はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

暖国の氷瀑見物2

2016-01-29 15:42:08 | 低山歩き
歩行記録                                                           H28-1-25(月)
歩行時間:6時間20分   休憩時間:1時間10分   延時間:7時間30分
出発時刻:7時10分     到着時刻:14時40分
歩  数: 31、974歩(推定距離22.7km)    GPS距離24.1km
行程表
 福用駅 1:05> 五輪段 0:10> 新展望地 0:20> 馬王平 0:35> 大垂(おおたるの)滝 0:35> 風倒(カザンタオ)峠 
 0:50> 前山集落入口 0:50> 前山橋 0:40> 八垂(やだれ)の滝 0:45> 家山駅

         

 午後のコースは風越峠から前山集落を通り家山に下ったら、家山川を溯って 「八垂の滝」 に行く。
何を隠そう今日の山行の第2目標がこの八垂の滝でした。この滝はブログ仲間のあやさんが、昨年春この滝の近くにある桜を
見に来た時に寄った所ですが、あの舗装道路歩きが嫌いそうな人がワザワザ寄ったのですから何か見るべき物が・・・・・・・・
それは冗談ですが、当地が記録的冷え込みになるのだから、あわよくばこの滝も氷瀑と化していないかの期待を胸に・・・・・・

 風越峠から北はまだ歩いたことがないので、峠から家山でまでは約2時間、家山から滝の往復も2時間とみて計4時間。
これなら3時台の電車に間に合うので家に4時過ぎには帰れそうだと計算した。

       
      風倒峠(正面看板の方向が家山で、左の看板側が掛川へ)                    峠の道標
                 風倒峠の場所
 風倒峠に10時15分着。南側が八高山の尾根に遮られていて太陽が射さない寒い林道を歩いてきたので陽射しが恋しい。
幸い尾根が終わった峠に日が射す場所があったので、日向ぼっこをしながら早めの昼飯とした。

 縦走路への入口はこの峠の尾根の付け根にもあるが、ここから入ると景色も無く辛いだけのカザンタオ山のピークを越さないと
ならない。それが林道途中にあった入口からなら、ピークを巻いて道が付けられているので随分楽になる。
そうそう私はこの峠のことを 「風倒峠」 と紹介しているが、これは掛川駅で購入した「八高山・大尾山」 の地図に記載されていた
名称だが、現地に来るとその名前は何処にもなかった。峠にあった大きな案内板も現在地を “カザンタオ” としてある。
だいたいカザンタオって何だ。アイヌ語なのか、それとも宗教用語なのか。或いはその言葉が訛って “カザン≒かぜ≒風” となり
 “たお≒たおれる≒倒れる” で風倒峠となった。と思うのは穿ちすぎだろうか。

 峠にあった道標には、家山に7.8km、馬王平へ4.7kmとなっている。馬王平からここまでGPSでは4.9kmでほぼ合っている。
なら家山までは下りの林道で8km程なのだから十分2時間で行けそうだ。
そしてその道標にはもう一つ “富士山” の名前が書かれていたが、もちろん距離は記入されていなく富士山も見えなかった。
考えてみれば富士山が見えるなら富士山と書かなくても誰でも分かるのだから、見えないからこそ書いたのだろう。


                              林道横からの富士山と南アルプス

 下り勾配だから楽に歩け不満もないが、景色は勿論他にも見るべきもない林道でした。
ところがカーブした林道の先が開けていて、富士山と南アルプスが同時に見える場所があった。
このように場所を変えずに富士山と南アルプスが同時に見える場所が、八高山の他の場所にあるだろうか? たぶん無いと思う。
ならこの場所が八高山随一の展望地になるのではないか。


                                林道横からの南アルプス

 単調だった林道歩きもこの景色で報われました。

        
              林道の雪                              林道が舗装路になった

 馬王平から風倒峠の林道の雪には靴の足跡が付いてたが、ここの雪には車のタイヤの跡はあるが人の足跡は無かった。
もしかすると大垂滝の氷瀑を見に、車で風倒峠まで行き、峠から滝まで歩く人がいるのかもしれないな。
この林道は舗装はされていないので凸凹して水溜りが凍っているが、その範囲は狭くタイヤが滑ることはなさそうだ。
雪だって残っているが薄いので普通タイヤでもスリップすることもなさそうだが、幅員が狭いのですれ違いを考えると軽の方が
楽だろう。

 峠から45分も歩くと電信柱が現れ最初の茶畑になった。その先の林道は舗装されているので前山集落は近そうだ。

 
       前山集落越しに大井川と家山の街並み                        前山入口

 舗装路に入るとすぐ前山集落の屋根が見え、その下には大井川の流れと家山の街並みも見ていた。

 家山には林道をそのまま下れば良いのだが、ここでスケベ根性を起こしたのがまずかった。
昨夜地理院の地図を見ていると、前山集落から林道を通らず麓の家山川に下る道を見つけた。道の表示が点線なので車道では
なく山道だろうが、道は前山と家山を結ぶ最短距離で、かっての前山の人が利用した道だろうと思われる。
現在の前山からの車道は林道しかないが、林道は車のためにヘアピンカーブやウネウネ曲がって距離が長くなっている。
なら近道を歩くに越したことはないと前山集落に向かった。
前山集落は10軒もなそうな小さい集落で、公会堂のような建物も見当たらない。おかげで道を聞く人もいなく狭い舗装路を行く。

 いつもならネットの地図を印刷してくるのだが、先日Windows10にバージョンをしてから、PCがプリンターを認識しなくなり印刷が
出来なくなってしまっている。そのため今日はPCのモニターの地図をデジカメで写してきているのだが、案外鮮明で見やすかった。
難点は写っている範囲が狭い事だが当座には役立ちそうだ。
しかし結果は下る道は分からず引き返す羽目に。冒頭の地図の青い実線は引き返した道で、点線は歩く予定だった道です。

 集落まで戻ると丁度正午で、同報無線のスピーカから “エーデルワイス” の曲が流れ出した。
山間の茶畑に囲まれた小さな集落で聞くエーデルワイスは、年寄りに鼻歌をさせる力を持っていました。

 行きには人っ子一人いなかった道端に日向ぼっこをしているお年寄りがいたので、さっそく
 「家山川の方に下りたいのですがどの道を行けばいいのでしょうか」
 「あんたは何処から来たんだね」
 「八高山から下ってきたけど、この先の茶畑で道が終わってしまって引き返してきました」
 「ここから下に下る道は林道しかないよ」
 「地図に前山から下に行く歩く道が載っているのですが」
 「アー昔はほらあの先から下る道があったけど大分前に崩れてしまい、歩くもんもいないのでそのままにしちゃったから
今じゃぁとても歩けないよ」
だって。そこに新しい人が加わって
 「あんた下から登ってきたのかね」
 「いやぁ 八高さんから下りてきただってさ」
 「そうずらなぁ あの道が歩けると思えにゃもんな」
 とこんな調子で会話は進み、結局林道を下ることにしました。

 集落入口に戻ったのは12時10分で30分ほど無駄足をしてしまったが、電車まではまだ3時間もあるので大丈夫だろう。

  
          前山の大杉                        ?                        ?

 前山集落の中に 「川根町の巨木の会認定木」 の看板の立つ大きな杉があったが、根元で幹別れしていて脇枝も少なく余り巨木とは
見えなかった。どちらかと言えば “大きな木” だった。

 枝先に赤い小さな実が房のように付いた木があったが名前は不明。
次の真っ黒、いや濃い緑か青色をしたシダの葉があったが、これも名前は分からなかった。

                

 ヘアピンカーブして距離だけは伸びる林道は余り面白くない。飽きてきたころ下に川根の町が見えてきて、その上には南アルプスで
あろう山も見ている。大井川の上流は南アルプスと知っていても井川まで行かないとアルプスの実感は湧かなかったが、こんな景色を
見ると、なるほどここは南アルプス前衛の地だと思えてくる。

 川根の町の少し上流に真っ赤になっている杉林が見えていた。あれが花粉症の元凶なのだが、幸いまだ花粉は出ていないようだ。
あれがあと一月もすると風のある日には、白っぽいガスのように花粉が流れてくる。
花粉症はまだ発症していない私だが、そんな中を歩くと鼻がむずむずしてまう。

