はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

大部屋に移動

2018-12-30 12:00:00 | 躄日記
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    話は3回目の入院生活に戻ります。
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9月4日  免疫グロプリン点滴開始
           
       入院した翌日から始まった免疫グロプリンの点滴は、1瓶50ccの点滴を5瓶、それを連続5日投与する。
       出だしの頃は1瓶1時間の割だったが慣れるに従い投入時間を短くし、しまいには1瓶40分程で終わりにになった。
       劇的効果が現れるというグロブリンなので、最初の点滴では手足の痺れが軽くなったと感じた気もしたが、これは
       期待から来る希望的感触で実際には何の効果も出なかったようだ。

       これは同じグロプリンを点滴している人から聞いた話だが
       「グロブリンは人が献血した血液から作るので非常に高価で1瓶4万円ほどする。」だって。
       すると私場合は前回と今回で50瓶使ったので200万円はすると云う事だ。
       点滴をするに当り主治医から薬価の話は何も無かったので、グロブリンは保険が聞くのだろうが、これが自腹で払うと
       なると果たして点滴を受けたかどうか・・・・・
       いや待てよ保険が聞いたとしても200万の1割負担で20万円もする。ウーン困った。
       何時までも個室になんか入っていられないな。 歩行訓練に励まないと。   

9月8日  免疫グロプリン点滴終了

       点滴をやっていた時もそうだったが、点滴が終ると更に閑になりやる事が無くなる。
       個室なので他の患者の話も聞こえてこないので気をそらす事も出来ない。
       なら歩行器の練習をしようと大型の歩行器で病棟内を歩くと、歩き過ぎたのか途中で右膝が抜けるように
       ヘナヘナと崩れ落ちてしまった。手は歩行器を掴んでいたので、何の衝撃も無く座り込んだだけだったが、
       それを見ていた看護師にカルテに書かれてしまった。
       そのため会う看護師に 「転んだだって、気を付けないとね。」 と散々言われてしまった。
       確かに今度転ぶと “歩行禁止” になりかねないので注意をしないと。

       点滴が終った後の1日の日課は、朝飯、主治医の回診がある。と言っても
       「お変わりはありませんか? 調子はどうですか?」 の挨拶程度が多い。
       昼前になると血圧と体温を看護師が計りに来てくれるが、検査が無い限り看護師と接触はこの程度。
       アッ! 大事なことがあった。三度の食事の配膳と片づけをしてもらっていた。
       そしてメインは午前と午後の行われるリハビリがあります。
       午前は下半身のリハビリで歩行練習とか下半身の筋トレを50分程度行います。

       午後は腕や指のリハビリですが、これ何とも煩わしくあまり好きではありませんでした。
       例をあげるなら、幾つかの安産ピンをカーテンの布地に差して嵌めたり外したり、長い紐に瘤結びを幾つも結び
       次に結んだ瘤結びを解いたりします。
       大豆が沢山入った缶の中に最初はナットやボルトを入れて、眼を瞑って時間内に探したりします。
       大豆の中に入れるものは徐々に軽く小さい物なり、最後は薄いオハジキでした。

       これらの作業は掌がピリピリ痺れているので上手く早くは出来ませんし、それにこれらの作業が早くできたと
       してもどうなるものでは無い、と思うせいか熱は入りません。このリハビリは約30分程度です。

       現在薬は家から持ってきた血圧の薬を飲んでいますが、これとて自己管理で看護師の手は煩わしていません、
       そうなると看護師と話をする事が少なくなるので余計暇を持て余します。

       その閑の解消法は前回見つけた “図書コーナー” を利用する事です。
       メインは文庫本ですが、まだ読んだ事のない作家や本が何冊もありました。今回も早速これを利用して
       堂場舜一、池井戸潤、内田康夫、東野圭吾、湊かなえ、北方謙三、宮部みゆきなどの本を読みまくりました。
       中には以前読んだ本もあったが、その全てを覚えているわけではないとそのまま読み続ける始末です。
       お陰で余り時間を持て余すことなく個室の生活を送れました。
        
