はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

山伏から大谷崩-2

2015-05-29 05:06:00 | 低山歩き
歩行記録                                                          H27-5-23(土)
歩行時間:6時間05分   休憩時間:1時間45分   延時間:7時間50分
出発時刻:7時45分     到着時刻:15時35分
歩  数: 20、535歩(推定距離14.4km)    GPS距離12.9km
行程表
 西日影沢P 0:45> 大岩 0:45> 蓬峠 1:20> 山小屋分岐 0:10> 山伏 1:10> 新窪乗越 0:40> 扇の要 0:15>
 大谷崩P 0:40> 大谷崩・山伏分岐 0:20> 西日影沢P

                                 大谷崩観歩記
 山伏山頂に着いたのは11時10分で出発してから3時間25分。予定より30分程余計に掛かってしまった。
これでは大谷崩経由で帰るのは難しくなってきたがどうしよう。悩みは尽きない。
 山頂には6人が昼飯を食べているが、その内4人は蓬峠を過ぎて追い越されていて、2人は駐車場を私より少し早く出た
人達だった。この人たちはどのコースで帰るのだろうか気になって仕方ない。

 同じ丸太に腰かけて地図を見ていた単独校の若者が 「帰りはどのコースで帰ります。」 と声を掛けてきた。
思わず 「大谷崩れ経由と思っているけど・・・・・」 と煮え切らない返事をした。
地図を見ながら 「大谷崩れ経由だと西日影沢の駐車場までずいぶん時間が掛かりますね」 と地図を見せてくれた。
チラと地図を見ると、山伏から新窪乗越までの時間が1時間30分になっている。ウー2時間掛からないのかと、またもや
ハムレットの悩みは深まってしまった。

 地図といえば今まで高い山へ登るときは昭文社の 「山と高原地図」 を購入していたのだが、今回は全てブログ頼りだった。
これでは余りにも無責任に過ぎると、家に帰り早速 「山と高原地図」 で山伏が載っている地図を探したのだがなかった。
若者が持っていた地図はコースタイムが白抜きで書いてあったとおもうが、家にある昭文社の地図は赤字だった。どうやら違う
出版社のようだが調べきれなかった。一体何処の出版社だろう。

 丁度で30分休憩したのそろそろ行こうと立ち上がると 「気を付けて」 と若者に言われたしまった。
これでは “へぼの考え” に決断を付けるしかないと、大谷崩経由で帰る事にした。
(無謀など思わないでください。11時40分に山伏を出て新首乗越に1時10分着。大谷崩のガレ場1時間下って林道に出るのが
2時10分。後は車道歩きを2時間で4時10分。十分明るいうちにゴールが出来る。と計算したのですから。)

                  
                    尾根道                           鹿の食害?

 山伏からの稜線歩きは思っていた以上に快適で歩きやすい道だった。尾根道と行っても太目の土の道なので、滑らないし
膝にも来ない。しかも下り勾配の道なのでスピードも上がる。幾つかあるアップダウンの上りも緩やかで立止って休憩する
必要も無かった。
 途中にはテントを張れそうな平坦地もあり、鹿でも出てきそうな雰囲気だ。時折鹿が皮を剥いた思われる立木もある。
  
   
      白い花のイワカガミ                 薄桃色のイワカガミ             大札山のイワカガミ

 前方に高いピークが見えてきて、そんな楽な事ばかりあるはずないと覚悟を決めてピークに取り掛かる。
今日は花といえばツツジがチラホラあっただけで他の花は一切見ていなかった。それがこのピークを登りだすと足元に白い花が
チラホラ見えてきた。一目でイワカガミと分かったが、花の色が白くて大札山で見たイワカガミとは違っていた。
よく見ながら歩いて行くと、ほんのり桃色がついた花もある。花が若い時は白くて、成長するにつれ赤くなるのかと思ったが
この薄ピンクの花は固まって少し咲いていただけで、白い花の中には見当たらなかった。
 「シロイワカガミ(白岩鏡)は分類上は、イワカガミの品種の1つで、イワカガミの 基本種の花の色は淡い紅色だが、本種の
場合は白い。」
のだそうだ。
これで一応納得したのだが、更にネットを見ると白いイワカガミを 「ヤマイワカガミ」 と紹介しているものもあり、よく分からない。
他にもヒメイワカガミ、コイワカガミなどもあり私の手には負えなくなってしまった。
果たしてここのイワカガミは何イワカガミだろうか??

 
               イワカガミの群落                          ムシカリ(オオカメノキ)

 イワカガミはピークへの上り坂のあちこちに群落となって咲いている。道の周りにもあるが林の中にはもっと大きな群落もある。
イワカガミは乾燥地を好むと書いてあったが、この林の中はどちらかといえば湿った感じがした。
蓬峠の上にあったコバイケイソウは小砂利の一見乾燥地にあったが、実際は草地の湿地を好むとある。
一方イワカガミは乾燥地を好む筈なのに林の草の中。よく分からないな。

 山では良く見かけるアジサイに似た白い花は、通称は 「オオカメノキ」 と呼んでいるが、正式名は 「ムシカリ」 らしい。
ムシカリの語源は、この木の葉を虫が好んで食べるためで、別名のオオカメノキは、葉が亀の甲羅のようにも見えるため。とか。
どちらも突っ込みを入れたくなる名前だが止めておこう。
 
 
               大谷崩か?                                 新窪乗越

 イワカガミの群落はピークを過ぎると突然なくなってしまった。どうやらピークの西面が群生に適した土地のようだ。
下る傾斜が急になりと、前方にすっかり忘れていた、あの悪相の山が見えてきた。
山伏を出て1時間5分。チラリと見た地図には新窪乗越まで1時間半とあったが、あのピークを越えて次の鞍部まではとても
30分では行けそうもない。するとこの下の鞍部が新窪乗越か。期待が高まった。

 
          直進下山道・左折大谷嶺                             大谷崩

 ピンポン! 着いた鞍部は新窪乗越でした。ここに着き、まず道標を確認すると間違いなく扇の要と大谷嶺との分岐だった。
新窪乗越の名前はと後ろを振り返ると、広い鞍部に 「大平沢の頭 ← 新窪乗越 → 大谷嶺」 とあり、下向きに「扇の要・新田」
あった。フーこれで一安心。
山伏側のピークに大平沢の頭なる名前があるが、イワカガミのあったピークが大平沢の頭なのだろうか。

 今12時50分なので10分休んで1時にここを出れば、ゴールの駐車場には4時には着きそうだ。安心したせいか
それとも悪相の山に登らなくてもよいと分かった所為なのか、悪相の山がそれほどでもなく見えてきた。

         
                            大谷崩

 こうして見れば大した事のない崩れだ。これなら富士山宝永山の火口内にある、ドラゴンの背鰭のような溶岩辺りの方が
よっぽど凄い傾斜とガレ場だ。
ここのガレ場は細かい火山灰の宝永山と違い小石ばかりだが、噴火の衝撃があったのではないのに、何故こんなに細かく
なるのだろう。不思議だった。
 下るに際しては、ガレ場の上部は靴と一緒に小石全体が動くので、滑らないので下りやすいが、下の方は表面の石だけが
動くので滑りやすく歩き難かった。
それでも今日は下りなので楽で良いが、ここの上りは大変そうだ。何しろ登りも下りも同じ道なので、いくら補修をしても下りで
ガサー、ガサーと崩してしまうのだからきりが無いだろう。
これなら富士山の砂走りのように、下山道と登山道を分けた方のが効率的ではないかな。とまた余計な感想を。


                           大谷崩航空写真(YAHOO!)

 「大谷崩は宝永4年(1707)10月の宝永地震により大崩壊したもので、崩れた土砂の量はダンプ約2千万台にも達しました。
この崩れた土砂が大雨により、下流の三河内川を堰き止め、安倍川下流の山林を埋めてしまう、大きな災害をあたえました。
建設省は、この大谷崩にダム群を設置して土砂災害を防いでいます。」
 大谷崩の案内板より

 大谷崩は日本三大崩の一つと聞くが、三大崩れとは何処を指しているか、
「鳶山崩れ(富山県)、稗田山崩れ(長野県)、大谷崩れ(静岡県)」 だそうです。大谷崩れ以外は聞いた事はない。
三大崩れに入っていないが、富士山の大沢崩れは、個人的に言えば大谷崩より規模が大きいと思う。

 
                 扇の要                                 登山ポスト

 木陰のない大谷崩は一歩下るたびに暑さが増してくるようだったが、それもガレ場が終わり林の中の道に入ると一段落した。
標識にも名前があった 「扇の要」 は、ガレ場が纏まった所で、扇状地を逆にしたような場所かと思っていたが、林の中にあった
扇の要の場所は、とても 「要」 を想像できるような所ではなかった。

 登山ポストの横に 「安全で楽しい登山のために」 と幾つかの注意事項が書かれていた。
「・中高年の遭難事故が多発しています。自分の体力に合った余裕のある山登りをしましょう。
 ・夏期は16時前に、それ以外の時季は15時前には下山しましょう。万一に備えて懐中電灯は持参しましょう。
 ・大谷嶺から新窪乗越間は瘠せ尾根になっていますので通行には充分な注意が必要です。」


 今朝、西日影沢の駐車場に5時半に着いた時は、あわよくば大谷嶺にも登ろうと思っていたのだが、出発時間が遅くなった
事もあり、いつしか大谷嶺の事は忘れていた。それがこの看板には “瘠せ尾根で注意が必要” と書いてある。
出発時間が遅れた事を嘆いていたが、神は私を危地に行かせる事を止めてくれたのかもしれない。きっとそうだ。そう思おう。

 
                 幸田あや文学碑                           大谷崩駐車場

 「崩壊は憚ることなく その陽その風のもとに、皮のむけ崩れた肌をさらして、凝然と、こちら向きに鎮まっていた。
無惨であり、近づきがたい畏怖があり、しかもいうにいわれぬ 悲旅感が沈殿していた。」

立派な文学碑が建っているのだが、作家名や作品名などを紹介した物はない。
「大谷崩 文学碑」 で検索すると簡単にヒットした。明治の文豪・幸田露伴の娘、幸田あやの 「崩れ」 の一節のようだ。
折角立派な文学碑を建てたのだから、せめて作家名や作品名が分かるようにしないと・・・・・

 大谷崩の駐車場には5台の車が停まっていた。山伏山頂にいた人は全て蓬峠を登って来た人だったので新窪乗越から来た
人はいなかった。しかも山伏からここまでも登山者には会っていない。という事は車の持ち主は大谷嶺に登ったのだろうか。
ここをピストンするだけでは、余り面白そうなコースではなさそうだが、それも人、好き好きだろう。

 駐車場からは、やけに立派な道で驚いた。今でも崩壊防止のために工事が行われているのかもしれないが、それにしても
立派過ぎると感じながら下ると、途中には未舗装の区間もあった。
車は全然走ってなく終盤モードのダラケ歩きになりそうだが、せめて山伏の分岐までは頑張らなければと疲れた足に鞭を打つ。

     
                           ハイキングコース案内板

 なんとこんな山奥に別荘地があった。草茫々で戸が閉まっている家もあれば、車がとまり現に生活しているような家もある。
そんな別荘地を2カ所ほど過ぎた所が西日影沢(山伏)の分岐点だった。
大谷崩の駐車場から約40分。想定では1時間以上かかると思っていたので順調な歩きだった。これならゴールの駐車場には
4時前に着くだろう。

 分岐点に静岡市教育委員会の「山伏周辺ハイキングコースのご案内」 が建っていた。
私が歩いたコースのタイムもあったので紹介しておきます。

 「西日影沢コース  西日影沢登山口 0:40> 大岩 1:00> 蓬峠 2:00> 山小屋分岐 0:15> 山伏 1:30> 新窪乗越」
 私の歩行時間               0:45>     0:45>     1:20>          10>      1:10>
 何故か疲れて果てていたと蓬峠で40分も短縮しているのは腑に落ちないが、客観的データがあれば参考になるでしょう。

 このような案内板は感謝すべきだが一点気になる事がある。案内板には “ハイキングコース” とあるが、このコースには
2000mの山伏山頂もあるし、登山ポストまである。しかも大谷崩にあった注意書きには “大谷嶺は牛首方面は危険” とも
書いてあった。となると 「登山コース」 の方が良くはないか。
 私のイメージでは 散歩 ウォーキング ハイキング 登山 の順で、あくまでも登山よりハイキング下に位置すると思う。
他にも低山歩きやトレッキングなどもあるが、低山歩きはハイキング。トレッキングはハイキングと登山の間くらいか。
若し私と同じようなイメージを持った人が、この案内板をみてハイキングなら大丈夫だろうと、大谷嶺や牛首方面に登ったら
どうなるだろう。矢張りここは ”登山コース” としたいところだ。

