はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

大崩山塊・虚空蔵山2

2013-07-31 11:08:12 | 寺社遍路
 香集寺本堂の横に古い石仏を纏めて安置してあった。
その中で不動明王は小さいながらも彫がはっきりしていて火焔の光背に右手に剣、左手に羂索を握っているのが
浮き出ていて分かりやすい。その横にある如意輪観音も頬杖を付いた姿なので分かる。
だが一番大きい石仏は何と云う仏様なのだろう? 最初は大日如来かと思ったが手持ちの資料には
「如来像の尊名は九品の印相により判断する」とあり、この石仏のような合掌印は含まれていない。
では地蔵さんかと思うが、頭が僧形でなく螺髪になっていてお地蔵さんらしくない。
もうこうなると素人の私には手におえなかった



 登って来る途中に石灯籠が何基も倒れていた。その石灯篭に付いて市の案内板には
「当目石製。焼津に現存する中で最も古い燈籠で、竿の部分に「寛永二(1625)年」と記されている」ある。
古い石灯籠なので各部分の接着は行われていないから、元通りにしても又地震がくれば倒れてしまう。
そんな事なら倒れたままのが安全だとそのままにしてあるのかな。確かに別の寺や神社で時折見かける
接合部をセメントで固定した物もあるが、これは余り風情を感じない。
倒れた石灯籠は元に戻すべきか、それとも倒れたままにしておくべきか----- 



 本堂より更に一段高い場所に「船舶無線電信発祥の地」の案内があり
「明冶三十六年(1903年)に海軍が、この地に無線電信試験所を建て、国産の無線電信機で、
三浦半島間八十海里(約150Km)の交信実験を行った。これは日本で初めての事である」
と書かれている。
更に富士山を思わせる四角錐のモニュメントと「船舶無線電信発祥地記念塔」と書かれた石碑が建っている。
その中にこんな記述が目に付いた「三六式無線機の開発に成功したのち、更に海上80海里(約150粁)に到達する
性能を必要とし、既存の三浦半島試験所から同距離に当る 海岸に屹立し虚空山頂上を最適地として選んだものと
伝えられております」

 
 ここで気になったのが三浦半島から焼津までが「150粁」とある事だ。
去年旧東海道を歩いたとき三浦半島に近い藤沢まで一日で歩き約50kmだった。また、東京から藤枝間の国道1号線の
距離は200kmなので三浦半島からなら約150kmで妥当ではないかと思いつつも少し腑に落ちない。
だって国道や東海道は曲がりくねって歩くのに比べ、電波なら直線ですよね。それが同じ距離では不自然だ。
我ながら細かい奴だと思いながらもマピオンの地図で虚空蔵山と三浦半島油壺の距離を測ると120kmだった。
更に碑文の中の「海岸に屹立し虚空山頂上を最適地」とは"海岸に屹立しているので見通しが効く"からとれないか。
だが焼津と三浦半島の間には伊豆半島があり、そこには虚空蔵山より遥かに標高の高い金冠山が邪魔をしている。
ようは虚空蔵山になったのは、三浦半島から150km以内で市内から近く高台だったからだろう。

   

 記念碑の北側の木の間から大崩海岸や日本平が見えていたが、木の枝が邪魔をして見難いこと夥しい。
自然保護なのか、それとも寺の境内なので樹木の伐採ができないのか。それにしても見難かった。

 麓にあった当目山の石碑から山頂まで、写真を撮ったりしながゆっくり歩いて約20分。
まだ虚空蔵山を歩いてない方は一度歩かれると良いですよ。
駐車場や景色の良い場所は次回案内します。

大崩山塊・虚空蔵山1

2013-07-29 11:48:43 | 寺社遍路
「虚空蔵山(こくぞうさん)」は大崩山塊で、山の名前が付いているのに歩いた事のない山だ。

 駿河湾に一番近く、また焼津市街地にも一番近い山で簡保の尾根のそばだというのに行った事がない。
昔は虚空蔵山と簡保の尾根は「当目峠」結ばれたいたようだが、現在はホテルや国道で分断されてしまっている。
お蔭で簡保尾根の簡保下からは虚空蔵山とは反対の西側に下り、それから尾根を南に回り込まなければならない。
となると簡保の尾根に向かう時は時間が惜しくなり、帰りは疲れていて今更と言った感じで縁がなかった。
それに標高が126mと低いのも登る意欲を削いだ理由だった。

 

 現在は虚空蔵山と云っている山は、昔は當目山と呼んでいたのか山の登り口に古い石碑が建っていた。
焼津のこの辺りの地名は浜当目と云い、近くには岡当目と付いた地名がある。
以前読んだ「焼津の歴史あれこれ」の中に「遠目が効いた場所なので"とうめ"と呼び、住民が増えると新しい
場所にも住むようになり、そこを"岡とうめ"と呼んだ。海に近い"とうめ"は"浜とうめ"と区別するようになった」

とあった。その本には遠目が何故当目になったかは書いてなかったが、これは在り得そうな話だ。

 庚申塔の横に帽子を被り前掛けをした古い六地蔵が並んでいる。花は造花だが香花は自然の物で手入れの
良さを感じさせた。

  

 ここの山頂には、聖徳太子作と伝えられている虚空蔵菩薩を弘法大師が安置した当目山香集寺がある。
現在は麓にある弘徳院の末寺で無住になっているが、この虚空蔵菩薩は伊勢の金剛證寺、京都の法輪寺とともに
一木三体の「日本三大虚空蔵菩薩」であるという。
どうやら由緒ある寺のようだ。と思い日本三大虚空蔵菩薩で検索してみると、あるは、あるはとても三大なんて
物ではない。しかも日本三大虚空蔵菩薩なのに焼津市の文化財にも指定されていなかった。
 以前下田街道を歩いたとき下田市箕作に日本三薬師の一つ米山薬師があったが、あれも三つどころではなかった。
この様なことは一種の誇大広告だが、誰が迷惑を受けるわけではないので昔から許されていたのだろう。

 道の脇に焼津市の案内板があり「香集寺の仁王門と石灯籠」の説明が書いてあった。要約すると
「香集寺の仁王門は、単層寄棟造桟瓦葺の朱塗りで、桁行約6,6m、梁間約3,52m、梁高約4,25m、棟高7,5mの
和風の八脚門です。屋根には田中城主本多家の立葵の紋が残っていて、田中藩の庇護の跡がうかがえる。」


 その案内板を少し登ると何だか歪んで立っている稲荷神社がある。更にその奥の社は完全に歪んでいて
今度地震でも来れば倒壊してしまいそうな感じだ。社の名前を確認したかったが立入禁止のロープが張ってあり
近くには行けない。付近に人気は無かったマー止めておこう。

              

 アレアレ次に出てきた仁王門も立入禁止のロープが張ってある。門の柱には
危険 この仁王門は老巧化のため倒壊する恐れがあります。御通行には充分ご注意ください 弘徳院」とあった。
 以前は注意しながらの通行が許されていたようだが、今は老巧化が進んで通行禁止になったのだろう。
だが待てよ、よく見ると屋根の瓦の一部が壊れて凹んでいる。その前には木の幹が----
若しかして大風で木が揺れて幹が屋根にぶつかったのか? それとも地震で仁王門が揺れて幹にぶつかったのか?