 
                野守の池                                  家山川
             野守の池の場所                               前山橋の場所
 林道も大分下がってくると 「野守の池」 が見えてきた。野守の池は池の真ん中が細くなった瓢箪形だったのだと初めて知った。
 以前歩いた金谷の「童子沢」 に野守の池に関した案内板があった。
 「京の高僧、夢窓国師の説法を聞き、慕うようになった遊女 “野守” は、修行の旅に出た国師を追って金谷の里までやってきた。
国師が草庵を結ぶ家山の池の畔までもう少しというこの地で、野守は遊女の頃に身ごもった赤子を産んで、里人の援助を受け育てた。
 その後も野守は国師を思い切れずに子供を里人に託して家山に向かった。しかし険しい山道で野守が倒れると、その姿は突然鯉に
変わり、沢を遡り、沢が切れると空を飛び、山を越えて家山の里にある池へ入った。鯉の入った池を 「野守の池」 と呼ぶ。
金谷の里で野守の子供は育てられ、母親の思い出も残るこの沢で遊ぶようになり、病気もせずにたくましく育っていった。
不思議な事にこの沢で遊ぶ子供たちは皆健やかに育ったといい、いつの頃からかこの沢を 「童子(わっぱ)沢」 と呼ぶようになった。」

    童子沢の場所        
 野守の池と言うとこの童子沢を思い出してしまうが、今年の春に行った大札山の麓の 「尾呂久保」 にもこんな伝説が残っていた。
 「 昔、この池には大蛇が住み、村人達と仲良く暮らしていました。 ある日、村の女の子が栗拾いに来て、大蛇の目を栗と間違えて、
引張ってしまうと大蛇は怒って、その女の子を飲み込んでしまいました。村人達は大蛇が恐ろしくなり池から追い出しまいした。
大蛇は逃げる途中に近くの山から、住み慣れた池を振り返り、涙を流した所が 「蛇の涙」 とよばれています。
大蛇は家山の 「野守の 池」 へと逃げて行きましたが、野守の池へ行く途中にある 「上長尾・下長尾・中尾」 という地名は、大蛇が
逃げた道で、ここ尾呂久保(おろくぼ)も昔は 「尾呂地(おろち)の窪」 と呼ばれていたそうです。」


 大井川がやっと見えてきた。写真下に見える川はこれから遡る家山川で、大井川はその先にあります。
林道のある場所が予定より大分下流に向かっているので、林道の出口によっては桜トンネルのある国道に出てしまいかねない。
嫌だなーと思いながら下っていくと、下の道に合流した場所は国道より100mほど上流でした。ただ問題は対岸に渡る橋が無ければ
国道まで行かなければならない。 で、上流をのぞき込むと有りました。矢張り100mはど上流に橋が見えた。
アー良かった。その橋が前山橋でした。

      
                   八垂の滝1                             八垂の滝2

 あやさんの紹介では家山から滝まで、行きも帰りも50分とあるので、足の遅い私でも1時間くらいで行けるだろうと予測した。
今時間は13時。これに2時間を加えると3時になり、電車が3時15分なので丁度良い時間だ。

 県道63号藤枝森線は車は殆ど走っていないのでのんびり歩く事ができた。
この道は以前森町から団体歩行で2回歩いたことがあるが、その記憶は殆どなく情けないくらいだ。何しろ所属していた会の
モットーが 「より早く、より遠く」 で “ウォーキングはスポーツだ” の認識だから、速足で長距離を歩く事に主眼を置いている。
そのため途中にある名所や花など見返ることもなく通過していた。
そんな団体に4年ほど属していたが、徐々に 「観歩」 に惹かれるようになり、会を止め一人で歩くようになった。
しかしその会に属していたおかげで、今日のような単調な林道歩きも苦ではなくなり、また町中も山の恰好で平気で歩けるように
なった。感謝の気持ちで一杯です。

 県道を歩いていると右側に小さな滝があったが、これがあやさんの言う 「もしかしてこれ?」 みたいな滝なのだろう。
紹介には八垂の滝は歩いていても見落とす分かりにくい場所だが、目印は左手に家山川にかかる橋の向こうに東海自然歩道の
休憩所があるとなっていた。
 その橋と休憩所が見えてきたが滝は何処だ。県道に建っている道標には今まであった “八垂の滝” の案内が無くなっている。
アレー見落としたのかなと橋を渡り休憩所近くの道標を見ると 「八垂の滝(現在地)」 となっている。
目でアチコチを探すが無い。フト県道側見るとガードレールに案内板があり、何やら滝のようなものが見えていた。
オヤこの景色には覚えがあるゾ。そうだ以前団体で橋を渡って家山側に右折するとき、この看板に気が付いたが未練を残して
歩き去ったことがある。そーだあの滝だ。

 オッと肝心な氷瀑ですが、氷瀑どころか氷も嫌、薄氷も張っていなかった。
多分駄目だろうと思っていたのでショックはないが、背中に背負った温度計は、何と!何と!28℃を指していた。
太陽を背にして歩いてきたので少しは高いと思ったが、夏日の気温より高いとは驚きだ。これでは氷が張る筈はない。しかも滝は
日を浴びる南の斜面にあるのだからどうしょうもない。その点大垂の滝は北の斜面にあるので日が射さず寒さも厳しいのだろう。

 
              八尋の滝の場所                               川根駅

 滝からの帰りは県道だけで家山駅に戻った。理由は言わずと知れたメイン通りでないと氷結が買えないからです。
思惑通りに小さな酒屋の前に自動販売機があり氷結を買うことができた。このあと駅まで酒屋もコンビニもなかったのだから
春から勘が冴えていると自画自賛をしながら駅前の日の当たるベンチに腰を下ろし一人乾杯をしました。

暖国の氷瀑見物

2016-01-27 17:07:57 | 低山歩き
歩行記録                                                              H28-1-25(月)
歩行時間:6時間20分   休憩時間:1時間10分   延時間:7時間30分
出発時刻:7時10分     到着時刻:14時40分
歩  数: 31、974歩(推定距離22.7km)    GPS距離24.1km
行程表
 福用駅 1:05> 五輪段 0:10> 新展望地 0:20> 馬王平 0:35> 大垂(おおたるの)滝 0:35> 風倒(カザンタオ)峠 
 0:50> 前山集落入口 0:50> 前山橋 0:40> 八垂(やだれ)の滝 0:45> 家山駅

 待ちに待った寒波襲来です。
1週間ほど前から25日月曜日の最低気温が静岡市で-5℃ななるとTVで放送されたので、今年も “暖国でも氷瀑” を求めて
八高山山中の 「大垂滝」 に行くことにしました。
ところが最低気温の予報は日々変化し-5℃、-4℃、-5℃、-3℃となってしまい、さらに前日の午前中の予報は-1℃に
上がってしまった。それでも静岡の気温が零下になるのは珍しいので止める気は起きなかった。
そしてその日の夕方の予報は再度-3℃になってくれた。
更に大垂滝の標高は500m程で静岡市より400mは高い。なら気温も-7℃くらいにはなるかもしれないと、自分に都合のよい
計算をして決行する気は高まった。



コースは大井川鉄道の福用駅から、白光神社の里宮経由で魔王平、八高山に登り、山頂から真下に下る急斜面を大垂滝に下る
予定だった。
ところが当日の夕方6時から野暮用が入ってしまい、6時前には家に帰らなければならなくなってしまった。
そこで白光山には登らず馬王平から直接林道を大垂滝に向かうことにして、1時間の時間短縮わ図った。

 
            アルペン風な福用駅                             伐採地(新展望地)

 白光神社からの登山道は急斜面の滑りやすい道だったが、今年は若干整備されていて、道は電光系になり所々にはステップも
切られていた。それでも急坂には変わりなく、神社前にある案内板に 「急斜面コース」 とあるのが納得できる。
個人でここを上り下りするなら何ともないが、団体ではどうだろう。特に下りだと滑る可能性があるので注意が必要だ。
尤も滑り落ちるだけで特に怪我はしそうもないが。

 今の気温は-2℃で思ったより冷えていないが風が冷たく電車を降りて震え上がってしまった。その寒さも急坂を登れば体は
暖かくなると思ったが、息は切れても体は暖かくならなかった。
駅から1時間ほどで高熊集落からの道に合流する “五輪段” 近くになると、植林された林の中の平坦で楽な道になり、ここから
馬王平までは木立の中をのんびりした道が続きます。

 前方に去年は無かった伐採地が見え、その先には馬王平の伐採地や八高山の山頂も見えていた。地面が白っぽくなっていた
ので何だろう? と見ると凍った雪が地面にこびりついていた。いつ降った雪か分からないが雪が溶けていないという事は氷瀑へ
の期待が益々高まってきた。


                               伐採地から見た南アルプス

 新しい伐採地は素晴らしい展望地を作っていてくれた。八高山からは南アルプスの展望は余り良くないと思っていたが、木の
陰にはこんな景色が隠されていたとは思いもよらなかった。ただ、開けた向きが北側だったので富士山は見えないのが残念だ。

 