 そうだ思い出した。以前塩の道を歩いた時に、静岡と長野の県境にある青崩峠の静岡県側の登山口に、登山ポストが設置して
あるのを見て少々身構えてしまった。だが、峠から先の長野県側の標識は遊歩道になっていた。
登山ポストも大袈裟だが、遊歩道も安易すぎると思ったが、本格的山岳の多い長野県ではそんなものかと感じた事がある。

 
                                 群生していた白い花

 分岐からの無舗装の道は完全に終盤モードの歩きになってしまった。それでも斜面の上に白い花の群生が見えたら、写しに
行く元気が残っていたのだから大したものです。

 朝、到着した時は1台も停まっていなかった駐車場には車が4台停まっていて、路肩にも4台停まっていた。これを見る限り
大谷崩れより西日影沢からの登山の方が人気がありそうだ。

 駐車場に3時15分到着。4時を大分早まったのは、大谷崩駐車場からここまでの車道歩きが、予定の半分の1時間で
済んだからだった。全体をみると歩行時間は約6時間で休憩を入れた延時間は約8時間と、想定通りだった。
今回は出発前に2時間半の余計な事があったので、少々疲れて山伏まで時間が掛かってしまったが、次回来る時もこの
8時間ペースで予定を組もう。勿論大谷崩の上りではなく、同じ向きのこのコースで。
だけど大谷嶺の登頂はどうしよう、きっと悩むだろうな。

 これで山伏・大谷崩の観歩記は終りですが、次回は出発前の2時間半余の真相をアップします。

山伏から大谷崩

2015-05-26 17:10:15 | 低山歩き
歩行記録                                                          H27-5-23(土)
歩行時間:6時間05分   休憩時間:1時間45分   延時間:7時間50分
出発時刻:7時45分     到着時刻:15時35分
歩  数: 20、535歩(推定距離14.4km)    GPS距離12.9km
行程表
 西日影沢P 0:45> 大岩 0:45> 蓬峠 1:20> 山小屋分岐 0:10> 山伏 1:10> 新窪乗越 0:40> 扇の要 0:15>
 大谷崩P 0:40> 大谷崩・山伏分岐 0:20> 西日影沢P

                                 山伏観歩記


 山伏(やんぶし)の標高は2014m2013mで、最近では富士山以外では経験した事のない2000m越えへの挑戦です。
尤も北八の横岳(2473m)には登っているが、あの山はロープウエイで2237mまで上がる事ができ、実質標高差は236m
しかなく、私の歩く低山より楽な山でした。
その前と云うと2千米より若干低い、四国の石鎚山(1982m)があるが、ここも中腹にある土小屋(1492m)から登ったので
標高差は490mと、高草山とどっこいどっこいの山でした。ただここは鎖場に雪や氷があって怖くて泣きたくなった記憶がある。

 一方山伏は登山口の駐車場の標高は約933mなので、山頂との標高差は1080mと1000mを越えている。
果たして単独行の老人が初めて歩く山伏を完歩出来るか、若干の不安がつきまとっての出発です。
そのため行程には余裕を持たせ、駐車場から山伏までの上りを3時間。山伏から新窪乗越までの尾根歩きを2時間。そして
大谷崩れのガレ場の下りと駐車場までの林道歩きを3時間とみて計8時間とした。
ゴールの駐車場には遅くても4時までには帰りたいので、出発を7時として1時間早い3時にゴールと計算した。

実はこのコースやタイムは 「大人の遠足」 のあやさんのブログを参考にしたもので、あやさんはこのコースを7時25分に出発して
2時10分に到着しています。しかも山伏山頂では1時間も休憩しての時間です。
とは言え、あやさんのタイムをそのまま適用はできません。何故なら彼女の大崩山塊を歩く速度と云ったら、私より数段の速さ
なのです。そこであやさんが6時間45分で歩いたなら、私には8時間として、昼飯の1時間の休憩時間を半分にすれば何とか
なるのでは、それに8時間が無理としても、4時着ならまだ1時間の余裕があるので多分大丈夫だろうと判断しました。

 家から西日影沢の駐車場までは大井川から静岡を40分、静岡から駐車場までを2時間とみて4時に出発としました。

 
          西日影沢(山伏)・大谷崩分岐                        西日影沢駐車場
         分岐点の場所
 4時に家を出て新東名を利用して駐車場に付いたのは5時20分だった。予定より1時間半も早く着いてしまったが、早い分なら
何ら支障はない。予定外だが、若し大谷嶺の登り口の新窪乗越に12時前に着いたら大谷嶺に登るのもいいだろう。

オットその前に、この駐車場に来るには、梅ヶ島に向かう県道29号の赤水の滝を過ぎた所にある分岐を左に曲がります。
確か角に 「大谷崩」 の標識があったと思いました。。
そこから約5分で西日影沢への分岐に出るが、左折する道は無舗装の道だった。心配になり草に隠されていた標識を車を降りて
確認すると、間違いなく 「山伏」 とあった。舗装された道側は 「大谷崩」 となっていた。
分岐から無舗装の道を1.5km 約7分ほどで道の左側に 「登山者用駐車場」 の案内板と登山ポストがあります。

        
              沢越えの橋                           登山道入口

 駐車場を出発したのは7時45分。7時出発予定を45分も遅くなってしまった。
エッ! 5時半に着いたのに出発が7時過ぎ?? マーその説明は後日として、ともかく7時45分に駐車場を出発しました。
林道を約5分ほどで簡易な橋を橋を渡ると、左側に目立つ赤い色の 「山火事用心」 の垂れ幕と、登山道入口を示す茶色の
道標が建っている。ここさえ見落とさなければ後は山道で間違う所はありませんでした。

 
               沢越えの橋                              ワサビ田跡

 西日影沢の支流と思える沢伝いに登って行くと、木造の頑丈そうな橋があった。登山道のためにこんな立派な橋を造って
くれるなんて静岡市も中々粋なところがある。
登山口から40分も行くと石を丁寧に積んだ石垣の棚田が出てきた。どうやら山葵を栽培していたワサビ田の跡のようだ。
こんな山奥に昔の人は本当に働き者だったと感心してしまう。当時は林道だって有ったかどうか分からない。周りを見ても
モノラックのレールも無い事から、栽培は大分前に止めたのだろう。勿体ないな。

    
            大きな岩                     大岩                   沢越えの橋 

 大きい岩が見えてきたが、あれが大岩か。岩の下には何本ものつっかい棒があり、あれで岩を支えていると言いたいのだろう。
何となくニヤリとしたくなる風景だった。
しかしそれは大岩ではなかった。最初の大きな岩の奥にはさらに大きな岩があり、そこには 「大岩」 の案内もあった。
この岩の下にもつっかい棒があり 「これらの棒は大岩が倒れてこないように支えています。あなたも1本ご協力願います。
私が立てたこの棒は、こんなに撓ってきました(笑)」
と書いてあった。
 真ん中の大岩の写真の下に2人の人が写っているので、岩の大きさが分かると思います。岩の下には無数のつっかい棒も。

 大岩の少し上にある3個目の木橋の辺りまでは、沢沿いの左程きつくない気持ち良い道だった。しかし道が林の中に入ると
傾斜がきつくなり、道が小さな崩れで塞がれていたり、歩きやすい所を歩くので、あちこちに踏み跡がついていた。
そんな場所を過ぎ1ヶ所目、2ヶ所目と稜線に達するのだが、その先にはまた稜線が現れる。さすが2千米級の山だと内心辟易
しながらも感心して登って行くと、前方上に赤いドラム缶が見えてきた。無意識にそのドラム缶を目指して登って行き、フト下を
見ると違う方向の木に赤い目印が巻いてあり、その下には道も見えていた。
自分の立っている所にも踏み跡はあるのだが、下の道に比べればはるかに薄い。戻るのは嫌だったが “急がば回れ” だとか
“後悔先に立たず” と言い聞かせて目印を目指して下って行った。
そして正規な道を歩いて行くとドラム缶の上に出た。あーあぁ “骨折り損のくたびれもうけ” だ。

         
                          蓬峠                                大谷嶺か

 蓬峠の簡易ベンチにドカッと腰を落としての休憩。駐車場に5時半に着いて、出発が2時間20分遅れになった疲れが出てきた
ようだ。駐車場から蓬峠まで1時間40分。予定では山伏まで3時間とみていたのでまだ半分残っている。
大丈夫かな? 少々弱気な心も出てきたが兎も角山伏までは登ろう。例えそこから引き返したとしても。とカツを入れる。

 ともかく蓬峠からの道は近年稀にみる大変さで、まるで富士登山のように足を動かさなければ頂上には着かないのだからと、
強引に一歩一歩歩く始末でした。
そんなとき簡易ベンチのある木陰から何とも悪相な山が見えてきた。斜面に木などは生えてなく崩壊して泥色をしたその斜面は
今も崩れているようだった。あれが大谷崩れ? いや違うだろう大谷崩れは日本三大崩れの一つなのだから、あんな物ではない
筈だ。ではあそこは大谷嶺に至る尾根か? となると新窪乗越に行くにはあそこを登らなければならないのか。
急に恐怖心が湧きあがったが、あやさんのブログにはこのコ-スは一般ルートで危険個所は無いと書いてあった。例えあの山に
登るとしても、崩れの端ではなく巻道があるのだろうと自分を安心させるのだが、あの急坂を登るのにも不安を感じた。
お蔭で疲れは肉体的だけでなく精神的にも感じるようになってしまった。

        
              1800m越え                             山小屋分岐

 フーフー言いながらも1800mの表示あるロープのヵ所に出た。このルートには所々にロープがあるがロープ場と言った
感じではなく、あれば助かるが無ければ無いで済みそうなロープですので特に危険は感じません。
この1800mを越えると道の傾斜は緩くなり、山道の周りにはコバイケイソ(小梅草)と思われる葉があちこちにある。
この葉は竜爪の山頂でも見た事があるが花は見た事がない(多分)。ネットの植物図鑑を調べると
「湿地に生える高山植物で和名は、花がウメ、葉がケイランに似ていることに由来する。バイケイソウという似た姿の高山植物が
あるが、 それより小さいことから 「小梅草」 となった。」
のだそうです。
湿地? この斜面が湿地? とも思うが残雪が遅くまで残っていて水気が多いのかもしれないな。それにしても柔らかそうな
葉を何故鹿が食べないのだろうと思ったら、この植物には毒が含まれているそうです。多分馬酔木(あせび)と同じように鹿は
毒のあるコバイケイソウは食べないのだろう。

 緩やかな道が続きホッとしながら歩いていると前方に標識が見えてきた。多分あれが山小屋分岐だろう。あと一息だ。
標識といえば、ここのルートは余り標識は無かったが、コースに入ってからは困る事は無かった。分岐も少なく踏み跡も濃いので
特に標識の必要さも無いのだろう。
 標識には左折側を 「百畳峠・山伏小屋・県民の森」 とあり、更に別の案内板には 「牛首から西日影沢のコースは非常に危険
です。」
とあった。百畳峠も牛首も知らないので今度調べてみよう。



 分岐から3分ほど進むと、山伏からの富士山の写真で何度も見た風景が広がっていた。
最近は晴れていても顔を出してくれない富士山が珍しく見えていた。左右に大きく裾を拡げ雄大に見える富士山は、写真下手の
私が写しても、それなりに写ってくれる。その右の裾野には見慣れた愛鷹山も見えいた。
それと木陰に隠れているが、あの禍々しい悪相の山も茶色の肌を見せていた。折角忘れていたのに嫌な奴だ。

 
                ヤナギランの保護                          新しい山名表示

 平坦な山頂はヤナギラン(柳欄)の群生地で、その保護のためにネットが張ってあった。その群生地の周りは木道が設けられて
いて周回が出来るようだ。ヤナギランは8月に咲くそうなので一度来てみてもいいな。しかし真夏だと暑いだろうな。                     
 新しい山名表示と古くて朽ち始めている山名表示が並んでいた。その後ろには南アルプスが見えるのだが、ここからは少々
無理で笹の中の小径を少し入ると聖や赤石が見えてきた。


                                       南アルプス

               
             富士山側の山名表示                     二等三角点

 山名表示板は富士山側にも建っていて、こちらはお馴染みの団子型だった。後ろに富士山が見えていたのでもっとしっかり
入れたかったが、表示板の下は昼飯を食べている人がいて、どうしてもその人達が入り込んでしまうので諦めた。
よく見るとこの表示は山の名前が 「山伏岳」 になっている。新しい表示板は 「山伏」 だけだが。
そうかこれが山伏の下に 「岳」 が付くか付かないかの論争の元になった物なのか。そこで一番古い表示板を見てみると
残念ながら山伏の文字はは見えるが、その下は丁度朽ち落ちていて岳が有ったか無かったか分からなかった。
では地理院の地図(コース概略図参照)はどうかとを見てみると、こちらは 「山伏」 となっていた。