  

 先ほど見た社の事を考えると、大風より地震の可能性の方が高そうだが-------
迂回路を通り仁王門を後ろから眺めると特にダメージは感じられなかった。
こんな事ばかり気を取られ、案内板に説明のあった本田家の家紋「立葵」を見る事を忘れてしまった。

   
                                    立葵      二つ葉葵         三つ葉葵 
 道の脇には石灯籠が崩れ、そのまま放置されている物が多い。
フーやっと山頂のようだ。石段の上には本堂らしき物が見えてきた。その石段の前に南の方が開けている場所がある。
そこからは焼津漁港が一望できた。ただ見れば見るほど焼津の街は津波には弱そうで心配になる。
同じ焼津市に住む私の家は、東名高速より藤枝側で海より6km、海抜24mなので津波の危険は少ない。
だが大井川に近く、津波が大井川を遡ったり、上流に幾つもあるダムが崩壊して大水が出る心配はある。
アッそれともう一つ、浜岡原発から23kmなので風向きによっては、それが一番危険かもしれないな。

 話が脱線したので元に戻し香集寺の本堂は近年建替えたらしく立派と云うか趣が無いというかそんな建物だった。
ただその屋根の正面には金色の「立葵」の紋が嵌め込まれていた。この場合の紋はどういう意味があるのだろう。
香集寺は弘法大師により開基されたのだから江戸時代よりズート前からある。一時は田中藩の本田家に庇護された
時もあったが、この本堂を建替える時も本田家の援助を受けたのだろうか? それとも本田家に恩義を感じて
寺の紋そのものを立葵に変えたのか?

 本田家の家紋の立葵について面白い事が載っていた。
「徳川家康は天下をとると葵紋の使用を禁じたが、本多氏だけはその後も立葵紋を用いた。家康は本多忠勝にも
葵紋を用いぬようにいったが、忠勝は「当家は神代以来、京都の賀茂神社に仕る賀茂族なので賀茂の神紋である
葵紋を用いるのは当然のこと」
といい家康もそれ以上は口にしなかったという。」(「名字と家紋」より)

この話だと家康が禁じたのは「三つ葉葵」だけでなく葵を形どった全ての紋を禁止したととれるが本当だろうか、
その辺の事が分からなかった。因みに京都の上賀茂神社も下賀茂神社も家紋は「二つ葉葵」だった。

 


はまけん倶楽部の例会に参加

2013-07-24 17:36:20 | 低山歩き
 新聞のウォーキング欄にはまけんクラブ主催の「間の宿周辺の里山を歩く」の募集が掲載されていた。
8月21日8時半に宇津ノ谷入口に集合して午後2時半解散の18kmコースだった。
細かいコースは分からないが距離が山道で18kmなら歩き甲斐もあるし、宇津ノ谷峠付近の知らない道を案内して
くれるだろうと参加してきました。

 曇り空の今にも雨が落ちてきそうな天気で、参加者も19名と少いなか行われたコース説明では
先ずは宇津ノ谷集落から丸子川源流の西沢を遡り、徳願寺尾根の飯間山と谷川峠の中間点に出る。
その合流点から谷川峠を通り徳願寺尾根を宇津ノ谷峠に向かい、途中にある道の駅への分岐を下り
行きに歩いた丸子川の源流地点に戻る周遊コースだった。

 登りの西沢を遡る道はまだ歩いた事がなかったので楽しみだが、尾根に出てからのコースは何度も
歩いたコースだ。それは良いのだが、これだけで18kmもあるのだろうか?
私が毎年歩いている静焼アルプスは、この徳願寺の尾根も含まれているのだが徳願寺尾根を全部歩いても
15km程度しかない。それが徳願寺尾根のほんの一部分しかない今日のコースで18km????

 

 丸子川の下流は岩や石もない単純な川に過ぎないが、さすが源流近くになると様相が変わってきて、まるで
渓谷のような感じさえする。道の横には手榴弾のようなマムシクサが緑の実をつけだしている。
前を歩いている人が「何の花だろう?」と話していたので名前を教え、秋になるとこの実が真っ赤に色付くとか、
茎の模様がマムシに似ているところから名前が付いた。など得意になって教えてやる。

 

 この沢筋の道には山百合があちこちに見える。蕾のものから何輪もまとまって咲いているものなど大崩山塊で
これだけ山百合が咲いている場所は思いつかない。

 久し振りに集団歩行で前後から聞こえてくる話を聞いているのも楽しい。このはまけん倶楽部はウォーキング
団体というより山歩きが主のグループで、聞こえてくる話も北アルプスとか南アルプス・八ヶ岳・百名山等の話が
殆どで、私にはとても話題の仲間にはなれない状態で只々聞くばかりだった。

           

 林道が終わり沢沿いの山道に入ったがしっかりとした道が付いている。ただこの辺りで良く見かける手製の
標識は無くたまに目印のテープがあるだけだった。
道が沢から離れ茶畑に入ると視界が開けて満観峰が見えてきたが、生憎霧雨でぼんやりとしか見えない。
茶畑を過ぎ林の中に入ると道は不鮮明になり歩く速度が急に遅くなった。どうやら先頭の人が歩くのに邪魔になる
草や木の枝を切りながら歩いているようだ。
何時もは一人なので自分で草や蔓を押し分けて歩くのに、今日は参加費300円を払ったおかげでのんびりできる。
この道を一人で初めて歩けば不安と藪漕ぎで疲れただろうが本当に気が楽だった。

 

 尾根道に合流したが見覚えのない場所で、分岐には標識は無く目印のテープが2.3本着いているだけだった。
だが尾根道を西に7分も歩くと下枝を刈った場所に出て、北側の下には新東名のSAが見ていた。
この場所なら知っている。明るい林とSAが記憶にある。
歩き始めて2時間も経たないがここで昼食。ユックリ55分も休んでの出発だったが正直時間を潰すのが大変だった。

 出発して5分ほどで谷川峠の三角点に到着。更に25分ほどで道に駅と宇津ノ谷峠の分岐に到着。
ここまでの尾根道は下草も無く道ははっきりしていたが、この分岐の付近は下草が茂っていて道が分かりにくい。
初めて徳願寺の尾根を歩く人は不安になりそうな感じだった。

 所々に手製の標識がある急な下り道を10分も下ると簡易舗装の農道に到着する。更に農道を10分で西沢への
道に合流。そこから20分ほどで宇津ノ谷集落に到着。
尾根の分岐から宇津ノ谷集落まで40分程で着くこの道は、分岐から宇津ノ谷峠まで約1時間半は掛かる尾根道に
比べ随分近道になる。
逆に今日初めて歩いた西沢の道はメリットを感じる事が出来なかった。標識は無いし時間も掛かる。
私は大崩山塊のHPで色々な道を紹介しているが、この西沢の道は紹介するのは止めておこう。

 ところで宇津ノ谷集落に着いたのが午後1時で距離は万歩計もGPSも7kmにも満たない。なのにこれで
今日の山歩きは終わりだって-------
折角弁当を作りバスに乗って来たのにこれで終わりとは情けない。リダーに「もう少し歩きたいので」
断ってから宇津ノ谷の明治トンネルに向けて歩き出した。

