はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

行きたいところ

2009-10-30 14:26:19 | 躄日記
 1年前の今日は大きな不安でしぼみそうな期待を胸にNZオークランド空港に下りた日だ。
噂でNZの入国審査は厳しく、お菓子や薬も没収される事もあると聞いていた。
私は持病の血圧と痛風の薬が取り上げられたらどうしよう、旅行を中止しなければならない。
と思い悩みながらの入国審査だった。
ところが捨てる神もあれば拾う神もありで、英語の出来ない老夫婦を可哀想だと思ってくれたのか
簡単な審査で入国できたのは幸運だった。
(ブックマーク「高年夫婦のNZ旅行」を見てください)

一ヶ月の長期だったので当然全て好天に恵まれる事はなく、見えなかった所や行けなかった所もでた。
帰国当時はそこに再チャレンジしようと思っていたのに、
もう1年も過ぎてしまい、おかげで最近NZ熱は冷めてきてしまった。

 今海外で行きたい所はと聞かれればキリもなくあるが、是非行こうと思っている場所が3ヶ所ある。
1、 スペインのサンティアゴ巡礼
2、 マレーシアのキナバル山
3、中国の九寨溝
なのだが、どれも歩く必要があるのが自分らしくて笑えてくる。
今までの旅行は妻と一緒だったが、この三つは妻には向きそうもない。
特に1番と2番は妻は嫌がるだろうが、気を使ってばかりで行けなくなってしまう。
では思い切って実行すればとも思うが中々決心がつかない。

スペインの巡礼は四国や秩父の遍路をやった者として外国の巡礼もしてみたい思いがある。
勿論(?)キリスト教の信徒でない私は宗教心からでなく、単なる好奇心に過ぎないが。
ただ、ここはフランスのパリから新幹線に乗りピレーネ山脈の出発点に行く方法と、
歩き終わって日本行きの便がある空港までの辿り着く方法がわからない。

2番目は富士山より高い山に登ってみたい。それも峠をバスで通過するとかでなく、
自分の足で登る山とするとマレーシアのキナバル山が最適だと思った。
ただ此処は日本からの行き返りは良いがキナバル山は専用のガイドを雇わなければならず、
また妻が一緒の時は私が登山中の妻の行動も考えておく必要もある。

最後の九寨溝はツアーで行くつもりなので特に問題はないが、九寨溝は標高が高いので、
喘息持ちで富士山でも高山病になる妻が大丈夫か心配だ。
しかし本人が大丈夫と言うので今月静岡空港発の九寨溝ツアーに申し込んだが、
私達以外に希望者がなく催行中止になってしまった。
これは神様が妻は無理だから行くなと言う暗示か?

しかし悩んでばかりいると時期を逸してしまい、古希を迎えてしまう。
と言って強引に行けるものでもない。
果たしてこの3コースは幻で終わってしまうのか?

高校の同級会通知

2009-10-27 15:54:32 | その他
 私の生まれは静岡県の東部 富士山の麓の御殿場。
そして今は静岡県の中部 焼津市(昨年までは大井川町)に住んでいる。
御殿場で生まれ高校を卒業するまで18年間御殿場での生活。
焼津では御殿場でのそれより倍の36年も住んでいる。
なのに焼津の事は殆ど知らない、町内の地名は御殿場だと大体見当がつくが、
焼津だと聞いたことはあるとが場所が出てこない。
古い事は覚えているが新しい事は忘れる ---------- 
若しかすると例の病気の症状かも知れないが、自分としてはこれで満足している。

ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな

ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの
よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや 

ふるさとを物悲しくうたった歌をみると感じる感傷 恥ずかしいが私は好きだ。

 新聞を読んでいて、その記事の近くに「御殿」とあると、直ぐ反応してしまう。
TVやラジオもそうだ。無意識で聞いいても「御殿場」と聞こえると耳をそばだててしまう。

だが実際に御殿場の町に立つと違和感を感じてしまう。
懐かしいはずの道を歩いても懐かしさどころか昔との違いばかりを感じて、
来た事を後悔してしまう。
やはり私にとっての故郷は「遠きにありて思ふもの」なのだろう。