9月14日  大部屋に移動

       午前リハビリから病室に戻ると空のベットがあるだけで、私の私物がありません。
       慌ててナースセンターに確認すると 「大部屋に丁度良いベットが空いたので移しておきました。」
       ラッキー! これで1日4,300円の無駄な出費はなくなる。
       大部屋の病室はトイレやシャワー室に近く、しかも部屋どん詰まりの場所なので廊下を歩く人が少ない。
       しかもベットは窓際で明るく日当たりもいし5階の最上階なので眺めも良く、焼津の海岸線から、吉田町の
       一等三角点のある高根山も見える。夜ともなると静岡空港の滑走路の誘導灯の明かりも見えていた。
       残りの入院期間は、まだ1・2ヶ月あるが、ここなら我慢できそうです。

エッー! 4回目の入退院

2018-12-27 10:33:51 | 躄日記
 退院後は体に変調も無く、リハビリも順調に増えていった。
最近では早朝の散歩は70分位で5千歩強歩き、夕方は90分で7千歩も歩いていた。
更に昼間は筋トレを40分位やっていたので合計200分、3時間強は毎日リハビリ励んでいた事になる。

 2回目の入院は、退院後リハビリをむきになってやった所為か、突然歩けなくなり再入院になった苦い経験がある。
それに懲りてリハビリは限度を越えないと固く誓って今回も退院してきました。
なのに歩数を増やす事に意義を感じてまたしてもリハビリ量が増えてきてしまった。

 12月20日は朝5400歩、夕方は6600歩と普段と変わりなく歩き、異常なく夕飯もシャワーも終った。
それが寝る前に血圧を計ろうとするが、何度となくエラーや不整脈が表示され測る事が出来なかった。
しかも夜中になると電気敷毛布の温度を最高に設定してあるのに寒くて寒くて我慢がならない。
仕方なくパジャマのズボンの上にはスエットパンツ、上にはダウンのベストを着て寝る始末。
朝起きて血圧を測るとまたもやエラー続出で計測不能。

ここでどうやら異変が起きたようだが当の本人には分からなかった。
妻が言うには 「血圧を測っている途中で横に倒れて1・2分意識が無かった。」 らしい。
意識が戻れば少々疲れているものの普段と左程変わりは無かったが、一応焼津病院に連絡すると
「緊急外来に来るように」 と言われた。
明日からは3連休なので、何かあっても困ると一先ず焼津病院の緊急外来に行く事にした。
そしてそこでもまた異変が起きたようだ。
医師と看護師の診断を受けている途中に、又もや意識が無くなってしまったようだ。
気づいた時は 「血圧が低すぎて測れない」 と医師たちが慌てる声が聞こえてきた。
何処かで聞いた言葉だと考え気が付いた。
そうだ去年の8月に藤枝市のハイキングコースを調査に行った時、ゴール間近の藤枝駅の踏切の所で気を失い
救急車で病院に搬送された時も血圧が低すぎて測れないと看護師たちが騒いでいた。
その時の事は後で医師に
 「朝からの長時間の運動で体の水分だけでなく、血液の中の水分も汗で出てしまい、脱水症状になったようです。
ですが体温の上昇は見られず、眩暈も足も攣っていない事から熱中症ではなく、脱水症状です。
最初は血管の中の血漿成分が少なく、血圧も正常に測れない状態でしたが、点滴を血管に直接補給してやっと上が90で下が
65にになりまた。その後も血圧は上がって今は138の76になっています。
途中で水分も塩分の取っていたようですが、長時間続いた運動に伴う発汗には追い付いていなかったのでしょう。」

と説明を受けた。

 昨日は汗をかくほど歩いてはいなかったが、連日無理をして1万歩以上歩いた。その疲れが溜まり血管に異常をきたしたのか?
考えてみれば私が体調不良に陥るときは必ず前日か前々日には長距離を歩いた後だった。
どうやら歩いている時は我慢!我慢!と黙々とゴールまで歩いてしまうが、そのダメージが体に内蔵されてしまうのだろう。
こうなると年甲斐もない我慢強さも考え物で、途中で手を抜くなど年相応の歩きにした方が良い事は明らかだ。
今回のリハビリも朝の散歩は止めて夕方の6千歩と昼の筋トレだけにしよう。

 点滴治療を受けながらも余裕な事は考えていたが、点滴が体内に入っていくと血圧も低いながら測れるようになった。
だが想定外だったのは途中で撮ったCTとレントゲンに左胸の肺に影が写っていたことだ。
お陰で医師の診断は “脱水症状” ではなく “急性肺炎” となり入院させられてしまった。