その後は 明治トンネル - 坂下地蔵堂 - 廻沢林道 - 廻沢峠 - 花沢城址 - 焼津駅と
歩いてきました。焼津駅に到着は16時10分で距離は万歩計もGPSも18kmチョットでした。
これでやっと新聞に出ていた18kmになった。

「海から富士山・剣ヶ峰」2日目-3

2013-07-22 14:40:43 | 富士山
 御殿場口7合9勺赤岩館の下に見える四角い建物は、7合8勺の旧測候所の避難小屋で、昔は山頂の
測候所や、ここから上の小屋の荷物は、麓の太郎坊からこの避難小屋まで馬が運び、ここから上は
強力が背負って運んだ。
ただ、富士宮口8合目は、この避難小屋と同じ位な標高だったので馬が運んでいた。

 

 写真左が旧避難小屋で今は何に使われているのだろう、分からないが、その横の道を真っ直ぐ行けば
富士宮口。左に曲がっている下りの道が御殿場口の下山道です。
写真を写すとき、生憎霧がかかって横道が見えなかったが、霧が無ければ道は見えている。

 

大岩に「GOTENBA」と書いてあったり、その上には残雪も見えていた。
「落石注意」の看板の先には平坦な横道が見ている。

 
写真では小さいが「富士宮八合ルート」の標識も建っている。
そのうち丸太で土留めをした階段があり、その下には山頂に向かうブル道と8合目に向かうブル道が
交差しているのが見える。その階段を下って8合目に向かうブル道を行く。
右の写真は富士宮側から階段を写したもので、上の看板には「赤岩八合」と書いてある。

 

 ブル道の先には残雪と富士宮8合目が見えている。この場所でこんなに残雪の多いのを見たのは
初めてで、今年は雪が多いというより、登山時期が早い事を実感した。

 どうですかここの横道は? 御殿場口を出てから富士宮口までのんびり歩いて10分も掛かりません。
しかも道は平らと来ているのだから利用しない手は無いと思いませんか?
安全かって? 仮にこの道が「通行禁止」なら、富士宮口は「通行厳禁」だろうな。

 富士宮口8合目に12時30分に到着。
銀名水を下りだしてから1時間20分経っている。早いのか遅いのかは分からないが体の方はマーマーだ。
これなら2時半のバスに間に合うかもしれないと助平心が起きてしまった。
そうなると無意識に焦って先を急ぐようになる。そんなとき足の上げ方が低くて岩に躓いてしまった。
「アッ!」と思い無意識に手が岩を掴み事なきを得たが後の人が「ア!危ない!」と叫んでいた。
フーあぶなかった。あのとき瞬間的に手が岩を掴んでいなかったら、今頃は顔中血だらけで、
下手をすれば歩けなくなっていたかもしれない。危ない、危ない注意しよう。
困ったものだ。バスの時間に色気を出した途端、早速こんな目に遭ってしまった。

しかし注意力はそう長くは続かない。岩場に細心の注意を向けるとそれが終わるとホッとする。
すると小さな砂利を踏んだ靴がズルっと滑る。普段でもこのような事は再三あるが、踏ん張る事で
転ばないで済んでいた。ところがこの時は既に足に踏ん張る力が無いようで、ズルっと来るとステント
尻餅をついてしまう。
6合目に着くまでに一体何度転倒しとことか。余りのだらしなさに我ながら恥ずかしくなってしまった。
ただ幸いだってのは転倒の全てが尻餅だった事で、勢いよく尻餅をついても背負ったザックがクッションの
役目をし体を保護してくれたことだった。一度は
「危なかったねー リュックが無ければ頭を打っていたよ」と言われたこともあった。

 それでも何とかして宿泊した6合目に2時に着いた。バスまで後30分はある。少し休もう。
小屋の人と雑談しながら少し休憩して新5合目のバス停に向かった。
新5合目に14時20分到着。そして前回紹介した県の職員とのやり取りがあったのです。

それにしても今回の富士山は疲れた。来年は本当に大丈夫なのだろうか不安になる。
老化現象なら来年はもっと酷くなっているだろうし -------
ともかく来年の「海から富士山・剣ヶ峰」は登頂を目標にするのではなく、挑戦することを目標にしよう。

 家に帰り気になる事があったので紹介します。
家に着き早速シャワー浴びていると左の肩が重怠い。押さえてみると痛みも感じる。妻に見てもらうと
「肩が赤く腫れていて中心に齧られたような跡がある」と言う。
考えられるのは1日目の御殿庭でアブに刺された事だ。あのアブの奴め毒アブだったのか。
若しかすると小屋に着いてから気分が悪かったのは、このアブの所為か、翌日出発する時もザックを
担いだとき痛みを感じた。アブに刺されなければこうまで不調ではなかったのではないか。
そう考えた方のが老化現象より救いがある。
その後も腫れや痛みは5日後位まで残っていた。

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私が良いと考える富士宮口の日帰り登山ルートを紹介します。

1.日帰りご来光登山
  富士宮口新5合目 - 8合目 -(横道)- 御殿場口7合8尺 - 山頂 - お鉢巡り -
  御殿場口下山 - 宝永山火口 - 富士宮6合目 - 富士宮口新5合目
  (新5合から御殿場口まで3時間~4時間とみてご来光の時間に合わせる。
    御殿場口8合目(廃屋)より上から山頂まではご来光は見る事ができない)

2.日帰り登山
   富士宮口新5合目 - 山頂 - お鉢巡り - 御殿場口下山 - 宝永山火口 - 
   富士宮6合目 - 富士宮口新5合目
   (5合目出発をなるべく早朝(4時-5時)にして、涼しいうちに登ると楽です)

 御殿場口を下山に利用するメリットは、混んでいないだけではなく、富士宮口と景色が変わり
遠くには相模灘・江の島・三浦半島・丹沢山塊・房総半島等の関東方面。眼下には鯨の形をした
山中湖も見えている。他にも富士宮口には無い、火山灰の堆積した所を走る大砂走りの一端も
体験出来事だ。更には宝永山の火口の底にも降りるので、火口壁の絶壁も上に見る事ができる。
その火口の底からの登りも心配無用で、余りきつくない登りを10分も歩けば火口縁に出る事ができる。
火口縁からは平坦な横道が6合目まで続いている。
まだ余力が残っている人は、火口縁から少し下り樹林帯の中を新5合目に行く道もある。
岩石や火山灰ばかりだった登山道と違い。木陰の道を鳥や蝉の鳴き声を聞きながら歩くのも
いいものですよ。但し、もしアブがいたらご免なさい。

今年富士宮口の登山を考えている方は是非検討してみてください。


一度アップしてから今年はマイカー規制が7月12日から9月1日だったのを思い出し慌ててバスの時間を調べると。
水ヶ塚初バスの始発は朝の6時からだった。これでは日の出前に歩くことは出来ない。
また最終バスは22時だったので、これに乗り23時から歩き始めると山頂のご来光に間に合うし
御殿場口の8合目より下でご来光を見るには、それこそゆっくり歩かないと早く着き過ぎて寒い思いをする。
他にはタクシーが夜間料金を入れて1台5100円であるので、4人で乗れば千円程度で乗る事もできる。

