すると丈も太さも例年取る蕨の数分の一くらいだが柔らかい感じがした蕨が沢山生えていた。
しかも場所が斜面なのでしゃがまず採れて楽だった事もあり、1時間位でシャツ一杯(手ぶらだったので下着に入れた)に
なった。それで大崩山塊の蕨採りが遅くなってしまっている。

  蕨採りの人は足は遅いが会話は快調で
 「あんた私が何歳に見える? もう90をとっくに越しているが肝臓がんもやったし歩くには大事な脊髄の手術もした。」
成程それで歩き方が覚束ないのか。それにしても90歳を越して一人でこんな場所を歩くなんて大したものだ。
 「あんたは山が好きかねぇ。私も若い頃は槍に3回行ったし、北も南も北海道の山にも登った事がある。この辺の山は殆ど
歩いているけど、あんたはこれからどっちに行くのだね」
 「ここからドウダン原に行こうと思っています。」 「ドウダン原なら市道を左に行って霊園の所から山道に入ればいい」

正確に教えてくれる。ならば静居寺の道も知っているか聞いてみると
 「バラの丘公園から登って尾根の農道に出たら、下る農道に入って行けばジョウコさんに行ける」 とこれも教えてくれる。

  私より20歳ほど歳が多いらしいが大したものです。記憶も確かでノロノロ歩きとはいえこんな場所を一人で歩けるのだから
体力的にも支障は無さそうです。20年後には私は果たしてこんなに元気でいられるか?
マ~無理でしょうね。今でも記憶違いで道を間違ったり、脱水症で救急車に乗ったりと周りに迷惑をかけているのだから。
それにしてもこの方の家族は90代の年寄りを一人で蕨採りに越させて平気なのだろうか? それとも一人暮らしなの?
 「私はここを行くけど道は分るね?」 と言って放置茶畑の間を入って行った。お気をつけて。

 今年の2月に行った粟ヶ岳でも山道でお年寄りに会ったが、あの人は今の人より不安を感じたが無事下った事でしょう。
私があと10年低山歩きができたとしても、所詮は一人歩きをするしかないでしょうが、そのとき山で会った人は私を見て
不安を感じないだろうか? 多分感じるでしょう。じゃぁどうしたら良いのか解決策は思いつきません。
70代を過ぎれば歩こう会もハイキングクラブも新会員としては歓迎しないだろうし、だれか良い案を教えてください。

 
             田代霊園前の分岐                              山道への階段

  農道が合流した車道は上り坂になると思っていたら、なんと緩い下り坂が田代霊園まで続いていた。
これなら尾根の分岐からなら四辻経由で温泉に行くより、こっちの道の方が断然楽でいい。
もっと歳を取ったら温泉から矢倉山に登り、この道を通って温泉に戻れば手軽な周回ルートになる。
そんなルートで満足するのは後何年後でしょうか。

  田代霊園は道の左側にあり、ドウダン原への道は右の奥にあるが標識はありません。
将来何になるのか分からない、かなり広い広場を右に行くと、前方に擬木の階段段が見えてきます。
そこがドウダン原入口です。

 
               最初の標識                              現在地が違っている

  擬木の階段を登ると三辻になっていて、右がドウダン原で左が伊太和里の湯方面です。
標識にかなり詳しい地図があったので、帰りの道を確認しようとすると現在位置が実情と合っていない。
地図では現在位置が伊太丁仏参道に付いているが、ここは丁仏参道ではなく車道の近くです。
さらに車道からすぐ山道になっているが、今は広場を通った先が一般的な道です。

  実はここの標識は温泉ができた頃から道が無いのに伊太和里の湯の表示があった。標識通り行くと左横に温泉はあるが間に
沢があって渡る事ができなかった。仕方なく大分下がった太陽光設備の所で、沢が側溝に整備された所を渡って温泉まで登り
返したことがある。
それが3・4年ごろ前に温泉から立派な道が開通して不具合は解消したが、この地は標識設置者には鬼門のようですな。

  
             山道                      山道                    丁仏参道合流

  こんな道が続いています。山道に入って15分も歩くと下からの伊太丁仏参道に合流します。
ここの地図の現在地は合っていました。

  
                                     十四番石仏                    

  丁仏参道に入ると江戸時代の石仏が参道入口から智満寺までの1町ごとに33体祀られています。
今もお詣りする人がいるようで、それぞれの石仏には赤い毛糸の帽子や涎掛けが掛けられていました。

 
               柏原合流                                 リンドウ?