 救急外来からは “他人に移る” という理由で強制的に個室を割り当てられたが、その部屋が何と前回と同じ部屋だった。
咳も痰も出ず、熱は一度だけ37度台になったが後は平熱。血圧は上が100で下が60と普段ではありえない正常値。
なのに師長からは 「他人に移ると困りますので部屋から出ないでください。」 と念を押されているので、3階に本を借りに行く事も
出来ない退屈な日々を過ごすしかなかった。
入院時医師は 「貴方は感染症に罹りやすい薬を飲んでいるので少なくても10日は入院してもらいます。」 だって。
アーァそうなると正月を家で迎えられるかどうか微妙はところだ。
後は大人しくしていて一日でも早く退院させてもらおう。

2日後写したレントゲンには既に左肺の影は消えていて血液検査も異状ないという事だった。なのに24時間連続点滴は続く。
その点検交換のために夜中にも看護師が見回りに来るので、睡眠障害は一層ひどくなってしまう。
飽き飽きしていた入院4日目の25日になると医師が 「経過が非常に良いのでいつでも退院できますが、何時が良いですか」 と聞いてきた。
勿論 「明日退院します。」 と家にも相談せずその場で決めてしまった。

 今回の入院は病名は “急性肺炎” で、レントゲンにもCTにも左肺に影が写っていたというのだから否定できないが、
実際の所は肺炎で意識を失ったのではなく、あくまでも疲労の蓄積で体力が弱り血液量が減少したのではないかと思っています。
無駄な6日間だったが、これを無駄で終わらせずに年相応、そして病人相応の歩きにしないと、こんな事を繰り返しかねない。

そんな分けで退院の翌日の今日は、筋トレも夕方の散歩も止めて静かにしています。

慢性炎症性脱髄性多発神経炎(CIDP) 

2018-12-18 11:03:46 | 躄日記
9月3日    家族面談
         2回目のグロプリン点滴治療が終り、症状に変化が表れないでいると家族面談が行われて、
         「診療に関する説明書」なる資料を主治医から受けっとった。

         病名は 『慢性炎症性脱髄性多発神経炎(CIDP)』の疑いはあるが、
         PET-CTや内視鏡検査でも悪性腫瘍は検出されない。
         しかし、症状や伝記検査からはCIDPの可能性が高い。

         CIDPの治療方法は大きく3つ
         ①免疫グロプリン点滴
         ・点滴は連続5日間を2回行った。
         ・1回目の点滴では痺れ範囲が多少減った。2回目の効果はまだ表れていないが
          もう1週間様子を見て改善効果が無ければ他の治療方法を試す。
         
         ②ステロイド
         ・1~2ヶ月の内服を考えているが、1~2ヶ月の入院が必要になる。
         
         ③血漿交換
         ・血液を採りだし悪い免疫を除去して戻す治療。
         ・首や足から太い点滴を取る必要がある。
         ・侵襲が大きいので最初に行う治療ではない。

         この資料を基に主治医からCIDPの説明があった。
         独身の若い医者が祖父母のような年寄りに、難しい話は無理だろうと分かりやすく説明してくれた。
         その簡単な説明でも理解しがたい所もあり、更に簡略化して頭に入った事を紹介します。

         ・CIDPを発症する原因は不明だが、手足の筋力低下やしびれ感をきたす末梢神経の病気です。
         ・当初疑ったギラン・バレー症候群との違いは、CIDPは2ヶ月以上症状が続き、再発と治癒を
          繰り返す患者が多いのに対して、ギランバレー症候群は4週間以内に症状はピークを迎え、その後は
          再発することは稀です。
          よってHさんは発症してから既に3ヶ月以上過ぎているのでCIDPの可能性が高いと思われます。

         ・CIDPの発症原因はまだはっきりしていないが、外部から侵入する外敵を攻撃する免疫が、体内の
          自分の良い免疫を攻撃してしまう事で末梢神経に障害が起きてしまうと考えられている。
          (なんか昔、聞いたことのある膠原病と同じ感じだな)

         ・治療方法の免疫グロプリン点滴の効果は大きく患者によっては劇的な改善を生む事がる。
          この治療で約70%の患者が治癒する。
          (私の場合は何の効果も無かった。悪い方の3割に入ってしまった。
         ・ステロイドの強い薬で効果もあるが副作用も強いので注意を要する。
          この治療でもグロプリン点滴で治癒しなかった30%の内の7割の患者は治癒できるとされている。
          (100人の発症者の内これで91人は治癒し、残りは後9人。ここには入りたくない。