 さらに新しい表示板の下に二等三角点があったので、三角点の正式名称を調べてみたら 「山伏峠」 となっていた。
どうもこの三角点の名前の付け方は面白くない。地元の人がそう呼んでいるなら良いが、何か見当違いの名前もある。
いやそんな事より面白い事を見つけた。この山伏の標高は表示板には 「2014m」 とあるが、国土地理院で案内する
「基準点成果情報」 には、なんと!なんと!「2013.15m」 になっている。これなら四捨五入すれば2013mになる。
慌てて地理院の地形図を見ると、さすがにこちらも 「2013.2」 になっていた。

    
            国土地理院三角点成果情報                         地理院の地形図

 そうかこれは去年、山の標高を変更した際、ここも訂正されたのだろう。とさらに調べてみた。
だがこの時の改定は全国で39山の標高が低くなっていて、静岡県では金時山だけがその対象だった。

      

 と、なると山伏の標高は何時変更されたのか俄然興味が湧き、家にあった2009年発行の昭文社の地図を見ると
 「2013・7m」になっていた。ならばここにある標高はその当時の高さを表したものだろう。
更に追っかけてやっと見つけました。
   
 こうなると執念ですね。でもこれでスッキリした。今回調べていて更にスッキリした事があります。それは金時山の呼び方で、
私の故郷の金時山は子供の頃からズート 「金時ざん」 と呼んでいました。それがいつの間にか 「金時やま」 になってしまい、
今では地元の人も金時やまと呼ぶようになってしまいました。
私には金時やまでは何故か幼児語のようで、しかも低山のように聞こえる(実際低山ですが)のが好きではないのですが
多勢に無勢で何とも旗色が悪い状態です。更に金時山の山頂に建つ大きな塔のような山名表示には、ご丁寧にも
  「きんときやま」 とルビまでふってあります。
こうなると金時ざんは、私の記憶違いなのかと思わざるを得ないのですが、どうか上の三角点成果情報を見てください。
そこの金時山の “さんちょうめい” は 「きんときざん」 になっていました。
マダマダ私はボケていないのかと思いたいが、ボケた人は古い事は覚えているとか、矢張りヤバイかな。

 全く私の話は何処へ飛ぶか分からなく、自分でも呆れています。

興津川遊歩道

2015-05-24 11:08:57 | ウォーキング
歩行記録                                                          H27-5-17(日)
歩行時間:7時間35分   休憩時間:1時間05分   延時間:8時間40分
出発時刻:7時00分     到着時刻:15時40分
歩  数: 40、328歩(推定距離36.3km)    GPS距離35.1km
行程表
 興津駅 0:50> 薩埵峠 2:15> 送電線展望所 0:45> 浜石岳 0:25> 下町屋分岐 0:25> 陣場山(狼煙台) 0:40>
 番古農道出合 0:25> 下町屋バス停 0:30> 立花吊橋 0:35> 承元寺緑地 0:45> 興津駅

                                 興津川遊歩道観歩記
  
        身延路                  小河内南部自治会館              下町屋バス停
         下町屋バス停の場所
 旧52号を300m程下り現在の国道52号線に合流する所に 「身延路」 の標識が建っていた。
身延街道は一度歩いてみたいと思っているが、中々決行できないでいる。理由はここのように旧道と国道が別れている所は
良いが、多くの場所は国道を歩かなければならない。しかも国道と云っても歩道が完備している所は少なく、トンネルも多いと
きている。その上この道はダンプ街道の異名もあり、道はの割に交通量も多い事で有名だ。
そんな言分けを考え、このまま歩かないで終わってしまうだろう。

 国道の合流部には 「小河内南部自治会館」 もあり、その前には下町屋のバス停もある。ここから長い舗装路歩きが嫌な人は
バスで帰るのも手だろう。このバス停は1時間に1本程度しか走っていないが、この次の 「但沼バス停」 からは本数が多いので
待ち時間があるようなら但沼まで歩くもいい。
 ところで阿津羅沢コースの案内板に何度も出てきた 「番古」 の地名だが、この辺りには全然見当たらない。仕方なく家で調べ
るとバス停の名前に番古はあった。場所は下町屋バス停の次(身延側)が番古バス停だったが、下町屋も含めて、この辺りの
地名は小河内なので、番古も下町屋も字名なのだろう。

        
                        身延街道の面影か

 国道52号線、旧身延街道も、この辺りにはその面影は残っていなく、わずかに見つけたのはお地蔵さんと、昭和初期の頃を
思い出せる木造の建物だけだった。


                              薩埵峠から浜石岳の稜線

 道が興津川に接する所で、今日歩いた浜石の稜線が見えた。左端にある浜石山頂は低く見えるが、この中では一番高く
標高707mある。その浜石の横にある丸い単独峰は、地図上では陣場山に見えるが、登った感じはあのような上り下りは
無かったと思うので自信はない。だが狼煙台があったのだから目立つ山だとは思うが。

 52号線但沼交差点の左からの道は、尾根にあった但沼分岐を下って来ると出る道です。この但沼分岐の道を阿津羅沢
コースの道と比べると、距離も短いので利用する人は多そうです。 

  
                                   立花の吊橋
              立花吊橋の場所
 立花入口交差点に着いた。立花と云えばここも尾根に2ヶ所分岐があったがまだ歩いた事が無い。この際登山口を確認して
おこうと信号を左折して興津川に向かう。
 前方に橋が見えてきた所に 「吊橋」 の案内板が目に入ったので、物は試と早速その道に。
一度に5人が歩ける吊橋だが、歩く度に結構揺れる。まだ持っていたストックを持ちかえるやら、写真を写すのに恐々している
格好は、人に見られたくないな。年寄りが何をぐずぐずしているのだ、と思われてしまうから。

          
                   立花の吊橋と立花橋                          立花コース入口?
            立花橋の場所         立花コース入口?の場所
 興津川が蛇行していて立花橋と吊橋が一目で眺められる場所があった。そこから見ると橋の入口は一緒だったのに出口が
随分離れてしまっている事がよく分かる。

 立花自治会館の前に阿久津沢コースで見かけたのと同じ形式の標識に 「立花コース」 と書かれていた。どうやらここが
立花コースの入口のようだ。タイミングよく40代頃と見える男性がいたので 「ここが浜石の登山口ですか」 と標識を指さし
ながら聞くと
「いやこの標識は万葉歌碑へのウォーキングの標識で、浜石は但沼の方で、ここは歩く人は余りいない」 との事でした。
若干腑に落ちない点もあるが、ここで追及しても仕方ないので、お礼を言って歩き出した。

 
                    立花地区案内マップ                             承元寺橋 
                承元寺橋の場所
 立花橋の入口に 「立花マップ」 が建っていた。それを見れば自治会館前の道を行けば浜石ハイキングコースに通じるように
なっていた。矢張りあの標識はハイキングコースの案内のようだ。
しかしマップは立花池への道だけで、あと一つあった分岐の道は書かれてなかった。矢張り最初は下からでなく、上から分岐を
下った方が分かりやすそうだ。

 次は承元寺コースの確認もしておこうと、そのまま興津川の左岸を下る。こちらは承元寺の入口は分かったが、標識も案内板も
また尋ねる人の姿も無かったので見当もつかなかった。ここも上から下るしか手は無さそうだ。

 承元寺橋の橋桁に中学生たちが水遊びをしていた。今日は歩いていたので暑いは暑かったが、とても川に入る気は起きない。
いや今日に限らず真夏でも外で水に入る気は起きなくなってしまった。海に近いのに海水浴に行かなくなったのは何時からだろう。
この覇気のなさも老化の一つなのか。

  
          製紙工場跡                  遊歩道                   サクランボ

 承源寺橋を渡って興津川の遊歩道に入る。車の走らない道に入ると、気分も楽になりすっかり終盤モードに入ってしまった。
そんなのんびり歩きをしていた眼に入ってきたのは、今にも倒れそうな煙突だった。よく見れば先の方は既に割れている。
これでは東海地震を待たなくても、小さな地震で倒れてしまいそうだ。元は製紙会社だったらしいが、工場をそのままにして
倒産してしまったとの事。例えそうでも若しこの煙突が倒れ人に被害が出たら誰が責任を負うのか。
今、一般家屋の空家が問題になっていて、危険な家屋は行政が強制的に取り壊す所もあるそうだ。この煙突も早急に取り壊し、
費用は地主に払わせるか、払わないなら土地を強制収容すべきだ。
どうもノンビリモードはかけ離れた話になってしまったが、この煙突を見れば、誰もが不安を感じると思う。

 遊歩道に桜の枝が覆い被さっている。サクラの云うと毛虫が、でも大丈夫!毛虫の代りに小さなサクランボがなっていた。
最近の桜はソメイヨシノが多くサクランボを見る事が少なくなったが、これだけ沢山のサクランボが成っているという事は
ここの桜はソメイヨシノではないのだろう。では何桜か? 調べたが分からなかった。
 そこで今回の受売りは、ソメイヨシノには何故実が成らないのかです。
が、早速訂正です。ソメイヨシノにも数は少ないがサクランボは出来るそうで、それを頭に入れて先に進みます。
「自家不和合性」 難しい言葉ですが、桜はこの性質があるため自分自身では受粉してくれません。つまり、ソメイヨシノの花粉が
ソメイヨシノについても受粉してくれないので実が成らないのです。
しかし近くにソメイヨシノ以外の桜があればサクランボが成るが、その数は少なく、またその実が成長しても本来のソメイヨシノでは
なくなっています。そこでソメイヨシノを増やすには、接ぎ木による方法しかないのです。
そのためワシントンに咲く桜も興津川の桜も、新宿御苑の桜も、元を辿れば一本の桜の木だと云う事です。

 オットここでまた思い出した。ワシントンの桜と云えばポトマック川沿いの桜が有名で、その時期になると日本でもニュースになり
ますよね。実はあの桜はここ興津生まれだった事を知っていますか。
あの桜は明治時代に 「憲政の神様」 尾崎幸雄がアメリカに寄贈した事で知られていますが、そこにはこんな事実もあったのです。
最初に寄贈した2000本の桜は、アメリカ到着後の検疫検査で、寄生中に汚染されている事が判明し、全て焼却されてしまう。
落胆した尾崎らは再度綿密な寄贈計画を練り、興津にあった農業試験場で害虫駆除をして苗木づくりを行った。
成長した桜はソメイヨシノ1800本をはじめ、計12品種、3020本の苗木を阿波丸に乗せアメリカに寄贈した。
ネ! ですからワシントンの桜は興津が発祥の地なのです。旧興津町の姉妹都市がどこだったかは知らないが、ワシントンで
あっても不思議はないですよね。

 真黒に色ずいたサクランボ何粒か口の中に。不味くないが決して美味しくもない。これなら桑の実の方が美味しい感じだ。
子供の頃は、この真黒なサクランボを瓶に入れ、塩?砂糖?をかけて食べたが、当時食べた物はみな美味しく感じていた。
ところが最近タニシやイナゴを食べると美味しさを感じない。食料不足だった当時は口に入れば何でも旨かったのだろう。

 興津の街の中に、桜の苗づくりをした農業試験場が、興津駅の裏にあるのは知っていたので、何か桜の事で案内でもして
ないかと寄る気になった。だがあの辺りはコンビニはおろか店屋もないので、乾杯の氷結が買えなくなる。
知的興味はたちまち萎えて、氷結を求めて賑やかな(?)通りを彷徨いました。
          興津農業試験場の場所

浜石岳から阿津羅沢コース

2015-05-21 10:10:45 | 低山歩き
歩行記録                                                          H27-5-17(日)
歩行時間:7時間35分   休憩時間:1時間05分   延時間:8時間40分
出発時刻:7時00分     到着時刻:15時40分
歩  数: 40、328歩(推定距離36.3km)    GPS距離35.1km
行程表
 興津駅 0:50> 薩埵峠 2:15> 送電線展望所 0:45> 浜石岳 0:25> 下町屋分岐 0:25> 陣場山(狼煙台) 0:40>
 番古農道出合 0:25> 下町屋バス停 0:30> 立花吊橋 0:35> 承元寺緑地 0:45> 興津駅

                                 阿津羅沢コース観歩記
         
                    「歩行禁止」                                  崩壊現場?