  丁仏参道と合流して10分も歩くと柏原からの道に合流します。さっきの地図に 「千葉山ハイキングコース」 と書いてあった
道です。この道はまだ歩いた事がないので一度は歩きたかったが、今日は丁度良い機会だと歩きながら考えていました。
地図では柏原から大井川の赤松地蔵に出るようになっていたが、最近見たブログにこのコースの紹介で
 「柏原から一気に伊太和里の湯に下った」 と書いてあったのを思い出した。
それなら温泉から矢倉山に登って伊太集落に下る事もできる。柏原に行けば温泉への道の案内があるだろう。決めた!!

        
                             ドウダン原入口から

                              ワァ~! すげぇ~!

    
                    ドウダン原標識から                              石仏と

  今まで何度もここにドウダンツツジを見に来ているが、こんなに素晴らしいのは初めてです。
今年が素晴らしいのか、たまたま今までは時期が合ったのか分からないが素晴らしい。
こんなに素晴らしいのに見ている人は少なく3組5人しかいなかった。

        
                                 最高ですね

  今日のテーマの 「紅白の花を求め島田奥へ」 の紅は空振りだったが白はホームランだった。

        
                                 アップ

  しかし花をアップにしてみると少し皺ができ始めている。どうやら今が最盛期で後は徐々に萎んでいくのだろう。
グットタイミングでした。

紅白の花を求めて島田奥へ(静居寺)

2018-04-15 16:00:00 | 低山歩き
歩行記録                                                       H30-4-10(火)
歩行時間:4時間40分   休憩時間:0時間50分   延時間:5時間30分
出発時刻:8時50分     到着時刻:14時20分
歩  数: 21、028歩(推定距離14.51km)    GPS距離km
行程表
 静居寺 0:25> 林道終点 0:35> 農道出合 0:05> 矢倉山入口 0:35> 田代霊園 0:35> ドウダン原 0:55>
 柏原 0:30> 赤松地蔵堂 0:20> 伊太集落 0:20> 国1BP下 0:20> 静居寺 

     
                           静居寺からドウダン原周回概略図

  高草山のキスミレと千葉山ドウダン原のドウダンツツジが最盛期を迎えていると云う。
さてどちらに行こうと悩んだが、高草山は黄色だけ、島田なら紅白の花が見れるかもしれない、ならば島田だ。
それに来年の初詣ウォークには、島田3山と千葉山智満寺を含めた 「島田三山3山」 もいいなと思ってもいる。
ただコースの設定が難しく、寺の三山は智満寺、静居寺、天徳寺か東光寺にしたいが、静居寺周辺の道が分からない。
以前車で静居寺の牡丹を見に行き、花壇を手入れをしている人に、静居寺から尾根へは道があると聞いたことがあるので、
それなら今回は丁度良い機会だ。今日は静居寺からの道を探しながらドウダン原へ抜けてみよう。

 
                静居寺惣門                                牡丹の花壇

  「青原山静居寺」 寺の山号寺号は難しい字が多いが、ここは字は易しいが読み難いですよね。
寺号は来る途中の標識に “静居寺(じょうこじ)” と書いてあったので読めたが、山号の青原山は “あおはらざん” なのか
 “しょうげんざん” あるいは他の読みなのかも分かりません。
更に静居寺の建つ地名は、島田市 「旗指」 です。さてこれも “はたゆび” なのか “はたさし” なのか分かりません。
何とも謎の多い静居寺です。

