はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

歩き納めの小笠山

2012-01-31 15:39:46 | 低山歩き
場   所:静岡県掛川市・袋井市
歩行月日:2011/12/29
歩行データ: コースタイム
  掛川駅-1:15-六枚屏風-0:35-小笠神社-池経由1:00-笠原中継所-1:00-138°展望台
-0:15-腹摺峠-0:30-三ツ峰分岐-0:40-峠のベンチ-0:10-エコパ-1:30-掛川駅

 歩行時間:6時間55分 休憩時間:1時間10分 延時間:8時間5分
 出発時間:8時05分  到着時間:16時10分
 歩数:33,100歩 歩幅推測:0,77m 距離推測:25.5km (GPS距離:22.0km) 

掛川駅-小笠神社
 今年の歩き納めは何処にしよう。と迷っていたが暮れになり天気も清々しない事もあって近回りにすることに。
そこで10月に小笠山を歩いて、その距離の短さに驚き、再度コースを設定し直そうと思った事を思い出した。
そこで今年の歩き納めは小笠山東西縦走として、掛川遊歩会作成の「小笠山ハイキング・ウォーキングマップ」を参考にして予定を練った。
まずマップのモデルコースの「板沢コース」で小笠池まで行き、その先は「経験者コース」と表示があり、さらに「危険注意」の印のある道を笠原中継所に向かう。中継所からはモデルコースを小笠山の四辻、138°展望台、小笠トンネル、富士見霊園、そして掛川駅に戻るコースとした。

 掛川-六枚屏風-小笠神社-小笠池-中継所-展望台-小笠トンネル-富士見霊園-掛川駅 
このコースなら前回コースより小笠神社から小笠池、中継所の区間が追加されたので午前中に駅に着いてしまうこともないだろう。

 暮れも押し迫りあと3日で正月と言う29日に、のんびり山歩きなどしている人も居ないだろうから、きっと貸切の山だと思いながら掛川駅を歩きだした。
前回のコースは六枚屏風を最後にして、そこから掛川駅に帰ってきたが今日はそれを逆にして最初にお六枚屏風に寄ることにしてある。
道も前回通った青田隧道は止めてマップに指定された通りに歩くことに。まず掛川北口正面の道を南下して東名高速のガードを潜る。
次に県道403号の上張矢崎交差点を横断してから細い道を右折する。猿田池の畔にはハイキングコースの標識があったので安心して上り坂に入ることができた。
後は地図と日ごろ鍛えている山勘で細い農道を歩いていく。道が下り坂になり民家が出てきて少し太めの道に合流した場所にある中電の電柱を見ると「315」の標識が。
ピンポン!当たりです。マップの板沢コースにもこの電柱番号が載っていたので、ここを目指して来たが無事到着した。
前回はこの太めの道を東の県道を38号まで行って青田隧道を通って掛川駅まで戻ったが、途中には交通量の多い車道もあり面白味のない道だった。
それが今歩いた道は細い農道で通る車も無く随分近道になる。よし今後のためにこの中電柱の315号は覚えておこう。
(この合流部の中電柱の西側には同報無線の電柱も立っていました)

 ここからは前回歩いた道なので余裕を持って歩ける。農道の所々には板沢が設置したのか面白い事を書いた案内板が建っているので読みながら歩いた。

 
  農道の標識                         山道入口の標識

「小笠山山頂・小笠神社方面」の標識の所を左折すると、今度は倒れた標識がコンクリートの階段の先を指している。
 サーここから山道の始まりで尾根歩きになる。出発と同時に尾根歩きになる山はそうは無いだろうが、このコースは出発地が尾根の開始地点になっていて、階段を登るとすぐに痩せ尾根がある面白い道だ。
竹や杉などの植林された場所もあるが低いのに自然林が多い。それに茶畑などに開墾された場所もない。これも小笠山が低山なのに急峻な事を示す証拠だろう。

 
  開始早々の痩尾根                      自然林の中の山道

 さて六枚屏風の入り口には「小笠山→」の小さな標識があっただけなので見落としてはいけない。もし見落としたらその先にロープ場があったのでそこを引き返そう。などと思いながら歩いていく。
それがナント新しい見やすい標識が立っていた。

   
  新しい標識                   

 しかも前回は六枚屏風に下る道は木の枝を折ったり、薄い踏跡を辿って行ったのに、今はロープも張ってくれて降りやすくなっていた。
ありがとうございます。こうして登山道を整備してくれる人がいるから安心して山を歩くことができる。感謝!感謝!です。
 六枚屏風の前に立つと血が滾るのか胸がワクワクしてくる。と言っても怖がり屋の私は、この岸壁を登りたいなど決して思わない。ただ見るだけで興奮してきてしまう。

          
 六枚屏風入り口              中間部                   最深部

 今日も狭いチムニーの奥に入って行った。前回もあった倒木を乗越え更に奥に行くと前方が明るくなり緑が見えてきた。あそこが出口だろう、だが途中に倒木が2・3本立った状態で行く手を邪魔している。無理しても仕方ないと、そこから引き返した。

 標識の所まで戻り山頂をめざしロープ場を越えると、前回は気が付かなかった道が左下に向かってついている。若しかしてこの道は六枚屏風の最深部に続く道かと思い下ることにした。
踏跡は結構ハッキリついていて更に期待が高まってくる。左の下の方に岩が見えてきた。もう間違いはない六枚屏風の出口に行く道だ。
ズル-!! ワーコワ!!下に見える岩に気を取られていて足元の注意が疎かになった。転ばないで済んだのでよかったが、足元の道は急斜面の上に、砂のような小石が乗っていて如何にも滑りそうな状態だ。フー良かった転ばないで。
安心も束の間、道の下を覗き込むと岸壁の方に落ち込んでいて、一旦滑れば途中では止まりそうもない。
もしここで落ちたらどうなったろう、死ぬ事はなかろうが怪我はまぬがねない。暮れも押し迫った貸切の山で助けてくれる人も通らないとなると-------
アー良かった!とホッとすると同時に怖くなってしまった。四つん這いになり慌てて下ってきた道を逆戻りをした。

 
  六枚屏風の上部                      六枚屏風の上部

 怖い道から通常の道に戻り小笠山を目指し歩きだすと今度は右側に行く道が。
標識は無いが地図で確認すると、麓でこの板沢ルートが分岐した農道を真っ直ぐ来た道らしい。この道は以前に知人に連れてきてもらった道だが、この合流部には記憶が無い。だがたしかこの道は農道が終わり山道になったあたりが急な上りだったような気がする。地図には「経験者コース」で「すべりやすいので注意!」となっていた。
合流部を通り過ぎ、後ろを振り返ると分岐先の尾根が見えた。そこは厚手の板を縦に置いたような恰好で、道はその板の厚みの部分についているようだった。
エー!あの時はこんな道を歩いたのかと驚いてしまい、ブルブルと身震いが出た。どうやらさっきの六枚屏風で滑った時の恐怖が蘇ってきたようだ。
一端身に付いた恐怖心は中々抜けないのか、左程怖くもない所でも怖さを感じてしまうらしい。

 そんな事もあったが無事小笠山の三角点に10時到着。景色も見えず何もない山頂は休憩もせずに通過し、赤樫の大木のある四辻に行く。
この辺り一帯は徳川家康が今川の掛川城を攻めたとき陣を置き、さらに後年武田軍の高天神城を攻撃するときには、砦を造った場所でもある。今でも曲輪(くるわ)、横堀、土塁などの遺構が残っているらしい(何処にあるかわからない)。
ただここを歩くといつも思うのだが、この急峻な小笠山は守備はともかく攻撃的な砦に適していたのか疑問に感じてしまう。道は細く急坂なため一挙に攻撃できず、麓で陣を立直してから攻撃をするしかない。逆に言えば守るときは総攻撃は受けにくいので難攻不落な城になると思うのだが。
とは言え、ここには攻撃的な砦があって、現に高天神城を落城させている。

   
  赤樫の大木のある四辻            新しい矢(?)が
  
 小笠神社の手前の多聞神社の手前に矢(?)を地面に挿したような物があった。矢羽根が白いところを見ると最近挿したようだが案内板が無いので何なのか分からない。気になるなー。

 小笠神社では地元の氏子の人たちが神社の煤払いをしたり門松を建てていた。
西の尾根にはこれから行く笠原の中継所が見ている。あの中継所に行くには一度下って小笠池の所から手前の尾根を登って行くのだろうが、ここで見る限り余り急斜面には見えない。
だがマップには「経験者コース」「危険注意!」と載っている。更に詳細図には「この先危険です」と書いてありハイキングコースを表す表示も消えていた。
サテサテ午後の行程はどうなることやら。怖いのはいやだが楽しみでもある。

 
  小笠神社                           笠原中継所

倒木情報1

2012-01-30 16:10:01 | 低山歩き
 今年歩いた低山の倒木情報です。

01-30 大崩山塊(焼津市)
    ★法華寺-日本坂峠            〇倒木なし(整理済)
     このコースは歩いてないが、日本坂峠で法華寺から来た複数の人に確認
    ★日本坂峠-満観峰            〇倒木なし(整理済)
    ★簡保下-花沢山-日本坂峠      〇倒木なし
     簡保下の登山道入口に「立入禁止 満観峰・小坂方面に通行できない」とか
     通行不可地域の地図まであるが、すでに整理済みで1本の倒木もない


01-25 庵原地区(静岡市)
    ★興津-薩埵峠-由比(旧東海道)     〇倒木なし
    ★由比-野外センタ-浜石岳        野外センタの先に数本の倒木あり
                                歩行に支障なし
    ★由比-銚子の滝-槍野-浜石岳     〇倒木なし
    ★薩埵峠-浜石岳
     薩埵峠上の登山道入口に「但沼・立花・浜石岳山頂に倒木有 立入禁止」の貼紙有
     この貼紙を見てルートを野外センタ経由に変更した。山頂付近には倒木なし


01-19 志太地区(藤枝市)
    ★清水寺-烏帽子形山-花沢城址-下之郷  〇倒木なし


01/11 大崩山塊(静岡市)
    ★徳願寺-仏平-梵天山-大鈩山-飯間山-宇津ノ谷峠-蔦の細道-道の駅(静岡)
                                  〇倒木なし

01/01 大崩山塊(焼津市)
    ★花沢駐車場-鞍掛峠-満観峰         〇倒木なし
    ★花沢駐車場-石脇口-高草山-鞍掛峠   〇倒木なし
    ★花沢駐車場に「日本坂峠付近倒木のため立入禁止」の貼紙が有


丁仏参道から千葉山-2(島田市)

2012-01-27 12:40:43 | 低山歩き
「丁仏参道から千葉山とどうだん原の紅葉」-2                 歩行月日・2011/11/30

