香集寺本堂の横に古い石仏を纏めて安置してあった。
その中で不動明王は小さいながらも彫がはっきりしていて火焔の光背に右手に剣、左手に羂索を握っているのが
浮き出ていて分かりやすい。その横にある如意輪観音も頬杖を付いた姿なので分かる。
だが一番大きい石仏は何と云う仏様なのだろう? 最初は大日如来かと思ったが手持ちの資料には
「如来像の尊名は九品の印相により判断する」とあり、この石仏のような合掌印は含まれていない。
では地蔵さんかと思うが、頭が僧形でなく螺髪になっていてお地蔵さんらしくない。
もうこうなると素人の私には手におえなかった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/f1/b54f217f1bc8f7cb566ab89d136414b7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/81/39b2ca480d843c1f41c5bc4cef69f900.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/11/d754be75a5402d8a4ea09447f329fd6e.jpg)
登って来る途中に石灯籠が何基も倒れていた。その石灯篭に付いて市の案内板には
「当目石製。焼津に現存する中で最も古い燈籠で、竿の部分に「寛永二(1625)年」と記されている」ある。
古い石灯籠なので各部分の接着は行われていないから、元通りにしても又地震がくれば倒れてしまう。
そんな事なら倒れたままのが安全だとそのままにしてあるのかな。確かに別の寺や神社で時折見かける
接合部をセメントで固定した物もあるが、これは余り風情を感じない。
倒れた石灯籠は元に戻すべきか、それとも倒れたままにしておくべきか-----
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/d5/c3b5414987d213490bf27dc0ae5e8c4d.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/3d/43b0ae40c1b4dfce2b60bcda6bf562b4.jpg)
本堂より更に一段高い場所に「船舶無線電信発祥の地」の案内があり
「明冶三十六年(1903年)に海軍が、この地に無線電信試験所を建て、国産の無線電信機で、
三浦半島間八十海里(約150Km)の交信実験を行った。これは日本で初めての事である」と書かれている。
更に富士山を思わせる四角錐のモニュメントと「船舶無線電信発祥地記念塔」と書かれた石碑が建っている。
その中にこんな記述が目に付いた「三六式無線機の開発に成功したのち、更に海上80海里(約150粁)に到達する
性能を必要とし、既存の三浦半島試験所から同距離に当る 海岸に屹立し虚空山頂上を最適地として選んだものと
伝えられております」
ここで気になったのが三浦半島から焼津までが「150粁」とある事だ。
去年旧東海道を歩いたとき三浦半島に近い藤沢まで一日で歩き約50kmだった。また、東京から藤枝間の国道1号線の
距離は200kmなので三浦半島からなら約150kmで妥当ではないかと思いつつも少し腑に落ちない。
だって国道や東海道は曲がりくねって歩くのに比べ、電波なら直線ですよね。それが同じ距離では不自然だ。
我ながら細かい奴だと思いながらもマピオンの地図で虚空蔵山と三浦半島油壺の距離を測ると120kmだった。
更に碑文の中の「海岸に屹立し虚空山頂上を最適地」とは"海岸に屹立しているので見通しが効く"からとれないか。
だが焼津と三浦半島の間には伊豆半島があり、そこには虚空蔵山より遥かに標高の高い金冠山が邪魔をしている。
ようは虚空蔵山になったのは、三浦半島から150km以内で市内から近く高台だったからだろう。
記念碑の北側の木の間から大崩海岸や日本平が見えていたが、木の枝が邪魔をして見難いこと夥しい。
自然保護なのか、それとも寺の境内なので樹木の伐採ができないのか。それにしても見難かった。
麓にあった当目山の石碑から山頂まで、写真を撮ったりしながゆっくり歩いて約20分。
まだ虚空蔵山を歩いてない方は一度歩かれると良いですよ。
駐車場や景色の良い場所は次回案内します。
その中で不動明王は小さいながらも彫がはっきりしていて火焔の光背に右手に剣、左手に羂索を握っているのが
浮き出ていて分かりやすい。その横にある如意輪観音も頬杖を付いた姿なので分かる。
だが一番大きい石仏は何と云う仏様なのだろう? 最初は大日如来かと思ったが手持ちの資料には
「如来像の尊名は九品の印相により判断する」とあり、この石仏のような合掌印は含まれていない。
では地蔵さんかと思うが、頭が僧形でなく螺髪になっていてお地蔵さんらしくない。
もうこうなると素人の私には手におえなかった
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登って来る途中に石灯籠が何基も倒れていた。その石灯篭に付いて市の案内板には
「当目石製。焼津に現存する中で最も古い燈籠で、竿の部分に「寛永二(1625)年」と記されている」ある。
古い石灯籠なので各部分の接着は行われていないから、元通りにしても又地震がくれば倒れてしまう。
そんな事なら倒れたままのが安全だとそのままにしてあるのかな。確かに別の寺や神社で時折見かける
接合部をセメントで固定した物もあるが、これは余り風情を感じない。
倒れた石灯籠は元に戻すべきか、それとも倒れたままにしておくべきか-----
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本堂より更に一段高い場所に「船舶無線電信発祥の地」の案内があり
「明冶三十六年(1903年)に海軍が、この地に無線電信試験所を建て、国産の無線電信機で、
三浦半島間八十海里(約150Km)の交信実験を行った。これは日本で初めての事である」と書かれている。
更に富士山を思わせる四角錐のモニュメントと「船舶無線電信発祥地記念塔」と書かれた石碑が建っている。
その中にこんな記述が目に付いた「三六式無線機の開発に成功したのち、更に海上80海里(約150粁)に到達する
性能を必要とし、既存の三浦半島試験所から同距離に当る 海岸に屹立し虚空山頂上を最適地として選んだものと
伝えられております」
ここで気になったのが三浦半島から焼津までが「150粁」とある事だ。
去年旧東海道を歩いたとき三浦半島に近い藤沢まで一日で歩き約50kmだった。また、東京から藤枝間の国道1号線の
距離は200kmなので三浦半島からなら約150kmで妥当ではないかと思いつつも少し腑に落ちない。
だって国道や東海道は曲がりくねって歩くのに比べ、電波なら直線ですよね。それが同じ距離では不自然だ。
我ながら細かい奴だと思いながらもマピオンの地図で虚空蔵山と三浦半島油壺の距離を測ると120kmだった。
更に碑文の中の「海岸に屹立し虚空山頂上を最適地」とは"海岸に屹立しているので見通しが効く"からとれないか。
だが焼津と三浦半島の間には伊豆半島があり、そこには虚空蔵山より遥かに標高の高い金冠山が邪魔をしている。
ようは虚空蔵山になったのは、三浦半島から150km以内で市内から近く高台だったからだろう。
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記念碑の北側の木の間から大崩海岸や日本平が見えていたが、木の枝が邪魔をして見難いこと夥しい。
自然保護なのか、それとも寺の境内なので樹木の伐採ができないのか。それにしても見難かった。
麓にあった当目山の石碑から山頂まで、写真を撮ったりしながゆっくり歩いて約20分。
まだ虚空蔵山を歩いてない方は一度歩かれると良いですよ。
駐車場や景色の良い場所は次回案内します。