  この辺りの曹洞宗の古刹であれば、榛原の石雲院と関係がありそうだが案内板には何も書いてない。
ましてや石雲院の弟子が開いた焼津の林叟院の事など書いてある訳はないのだが
処が林叟院のHPにはこんな事が書いてあります。
 「名僧崇芝性岱(そうししょうたい)禅師が開いた坂部の石雲院には、三千人を超える修行僧がおりました。その中に石雲七哲と
いわれる七名の名僧の内の一人、賢仲繁哲(けんちゅうはんてつ)禅師が修行に励んでいました。
賢仲禅師は38年間を林叟院にて過ごしましたが、70歳を過ぎて禅師は島田の伊太の愚鶏寺に閑居しましたた。その後弟子の
大樹宗光(だいじゅそうこう)師が静居寺を建立することとなり陰に陽に助力を与えました。その建立後は静居寺で老を養う身と
なり永正9年静かにその生涯を閉じました。齢七十五歳でありました。」
 とあります。

 だが静居寺の案内板には 「16世紀頭に賢仲繁哲を開山として建立されました。」 とあるだけです。
ここに “林叟院の住職だった賢仲繁哲が開山し・・・・・” とあればもっと地域的興味も増すと感じるのは私だけでしょうね。

  ここの惣門が京都から移築した建物で県の有形文化財に指定されています。
この門の特徴は 「向唐門(むかいからもん)」 で、正面および背面に唐門がある事です。
確かに正面から見ても裏面から見ても唐門様の屋根が見えます。

  牡丹は惣門から山門に続く参道の両側にあるのですが、残念ながら咲いていたのは3株だけ。後は蕾の状態でした。
今日の “紅白の花を求めて” の “紅” は空振りでした。

    
               牡 丹                                   牡 丹

  わずかに咲いていた牡丹です。

 
               池と山門                                      山 門

  案内板には山門とあるが無碍門、惣門と続いているから三門とも云えそうだし、形は楼門、鐘門でもあります。

    
                経 蔵                                    輪 蔵

  本堂の裏には八角堂の経蔵があり、経蔵の中にはグルグル回る輪象がありますが、これも静岡県では珍しいものです。

    
               童地蔵                                  無事カエル

  境内にあった蛙の置物です。今日も無事歩いて戻ってこなければ。

     

  静居寺からバラの丘公園上の稜線のハイキングコースまでの道は、地理院の地図を見ると林道、山道、農道と線は
繋がっているので大丈夫だろうと考えていました。

 
                  別荘?                                  サワガニの里

  静居寺横からの沢横の道は、意外に太い道でびっくりしたが、途中にあった大きな建物の先からは普通の林道でした。
途中には 「杉の小径 さわがにの里 二ノ橋」 の表示があるのは、ここは遊歩道なのだろうか。

 
                  林 道                                   放置自動車

  放置されたままの自動車には “佐の幸” と店の名前らしきものが見えるが、度胸いや図々しい人だ。
よく看板を付けたまま放置できるものだ。なんて思ったが、ここが佐の幸さんの私有地なら私の方が無断進入になってしまう。
桑原、桑原、余計なことは言わないでおこう。

    
               うぐいすの滝                            落ちそうな木橋

 「うぐいすの滝」 は滝のような段差は無いが、岩が木の根のように見える変わった感じだった。
滝を過ぎると林道は細い道になった。オット! 木製の壊れそうな橋だ。木が腐っているのでソット歩かなければ。

    
                石橋と木道                           遂に橋が落ちていた

  一度は細くなった道だが、壊れた橋はコンクリの橋でそれなりに幅は広かった。だが出て来る橋、出て来る橋、全て落ちていて
沢に下りなければ渡れなかった。

 
                橋が無くなっている                           堰堤が見える

  元は林道だったのかどうか分からないが幅広のコンクリ橋がある以上林道は続いていると思うべきだろう。
それに右側を見てきたが分岐していた道は無かった。それなら沢沿いの道を遡るしかない。
 