ただふるさとの山はありがたい。正面に大きく裾を広げた富士山。
その横には愛鷹山、後ろは金時山が昔のままの姿で聳えている。
その山を眺めているだけで少年時代に戻る事ができる。

 前置きが長くなったが先日差し出し人が「34クラス会」と書かれた封書がきた。
見た瞬間御殿場高校の同窓会の連絡と分かった。

私の頃の御殿場高校は男女共学で入学時から卒業するまでクラス替えも担任の変更もなかった。
入学時4組だと卒業まで4組のままなのだ。そのせいかクラスの纏まりが強かった。

出席番号も私の場合アイウエオ順で19番なので1年の時は1年4組の19番で1419
2年は2419 3年は3419だった。
無意味な数字は覚える事の苦手な私でもこの番号は頭に刷り込まれている。
一時は通帳の暗証番号にした事もあった。

 そのクラスからの同窓会の通知だ。
11月18・19日に熱海のホテルでやるそうだ。

故郷大好き人間と自称しているのだから、同窓会は良く参加している?と思うでしょう。
それが小中学校の同窓会は一度も高校も30年ほど前に一度出ただけだ。
どうしてか?
ブログの名前を「はぐれ遍路」と書く程のひねくれ者、しかもアルコール依存症気味も
あるので人前に出るのは苦手なのさ-------

では今年も止める?
ウーン 案内の中にこんな事が書いてあった。
「先月、国立青年の家で皇太子殿下をお迎えし開所50周年の式典が行われましが、
当時(昭和34年)高1の秋に今上陛下ご夫妻をお迎えし開所式にマスゲームを
演じたのも懐かしい思い出です」マスゲームは一切記憶に無いが
なんだか今年は皆に会いたくなった! 

気が変わらないうちに出席の通知を出しておこう。

花沢山と満観峰5

2009-10-15 09:01:56 | 低山歩き
花沢観光駐車場 - 日本坂峠 - 花沢山 - 山道入口 - 用宗駅
8:00         40分      25      35        25

用宗駅 - 山道入口 - 花沢山 - 日本坂峠 - 満観峰
      30        50      17       50

満観峰 - 鞍掛峠 - 花沢観光駐車場
     20       30     3:30

歩行時間:5時間22分 休憩時間:2時間8分 歩数:27800歩

私の山での歩幅を50cmとすると 27800×0.5≒13.9km となった。

 今回は用宗~花沢山間をHPに紹介するために歩いたので、実用的でない
コース設定になってしまった。
若し花沢山をコースに入れたいなら次のコースがお薦めです。
ただ花沢山単独では景色も少なく面白みが無いコースになってしまうので
やはり満観峰とセットにしたほうのが変化があって楽しいでしょう。

焼津側公共交通機関利用(健脚向)
 ◎坂本登山口 - 高草山 - 鞍掛峠 - 満観峰 - 日本坂峠
  ー 花沢山 - 簡保の宿
焼津側マイカー
 ◎花沢P - 鞍掛峠 - 満観峰 - 日本坂峠 ー 花沢山 - 
  花沢分岐(砂張屋孫右衛門道標) - 花沢P

静岡側公共交通機関利用(健脚向)
 ◎丸子 - 朝鮮岩 - 丸子富士 - 満観峰 - 日本坂峠 ー
  ー 花沢山 - 用宗駅
静岡側マイカー
 ◎小坂P ー 小坂分岐 -  満観峰 - 日本坂峠 ー 花沢山
  - 日本坂峠 - 小坂P

以上のコースがお薦めです。
詳しい事はHPに記載してあるのでブックマークに紹介してある
「大崩山塊彷徨」を参考にして下さい。
(文中にリンクを張る方法が分からないので)



花沢山と満観峰4

2009-10-14 09:11:34 | 低山歩き
 登山者も農家の人も誰も歩いていない農道だったので、汗で濡れたチョッキやブラウス
そして下着まで脱いで日に干す。
ゆっくり昼休みを取ったが、まだ濡れている服を着て出発する。

 山道の入口の案内板にここから用宗駅と山頂までの距離が書いてあったので写真に記録した。
山の道標は時間は書いてあるのが距離が書いてあるのは珍しい。
後で歩行速度や歩幅を計算してみよう。