智満寺~どうだん原
 鳥居を潜り智満寺の奥の院のある千葉山に登っていくと、国の天然記念物に指定された十本杉が現れてくる。
樹齢は800年から1200年と推定される杉の大木で、現在はそのうち8本が現存している。
20分ほどで奥の院がある山頂(496m)に着くが、山頂は鬱蒼とした杉林に囲まれ視界は利かない。
付近には大杉、雷杉、達磨杉などと名前の付いた杉が林立していて、一人でいると神々しさも感じてくる。
何故この場所に杉の大木が集中しているのだろう? この地が杉の生育に適しているのか? いや違うと思う。
ここは古刹智満寺の奥の院のある地で神聖な場所だ。そのため無益な殺生をすることなく自然がそのまま保存されたのだろう。
このように大木・古木がある場所は案外寺社仏閣の境内に多いのも、そんな理由があるからだろう。
だがここの十本杉も八本杉になり次第に数が減ってきてしまっている。なのに次の杉を指定しないのは、もう大木が無いのだろうか。
 
         
      大 杉                     雷 杉

 山頂からペンションへは道は台風で倒れた倒木が目に付いたが登山道には影響がなかった。
山頂から15分ほど下ると展望台に着いたが、生憎遠くの景色は霞んでいて見えない。近くを見ると今日登るかどうかまだ決断していない矢倉山も見える。そして田代温泉の屋根も見えている。今時刻は12時。さてどうしよう温泉に入るか、それとも矢倉山に登るか------

 展望台やペンション付近には紅葉した木もあり、それなりの紅葉狩りの気分を味あわせてくれる。だがどうやら時季が少し遅いようで、近くで見る紅葉は乾燥しきっていて落葉寸前のように見える。
     
            
             ペンション                    

 ペンションへの吊橋を渡るのだが、この吊橋の下には車道が走っている。この車道は亀石から智満寺まで歩いた車道の続きで、十本杉の奥の院に行きたくなければ、この車道を歩いて来れば楽にペンションに来ることは出来る。
更に車道を西に下っていけば相賀のを経て大井川に出ることも可能だ。帰りの伊太丁仏参道はここで合流することになる。
 ペンションの横を通って伊太丁仏参道をどうだん原に向かう。この伊太丁仏参道は朝歩いた尾川丁仏参道より参詣客が少なかったのが石仏の数が少ないように感じた。だが西国33カ所の写し霊場なら33個の石仏はあるのだろうが。

 今日はまだ誰一人のハイカーにも会っていないが、この先にあるドウダンツツジの自生地の「どうだん原」はハイカーに人気のある場所なので、きっと何人かの紅葉狩りのハイカーに出会うことだろう。

 
  どうだん原                            どうだん原

 どうですかどうだん原の紅葉は。少々遅すぎのきらいはあるが、まだ中々の物でした。来年は勤労感謝の日より前のが良いかな、いやその前にドウダンツツジの咲く春に来てみよう。とそんな気持ちが湧いてくるような場所でした。
そうそうドウダンツツジを漢字だと満天星躑躅と書くそうだが、これは春に咲く下向きに一杯咲く可憐な花を星に譬えたのだろうか。だとしたら作者は随分ロマンチックな人だが、とても知らなければ読めない。

 どうだん原の先で2カ所の分岐がある。最初の分岐を右に行くと大井川の赤松地区にでる。そう丁度新東名の橋脚の所に出る道だが今日は左の丁仏街道を下っていく。
次の分岐は右が丁仏参道で矢倉山に登るときはこの道を利用する方が便利だが、温泉に行くときは左の道の方が楽に行ける。

 犬を連れた人がいる。オヤ!肩に鉄砲を掛けているが猟師なのだろうか、連れている犬は雑種のように見えるが頭に針金を付けている。アンテナかな?
「今日は。何を狙っているのですか」
「イノシシだが駄目だなー、中々遭遇しない。たまに見つけてもすぐこっちの沢に逃げ込んでしまう」と言う。
こっちの沢の意味が分からないので質問すると
「この尾根の東側は禁猟区で、猟をすることができないのを奴らは(猪)は知っていて、犬に出会うとすぐこっちの沢に逃げ込んでしまう」なるほどな。猪も学習するのか。ところで犬の頭の針金はなんだろう。
「これはアンテナで、このハンディナビに犬の行先が出るので、どこにいるかすぐ分かる」と手にしていたハンディナビを見せてくれた。
そのナビは歩行用のナビよりは大きいが、山道が表示されているわけではないので、ただ犬のいる方角が分かるだけのものだった。
これでは自分のいる場所が分からないので、素人にはどの方角に犬が居るのか判断が難しそうだった
「一人で猟をしていて猪を捕まえたときはどうするのですか」と質問すると
「携帯で仲間に来てもらうのだけど、めったにそんな事はないなー」だそうです。
猪が増えて農作物を荒らすと聞いていたが、いざ捕まえるとなると大変なことなのだ。

 車道が見えてきた所に伊太和里の湯への指導票が建っていた。そこには温泉は右に行くようになっている。確かに道は右にも続いている。
しかし温泉の横には沢が流れていて橋が無ければ渡れなかったはずだ。橋があるのかそれとも沢の手前に温泉に行く道があるのか、行ってみようかとも思ったが止めた。今日はまだ先がある確かな道を行こうと車道に向かう左の道にした。
山道が車道に合流する。この車道を左に下れば朝歩いてきた尾川に。右に下れば田代温泉を経由して伊太にと通じている。その車道を下り始め5分もすると「田代の郷温泉 伊太和里の湯」に到着。
この日帰り温泉施設にはバスが島田や金谷駅から乗り入れているので、ここで温泉の入り一杯飲んでからバスで帰るのも一興だろう。
このコースで温泉を目的にするなら丁仏参道とドウダンツツジを廻ってからここに来ればよい。コースは
島田駅-(バス)-尾川-千葉山-伊太和里の湯-(バス)-島田駅 とすれば良いだろう。
さて私はどうしよう。温泉で一杯も魅力だが、まだ1時前だ。エイ!歩きを続行しよう。

          
           伊太和里の湯 

伊太和里の湯~島田駅
 矢倉山への道は温泉から車道を更に下り、田代環境プラザ(塵芥処理場)の横から処理場をほぼ一周して矢倉山の登山道に入る。
この処理場は私が歩いた時はまだ無名な存在だったが(?)今はかなり有名になってしまった。
それは島田市が静岡県で最初に岩手県の瓦礫を、この田代環境プラザでの処理すると手を挙げたからだ。
それを知った地元の茶農家は猛烈に反発して地元説明会で怒号が飛びかわったと報道された。私個人では放射能も含まれていない瓦礫を余裕のある処理場で燃やすことは大賛成だ。
それに東海地震が叫ばれている今、静岡県はいつ被害者になるのか知らないのだから、どこよりも先に率先して瓦礫の処理に協力すべきだと思っていた。
だが冷静になって考えてみると地元の意見も尤もだと思えるようになってきた。その理由は
・地元でも瓦礫に放射能が無い事は理解してるようだが、お茶栽培の盛んな地区で風評被害を恐れている。
・環境庁は最初「風評被害など起きない」と言い切っていたので、余計に地元の反発が大きくなった。
・市長は当初から「地元の了解を得た」と言っていたが、地元民は勿論、自治会長も知らず、話を聞いたのは区長クラスだったという。 これでは地元の了解を得た事にはならないだろう
簡単に整理すれば以上3点が行き違いの原因だと思うが、過去に京都の大文字焼のまきの問題など放射性物質を含んだ物の処理では色々の失敗事例がある。なのに身内ともいえる区長クラスだけに説明して「地元の了解を得た」という市長の態度は如何なものかと思う。
ここは国は実質被害は当然のことで、もし風評被害が発生した時は全額補償すると宣言すべきだ。
最近のお茶は地元の茶葉だけで製茶するのではなく、色々ブレンドするらしい。そうなると伊太のお茶が風評被害にあうと島田のお茶も静岡のお茶も被害を受けるかもしれない。「ただちに影響はない」では済まされない問題だ。

 矢倉山の登山道は静かで道には枯葉が積っている。良く整備された道は地元の青年が一人で整備しているとブログで読んだことがあるが、ありがたいことだ。自然石を利用した階段や板を使った階段も高からず低からず。また巾も歩幅を考慮してくれてあるので1歩1歩が歩きやすい。途中にある分岐も見やすい標識が完備されているの初めてでも何の不安も感じることはない。
 矢倉山は標高311mの低山で山頂はやはり林の中で視界は無い。だが「展望台へ」の標識に誘われて西に1分も下ると林が途切れ崖の上の展望台に出る。
そこからの眺めは空気が澄んでいればさぞ素晴らしいと思うのだが、今日は霞んでいて近くですらハッキリしない。それでも足元に吸い込まれていく新東名が見えたことで良しとしよう。

             
        歩きやすい山道                 新東名

 整備された道は、帰りも矢倉山の下りが終るまで続いていた。山道によっては急な斜面に砂利が浮いていて滑りやすくなっている場所もあるが、ここはそんな不安を感じることはなく快適に下る事ができた。
山道が林道に合流したら、そこを左折して林道を下れば、朝歩いた尾川のに出る。更に正面に伸びている道を進めば尾根伝いにバラの丘公園の団地に出るようだ。いつもは農道を下って尾川に出ていたが、今日は尾根伝いに行くことにした。

 前方が明るく感じて顔を上げると、黄葉した公孫樹の木が何本も立っている。高さはさほどでもないが本数が多いので周囲の常緑樹の中で異彩を放っていた。銀杏の実を栽培しているのかと近寄って地面を見たが実は見当たらない。ドウダンツツジの紅葉は若干遅かったが、この公孫樹の黄葉が見れたことで、今日の歩きは合格点を与えよう。
軽いアップダウンの続く道は農道を下る道より歩きやすかった。その山道が舗装道路に出ると、玩具の家のような家の集団が見えてきた。あれはバラの丘公園の団地だろう。思ったより早く着いたように感じた。
 道はやがて朝歩いたバラの丘公園の交差点に出た。島田駅まではあと一分張りだ。

          
          公孫樹の黄葉

 このように島田駅を出発して島田駅に戻るのもよいが、もっと気楽なコース設定を紹介します。

参考コース1(湯ったりコース)
  島田駅-バス-尾川参道入口-1:30-智満寺-0:20-千葉山山頂-0:20-ペンション
-0:10-どうだん原-0:25-伊太和里の湯-バス-島田駅

  歩行時間:約3時間 歩数:12,650歩 歩幅推測:0,77m 距離推測:9.7m (GPS距離:7.7km) 

参考コース1(矢倉山省略コース)
  島田駅-0:30-ばらの丘公園-0:20-尾川参道入口-1:30-智満寺-0:20-千葉山山頂-0:20-ペンション
-0:10-どうだん原-0:25-伊太和里の湯-0.40-バラの丘公園-0:35-島田駅

  歩行時間:約5時間 歩数:27,000歩 歩幅推測:0,77m 距離推測:20.8.7km (GPS距離:18.9km)

 ドウダンツツジの咲く春には是非歩いてみてください。

丁仏参道から千葉山(島田市)