  遂に太めの道は終り踏み跡状の道になると前方に堰堤があったが、踏み跡を辿って乗り越す事ができた。

    
               まだ踏み跡は続く                         ここを行こう

  堰堤の先には保安林の標識があり踏み跡は続いていたが、その先で踏み跡は見えなくなり沢になってしまった。
丁度沢の合流部で主流は直進し、右は細い支流の沢だった。確か地図では途中で右に曲がって尾根に向かったと細い沢を遡る事に。

 
              赤い杭があった                             やっと尾根に出た

  沢に入っても水も無く少しゴロゴロするだけで歩くには支障はなかった。だがそんな部分が終ると川の出口にある三角州と
反対に、沢の入口に向かって三角になった地形になった。傾斜はかなり急だが何とかなりそうな感じはする。だが何処を登ろう。
まるで岩登りのルートハンティングのように登れそうな所を探す。
余り右に行き過ぎてもいけないし、中央部分は草木が無くズルズルした土のようだ。あれでは掴まる所も無いし滑ってしまう。
そうなうと右を行くしかないが、マー上りなら何とかなりそうです。

  落ちて死ぬような場所ではないが、この辺りは人は通りそうもない。落ちても自分で下山しなければならない。
どうか足元が滑りませんように。手にした草が抜けませんようにと祈りながらの歩き、いや攀りになってしまった。
途中に赤い杭があったが、その上もまだ急斜面は続く。
やっと尾根に辿りつきホッとしたが細い尾根で当然農道は無く。その先はまた谷になっていて目的の尾根はその先のようだ。
(後で地図を確かめてもそんな地形の場所はないので、谷と云っても10mもなかったのかもしれません。)

  後で写真を見ると沢から尾根までの写真は1枚も無い。今になれば余裕のあるような恰好をしているが、その時は
必死だったのでしょう。

 
              子尾根を登る                               フ~農道に出た

  もう谷を下り気にはならず、出合った子尾根を左に曲がり上る事にした。
途中にも赤い杭があり目的は分らないが人は入っている。
前方に崩れた崖のような物が見えるが、まさかあそこを登るの? イヤダナーと恐る恐る下を覗き込むと、そこには落葉の間から
舗装された農道が見えていました。フ~!

  谷から子尾根まで20分弱、そして子尾根から農道まで10分弱の冒険でした。
もうここは登る事も下る事もしません。特に下りに使えばまず私では滑り落ちる事でしょう。

 
              千葉山が見えた                               矢倉山入口の三辻

  出た場所が何処か分からなかったが丁度農道は右も左も下りだったので高台のようです。
農道を少し下るとまた上りとなったその先に、見慣れた景色が現れた。
千葉山から矢倉山に登りバラの丘に向かう途中で唯一千葉山やペンションが見える場所です。
ここまで来れば矢倉山入口の三叉路は近い。

  農道に出てたった5分で矢倉山入口の三叉路に出てしまった。どうやら沢横の道の落た橋を幾つか渡ってしまったが、
途中から右へ分岐していた道を見落としたようだ。そんな事はないと思うがなぁ。

城ロマン:藤枝3城廻り(潮山)

2018-04-06 16:00:00 | 低山歩き
歩行記録                                                       H30-3-25(日)
歩行時間:5時間50分   休憩時間:1時間20分   延時間:7時間10分
出発時刻:6時30分     到着時刻:13時40分
歩  数: 29、058歩(推定距離20.05km)    GPS距離km
行程表
 西焼津駅 0:20> 田中城下屋敷 0:20> 田中城本丸跡 0:50> 青山八幡宮 0:30> 潮山登山口 0:25> 潮山 0:40>
 朝日山城趾 0:30> 新東名岡部IC 1:20> 龍勢発射場 0:05> 玉露の里 0:20> 朝比奈城趾 0:30>
 玉露の里BS