 浜石山頂直下の登山道入口がテープで封鎖され 「坂本&阿津羅沢 崩壊により 歩行禁止」 の貼紙がしてあった。
阿津羅沢は聞いた事のない地名だが、坂本はこれから歩く静清庵自然歩道の案内板にあった地名だ。とすると自然歩道は
歩けないという事か? だが登山道入口が封鎖されているという事は、銚子口の滝に下る一般ハイキングコースも通行止
なのだから、まだ歩いた事のない自然歩道が通行止めと云う事ではなさそうだ。
兎も角行ける所まで行って危険なら引返せばよい、と封鎖テープを潜って先に進みました。

 林の中の登山道が林道に出ると、林道の先が土砂に埋まっていた。でも土砂の量は左程の事は無く、既に踏み跡もあり
何の危険性も感じない。上を見ると赤土が剥き出しになっているが崩れてくる様子はない。
ここが通行禁止の崩壊現場なのだろうか? 貼紙も何もないのでハッキリしないが多分違うだろう。

 
               分岐点                                静清庵自然歩道の案内板

 崩壊した所から林道を3分も歩くと、昨夜写真で確認した分岐点と静清庵自然歩道の案内板があった。
ここまで来れたという事は、この先の自然歩道には崩壊ヶ所は無いという事だと一安心。
 一般コースの銚子口の滝は案内板の下に向かう槍野(うつぎの)方面で、これから行く自然歩道は分岐点からUターンする
所で坂本と陣場山方面に分かれているようだ。坂本も陣場山もどこにあるか知らないが、下る場所は興津川に出たいので
案内板の左にカーブしている陣場山方面に行く事にしてある。

 
             陣場山分岐の封鎖                               アジサイ?

 自然歩道の入口は封鎖されていないので多分大丈夫だろうし、駄目なら戻ればよい、と入った道は思っていたより踏み跡も
シッカリしている道で、分かりやすい案内板も要所要所にあるので迷う心配はない。
浜石からの東側のメインルートは銚子口の滝だと思っていたが、このルートも大分歩かれているようだった。
 
 入口から10分ほど行った分岐点にまた封鎖ヵ所があった。何の封鎖案内も無いが分岐に建つ案内板は、封鎖方向が坂本に
なっている。この先が浜石山頂にあった封鎖案内の “坂本” なのか? 少し腑に落ちないがマーこれから向かう陣場山方面が
大丈夫ならそれでいい。

 前方の立木の影に白っぽい物が動いていた。何だろうと一瞬ストックを持つ手に力が入り、歩く速度も遅くなった。
どうやら人間のようだと分かったとき木陰から出てきた人は、歳の頃なら30代、普段着姿で靴は運動靴、ザックは柔らかそうな
布製ザックで山用ではなさそうだ。木陰にいたのは立木に目印の紐を結んでいたので隠れていたわけではない。
後方を見たが連れは居なそうだ。「こんにちは」 と挨拶を交わし行先を尋ねると浜石だと言い、「この山は結構厳しいですね」
言う。私が「凄いですね、こんな所を一人で歩くなんて」 と感心すると「冒険と言うかチャレンジをしてみたくて来てみた。」 と言う。
と云っても先のことは心配してないのか、浜石までどの位かかるかも、道の状態も聞かれなかった。
山で会う単独の女性の多くは、私の格好より本格的で、如何にも山をやってますと云った感じの人が多いが、この女性の格好は
それこそ家の近くを歩いているような姿だった。
この人が本格的に山を歩きだせば、すぐに山ガール、いや恰好だけではない“山おんな”になりそうな感じがした。

 
                のろし台跡                           陣場山標識

 「武田信玄の駿河進攻に際して、久能城から武田の本陣へ狼煙で情報伝達を行うため、標高640mのここ陣場山に砦を築き
久能城-陣場山-身延山と結び、駿河の情報を数刻後に甲斐に伝わるようにした。そのためこの一線を結ぶ下のには煙を
出す事を禁じ、それを犯した者は厳罰に処した」
と狼煙台の石碑にはそんな事が記されていた。

 ただ現在の陣場山は杉林の中の小高い場所で、景色は一切は見えず、どちらが久能城か身延山か分からない状態だ。
それに途中には狼煙を遮る山もあるだろうし、ここから身延山までの直線距離は30kmを越している。例え見通しが利いたとしても
狼煙の煙が見えたとは思えない。きっと間には幾つかの狼煙台があったのだと思う。

 
              廃屋(休憩所跡?)                     廃道

 途中に倒壊している小屋があったが、農作業小屋にしては辺りには山林ばかりで畑など見当たらない。なんの小屋なのか
不思議だったが、後で見た登山口の案内板に休憩所とあったので、多分これが休憩所跡なのだろう。
しかし案内板には小屋の横に案内看板とも書いてあったが、それは見当たらなかった。

 道を下って行くと左沢方向を指して 「道路崩壊通行禁止」 とか 「浜石岳 ⇒ × 行けませんとか 「落居の段 いけません」
などの表示がある。どうやら以前は陣場山経由だけでなく、別の浜石岳に登るコースがあったようだ。
最後にあったそのコースの入口らしき所には 「浜石岳登山の皆さんへ この先道路崩壊のため浜石岳登山の方は、陣場山を
経由して登ってください」
とあった。踏み跡は今も残っているが、最近歩いた形跡はない。

       

  

 こんな物もあったが、この道も朝歩いた薩埵峠から浜石岳への稜線と同じで景色は一切見えません。
ただ静かな道であることは間違いないので、浜石からの下りで車道歩きが嫌な人には向いていると思います。

        
                やっと農道への標識があった                   ミカンの木(後ろは浜石岳の稜線)

 案内板に番古1.5kmと番古(近道)1.4kmと書いてある。100mの違いなら正規の道を行こうかと思ったが、そちらは急に道が
細くなりザワザワした感じになっている。一方近道の方は下り坂で、細いながらも舗装された道になっていて周りはミカン畑だった。
これを見て正規な道なんて事はすぐ忘れ近道を下ってしまった。
細い道は自然と農道になり、さらにその下で別の農道に合流した。さっきミカン畑の上の標識は直進する方向が番古に行く正規の
道だったので、合流した所を右折しようとしたが、草の中の案内板に気が付いた。
フー良かった! 番古への道は右折の下る道ではなく、左折の少し登りの道だった。危ない、危ない。

            
                               阿津羅沢コース案内板

 20m程でまた農道は合流するが、そこにはいま歩いて来た道の分かりやすい案内板が建っていた。
歩いた登山道は 「阿津羅沢(あつらざわ)コース」 とあり、途中には休憩所と案内看板の表示がある。だが実際には休憩所も
案内看板も無かったが、きっと倒壊していた小屋が休憩所だったのだろう。
更に上には654mの陣場山の表記もある。確か狼煙台の石碑には640mとあったが細かい事は言いっこ無しだ。
でもやはり気になって調べてみると、地理院の地形図には654mのピークの記載があるが、登山道はそこを通らず沢を辿る
道になっていた。(前回アップした概略図も間違っていたので訂正しておきました)

     
   阿津羅沢コースは進入禁止に         崩壊している阿津羅沢           倒木が吊橋に(通りません)

 案内板の近くにこんな標識もある。貼紙は 「阿津羅沢コースは通行できません」 と書いてある。
私が歩いて来た道は大きな案内板によれば阿津羅沢コースに間違いはない。だがこの標識だと阿津羅沢コースは通行禁止に。
これは役所が通行禁止表示の撤去漏れかとも思えるが、イヤイヤそうではなく、ここの登山道は以前は沢に沿った道だったが
それが崩壊などで通行不能となり、陣場山経由の尾根に新しい登山道を付けたのではないか。その時コース名を 「阿津羅沢
尾根コース」
とでもしておけば良かったが、従来の 「阿津羅沢コース」 をそのまま使ったので若干の混乱を招いたのだろう。
尤もこんな疑問を感じるのは私のようなヘソ曲りだけだろうが。

 阿津羅沢は中々の暴れ川のようで、崩壊ヶ所が彼方此方にある。中でも圧巻なのは崩れて表面に現れたのが赤土ではなく
岩壁になっている所だ。私の歩いているこの辺りの低山では、こんな岩壁を見る事は少ない。しかも沢には岩床や大きな石が
ゴロゴロしているのを見ると、浜石岳は岩山かと思いたくなる。
途中に掛かっていた吊橋に倒木が寄りかかっていた。幸い渡る吊橋でなくて良かったが、若しここを渡らなければならないなら
どうしただろうか。

     
            桑の実                 阿津羅沢2号橋               コース案内

 農道が阿津羅沢と興津川を渡ると旧2号線の身延街道に出合った。その合流部には阿津羅沢コースの案内板がある。
そうかコース名を変更するといろいろ面倒な事が増えるのだろう。

薩埵峠から浜石岳

2015-05-19 16:59:25 | 低山歩き
歩行記録                                                          H27-5-17(日)
歩行時間:7時間35分   休憩時間:1時間05分   延時間:8時間40分
出発時刻:7時00分     到着時刻:15時40分
歩  数: 40、328歩(推定距離36.3km)    GPS距離35.1km
行程表
 興津駅 0:50> 薩埵峠 2:15> 送電線展望所 0:45> 浜石岳 0:25> 下町屋分岐 0:25> 陣場山(狼煙台) 0:40>
 番古農道出合 0:25> 下町屋バス停 0:30> 立花吊橋 0:35> 承元寺緑地 0:45> 興津駅

                                 浜石岳観歩記
 
                訂正前                                    訂正後
 富士山ビューの浜石岳に、この時期に登るのも何だけど久し振りに行ってきました。
コースは薩埵峠から浜石に登るのは定番だが、そこから先はいつも迷ってしまう。同じ道を往復するのは勿論いやだし、野外
センターから由比に戻るでは、態々弁当持ちで電車に乗って来た甲斐がない。
かと言って銚子口の滝から由比のコースは滝自体は良いのだが、車が結構走っている長い車道歩きは気が進まない。
滝からさらに足を延ばし大丸山や大平山、野田山に行くのも良いが2回歩いたが余り面白かったイメージがない。
色々考えていて、浜石を東に下って林道に出た所に、まだ歩いた事のない道に道標があった事を思い出した。
早速過去の写真を調べてみると、有りました。
蒲原ライオンズクラブで建ててくれた 「東海・静清庵自然歩道」 の標識の写真が。
これでコースは浜石から陣場山-下町屋-興津川遊歩道-興津駅に決定。
時間の概略は、興津駅-薩埵峠が1時間、薩埵峠-浜石が3時間で昼飯。浜石-下町屋で1時間、後は興津駅まで3時間で
計8時間コース。これなら興津駅に4時までに帰れそうだ。
全然根拠のないデータだが、その位で歩きたいと云う願望も含んだ時間だった。

          
                薩埵峠                                 登山道入口
              薩埵峠の場所
 昼飯を浜石岳とすると余り早い出発も考えもので、4時間で登れるなら8時発でも良いが、1時間の余裕をみて興津駅を7時
出発とした。天気は相変わらず遠くは見えなくて、富士山は勿論、駿河湾越しの伊豆半島すら見えなかった。
それでも薩埵峠に来たなら、この写真は欠かせないと、お馴染みの写真を写す。

 薩埵峠から浜石への登山口は、峠から東に2本伸びている農道の上に登る道で、下る道は旧東海道で由比宿に行く道だ。
薩埵峠から約10分も農道を行くと、左(山)側に案内図と朽ちて見えない標識があるので、そこの階段を登れば山道になる。

   
                                 稜線から見えた景色

 薩埵峠や浜石岳からの眺めは良いのだが、この間を結ぶ稜線からの眺めは良くない。また林の中の道だけで腰を下ろして
休憩する場所も少なく、送電線の鉄塔下の空き地だけが手頃な休憩場所と云った感じだ。
上の3枚目の写真は、山道に 「展望所」 と案内されている場所だが、休むには良いが展望は・・・・・

 分岐は結構あるが、その大部分は送電線の点検路で、黄色の小さな標識が有るので入り込む恐れはない。
ただ気を付けたいのは、2個目の立花池分岐から10分程いった広い林の中の道で、沢状の凹んだ所と、その左に踏み跡が
付いている。左の踏み跡を行けば問題ないが、凹んだ踏み跡を歩き、凹みから出た所で右を見ると、目印のテープや踏み跡が
付いているので、そちらに向かって歩きたくなる。
最初ここを歩いた時に、その道に入り込んでしまい、少し行ってから不自然に感じて引返した事がある。どこに続いている道か
分からないが、左の道を行けばすぐ標識があるので安心して歩けます。

 
            山頂直下のツツジ                                浜石岳

 そうそうこの稜線は 「東海自然歩道バイパスコース」 に指定されているため、歩行時間を書いた標識が各所に建っていたので
その時間と私の歩いた時間を比較してみました。

 興津駅 1:40(4.2k)> 薩埵峠 1:18(2.1k)>  標識 0:02(0.1k)> 標識 0:05(0.2k)> 標識 0:30(1.1k)> 承元寺分岐
       0:50           0:39           0:04          0:12          0:11