それにしても世界遺産に登録されたおかげで面倒な事が増えたものだ。



「海から富士山・剣ヶ峰」2日目-2

2013-07-20 10:13:17 | 富士山
          

 浅間神社奥宮の横からお鉢の前の広場に出る。お鉢に残った雪も多いが、剣ヶ峰の直下にも雪が残っている。
これは7月下旬では見られない景色で、今年の登山が早い時季だったことの象徴だ。

 例年この広場に座り込んで昼飯を食べるのだが、どうも食欲がない。昨日の早朝に買ったコンビニの握飯が
3個も残っているのに困ったものだ。しかし何か腹に入れないと後が持たない、とケースに入ったバナナと
妻から押し付けられた金鍔を無理して食べた。
どうも体調が良くない。高山病ではないがともかく疲れた。平らな道でも、ダラダラした歩きしかできないし
登りになればすぐ息切れがする。目標だった剣ヶ峰はもう目の前だから間違いなく登れるだろうが、
お鉢巡りはどうだろう? お鉢は通常なら1時間20分で回れるが、この調子では2時間以上掛かりそうだ。
そうなると銀名水を下り始めるのが12時半から1時ごろで新五合目に着くのは5時か6時か。
止めた、止めた。お鉢巡りは止めた。若し6時の終バスに乗れなかったらもう1泊しなければならなくなる。

          

 お鉢巡りを止める決断をすると気が楽になったのか、最後の難関の剣ヶ峰の馬の背が案外楽に登れた。
そしてようやく剣ヶ峰に10時35分到着。朝、山頂行きを諦めないで良かった。
矢張り今年はまだ登山客が少ない。例年写真待ちをしなければならない剣ヶ峰もほぼ自由に撮れる。
来年もこの早い時期を狙いたいが、浅間さんが開いてなければ目的を達成できない。困ったものだ。

 三角点の所から下を覗くとお鉢巡りの人が目に入った。

          

これは残雪の上で遊んでいるのではなく、残雪の上にある狭いお鉢巡りの道を慎重に歩いている登山者です。
滑れば下の広場までは滑落しそうですが、左程の怪我は負わないだろう。
こんな道は普段なら喜んで歩くのだが今の体調では諦めるしかない。
馬の背の頂点からほんの10mもない雪道だが、そこまで歩く元気もなかった。

 だがチョット待てよ! 昨日まで富士宮口の登山道は通行禁止だった。
はっきりした理由は分からないが多分登山道の残雪の為だろう。しかし今日登ってきた登山道はおろか
その付近にも雪の形跡は何もなかった。雪を見たのは例年ある沢の場所の万年雪でしかない。
しかもその残雪は登山道から行くには一苦労の場所にある。
なのに山頂のお鉢巡りの道は、こんなに雪に覆われて細い踏み跡しかない場所がある。
その雪道の付近に「通行禁止」「通行注意」の立札も建っていない。

 話は先の事になるが、この雪の事を纏めて書いてしまいます。
実は帰りの富士宮口登山道入口にスタッフの名札をぶら下げた男性が5・6人立っていた。県の職員かな?
そこで思い切って聞いてみた。
「富士宮登山道は昨日まで通行禁止だったけど理由はなんですか?」
「登山者の安全を確保するためです」
「登山道に雪の痕跡は無かったけど雪が理由ではないのですね?」
「登山道には雪は無くても近くにあるとすぐ上で遊び人がいるから------」
「でも剣ヶ峰の下のお鉢巡りの登山道は雪に覆われていて、雪の上を歩いていたけど、あれはいいいの?」
暫く考えていて
「山頂は浅間さんの物で県の権限は及ばないから仕方ないし、責任は浅間さんですね」
そんな無責任な、と思ったが更に追及の手を緩めず
「御殿場口は登山道の近くに雪が残っていたけど、何故山開きの日から開通していたの?」
(御殿場口を下り始めると登山道から雪渓が見えていた。その雪渓までなら楽に行けそうだった)
そんな意地の悪い質問に県の職員(?)は、しばし無言の後
「ウーン! 富士宮口の通行禁止は上役の責任逃れだったのかなー」だって。
それ以上追い詰めるのは意地悪すぎる。
時計を見るとバスの時間も後5分しかない。慌ててバス停に向かった。

 話は後先になってしまったが、剣ヶ峰を下り富士宮山頂に戻ってから銀名水に行く。
銀名水は鞍部の場所にあるが一応御殿場口の山頂で、ここからは火口越しに剣ヶ峰が見える。
その銀名水には昔から小屋が建っているが、私はこの小屋が開いているのを見た覚えがない。
それが今年は小屋の戸に貼紙がしてあり「富士山頂臨時郵便局 7月13日開局」とあった。
なるほど今まで郵便局は富士宮山頂の浅間神社の一角に間借りをしていたが、それが世界遺産登録による
登山者の増加を見込んで独立するのだろう。

          

 銀名水の歩き出したのは11時10分だった。
去年なら銀名水から新5合目のバス停まで3時間で着いている。今から下れば2時10分には着いて2時半の
バスには十分間に合うはずだが、今年は------- ウーン!駄目だろう。
それなら次のバスは6時だからゆっくり歩いて行こう。そんな決断をして下りだした。

 梅雨明けも間もないこの時季なので、富士宮口は登山者が少なかった。
元より登山者の少ない御殿場口は、歩いている人がいるか等と思っていたが、その考えは完全に打ち砕かれた。
さすが登ってくる人は少なかったが下山する人は何故か多い。
昨年7月31日に下った時は、下にも上にも歩いている人の姿を見ない時があったが、今年は常に登山者の姿が
見えていた。何故だろう?色々考えて出た結論は“この時季に登る人は富士山初心者は居ないだろうから、
変化を求めて下山コースを変える人が多かった”のではないか。

 登りに比べ下りは流石に楽だった。登りでは抜かされる一方の私だったが下りに入ると抜く機会が多くなった。
でもバスに間に合わせる気を起こすのは止めよう。慌てるとろくなことは起きない。
そんな気持ちで下っていると時ある考えが閃いた。“そうだどうせお鉢巡りをやらなかったのだから、下りも
何時ものコースと変えて、御殿場口から富士宮8合に抜ける横道を久し振りに歩いてみよう”

 この横道は御殿場口7合6勺の避難小屋から富士宮口8合目に抜ける平坦な道で、昔は山小屋の荷物を運ぶ
馬が利用していた、知る人が知る道だ。
私もかって会社の仲間や近所の人を案内したり、子供や孫を連れて一泊で富士山に登るときは常に利用して
いた道だ。それが6年前に上の孫を連れて歩いたとき、富士宮口側でこの道をロープで塞ぎ通行禁止の貼紙を
してあった。本来なら8合目の小屋で理由を聞くべきだったが、孫を連れていたし御殿場口の小屋に宿泊の予約も
入れてあったので、黙ってテープを跨いで御殿場口まで歩いたことがある。勿論道は安全で何の支障もなかった。
 その日小屋に同宿した親子がいて、道を知らなかったので8合目で聞いたところ、散々嫌味を言われ、もう二度
富士山には来たくないと話をしていた。
 それ後いつだったか、通行禁止の貼紙の前に小屋の人がいたので、その理由を聞いた事がある。
でも結局「危険だ」「自己責任だ」「俺に言われても困る」と返って来ただけだった。
私流に通行禁止の理由を考えるなら、この道が知られてしまうと富士宮口から御殿場口に登山者が流れてしまうと
富士宮側は恐れているのではと思う。
確かにそれでは富士宮側の小屋は困るだろうから、看板などで案内する事はないが「通行禁止」戴けないと思う。