2012-01-24 07:23:45 | 低山歩き
「丁仏参道から千葉山とどうだん原の紅葉」                 歩行月日・2011/11/30


場   所:静岡県島田市
歩行月日:2011/11/30
歩行データ: コースタイム
  島田駅-0:30-ばらの丘公園-0:20-尾川参道入口-1:30-智満寺-0:20-千葉山山頂-0:20-ペンション
-0:10-どうだん原-0:25-伊太和里の湯-0:35-矢倉山-1:00-バラの丘公園-0:35-島田駅

 歩行時間:5時間45分 休憩時間:1時間15分 延時間:7時間
 出発時間:8時30分  到着時間:15時30分
 歩数:28,680歩 歩幅推測:0,77m 距離推測:22.1km (GPS距離:18.8km) 


 国の重要文化財に指定されている島田市の北方にある千葉山智満寺には、麓からの参詣道が丁仏参道として今に残っています。
今日はその尾川丁仏参道から智満寺にお参りをして、奥の院のある千葉山に登り、帰りは伊太丁仏参道を下る予定です。
途中には千葉山の十本杉の大木や、紅葉の名所の「どうだん原」もあり見所の多いコースになりそうです。
また、丁仏参道の終点には日帰り温泉「伊太和里の湯」があるので、温泉に入りそこからバスで帰るか、
さらに次にある矢倉山に登るかはその時の状態で決めようと思って出発しました。

JR島田駅~丁仏参道入口
 島田駅北口に下車し、駅前正面の道を北に向かう。
途中旧国道1号線の歩道橋や国1のバイパスのガードを潜って行くと、右手にアスレチックや青い屋根の体育館が見えくる。
ここは島田市の中央公園で園内には紅葉した唐松らしき木も見えていて、どうだん原の紅葉への期待が盛り上がってくる。
中央公園の前のバラの丘公園には、盛りの過ぎたバラがチラホラ見える程度で、とうにバラの盛りの時季は終わっているようだった。

 信号のある交差点の左上のには新興住宅団地になっていて新しい家々が見えている。帰りに若し矢倉山に登った時は、
この団地の中の道を下ってくるのだが、果たしてどうなるか?今時点は不明だ。
交差点をまっすぐ道なりに進んでいくと右に農協の製茶工場がある。駅前から道なりに来た道はここで初めてT字路にぶつかる。
そのT字路を右折していくと右奥の方に茅葺の屋根が見えてくる。それは江戸時代この地域の庄屋だった「長谷川家長屋門」で、
現在島田市の文化財に指定されている。長屋門からは道が複数あるが、北東に見える大きな建物を目指して進めば分かりやすい。
太めな道に合流したら左折して老人ホームなどの建物の横を進んでいくと、石仏を祀った太い道の交差点に出る。
そこが尾川丁仏参道の入り口で、ここから山道が始まる。
 この交差点には島田市自主運行バス「尾川」のバス停があるので、車道歩きが嫌な人は島田駅からここまでバスで来ることもできる。
この時間帯なら島田駅を8時26分の大津線天徳寺行きに乗車し、ここ尾川までなら20分程度で到着する。

 尾川丁仏参道入口には島田市の立てた案内板があり
「ここ尾川から千葉山智満寺にのぼる参道には、1町(約100m)ごとに観音像の石仏が道しるべとして建てられています。
これは西国三十三番の札所を模して、江戸時代の末期島田宿内等の信者によって寄進せられたものです」
と紹介されていた。

  
  島田中央公園)                        バラの丘公園

丁仏参道入口~智満寺
 参道入口の階段を登ると、木の枝の杖が用意されていたので1本借用することに。
たわわに実ったミカンや茶畑の横を通り、林の中に入ると最初の石仏が鎮座していて、その上には小さな毛糸の帽子が載せてある。
石仏には「一番 紀伊国那智山」と刻まれているので、33個目は美濃の谷汲山華厳寺になるのだろう。
紅葉で有名な谷汲さんは今頃ならきっと素晴らしい紅葉だろうが、ここ千葉山も紅葉が残っていてほしい。
それにしても33個目が智満寺にあるなら、智満寺まで約3.3km程度となる。だとすると案外短い距離だ。

 沢状になった参道は水の流れた跡があり、それを右に左にと避けながら歩くのだが、急な坂道なので結構歩きづらいものがある。
上りも急なこともあり入口で借りてきた杖が大いに役立った。

  
  1番石仏                           沢状の参道
   
 道が尾根に出ると歩きやすくなり、周りを眺める余裕も出て来た。
ふと見た石仏は九番になっていたので、途中の石仏は歩くのに専念していしまい見ていなかったようだ。
途中杉の木を伐採している人たちに出合った。短く伐採された杉の木は柱には出来そうもない。何に使うのだろうと
「この切った木はどうするのですか?」と聞くと
「欲しい人がいればくれてやるけど、あとはここに置いておくだけだ」と返ってきた。
どうですか、誰か欲しい人がいたら申し込んだら。もっともここから下すのにお金が掛かりそうだが。

 自然林や植林された林の中の道を行くと簡易舗装の農道に出合う。
そこには「廿町」と彫られた石塔があるので、すでに半分以上来た事になる。
縁結びの杉、大萱の木などと名札を付けた大木のある農道を行くと「亀石」の看板があった。
そこには「酒樽を背負った村人が石の上で休んで、いざ出ようとすると樽が軽くなっていた。
これはきっと石が酒を飲んだのだと、その石を亀石と呼ぶようになった」
とある。
では酒樽を持たない人が座るとどうなるのだろう?----- 残念!酒は出てこなかった。

 ここの丁仏参道にある石仏は、どの仏様がくっきり浮かび上がっていて、目鼻立ちもしっかりしている。
亀石の隣にある半跏思惟像の石仏(27番)もはっきり見えていて、しかも口許が色っぽく感じた。
オッとこれは仏様を冒涜した事になるのかな。

 亀石から智満寺までは車道を歩くことになる。その車道の標識には智満寺まで800mとあるので残された石仏もあと六体だ。智満寺は近い。
智満寺の階段が見えてきた。この階段を登れば本堂だと気力を振り絞って登っていくと----- 曲った先にはまた急な階段が。フー疲れた。
三十三番の石仏はその階段手前の高台にあったが参道からは「三十三番美濃国谷汲山」の文字は読み取ることは出来なかった。

  
   亀石                             智満寺の石段
   
 国の重要文化財に指定されている智満寺の本堂は、生憎茅葺屋根の葺替え中で、その全容は見ることができなかった。
工事はすでに萱は葺き終わっていて、今は最後の仕上げなのか職人が大型のバリカンのような物で萱を刈ったり、板の付いた杭で叩いたりしていた。
話を聞くとここは湿気が多く萱の寿命は短くて15年位とか。また、萱は島田は勿論のこと県内の御殿場や遠くは九州から持ってきたとの事だった。

  
   智満寺本堂                          奥の院入口


沼津アルプス-2

2012-01-21 12:10:53 | 低山歩き
富士山眺望低山歩き 沼津アルプス―2                    歩行月日2011/12/17


 小鷲頭山山頂の手前に立札があり「本三位中将 平重衡 終焉切腹乃場」とあった。
たったそれだけだったので興味も湧かなかったが、今度はその中将 平重衡が隠れていた大岩があった。

  

そこには「平重衡(清盛の5男)は一の谷の戦いで源氏に捕えられ伊豆の狩野で幽閉されていた。
ところがその罪は重いと処断される事になったが、その事をいち早く知った重衡は狩野を逃げ出して鷲頭山の洞窟に逃げ込んだ。
しかし追っ手に見つかり小鷲頭山で切腹自害して果てた」
そうです。

さらに案内板にはこんなことも書いてあったので案内板の通り紹介します。
「此処を「中将切腹の場」と言う。又、重衡が隠れ住んでいた洞窟を「中将さん」と言って、浜の人々が、その霊を慰めるため祭ってきたが、
この中将岩は大平分なので -<中略>- 阿弥陀如来の石像を造り、此処の岩窟に納め、毎年祭りを行ってきた」
とある。
これでは小鷲頭山で「終焉切腹の場」の立札を見ていなければ、ここで切腹したと思ってしまうし、重衡が隠れ住んだ洞窟と
阿弥陀如来を祭った岩窟は別の場所と勘違いしてしまいそうだ。
 案内板の本意は、重衡が源氏に追われてこの岩窟に隠れたが、また見つかったため逃げ出し小鷲頭山で切腹をした。
そしてその後、隠れていたこの岩窟を中将さんと呼んで阿弥陀如来を祭るようになったのだろう。

 それにしてもここの地元の大平の人は優しい人たちだ。縁も所縁もない、ただ逃げ込んできただけで、
しかもここは源氏の故郷とも言える伊豆なのに敵方の平家の武将を祀るとは大したものだ。
前回歩いた箱根で、駿河の国に深良用水を開通させ地元を潤わせた友野与衛門が、どこにも祀られていなのに比べてずいぶんの違いだと思った

 先ほど会った地元のハイカーの人が「この沼津アルプスは五山七峠と言って途中で逃げる場所が何カ所もある」と言っていた。
五山の名前を聞いたのだが大平山、鷲頭山、徳倉山、香貫山と後一つが志下山なのか横山なのか分からなくなってしまった。
ただこの山以外にも小鷲頭山もあったので実際には七山あるようだ。
そしてその山と山の間には峠があったので(鷲頭山と小鷲頭山の間にはない)途中で疲れたら逃げ出すことができるので気は楽だ。

 そしてその五山なのか分からなくなった志下山に到着。
後ろを振り返れば今歩いてきた鷲頭山と小鷲頭山の二つのピークが見える。海側には大瀬崎に連なる山並みも見えている。
今日はおかげで風も無く雲も無い絶好の山歩き日和で、のんびり海を眺めることができるが、これが風の強い日ならどうだろう?
きっと寒くて震え上がり海を眺めるより歩いた方のがよいと感じるのではないだろうか。それほど海がよく見える。

  

 志下山には「さざなみ展望台」の標識が立っていて、途中にも「き★らら展望台」もあった。これらも海を表現しているのだろうが
何故か安っぽく感じるのは私だけだろうか。
そうそう他にも「大とかげ場」の札が木の枝にブル下がっていた広場もあったが、これは何を意味するのだろう?昔大きな蜥蜴でも出現したのだろうか?