 私の持っている簡易高度計では、山道の入口は標高は約100mを指している。
この高度計 出発時点で標高を合わしておく必要があり、今日は家で10mにセットしてきた。
これは標高を気圧で測定して計算しているので、最初にその日の気圧にあわせておくのだ。
そうしておく事により同じ標高でも天候により違う数値になるのを防いでいる。
先日の台風で確認したが台風が近づくにつれ家の標高が上がっていった。

 先ほどこの道を下ったときは滑りそうで小股で注意深く下ったが、
上りも小股で一歩一歩登っていく。
視線を下に落としていくので下りでは気がつかなかった花が目に付いた。
ホトトギスの花だ。写真を撮っておく。
少し登ると花茗荷の群落があった。今は花の時期ではないので花は咲いていないが
丸い紫の実を付けているのがある。
この花は花沢山では良く見かける花で特に花沢山の簡保側には大きな花茗荷があった。

 山道入口から約50分で山頂に着く。
道標の距離から歩幅と歩行速度を計算してみよう。
  区 間    距離  歩数  時間    歩幅  速度
用宗駅~入口  2.3   3000   30      76   4.6k
入口~用宗駅  2.3   3000   25      76   5.5k
入口~山頂   1.4    3000   50      46   1.7k
山頂 ~入口   1.4   3200   40       43   2.1k

 こうして見ると上りも下りも歩幅は余り変わっていない。
急な登りや下りだと歩幅はどちらも狭くなり道がなだらかになると歩幅は広くなる。
速度は当たり前だが下りのが早い。
ちなみに山頂で高度計は450mを指していたので山道入口からは300mの高度差がある事になる。
50分で300mの高度差と言うとかなりの急勾配なのだろう。
これだけの資料では言い切れないが私の山での歩幅はだいたい50cmと覚えておこう。

 山頂で休憩している時2組の二人連れが来た。朝からこの4人しか会わないとは
如何にこの山の不人気さがわかる。
人気のある満観峰なら山頂だけでも10人以上いるだろうに。
 
 日本坂峠に向かって下る。峠には1時10分に着いた。
予定ではこのまま駐車場に帰る積もりだったが、まだ時間は早い。と満観峰に向かった。
峠を越えると急に登山者が増えた。ここ満観峰~日本坂のコースは満観峰の中で
一番の人気コースで結構アップダウンはあるが登山者が多い。
鞍掛峠分岐から三角点に向けての急坂の階段は何時来ても辛い。
それでも花沢山と違い右手には時折富士山や静岡の街が見えるので気がまぎれる。

 満観峰に峠から丁度1時間で到着。山頂は10人前後の人が休憩している。
その中に朝会った剪定バサミを背負った人がいた。
「アレー朝会いましたね」どうも分からないようだ。
「花沢の駐車場を8時に出て朝市に寄っていたでしょう。その鋏で覚えています」
相手は私は覚えていないが朝会ったことは納得したらしい。
「この時間にここにいるという事は何所を登ってきたのですか?」と聞いてみた。
「草や木が登山道を塞ぐので切って歩いている」との事だった。
奇特な人がいるものだ。自分など草や木が邪魔になると
市役所などで切ればよいと思ってしまう。
反省はするがまだとても真似は出来ない。
休憩をしながら色々話をした。その中で旧東海道などがある宇津ノ谷峠より先にも
登山道が続いていて安倍川に出ることが出来るらしい。
丁度その周辺の地図を持っていると「日廻山コース」と書かれた地図を分くれた。
景色は悪いようだがいつか歩いてみよう。

 満観峰からの帰りは鞍掛峠から花沢駐車場に向かう一番楽なコースだ。
焼津から登る人はこのコ-スをとる人が多い。しかし時間も2時半を過ぎているせいか
上りの登山者には会わなかった。

駐車場に3時30分に到着。これなら妻に4時までに帰ると言った約束は守れそうだ。

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  何故か理由は分からないが写真が取り込めた。
  だが写真のサイズが大きかったり小さかったり。
  でも表示出来ないよりましだ。
  次は写真を複数表示するには どうすれば良いか
  悩みは尽きない
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花沢山と満観峰3