 林道が広々とした所に出ると馬王平だ。馬王平とは案内板によると、
 「修験者が里からの帰り道に、ウトウト眠ってしまった。すると夢枕に白馬に跨がった王様が現れ修験者に 「お前は何の為に
修行をしているのだ。怠らず精進せよ」
と言った。我に返った修験者は、聖なる山を仰ぐこの場所を「馬王平」と名付けました。」


 
          馬王平のベンチと富士山                              富士山アップ

 一昨日の土曜日に富士山は雪が降ったのか、今日の富士山は6合目以上は新しい雪で覆われていた。
腕の良い人ならもっと素晴らしいく富士山を写すのだろうが、私の腕とこのカメラではこれで精一杯。
でも記録に残すのが目的ではなく記憶に残したくて歩いているのだから・・・・・ と負け惜しみ。
馬王平は北東方面が開けていて北に位置する南アルプスは見えません。

 いつもならここから伐採地横の急斜面をハーハー言いながら登るのだが、今日は時間の都合で平らに続く林道を歩く。
景色は見えないが少し下り勾配の道は快調に歩けます。

 
               ミツマタの蕾                                   歪曲した地層

 ミツマタの蕾が少し開き始めていた。ここの気温は-4℃だが春は少しづつ近づいているようだ。でも寒い。
今日の服装は普段ならトレーナーの上にジャンパーを着るだけだが、今日はジャンパーの下にダウンのベストまで着込んでいる。
登り坂が続くと暑くなってくるが、このような平坦の道ではそれでも体は温まらない。それどころか日陰で西風がもろに当たる所では
風の冷たさが身に凍みる。

 今回も八高山直下を下る道の入口を探しながら歩いたが見つからなかった。確か滝まで5分くらいの所に出たはずだが目印が
見当たらなかった。どうやらもう一度頂上から下らないと入口は分からないようだ。
当初このコースは馬王平から大垂滝の氷瀑を見たら少し戻り、八高山に直登する急斜面を登る予定だった。山頂からは白光神社に
出て掛川側に下り、林道に出たら金谷へ抜けようと思っていた。
それが前回のあやさんのコメントを見て、今年の春にあやさんが紹介していたウォーキングコースの事を思い出した。それなら序に
そこを歩いてみようと大垂滝からのコースを大幅に変更した。
果たしてそれが吉と出るかどうか、あやさん、責任を取ってくださいよ。行き先? それは次回まで秘密です。

                    
                    今年の大垂滝1                         今年の大垂滝2

 林道の水溜りに張った氷は去年より厚く、期待はいやが上にも高まってくる。ただ気になるのはその水溜りが少なかった事だが。
大垂滝に到着。アレ~ 何だか氷が少ない。昨年はもっと横に白い氷が広がっていたと思ったが、今年は縦一直線に有るだけだ。
しかも去年は盛んに聞こえていた水の流れる音も聞こえてこない。
どうやら氷はカチカチに凍っているが、水分が少なく氷が去年より少ないようだ。

      
                 大垂滝3                                大垂滝4

 去年はここの氷瀑を初めて見たので興奮をしていて大きく見えたのかもしれないと思い、家に戻ってから去年の写真と見比べて
みたが、明らかに滝の横幅は狭く、白い部分が少なかった。気温ばかり気にしていたが水分の事も気に掛けないと見事な氷瀑は
見る事ができないのだ。自然相手はなかなか上手くいかない。

      
          林道に残った雪                           尾根縦走路の出口

 大垂滝の標高は約490mで馬王平の540mより低かったので林道は下り勾配だった。次の風越峠は620mあるので若干登り
勾配になるが、距離が長い80m差はどうと云うことはなかった。
この林道は馬王平から風越峠まで下がることなく林道を作りたかったのだろうが、この滝が邪魔になり一旦滝までか下り、滝から
先が上りの林道になったのだろう。おかげで氷瀑見物が可能になり有難いことです。

 その林道に薄く雪が残っていて靴の足跡が一人分か2人分残っていた。私以外にも物好きがいるようで一安心した。
 八高山からの尾根の縦走路の出口が見えれば風越峠はあと30mも行けば到着だ。

賎機山ウォーク

2016-01-18 11:58:16 | 低山歩き
歩行記録                                                              H28-1-17(日)
歩行時間:5時間35分   休憩時間:1時間45分   延時間:7時間20分
出発時刻:8時30分     到着時刻:15時50分
歩  数: 30、135歩(推定距離21.4km)    GPS距離18.8km
行程表
 静岡駅 0:30> 浅間神社 0:20> 賎機山 0:50> 三角点 1:00> 福成神社 0:30> 桜峠 0:15> 鯨が池 1:30> 西ヶ谷運動所
 0:10> 安部城趾登山口 0:30> 運動場バス停

 
                 浅間神社                                   賎機山

 今年最初の知人ウォーク 「浅間神社初詣と賎機山」 に行ってきました。
大井川の田舎者が久し振りの “お町” に出かけるので、静岡駅の竹千代像や教導石を回り浅間通りを通って浅間さんに向かった。
入口も赤鳥居ではなく浅間神社正門の石鳥居にした等の私の真意を分かってくれたか、九州出身の仲間が 「浅間さんで結婚式を
挙げたがそれ以来だ」
と感激してくれたり、タイに何度も旅行をしている仲間は「山田長政が静岡出身なんて初めて知った」 とか
「浅間通りを初めて歩いた」 など珍しく前向きの感想を言ってくれた。
そんなとき一人が良い質問をしてくれた。
「神社の案内板に “あさま神社” って仮名が振ってあるけど何だろう」 と言った。これは以前私も疑問に感じて調べたことがあった
ので早速物知り顔で 「ここの境内全体は “せんげん神社” で、この一つの社は “あさま” 神社と言うらしいよ」 と得意満面。
(誤解されるといけないので神社のHPに記載されている文を案内します)
 「当社では御本社「浅間神社」は「あさまじんじゃ」と申し上げ、神社全体を指す場合は静岡浅間神社 「しずおかせんげんじんじゃ」
 「おせんげんさま」と申し上げます。本来は「あさま」と申し上げましたが、その読みに浅と間の文字を当てたのが「浅間」で、後世
音読して「せんげん」と呼ばれるようになったものです。」


 賎機山の入口は100段にしたいが、途中で眩暈を起こしそうな年寄りばかりなので、ここは敬遠して大歳御祖(おおとしみおや)
神社から入る事にした。途中にある古墳は全員興味を示さずパス。この古墳の石を大崩海岸から運んできたと言っても駄目だった。

 正月から富士山は殆ど毎日で見えていたが今日は顔を出していなかったので、皆の心掛けが悪いからだと言ってやっても
 「毎日見ているか見えなくたっていい」 と返されてしまった。それでもB29墜落慰霊碑には興味があるようだった。

 
                 福成神社                                   桜 峠

 見晴らしの良いタンクの上で昼飯を取っていると単独行の中高年の女性2人が挨拶をして通り過ぎて行った。
昼飯を終え歩いているとその若い方の女性が引き返してきた。理由を聞くと 「福成さんまで往復している」 とのことだった。
年齢は50台程度で私たちより一回り若いので 「若いからいいよね」 と余裕の受け答えを仲間はしていた。
きっと自分は “歳だから仕方ない” と思っているのだろう。
 福成神社にもう一人の女性が休んでいて、仲間の一人が 「私らは静岡駅から歩いてきたけどどちらから来たの」 聞くと
「ワ~健脚! 私はお浅間さんからですよ」 。これに気を良くして更に 「何処まで行くの?」 と聞くと
 「ここで戻ろうと思ったけど鯨が池まで行ってから引き返そうか考えている」 とのことだった。
女性は私たちより年が多そうに見えたので、聞いた仲間も返す言葉もなく、ただ 「元気いですね」 と言うだけだった。

 月1回のこのウォークを初めて既に2年以上経っているので、仲間も山道に少し慣れてきたのだろう。ならここで楽はさせないと
私の意地悪が始まった。
今日のコースの工程には福成神社から桜峠経由で鯨が池としてあったので、峠への近道になる神社の右の道は止め、左に下る
ハイキングコースを行く。すぐ分岐になり直進側に 「鯨が池」 の標識があったので先頭の仲間がその道に行こうとしたので
 「違う、違う、右に行ってください」 と指示をする。次の分岐も 「道標通り直進して桜峠に行って」 と言うと不信を感じたのか
 「そっちは遠回りじゃないの」 と言ってきた。 「だって今日の計画は桜峠経由になっているので勝手に工程変更はできないよ」
スキーツアーのバス事故にかけて言い返した。

 鯨が池の湖畔を回っているときハイキングコースの案内板を見つけ 「エーここには桜峠への道が書いてないじゃぁ。全然遠回り
だったんだ。」
と不満の声が上がったが 「事前に申し出の無い工程変更は事故の元です」 と笑いながら言った。