 志下山からの徳倉山も上り下りの連続で、途中には青竹を利用した手すりもあり、地元の人の好意に感謝だ。
ここまでの登山道はバス停から登山道までが分かりにくかったが、最初の道標が有った後は迷うような場所はない。
道標も十分有るし、登山道もしっかりしていて一目瞭然だ。今日は土曜日と言うこともあり歩いている人も多い。
すれ違う人もたまには居るが、私と同じ北方向に歩く人の方が断然多い。私を追い抜く人と私が追い越す人もいるが
金時山のように行列の後をノロノロついて歩くなどと言うことはなかった。
金時山は1213m沼アの最高峰は392mと3倍ほどの差はあるが歩く人のマナーはこちらの方が3倍は上だったような気がした。

  

 だいぶ腹が空いてきた11時40分徳倉山に到着。山頂からは富士山がばっちし見えている。そしてその下には沼津の街も。
どの山も同じような景色だが北に行くに従い沼津の街が大きくなってくる。
南を見ると今日歩いてきた大平山と鷲頭山の間に見えているのは前回登った葛城山なのだろうか。山頂にわずかにアンテナが見えている。
地図を見るとこの徳倉山あたりが今日の工程の半分くらいになりそうだ。道理で腹が減るわけだ。昼飯にしよう。
(後日歩行データで確認すると、ここまでの歩数が1万歩で歩行時間が3時間。そのどちらもほぼ半分でした)

  

 徳倉山の山頂には三角点があってその周りでは昼食を摂る人たちの姿も見える。
沼津アルプスの山頂はこのように広場になっているので休憩するにも景色を見るにも大助かりだ。
自然を大事にの気持ちは大賛成だが、このように景色が良い山頂付近の木を、少しの伐採ししてくれると嬉しいのだが。
すでに半分終わったのならゴールは3時前になってしまいそうだ。余り早くゴールするのも考えものだと思い、
のんびりした昼食タイムになった。風も無く、暖かい日差しで眠気も出てきてしまった。


  

 何か名字のようで山の名前とは思えない「横山」からは景色が見えなかった。
ただこの山頂で北に向かっていた道はグイと南側に方向を変えていた。
若しかしたらこれが横山の名前の元? 横に曲がるから横山。そんな事はないな。

 横山から急な下りを降りていくと車のエンジン音が聞こえてきた。正面にはゴミの焼却場の煙突が白い煙を吐き出している。
その真後ろに富士山が見える。富士山と煙突。面白い構図だと思い写真を撮ろうとするが、近くの木の枝が邪魔になり写すことができなかった。
坂の下に舗装道路が見えてきた。そこが最後の峠の八重坂峠だった。
ここから沼ア最後の山の香貫山への道は複雑になってくる。まずは八重坂峠から車道を左に100mほど下った所から車道の法面にある階段を登る。
その階段を上りきるとまた車道に出合い、その車道を右に登っていく。するとゴルフの練習場の所で車は通行止めになっているが、歩行者はそのまま舗装路を進む事ができた。
しばらく車道を登ると道標があった。「山道・桜台・山頂 山道→舗道」「山頂・旧車道 右に山道あり」ここは当然右の山道を選択。
今日のコースも終わりに近づいてきたことや、疲れからか気分はのらずダラダラと登っていく。後ろから登山者が登ってくるのが見えた。
それでも思ったより容易に立派な車道に合流。この道が先ほどの道標の「舗道」で新道だろうと「桜台・展望台」の上り方面に歩を進める。
次に道標は「展望台300m」「八重象山」とあるが香貫山はない。さてどうしたものか、当然展望台にも行きたいが山頂は必ず行かなければ。
それにしても八重象山の名は初めて聞いた。読み方も分からないが香貫山の別名かしら?などと迷っていると後ろを歩いていた人近寄ってきた
「香貫山の山頂はどっちですかね」と声を掛けると「サー私も初めてなので」と言いながらも
「でもそんなに幾つも山頂があるわけではないから、きっとこっちでしょうと」八重象山の方に進む。
私も後をついて行くがどうもおかしい。そこに地元の人らしき人が歩いてきた。
「香貫山はここですか?」「いや違います。もっと先です。私も行きますから一緒にどうぞ」と言ってくれる。
2人で後をついて行くと道はまた車道に出た。その車道の法面には階段が上に続いている。だが標識は見当たらなかった。
「この道は何処に行くのですか?」と尋ねると「山頂ですけど、でも何も無いし景色も見えませんよ」と言う。
どうやらこの方は私たちを展望台に案内してくれるようだ。慌てて礼を言って階段を登って行った。

  

 香貫山の山頂は中継所?らしき建物の横に道標が建っていました。
沼ア最低山の標高193m、そして最北端の香貫山に13時30分到着。
山頂の標識の中に「沼ア7山7峠」の表現があった。途中で出会った地元の人は「5山7峠」と言っていたがどちらが正しいのだろう。
いやどちらが言い慣らされているだろうとネットで検索してみると、圧倒的に5山7峠の方が多かった。
だがこの山頂にこのような標識があれば徐々に7山7峠の方が浸透していくだろうと思う。
実際歩いても大平山、鷲頭山、小鷲津山、志下山、徳倉山、横山、香貫山ならすぐ思い出せるが、ここから二つ抜くとなるともうわからない。
きっと実際歩いた他の人たちも7山なら言えるが、5山だと言えない人が多いのではないだろうか。

 後ろを振り返ると今日歩いて来た山が見えていた。
右の海に浮かぶ淡島近くを出発して、最初の大平山は右側手前の山の後ろに見えている。
吊尾根で続いている鷲頭山は一際高く三角形の山がそうだ。その手前の、写真では一番右に見えるのが徳倉山か。
そして白い建物上に聳えるのが横山なのだろう。それにしても沼アの下りは急だったが、こうしてみると急坂があるとは見えない。
若しかして自分の足が年と共に衰えてきて、他人が感じる以上に下り坂を急に感じるようになったのだろうか。

 それでは最後に香貫山の展望台に向かおう。たった193mの展望台だから期待も抱かずに。


ウワー凄い。
沼津の街が一望だ! 今日歩いてきた沼アの山々から駿河湾。そして狩野川を挟んだんだ沼津の街。


愛鷹山の後ろにはもちろん富士山も見える。


更に富士山の横には富士箱根トレイルで歩いた三国山稜や箱根外輪山も見えている。
今回の富士山眺望の低山歩きには相応しい幕切れになった。感謝!感謝!だった。

時間も早いことからゆっくりと景色を堪能する。景色を見ながら先ほど一緒になった人と話をして面白い事が分かった。
朝、沼津駅からバスに乗ったが、そのバスにこの方も乗っていたという。
スタートが一緒でゴールも一緒となると私とほぼ同じペースで歩いてきたことになるが年恰好は私より一回り以上若そうだった。
更に話をしていくと住所も同じ焼津市で隣のの人という事も分かった。更に三国山稜の方を見ながら
「明日はあの麓の富士スピードウエイでハーフマラソンを走る」と言う。驚いて「今日こんなに歩いた後で大丈夫か」と聞くと
「今日は明日の足慣らしで、まだ歩き足りないから、これから若山牧水記念館に行く」だって。
上には上がいるもんだ! 少々アホたれながら感心してしまった。

 実は私も心の中で、まだ時間も早いのでこの先はどうしようかなと思っていた。
千本浜の松林を歩いて次の駅の片浜駅まで行こうか、だがあの駅の周辺には氷結を売っているような店があるだろうか?
など考えて迷っていたが、でも止めた。とてもこの人には敵わない。

  

 展望台から沼津駅に向かいたいのだが山道が分からなかったので、北に下る車道を歩くことにした。
車道を歩いた帰り道の途中に五重塔や若山牧水の歌碑もあったので、この道でもよかったのだが、もう少し歩行者にも分かりやすい
案内板が欲しかった。更に山を下って太い道に合流したのだが、右行くべきか左に行くべきか迷ってしまった。
PCさえ故障していなければ事前に麓の道は調査するので、こんな所で迷う事はないのだが、折角沼津アルプスで有名になった
このコース、出発点とゴール地点の案内をもう少ししてくれれば申し分ないのだけど。

  

 結局合流した道を右折していくと狩野川の黒瀬橋に出た。そこを右折して狩野川の右岸を歩くと右側には
建物の間から富士山が、左手には香貫山の山頂と展望台が見えていた。
三園橋を渡り沼津駅14時50分に到着。前回と同じく駅の構内で一人乾杯をしたのでした。

沼津アルプス-1

2012-01-19 21:53:37 | 低山歩き
富士山眺望低山歩き 沼津アルプス―1                    歩行月日2011/12/17

 いよいよ沼津アルプスを歩くことにした。
コースは富士山に向かって歩けるよう南の山から北に向かって進む

多比バス停―大平山―鷲頭山―徳倉山―香貫山―沼津駅 を考えた。

予定時間(山と高原地図)歩行時間6時間40分
多比バス停-1:00-大平山-50-鷲頭山-45-志下山-40-徳倉山-

-1:10-横山-1:05-香貫山-1:10-沼津駅

そして実際に歩いてかかった時間は
歩行時間3時間30分 休憩時間2時間40分 合計6時間10分
多比バス停-50-大平山-40-鷲頭山-50-志下山-40-徳倉山-

-40-横山-50-香貫山-1:00-沼津駅

沼津アルプスの名前と評判は以前から聞いていた。
低山だが急な上り下りを繰り返す急峻な山でアルプスへ出かける人が訓練で歩くと---。
確かに伊豆3山や三国山などからも、低い癖に山頂がボコンボコンしているのが見えた。
しかしアップダウンが激しいとはいえ高々400mに満たない山だ。多寡が知れていると思っていた。

 沼津駅前のバスの乗り場が分からない。行先は伊豆長岡駅方面でバス停は「多比(たび)」と分かっている。
だが乗り場が分からず駅前をウロウロ。結局西武デパートの前で「沼津アルプス登山口」乗り場を見つけた。

 多比バス停で下車。PCが壊れる前に登山口を調べたら「沼津方面に少し戻りコンビニの所を入る」となっていたので
コンビニを探すが無い。どうやら閉店して店も取り壊してしまったようだ。
さてどうしようと立ち止まっていると地元の人が「ここを行って次の分岐を右に行き、その次を左に行けばよい」と教えてくれた。
ありがとうございます。しかしバス停にあった「沼津アルプス登山口」と表示がここにも欲しいな。
教わった通り農道を登っていくと最初の道標が建っていた。
その道標の一番上に「大平山・ワシズ山 沼ア(北行)」とあり、これで一安心だ。



 30分も歩くと尾根に出て、そこが多比口峠ここからあとは尾根歩きになるようだ。
最初の大平山はこの峠よりさらに南にあるので、こからは往復することになる。
峠を少し登ると左側に富士山が見てきた。今日も素晴らしい天気で雲一つなく、文句を付けようもない富士山だ。

  

この辺りから道は急登になりだした。こんな道がズート続くのだろうか?でもこれ位なら大した事はない。
峠から10分ほどで大平山に到着。だが山頂からは富士山は見えず視界は効かない。
それでも西側の木の間から淡島が浮かぶ海が少し見えていた。



 山頂の道標に気になる表示を見つけた。
この大平山より更に南側は「奥沼津アルプス」と呼んで日守山という山があるようだ。
こんな事なら出発地をそちらにするべきだったと少々がっかりした。
なにせ長距離歩きが好きなので、険しいと言われている沼津アルプスが始まったばかりなのに生意気な思いが浮かぶ。

 多比口峠まで戻り北に続く稜線を沼津アルプスの中で一番高い鷲頭山に向かう。
小ピークを登ると後ろに今登った大平山が見てくる。左側の前には三島の街も見える。
三島の街の後ろには箱根の山々が見えていてアンテナのある山は丸山なのか。するとその左にあるのは金時山だろう。
あの尾根をグルリ歩いたのだと思うと誇らしくなる。誰かに喋りたいがその相手はいない。