        
                                 潮山概略図

  余り危険でない山はルートは調べず道を探しながら歩くのが好きです。とは言え余りにも分からなくなったら引き返す事の出来る
事が必須ですが。
潮山もそんな条件にあった山で標高は200mそこそこ、最悪方向を失っても下に下れば住宅地もあるので下調べはしてません。

  潮山の一般的な入口は北の神社の方から登るようだが、今回は南から来ているので南から登り北に抜けて、更に北にある
朝比奈城址に向かいたいと思っていた。
そこで問題になるのは南の登山口です。以前読んだ情報に国1バイパスのトンネル入口に登山口があると書いてありました。
それだけ分かれば後は何となるでしょう。最悪の場合は北の登山口から上り直せば良いのですから。

 
                  潮 山                           国1バイパス(上り線)

  潮山が近づいてきました。山麓を歩きながら登山口を探したが、畑への道が多く登山道かどうか判断できない。
マーいいさ兎も角バイパスのトンネル入り口まで行こう。

  トンネルの入口では先ず下り線から調べようと農道に入ったが登山口らしき物は見当たらない。
次に上り線の鎖で遮断されている道を登って行くと看板が見えた。アーあった! と看板に近づいたが登山口ではなかった。

  
                 登山口付近から                            登山口

  鎖で閉鎖された舗装路はトンネル補修用のようで上には建物が見える。と、その下の方に何か標識らしき物が見えている。
当たりでした。標識には 「潮山登山口」 とありました。
入口さえ分かれば潮山はもう終わったと当然でしょう。こんな立派な標識があるなら後は楽勝でしょう。

 
                尾根の標識                              歩きやすい道

  登山口からは階段などもあり良く整備されている。バイパスの高架より高くなると車の走っているのも見える。
入口から7・8分で着いた尾根には、右は潮山山頂、左は八幡、今来た道は潮と書かれた標識が倒れていた。
八幡とは青山八幡宮辺りの地名だろうから矢張りもっと南側に登山口があったようだ。いつか探してみたいな。
それと今来た道が 「潮」 となっているが、潮が山の名前でなく地名にもなっていたとは驚きだ。
私は潮山の謂れは、山頂から潮(海)が見えるのでついたと思っていたどうやら違うようだ。
地図で潮山周辺を見ると潮を始め、水守、五十海(いかるみ)、薮田などの水に関係する地名が多い。
更に潮山の北から東は朝比奈川が流れ、南と西を流れる葉梨川で潮山を取り囲んでいる。
これならこの辺りは湿地帯どころか雨が降れば水が溜まり、潮山は水に浮かんだ島のように見えたのではないか。
そして山の名前は “潮山” で、その岸は “潮” になったのだろう。一先ずそうさせてください。

  山道は西側からの幅広の道と合流したが標識は無い。竹藪で電気柵があるので竹林の作業道なのだろうか?

  
                                 幅広の道が続く

  コンスタントに幅広で歩きやすい道が続くが、何故ここが藤枝市のハイキングコースに指定されないのだろう?
コースの設定が済んでから道が整備されたのかな?

    
           NHKの標識                            こんなので運んだのか?

  NHKと書かれた杭が立っている。アッそうか潮山山頂のアンテナはNHKのアンテナで、この幅広の道はNHKの保守用の
道なのだ。
道が幅広なのは以前竜爪で見たように、送電線保守用物資を無限軌道付運搬機で運んでいるのだろう。きっとそうだ。
そうなると西から登ってきた幅広の道は竹林用でなく、この保守用の道が西の麓まで続いているのだろう。これも確認したい。