 0:15(0.4k)> 標識 1:00(2.4k)> 標識 0:02(0.1k)> 標識 0:43(1.5k)> 但沼分岐 0:40(1.1k)> センタ分岐 0:05(0.4k)>
 0:17          0:26          0:01          0:28             0:28              0:06

 標識 0:20(0.6k)>  浜石山頂 ⇒  計400分 6時間40分(14.2km)
     0:08              ⇒  計230分 3時間50分+休憩20分

 上段黒字が標識から算出した時間と距離で、下段青字が私の歩いた時間です。
標識と実際の歩行時間とは随分違いがあるが、歩いている時は前の標識の数値は覚えていないので目安にはなるでしょう。
因みに興津駅から浜石岳山頂までの距離はGPS距離計で8.7km、歩数換算で9.1kmでした。

途中ですれ違ったのは2組の夫婦連れだけだったが、山頂では15人ほどの人が休憩していた。
山名表示を入れた写真を撮りたかったが、人がたむろしていて写せませんでした。

駅からダイラボウ

2015-05-14 12:12:55 | ウォーキング
歩行記録                                                          H27-5-10(日)
歩行時間:8時間45分   休憩時間:1時間15分   延時間:10時間00分
出発時刻:6時00分     到着時刻:16時00分
歩  数: 40、328歩(推定距離36.3km)    GPS距離35.1km
行程表
 安倍川駅 1:00> 藁科川国1BP 0:35> 産女観音 0:50> 新東名下 0:40> 富厚里公民館 1:15> ダイラボウ
 0:40> 西又峠 0:45> 新東名下 1:00> 牧ヶ谷 0:35> 歓昌院坂峠 0:40> 丁字屋 0:45> 安倍川駅

                              ダイラボウ観歩記
  

 昨年の12月に初めてダイラボウに登った時、山頂の伐採地にツツジや花木が植えられているのを見て春にまた来ようと思った。
少し時期が遅くなったが、今ならまだ花が残っているのではと出かけてきました。
 コースは安倍川駅から藁科川を遡り、富厚里集落から富厚里峠経由でダイラボウに登り、帰りは西又峠から岡部の殿に下り、
朝比奈川沿いに焼津駅に戻るコースとしました。距離は大よそ40km位と思われます。

 
                  舟山                                 木枯しの森

 安倍川駅から富士山が見えなかったので、富士山ビューの丸山花木展望台はパスして安倍川の堤防に直進する。
古東海道の安倍川渡渉の中継点でもあったとされる舟山と、万葉の枕詞で有名な木枯しの森の写真を写し、並べてみると
今迄思っていたのと違っていた。今までは有名な木枯しの森の方が何となく大きいと思っていたが、こうしてみると舟山の方が
大きそうだ。舟山は名前の如く川に沿って細長く平たいが、木枯しの森の方はいかにも森のように、こんもり丸く纏まっていた。

 
               産女観音                               新東名とダイラボウ
            産女観音の場所 

 木枯しの森から上は初めて歩く道なので、何か面白い物がないかと注意して歩くが、特に目につく物なかった。
そこで 「産女観世音道」 の道標に誘われて、少し遠回りになるが産女観音に寄って行く事に。
 産女観音は、正式名を 「産女山 正信院」 という曹洞宗の寺で、産女観音の謂れを寺のHPに紹介してあった。

 「今川義元が桶狭間で織田信長に敗れた後、あとを継いだ義元の子の氏真も四方から攻められ、ついに、武田晴信によって、
領土を奪われ、藁科渓谷を志太郡徳山村の山中へと逃げてきました。その従者の中に臨月の妻を伴った武士がいました。
妻が正信院近くで産気づいたが、ひどい難産で、とうとう出産できずに亡くなってしまいました。
 武士は妻を手厚く葬ったが、成仏できなかったとみえ、夜な夜な、幻となって村をさまよい歩きました。村人は哀れに思い、
どうしたら良いか尋ねると 「夫のカブトの内側に、千手観音を秘めてございます。その御仏を祀ってください。」 といいました。
 そこで村人は千手観音を見つけだし、正信院に納め、女性のために祈ってやりますと、女性の幻があらわれ、「私を山神として
祠をお建てくだされば、この村をお守りします。」
といいますので、村人は近くにお宮を建て、産女大明神としてお祀りしました。
以後、村ではお産で苦しむ者がいなくなったので、村の名を産女村、寺の山号も「産女山」と呼ぶようになりました。」


 こういうのを読むとすぐ突っ込みたくなるのが私の悪い癖。
氏真が武田勢に追われて逃げた先が 「志太郡徳山村」 とあるが、歴史上氏真が逃げたのは掛川城とされている。
さらに駿府から掛川の間には、武田勢に攻略されていない丸子城、諏訪原城などが点在しているので、山中を逃げる必要は
なかったはずだ。それに徳山村って先日大札山に登った時にあった、駿河徳山の事なのか? それにしては山の中過ぎる。
おまけにもう一つ。そんなにご利益のある観音さんなのに、妻の祈りは聴いてやらなかったのかな?

掃き清められた境内で参拝をしただけで、元の南藁科街道に戻る。

 新東名の上にダイラボウが見えてきた。山頂部分の伐採跡にツツジが咲いている筈だが、ここからは分からなかった。
藁科川を渡る新東名の橋も、高速道路の下段に一般道が設けられていて、車道と歩道が設置されていた。
 さて、そろそろ帰りに下る西又峠の入口が有る筈なので、道路標識を注意して行こう。

 
               富厚里の案内板                     富厚里公民館
             富厚里公民館の場所
 「ここは富厚里(ふごうり) だいらぼうのふもと 山田長政の生誕地」
確か静岡の浅間神社仲見世通りに 「山田長政生家」 の石碑があったと思ったが、マーいいだろう。
それより西又峠の入口の道を見落としてしまった。あの道は県道なのだから標識は出ていると思うが、変だな?

 左に分岐している所に 「富厚里公民館」 の小さな案内があった。今度行く場所は富厚里峠だが、さっきは西又峠の入口を
見落としてしまった。今度見落とすとダイラボウに行く着く事ができないので気を付けないと、と分岐した道を覗き込むと老人が
壁に寄り掛かって日向ぼっこをしていた。
「ダイラボウに行くには、この道でいいですか」 と聞くと
「そこの公民館の横に市の体育振興課が建ててくれた便所があるから、済ませて行けばいい」
便所は兎も角、道を聞きたいのだが、ともう一度訪ねると
「ここが登山口だから、この道を真っすぐ行けばいい」  アー良かった。

 
                    山藤                            富厚里集落が見える

 正面の山の右手には紅白の送電線の鉄塔が見えている。この鉄塔は先ほど新東名辺りから見えていたが山頂にある鉄塔に
間違いない。それは間違いないのだが、どうもこの道は県道の富厚里峠に行く道ではなさそうだ。
道路の表面は、余り車が走っていないような縞模様がついている。それに前回登った記憶では富厚里峠は山頂から北に下ったが
この道は北ではなく東から直接山頂を目指しているようにみえる。
どうやら道の聞き方が悪かったようだ。 「 厚里峠へ行く道は何処ですか」 と聞けば良かったのだろう。
ハイキングコースの標識もない所を見ると、この道は裏道なのだろうが、それならそれでもいいや。県道よりこの農道の方が
のんびり歩けるし、鞍部を行く峠道より景色も良さそうだ。

  
          農道終点                 山頂の周回道                藁科川の新東名

 矢張り県道ではなかった。農道の終点に出てしまった。でもここで一安心、農道終点地点に今日最初の標識が有った。
山道に入ると所々に標識があり迷う事はない。これで公民館近くに標識が有れば更に良いのだが。

 山頂部分の伐採地に出た。しかし期待していたツツジの花は全然見えなかった。遅すぎる? いや雑草に負けてしまって
ツツジの存在すらわからない。目に付いたのは、大きき葉を拡げたタラの木で、これなら4月上旬に来るべきだったと反省。
2本目の周回道路を北に向かい、北側の伐採地の様子を見に行った。だがこちらも所々にツツジが咲いているだけで、
わざわざ見に来る価値はなかった。
花だけでなく、景色もこの時期特有の霞が掛かった状態で、当然富士山も見えなかった。

  
       パラグライダー 出発                  離陸                    飛翔

 しかし神は見捨てるだけでなく、憐れみも示してくれたのか、ダイラボウ上空にはパラグライダーが何機も浮かんでいて、
近寄ったり離れたりを繰り返している。
山頂はパラグライダーの関係者と思われる人で賑わっていて、パラシュート(?)を引きずりながら、離陸を待つパイロットの
姿もあった。上空に浮かぶパラグライダーは何度も見た事があるが、飛び立つ瞬間は見た事がないなので昼飯を食べながら
眺める事にした。

 パイロットは斜面が傾斜になる5m程程の所に立ち、後ろにはパラシュート部分を地面の上に広げてある。吹流しで風の向きや
強さを見ながら後方に合図をすると、パラシュートの後ろに立っていた補助者がパラシュートの一部を持ち立ち上がる。
風を受けたパラシュートが膨らみ始め、パイロットが前に数歩助走をするとパラシュートは大きく真上に広がる。斜面部分で
パイロットが腰かけるように足を上げると、一瞬ガクンと機体が降下したあと、上空に引き上げられるように上昇していった。

 音が伴わないのであっけない離陸だが、実際にやれば怖いだろう。特に足を上げた時に、ガクンと機体が降下する時が
一番怖そうだ。あれが数歩の助走で自然に上空に持ち上げられるのなら怖さは半減しそうだが。
パイロットは背中に大きな荷物を背負っているがパラシュートだろうか、関係者らしき人に聞くと、着地の際、背骨を保護する
為のエアーマットが入っているのだそうだ。
 時折無線で 「高度1300m」 とか 「藁科川右岸の河原に着陸しました」 など連絡を取り合っていた。

         
       上空に小さくパラグライダー                     ラジコングライダーの離陸

 パラグライダーが景色の代りならラジコンは花の代りだろうか。小人の置物を境に趣味の世界が違っていた。
何機か地上の上に置いてある模型飛行機をみると、いかにもグライダーらしく胴体が細長いものや、操縦席部分が太くなった
機体もある。
ただそのいずれの機体もプロペラが付いていなかった。グライダーなのかと思いよく見ると、機首部分にゴムでできたような
細長い物が付いていた。理解できずラジコンを操作していた人に尋ねると 「補助のプロペラです」 と教えてくれた。
理解したわけではないが離陸の様子を見ていると、プロペラは回っているようには見えず、エンジン音も聞こえなかった。
ただ飛行機が近づくと風切音だけとは思えない音がするので、プロペラは回っているのかもしれない。
離陸は人の手を借りることは分かったが、着陸はどうやるのか興味があったが、山頂に着いて時間が大分過ぎてしまった。
そろそろ出発しないとゴール時間が遅くなる。

 パラグライダーとラジコン飛行機と2種類の飛行物体を一ヶ所で楽しむ事が出来たが、少々気になる事がある。
同じ飛行地域で速度や大きさが違うものが飛んでいて危険ではないだろうか。
今日はラジコン側がパラグライダーを注意しながら飛ばしていたが、若し操縦ミスや操縦不能になったらどうなるか。
そう最近のドローンの騒ぎに見られるように、操縦不能になったラジコンがパラグライダーに接触してしまったら・・・・・・・
ドローンですか? ドローンはありませんでした。

 
                    西又峠からの県道で見かけた名も知らぬ花

 半年前に登ったばかりなのに西又峠の入口が分からなくなってしまった。
結局入口は農道の終点にあり、そこにはしっかりした標識が有った。ただ標識までの道が分かりにくいので、もう少し
丁寧な案内がないと初めて来た人は迷ってしまうだろう。

 西又峠に向かいながら帰り道のルートで悩みだした。予定では峠から岡部の殿に下り、朝比奈川沿いに焼津に帰る予定だった。
だが、今朝来る時に藁科川から西又峠に入る道を確認できなかったので、その場所を確認したい気持ちがある。
迷った結果は西又峠の入口を確認しておこうと藁科川に下る事にした。その後は朝と同じ道になるけど、それは後で悩めばいい。

 藁科川側から西又峠の入口は分かりました。西又峠からテクテク歩いて出た場所は、何と何と新東名静岡SAの入口の道だった。
だが道路標識はSAの事だけで西又峠や岡部の案内は何も無い。そんな馬鹿な! 西又峠だって県道ではないか。県道から県道へ
分岐するなら標識はあって然るべきだ。 自分が事前に確認してこなかった事を棚に上げて腹を立ててしまった。
因みに岡部側の西又峠の入口には 「小瀬戸」 とSAの付近の標識がある。