 痩せ尾根や岩尾根が続く登山道の両横には、曲線が多いゴツゴツした感じのウバメガシが自生している。
そのウバメガシの根が尾根道に波打つようにせりだしていて、階段状になっている所もあった。
階段といえば大きな岩を刻んで階段状にしてくれてあった場所は此処だっただろうか?
そんな道を楽しみながら歩いていくと意外と簡単に本日の最高峰鷲頭山に到着してしまった。



 鷲頭山の山頂は広場のようになっていたが景色は左程でもない。大木の桜の根元に祠があったのが記憶に残っただけだ。
その鷲頭山からロープを張った急坂を下る。なかなかの急坂でスットクを持った人がロープとストックで悪戦苦闘していた。
鷲津山から10分程で小鷲頭山に到着。
起伏は激しいが何せ低山で、しかも幾つも山頂があるので、すぐ次の目的地に着くので気分的に楽に感じる。
この小鷲頭山は小と呼ぶのだから鷲頭山より低いのだが景色は良かった。



 前回歩いた伊豆3山から更に富士山や沼津に近づき、田子の浦の緩やかに湾曲した海岸線もスッキリと見えている。
山頂で地元のハイカーに声を掛けられ、しばらく一緒に歩いたとき気になっていた奥アルプスの事を聞いてみた。
「奥アルプスは歩く人が少なく道標も少ないが迷うことはない。だが梯子場やロープなどもあり結構危険だ」と言う。
更に私が「次回は香貫山から南に向かって奥アルプスへ歩きたい」と言うと
「それは止めた方がいい。ここは富士山に向かって歩いた方が景色がいいし、奥アは下りより上りの方が安全だ」とも言う。
私は長距離は好きだが危険な避けたい。なら忠告に従い次回も北向きで歩いてみよう。
季節は縦走路でも時折見かける桜の花が満開の時季が良い。
ヨシ!来年の春、桜が咲くころ奥アを含む沼津アルプスの完全縦走をしよう。来年の目標が一つできた。

 まだ沼津アルプスを半分も歩いていなのに次の予定ができてしまった。
しかも桜のころは花曇りで富士山の見えない日が多いのだが、本当に歩くのかな? 
それでも目標が無いよりは良いだろう。沢山の目標の中から実際歩くコースを選び出せばいいのだから。

伊豆3山-2

2012-01-17 12:54:10 | 低山歩き
富士山眺望低山歩き 伊豆3山―2                    歩行月日2011/12/10

 発端丈部山と葛城山の分岐から葛城山へは林の中の道を下る。余り下るとまた登り返さなければならないの嫌だなと思いでしたころ平坦な林道になった。あー助かった。

  

 林道の左手の林が開けると富士山が顔を出した。一昨日降った雪で御殿場側は下の方まで雪が残っている。
丁度雲が掛かっている宝永山の下に連なっている山並は愛鷹連峰だ。
その手前の尖った山は沼津アルプスの鷲頭山で、その尾根続きの左手の頂は大平山だろう。
何かこの山が”早く来い”と呼んでいるように何度も顔を出す。
目を左にお転じれば駿河湾も見えている。海越しに見える町は富士市の製紙工場だろう。
その後に少しだけ南アルプスの山々も見えている。海の手前にある三角の小さな頂は三津にある淡島か。

 景色を眺めながら林道を進むと葛城山山頂への登り口に出る。そこから20分程度の急登が続いて山頂に至るのだが、
山頂はケーブルカーの駅もある事から観光客で賑っていた。
その仲間に入って山頂に散在する名所を見物する。

             
      

 百体地蔵や頼朝の像、巨大下駄等があったが、どれもが観光用に建てた物で、謂れなどは無さそうだった。
ただ452mの葛城山山頂にある二等三角点は、城山の三角点と同じように、名前の盤を埋め込み大切に保存されていた。
だがここの名所は何と言っても富士山の眺めだろう。駿河湾から御殿場高原にかけてのパノラマは中々の物はある。

 

 葛城山は麓からは、お握り状の尖った山に見えたが、三角点のある山頂の西側には展望台があったので双耳峰なのだろう。
その展望台からは狩野川上流の蛇行した眺めを見ることが出来る。
下右の写真左手前に見える頂は、いま登ってきた城山だろう。こちらからは岩肌は何も見えないが。
後を振り向くと三角点のある山頂が見えている。更に展望台には最近流行の愛の鐘なる物が設置されていて、時折カップルが笑いながらその鐘を鳴らしていた。

  写1778 1781

 急で滑りやすそうな坂を転倒に気をつけな、がら下って行くと時折ハイカーと擦れ違う。
彼らは直接葛城山を目指してきたのだろうか城山での折り返しでも会っていないグループだ。
歩きながら「背面登山口」の合流部を気に掛けていたが見つからない。標識は勿論の事、踏み跡も気が付かなかった。
どうやら正式な登山道ではなさそうだ。やはり登らないで正解だったが、何となく気になる背面登山口だ。

 分岐点まで戻り次は益山寺に向う。軽いアップダウンの道を20分ほど行くと益山峠に到着。更に5分ほどで益山寺に着いた。
益山寺は開基が大同3年(808)弘法大師が創建した真言宗の古刹で、本尊の一木彫りの千手観音像は大師の作と伝えられている。
尤も私の興味はそちらにはなく境内にある県指定の天然記念物で、日本三大楓といわれている樹齢1300年の大楓と、
矢張り市の天然物の大公孫樹の木にあった。

        

 残念ながら大公孫樹は既に落葉してしまい冬枯れの姿になっていたので、見た目にも一回り小さく感じて余り凄みは感じない。

    

 一方大楓の方はゴツゴツとした太い樹幹は野生的で圧倒される思いがした。
ただ紅葉は緑の葉と紅葉した葉が混在していて早いのか遅いのか分らない状態だった。
それにしても公孫樹と楓の間は狭い参道を挟んだだけの距離しかなく、よくこなんな間隔で2本の大木が生育していると感心もした。
若しこの大公孫樹と大楓が同時に紅葉したらさぞかし見事だろう。見てはみたいがそんな事があるのだろうか?今日の状態を見る限りありそうも無い。
参道の下には車が停まり、庫裏なのかTVのアンテナも見える。これなら麓から車道が通じているのだろうから、紅葉の最盛期に車で来るのも一つの方法だろう。

 

 益山寺から益山峠に引き返す。次は発端丈山へ向うのだが、峠で気になる標識があった。
その標識には「かつらぎ山、発端丈、三津方面40分」と書かれている。

          

直接この峠に登ってきたハイカーは、この標識を見て発端丈山は右に行くべきか左に行くべきか迷ってしまうだろう。
またこれから発端丈山を越えて三津に行こうと思っている私も、三津まで40分で行けるのかと思ってしまった。
だが山と高原地図では益山峠から初端丈山まで20分。発端丈から三津まで70分と書いてある。
どちらが正しいのか?それとも近道があるのだろうか?

  

 三角点のあるピークを過ぎて次のピークが発端丈山だった。山頂への最後の登りを進んでいくと正面に富士山の頂が見え出した。
更に一歩登る毎に富士山の山腹が見え出してくる素晴らしい登りだった。

 この山頂で城山で追越した中高年グループと再会した。何所で追い抜かれたのだろうか疑問に感じながら声を掛けてみると
彼らは城山から直接初端丈山に来ていて、葛城山には登らなかったそうだ。
本当は葛城山にも行きたかったが自分達のペースだと無理だと判断したという。
逆に分岐点から葛城山に登って分岐まで何分掛かったか聞かれて手帳を見ながら
「行きに40分ぐらいで、帰りに30分掛かった」と答えると。
「この人で1時間以上掛かったのなら、私らでは2時間掛かる。となるとここへは3時過ぎに着くので矢張り無理だった」と仲間同士で話をしだした。
そんな事は無いだろうが、まだバス停までは70分かかる。彼らの足では90分は掛かるだろう。
となると葛城山経由だと到着が4時半を過ぎてしまうので、日の短いこの季節では、葛城山を抜かして正解だったのかもしれないな。

 発端丈山を下り始める。山頂から10分も下った所で今日一番の絶景に出合った。どうですか素晴らしいでしょう。
碧い海に浮かぶ淡島。沼津の白い町並みの後には愛鷹連峰。その後には裾野を緩い傾斜で広げている富士山が見えている。
しかも富士山の頂には白い雪も懐いている。写真技術の拙い私の写真でも中々のものでしょう。

          

 さてこの先は少し注意が必要だ。それはPCが壊れる前に沼津市のHPでこのコースを確認にした時
「長浜口以外は、台風の影響で倒木が多く通行できない」と書かれていたのだ。その後どうなっているのか分らないが、
分岐点に通行止めの表示があるとも限らないので、ともかく長浜口を目指そうと思っていた。
 
 林の中急な道は歩きにくかった。一昨日降った雨で道がぬかるんでんいて歩きにくい事この上ない。
一度転んでしまいズボンにベッタリ泥を付けてしまった。
展望台と大きな看板のあるコンクリートの建物に出た。確かにここからの富士山も綺麗だが、さっき見た富士山の方が素敵だった。

  

 展望台からカメラで遠景で撮ろうとすると右の木の枝が邪魔になってしまい、少しズームを上げるとバランスを欠いた感じになってしまった。
この展望台からは富士山よりも目の下の海の景色の方が良かった。
群青色の海の島影に白いヨットが停泊している。海の向こうのなだらかな曲線の海岸は田子の裏海岸だろう。
その上には薄っすらと白い南アルプスの山脈も見えていた。

 二つ目の分岐点に出た。そこには沼津市の貼紙がしてあり「倒木のため通行禁止」となっていた。
そしてその分岐から景色は、さらに海が近くなり淡島も目の前に見えた。

  

 道はミカン畑の中を通っていて、少し手を伸ばせばミカンがもげる場所にある。
道徳感の薄い私の心は揺れるのだが、そこは敵も去るもの
「ミカンを取らないでください」とか「ミカンを取るのは泥棒です」とか書いてある。
さすがそれを無視して取る勇気も無い私は、物欲しげな目をして歩くしかなかった。

 分岐から10分も歩くと車道に出て、その車道の堤防の先は海だった。バス停はと左右を見ると左手に見えている。
長浜バス停に到着は14時丁度。距離はGPSで12.8km。歩数計で16km程度だった。バスの時間もあったので更に歩く事にした。
三津シーパラダイスの横を通り、今日は何回も上から見た淡島の横を通って進む。更に進んでいくと前にトンネルが見えてきた。
トンネルを歩くのも気が進まないのでその手前のバス停で打ち止めにする事にした。おかげで距離は何とか15kmを越える事ができた。