2009-10-13 13:56:06 | 低山歩き
 用宗駅の藤棚の下で休憩して再度集発。
150号線の交差点枠の喫茶店の横には、暖地の静岡らしく大きなハイビスカスの花が咲いている。
その交差点を渡り海岸の堤防まで直進する。
堤防の道に出たら右折(西)すると正面に、これから登る花沢山がデーンと鎮座している。
その右手を見ると山は急斜面になって海に落ち込んでいるのが見える。
花沢山は大崩山塊の一番南にあり、その先は駿河湾に没する大崩海岸となっている。

「シラス」と書かれた幟の下にはシラスを天日干している。
直売をしているのだろう店先には「茹シラスあります」とか
「生ジラスあります」と書かれた紙が貼ってある。
茹シラスは全国何所でもあるだろうが、生ジラスは産地でしか手に入らないだろう。
一般的に生ジラスは酒の肴で醤油をつけ、そのまま食べるのだが私は余り好きでない。
生より茹シラスをご飯の上にかけて食べるほうがよっぽど好きだ。

 予断を言うと静岡には駿河湾の特産物として桜海老もある。
ただ桜海老は漁業権があって静岡(日本)では由井と大井川漁港にしかその権利がない。
桜海老の解禁の時期になると雪を抱いた富士山をバックに河原一杯に広げたピンク色の
桜海老の天日干し風景が新聞に毎年載っている。
桜海老もシラスと同じように生と茹が売られているが酒のつまみとしてなら
桜海老の方が好きだ。膨らんだ身を口にするとプチとはじけて微かな甘味が口中に広がる。
ただ桜海老は海老だけあった髭がうるさい。髭が喉でゴソゴソしてしまうので食べる前に
器の中の桜海老を箸でかき回し髭を取り除いてから食べている。
ただこの方法は見た目が悪くなるといって妻は好きではないようだ。
残念ながらここ用宗漁港は桜海老は水揚げされていない。

 山に近づいてくると山裾の海の上に道が見えてくる。
これは何年か前に車を巻き込んだ土砂崩れの後出来た道だ。
事故の復旧計画の際ここでは土砂崩れの発生防止も発生後の防御もできないと
判断して海にせり出した道になった。
ただ山道はそんな影響は感じず急坂ではあるが岩場もなく安全な道になっている。

 駅から15分ぐらい、白いトイレから200mくらいの所に堤防に貼った案内板がある。
そこから右手を見ると150号線の信号が見えている。
信号を渡るとすぐ東海道線の石部踏切になる。更に行くと道が二股になっているので
左側の細めの農道に入る。ここには案内板があるので直ぐ分かる。
農道に入れば一本道。山道入口までのんびり歩けばよい。

 黄色に色づいたミカンが取ってくれとばかりに農道にはみ出している。
誰もいない道を誘惑と戦いながら歩いていく。
実はさっきここを下るとき薮の中に生えているミカンの木を見つけてある。
だからこうして誘惑に負けずに歩いていけるのかもしれない。
その場所に着いた。
ミカンの木は雑草や薮の中に生えている。以前ミカン畑だったとは思えない場所だ。
ミカンは一杯なっているが若干色づきが悪いようだ。
器量も悪くあばたやシミがどのミカンにも付いている。
それでも遠慮して6個だけ取ることにした。2個は山で食べ4個は妻へのお土産だ。

 昼飯は海岸でとる予定だったが日陰がなく暑そうだったので山道の入口にした。
今日の昼飯のお握りは私が生まれてはじめて握ってきたお握りだ。
今までは全て妻に頼ってきたがこれからは歩こう会などで出る機会が多くなるので少し
は自分でやらなければと昨夜のうちに妻に握り方を教えてくれるように頼んであった。
忘れない為にここにも書いておこう。
準備
1、お握りを握る20分前に炊けるよう炊飯器をセットする。
2、小皿にお湯を入れる  3.ご飯を入れるボール
4、塩  5、具(梅干・塩昆布) 6、お握りを置く器
7、海苔 8、ラップ  9、アルミホイル 10、海苔を入れる小袋
以上で準備終了