    
                 山頂の中継所                                 アンテナと標識

  山頂までは登山口から25分も掛からず到着。途中に景色が見える所は無かったが歩きやすい道で誰でも歩けます。
変わった形のアンテナに着いた標識は、今度は右が 「朝日山城址」 になっていた。
ここでも私は勘違いをしていた。潮山にある城が潮城だとばかり思っていたが、潮城という城は無くこの稜線の先にある城が
 「朝日山城」 と呼ぶようです。と、片づけたい所処だが、さらに調べると潮城か潮砦か明確ではないがある事はあった。
場所は登山口のあったバイパス先の新明宮が祀られている微高地で、小規模の城郭跡がバイパス工事で発掘されていた。
それはある説では朝日山城の出城と云い、ある説は徳川が田中城を攻めるときの砦とも云っている。
私としては奥まっている朝日山城のための砦か見張台かがあったのではないかと思いたい。

 
               潮山山頂                               富士山が見えていたが

  標高204mの潮山の山頂標に 「オオイコマクサ」 と書かれていたが、そんな名前の花はヒットしなかった。
オオイコマクサは何を意味しているのでしょうか、知っている方は教えてください。
微かに富士山が見えていたが写真では皆目見当がつきません。でも富士山が見えることは確かです。
道も整備されて歩きやすく富士山の見える山頂なのに、何故ハイキングコースではないのでしょうか。

    
           道が細くなった                              方向転換

  その疑問は山頂から山道に入るとじき分かった。
今まで幅広だった道が普通の山道になったのはいいが、稜線の途中で道が90度に曲がり斜面を下るように指示をしている。

    
                 竹林の急坂                                   平らになった

  気分はそのまま稜線を進みたいが、先には踏み跡は無いので、仕方なく下を見れば赤い目印が見えている。
下りは中々の急坂の上にハッキリせず目印を探していくしかないが、目印は先々とあるので迷う事はありません。
標高が低いのでそんな道も少し我慢をすれば直に歩き易い道になります。

 
                富士山が見えた                           又もや方向転換

  自然林の林は気持ちよく右側の開けた所からは富士山も見えた。
今の斜面を整備すれば立派なハイキングコースだ。なんて余裕を持って歩いていたら又もや方向転換。

    
           林の中の急坂                                  檻?

  さっきの急坂と勝るとも劣らない坂がまた現れた。これでは道の整備は大変だ。ハイキングコースにならない理由が分かった。
前方に大型な檻? と思ったら架線の中継点だった。ここから何を運び出していたのだろうと思ったが、あるのは竹林のみ。

    
                  農道が見えた                               筍?

  左の木の間から茶畑と農道が見る。高台に向かっている道だがあそこを歩くのだろうか。
 (後で分かったが、この農道を登って朝日山城址に向かった)

 ウーン! 筍がある。誰かが落としていったのかな? まさかぁと思っていたら竹林の中で物音がした。
誰かが筍を掘っているようです。

 
               農道出合                                標識があった

  山道が農道に出合った所に軽トラが停まっていた。どうやら農家に人が筍を掘っているようです。
分岐の所には標識もあり無事通過。

 
               分かり難かった                               ここを曲がる                             
  と思ったら軽トラの先で道が分岐していてどちらに行って良いか分からない。一先ず右の下る道を下がって行くと又分岐に出た。
どちらの道も少し行った先で舗装が終っていて、根拠は無いが何となく違いそうだ。
軽トラまで戻ると竹林に人の姿が見えたので道を確認すと軽トラの先の分岐は左に曲がるとの事。
教えられた通りに左に行くと又分岐に出た。さっきもっと丁寧に聞くべきだったと振り返ると標識が見えた。
チョッと見えにくい所にあったが、ここに来れば誰もが迷って辺りを見回し標識に気づくでしょう。

 
              途中で見えた農道                             朝日山城趾入口

  先程林の中で見えた上りの農道に出た。陽射しが強く汗も出てくる。高台に上りきると前方には富士山。その右には大崩山塊の
高草山や北のピークが見えている。後ろを振り返へれば潮山のアンテナが見えていました。

  農道を下った先には朝日山城址への標識が立っていました。
バイパス横の登山道入口からここまで約1時間20分。中々面白い道でした。
ただ今日は蜘蛛の巣も無く虫いなかったが、これからの季節はどうでしょう。煩わしいかもしれませんね。