 後日聞いたのだが伊豆の国市では、この城山と葛城山、発端丈山の三つの山を「伊豆3山」として売り出す予定があると言う。
それはそれで大歓迎だが、その前に手直しして欲しい道標が幾つかある。
まず城山登山口にある大きな案内板の時間が実際と違いすぎることだ。イラスト風に書いてあるので違っても良いとはならないはずだ。
次に城山林道から山道に入る場所にある道標の位置を山道側に移すか、矢印で山道側を指すようにしてほしい。
その山道を登って行って四辻の所にある道標にも、はっきりと葛城山の地名を入れて欲しい。
そして最後に益山峠にある道標の「三津40分」の表示も意味不明だ。
以上の手直しをしてから是非伊豆3山を売り込んで欲しい。

 道標とは道を知らない人のためにあるのであって、初めての人が道標を見て迷うような道標とか、説明を受けなければ理解できない道標では意味が無い。
それらを直せば富士山の眺めの良いこのコースは、きっと人気コースになるだろう。

伊豆3山-1

2012-01-16 13:00:01 | 低山歩き
富士山眺望低山歩き 伊豆3山―1                    歩行月日2011/12/10


 10月頃の新聞に有名登山家が「毎年12月は伊豆の益山寺の公孫樹とモミジの紅葉を見て、
発端丈(ほったんじょう)山からの富士山を眺める」
と話していたの載っていた。
益山寺も発端丈山も初めて聞く名前だったが、12月に紅葉が見えて富士山を眺められるなら丁度良いと思いネットで検索してみた。
益山寺は伊豆の国市(旧修善寺町)にある古刹で、樹齢1300年余の「日本三大楓」の一つと大公孫樹があると紹介してあった。
更に発端丈山は寺から30分程度で登れる海抜410mの低山だということも分った。

 早速「山と高原地図」の伊豆版を購入して調べてみると、付近には伊豆長岡温泉からのロープウエイがある葛城山もあり、
そこから発端丈山への道が続いている。更に発端丈山の先は水族館のある三津シーパラダイスに下る登山道がある。
なら伊豆箱根電車で葛城山の麓の田京駅に行き、そこから葛城山に登り富士山を眺める。
(確か葛城山も富士山の眺めが良い山で有名なはずだ)
次に葛城山から益山寺に抜け「日本三大楓」の紅葉を楽しんで、次は寺の裏山の八端丈山から富士山を眺める事にしよう。
そして駿河湾の三津に下り、バスで沼津に帰る。これで一コース出来上がりだ。

 だが実際にコース時間を設定してみると、何とも短すぎた。地図の標準時間では田京駅から三津まで5時間丁度だったので、
これでは朝8時に歩き出したら13時過ぎにはゴールしてしまう。他に寄る所はないかと地図を眺めれば、葛城山の東南の所に
城山(じょうやま)という山があった。
城山とは確か大仁温泉の狩野川の横にある岩山のはずだ。
あの山なら葛城山より余程も登り甲斐がある山だし、運が良ければ岩登りをしている姿もみる事が出来るだろう。
歩行時間は田京駅からより1時間30分ほど多くなり6時間30分。これなら到着時間も3時ごろにはなるだろうと

大仁駅―城山―葛城山―益山寺―発端丈山―三津のコースで歩く事にした。

予定時間(山と高原地図)歩行時間6時間35分
大仁駅-30-登山道入口-40-城山分岐-15-城山-15-城山分岐-35-葛城分岐-1:05-葛城山-55-葛城分岐-30-

益山峠-10-益山寺-10-益山峠-20-発端丈山-1:10-三津

そして実際に歩いてかかった時間は
実行時間 歩行時間4時間25分 休憩時間1時間10分 合計5時間35分
大仁駅-30-登山道入口-34-城山分岐-13-城山-10-城山分岐-28-葛城分岐- 35-葛城山-26-葛城分岐-18-

益山峠- 5-益山寺- 6-益山峠-17-発端丈山- 44 -三津長浜

 歩行時間で大きな違いは葛城山の分岐から葛城山への上り下りだが、ここにはルートが複数あり、私は地図とは違うコースを歩いたようだ。
あとは地図の歩行時間が私の歩行+休憩時間とみれば大よそ合っていると思います。

  

 伊豆箱根鉄道駿豆線大仁駅に8時17分到着。
今朝は今冬一番の冷え込みで一昨日降った雨の水溜りに氷が張っていた。
温暖気候で有名な伊豆半島だが、ここ大仁は東西を山に囲まれ海から隔たっているせいで、寒さは私の住む静岡県中部地方より厳しいようだ。
 駅前は温泉地らしく湯気がたった足湯もある。勿論まだ観光客は一人も居ない。いやそれどころか電車を降りたのも私一人で駅前広場には人影は無かった。
さて城山にはどう行くのだろう。PCが壊れてしまったのでネットで昨夜は地図を確認する事が出来なく、おまけに山と高原地図では街の中では何の役にもたたない。
確か以前調べた記憶では、国道136の橋を渡り城山の方向に向かうとあったはずだが、その国道の橋の方向が分らない。
あった、あった。観光案内の表示板が駅の横に立っていたので、その地図で国道を確認して駅前を8時22分に出発。



 国道に出ると岩山が見えてきた。更に橋の袂からは城山の全容が見えた。
狩野川の対岸にそそり立つ岩山を見て気分が段々高揚してくる。
自分があの岩場を登攀するのではないが、あの山頂に立つのかと思うだけで嬉しくなってきた。
今朝電車の車窓から見えた葛城山は、余りにも低く貧弱で、お結びのような山で登頂意欲を無くしてしまい、
こんな山に電車賃を使って来ることは無かったとガッカリしていた。だがこの城山の雄姿を見て再び闘志が湧いてきた。
それにしても今回のコースに城山を追加してよかった。

 国道の橋を渡り城山の方を見ると、狩野川の土手沿いに道があるように見える。しかしよく見ると道は途中で終っていて城山の下の道には続いていそうもない。
朝から道を間違えるのも嫌なので、前方に見えた信号を右折して車道を行く。
それが正解だった。土手の道は途中で終っていて、もしあの道を歩いていたら苦労する事だった。

             

 車道は城山の麓を進んでいく。途中に磨崖仏と言うには大袈裟だが、自然石に地蔵を彫った「子育て地蔵」もある。
弘法大師が修善寺温泉の独鈷の湯を見つけたおり、ここを通った弘法大師が、子供のいない夫婦の悲願を聞いて
地蔵を供養させたところ子宝に恵まれたと紹介してあった。

 さらに車道を行くと城山の登山口があり、ハイキングコースの案内や城山を紹介した案内板が建っていた。
それを読んで城山はシロヤマではなくジョウヤマと読むことを初めて知った。また標高は341mで岩壁は280mもあると紹介してあった。
更にコースの所要時間として登山口から城山分岐まで30分。葛城分岐から葛城山まで30分と紹介してある。
山と高原では城山分岐までは40分、葛城山は65分となっていたが、果たしてどちらが正しいだろう。

 山道に入ると道は荒れていた。石畳だったのだろうか、それとも石段があったのだろうか、その石が崩れたようにゴロゴロしていた。
ここは雨が降ると沢になるのだろう。一昨日降った雨の残りで石の無い所はヌルヌルしていて滑りやすかった。
そんな道々もロッククライミングルートの標識の辺りに来ると乾いた山道になり快調に高度を上げていく。

  

 「岩登りの心得」と書かれた表示もあり、そこには
「この岩壁はホールド・スタンスがとぼしく、主たるルートは人工登攀と部分的にフリー登攀からなりたっています」と書いてある。
人口登攀とはボルトなどを埋め込みながら登り、フリー登攀とはそのような物を使わず登る方法だろう。
一度見てみたいが、まだ岩壁には人影は見えていない。帰りに見れると良いのだが。

 城山への分岐点まで35分掛かった。登山口の案内板では30分となっていたので少々遅れ気味のようだ。
だが途中で中高年の団体を追い抜いて来たのだから、それほど遅いとも思えないが。
登山口ではジャンパーやダウンのベストを脱いでいたが、上りが続いて暑くなってきた。更にトレーナーを脱いで上は薄手の長袖シャツにオープンシャツ。そしてベストを着ている。
下は今冬初めての薄手の股引を穿いて来たので、余り暑くなると着替えが出来ないので困った事になりそうだ

 ここの分岐から城山の山頂へ往復して、ここに戻り葛城山の方向に進む事になる。
道は尾根道状になって左右が明るくなってきた。時折大きな岩が鎮座していて、この山が岩山だった事を思い出させる。
4人の若者グループが私を追い抜いていく。しっかり膨らんだザックを背にテンポ良く登っていった。
尾根に出ると彼らは右曲って行ったが、そこには「←山頂方面 ロッククライミングルート→」の標識が。残念ながら私は左の山頂に向かうしかない。

            

本心は少し岩場を覗いてみたい気もあるが、邪魔になっても悪いし、恐い場所に出ても困ると、我慢して左の山頂方向に向かう。
標識からすぐ三角点のある山頂に出た。ではさっきのロッククライミングルートとは岩場の上に出るコースなのか?
するとあの4人組は県懸垂下降の練習に来たのだろうか??

  

 山頂で先ず目に入ったのは自然石の中に嵌め込んだ三角点の標識だった。
そこには「四等三角点 基本 建設省国土地理院 No102406」とある。
さらに「この測量標を移転き損すると測量法により罰せられます」とも刻まれている。こんな立派な三角点の標識は初めて見た。
富士山の剣ヶ峰の二等三角点でも何所にでもある普通のコンクリートの三角点だった。
なのにここは四等なのに金属製の標識が埋め込まれていた。何か理由があるのだろうか。

  

 さてここからの景色はどうだろう。まず富士山はと進行方向を見たが見えない。アレ?富士山を隠すような雲は出ていないのに何故だ?
大仁駅からこの城山には富士山のある北の方向に歩いてきた。城山の東面は岩壁で登山道はその岩の後にあったはずだ。
ならば富士山は進行方向にあるはずなのだが、その方向の景色は下に狩野川が蛇行して山の中に吸い込まれているのが見える。
家並みは川の流域にしか見えない。ウーン?こちらは三島方面なのだから、もっと家も有り平野もあるはずなのだが。
目を狩野川沿いに左に移動していくと家並みが徐々に大きくなり、終いには町のように広がっている。

  

更に目を左に向けると。ありました。ありました。富士山がありました。山頂から見て一番左の今歩いてきた方向に富士山があった。
そうださっき城山の分岐点で道が鋭角に曲っていた。あそこで方向感覚が狂ったのだろう。

 枯れ枝の先のすぐ横の山が次に行く葛城山で、その先の釣り尾根上の右の山が沼津アルプスの大平山。
左が同じく鷲頭山。釣り尾根の先に一段高く見える山は愛鷹連峰だろう。
富士山眺望の低山歩きと銘打つなら沼津アルプスも愛鷹山にも登らなければならないだろうな。
特にまだ歩いた事のない沼津アルプスは今年中に何とかしたいものだ。

 城山分岐までの下りで登山者に結構出会った。先に追越した中高年の集団。それに明らかに岩登りと分る集団にも何組か出会った。
それにしても何故岩登りの人が山頂に歩いて向うのだろう、分らないままだった。
分岐から先は山腹を横断するように平らな道が続き農道に出ると、そこには神奈川、東京ナンバーの車がずらり並んでいる。
台数は10台や20台ではきかない位だった。
この車は城山に岩登りに来た人達の物と思うが、こんなに多くの人が入っているとは思えなかった。
ハーケンを打つ音や、仲間同士の連絡の声も聞こえなかったし、一体どうしてなのだろうか?