 
                 葵大橋                                    葵大橋

 仲間は予定通りの1時55分のバスで帰ったが、さて私はどうしよう。同じ道を引き返すかとも思ったが、それも詰まらない。
ならと思いついたのが安部城趾。ここからなら安倍川の新東名下の歩道のある橋を渡り静岡市西ヶ谷運動場に出れば阿部城址
への登山口がある。そこから登って洞慶院の梅園の状況を見るのも面白かろうと歩き出した。

 きっと寒いだろうと思った葵大橋だったが今日は風がなく寒さは感じなかった。なら運動場までも堤防上の道をと歩いたが、
ここも丁度よかった。
ただ順調なのはここまでで、西ヶ谷運動場入口の信号を渡り運動場に入るとさっぱり分からなくなった。

 
             西ヶ谷運動場の案内図                           安部城趾登山口

 西ヶ谷運動場には駿河33観音と安部七観音の遍路で2回、慈悲尾の増善寺から来ているが辺りの建物に全然記憶が無かった。
案内板はあるのだが運動場の施設案内だけで周辺は案内されていない。確か慈悲尾からの道は峠に送電線の鉄塔が建っていたと
送電線を見るが近くの山に隠れて峠はないない。結局20分ほど右往左往して見た事のあるハイキングコースの案内板を見つけた
のは3時過ぎていた。
 補修がされず見にくくなっている案内板で登山口の見当をつけ歩き出すと、慈悲尾への分岐にすぐ出た。これで道はOK後は
歩くのみ。農道が林の中に入る手前に軽トラが止まっていて乗っていた人が 「これから行くの?」 と聞いてきた。
 「えー」 と答えると 「今日は夕方から雨になるらしいから気を付けてね」 と言ってくれた。
あっそうだ! 忘れていた。今日は6時からの降水確率は80%で強い雨になると予報されていた。昼間の天気ですっかりその事を
忘れていたがさて困った。今時間は3時40分。これから阿部城址に登って洞慶院には1時間?いや1時間半としても5時過ぎだ。
そこからバス停まで、いやいやそれよりなにより藤枝から家まで自転車で帰らなければならない。
止めた、止めた。急いで帰ろう。軽トラの人に 「雨の事を忘れていたので、もう今日は止めます。ありがとうございました」 と礼を
言って引き返した。

 バス停はさっき通った運動場の中央ゲートの横にあるの見ていたので、一先ずそこに向かった。
ピンポン! そこは西ヶ谷運動場バス停で、ここが終点なのかバスの方向転換地になっていて、しかもバスも止まっていた。
待つこと5分でバスは出発。おかげで家に帰る自転車でも雨にはあいませんでした。

ビク石周回路下調べ2

2016-01-16 15:25:32 | 低山歩き
歩行記録                                                              H28-1-13(水)
歩行時間:9時間05分   休憩時間:1時間20分   延時間:10時間25分
出発時刻:8時05分     到着時刻:18時30分
歩  数: 39、808歩(推定距離28.3km)    GPS距離28.2km
行程表
 西北小バス停 0:45> 一宇戸坂峠 1:15> 廃小屋 0:55> 一宇戸坂峠 0:20> 工事中ヶ所 0:25> 県道出合 0:25>
 玉露の里 0:25> 笹川駐車場 0:35> 地蔵の峠 0:30> 農道出合 0:35> 下大沢 0:45> 藤枝観音 0:55> 藤の里トンネル
 0:45> 勝草橋 0:30> 藤枝駅

                             笹川駐車場~西方集落
 
                笹川駐車場                                駐車場上の分岐

 笹川駐車場上の分岐を左に登る道を行く。右の道はビク石山頂に向かうハイキングコースです。
ここからビク石経由で地蔵峠だと2時間。それが直接地蔵峠に向かう道だと30分で地蔵峠に着く事ができる。
このコースを前回知ったおかげで、今まで笹川駐車場に車を置くとビク石をピストンするしかなかったのが、ビク石から地蔵峠を
回る周回コースが可能になった。
ビク石へのコースは、藤枝の瀬戸川沿いにある市民の森駐車場から山頂に向かい、ふれあい広場に下る周回ルートが一般的で、
次いで上大沢に車を置いて剣が峰コースから登り、沢コースを上大沢をに下る周回コースもある。
ただ残念なことにこれらのコースはビク石のメインである 「笹川八十八石」 の巨岩コースを通っていないことだ。
それが地蔵峠から笹川駐車場への道を知ったおかげで、メインの笹川八十八石を登り専門で歩けるようになった。

 ビク石登山を考えているなら是非このコースを歩いて、地蔵峠からの踏み跡を濃くしてください。今の状態でも迷うことはないが
山歩きに慣れていない人でも気軽に歩けるようにするためには、もう少し道がハッキリしたい部分があるので。

 この周回ルートで満足をすればよいのに私には距離が短すぎる。せっかく弁当を作ってもらい出かけてきたのだから、もう少し
長距離を歩きたい。そのため白藤の里を基地にした周回ルートを探している物好きです。

      
                   水玉神社の分岐                                 水玉神社

 右に行くと駿河百地蔵十九番札所の 「勝覺堂」 です。左が地蔵峠の道ですが左に 「水玉神社50m」 の看板が見えていたので
寄ってみることにした。水玉神社の謂れが駐車場の案内板にあったので紹介します。
 「昔、笹川には十五の玉を氏神様として、大事にお祀りしていました。あるとき地震か大雨による、大きな山崩れが起こり、
氏神様の十五の玉も埋まってしまいました。氏子たちは何日もかけて探しましたが見つけたのは一体だけでした。
他の十四体はどうしても探す事ができませんでしたので、村人は見つけた一体を水玉神社として、また見つからなかった玉神様は、
十四地蔵尊として祭られたのです。」


 見つかった玉神様が見られるのかと思い50mを登ったのですが、残念! 扉の閉まった木製の小さな社だけで、玉神様を見る
ことはできなかった。

 
                分 岐                                     分 岐

 左の小さな橋を渡ると放置された廃車があり、その右上にある赤い目印の所を登れば山道になる。
ただここで注意することは、法面を登り栗の木の上を通って山林に入ると、太い道は真っすぐついているが、地蔵峠には山林に
入ってすぐの所の左の小道に入らなければならない。入口にはテープや氷結の空缶を枝先に差した物があるので分かります。
あとは山林の中の踏み跡や目印を探しながら登り、道が緩やかになり倒木が道を塞いでいる辺りまで来れば峠はすぐです。

 
                地蔵峠                                  地蔵峠の標識

 地蔵峠の四辻、いや五辻になっている峠に着いて左はこれから行く下大沢への道、正面道標のある下りの道は上大沢への道。
右でやはり道標のある上りの道はビク石への道です。最後の右に向かう平らな道は100mも行くと道が分からなくなります。
従って今日は左の下大沢の道へと向かいます。

 この峠には一宇戸坂峠にあった道標と同じ道標が付いています。そこにははっきり 「天王山」 と出ています。

 
               農道手前の標識                              農道開始地点

 地蔵峠から登り詰めるとなだらかなピークに到着する。昨年はここの左側の山林の中で踏み跡を見失っているので一先ず山林の
中に入ってみた。しかし踏み跡らしき物も目印も見つからなかった。だが雰囲気は昨年私が迷い込んだ場所に間違いなように思う。
しかし今回は強引に山林を突破することが目的ではなく、踏み跡を辿ることが目的なので深追いせず尾根道に戻った。

 農道開始地点の手前にある道標も、一宇戸坂峠から山林に入った所や、竹林の中にあった 「へ」 の字と同じ道標だ。
なのでこの辺りに一宇戸坂峠からの稜線の道は必ず合流しているはずなのに見つける事ができない。この道標の指示通り行くと、
その先は見晴らしのいい農道の開始地点になってしまう。
未練がましく再度山林の中をうろつくが踏み跡も目印もなかった。


                                  農道からの眺め

 悔しいが諦めるしかないのか。一宇戸坂峠からも駄目。地蔵峠からでも駄目ではどうしょうもない。しかも今日は前回より手前で
道を見失ってしまった。次回同じコースで探しに来てもきっと同じ結果になってしまいそうだ。
急にガックリきて力なく急な農道を下り始めた。