ダイラボウから朝鮮岩へ(巻道)

2018-03-28 16:00:00 | 低山歩き
歩行記録                                                       H30-3-17(土)
歩行時間:8時間35分   休憩時間:1時間40分   延時間:10時間15分
出発時刻:7時20分     到着時刻:17時35分
歩  数: 35、405歩(推定距離24.43km)    GPS距離km
行程表
 中藁科保育園前BS0:45> 農道終点 0:25> ダイラボウ 0:30> 西又峠 1:00> 野田沢峠 0:45> 谷川峠 0:15>
 ロンショウ 0:30> 鞍部の四辻 0:20> 竹林のピーク 0:20> 宇津ノ谷峠 0:25> 蔦の細道峠 1:05>
 444m峰 0:20> 満観峰 1:00> 朝鮮岩 0:45> 犬居橋 0:10> BS

    
               丸子富士の巻道                                整備されている巻道

  朝鮮岩へ下るとなると忙しくなります。妻に明るいうちにバス停か駅に着くと約束をしてきました。
ヘッドランプを持っているので私としては暗くなってもいいのですが、気持ち良く歩きに出るには約束は守りたい。
それならこの尾根は全て巻道を歩く事にしようと、先ず着いたのは丸子富士の巻道入口です。
この尾根には巻道は何ヶ所かあるが、この丸子富士の巻道が一番楽になる巻道だと思っています。そのためここ巻くと何かズル
した感じになってしまうので、余り巻道を歩いた事はありません。
巻道の入口には 「この先に危険個所があります。」 と静岡市役所の貼紙があった。
これはどういう意味なのか? 巻道が危険なのか、それとも朝鮮岩への道が危険なのか良く分からない。
それでも通行止にはなっていないので大丈夫だろうと進む事にした。
巻道は今まで見た事の無いように整備されていて、途中には補修道具や材料が置いてあるので今補修をしているようです。
作業員は居なかったが巻道の出口には、入口と同じ貼紙があったので巻道が崩れてその補修をしているのでしょう。
この巻道を歩いたので10分は短縮できたかな。

 
               紅葉台の巻道                                次の巻道が続く

  丸子富士の巻道から5分ぐらいの所が紅葉台の巻道だ。ここは丸子富士の巻道と違い余り利用されていないので入口が薄く
目印や標識が本道側にあって巻道側に無いので余計歩く人は少ないようです。
さらに巻道に入ると道はズンズン下りだすので間違えたのか不安になってきます。でも大丈夫です。下りが終わったら斜面を
トラバスするように巻道は続き、広くなった所で本道に合流します。

本道に合流したら本道を横断して次の巻道に入ります。この巻道も余り利用されていないようで入口は薄くなっています。

    
               放置茶畑の道                              目印は無いが左折

  薄い巻道の入口を過ぎると、石垣横のかっては茶畑の作業道だったハッキリした道になります。
道は石垣が終った所で上下に分岐しているので、左の上に行く道を行きます。
下る道にはモノラックのレールがあり、辿って行けば農道に出ると思うが、まだ歩いた事はありません。

この巻道がどのくらい時間を節約できるかは分からないが、ピークは大分上に見えるので節約できることは確かです。

    
             御所の跡分岐の巻道                                  木の根の本道

  小坂の御所の跡からの道に合流します。前回はここで方向感覚を失い、自分がどの道を歩いているのか分からなくなって
しまったので、何時か確認したいと思っていたので丁度良い機会です。

  今も前回も御所の跡からの合流部の先の巻道は、右(南)の道が朝鮮岩からの巻道で、左(北)が芹ヶ谷峠の分岐のある
ピークからの本道だと思っていました。
なので御所の跡の先には直進する登りの道と、平らで左へ行く道があったので南(右)の直進する道を選んだ。
だが巻道なのにズンズン登りピ-クを2個も越えて行く??