 大崩山塊の徳願寺の尾根らしき山並みを見ながら、駿河峰や大鈩山、飯間山から藁科川へ下る道を確認してなかった事を
後悔した。いま1本でもそれらの道を知っていれば山越えをして安倍川駅に帰れるものを。

    
                 牧ヶ谷観音堂                              歓昌院坂

 木枯しの森のある牧ヶ谷まで戻り流石同じ道に飽きてきたので、ここから徳願寺尾根の歓昌院坂を越えて、丸子川経由で
安倍川駅に戻る事にした。
「歓昌院坂」 とは中々良いネーミングだが、この道は旧東海道の丸子宿と木枯しの森で名高い牧ヶ谷を繋ぐ古道です。
江戸時代安倍川が増水して川止めになると、先を急ぐ旅人はこの坂を越えて、藁科川と安倍川が合流する手前に出て、そこから
それぞれの川を渡ったと云われています。
いま歩くと牧ヶ谷側の道はそれなりに趣のある山道だが、丸子側は林の中の詰まらない道になっている。そこで今日は山道を
下らず農道を下る事にしたのだが、これがマー遠回りの上に登り坂まであって、疲れと暑さでバテ気味の身には大変な道だった。

        
               歓昌院                      小さな羅漢さん

 駿河一国33観音13番札所・天柱山歓昌院から国道1号線に出るまでの道端には、とろろ汁で有名な待月楼や千手観音堂、
小さな美術館、蜂蜜屋、吐月峰柴屋寺、駿府匠宿などがあり、そぞろ歩きするには適した道だ。これで歓昌院辺りにもっと見る
べき物があれば、隣の大鈩お不動さんより人気のスポットになりそうだ。

          
               道標                                丁字屋

 国道を渡り丸子川の遊歩道に入る所で 「梅わかな 丸子の宿の とろろ汁」 で有名な丁字屋の写真を写したら、後は歩き
慣れた遊歩道を安倍川駅まで歩けばよい。

大札山・蕎麦粒山 3

2015-05-12 11:57:35 | 低山歩き
歩行記録                                                          H27-5-6(水)
歩行時間:7時間10分   休憩時間:1時間20分   延時間:8時間30分
出発時刻:6時30分     到着時刻:15時00分
歩  数: 23、787歩(推定距離17.9km)    GPS距離13.9km
行程表
 樅の木平 1:15> 徳山駅分岐 0:30> 大札山 1:00> 大札山北尾根登山口 0:15> 蕎麦粒山南尾根登山口 1:50> 蕎麦粒山
 0:25> 山犬段 0:40> 蕎麦粒山南尾根登山口 0:10> 大札山北尾根登山口 0:20> 大札山駐車場 0:45> 樅の木平

                            蕎麦粒林道&南赤石林道観歩記
 
       山犬段からの大札山(ここも双耳峰か)                      蕎麦粒山の南尾根

 山犬段の案内板に標高が1404mとある。となると大札山の1374mより高い事になるが、山犬段から見た感じでは大札山の
方が高く見えた。目の錯覚なのだろうか?
しかもここから見ると大札山も双耳峰になっていて、三角点側でない北(右)の峰の方が高く見える。
今日歩いた感じでは三角点からの北尾根は下り気味の道だったと思うが・・・・
逆に蕎麦粒山は、ここから見ると双耳峰には見えない。見る位置により違く見える事はあるが、では地形図はどうなっているか。

 

 地図上では大札山の三角点は1374mで、北側のピークは1380mある。6mの差しかないが間違いなく双耳峰だ。
蕎麦粒山も三角点は1628mで南のピ-クは1543m。これだって双耳峰だと思うのだが・・・・
それとも二つのピ-クに行くまでに、小さなピークがあると双耳峰とは呼ばないのか?  双耳峰の定義を調べてみると
「2つの顕著なピークを持つ山」 と云った感じでしか出ていない。要は誰かが “あの山は双耳峰だ” と言い出せば双耳峰に
なるのかもしれないな。それなら大札山も蕎麦粒山も双耳峰だ。と云う事にしておこう。

 ところで蕎麦粒山の語源について 「蕎麦の実のように尖っているから」 と紹介してある物もあったが、山犬段からはとても
尖っているようには見えなかった。どこから見て蕎麦のように尖って見えたのだろう?

 
             宙に浮いたガードレール                       すでに落石で満杯だ

 山犬段からの林道は無舗装だが幅員が4.6mもあり、他ではあまり見る事がない太い林道だ。これだけの幅があれば擦違いも
支障は無いと思うが、やはりそこは林道なのでそうもいかない。
山側には落ちた石が溜まっていたり、落石除けネットが満杯になっていたりする。谷側もガードレールが宙に浮いている場所も
あるので、どうしたって車は道の中央を走りたくなる。尤も擦違う場所は十分にあるので特に支障もないが。

          
                  乗車式モノラック                          モノラックのレール

 道脇に面白い物を見つけた。山間部の茶畑やミカン畑でよく見かけるモノラックだった。勿論こんな山の中に畑など有るわけは
ないので、乗せるのは収穫物ではなく人間だ。
写真のモノラックは4人用だが、他にも1人+荷物用や3人用など色々あり、どのモノラックも座席は谷側を背にしていた。
遊園地のジェットコースターなら下る側を見せて恐怖感を煽るのだろうが、ここでは逆に恐怖感を感じさせないようにしているのか。
モノラックのレールを写すために谷を覗き込んだが・・・・ とても駄目。レールが傾斜し始めた所しか写せなかった。
これでは例え谷側を背にした、ここのモノラックでも乗る勇気は湧いてこない。若し、若しもと考えただけでちびりそうになる。

 タイミングよく上に向かうレールがあったので写真を写す事ができた。写真の緑の部分の傾斜はまだ良いが、その上の岩場は
垂直とは云わないが傾斜角度は75度以上ありそうだ。ヤダ!ヤダ! とても乗る気にはなれない。

 ところで以前農家の人に、農業用モノラックは人の乗車は禁じられていると聞いた事があるが(何度も人が乗っているのを見た
事はあるが)、ここのモノラックは座席までついている乗車式だ。良いのだろうか?
調べてみるとモノラックには、初めから荷物運搬用とか乗員用、乗員+荷物用などが販売されていた。してみると人が乗る事を
禁じているわけではないようだ。農家の人の言ったのは、荷物専用には乗っては駄目と云う事だろう。
今迄見たモノラックは、座席が付いている物は見た事はないので、みんな荷物専用だったのだろう。
   
           水場                                横臥褶曲

 持っている水は生暖かくなっているのであまり美味しくない。それでも体の事を考え飲むようにしているのだが、1日で
350mlのペットボトル1本あれば事足りる。冬場等はそれさえ半分は残っている状態だ。
ところが無料で冷たい水が飲めると(宇津ノ谷道の駅)ガブガブ飲んでしまうので、水が嫌いでもなさそうだ。
この水場でもそうだった。ここで水を存分に飲んでしまったので、その後は必要なく、水は大分残ってしまった。

 「横臥褶曲(おうがしゅうきょく)」 横臥は横たわる事だとは分かるが、褶曲はねじ曲がっている事か?
調べてみたが 「褶曲作用が極度に進み,褶曲の軸面が傾いてほとんど水平に近づいたもの」 。これではもっと分からない。
ではこれではどうだ。
「横臥褶曲とは、地層が地殻変動で波状に押し曲げられ、水平状態にまでなっている地層」 の事だそうだ。
これでも水平状態の意味が理解できないが、写真の地形に丁度良い説明図があったので添付します。
要はここの地形は、下からの圧力で地層がΩ状になった横臥褶曲と云う事らしい。横臥褶曲は理解できなかったが説明図と
地形は一致しているのでヨシ!としておこう。これ以上は私の頭で理解するのは無理だ。

         
                       崩壊跡                              崩壊修復

 写真に白く写っている個所が崩壊現場ですが、その殆どが林道周辺に発生しています。案内板には
「崩壊地を森林に復旧し、災害のない緑豊かで安全な流域を実現するため、治山工事を行っています。」 とあるが、この崩壊跡を
見ると、林道を造ったために崩壊が進んだのではないかと思えてくる。

 
                 元の擁壁?                              枕状溶岩

 大札山の北尾根登山口を過ぎると何故か足が重く速度が遅くなった。疲れが出た?イエイエ違います。今まで下り坂だった道が
少しだったが登り傾斜になったのです。イエイエと言ったが、矢張り疲れて来ていて少しの上りでも歩く速度は落ちてしまうのだ。
更に先程までは太陽は蕎麦粒山の尾根に隠されていたが、ここからは西が開け太陽が射しこんできて暑さも増してきた。
見える景色も当然変わってきたが、所詮は知らない山ばかりで余り興味も湧かなかった。

 そんなとき谷側にコンクリの壁の残骸が見えた。きっと道路の擁壁の残骸だろうが、以前はあの位置まで道があったという事か。
それが崩壊して擁壁の一部だけ残っているのだろう。当然道は山側を削り広くしただろうが、今度は山側の崩壊が心配になる。
こんな場所は所詮は崩壊・補修のイタチゴッコになるのだろう。

 また小さな案内板があり 「枕状溶岩」 と書かれていた。枕状溶岩は大崩山塊でもお馴染みの溶岩だが、この枕状溶岩は
「溶岩が水中で急冷固結したため、溶岩が積み重り、俵や枕が積み重なったように見える溶岩」 です。
大崩山塊の溶岩は海底火山の噴火によりできたと説明されているが、ここの枕状溶岩は何の水で冷やされたのだろう?
かってこの辺りは海だったのか、それとも大井川の川底だったのか。何れにして1000m以上は隆起したことになる。
辺りに貝や魚の化石がないか目を向けたが、当然そんな僥倖は無かった。

          
                 大札山肩登山口トイレ&駐車場                      林道南赤石線

 山犬段から大札山駐車場(肩登山口)まで1時間15分で着いた。案内板に山犬段までの距離が2.5kmとあったので、GPSを
見てみると同じ5.2kmだった。
また案内板には、南登山口(樅の木平)まで3.5kmとあるので、1時間は掛かりそうもない。となると山犬段から南登山口までは
2時間強程度で歩けることになり、想定の3時間より少し短くなる。
所詮私の想定はヤマ勘によるものなので、あてにはならないが、実際歩いた結果を加味するなら、休憩時間を含めて
樅の木平から大札山経由北登山口を3時間、北登山口-蕎麦粒山経由山犬段を3時間、そして山犬段-樅の木平の林道を
2時間半の計8時間半の行程を考えれば、誰でも歩けるだろう。早い人なら7時間ぐらいかな。

 大札山の駐車場には4台の車が停めてあったが登山者の姿は見えなかった

 林道の名称が案内板にあり、大札山部分は 「南赤石林道」 とあった。赤石山脈の南には間違いないが、余りにも漠然として
いて、聞いても場所を想定できない。この先の林道が 「林道蕎麦粒線」 なら、ここは 「林道大札山線」 の方が分かりがいい。
林道蕎麦粒線は無舗装の道路だったが南赤石林道は舗装された林道だった。

      
      大札山南尾根から沢            林道脇に咲いていた花             大札山南尾根登山口

 蕎麦粒山の尾根からは、水が流れている個所は少なかった。しかし大札山の尾根からは、細い急な沢が何本もあり、量は
少ないが水は流れていた。
その所為かどうか分からないが、林道脇には白いどこでも見かける花が咲いていた。この花は乾燥に弱いのかな?

