天城縦走-3 歩行月日2012/8/26
歩行時間:5時間52分 休憩時間:1時間05分 延時間:6時間57分
出発時間:8時50分 到着時間:15時47分
歩数:27.600歩 GPS距離:16.8km
行程表
伊東ゴルフ場 0:56> 万二郎 1:00> 万三郎 1:13> 白田峠 0:40> 八丁池
1:18> 向峠 0:25> 天城峠 0:15> 旧天城トンネル 0:10> 天城トンネルバス停
歩行記
「天蹕留蹤碑」 アセビの若木
八丁池で長めの休憩をとり13時30分に出発。道標によれば天城峠まで100分と書いてある。
当初描いていた計画では、基本はゴルフ場から天城峠を歩くが、時間によっては天城峠から先の二本杉峠まで歩こうと目論んでいた。
そのタイムリミットは天城峠へ2時30分まで着いたら実行する予定だ。だが今1時半で100分後となると3時10分だ。
100分を40分短縮するのはとてもできないので二本杉峠は諦めるしかない。
次に考えていたのは、3時前に天城峠に到着したら、天城越えで歩いた川沿いの道を、道の駅まで歩く事だ。
それなら何とかなりそうだが、そのために急ぐのは止めようと思いながら出発した。
歩き出した湖畔の一角に石碑が建っていた。先程の案内板に「昭和天皇行幸記念碑」とあったがこれがそうだろ。
それにしても石碑の「天蹕留蹤碑」は難しい字で、とても読めないし意味も理解もできなった。
「天蹕留蹤」とは国語辞典で調べると「蹕」は天皇の行幸。「蹤」は足あととあるので直訳すると
「天皇が来て留まったあと」すなわち「天皇が休憩した所」となるだろうか。
大井川の金谷の石畳には「明治天皇御駐輦址」の碑があるが、こちらは「輦」なる乗り物を降りて休んだのだろう。
それにしても天皇の名前が無いと、どの天皇が来たか分からない「昭和天皇蹕留蹤碑」とすれば明確なのに。
湖畔の周りはまたアセビの木が目に付くようになった。この辺りのアセビは若い木が多くまるで苗を栽培してるような所もある。
若いアセビの葉は新芽が出ていて、赤い葉や黄色い葉、それに本来の緑の葉が混ざって目を楽しませてくれる。
水生地分岐 水生地分岐
行幸碑から少し行くと天城峠と水生地との分岐点があり、そこには「天城峠115分」「水生地(下り御幸歩道)80分)」とあった。
何々さっき湖畔の標識には天城峠まで100分とあったが、峠に近くなったここには115分とある。
標識は両方とも静岡県と環境庁が共同で設置したものなのに何故だ! 血液型がA型の私は、こういうだらしないのが嫌いだ。
(とは云え私のブログも前後で矛盾している記述も多いが)
前回天城越えの時「御幸歩道」の表示があったが、天皇でも登ったのかと思ったが自信は無かった。
だが先程の湖畔の「天蹕留蹤碑」を見てやはり天皇陛下が歩いた道だと納得できた。
富士山にも皇太子の登ったルートが「プリンスルート」と名付けられているが、私が歩いた道に名前が付く事はないだろう。
もっとも「はぐれルート」では迷子になる道と誤解されそうでいただけない。
八丁池のトイレ 八丁池の見晴台
湖畔を半周したくらいの所に立派な建物のトイレがあった。ここのトイレは循環式の水洗トイレで無料とある。
富士山ではトイレの利用料金は200円から300円取られたが、ここのトイレは無料ならいい。
利用しようかと思ったが、階段を登って重そうな扉を開けるのも億劫だし、第一尿意も無い。結局そのまま通過。
トイレの前の標識に「見晴台」とある。距離は0.1km。それでは寄って行こう。
鉄製の階段の先にある見晴台の先には山越しに海がかすかに見えて、右手には八丁池の一部が見えていた。
TVの天城の天気予報のバック画面にある、八丁池の写真は池全体が写っているが、ここからは池の一部しか見えない。
TVの景色は飛行機からでも写したのだろうか?