いよいよ握りの開始
1、炊飯器からご飯をお握りの数だけ小山にしてボールに移す
2、お湯で手をしっかり塗らす
3、塩を多めに取り満遍なく両手の平に広げる
5、ボールのご飯の小山をしゃもじで手の平に乗せる
6、ご飯の中央に具をいれそれを包むようにご飯を丸める
7、ここが大事らしいが両手でご飯が三角形になるようにご飯を回しながら握っていく
8、握り終わったら器の上にお握り同士が引っ付かないように離して置く
9、全部握り終わったらラップの上にお握り移し間に銀紙を入れる
10、ラップで包んで最後に銀紙で剥がしやすいようにしておく
11、海苔を1/4に切りお握りに2枚当てを乾燥剤の入った小袋に入れる
12、出来たお握りを包装紙に包みその上に海苔の小袋をゴムで挟んで完了

 妻の握ったお握りは三角形。私のは俵型したお握りだったが味は変わりなかった。

そういえば以前小五の孫が
「おばあちゃんのお握りは握り方が丁度良くて美味しい」と言っていたが
味音痴の私にはそこまでの違いは分からない。自分のでも充分美味しかった。
 デザートにさっき取ったばかりのミカンを食べた。
水分が多くそれ程酸っぱさも感じず充分食べれた。


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  何時になったら目的地に着くのか。心配になる。
  読んででいる人がいるとしたら呆れているかな?
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花沢山と満観峰2

2009-10-12 13:09:02 | 低山歩き
 日本坂峠には日本武尊が賊に追われて逃げ隠れたといわれている穴に
小さな祠を作り奉ってある。
今は穴地蔵と言われているらしいが寂れていてみる影もない。
尤も穴といっても人が入れるようなものではなく、ただ自然石を組んだだけのようだ。
だいたい身を隠すのに峠の横の穴に逃げ込んでも直ぐ見つかってしまうだろう。
まして当時ならその付近は自然林で身を隠す場所は幾らでもあったと思う。
この話は後世になって頭の良い人が祠と峠を結びつけて言い出した伝説なのだろう。

 この祠変わった物がお供えされている。
穴の開いた石に紐を通してブル下げてある。
これを見て現代の頭の良い人は考えた。

 賊から逃れた日本武尊はお礼に剣の鍔を献上しようと鍔を手に取ると
鍔の穴の先に東国の象徴でもある富士山が見えていた。
喜んだ日本武尊は「これで先が見えた」祠に「先見神社」名付け鍔を奉納した。
それ以後村人は悩み事があると穴の開いた石をぶら下げて
「先が見えますように」お参りをするようになったのだとか。

 さらに現代になると石をぶら下げ進学・就職・縁談と将来の事を願掛けしては
願いがかなうとお世話になった人に竹輪を送ってお礼をするようになった。
こうなればお賽銭で神社はうるおうし、地元の焼津も特産品が売れて大満足。

 
 どうでもよい空想をやめて花沢山に歩き出す。
少し登ると後ろには三角錐をした丸子富士が見えてくる。
アンテナが立った高草山も林間越しに見え隠れしている。
杉の木の根が複雑に入りくんで階段状になった急坂が終わり、なだらかに
なると右手に静岡の街の先に富士山が見えてきた。
最近では富士山が見える日が少ないのに今日は8合目付近は薄っすらと
白くなった富士山が見える。
この場所は花沢山では一番眺めが良い場所なのだが、駿河湾の方は見ることが出来ない。
焼津側も港の一部が見えるだけで志太平野は見ることが出来ない。
噂通りの急で眺めが良くない山だ。

 突然巨大な反射板が東西に立っていて驚くが、これはJRの反射板とか。
反射板の後ろは木を切ってあり、その横の隙間から富士山が見える。
ここの山頂に来るといつも腹立たしくなる。
JRは大企業なのだから、こんな無粋な建造物を建てたお詫びに周囲の木を伐採して
見晴らしを良くしてくれてもばちは当たらないと思うのだ。
そうすればここは眺めの良い場所になり、南は駿河湾の先に伊豆半島。
東は用宗の港から静岡の街。そしてその先には日本平、愛鷹山そして富士山。
北の方角は冬なら雪を被った南アルプスの山々。
西に目を向けると広大な志太平野が一望できるだろう。