 
               山道入口地点                                  見つけた標識

 農道開始地点の時間は2時40分で思ったより遅くなってしまった。この調子だと藤枝駅に着くのは6時頃になってしまいそうだ。
少し急がないととピッチを上げた時。 オヤ? 赤いテープが2本垂下がっているのが目に入った。
前回はこの目印には気が付かなかったが、若しやと思いその先を見ると滑った跡があり、更に先の山林の入口の藪が折れて人が
通れるようになっている。まさかここが一宇戸坂峠への入口か。
急に元気を取り戻し山林の中に入ると踏み跡は続いている。サー後は目印があるかどうかだと踏み跡を進んだ。
ヤッタァ!!! 何と何と一宇戸坂峠や地蔵峠にあったのと同じ道標が付いていた。
もうこれで間違いない。ただ時間が2時45分。サーどうしよう。このまま進むべきか、それとも今日は退くべきか。
順調にいけば一宇戸坂峠までは1時間半あれば十分だと思うが、もし午前中のような事が起きればどの位かかるか分からない。
今日は明かりも持っていないし、と悩んだ末に今日は引き返すことにした。
農道開始地点から急な農道を下って約2・3分。私もピンクの目印を付けておいた。

 結局今回も天王山・ビク石の周回ルートを繋げることはできなかったが、次回5回目は上大沢から地蔵峠経由で挑戦してみよう。
きっと何とかなるだろう。いやきっとなる。ガックリしていた気分は盛り上がって藤枝駅に向かって足を速めた。
 

ビク石周回路下調べ

2016-01-15 16:52:43 | 低山歩き
歩行記録                                                              H28-1-13(水)
歩行時間:9時間05分   休憩時間:1時間20分   延時間:10時間25分
出発時刻:8時05分     到着時刻:18時30分
歩  数: 39、808歩(推定距離28.3km)    GPS距離28.2km
行程表
 西北小バス停 0:45> 一宇戸坂峠 1:15> 廃小屋 0:55> 一宇戸坂峠 0:20> 工事中ヶ所 0:25> 県道出合 0:25>
 玉露の里 0:25> 笹川駐車場 0:35> 地蔵の峠 0:30> 農道出合 0:35> 下大沢 0:45> 藤枝観音 0:55> 藤の里トンネル
 0:45> 勝草橋 0:30> 藤枝駅

                          一宇戸坂峠~地蔵峠敗退記
 ビク石登山のメインは 「笹川八十八石ハイキングコース」 だと思っている私は、以前から葉梨地区からの周回コースを探して
ビク石南部の道を歩いているがまだ見つからないでいる。
私の考えているコースは、白藤の里-白藤の滝-天王山-一宇戸坂峠-玉露の里-笹川八十八石-ビク石-地蔵峠-
一宇戸坂峠-白藤の里となるコースなのだが、そのうち一宇戸坂峠と地蔵峠間は最終区間の50m程の道が不明だ。
更に昨年3月に歩いた時は一宇戸坂峠と岡部羽佐間間の農道新設工事が期間を過ぎても終わっていなかった。
あれから1年も過ぎているのできっと完成していると思われるので今日確認をする。
三つ目はこれも一宇戸坂峠からだが、峠から天王山間も歩いていないので歩いてみる予定だ。ここはコースの入口は分かって
いるので何とかなるだろうと思っている。


地図の赤実線が歩いたコースで赤の点線が歩けなかった区間です。
前回何はともあれ歩けたコースが今回は途中で引き返してしまう情けなさ。春から縁起が悪そうです。

 
                  山茶花                                    蝋 梅

 今冬一番の冷え込みになる予想だったが、山間部の葉梨地区にも氷は張っていなかった。代わりにあったのは白く縁どりされた
山茶花の葉と花。そして霜で縮んだように見える蝋梅も一層可憐を増していた。

      
                   最初の農道分岐                              梅の花が咲いていた

 昨年ここには 「岡部町羽佐間に抜ける農道を造っています 平成27年2月20日まで」 の看板が立っていたが今日は無い。
きっと工事が完成して羽佐間まで農道が通じたのだろう。

 
              次の分岐は右方向に                           高台の分岐は左に

 高台の分岐には去年はさっきと同じ看板や “工事中” “速度厳守” など看板もあったが今日はそれもない。
何となく気分は弾んできます。

      

 一宇戸坂峠の標識はこの農道をもう少し上がった所にあるが、地蔵峠の入口はこの法面からでフェンスに沿って正面の杉林に
向かって行く。この小さな案内が無ければ私にはとても気が付かない入口なので感謝!です。

 
            稜線に出たら後は尾根を行く                       「へ」の字の標識

 ここを昨年初めて歩いた時は杉の伐採工事をしていたので、伐採現場までは道ははっきりしていた。その先も尾根伝いの道で、
標識こそ少ないが目印が適度にあり気楽に歩いた覚えがある。
だが今年は伐採工事が終わっていて、倒木いや倒竹があちこちにあったが特に支障は無く歩く事はできた。
山道に入って40分ほどの竹林の中に 「へ」 の字の先に矢印が付いた標識があり、その指示通り左に曲がるとまたすぐ右前方に
目印があった。去年のこの標識を見たかどうか覚えていないが目印もあり心配はない。

      
            昨年付けた標識                           ピ-クの天然木

 さらに10分ほどの稜線上にも目印があり、その先には昨年私が付けたと思われる目印も出てきた。そして丸みを持ったピ-クに
到着。確か去年はこのピークを下った鞍部に廃道となった農道があり、そこから入った山林の中で踏み跡を見失ってしまったのだ。
そこまではあと少し快調!快調!。

      
          気持ち悪い木肌の木                           廃作業小屋

 天然木のあったピークを下りだしたが目印が見つからなくなってしまった。踏み跡と言い切れる踏み跡もないのでフラフラ目印と
踏み跡を探してさ迷い歩いた。結局目印も踏み跡も分からず天然木まだ戻り再度引き返して仕切り直し。でも駄目。
今度は自分付けたと思われる目印まで戻り歩き直したが、結局先ほどと同じ所に出てしまい道は分からない。
こんな事を何回しても同じ事だと岡部側の稜線に沿って下りだしたが、去年は無かった余りの傾斜になり方向を葉梨側に変える。
タイミングよく踏み跡?獣道?なのかトラバスする凹みがあったので、そこを辿り方向は南に変えた。
歩きやすい凹みは触るとカブレそうな木の所でなくなってしまったが、辺りを見回すと左下の方向に小屋の屋根が見えていた。
もしかすると小屋から昨年見た鞍部の廃道に通じるかと小屋に向かう事にした。

 小屋の周りにはモノラックのレールや架線ケーブルの土台等があり、中にも古い草刈機やモノラックのエンジンなどが置かれて
いたが期待した廃道は無かった。
ここに来るまでに随分葉梨側の南に回り込み稜線からも下がってしまったので、この先は右高方に向かってみる事にした。

                
              迷った後の最初の目印                  アーァ戻ってしまった

 崩壊ヶ所などを除けながら急斜面を上ってようやく稜線に着くと、ありました、ありました。踏み跡ではなくはっきりした道が。
フ~面倒をかけたがこれで一安心。帰りは次回迷わないようこの区間に目印を付けようなど考え快調に歩く。
更にこれも昨年私が付けたと思われる目印も出てきたのでもうこの道が地蔵峠への道に間違いはない。

 でも変です。すぐある筈の鞍部も出てこないし、こんなに稜線を歩くはずがない。変だなぁと思い方位磁石で確認すると
歩いている方向は東南の方向だった。ウーン?地蔵峠は西北のはずだが? でも歩きは止めない。
だって 「へ」 の字の標識が出てこないのだから戻っているはずはない。方向はたまたま道が巻いているからだろう。
左側に緑の山でなく青い物がチラチラ見える。若しかして富士山? としゃがみこんで確認すると間違いなく富士山だった。
何でぇー? ここからなら富士山は右側に見えるはずで左側に見えるわけがない。さらに今度は右前方に天王山らしき平らな
山頂が見えてきた。
アーァ やはりこの方向は地蔵峠ではなく出発点の一宇戸坂峠に戻っているのだ。何故だろうどこで正反対の方向になったのだ。
いくら考えても分からない。地図が読めればこんな間違いはしないだろうが------
いやいや稜線に戻った時に磁石で向きを確認すれば、体の方向感覚とは違うので、迷いはするもののこっちに来ることはなかった。
でもあそこを反対に行くと 「へ」 の字の標識に戻るのだろうか? いくら考えても混乱するだけでした。

 もうこの時点で戻る気はなくなり、この先の下調べは次回にして今日は完成した農道の先を調べることにしよう。

 
              一宇戸坂峠標識                                大崩山塊

 出だしは好調だったが躓いてしまったのでこの先は気を取り直していこう。
地蔵峠入口のフェンスからすぐの所に 「一宇戸坂峠」 の標識がある。手前にはお地蔵さんも安置されていたので、この道は
昔から岡部の山間部と葉梨地区を結ぶ峠道だったのだろう。今は立派な農道になったがここを通り抜ける車はいるのだろうか。
天王山に抜ける道はこの標識の先に踏み跡は薄いがあることはあった。農道を確認したら歩く事にする。