 私が仲間やを子や孫を連れてこの道を利用した理由は
1.ご来光を見たい   - 富士宮口から綺麗なご来光は見る事ができないが、御殿場口は何処からでも
                  ご来光を見る事ができる。
2.山小屋が空いている - 当時御殿場口は登る人は少なく、マイカー登山が増えて下山する人も減った。
                  最近はプリンスルートができ、7合8勺の小屋は混むようになった。             
3.登山道が空いている - 時折渋滞が発生する富士宮口と違い、御殿場口は空いている。

他にも余分な荷物を泊まった小屋に預けて山頂に行ける。等の事でこの横道を利用していた。

          

 前置きばかり長くなってしまったが、7合9勺(最近は8合目と言っているらしい)の赤岩館の前で
今なら富士宮8合目の小屋は開いていないので、嫌な思いはしないで済む。と、休憩しながらこの横道を
歩く事を決断した。
 それにしてもかって御殿場口の山小屋は遅い開店、早い閉店だったのに、今年は既に赤岩館は営業していた。
同じような標高にある富士宮8合はまだ閉まっていたのに、これを見ただけでも御殿場口の勢いが感じられる。

「海から富士山・剣ヶ峰」2日目-1

2013-07-18 08:36:12 | 富士山
          

 外が明るくなってきたようだ。布団から起き出し便所の窓から外を眺めると
オー愛鷹山が見えている。上空は曇っていて陽射しは無い、これなら絶好の富士登山日和だ。
アレー 胸の不快感も感じないぞー
これなら山頂に挑戦しないで引き返す事はない。ヨシ!兎も角7合目までは行ってみよう。と急遽方針変更。

 小屋で支度してあった昼飯の握飯を朝食替わりに食べだしたのだが、汁が無いので食べにくい。
昨日弁当場で汲んできた水で流し込だが、1個しか食べれず残りはそのまま小屋に残す事にした。
水で溶かして飲む味噌汁とかスープのインスタントがあればもっと食べれるのに-------

 6合目を4時30分に出発。
何だか左の肩が重い感じがするが、きっと昨日弁当場で汲んだ水の位置が偏っていたのだろう。
当初の予定は3時半に出発して、お鉢回りをした後、富士宮新5合目から2時半のバスで帰る積りだった。
だが既に予定より1時間も遅くなっている。後は登れる所まで登って2時半のバスに間に合うように下ろう。
2時半の次のバスは6時の最終バスがあるが、それでは海岸に車を取りに行っていると、家の到着が11時頃に
なってしまう。できるなら2時半のバスに乗りたい。

 6合目をゆっくり歩きだした。余りのゆっくりさで次から次と抜かれ、私が追抜く事はない。
例年も最初は抜かれるが8合目くらいになれば、勢いを失くした人たちを今度は私が抜く番になる。
今までは小屋と小屋の間では立止らず、小屋の前か横で休憩していた。例えゆっくりでも歩いていれば山頂に
近づくという信念の元。

 ところがどうだろう。今年はとても次の小屋まで立止らず歩き通す事ができなかった。
そして一度立止まってからは、タガが外れたように立止りだし、山頂まで10回や20回ではきかないくらい
立止ってしまった。更に9合目の上では2回も座り込んで休憩をする始末。
これでは山頂まで抜かれる一方なのも仕方ない。

 ゆっくりだが7合目を過ぎ8合目に到着。ここまで来れば何とか山頂までは登れるだろう。
8合目までの小屋は営業していたが、そこから上の小屋はまだ閉まったままだった。
世界遺産に指定され登山者が増えると言われているのに何とものんびりしたものだ。
9合目を過ぎるといつもの年のように万年雪の雪渓が見えた。今年は例年より20日かも速いせいか
残雪の量が多いように感じる。

          

 私は遅いが私と同じ位かもっと遅い人も現れだした。そんな中の一人で77才の埼玉県の人がいた。
「毎年登っているのだが今年は厳しい。丁度77才と区切りがいいので今年で止めようかと思う。
事故が起きてからではなく、ホームランバッターがホームランを打てるうちに止めるように止めたい」

中々いい事を言う。
「前に7合目で登山道が通行規制だったが「自己責任で行く」と言って登って来たら、その上の山小屋が
みんな閉まっていて困ってしまった。たまたま9合5勺の小屋が準備中だったので無理を言って泊めて貰い
助かった。あそこがやってなかったら遭難してただろう」
とも言った。その時はすかさず私は
「それは準備不足ですよ。山開きして間もない時は小屋の状態も調べてこなきゃぁ」と厳しい事を言う。
話のついでに私が「来年70才なので、山頂の浅間さんで署名をするのが楽しみだ」と言うと
「日本古来の神社や寺の歳の数え方は数えだから、今年から署名ができますよ」と教えてくれた。
ソーカ、神社や寺は数えで歳を数えているなら確かに署名は今年からできるかもしれないな。
何だか得したような損をしたような気持ちになった。

 埼玉の人は道端にどっしり座り込んで動く気配が無い。もっと話をしたいようだったがきりがないので
「それじゃお先に失礼します」と薄情にも置いてきぼりにしてしまった。
道々考えた。若し山頂の浅間さんが開いていたらどうしよう、署名すべきか、それとも----
体も疲れているが頭も疲れている。幾ら悩んでも堂々巡りにしかならない。そんなときフトある疑問が湧いた。
「古稀とは数え年で70才なのか、それとも満で70なのか?」これも疲れている頭には解決できない問題だった。
後日思い出して考えても中々難しい。だって還暦は60才だが暦が一周して元に戻るのには61年掛かる。
となれば還暦のお祝いは満で60才、数えで61才と云うことになる。
調べてみたら「還暦は数えの61歳(≒満60歳)であるが、古希は数えの70歳(≒満69歳)のこと」とあった。
これは後日分かった事でその時は分かっていなかった。

          

 そんな事もあってようやく浅間さんのある富士宮口山頂に着いたのが10時丁度だった。
ここで最近の登山時間を比較してみます。
                        67才      68才      69才
富士宮口6合目~富士宮口山頂  4時間25分  4時間35分  5時間30分

これを見ればいかに今年がユックリだったか一目瞭然ですね。
65才から本格的に歩きだし、徐々に脚力が付いてきたが、そのピークは67才だった。
それでもその後も何とかその脚力を維持してきたが、今年になると明らかに脚力は落ちてしまった。
富士山に限らず大崩山塊の縦走でも昨年より1時間も余計に掛かったし、他でも思わぬ所で疲れが出て
目的地を諦めた事がある。アーア!恐れていた「老化現象」が始まってしまった。
こうなると鍛錬のため歩けば歩くほど疲れは蓄積してしまうようになる。サテサテ困ったものだ。