写真をよく見ると雲の間に富士山の山頂が写っている。雲さえ無ければそれなりの見晴台だ。
八丁池から天城峠の道も、林の中腹を行く道が続き景色は見えない。こういう道は飽きてくる。
傾斜は下り勾配が続いているので歩くには楽だが興味を引く物が無い。
八丁池から1時間20分ほどで「向峠」に到着。
道が尾根道になった 姫シャラ?
向峠から道の状態が森林の点検路状から登山道風に変わった。それは道が尾根を歩くようになったのだ。
傾斜の少ない道を飽きた飽きたと言っていながら、アップダウンの尾根道になると速度は遅くなる。
それでもたまに興味を引く物が出てきた。写真の木は姫シャラだと思うのだが、普通姫シャラというと幹は余り太くなく、
真直ぐに伸びている物が多い。だがこの姫シャラは幹が太くツルツルはしているが幹肌がゴツゴツしている。
本当に姫シャラなのだろうか?チョット自信が無い。
しかし尾根道はすぐ終わってしまい、また山の中腹の道になった。それでもさっきまでの道と違い少しは面白味がある。
途中何カ所か短い橋を渡してあって「橋は一人で静かに渡る」とあったが、中々頑丈な橋だった。
沢の音が聞こえてきた。下を覗きこむと緑の草に何か人工物も見える。きっとワサビ田なのだろう。
だが道はワサビ田には向かわずに、中腹を進んで行く。
天城峠 天城峠の道標
ようやく天城峠に着いたのは15時13分。これでは二本杉峠には当然行けない。
それにしても八丁池から1時間45分も掛かってしまった。八丁池湖畔の標識より5分遅れだ。
こうしてみると標識は湖畔の物でなく、水生地分岐にあった115分の方が正しそうだ。
私の速度は早くないが、八丁池から天城峠の間で、写真を写すとき立止っただけで休憩はしていない。
天城峠と聞けば普通天城越えの古道と思うのだが、ここの古道は更に西にある二本杉峠が明治までの古道だった。
明治入り天城隧道が開通してからは、この天城峠の下にある隧道が下田街道になっている。
ではこの天城峠は何の為に有ったのだろう? ここからは私の妄想的歴史解釈になる。
明治に入り南北から隧道を掘り進むとき、両者の打合せが必要になる。その時今までの街道を使っていたのでは
時間が掛かり過ぎてしまう。そこで隧道の上に峠道を拵えて南北の連絡路にした。
どう? いい解釈でしょう。これで間違いないと思っていたが峠に来て分かった事がある。
それはこの天城峠は丁字の分岐で、西は二本杉峠(古道)、北が湯ヶ島で東は八丁池に向かっている。
だが南の湯ヶ野方面への道は無い。という事は隧道の南側に下る道が無いという事だ
これでは隧道建設の連絡路にはならない。私の妄想的歴史解釈は脆くも崩壊してしまった。
旧天城トンネル トンネル脇の峠への道
どうした事だろう?観光客に人気の旧天城トンネルなのに人っ子一人いない。
時間はまだ3時20分だから、そんなに遅いわけではない。矢張り猛暑過ぎるのだろうか。
結局万三郎岳からは人に会ったのは、八丁池の手前ですれ違った2人だけだった。
さてここからどうしよう。だが今更水生地から天城越えの道の駅まで歩く気は起きない。
GPSの距離はたった16kmなのになんてだらしがないのだと思っても何故か疲れた。
矢張り暑さの影響があるのだろうか。
迷う間もなく、トイレの横から天城トンネルのバス停への下る急な階段を下る私でした。
新旧の天城トンネル連結路 天城トンネルが見えた
このコース当初は天城峠側から歩いたのが楽と思っていたが、実際歩いてみるとどうも逆のようだ。
標高も旧天城とネルが709mで伊東のゴルフ場は1060mだった。
確かに万二郎の上りは少しきついが万三郎からは、ほぼ下り勾配で飽きてしまったが楽だった。
これが天城峠からだと、長いダラダラ登り道が万三郎まで続き、その後一旦下ってから万二郎の急な登りになる。
矢張り伊東側から歩いた方が楽のようだ。
それともう一つ。天城峠に貼紙がしてあって