 大崩山塊の花沢山、満観峰、丸子富士が見えている。それにしても丸子富士は何処から見ても三角形に見える山だが、だからと
言って “富士” とはなんとも重たい名前を付けられたものだ。私なら “三角山” とでも付けてやるのだが。

 
                進入禁止                                    富士山が

 アレー昨年と同じ場所に 「入ってはいけません」の看板がある 。その先の路面は舗装もしてないが一体どうなっているのだ。
でも工事中の看板も無いので開通前に工事を止めてしまったのか? まさかなぁー。
ともかく誰もいないのでこのまま先に行ってみよう。

 
                立入禁止のロープが                               工事現場

 次はロープが張って有り進入禁止になっていた。でもこれも無視! 先に進むのみ。

 昨年はここで工事をやっていて、この先は道がなく危険だからと通してもらえなかった。その同じ場所で広い道は終わっていた。
違いは道路下の斜面が舗装されているだけだが------

 
            工事現場(ここから)                              工事現場(ここまで)

 重機も箱番も看板も無く工事をやっている気配は無いのを幸いに先に進んだ。歩く限りでは危険な場所はなく苦労なく歩ける。
これが車道となると何か問題があるののだろう。地盤が弱いのか小さな沢を挟んだほんの30m程が繋がっていなかった。

 中断区間から少し下がった新道の下の沢で工事をしていた。注意をされるのが嫌なので道の反対側を歩いて見つからずに通過。
この工事は農道建設ではなく看板には 「農道整備工事」 で期間も2月一杯となっていた。

        
               袖切地蔵                              六馬頭

 最初の民家の手前にお地蔵さんが安置されていて 「■切地蔵尊」 となっているが最初の字が薄くなっていて読めない。
“波切“ ならお地蔵さんではなくお不動さんだがと思いながら先に進むと、タイミングよくお年寄りが庭木の手入れをしていた。
 「アーあれは袖切地蔵だよ」 と教えてくれたので謂れを聞くと 「昔の人に聞かないと分からない」 そうだ。
私と同年配か上のようにも見え、自分が “昔の人” ではないかと思ったが勿論そんなことは口にしませんよ。
農道の事を聞くと 「あそこは地盤が弱くて工事が進まないので、あと2・3年は掛かるらしいよ」
ついでに誰が利用するのか聞くと 「今じゃここから先に畑は無いから誰が使うのかなぁ、役所のやる事はわかんないなー」
そうなんです。私も全く同意見で一体誰が何の為にこの道路が必要になるのか分からない。農道周りの畑は葉梨側の畑が最終で
そこまでは道は通じていたし、そこから下の岡部側には畑は無かった。一度工事実施者に質問してみたい。

 お地蔵さんから5分も掛からず玉露の里に続く県道の羽佐間橋近くに合流した。
時間は丁度12時でバス停のベンチに腰を下ろし昼飯にする。
さて、これから先どうしよう。予定ではここから戻って天王山の道を調べる積りだったが時間が大分早い。それならさっき迷った
所を地蔵峠から探すのも面白い。ならここから玉露の里を通って地蔵峠に行こうと予定を変更した。

 岡部の石仏は舟形が平ではなく鋭角に尖っている物が多いが、ここの馬頭観音は六体ともその特徴を表している。
尤も六地蔵の表現はあるが “六馬頭” は私がて勝手に書いただけです。

  
          庚申塔                      お地蔵さん                    龍勢発射台

 今年は申年で年男ですので庚申塔の「見ざる・言わざる・聞かざる」 にお詣りをしましょう。
このお地蔵さんは暖かそうな襟巻をしている。花もお供えされていて現役のお地蔵さんのようだ。ここもお詣りをしてと。
 「朝比奈龍勢」 の発射台です。案内板には 「朝比奈城跡、朝日山城跡また駿府城跡の位置関係から、山城間の戦略の一手段
として使われた「狼煙」をその起源とする説が有力である。」
とあった。
ここから駿府城までは直接ではとても無理なので、途中に岡部の朝日山城や丸子の丸子城などを経由して連絡したのだろう。

 
             玉露の里 瓢月亭                                  干し柿

いつもは玉露の里の中は通らなかったのだが今日は吊橋の “ちゃっきり橋“を渡り朝比奈川右岸を遡った。
おかげで園内の瓢箪池の畔に建つ茶室瓢月亭を眺める事ができた。と言ってもどうと云うこともなかったが。

 農家の納屋の軒下に干柿がぶら下がっている。干し始めてから大分経つのか柿は小さく固そうに見える。
私は干柿は固いより柔らかい方が、柿は柔らかいより固い方が好きなのでもったいなく感じてしまった。

 笹川の駐車場に1時15分着。ここからビク石経由で地蔵峠だと2時間は掛かってしまい、さらに探したい道の所だともっと遅く
なってしまう。それから道を探すのでは余りにも遅すぎるので直接地蔵峠に向かうことにした。この道なら30分ほどで地蔵峠に
着くことができる。

小笠丘陵縦走と遠州三山初詣2

2016-01-10 15:42:59 | 寺社遍路
歩行記録                                                              H28-1-7(木)
歩行時間:7時間55分   休憩時間:1時間40分   延時間:9時間35分
出発時刻:6時45分     到着時刻:16時20分
歩  数: 40、949歩(推定距離29.1km)    GPS距離27.2km
行程表
 掛川駅 1:20> 六枚屏風 0:55> 138°展望台 0:20> 腹摺峠 1:20> 法多山 02:15> 油山寺 0:50> 可睡斎 0:55> 袋井駅 

                                     遠州三山初詣
            
                                     法多山尊永寺

 法多山に11時30分に到着。すでに弁当は半分食べてあるのでここまでは予定通り来ている。このあとは油山寺まで2時間、
可睡斎まで1位時間、そして最後の袋井駅まで1時間とみているので袋井駅に4時ごろ着く予定だ。悪くても4時半、最悪でも
5時着と踏んでいる。

 昨年は4日に来ているので境内は今日の数倍の人出だったが、それでも今日は平日なのに少なからずの初詣の参拝者はいた。
その中で一風変わった格好の私は目立ってしまうので何となく気恥ずかしい。参拝もそこそこに厄除け団子を求めて下ることに。

 
              季節は秋?                                 何の行列だろう?

 モミジが紅い葉をつけて残っていた。尾根ではつつじが咲いていて春近しと思わせたが、ここではまだ秋が終わらないでいる。
初日の出で行った大崩山塊の法華寺でも紅葉が残っていたが、まだ本格的な寒さが来ていないのか。そういえば例年だと腹摺峠
からの絶壁の縁歩きは右半身が冷たい西風に晒されて冷え切ってしまうが、今日はジャンパーを着ていないのにそれ程でもない。
寒さが来ないので秋が残り、暖かい日が続くので春が来た。なんとも変な年だ。

 何の行列なのか破魔矢を何本か差した竹を羽織袴の男性が持っている。この破魔矢は本堂前で1本500円で売っていた。
破魔矢と言えば一般的に羽根の部分は鳥の羽根で、矢の部分には鈴やお飾り絵馬などが付いている物が多いが、ここ法多山の
破魔矢は長めの普通の竹に紙の羽を付けただけの超シンプルな物だった。そのため値段も半額以下なのだろう。

           
                                   法多山山門

 以前は山門をこの角度から写すと 「別格本山 法多山尊永寺」 と彫られた石柱も入ったのだがそれも今は無い。

 
                 南駐車場から                               正面から

 法多山からエコパにはいつもならビオトープの道を歩くのだが、今日は高台にある南駐車場経由で向かった。
イエ雰囲気を変えるためではなく単なる距離削減のために。


 
            旧東海道の松並木                                村松津島神社

 愛野駅の中も通らず地下道を潜って北側にでて逆川と原野谷川を渡る。ここでも例年なら原野谷川の右岸からゴルフ場のある
丘陵経由で油山寺に向かっていたが、今日は平坦で短距離になる車が利用する油山寺正面の道を歩く。
車道はそこそこ車も走るので1本東側の田圃の中を歩くのだが何とも面白くない。やはりここの道は丘陵の道を通るべきだった。
あの道なら運が良ければゴルフ場の中にある 「菅ヶ谷横穴群遺跡」 を見る事ができたのに。来年はこの道は止めよう。