  

 農道を少し左に行った所にハイキングコースの道標が建っていたが、矢印が付いていないのでコースが農道を指しているのか、それともそこから始まる山道を指しているのか分りづらい。
一先ず階段状の山道を登る事に。折角道標を建ててくれるなら悩まないような位置とか表示をしてくれると助かるのだが。
道は山道が正解だったが、次の道標でも悩んでしまった。
登ってきた山道が四辻に合流して、左右は山腹を横断している平坦な道で、正面は山を直登している。

  

 立札には左右の矢印があり「外山← →内山」と書いてある。外山も内山も地図にも無いし初めて聞く地名だ。
気分は正面の登りを選択したいので、少し登ってみると、道は倒木や草が生茂り余り利用されているようではなかった。
山と高原地図を見ても明確な事は分からないが、何やら葛城山の山頂を南(左)側に回りこんでいるようだったので、標識の外山方向に進む事にした。
結果はそれで正解だったのだが、その後、外山も内山の地名は出てこなかった。一体あの標識は何だったのだろう。

 次にあった標識は同じ団体が建てた物で「葛城山背面登山口 姥目樫の自然美林あり」となっている。
私の予定している葛城山へのコースは、葛城山分岐から往復するコースだったので同じ道を歩くなら、この背面登山口のが面白いかもしれないと誘惑に駆られた。
だがその案内板の余白にマジックで「上はトラバス」とか「急登」と書いてある。
急登はともかくトラバスとは何を言いたいのか、山腹を横断するなら楽と思うが、何故わざわざ付けて足して書いてあるのだろう。
随分迷ったが入口の状態も荒れて湿った状態だったので結局諦めて歩を進めた。そこから50mも行くと葛城山と発端丈山の分岐があった。

富士箱根トレイル③-2

2012-01-13 10:53:25 | 低山歩き
富士箱根トレイル3回目―2                    歩行月日2011/11/26

 三国山山頂を出ると木の様相が変わってきた。ブナの木が目だっていたのが、幹立ちというのか細い木が何本も集って
束になって生えている。まるで弱い動物が集団になって自分達を守るように、この木も重なって生える事により、中の木を
鹿などの食害から守っているようにも見える。名前が分れば調べる事もできるのだが-----
 芦ノ湖が清々と見えるようになってきた。山頂にアンテナが見える山が二子山で、その下の湖畔の集落は箱根園辺りなのだろう。

 
 
 山伏峠の手前辺りからハイカーに出会うようになった。と言ってもほんのたまに擦れ違う程度で金時山と比べれば雲泥の差だ。
前方に駿河湾が見えてきた。その手前に凸凹した山並が沼津アルプスなのだろう。
この山は低山なのに起伏が激しく中々侮れない山らしいが、私はまだ登った事が無い。
だが富士山の眺めが中々良いらしいので、この富士箱根トレイルが終ったら行ってみようかと思っている。

 山伏峠には黒部渓谷の人食い岩を小さくしたような岩場があった。左に見えるツルツルした木は姫シャラで数は少なかったが時折見ることができる。
山伏峠は峠と言っても箱根側にも富士山側にも道は延びていない。昔は山伏が通った道があったのだろうか?。

 

道は尾根より少し下がった箱根側に付いているので、芦ノ湖は樹間から見ることができるが、富士山は全然見ることができない。
と思っていたら突然前方が開け頭上を覆っていた木もなくなった。そしてドライブインらしき建物も見える。
そこからは芦ノ湖は良く見るが富士山が見えない。後を振り返ると草原の高台に「絶景」と書かれていたので早速今来た道を少し戻り高台に登る。
だが残念ながら富士山は雲の中で見ることは出来なかった。

 

 ベンチに腰を下ろし握飯の昼食をとりながら山と高原地図を取り出しコースを確認すると、すでに今日のコースの2/3は歩いているようだ。
今11時30分。このまま行くと箱根峠の道の駅には13時頃着いてしまいそうだ。そこから芦ノ湖までの距離は知れているし、困ったものだ。
と何気なく今朝購入したJRの休日フーリ-切符の確認をすると。
アレー無い!確かチョッキの胸のポケットにしまったはずなのに入っていない。慌てて他のポケットやザックの中を調べてみたがどこにも入っていなかった。
ウーン今朝、岩波駅の便所に入ったときは持っていて、切符は棚の上に置いた。「忘れないようにしなければ」と思ったことも憶えている。
だが何所にも無いところをみると、どうやら棚の上に忘れてきたようだ。折角2600円で購入したのに、これでは帰りの三島~藤枝間の
1270円は丸損になってしまう。ウーン頭にきたな!
帰りの予定は箱根峠から芦ノ湖に下って、バスで三島駅に帰る予定だったが、これでは出費が重なってしまう。
仕方ない芦ノ湖に下りるのは止めて三島側に下ろう。そうすれば箱根・三島間のバス代1000円が少しは安くなって損害を減らす事ができる。
こうして箱根峠からの帰り道は自然と決まってしまった。もっとも三島駅まで無理なら途中でバスに乗ればよい。

 ドライブインからの道は今までとは打って変って明るい高原の道になった。
竹林を切り開いた道を歩いたと思ったら今度はススキが両側に生えた道になる。
 
 

すると今度は湿地帯のような様相をした苔むした木が現れた。何とも変化のあって面白い道だ。
前方のスカイラインに車が停まっているのが見える。きっと料金所なのだろう。とするとこの稜線歩きも終りに近づいた事になる。
小さく大砲の音が聞こえてきた。時間は丁度12時。

 

 「海平」の標識のある場所に着いた。地図では「海のノ平」となっているが、どちらが正しいのか?マーどちらでも大勢には影響ないか。
それより平でもないのに、何が海ノ平だろうと思いながら歩いていると、前方に開けた景色が見えてきた。
手前の道は芦ノ湖スカイラインでその横にゴルフ場が見えている。更に奥に見える道路は国道1号線か、その上にも別のゴルフ場が見える。
これなら」海ノ平も納得できる。芦ノ湖(海)付近の平らな場所なのだから。

          

 海ノ平から道の駅までの道は、稜線と別れ林の中のアップダウンの道になった。ドライブインまでは時折擦れ違っていたハイカーは見当たらなくなったが
今度は山歩きならぬ山走りの人たちが何組か私を追い抜いていく。熊除けの鈴を鳴らしながら、ドシドシと音を立ててくるのですぐ分かる。
道の脇に除けてやり過ごすのだが、彼らは何が面白くてこんな事をやっているのだろう。タイム重視で草や木や景色は眺めないのだろうか。
いずれにしても私には真似ができない行為だ。いや真似をしたくても出来ない年齢になってしまっている。

 車のエンジン音が聞こえて来ると箱根峠の道の駅がすぐ下に見えてきた。歩道管理NOも1番の標識が立っていた。
これで私の考えている富士箱根トレイルは一応終りだが、本当はこの先の十国峠に続く山道さえあればなあと思う。
鉾根峠から更に十国峠に足を延ばし、そこから石仏参道を海を見ながら熱海駅に下る。
そうなれば富士箱根トレイルでなく富士箱根伊豆トレイルになる。終点は海や温泉のある熱海なら区切りもいいのだが
なにせ道がないのではどうしょうもない。観光道路の脇を車を気にしながら歩くのも気が進まないのあきらめるしかないな。
 
 

 道の駅から1号線の左側を50mも行くと旧東海道と合流する。この急坂を10分も下れば芦ノ湖の箱根駅伝の発着場所に着く。
三島側の旧東海道は高台にあるゴルフ場経由だが、今日はその道はやめ、このまま1号線を進む事にした。
車の間隙を縫って反対車線側に移動する。こうしておけばこの先旧東海道に入りやすくなる。

 右手に芦ノ湖が見える場所があったが、ここが今日一番の芦ノ湖の眺めだった。
そういえば今日のコースの眺望はどうだったろう。
三国山山頂手前では富士山を木の間から覗くようにして見ることができた。
次のドライブインからは、雲で見えなかったが雲がなければきっと素晴らしい富士山を眺めることができるだろう。
芦ノ湖は矢張りドライブインからと、ここ箱根峠が良かった。あとは海ノ平からの鞍掛山などの眺めが良かった程度だ。

この富士箱根トレイル3日コースでは、何と言っても足柄峠から湖尻峠まで歩いた2回目が最高だった。
県道や足柄峠からの富士山。金時山からは富士山と箱根の眺望等々。
しかし一番感激したのは長尾峠と湖尻峠の間にあった富士見ヶ丘公園からの眺めだった。
富士山は勿論、籠坂峠から三国山稜、それに金時山から、更に箱根外輪山の尾根が一目で眺められ、自分で歩いたコースを一望できるのには感激した。
では2番目と言うと今日の3回目かな。初回は明神山へ足を延ばしたので山中湖と富士山の絶景を見ることが出来たが、三国山稜だけでははっきり言って大したことはない。
あのコースは景色と言うよりサンショウバラやアザミ、トリカブトなどの植物が魅力なコースだろう。次回は是非サンショウバラの咲く春に行って見たいと思っている。



 右手のスカイラインの入口が、湖尻峠からズート右を走っていた芦ノ湖スカイラインの入口だろう。
その先には神奈川県と静岡県の県境の標識が建っていた。
箱根峠の休憩所に13時15分到着

 

 フリー切符を失くしてしまったので、三島側を歩けるところまで歩こうと、春に歩いた東海道の小田原・三島の行程表を見る。
2月10日に小田原駅を7時15分に出発して、ここ箱根峠に12時55分に到着している。
そして三島駅には16時45分着なので、この間を3時間40分で歩いている。
なら今日も今13時25分なので17時頃には三島駅に着くだろう。なら思い切って三島まで頑張って歩いてしまえ。と決心した。

 ここから先は春に紹介したのでかい摘んで紹介します。

 春に歩いたとき箱根西坂の石畳で「〒」マークの刻印のある石を見つけたが写真を撮らなかった。
このマークはNTTの前が電電公社で、その前は逓信省(郵政省の前身)の時代に、ここに電話線を埋設した印だろう。
その証拠に電電公社のマークの石杭も所々にあった。
この事を他の人のブログに「何故〒マークがあったのか分らない、郵便のマークではないのかもしれない」と載っていたので
再度このマークを確認してみたかった。
今年は東海道を歩いた後、函南原生林から芦ノ湖まで2度歩いていて、その時注意深く下を見てマークを探しながら歩いたのに2度とも発見できなかった。
それが今回は見つけることが出来た。だが今回見つけた〒マークは石畳の石に直接刻印した物でなく、コンクリート柱にマークを埋め込んだ物だった。
場所は富士見食堂から国道を横断して、再度石畳に入った所だった。春に見つけたマークは、もっと箱根寄りで兜岩辺りだったと思うが。