 そんな事はひとまずおいて置いて、山頂について気になっていた浅間さんを見てみると
アー良かった。まだ神社の戸は閉め切ったままだ。これでは署名は出来ない。
署名ができないと云うことは、私の誓った「古稀に海から富士山に登って山頂で署名する」と言う誓いは
まだ達成しないことになる。こうなれば来年浅間神社が開いている時に海から登り署名をしなければ
目的達成にはならない。こうなれば何時間かかるか分からないが、ともかく来年も挑戦するしかない。

 登山時間5時間30分が一般的にどの位の速さかと云うと。山小屋においてあるパンフレットでは
6合目から山頂まで休憩時間を含めず4時間となっている。途中にある山小屋は5ヶ所でそれぞれの小屋で
20分の休憩を取ったとすれば1時間40分。合計すれば5時間40分になる。
パンフレットの時間は当然余裕のある時間なので、富士宮口は新5合目から山頂まで6時間あれば誰でも
登れると速さだと思う。来年も何とかこの位の時間で登りたいがどうだろうか-----------

「海から富士山・剣ヶ峰」1日目-3

2013-07-16 11:25:38 | 富士山
 水ヶ塚を12時40分に出発。何となく快調に歩ける気がする。
登山道脇にベトベトしていて触るのも嫌な茸があった。その湿った茸の横には乾いた茸も倒木に付いていた。
この茸は食べる事ができるのだろうか? イヤどうも食べられそうもない---- そんなとき後ろで「ガサ!」と音がした。
慌てて振り返ると角のない鹿がピョッンピョッンと飛び跳ねながら林の中に入って行った。そして立止ってこっちを見ている。
しめた! 慌ててカメラを取り出し鹿の方向にカメラを向けるのだが鹿が分からない。再度肉眼で確認しズームを上げて、
いざ写そうとしたら鹿はゴソゴソと林の陰に入ってしまった。
慌てて撮った写真は。鹿の尻の白い毛だけが写った何とも情けない写真でした。

 

 2合5勺の標識に東に(右)に行くと「幕岩」「御胎内」の表示ある。
まだそこには行った事がないが御胎内辺りが江戸時代の須山口登山道の1合目だったらしい。その御胎内から
幕岩に掛けてが旧登山道で世界遺産の構成資産になっている。
富士山好き、しかも須山口を何度も利用している自分なのに、本当の1合目を知らないなんて恥ずかしい。
ヨシ!今年中に一度歩いてみよう。

 その時は何故か快調で1号5勺で休憩もせずに次の2合目を目指して歩き出してしまった。
道は徐々に山道状態になり周りの景色は苔や緑の草に覆われた林になる。
私はかって青木ヶ原樹海はこの感じを更に苔深くした物だとばかり思っていた、。だが実際に歩いてガッカリした。
時季が紅葉のときだったので地表は茶色の枯葉が覆われイメージが全然違っていた。
樹海も春歩けば苔に覆われた景色を見る事ができるのだろうか?

 倒木地帯に入るが登山道は良く整備されていて倒木はない。ただ須山登山道全体で3本の倒木があったが
どれもが苦労なく跨げるものです。(去年の倒木に今年の分が1本増えていた)

 倒木地帯にある2合目に何とか到着。1号5勺で休憩しなかったためか疲れ果ててしまった。
これからは馬鹿な事は止めよう。小屋に早く着いても仕方ないのだから十分に休みながらゆっくり歩こう。

 

 私のお気に入りの「樅の小道」は、樅が大きく育ったせいか幅広く刈られて風情を失くしていた。
樅の新芽は一見素肌に触れると痛そうだが、実際は柔らかくチクリともしない。

 2合5勺の御殿庭下の辺りからだろうか、虻が何匹か体の周りを飛ぶようになった。ブーンと羽音をたて
顔の近くに来たときは手やタオルで追っ払っていた。そのうちズボンや腕にもたかってくる。
歩いているときはまだ良いが歩きを止めると服やズボンの上に止まってくる。
「イテ!」ザックを下ろした背中を刺されてしまった。それからはパニック状でタオルを振りますようになった。
だいたい富士山でこんなに沢山の虻に襲われるなんて初めてだ。アブは子供の頃に川で泳いでいると
1匹か2匹が襲ってきて、その羽音を聞くと「虻来襲!」と叫んで水中に避難したものだ。
それが水も無い富士山で襲われるとは-----
タオルの使い方も徐々に上手くなりズボンに停まったアブを狙い撃ちをする。地面に落ちてまだ動いているアブを
靴で踏み潰してやる。残酷? トンデモナイ何もしないのに襲ってくるアブの方がよっぽど残酷ですよ。
何匹殺しただろうか?10匹や20匹ではきかない気がするが一向にアブの数は減らなかった。
結局樹林帯が終わる3号5勺の辺りまでは虻来襲は続いていた。

 

 山岳地帯に行くと見かける、木にぶら下がった苔があるが、ここではその苔が地面に落ちていた。
苔を拾おうとすると苔は地表に根を張っている。木に垂れ下がっているだけで養分を摂取できるのに
地面に落ちると根まで張る必要があるのか? 木に垂れ下がった苔とは違う種類の苔なのか?

 フーやっと山体変動観測装置の所まで来た。ここまで来れば後はシメタもので暗くなろうが雨が降ろうが
どうと言うことは無い。タイミングよく霧が晴れて宝永山の一部や火口縁も見えてきた。
今日は曇り時々晴れの状態で景色は見えなかったが汗をかく量が少なくて済んだ。お蔭で疲れも大分違うだろう。
サーノンビリ6合目の小屋に行こう。

 今日は早朝から歩いていて、追い越したり追い越されたりした登山者は居なかったが、擦違った登山者は
2合目付近で1組いた。私と同年配の10人ほどグループで山中湖村に住んでいると言っていた。今日は
水ヶ塚に車を置いて宝永山の入口までの往復だという。私が海から歩いてきたと云うと興味を示して
色々質問をしてきた。お蔭で気分よく話ながら楽しく休むことができた。

 

5時10分。ようやく富士宮口6合目宝永山荘に到着した。フー疲れた。山小屋に入らずベンチで休憩をする。

海からここまで13時間35分掛かっている
去年は    12時間55分だったので40分遅れだ。
歩く前は2時間近く遅くなるのでは思っていたので40分遅れは上出来な歩行速度だ。
データをもう少し細かく見ると

   海岸~弁当場   弁当場~水ヶ塚  水ヶ塚~6合目
今年  6:15      2:20     4:30
昨年  6:00      2:10     4:20

今年の歩行時間は満足だが、6合目に着いての疲れの具合は昨年より疲れている。
先ず何かに寄り掛からなければ座れず。昨年まではあんなに美味しかった氷結も一口飲んでムカっときた。
(それでも我慢して飲むところが意地の汚いとこ)
夕飯は今年は初めてメニューから好きな物が選べるようになっていたが、例年と同じカレーを頼んだ。
だが小屋の人は盛んに「なんでも頼めるのだから良く選んで」と言ってカレーを受けてくれない。
こっちは定食の様な御飯だけだとノツノツしそうなのでカレーを頼んだのにー。
結局小屋の人の勧めもあり、汁もありそうな牛丼にした。
ところが駄目だった。ノツノツしてご飯が喉を通らない。夕飯を食べないと明日に支障が出ると味噌汁やお茶で
何とか残さず食べたが気持ちが悪い。寄り掛かっているのも大変になり横になってしまった。
歩行タイムはともかく疲れは大分溜まったようだ。

 7時に2階の寝部屋に上がる。今日の泊り客は私を含め3人だけなのでお互い離れた寝場所にしてくれた。
今年富士山は世界遺産になったが、今日は梅雨が明けたばかりで、しかも富士宮口は通行禁止がようやく
昨日解除したのだ。更にこの小屋はバスの終点から15分の所なのだから、泊まる人などいる方がおかしい。
と自分の判断に満足を覚えたいところだが、宿の人の話では明日は40人の予約が入っているとか。
新しいもの好きの日本人は恐ろしい!!