 ようやく村松の津島神社に着いた。ここまで来れば油山寺までは残り500mくらいだ。

  
           松の幹肌                     案内                       杉の葉

 知多四国霊場を歩いたとき82番観福寺に霊場開創した阿闍梨がお手植えした 「紅白椿」 があり、その椿からは “紅白とも桧の
芽が出てきた” と紹介されていた。だがその椿の葉も幹も蕾も全て椿にしか見えなかった。
その点油山寺の 「御霊杉(みたますぎ)」 はご覧のように幹は松、葉は杉で、しかも県の天然記念物に指定されている。
 「弘法大師が病に罹った幼児の命を助けると、感謝したその子の父親が松で、母親が杉で一膳の箸を大師に捧げた。弘法大師が
旅立つときその箸を大地に挿していくと、あら不思議、幹が松、葉が杉の珍しい霊木になった」
 のだそうです。

 
               油山寺山門                                  宝生殿

 遠州三山は過去何回となく来ているので既にブログで色々紹介してしまってあるので以下簡単に。
油山人山門は掛川城の大手二の門を移築したもので、確かに寺の紋というより城の門に見える。
この山門から伸びた参道の先にある門は “礼拝門” で、その奥正面の新しい建物は本堂ではなく “宝生殿” です。
宝生殿とは “仏殿” のことで、ここで信徒の祈祷や大護摩修法あるいは法話、座禅等の宗教儀式が行われます。

 
                書 院                                    方 丈

 宝生殿や休憩所が新築されたのに伴い境内も整備されたのか、今年は書院や方丈もスッキリした感じで見えていた。
この建物は県の文化財に指定されていて、書院は元は遠州横須賀城内にあり、元禄時代に造立されたもので、方丈は宝歴年間に
建築した建物だそうです。

                   
                  瑠璃の滝                          瀧行壱萬日満願成就

 瑠璃の滝とは昔この滝の水で洗眼したら天皇の眼病が治ったとか。マーそれはそれでいいが少々気になる石碑が目に入った。
 「瀧行壱萬日満願成就」 とあるが、このチャチな滝で滝行とは何とも大袈裟なと思った。ただ滝行自体はどうと云うことはないが
 “壱萬日” は凄い。仮に毎日滝行をしたとしても27年5ヶ月も掛かることになる。継続とは力なりとは云うが何か勿体ない気が
する。これを他のことに向けたら自己満足だけでなく大きな成果も生まれたと思う。
例えば1日1本づつ、本堂や三重塔に続く参道に紅葉するモミジなどの木を植えていたらどうだったろう。1万本まででなくても3千本も
あれば見事な紅葉山が完成するだろう。他にも広い境内を利用して山内をグルリ一周する遊歩道があってもいい。
油山寺は遠州三山の中でも一番参拝者が少ないと思うが、このようになればきっと県内でも有数な名所になると思うのだが・・・・・・
今年最少の妄想でした。

     
       国重要文化財 三重塔                           本 堂

 この三重塔も本堂も源頼朝が眼病全快のお礼に寄進し、その普請奉行をしたのが当時の遠江国守護職工藤祐経だった。
工藤祐経(すけつね)と云えば曽我物語の敵役のあの工藤祐経で、富士の巻狩りの際に兄弟に討たれてしまった。
これが敵役ではなく曽我兄弟の父親だったらきっと案内板などで紹介されていたのだろうが、如何せん敵役では仕方ないか。
でも敵役とはいえ工藤祐経だって曽我兄弟の祖父と父親には、領土を横取りされてしまったのだから仕方ない面もある。
遠州の守護職でもあったのだからもっと紹介してもよさそうなものだ。

 本堂横の陽だまりに座り残りの弁当を食べた。本堂というものの一般的には宝生殿を本堂で、ここを奥の院と思っている人が多い。
今も宝生殿では見かけた参拝客もここには一人もいない。縁側に掛けられた古い絵馬が風に煽られ鳴子のようにカタカタなっている。

法多山から油山寺までは、歩行と参拝時間を含めて2時間とみていたが、歩行時間だけで2時間以上になってしまった。
そして参拝や飯の時間を含めると30分の超過だが袋井駅には4時半には着くだろうから問題は無い。。

        
              可睡斎裏口                                可睡斎本堂

 予定を少しオーバーしたからではないが、油山寺と可睡斎の間も距離が長くなる千鳥ヶ池経由を止めて、昨年歩いた可睡斎へ裏口
から入るルートを選んだ。この道が別段距離が短くなる訳ではないが後半部分は車が少なく、ゴールが可睡斎の横から入るので気分
的に近道をした感じになる。
 可睡斎の境内に入ったのが3時15分。すでに参拝者は3組しかいず寺の売店も店じまいの支度をしていた。
 
 
                   書 院                                   鬼 瓦

 可睡斎は徳川家康と縁があるので三つ葉葵の紋が目立つ。このようは紋の使用料はどうなっているのだろうか。
で、調べてみると奥州伊達家の 「竹に雀」 の紋は商標登録されていて、使用料は年間1万円から5万円となっていた。
でもこれって少し変ではないか、先祖から受け継いできた家紋が “竹に雀” だった場合どうなるのだ、使用料を払うのだろうか。
それなら我家の家紋は “下り藤” なのでこれを商標登録したらどうなるのだ。こんなことがまかり通るようでは日本も中国並みに
なってしまいかねない。困ったものだ。
ちなみに “三つ葉葵” の紋の使用料は分かりませんでした。

  
           烏天狗                    三尺坊御真殿                   烏天狗

 可睡斎は曹洞宗總持寺の直末寺院であると同時に秋葉総本殿三尺坊大権現の道場でもある。
今回の紹介は写真だけとします。 

  
          活人剣                       石碑                        東陽軒

 今年新たに加わった 「活人剣」 とは可睡斎のHPによれば
 「下関条約交渉時に清国全権大使李鴻章狙撃事件が発生。勅命を受けた陸軍軍医総監佐藤が李の治療に当たり、無事条約は締結。
国難を救った佐藤の医業の功績を称えるとともに、日清戦争で亡くなられた両国の方々の霊を弔う為に建立した。」

可睡斎の奥の院近くには古い活人剣の台座だけがあった。これは第2次大戦中金属部分を供出した残骸だそうだ。

 これも新しい石碑で表面に 「徳川家康公深きゆかりの禪寺」、横面に 「拾萬石待遇 東海大僧録司」 とある。
  “大僧録司(だいそうろくし)” とは これも可睡斎のHPに載っていた。
 「江戸幕府は大僧録と全国に僧録所を設置し、管下の寺院を管理させた。可睡斎は東海4ケ国約2500の曹洞宗寺院を管理したした。
寺院本来の本末関係に代わる独自の管理体制で、幕府の寺社奉行に直結していました。管下各寺院は僧の任免、寺格の昇進、その他
もめ事や裁判等まで、全てを僧録司に上申し、その決裁を仰いだのです。」
と中々強い権限があったようだ。
それにしても10万石待遇とは破格だと思う。江戸時代石高1万石以上の藩主を大名と呼び、10万石の藩は全体の2割程度しかなかった。
しかも江戸時代通して10万石以上の譜代大名は酒井氏、阿部氏、堀田氏、柳沢氏、戸田氏をはじめわずかであったという。
それが可睡斎も同じように10万石を貰っていたら、これだけの寺の規模ではすまなかったであろう。多分10万石待遇とは名誉称号で、
実質石高は有るか無しか程度だったのではないかとおもう。

 可睡斎の入口に小さなお堂があり、そこの軒先に木造の観音像が2体安置されている。その仏像は色は褪せ見た目はみすぼらしく
夜見たら幽霊かと見紛うようだ。せめてお堂の中に安置すればよいのに毎回思う。お堂の中には三つ葉葵の幔幕も見えているので
可睡斎と関係あるお堂と思ったら、案内板に 「この東陽軒が可睡斎の始まりです」 とある。ならもっと大事したらどうだと言いたい。
 
 
             原野谷川静橋                                     藤枝駅南口

 静橋の上に建つ “飛翔” と名でけられた親子の銅像。その後ろに今日縦走した小笠丘陵が見えていた。
ここまで来れば袋井駅は近いし、あと少しで今年最初の乾杯もできる。サー後一頑張りだ。

 藤枝駅の南口では今年もイルミネーションで彩られていました。

小笠丘陵縦走&遠州三山初詣

2016-01-09 16:14:16 | 低山歩き
歩行記録                                                              H28-1-7(木)
歩行時間:7時間55分   休憩時間:1時間40分   延時間:9時間35分
出発時刻:6時45分     到着時刻:16時20分
歩  数: 40、949歩(推定距離29.1km)    GPS距離27.2km
行程表
 掛川駅 1:20> 六枚屏風 0:55> 138°展望台 0:20> 腹摺峠 1:20> 法多山 02:15> 油山寺 0:50> 可睡斎 0:55> 袋井駅 