「通行止のお知らせ 三蓋山付近で崩壊しているため 二本杉峠から仁科方面へは 通り抜けできません」
とあった。これで伊豆山稜歩道縦走の諦めがついた。
歩行時間:5時間52分 休憩時間:1時間05分 延時間:6時間57分
出発時間:8時50分 到着時間:15時47分
歩数:27.600歩 GPS距離:16.8km
行程表
伊東ゴルフ場 0:56> 万二郎 1:00> 万三郎 1:13> 白田峠 0:40> 八丁池
1:18> 向峠 0:25> 天城峠 0:15> 旧天城トンネル 0:10> 天城トンネルバス停
歩行記
「天蹕留蹤碑」 アセビの若木
八丁池で長めの休憩をとり13時30分に出発。道標によれば天城峠まで100分と書いてある。
当初描いていた計画では、基本はゴルフ場から天城峠を歩くが、時間によっては天城峠から先の二本杉峠まで歩こうと目論んでいた。
そのタイムリミットは天城峠へ2時30分まで着いたら実行する予定だ。だが今1時半で100分後となると3時10分だ。
100分を40分短縮するのはとてもできないので二本杉峠は諦めるしかない。
次に考えていたのは、3時前に天城峠に到着したら、天城越えで歩いた川沿いの道を、道の駅まで歩く事だ。
それなら何とかなりそうだが、そのために急ぐのは止めようと思いながら出発した。
歩き出した湖畔の一角に石碑が建っていた。先程の案内板に「昭和天皇行幸記念碑」とあったがこれがそうだろ。
それにしても石碑の「天蹕留蹤碑」は難しい字で、とても読めないし意味も理解もできなった。
「天蹕留蹤」とは国語辞典で調べると「蹕」は天皇の行幸。「蹤」は足あととあるので直訳すると
「天皇が来て留まったあと」すなわち「天皇が休憩した所」となるだろうか。
大井川の金谷の石畳には「明治天皇御駐輦址」の碑があるが、こちらは「輦」なる乗り物を降りて休んだのだろう。
それにしても天皇の名前が無いと、どの天皇が来たか分からない「昭和天皇蹕留蹤碑」とすれば明確なのに。
湖畔の周りはまたアセビの木が目に付くようになった。この辺りのアセビは若い木が多くまるで苗を栽培してるような所もある。
若いアセビの葉は新芽が出ていて、赤い葉や黄色い葉、それに本来の緑の葉が混ざって目を楽しませてくれる。
水生地分岐 水生地分岐
行幸碑から少し行くと天城峠と水生地との分岐点があり、そこには「天城峠115分」「水生地(下り御幸歩道)80分)」とあった。
何々さっき湖畔の標識には天城峠まで100分とあったが、峠に近くなったここには115分とある。
標識は両方とも静岡県と環境庁が共同で設置したものなのに何故だ! 血液型がA型の私は、こういうだらしないのが嫌いだ。
(とは云え私のブログも前後で矛盾している記述も多いが)
前回天城越えの時「御幸歩道」の表示があったが、天皇でも登ったのかと思ったが自信は無かった。
だが先程の湖畔の「天蹕留蹤碑」を見てやはり天皇陛下が歩いた道だと納得できた。
富士山にも皇太子の登ったルートが「プリンスルート」と名付けられているが、私が歩いた道に名前が付く事はないだろう。
もっとも「はぐれルート」では迷子になる道と誤解されそうでいただけない。
八丁池のトイレ 八丁池の見晴台
湖畔を半周したくらいの所に立派な建物のトイレがあった。ここのトイレは循環式の水洗トイレで無料とある。
富士山ではトイレの利用料金は200円から300円取られたが、ここのトイレは無料ならいい。
利用しようかと思ったが、階段を登って重そうな扉を開けるのも億劫だし、第一尿意も無い。結局そのまま通過。
トイレの前の標識に「見晴台」とある。距離は0.1km。それでは寄って行こう。
鉄製の階段の先にある見晴台の先には山越しに海がかすかに見えて、右手には八丁池の一部が見えていた。
TVの天城の天気予報のバック画面にある、八丁池の写真は池全体が写っているが、ここからは池の一部しか見えない。
TVの景色は飛行機からでも写したのだろうか?