 

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4月頃から老人性(?)睡眠障害に罹ってから睡眠薬を飲んでいるが、今日はその薬を通常の半分飲んで
布団に入る。
その薬の効果てきめんですぐ寝込むことができた。
ところが10時頃だろうか、ザックの中で何か音がしている。半分寝ボケながら何だろうと考える。
アッ!そうだ。今日は妻の携帯電話を借りてきているのだった。あわててザックから携帯を取り出した。

 アーア携帯の電源を切っておくべきだった。後悔先に立たず。それから先は一睡もできず朝を迎える
羽目になってしまった。
そんなとき考える事はどうしょうもない事ばかりで、胸の不快感や脈拍の早い事が気になりだした。
明日の行程を考えても弱気の虫が起き山した、山頂まで登れるイメージが湧かない。
無理をして倒れでもしたら周りの迷惑になる。どうしよう?
結局布団の中で明日の山頂行は諦めて、来た道を水ヶ塚へ下り幕岩や御胎内に行く事にした。
起床予定の3時のアラームを無視して、そのまま布団の中で時を過ごす。

「海から富士山・剣ヶ峰」1日目-2

2013-07-14 10:32:01 | 富士山
                   

 弁当場には名水を汲みに来ている人がいたので、そのホースを借りてペットボトルに水を補充して
冷たい水で存分に喉を潤す。
相変わらず「熊注意」とか「この水は飲料水ではありません」の立札がある。
そのくせ横の水利組合の看板には「弁当場の水を須山まで引き生活用水として利用している」とある。

 

 弁当場からの沢沿いの道に白い花が咲いていた。茎には棘があり、葉の形が山椒に似ているから
多分サンショウバラ(山椒薔薇)だろう。例年は時季が遅いのかこの花は見た事がなかったので儲けた感じだ。
そう言えばサンショウバラは富士山眺望トレインで歩いた三国山稜に群生地があった。いつかの花の時季に
見に行こうと思っていたがここで見る事ができた。

 弁当場からおよそ40分の所にフジバラ平と看板があり、先ほどのサンショウバラがあちこちに咲いていた。
今までフジバラ平は富士原が訛ってフジバラになったのかと思っていたが、これで了解した。
きっとサンショウバラの事を富士山では富士薔薇と呼んでいるので、フジバラ平は「富士薔薇平」なのだ。


 

と勝手に解釈をして家でネットを検索すると、こんな事が
「タカネバラの名前は、高山に生えるバラの意で、富士山に多く分布することからフジバラ、ハマナスに似る
ことからミヤマハマナスとも呼ばれる。6-8月に、枝先に7-8cmの淡紅色の5弁花をつける。
葉は対生し、奇数羽状複葉、3-4対の小葉は長楕円形、先は尖り、縁に鋸歯が-----」
とあった。

ここの花は確かにハマナスと似た形の花だが、花の色は淡紅色ではなく、白色の5弁花だ。
葉は記述通り対生の長楕円形で縁に鋸歯がある。違うのは花の色だけだが ウーン!-------

白い花は道脇だけでなく、下にある遊水地の方にも咲いている。中には同じ白い花だがウツギ(空木)の
花も交じっていた。

 フジバラ平から少し行った所に日本ランドの遊水地の水門?堰堤?らしき下にある沢を渡る。
そこに何とも心安らぐような苔庭があった。
デコボコした溶岩の表面を緑の苔が覆い尽くしていて、それだけでも綺麗だが溶岩の凹んだ所には
水が残っていてキラリと光るときもある。
写真の腕が無いのでこんな写真しか写せないが、腕の良い人ならもっと神秘的に写してくれるだろう。

 遊水地の土手らしき所を横断して沢の中にはいる。ただ沢に入って対岸を見ても道が見つからない。
そこで強引に対岸に上がるのは大間違いですので気を付けて下さい。
沢に下りたり冷静に上流を見れば、沢底より大分高い場所に、木の枝などに隠れて見にくいけど
標識が見えます。 要は少しの間溶岩の沢を遡上することになる。

 沢底の砂が綺麗に掃き清めれた様な場所がある。足跡一つ無い所を見ると最近歩いた人は居ないようだ。
前回は何時雨が降ったのだろう? 考えたが分からない。でもこの4.5日は降っていなかった。
今は涸沢だが、この沢も水が流れる事もあると云うことは頭に入れておかないといけないな。
 沢を上がる場所は梯子があるので明確です。

   

 沢から上ると日本ランドのゴルフ場の横に出る。丁度ゴルファ-がティーショットを打っている
ところで「カーン」と気持ち良い音が聞こえてきた。
その後ろにある観覧車は回っていないようだ。夏休み前で遊園地は休園なのか?

 例年ならここからの道の左右にはゴルフボールが幾つも落ちていたはずだ。ところが今年は一向に
ボールが見当たらない。何故だ? 去年ブログに「ロストボールが一杯落ちている」と書いたので
誰か拾いに来たのか、それともブログを見たゴルフ場で登山道にボールが飛びこまないよう対処したのか?

 いえそのいずれでもありませんでした。
写真のように拾い集めたボールを纏めて置いてあるのが3ヶ所もありました。
余裕のある登山者だなと感心しかけたが、いやこれは海から富士山を歩く人ではなく、須山から水ヶ塚を
歩くハイカーの仕業だろう、と勝手に解釈して自分の優位性を保とうとする馬鹿な男でした。

 

 去年登山道横が崩壊して沢まで20mほどポッカリ口を開けた所は既に虎テープを張ってくれてあった。
ありがたい事です。富士山の入山料を徴収するようになったら、上の登山道だけでなく麓の登山道にも
是非予算を回してほしい。お願いします。

 上の水場に到着。ここまで来れば水ヶ塚近いので余裕も出てくる。タオルを冷たい水で濯ぎ汗で濡れた体を
拭くと、アー!気持ちいい。生き返ったようだ。まさに男に生まれて良かった事を実感する。
ただ今年は水場の蛇口が壊れていて、注意しないとネジの部分ごと抜けて水が勢いよく溢れ出てしまう。
注意深くチョロチョロ出して使えば支障ないが、ここを管理している人は知っているのかな?