                                  小笠丘陵縦走

 今年の初詣も例年通り遠州三山として出発点も小笠丘陵とした。ただ昨年と違うのは小笠丘陵部分を一部歩くのではなく東から
西に縦走することにした点だ。しかしそれだと私にには負荷が多すぎるので、遠州三山のコースから登りの部分を極力なくし一番
楽なコース設定をした。

 
            上張矢崎交差点                                   掛川市街地

小笠丘陵の一番東といっても何処か分からないので、一応掛川駅から登山口が一番近い 「板沢コース」 に入ることにしました。
このコースは駅に近いのは良いが登り口が分かりずらいので、今回は分岐部分の写真でコース説明をしていきます。
掛川駅の南口(新幹線側)から南に伸びる道を、県道403号の上張矢崎交差点へと進みます。
交差点に着いて右上を見ると白いガードレールが見えているのでその道に入ります。
右下に溜池が見え少し登ると掛川の市街地が見えてきます。

 掛川駅から上張矢崎交差点の道

 

 交差点から農道を5・6分も行った丁字の分岐を左折する。ここには正面左に文字が薄くなった案内板がある。
さらに4分も行くと右に民家がある丁字になるので左折する。

 

 分岐から下った民家の間の先で少し太めな道に合流する。分岐の正面左にカーブミラーがあり、その下に小さな案内板がある。
 同報無線の鉄塔に半鐘が付いた道をほんの少し行くと道が3本に分かれているので真ん中の道を行く。

 

 今度もすぐ少し太めの車道に合流するので正面に見えるガードレールの右の道に入る。そこからは川沿いの道になる。
川沿いの農道を5分も行くと交通量の多めな車道に出るので車道を横断して案内地図のある道に入る。
 上張矢崎交差点から2本目の車道までの道

 

 2本目の車道から川沿いのメインの農道を10分位行くと 「動植物の移動持出し禁止」 の看板の横の道標の所を左折して橋を
渡り農道に入る。橋から1・2分行った倒れた道標の所の細い急斜面の山道に入る。
 2本目の車道から山道入口までの道

 
         六枚屏風入口(麓方向から)                       六枚屏風入口(山頂方向から)

 山道に入ればもう迷う所もない一本道。山道入口から約25分も歩くと 「六枚屏風 この下」 の案内板がある。
私が初めてここに来たときは、勿論案内板は無く薄い踏跡を心配しながら下ったが、この道標が立ってからは踏み跡は太く普通の
道になり、初めての人でも不安なく六枚屏風に行くことができるようになった。
だが今日来てみると更に 「絶景 六枚屏風ここを下る」 と書かれた板まで付いていた。こうなると余計なお世話だと言いたくなる。
折角静かさや淋しさを感じたく山道を歩いているのに何とも無粋な看板だと思ってしまった。

  
        六枚屏風への道                 六枚屏風の入口                  六枚屏風の入口

 六枚屏風への下りはロープも張られステップも切ったりしてくれてあった。自分は歩くだけで何の協力もしないのだから、文句を
言える立場では無かった。ごめんなさい。とは言え、六枚屏風への急な下りは雨の後などでぬかるんでいる時は注意してください。

 今日は小笠丘陵縦走なので時間的に余裕がなく、六枚屏風の奥に行くのは止めた。前回来たときこの最奥部から更に草付の
方向にテープが見えたのでどこかへ出られるのだろう。次回時間の余裕のある時は行ってみたいが少し恐ろしい気もする。
絶壁に遭遇などという事ないと思うが “いい歳をして” と言われたくない。

 六枚屏風の下降点から20分ほどで小笠山に続く南北の尾根に合流する。ここでも時間を否、疲れを恐れ三角点や小笠神社を
省略して138°展望台に向かった。
もしここを歩く人がいるなら、三角点や小笠神社まで足を延ばし遠州灘を眺めてきてもらいたい。さらに余裕があるなら神社下の
小笠池まで下り、トンネルを2つ抜け無線中継所からぐるりと一周回ってくるのも面白いコースになる。ただしこのルートには1ヶ所
危険な所があり、一昨年の掛川市のHPに通行禁止とあったが今は載っていない。補修が終わったのかどうか分かりませんが。
私はこのルートで一度怖い思いをしてからは足を向けていません。

 尾根に合流して138°展望台方面に右折してからは、道幅も同じような分岐が多くなるので、必ず道標の “138展望台” “法多山”
“エコパ” 方面を確認してください。
途中の “犬戻し” に橋が架かっているが、小笠池の危険個所はここと同じように両側が切り立った断崖の痩尾根になっています。

 
               138°展望台                              掛川市街と粟ヶ岳

 今日も上空は青空だが遠くは霞んでいて富士山は見えない。それでも先月30日の歩き終いで歩いた粟ヶ岳が見えていた。
この展望台に山名案内板が建ってから休憩時間が長くなってしまった。納得したり腑に落ちなかったり結構楽しんでしまう。

 
                腹摺峠                                腹摺峠から腹摺岩への道   

 展望台から一度ピークを上り、下った所の分岐を左に下れば、県道小笠トンネルへ2分程度で着く。そのためかここを境に西側は
極端に案内板が少なくなるが迷う個所はない。腹摺峠までは比較的高低差もなく楽に歩ける。

 少し開けた所に出ればそこが腹摺峠で、昔は掛川から海岸の横須賀へ抜ける街道の茶店があった場所だという。
ここの案内板の示す “高御所” 方面は腹摺峠の名前の起こりだった腹摺岩を通らない新道なので、腹摺岩の古道に行くには来た
道を右に鋭角に曲がり鞍部を行くようになる。しかし鞍部の先は倒木があるので左上の目印に沿って行けば腹摺岩に行けます。

 
                腹摺岩(古道)                             季節は春?

 今日は遠州三山にかけて小笠丘陵でも3か所の見所を案内しようと、六枚屏風、138°展望台とここ腹摺岩と思っていた。
だがいざここに来てみれば大したことはない。しかし昔はこの岩の間が街道だったと思えば感慨も湧いてくる。
ここを見終わったら腹摺峠まで戻り、今日一番のモノラックのレール横の上りになる。

                
                   断崖絶壁                            断崖の紅葉

 腹摺峠からは右(北)側は断崖絶壁の連続で、踏み跡が左右に分かれている所の右は当然断崖の縁を歩くことになる。
年を取ってくると心臓に毛が生え図々しくなり余り感動をしなくなると言われているが私はどうだろう?
例えば恐怖心、ここの場合は高所恐怖心だが、これが年々強くなってきているようだ。マー体が動かなくなってきているのでその
方が良いのだが、どうと言うことのない所でもゾクゾクして縮みあがってしまうことが多い。
なので今日も分かれ道は右には行かず左の道を歩いています。そのため恐怖心を感じる断崖の写真は撮れませんでした。
と書いてしまったが左右の分かれ道はあくまでも崖の縁の道で、途中3か所にある完全に左に行く道は違います。
2本の道は入ったことはあるが1本は三角点へ、もう1本はじきに踏み跡が薄くなってしまいました。

 
                エコパ                                    奥の院分岐

 右側にエコパが見えてくれば奥の院は近いと思うのだが、なかなかその分岐に着かない。エコパが見えてからピークを6・7個も
越してようやく中電の点検路の標識が建つ分岐に着く。この分岐を直進すれば直接エコパに向かい、左に入れば1分もしないで
奥の院に着く。

       
               奥の院                                奥の院の場所

 これが本当に奥の院?とも思うが私も自信がなく、最初に行ったときマピオンの地図で確認して納得した。小さなお堂とも言え
ないような祠だが、間違いなく送電線の鉄塔の傍に建っている

                  
                                 法多山分岐

 奥の院の前は広場になっていて、左にはトラテープが張られた道が下に続いている。この道を下っても法多山の境内に出ることは
できるが、それより右側から下に下る道の方が手っ取り速い。

 
                 法多山への道                             上から法多山

 左に法多山を見ながら急な尾根道を下ると側溝に出る。その側溝沿いに少し行ったら左に下り鐘撞堂の裏に出れば良い。

               

 鐘撞堂の裏からお稲荷さんの鳥居を潜って出た所が法多山の境内です。

謹賀新年

2016-01-01 12:19:51 | 低山歩き
  

 明けましておめでとうございます。本年も 「無理せず 楽せず ほどほどに」「観歩」 を続けたいと思っています。

 初日の出は例年通り満観峰で迎えました。雲もなく風もなく暖かい山頂で素晴らしい初日を迎える事ができました。

    

 一年で一番賑あう山頂で万歳三唱が二度も行われる和気藹々の山頂風景でした。

     

 例年に比べ雪が少ない富士山も早朝かr顔を出してくれました。

        

 帰りは混雑する鞍掛ではなく、日本坂峠を下り法華寺で初詣して帰りました。