 何台もの車が私を追抜いて行く。若し乗車を誘われたらどうしよう。断りたいが何て言って断ればいいのだ。
そんな心配をしながら歩いていたが、ここは四国ではないので接待の風習は無く、どの車からも声は掛からなかった。
尤も接待の気持ちがあっても、白髪頭の薄汚い老人には声を掛ける気にもならないだろうが。

 やっと樅の木平の南登山口が見えてきた。大札山駐車場から45分で到着。
今日は車なので乾杯は出来ない。だから車は嫌なんですよね。

大札山・蕎麦粒山 2

2015-05-09 16:06:43 | 低山歩き
歩行記録                                                          H27-5-6(水)
歩行時間:7時間10分   休憩時間:1時間20分   延時間:8時間30分
出発時刻:6時30分     到着時刻:15時00分
歩  数: 23、787歩(推定距離17.9km)    GPS距離13.9km
行程表
 樅の木平 1:15> 徳山駅分岐 0:30> 大札山 1:00> 大札山北尾根登山口 0:15> 蕎麦粒山南尾根登山口 1:50> 蕎麦粒山
 0:25> 山犬段 0:40> 蕎麦粒山南尾根登山口 0:10> 大札山北尾根登山口 0:20> 大札山駐車場 0:45> 樅の木平
                            蕎麦粒山観歩記
 
   林道蕎麦粒線起点(正面が蕎麦粒山の尾根)                          大札薙(ナギ)
         林道起点の場所
 大札山の北尾根登山口から蕎麦粒山の南尾根登山口まで林道では、800mとあるので約10分少々でいけるだろう。
この林道はここまで大札山の尾根の西側中腹を通っていたが、ここから蕎麦粒山の尾根の東側になる。案内板によれば、ここは
「林道蕎麦粒線起点」 で、山犬段までの3.5kmを幅員4.6mの無舗装林道で結んでいる。
と、なるとここから下の林道は何て云うのだろうか、 林道大札線か? 帰りに調べてみよう。

 大札薙は写真で見るより実際の方がスケールが大きく、ガードレールから下を覗きこむと○○が縮込むような感じがする。
案内板には 「大札薙は、約4haと規模が大きく、長い間大量の土砂を大井川本流に流出させるなどの原因となっていました。
平成13年から崩壊地を森林に復旧し、災害のない緑豊かで安全な流域を実現するため、治山工事を行っています。」
とあった。
しかし見た目にはこれで安定しているといった感じはなく、大雨や地震がくれば再び崩壊しそうな感じだ。しかも崩壊地を森林に
などとても夢のまた夢で、写真の絶壁もそうだが、ガードレールの下もコンクリート吹きつけて土留めをしているだけだった。
“崩壊地を森林に復旧” ではなく、“崩壊地の拡大を防いでいる” が正しい表現だろう。

 アッそうだ。さっきは大札山の北尾根を途中で林の中を下ったが、あのまま直進すると写真にある絶壁の端を歩くようです。

        
          今にも落石が・・・・           ここを登るのかな?                南尾根登山口

 上の崖を見ると浮石がゴロゴロしていて今にも落ちてきそうだ。車なら余り上は見えないしスピードもあるので怖さを感じないが
一人で歩いていると少々薄気味悪く感じる。早く通り過ぎたいが緩い傾斜なのに速度は上がらなかった。
今ここで地震が来たら・・・・・ アー神様! 暫しお待ちを。

 林道歩きは800mとあったが登り口が中々出てこない。見落としてしまったかと不安になった頃、崖が終り沢が出てきた。
ここが登山口かと標識を探すが見当たらない。踏み跡も無いようなので諦めて更に先に進む事にした。
その沢から5分ほど歩くと、ようやく蕎麦粒山南尾根登山口に出た。

 
                 カメノキ                                シロヤシオ

 林道からの斜面を10分ほど歩いて稜線に出ると、ツツジやカメノキ、シロヤシオの花が咲いていた。これは上ではもっと花が
期待できるかなと、すぐ期待を抱いてしまうが私の悪い癖。実はこの後は花には全然出会う事は無かった。勿論シロヤシオも。         

      
         後に大札山が                 険しい登り              逆さのサルノコシカケ

 稜線を歩きだし後ろを振り返ると三角形の形をした大札山が見えていた。まだ大札山の方が高そうに見えるが、こちらは最初の
ピークに、すぐ着きそうだ。やけに簡単だな?
 最初のピークを下りだすと次のピークが見えてきた。あれが北側の双耳峰? そんな!あれでは10分もあれば着きそうな距離だ。
どうやら双耳峰に見えた蕎麦粒山も、実際には小さなピークを幾つか越えて行くようだった。

 三つ目のピークだったろうか、見た目に険しそうな斜面が現れた。途中の石にはペンキで赤丸の印が付いている。
少々身構えて登りだしたが、どうと云う事はありません。比べるなら大崩山塊の朝鮮岩の上の小さな岩場より楽な感じです。
その後も黄色のワイヤを張った個所もあったが、特にワイヤの助けを借りる事無く歩けます。

 オヤ? サルノコシカケらしき物が逆さに付いているぞ、しかしあれじゃぁ腰掛にはなりそうもないが、あれでもサルノコシカケと
呼ぶのだろうか? 以前サルノコシカケには制癌作用があると言われたが、今ではどうなのだろう。
制癌と云えば逆に発癌性が有るとされているワラビだが、毎年たらふく食べている私だが今のところ異常は無い。
発癌性のワラビを食べて、制癌性のある緑茶を飲んでいるので中和されているのかもしれないな。

      
         この端を歩く                 雪の山が                 大札山が見えた

 幾つもピークを越えてきたので余り正確ではないが、五つ目のピーク辺りで大札山と高さが同じ位になった。
そして七つ目のピークの登りになると東側斜面が崩壊している場所に出た。登山道は崩壊ヶ所の外側に付いているので不安は
ないが、下を覗き込むとゾックとする。よく見れば崩壊地の中に人工の土留めが見えるが、作業はどうやったのだろう。上から
ロープを垂らしたのだろうが私にはできない。

 七つ目(?)のピークから残雪のある山が見えたが、勿論名前は分からない。
一方写真右の山は大札山とその南尾根だ。こうしてみると結構な上りだったことが分かる。
このピークは今までのピークの中で一番高く山頂も広かった。きっと双耳峰に見えた手前の峰がこれなのだろう。大札山側
から双耳峰にしか見えなかったのは、このピークが大きく、手前の小さく低いピークは同化して判断できなかったのだろう。

 
         蕎麦粒山三等三角点(1627.5m)                      蕎麦粒山山名案内板

 蕎麦粒山に11時45分到着。ここも案内板より20分余計にかかっている。大分疲れたが梶原山-竜爪に比べれるなら竜爪に
到着したぐらいか。静焼アルプスなら宇津ノ谷峠くらいの疲れだろう。だが竜爪も静焼ルプスも残りに登りが待っているが、ここは
下りだけで。しかもその殆どは林道歩きになるので楽なものだろう。
ここは引返すかどうかの判断地点だが当然前に進む。仮に戻るとしても今登ってきた道を下る気にはなれない。遠回りでも先に
進んで山犬段から林道歩きの方が楽そうだ。

 蕎麦粒山の三角点を見て驚いた。
実は事前調査で地理院の地図を見ていて、尺度が大きい時に静岡県中部で山名表示がでるのは、ここ蕎麦粒山と八光山、竜爪
の3ヶ所だった。そして八光山と竜爪は一等三角点だったので、当然蕎麦粒山も一等三角点だと思っていた。
ところが現地に来てみると、何と何と三等三角点で、大札山の等級より下だった。

一体地理院の山名表示はどういう基準で表示しているのだろうか、不思議だ。
更に気が付いたのは三角点の 「角」 の字と 「点」 の字が変わった字体で書かれている事だ。
この標石も新しいそうに見えるが、大札山で見た新し三角点とは明らかに違った字体だった。

 大札山と比べ天候は回復して東の方向も見えるようになった。だが富士山と書かれた方向は白い雲で覆われていた。

 
              蕎麦粒山山頂広場                               山頂の白樺

 山頂は広場になっていて昼飯を食べるにはもってこいの場所だった。
木の枝先には柔らかそうな薄緑の葉を付けている物が多いが、何故か白樺の木のみが一枚の葉も付いていない。
だが白樺の白い幹や枝が太陽に輝いているのを見ていると、気持ちも明るくなってくる(後は下りだけだからかもしれないが)。

 昼飯を食べていると私と同じ年頃の夫婦が山犬段から登ってきた。今日最初に出会った人だがアカヤシオには遅く、シロヤシオ
には早い端境期なので登山者が少ないのだろう。そうそうシロヤシオは山頂付近にも1本も咲いていませんでした。

           
             山犬段への道                           黒法師岳?

 山犬段への下り道は今登ってきた道の数倍もある広さで、これなら間違いようもない道だった。
道の左側には三角形の黒法師岳らしき山が随分近くに見えていた。

 
               山犬段                                 山犬段宿泊所

 広いだけで余り面白味のない道を25分歩いて山犬段に到着。時間は12時40分
私の想定ではここまでに6時間かかる予定だったが10分余計に掛かっている。山頂で休憩時間が長すぎたのだろう。
だがここからは下りの林道歩き。楽なものだ。

 山犬段には車が17台停まっていた。結構な数だが山で人に会わなかったのは時間が時間だからだろう。出発するには
遅すぎるし、帰りにしては早すぎる。これも端境期かな。

 山犬段の宿泊所は清潔でかつ広かった。これなら下手な有人の山小屋より居心地は良さそうだ。

                

 案内板によれば 「ゴヨウツツジ(シロヤシオ) 皇太子ご夫妻のお子さま、敬宮愛子さもの身の回りの品に付けるお印の花です。
5月中旬~6月中旬にかけて大札山~蕎麦粒山奥の尾根筋に多く開花します。」

確かに艶やかなアカヤシオより、花弁が少し閉じ気味で白い花の方が奥ゆかしく感じられる。お印のデザインがどんなものか
見たかったが探しきれなかった。
ところでシロヤシオは五葉躑躅とあるので葉の数は5枚と分かるし、ネットの写真でも確認できた。ではアカヤシオの葉は何枚なのか。
昨年写したアカヤシオの花を確認したが、花ばかりで葉は細い葉が見えるだけだった。ネットでも確認したが、葉の事にふれている
記事や写真は見当たらない。ヨシ! 来年の宿題にしよう。

大札山・蕎麦粒山

2015-05-08 09:30:40 | 低山歩き
歩行記録                                                          H27-5-6(水)
歩行時間:7時間10分   休憩時間:1時間20分   延時間:8時間30分
出発時刻:6時30分     到着時刻:15時00分
歩  数: 23、787歩(推定距離17.9km)    GPS距離13.9km
行程表
 樅の木平 1:15> 徳山駅分岐 0:30> 大札山 1:00> 大札山北尾根登山口 0:15> 蕎麦粒山南尾根登山口 1:50> 蕎麦粒山
 0:25> 山犬段 0:40> 蕎麦粒山南尾根登山口 0:10> 大札山北尾根登山口 0:20> 大札山駐車場 0:45> 樅の木平

行程表(案内板から)
 樅の木平 1:40> 大札山 0:50> 大札山北尾根登山口 (0:15)> 蕎麦粒山南尾根登山口 1:30> 蕎麦粒山 0:25>
 山犬段 (0:40)> 蕎麦粒山南尾根登山口 0:10> 大札山北尾根登山口 0:20> 大札山駐車場 1:10> 樅の木平
 ※( )内は案内が無いため私の歩行時間を記入した
歩行時間 7時間
 殆ど変わらない歩行時間になったが、私が案内より早く歩いたのは、最後の大札山駐車場から樅の木平の25分短縮のみだった。

 蕨採り等に気を取られ大札山のアカヤシオの事をすっかり忘れていた。去年大札山でアカヤシオを堪能したのが5月2日だっだ
ので既に遅きに失したが、花が駄目でも初めての南尾根登山口(樅の木平)から大札山を歩く事にした。
だがそれだけだと少し短すぎると、駄目元で蕎麦粒山まで足のを延ばすコースを考えた。
 樅の木平 2時間> 大札山 1時間> 大札山北尾根登山口 2時間> 蕎麦粒山 1時間> 山犬段 3時間> 樅の木平
休憩昼飯込みで計9時間。朝7時に歩き出せば4時は戻れるし、山犬段からの帰りは太い林道歩きなので少しは遅くなっても
不安はない。ただ途中で引返す判断は北尾根口と蕎麦粒山でやればいいと出発した。
       
                         大札山観歩記
 
      樅の木平林道分岐(正面が尾根の始まり)                      南尾根登山口
             樅の木平の場所
 出発時間は少しでも早い方が良いと家を5時に出て樅の木平に6時20分に着いた。
樅の木平は林道の分岐点で、その真ん中から大札山に続く南北の尾根が始まっている。ここには道の隅に車を数台駐車する
余地があるがまだ1台も停まっていなかった。朝が早いからか、それとも時季が遅いからか。

 南尾根登山口は山犬段に向かう舗装された林道側にあり、ここから一気に911mの三角点に登って、後は急になったり平坦に
なったりしながらの、登り一方の尾根道のようだ。

 一つ目のピークらしき所に来たが三角点は見当たらにない。探す気もないのでそのまま林の中の道を先に急ぐ。


                            西は明るいが東はボンヤリしている

 心配していた樅の木平からの道は、林の中の道だが分岐も無く分かりやすく、これなら悩んだり迷ったり事は無さそうだ。
西の方角が開けている場所に丸太のベンチが置いてあり、しきりに誘惑してくる。だがまだ歩き出して50分も経っていない。
我慢!我慢!と誘惑を振り切り先に進む。
四つ目のピークに苔むした石杭と火の用心の看板があるが視界も無く休む雰囲気ではない。ここも通過。

             
            落花しているツツジ               雰囲気は良くなったが下の方はガスっている

 人工林がまばらになると雑木が増えてきた。道の周辺にはツツジが落下して彩りを付けてくれるが、咲いている花は少なく
たまに林の奥の方に見えるだけだ。勿論アカヤシオなどは影も形も見えない。
 東の人工林が終わると雑木の新芽が柔らかくいい雰囲気になってきた。だが林の下の方にはガスが動いているのが見える。
今日の天気予報は晴で降水確率は10%、雨の心配はないが、朝から余りスッキリした天気ではない。歩くには丁度良いが
景色を見るには相応しくなさそうだ。東の方角にある富士山は多分見えないだろう。

 
             六つ目のピークから                             徳山駅分岐

 六つ目のピークにもベンチがあったので、歩き出してから1時間以上経って、いるので最初の休憩をとる。
南に見えるピークが五つ目のピークだろう。昨夜地理院の地図を見た限りではピークらしいピークは無かったのに、実際歩くと
かなりの上り下りはある。地形図の見方が悪いのか、それともこのぐらいの起伏は地図には反映されないのだろうか?
 ピ-クから3分も歩くと分岐に標識があり、東に下る方向に 「藤川を経て徳山駅」 となっていた。これなら駅を出発点にできる
かと一瞬期待したが、踏み跡は薄く少々心もとない。知らない山では無理はしない。この道の事は忘れよう。

 
               アセビの新芽                                アセビの花

 この辺りまで来ると雑木の中に姫シャラや太いアセビが目立つようになった。特にアセビは登山口の林からズート生えていたが
殆どが腰より低い若い木だった。それがこの辺りには幹がクネクネ曲がった大木のアセビが出てきたが数は少ない。
これは何を意味するのだろう? この山はアセビにとって新開地で、これから増えていくのだろうか。
その中で花を付けているアセビは少なく、道端で咲いていたのはこの一株だけだった。遅すぎたのか、それと速すぎたのか?