 またまた実現しそうもない空想癖が始った。きりがないの先に進もう。
三角点のある山頂は反射板の直ぐ先にある。
ここは以前航空灯台があったとかで、そのコンクリートの土台が今でも残っている。
ベンチと長いすのある山頂で一休み。

 眺めの悪い山頂を後にJR用宗駅に向けて下り始める。
ここから用宗までは下りだけなのだが、この後この道を引き返すかと思うとゾーとする。
先日の台風の影響か杉の葉が登山道に落ちて一杯覆いかぶさっている。
滑るかと用心したが逆にクッションになって歩きやすく感た。
山頂から35分ほどで農道に出合う。農道は黄色く色づいたミカン畑の間に延びている。
農道が終わる頃右手に150号線のトンネルが見え出し更に下ると
新幹線が横を走り覗き込むとトンネルの入口が見える。
その20mほど先に東海道線の踏切があり、ここもトンネルの入口が見えている。

すぐに旧の150号線に出るのでそこを横切り海岸の堤防の道を歩く。
海では投げ釣りをやっている人がチラホラ。のんびり富士山を眺めながら用宗駅に向かう。
駅の入口は表示がないが、道に車止めのしてある場所を左(北)に曲れば200m程で駅に着く。
                          つづく

花沢山と満観峰

2009-10-11 17:11:07 | 低山歩き
 3月に大崩山塊(高草・満観峰)の全てのコースを走破して、それをHPに
アップすると決めて歩き出したが、6月に右足ふくらはぎの肉離れを起こし中断していた。
残りのコースは花沢山の用宗コースと高草山の5コースなので、
何とか今年中に前コースの完全走破をするには、そろそろ再起動しなければ、と、
思い出発した。

 今日のコースは
花沢P-日本坂峠ー花沢山ーJR用宗駅ー花沢山ー日本坂峠ー花沢P
の予定だ。何しろ目標が全コースの登り下りの走破と決めていたので
こんなくだらないコース設定になってしまった。
今日はじめて歩くところは花沢山~用宗駅間だが、この区間は人に聞くと
評判が悪い。傾斜が急で景色が見えなく距離も長いと人気がない。
どだい花沢山自体が高草・満観峰とは比較ならないぐらい人気がない山なのに
その山の更に人気のないコースとなると押して知るべきだろう。

マーそんな事で最後まで残ってしまったようなわけだ。

 朝8時花沢の里観光駐車場を出発。朝もまだ早いのにすでに何台かの
車が駐車している。
朝市(夕方もやっていた)で買物をしている人がいた。
その人はリュックを背負い更にその上に剪定バサミを担いでいる。
山で何を取るのだろう? 今の時機なら山芋だが剪定バサミは腑に落ちない。

 朝の空気がひんやりしていて気持ちよく汗もまだでない。
そのうち後ろから足音が聞こえてきた。今日のスピードは歩こう会のときより
ゆっくりだがそれ程遅いペースでもないはずだ。法華寺の横で追い抜かれると見ると
剪定バサミを背負った人だった。

 山道に入るが何所も痛いところはない、快調だ。
この山道は大昔の東海道で日本武尊が通った事で知られている道で
峠の名前は日本坂峠と言われている。

 日本坂?聞いた事がある人が多いと思うが、東名、新幹線、東海道線、
国道150号線と四つのトンネルが走っていてそのいずれもが「日本坂トンネル」
と言われている。
中でも東名はトンネル内で火災が発生して何十台の車が消失した大事故があった。
この事故は今人気の東野圭吾のトキオの中でも最後の大事な場面で使われている。
また東名には日本坂パーキングエリアなどもあるので「日本坂」を知っている人は多いはずだ。

とこの道はそんな有名な峠道なのだ。
左側に庚申塚が見えると右手の木間に花沢山が見えてくる。
ここまで来れば峠は直ぐそこ1分も掛からない。

                          つづく