写真をよく見ると雲の間に富士山の山頂が写っている。雲さえ無ければそれなりの見晴台だ。
八丁池から天城峠の道も、林の中腹を行く道が続き景色は見えない。こういう道は飽きてくる。
傾斜は下り勾配が続いているので歩くには楽だが興味を引く物が無い。
八丁池から1時間20分ほどで「向峠」に到着。
道が尾根道になった 姫シャラ?
向峠から道の状態が森林の点検路状から登山道風に変わった。それは道が尾根を歩くようになったのだ。
傾斜の少ない道を飽きた飽きたと言っていながら、アップダウンの尾根道になると速度は遅くなる。
それでもたまに興味を引く物が出てきた。写真の木は姫シャラだと思うのだが、普通姫シャラというと幹は余り太くなく、
真直ぐに伸びている物が多い。だがこの姫シャラは幹が太くツルツルはしているが幹肌がゴツゴツしている。
本当に姫シャラなのだろうか?チョット自信が無い。
しかし尾根道はすぐ終わってしまい、また山の中腹の道になった。それでもさっきまでの道と違い少しは面白味がある。
途中何カ所か短い橋を渡してあって「橋は一人で静かに渡る」とあったが、中々頑丈な橋だった。
沢の音が聞こえてきた。下を覗きこむと緑の草に何か人工物も見える。きっとワサビ田なのだろう。
だが道はワサビ田には向かわずに、中腹を進んで行く。
天城峠 天城峠の道標
ようやく天城峠に着いたのは15時13分。これでは二本杉峠には当然行けない。
それにしても八丁池から1時間45分も掛かってしまった。八丁池湖畔の標識より5分遅れだ。
こうしてみると標識は湖畔の物でなく、水生地分岐にあった115分の方が正しそうだ。
私の速度は早くないが、八丁池から天城峠の間で、写真を写すとき立止っただけで休憩はしていない。
天城峠と聞けば普通天城越えの古道と思うのだが、ここの古道は更に西にある二本杉峠が明治までの古道だった。
明治入り天城隧道が開通してからは、この天城峠の下にある隧道が下田街道になっている。
ではこの天城峠は何の為に有ったのだろう? ここからは私の妄想的歴史解釈になる。
明治に入り南北から隧道を掘り進むとき、両者の打合せが必要になる。その時今までの街道を使っていたのでは
時間が掛かり過ぎてしまう。そこで隧道の上に峠道を拵えて南北の連絡路にした。
どう? いい解釈でしょう。これで間違いないと思っていたが峠に来て分かった事がある。
それはこの天城峠は丁字の分岐で、西は二本杉峠(古道)、北が湯ヶ島で東は八丁池に向かっている。
だが南の湯ヶ野方面への道は無い。という事は隧道の南側に下る道が無いという事だ
これでは隧道建設の連絡路にはならない。私の妄想的歴史解釈は脆くも崩壊してしまった。
旧天城トンネル トンネル脇の峠への道
どうした事だろう?観光客に人気の旧天城トンネルなのに人っ子一人いない。
時間はまだ3時20分だから、そんなに遅いわけではない。矢張り猛暑過ぎるのだろうか。
結局万三郎岳からは人に会ったのは、八丁池の手前ですれ違った2人だけだった。
さてここからどうしよう。だが今更水生地から天城越えの道の駅まで歩く気は起きない。
GPSの距離はたった16kmなのになんてだらしがないのだと思っても何故か疲れた。
矢張り暑さの影響があるのだろうか。
迷う間もなく、トイレの横から天城トンネルのバス停への下る急な階段を下る私でした。
新旧の天城トンネル連結路 天城トンネルが見えた
このコース当初は天城峠側から歩いたのが楽と思っていたが、実際歩いてみるとどうも逆のようだ。
標高も旧天城とネルが709mで伊東のゴルフ場は1060mだった。
確かに万二郎の上りは少しきついが万三郎からは、ほぼ下り勾配で飽きてしまったが楽だった。
これが天城峠からだと、長いダラダラ登り道が万三郎まで続き、その後一旦下ってから万二郎の急な登りになる。
矢張り伊東側から歩いた方が楽のようだ。
それともう一つ。天城峠に貼紙がしてあって
「通行止のお知らせ 三蓋山付近で崩壊しているため 二本杉峠から仁科方面へは 通り抜けできません」
とあった。これで伊豆山稜歩道縦走の諦めがついた。