 明治天皇が寺の境内の石に腰掛て、富士山を眺めた場所では、大根の栽培が盛んで、手前の岡の綺麗な緑が大根の葉っぱです。
途中で収穫したり、大根を洗って二又にして干したりしていたが写真を撮るのを忘れてしまった。
時々真っ赤な人参もあって、こちらは機械で洗っていて筵の上で干していた。
疲れてくると写真を撮るのも面倒になったり、撮ること自体に気が回らなくなってしまう。困ったものだ。

 
 
 錦田の一里塚では塚を写したその場所で振り返ると富士山が見えていた。
東海道長しと言えど一里塚の正面に富士山が見える場所はそう多くないだろう。
ここが昔も今もこれからも東海道を歩く旅人の憩いの場所であって欲しい。

 

 16時45分三島駅に到着。
恥を忍んで駅員に「今朝岩波駅の便所に、フリー切符を忘れてきてしまったのですが確認できますか」と聞いてみた。
駅員はその場で岩波駅に電話をしてくれて「あるそうですので証明書を書きますから下車駅に提出してください」だって。
ラッキー!キオスクで購入した氷結はいつもより美味かった。


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 PCが使えなくなっている間に、なんと!なんと!GPS測定器を管理する会社が倒産してしまっていた。
毎月1500円余の使用料を支払い、ネット上で自分の歩いた地図情報などを眺めることができていたのだが。
おかげで東海道は勿論。富士山一周、駿河一国や遠江や遠州の遍路の地図など全ての情報が駄目になってしまった。
そんな馬鹿なと思っても会社からは「12月中にデートをダウンロードするように」と通報があったようだ。
それにしても悲しい。この会社は朝日新聞や日本ウオーキング協会も関連していたので信頼していたのに-------

富士箱根トレイル③-1

2012-01-12 10:53:09 | 低山歩き
富士箱根トレイル3回目―1                    歩行月日2011/11/26

                 岩波駅から三国山へ




JR岩波駅に7時16分到着。御殿場線に乗車したあと腹が痛くなり便所に直行し清々してから歩き出す。
御殿場線の踏切からの富士山は、見えてはいるが回りは雲がかかっていて、いつ雲の中に入ってもおかしくない状態だ。
何とか山の上から見たいのだが、こればかりはどうしょうもない。

 湖尻峠までは小さな川の割には水量が多い深良(ふから)川に沿って登っていくのだが、この深良川はある事で有名な川だ。
それは江戸時代(1670年)深良村の水不足を解消するため、芦ノ湖の水を箱根の山腹を穿ち深良村まで導いた「深良用水(箱根用水)」のことで知られている。
深良村の名主が江戸の豪商伴野与衛門の協力を得て、全長1280m、高低差10mの水路トンネルを4年の歳月と総工費7400両(7億円)、
延べ約84万人を投入して完成した用水は、水路の両側から手で掘り進めたのにもかかわらず結合部分の誤差は殆ど無かったと言われている。
だが喜びも束の間、伴野与衛門は沼津代官所に捕らえれ死罪になってしまった。

 そんな物語を子供の頃「箱根風雲録」という映画を見た覚えがある。
その映画の中でトンネルの位置を調べるため夜間に提灯の灯で測ったり、高低差を出す為に竹の樋を使ったりしていた記憶がある。
だが何故伴野与衛門が死罪になったのか記憶が無い。しかも水不足が解消して米が増産になる沼津代官所に殺されるとは。
これが小田原代官に捕らえられるのなら、自分の領土の芦ノ湖の水を盗んだとして、まだ理解できるのだが。
真相はどうだったのだろう。

 静岡県の旧東海道に「明治トンネル」がある。竣工は名前の通り明治9年で長さが203mの人馬が通るトンネルだ。
左右から掘り進めたトンネルは結合部が直線にはならずに「く」の字になってしまい、数年後の掘り直している。
その明治トンネルの入り口には国の登録有形文化財指定の標識が掲げてあった。
ならば明治トンネルに比べ、より古く高度な技術を駆使して完成し、しかも現在に於いてもその恩恵を授けている深良用水はどうなっているのだろう?世界文化遺産は当然指定されていないが、少なくても国の文化財には指定されているだろう。
今日確認してみよう。

 県道ではもったいないような道が続いている。前回この道を歩いたとき散歩をしている人と少しの間一緒に歩いたのだが、その人がこんな話をしてくれた。
「裾野市ではキャノンの工場を誘致する為に、工場までの道を拡幅した。更に観光客や広域避難のために、この道を湖尻峠まで拡幅して芦ノ湖スカイラインに接続しようと工事を進めた。
しかし大型バスが通行するにはカーブの道幅が取れないので、伊豆天城のループ橋のような物が必要と分ると、熱は冷めてしまい拡幅工事も途中で投げ出してしまった」
のだそうだ。
そう言われてみれば広い道が途中で終ってしまっていた。これって税金の無駄遣い?
 
 深良川の途中には、小さいながらも水力発電所があった。これも深良用水の恩恵なのだろう。
3月11日の震災以来電力不足が叫ばれているので、このような小さな発電所でも必要性が増してくるだろう。



 深良用水トンネルの深良側出口に到着。入口には「深良用水之碑」が建っている。
トンネルには「一級河川 深良川起点」の標識はあるが国や県の登録有形文化財指定の掲示板はなかった。
深良用水は文化的な価値がないと言うのだろうか?そんなことはないと思うのだが。
最近世界記憶遺産に福岡県の炭鉱の絵が指定された。源氏物語絵巻や鳥獣戯画などを差し置いての指定である。
これは国が国宝を世界遺産に認定に名乗りを上げた結果、もし選に漏れるとその物が持つ価値が減少するのを恐れている間に、
炭鉱の地元の田川市が名乗りを挙げて認定を受けてしまったのだろう。
この深良用水も世界はともかく、国が認定しないのなら少なくても地元の市が文化財の指定はすべきと思うのだが、そのような立札は無かった。
さらに深良用水を謂れを説明した案内板も設置されていない。
深良村が岩波村になり、さらに裾野市に吸収合併されてしまい、一に過ぎない深良の事など誰も気に掛けなくなったのだろうか。
いや考えてみると伴野与衛門を奉った神社や祠も無い。これは与衛門が代官所で処刑されたため、地元はお上に遠慮して奉ってないのだろうか?
それなら明治になってから奉っても良さそうなものだが?これでは寂しすぎる。
一度芦ノ湖の水門から深良川が黄瀬川に合流する地点まで歩いてみればハッキリするのだが、この県道をまた歩くのもナー。



 今日は冷え込みがきつく、吐く息が白く見える。道脇の落ち葉に霜が降りて葉脈を白く縁取っている。
湖尻峠に9時20分に到着。岩波駅から1時間55分掛かっている。前回下った時は1時間30分だったから25分余計に掛かったが、
ズート上りの車道歩きだったのだからまずまずの速さだろう。
因みに山と高原のタイムは下りが2時間5分で、上りが2時間20分になっている。

 ここに小山駅から明神峠に行くような登山バスがあれば随分楽になる。休日だけの運行で岩波駅を9時に出発すれば9時半には湖尻峠に到着するだろう。
更に帰りは湖尻峠を3時くらいに出て「時の栖」経由岩波駅まで行く。時の栖には日帰り温泉や地ビールなどもあるので、ここで下車するときはバス代は無料にする。
更に時の栖から駅に帰るときは、無料バスが出ている三島や御殿場に帰ればよい。
どうでしょう「時の栖」さん。きっと登山者も増えて來訪者も増えること間違い無しですよ。

 湖尻峠の案内板は「湖尻峠は標高850mで正しくは「こじり」でなく「うみじり」読む」とある。
さらに「昔は駿河への峠道なので「駿河津峠」と呼ばれていた。江戸時代は箱根の関所を守るため、この峠は通行を禁じられていた」とも案内してあった。
さてこれで湖尻峠の富士山側は駿河の国ということが分った。それに箱根は小田原藩の支配地で相模の国になので駿河と相模の二国が出て来た。
次に登る三国山は、この二国以外にどの国を指すのだろうか?普通なら伊豆の国だろうが果たしてどうか? 三国山の案内板が楽しみだ。

 尾根道に入ると落ち葉が登山道を埋め尽くし、まるで絨毯の上を歩くような気分になる。時折細い竹を束ねた束を道や斜面に敷いてある。
昔、箱根では街道の石畳ができる前は竹を敷いて道の流出を防いだとあったが、このような状態だったのだろうか。
材料になる小さな竹はそこらに生えているが、これを毎年繰り返すのでは大変な事だったろう。石畳に変化したのもうなづける事だ。



 尾根の左には少し残っている黄葉をバックに芦ノ湖が見えてきた。しかし木や枝がが邪魔をして清々見ることができない。
次に左側には富士山も見えるようになった。今まで宝永山は左の端に見えていたが、徐々にまん中になってきている。それだけ西に来たのだ。



 初めて歩くので心配していた湖尻峠から箱根峠へ向かう道は、良く整備されていて何の不安も無かった。
50m間隔で立っている位置確認の標識は、湖尻峠からは箱根町でなく神奈川県になっていた。
どうやらこの尾根筋は静岡県側は余り力を入れてないようで、静岡も裾野も御殿場の標識も見当たらない。
確かに交通の便は神奈川県からの方が便利だから仕方ない面もあるのだが。

 三国山の山頂に近くなると道脇にはブナの大木が目に付くようになった。すでに全ての葉は落葉してしまって見る影もない。
紅葉や花は時季の選定が難しく、早すぎても遅すぎても駄目で、一度に何ヶ所を見ることもできない。
昨年は富士山麓道一周で、山中湖の見事な紅葉を見ることができたが、今年は全て遅すぎたようだ。
でも、こうして落葉した木の下を一人歩くのも、それなりに風情があって私は好きだ。


 
 10時15分三国山に到着。
山頂は視界のきかない樹林の中で孤独感を一層感じる事ができる。そういえば今日はここまで誰にも会っていない。
前回は足柄峠から何人もの登山者に出会ったが、同じ箱根外輪山でも、こちら側は人気がないのだろう。
景色が良くないのか?交通の便が悪いのか?きっと両方が影響しているのだろう。
私自身今日の行程で一番景色を期待していたのが、ここ三国山だが、これでは諦めるしかない。

 山頂では三国山のいわれを説明した案内板も期待していたが、これも無い。仕方ない自分で考えるとするか。
普通なら三つの国が境界を接していた地だから三国山となるが、ここは地形的に言っても相模と駿河しかないはずだ。
現在の地図の境界を見ても相模の箱根側は箱根町。駿河の富士山側は裾野市になっている。
あと伊豆の国があるがそれは箱根峠から先で、ここからは随分離れた場所になる。
その箱根峠の先に十国峠があるが、この峠の十国とは境界線ではなく峠から見える国を指している。
その伝で行くと三国山から見える国は相模、駿河、伊豆、甲斐の4国になると思うのだが--------
何故三国山なのかご存知の方がおりましたら教えてください。