 
              巻道と合流                                 芹ヶ谷峠の分岐の巻道

  二つ目のピークを下りだすと下に太くハッキリした道と合流すのが見えている。
そんな馬鹿ナ? あそこが朝鮮岩であるはずがないし、今歩いてきた道が巻道とはとても思えない。

また方向感覚が狂ったのかと思ったが、太い道に合流して何もかもが判明した。
私は御所分岐から1本の巻道で朝鮮岩まで通じていると思っていたが、実際には2ヶ所に巻道があったのです。
そうです。合流した先には見覚えのある分岐があり、左に行けば芹ヶ谷峠の分岐を通って朝鮮岩、右に行けば平らな巻道で
朝鮮岩に行くのでした。

当然右の巻道に入ります。


                           朝鮮岩付近の概略図

  何でこんな簡単な事を前回は分らなかったのだろう。きっと巻道は南側の1本だと思い込んでいたからでしょう。
歳と共に記憶力の低下もさることながら、思い込みの強さも増してしまったようです。

 
                 朝鮮岩                               朝鮮岩から

  満観峰から朝鮮岩までは予測通りに1時間で着く事ができた。これも巻道のお陰だが御所分岐で巻道を間違わなければ
もう少し早く着いたでしょう。
この満観峰から朝鮮岩の尾根の巻道を全て利用したら。下りなら30分。上りならそれ以上の時間短縮になりそうです。
この稜線が大崩山塊の中で巻道が一番多いのは、ピークからの眺めが無いのが一因でしょうね。

    
                  ヤマブキ                                 中電鉄塔

  朝鮮岩を4時40分に出たが妻との約束の5時にはあと20分しかない。とてもバス停までは行けそうもないが少しぐらい
過ぎても文句は言わないだろう。と思いつつも必死に下る。
小野平など朝鮮岩のすぐ下だと思っていたのに中々着かず、ヤマブキの花が咲いていても眺めている余裕が無い

フ~何とか中電の鉄塔まで来た。あと一息です。

 
                 小野寺裏の分岐                             延命地蔵

  朝鮮岩から下がこんなに長かったのかと思うぐらい集落は遠かったが、17時に丁度に小野寺薬師裏の分岐の到着。
エェイ! ここから電話してしまえと 「今民家のある所に着いた。」 と家に電話してしまった。嘘も方便です。
でもこの下からはお寺用の簡易舗装の道になるのだからあながち嘘でもない。なんて言い訳をしながら下る。
勿論小野寺薬師には寄らずに巻道を下ります。


 
                 居尻集落                                 居尻橋

  漸く17時20分に居尻の集落に着いたがまだ充分明るかった。

  今日の予定は蔦の細道までだったが思ったより早く着く事ができたこと、途中すれ違った人の行先を 「満観峰」 と言ってしまった
ので満観峰まで足を延ばすことにした。
満観峰に着くと折角ここまで歩いたのだから、焼津には下らず丸子アルプスの朝鮮岩に下ろうと欲が出た。
それに今日のコースを他人に話す時に 「ダイラボウから焼津を歩いた」 と云うより 「ダイラボウから朝鮮岩を歩いた」 と言った方が
格好良く思えるといった私のミエがある事は確かです。
それとこの機会を逃した二度とダイラボウから朝鮮岩を歩く事ができそうもなく、これが最後の機会だと思う気持ちもありました。

今の私は徳願寺の佐渡山から飯間山、444m峰、満観峰、花沢山、カンポ下の自称静焼アルプスは既に歩けなくなっている。
それでも佐渡山から満観峰、朝鮮岩の丸子アルプスならと思う気持ちもあり、今回のダイラボウからはその丸子アルプスより
楽そうなので当然まだ歩けると踏んでいた。
でも今日歩いて分かったのは、これが私の限度だという事で、これ以上歩けば足の異常や体調の悪化に襲われること間違いなしです。
なので今回無事歩けた事は感謝です。
因みに今日の歩数は3万5千歩で静焼アルプスは4万2千歩ですので当然無理でしょう。