                 
                              アルミの橋

 瘠せ尾根の鞍部の所にアルミで出来た橋が架かっていた。アルミで出来ていると錆がでないので古さが分からないが、この道は
しっかり管理されているようだ。標識は1本、目にしただけだが、道がハッキリしているので悩む所は無い。
この調子で蕎麦粒山まで歩けると良いのだが。

 
              落花したアカヤシオ                       アカヤシオが三輪咲いていた

 待望のアカヤシオの花が地面に落ちていた。上を見るとたった三輪の花が枝にしがみつき、今にも落花しそうに咲いていた。
喜んで写したらピンボケになってしまったが、ここに咲いているなら大札山にも咲いているかもしれないと淡い期待が湧いてきた。

 
               枯れた幹に茸が                              ヤマツツジ

 茸には間違いないが何と云う茸だろう。キクラゲ(木耳)かな? でも触ると乾燥していて柔らかくない。
そうそう知っています? キクラゲの漢字は形状を表し、言葉は食感を表現している事を。
確かに耳の形とも言えそうだし、食べればコリッとしている。採って行ってもよいが茸は怖いからなー 止めておこう。
 ツツジは林の奥で所々に咲いていたが、道の脇で咲いていた中で一番良かったのがこの花です。要はこの程度と云う事。

 何度か期待を裏切られたが、今度こそ前方に見えるピークは大札山だろう。
確か大札山の東側は木が生えていない斜面だった筈だ。間違いありませんように。

 
         大札山の二等三角点(1373.6m)                     南側は今歩いて来た尾根

 8時20分大札山山頂に到着。登山口から1時間50分で来ているので、私の想定だと、ここで10分休憩できる。
しかし登山口の案内板は100分となっていたので、既に10分余計に掛かっている。マーこんなものだろう最近は・・・・
 山頂で最初に目に付いたのは三角点で、普通のと違い三角点の回りに枠をこしらえある。しかも標石は新しく南側の字の
「二等三角点」 同じだが、東の面に 「国地院」 と彫られているのは初めて見た。新しい方式なのだろうか?

 南側に今歩いて来た尾根が見えている。こうして見ても起伏が見えるが地図上では分からない。地図の読み方は下手だが、
間違いなく分かるのは大札山を挟んだ尾根は、南北に通っているだけで他の尾根は派生していない事だ。
更に蕎麦粒山の尾根も、南登山口から山頂までも南北の尾根しかないので、高みを目指している道を行けば間違いはない。
分岐の多い山や初めての山を歩く時は神経を使うが、今日は初めての尾根なのに案外気楽に来ることができた。

 
                北東側に黒法師(?)                     山頂から南の眺め

 大札山山頂からは南方面と東から北東にかけては景色を眺める事ができるが、今日は東の方角がガスっていて真っ白だった。
お蔭で富士山は見えず、辛うじて見えたのは北の方角にある三角形の山、黒法師岳(?)だった。
南の方角も蛇行して流れる大井川はかろうじて見えるが、左の東側には白い雲が湧きあがっていた。

 
                  シロヤシオ                           シロヤシオアップ

 山頂で10分休憩して北尾根を歩き出す。この北尾根は過去の大札山登山で、何回か歩いているのでアカヤシオの期待は
膨らむのだが・・・・・ アカヤシオを見れるのは地上の上だけで、樹上には一つとして咲いていなかった。
 オヤあの白い花は何だ? シロヤシオに見えるが今までここでシロヤシオは見た事がない。
近づいて見たが間違いなくシロヤシオだった。ラッキー! シロヤシオの時季には早すぎると思ったがもう咲いていたのだ。
この分では蕎麦粒山ではシロヤシオを沢山見る事ができそうだ。
アカヤシオの期待は裏切られたがシロヤシオへ期待が膨らんできた。

              
                       蕎麦粒山(?)                            ヒメシャラ

 肩登山口と北尾根の分岐標識を過ぎると、前方に双耳峰が見えてきた。蕎麦粒山が双耳峰とは知らなかったが、位置的に
云っても蕎麦粒山と思うが、もう少し周りが見えないと確かな事は分からない。

 北尾根に入ると赤茶ぽい幹肌をしたヒメシャラの大木が目に付くようになった。ヒメシャラは幹肌が目立つので、山に入ると
時々見かけるが、夏に咲く白い5弁の花はまだ見た事がない。余り高すぎて視線が届かないのだろうか。
今度この幹を見かけたら上も見るようにしよう。
 ところでまた受売り売りをします。ヒメシャラ(姫紗羅)の語源は、同じように幹が赤っぽくすべすべしていて、花も5弁の白い
花を付ける夏椿から来ているそうです。この夏椿は、お釈迦様が入滅(死去)したとき、臥床の四辺にあった沙羅双樹の木に
似ている事から 「紗羅の木」 と日本では呼ばれていたそうです。その紗羅の木に似ていて、一回り小さな花を付ける事から、
この木の事を 「姫紗羅」 と呼ぶようになったそうです。

         
              イワカガミ(岩鏡)の群落                          イワカガミ

 足元にピンクの小さな花が見えた。下向きの小さな花は花弁の先が房状に切れ切れになっていて、葉は団扇状で表面に光沢が
ある。そうイワカガミです。最初は道端に一輪咲いていただけだったが、林の中の斜面には群落になって咲いていた。
何年振りの対面だろう。愛鷹山の鋸岳では良く見たが、それからとなると50年ぶり位かな。
これでアカヤシオが見えなかった無念さは帳消しになった。

          
              蕎麦粒山と黒法師岳                           ヤマツツジ

 再度前方が開け、さっきより広範囲に山が見えた。こうして見ても矢張り前方の双耳峰が蕎麦粒山なのだろう。他にそれらしき
山も見えないし、右の方には黒法師岳の三角の山も見えている。
あの双耳峰が蕎麦粒山なら、予定通り2時間ぐらいで登れそうだ。

      
      尾根道下降の標識        倒れている通行禁止の表示            北尾根登山口

 以前は北尾根の最後まで道は通じていたが、最近は尾根の取付地点が崩壊して林の中に道ができている。その通行止の
標識が倒れているが通れるようになったのかしら? でも止めよう、ロウロウ(老浪)危うきに近寄らずだ。

 北尾根登山口までに大札山山頂から1時間も掛かってしまった。標識には50分とあったが マーこんなものだろう。
これでも私が想定した樅の木平-北尾根登山口は3時間だったので、ドンピシャリの時間だった。
 さてここは引返すかどうか判断する最初の地点だが、ウンまだまだ大丈夫! 蕎麦粒山に向かおう。

再度双子山へ

2015-05-04 16:11:48 | 低山歩き
歩行記録                                                          H27-5-3(日)
歩行時間:4時間35分   休憩時間:1時間00分   延時間:5時間35分
出発時刻:8時55分     到着時刻:14時30分
歩  数: 26、883歩(推定距離20.2km)    GPS距離16.7km
行程表
 六合駅 0:55> 東光寺 0:20> 悠久の森 0:45> 農道合流 0:10> 双子山 0:45> 農道出合 0:50> 駿河台分岐
 0:50> 六合駅

                            双子山観歩記
 先週に引き続き双子山へ、今回は同じコースを年寄り仲間と歩いてきました。
先週行ったのは、悠久の森コースを最近歩いていなかったので、下見を兼ねてあわよくば蕗が・・・・ と歩いたのでした。
その歩行結果は一人で歩いた時と、仲間と歩いた時の歩数はたったの15歩違いで距離は全く同じでした。
歩行時間も同じで、違ったのは休憩時間が15分増えただけでした。
一人歩きの時は自分のペースで歩くが、仲間と歩く時は一番遅い人のペースに合わせる。その鉄則を守って歩いている積り
ですので、この結果にはビックリです。
要は、私が “一番遅い人” と云う事ですので、ショック!でした。

 
                      東光寺                               茶摘機

 先週東光寺の藤は花穂も短くてマダマダと紹介したが、今週は既に花穂も延び満開状態でした。
 悠久の森では、四阿や立派な標識を見て 「流石、税金でやる事は違う。」 と仲間から批判の声も。
尤もこれは私が誘導したきらいもありますが・・・・・

 今まで悠久の森の先のゲートが開いていた事はなかったが、今日は開いていて、途中の茶畑では茶摘が行われていた。
中で、この茶摘機は初めて見た。レールの上に乗った四角の鉄枠に茶刈機を取付て、人が軽く押しながら刈って行く方式で、
乗車式茶刈機よりズート安価そうに見えた。しかしこれも傾斜の強い所には向きそうになかった。
矢張り傾斜地やレール設置の先行投資のできない茶農家は、2人で持つ茶刈機が必要だろう。今日もその茶刈機があちこちで
活躍していた。

 先週咲いていた八重桜は、茶色くなった花の塊が道に散らばっていてあまり綺麗ではない。しかも枝にもその枯れた花が付いて
いるので見た目も悪かった。
八重桜って、散る時はハラハラでなく、ボタボタ散るのか、すると花筏や桜吹雪にはならないという事なのだろうか。

              
             双子山の「一生我慢」の前で               中々傾斜がある

 山頂の纏まりのない置物を見て仲間は 「庭で邪魔になった物を持って来ただけ」 と明快な考察をしたが 「一生我慢」 の像では
全員が首を捻るだけ。結局何故この像が此処に有るかは分からなかった。
 山頂には車で来たアベックがいたが、他ではハイカーに一人も出会わなかった。中高年の登山ブームとか言われているが、
私の歩く山では余り人に会う事はない。双子山も先週に続いて貸切の山だった。


                                  富士山が薄く見えた
 空の色に溶け込んでしまいそうな富士山だが、残雪が縦に残っているのでその存在がわかった。今年は雪が少なく感じるが
海から富士山は諦めたので、山開きがいつになっても関係ない。と、半分拗ねている状態だが山頂には登りたいと思っている。
時期とかコースは未定だが70歳後にも登らなければ自尊心が許せない。マー無理せず楽せず登れるコースを考えよう。

  
                                   藤枝・焼津市街
 大崩山塊のカンポの尾根が見えている。右端の小高い山は虚空蔵山で、その左に見える建物はホテル松風閣と簡保の宿か。
手前のモクモクとした木は椎の木かしら? 今日は先週より眺めが良い。 

  
                                島田方面
 写真後方の平らな台地は牧の原台地で、台地の下の白っぽい線は大井川です。牧の原台地の上は日本一を誇る茶園が広がって
いますが、平らな茶畑の中に入ってしまうとその広さが実感できません。目立つのはニョキニョキ建つ防霜ファンの電柱だけ。
茶畑を見るなら平らな所より、このように起伏がある斜面の方が断然素晴らしく見えます。

 茶畑など見慣れている仲間は余り興味は示さなかったが、それでも先週のぼやけた景色よりいいだろう。
月に一度ウォーキングなので少しでも満足をしてもらいたいと思っている。で、来月は小笠山の六枚屏風にする予定だが、あれを
見て仲間が何て言うか楽しみだ。