 上の水場から少し急なガレ場の登れば林道に出る。その林道が下り勾配になれば富士山スカイラインは
目の前だ。

 

 水ヶ塚に12時25分到着。海から8時間50分掛かっている。
去年は8時間30分だったから、たったの20分遅れの上出来な歩きだ。
これなら老化現象を心配するのまだ先の話だ。と自信も蘇ってきた。

 ここ水ヶ塚はこのコースの最終引返し地点に考えている場所で、もしここでダウンしたなら水ヶ塚を
15時33分発の三島行のバスで引返す事ができる。今はそのバスの時間には3時間以上もある。
去年はここから6合目の小屋まで4時間20分掛かっていたので、今年は悪くても5時間半で行く事ができそうだ。
日が沈む18時半までには、まだ6時間以上ある。なら当然原生林は明るい内に出る事ができる。
ヨシ! 海から富士山・剣ヶ峰は続行しよう。

「海から富士山・剣ヶ峰」1日目-1

2013-07-12 16:31:05 | 富士山
 田子の浦海岸に早朝の3時半に到着したが海岸の様子が昨年と違う。
今までは公園を下れば突堤があり、テトラポットの海岸に降りる事ができたが、
今年は突堤は見当たらず工事中の砂山が行く手を阻んでいた。
更に先に進むと小さな灯台が見えてきたが暗くて下る道がよく分からない。
仕方ない海抜0mではないが今年はここを出発点にしよう。

         
          翌日の帰りに写した紅白の灯台

 海岸を3時35分に出発。この時間は昨年より1時間10分も早いのだが、何しろ不調続きの今は
昨年より1時間は余裕を見ておかないと、暗くなっても原生林を抜けられなくなる。
さすがの私も野生動物が闊歩していそうな闇の原生林の中を歩く勇気は無い。

車道を歩く限りでは照明もいらないが、富士塚で写した写真はこんな状態だった。

         

 今日の静岡県東部の天気予報は「日中は晴、朝早くは所により霧か雷雨」となっていたが、
何か霧雨でも降ってきそうな空模様だった。
それでも曇っている方が歩きやすい。順調に足は進み新東名の下に5時10分に到着した。
海から1時間35分掛かっているが、昨年は1時間半だったのだから、それなりに順調だ。

 県道と別れた先の右の下に深い淵が見えるが名前は分からない。
地名が鵜無ヶ淵だから多分「鵜無ヶ淵」だらう。曇っているせいか綺麗っぽく見える。

        

 車の全然通らないの林道が県道に合流すると、急に車が多くなって騒がしくなる。
更に県道が国道469に合流すると車の量は増えてきて、カーブのときは前から来る車が要注意になる。
ここの車道歩きは今日の行程の中の、ネックの一つだから我慢して歩くしかない。
それでも今年は曇っているので例年より歩きやすい。例年寝小便をしたようにグッショリになるズボンも
今年は腰辺りが少し濡れているだけだ。

 道端に咲いている花が例年と違う。いつもは7月下旬か8月に歩いていたのでギボウシ(擬宝珠は
花が咲いていたが、今は蕾の状態だ。
だが蕾は花より恰好が良くて、上から見ると勲章のようにも見える。

        

 ギボウシの他にオダマキ(苧環)も咲いていた。この花はそろそろ終わりのようで花が枯れた物も
多かった。しかし日本のオダマキって紫色ではなかったかな?ピンクや黄色のカラフルなのは、確か
西洋オダマキだったはずだ。
だがここに咲いているオダマキは薄いピンクで筋模様が入っている小振りな花だった。
後でネットで調べたらヤマオダマキという野生種があったが写真の色は紫だった。
しまったなー 写真を写しておけばよかったが車を気にしながら腰を屈めて撮る気にはならなかった。

 花で気を紛らわしながら車道を歩いていると子供の国の手前で雲がとれ陽が射してきた。
富士山は見たいが陽射しはいらない。そんな気分ったがそれは我儘と言うもの。
富士山は見え始めたが陽射しと共に汗の量がドット増えてきた、
そして十里木の入口にある越前岳登山口に到着。

 

越前登山口には海から5時間丁度の8時35分の到着。なんとこのタイムは去年とドンピシャ同じだった。
きっと曇っていた分、歩きやすかったのだろう。

 実は体調不良の時は十里木から引返す事も考えていたが、この分では大丈夫そうだ。
なら次の引返す事の出来る水ヶ塚まで行くことにしよう
 不調の時の引返し地点を十里木と考えていたがバスの時間を調べてなかった。
来年のためにとバス停の時刻表を覗き込んでみると。 
エー! 何だコリャ 1日にバスは2本しかなく富士行は土休日の17時6分しかない。
これじゃ十里木は引返し地点にはならないな。

 関所跡を過ぎ八幡神社の鳥居の先に、先ほどのバス停より立派な時刻表や待合室が目に付いた。
1日2本のために待合室があるのも変だ。仕方ない確認しようとイヤイヤ遠回り。
時刻表を見ると今度は2時間に1本の割で御殿場駅に向かうバスがあった。
これなら十里木は引返し地点になるだろう。

 

 十里木の別荘地の中は相変わらず静かなもので人気もない。何軒かペンションもあるが
営業しているのか分からない状態のペンションもある。
将来はここで1泊余計に泊まれば、71才を過ぎても海から富士山を歩けるかもしれない。
そんな事を考えながら別荘地の中の分かりにくい道を歩く。
実は海から剣ヶ峰の道で唯一自信の無かったのがこの別荘地内の道で、地図をコピーしてきてあった。
だがそんな心配も必要なく現地に来れば歩く道を思い出していた。

            

 別荘地を過ぎ有料道路の旧料金所跡から須山口登山歩道に入る。
何故歩道になるかと言うと、須山口登山道は水ヶ塚の1合目から始まり、その下の須山浅間神社までの
山道は登山歩道としているようだ。

 海から6時間15分の9時50分に水場のある弁当場に到着。
昨年より15分遅れで、想定以上の歩きだ。

富士山に行ってきました

2013-07-11 11:57:10 | 低山歩き
 7月9・10日に恒例の「海から富士山・剣ヶ峰」に行ってきました。
例年なら梅雨明け前のこの時期には、登山者は居ないのですが今年は大違い。
梅雨も明け富士山が世界遺産に登録された熱気なのか、かなりの数の登山者でした。
それでも例年の7月下旬過ぎとは違い、剣ヶ峰の写真の順番待ちはありませんでした。
ところが不思議な事に御殿場口の下山者は昨年一昨年より多かったのでビックリ。
何なのでしょうな??

 
 
 出発前に自分の事を「加齢現象で----」と書いたが、とんでもない間違いだった。
加齢どころか既に老化現象が始まっていて、疲れる事、疲れる事、それも半端ではなかった。
それでも何とか海から歩いて剣ヶ峰の上に立つことができました。
もう少し詳しい話は後日紹介します。


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 富士山から帰ってきて見た新聞の投書欄に「入山料を5000円にすればゴミを捨てる不心得者も減る。
その入山料で清掃人を採用すれば登山道は、清掃が行き届き、きれいになるだろう」
とありました。
この74才の方は、いつ富士登山をしたのでしょうかね。
ここ数年私が登って見た限りでは、ゴミなどは見当たらず綺麗なものです。勿論落し物らしき
帽子やタオルが手摺りのロープに掛けてあったり、飲みかけのペットボトルも2本ありました。
けどあれらはゴミとして捨てたのではなく、きっと落し物だったと思います。

最近の富士山の報道には、ついて行けない物が結構あって、
こんな事なら世界遺産にならなかった方が、と感じる時もあります。