         ・血漿交換は最後の手段だが、Hさんには当面考えていません。


         現在の症状は膝から下は常に痺れていて冷たく感じている。一方手の方は掌に若干の痺れと冷えを
         感じる程度です。
         歩行は時期によって違うが個室に居る今は2本杖で数M、歩行器で100m位歩けます。
         手は痺れはあるものの鉛筆や箸は持ちにくい程度で済んでいる。
         今一番困るの本や新聞を捲れない事と、新品のペットボトルの蓋を開けられなくなった事です。
         現在の症状で一番助かっているのは痛みが何処にもない事です。それでなくても意気地なしの私ですが
         痛みを感じない事で心身ともに助かっています。


         マーそんな訳で私の病気の名前は「慢性炎症性脱髄性多発神経炎(CIDP)」なる恐ろし気な病名に
         なりそうだが、な~に! 恐れずに足らずです。
         何しろこの病気に罹った患者の91%が治癒するのですから気楽に構えて行きます。

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            書いては消え、書いては消えを三度も繰り返してしまいました。 
            初めの文章とは大分変ってしまったが、もう直す気力はありません。       

個室と歩行器

2018-12-14 10:04:20 | 躄日記
9月3日  3回目の入院
      自由に歩けない身で入院して一番困りそうなのは便所の事だ。
      前回2回の入院で病棟内の配置は分っているが、便所に一番近い病室からでも私の足では歩けそうもない。
      と、なると便所のたびに看護師に車椅子で連れて行ってもらわなければならなくなる
      夜間や尿意が切羽詰まった時などの事を考えると俺の性分では我慢できない事だ。
      幸い2本の杖を使えば5・6mは歩けるので、部屋の中に便所のある個室なら一人で処理が出来そうだ。
      だが個室の料金は1泊4,300円。年金暮らしの我家にとっては辛い出費になる。
      それでも自分の美学を守るには必要な経費だし、その代り少しでも早く歩けるように歩行訓練を必死に
      行い、少しでも早く大部屋に移る努力をしよう。

      てな訳で身分不相応な病室に入ったものの、便所が近い事と他人に気を使わないで済むのはメリットだが、
      これで毎日4,300円は高すぎる。幸いリハビリは入院の翌日から始まったのでこれを頑張るしかない。

      CIDPの治療は前回の入院でグロベニン献血血液5000㏄を5日間点滴をしたので、今回はその続きの
      5000㏄をまた5日間で点滴しなければならない。
      点滴液1本が50㏄で、これを1時間で体内に入れるので約連続5時間の点滴になる。
      なので当然リハビリも便所も点滴装置を引きずりながらやる事になる。

      リハビリは下半身の筋トレと歩行訓練だが、まだ杖での歩きは無理なので歩行器を使った訓練だった。
      歩行器と言っても街でよく見かける老人が押している乳母車型(?)ではなく、パイプでできた訓練用で
      座る場所は無いが全体重を歩行器に預ける事が出来るので案外楽に歩く事が出来た。
      歩行器の訓練を2日もやると50mは移動できるようになった。
      これがあれば病棟でも自由に便所に行く事が出来ると、早速看護師に歩行器があるかと聞くと、持ってきた
      くれた歩行器は、パイプでできている大きくて、高さは私の背より高く、幅も長さも必要以上に長い物だった。
      多分歩行器の導入当初は利用者が転倒しないように周りを大きくしたのだろう。

      歩行訓練はリハビリ室と病棟内(同一階)で行い、病棟内なら何処でも自由に移動できるようになった。
      これなら何時でも大部屋に移れると思ったのだが、それはとんだ勘違いでした。
      それは歩行器が余りに大きすぎて大部屋のベットの横に置くと、他の患者の移動に迷惑がかかりそうです。
      それでは大部屋に移る事が出来ません。
      そこで妻にホームセンターで歩行器の値段を見てくるように頼むと同時に、最近気安く話ができるように
      なった年配の看護師に 「もっと小型の歩行器は無いか?」 と聞いてみた。

      するとどちらからも良い返事が返ってきて、妻が見てきた歩行器は乳母車がよりもっと簡単な造りだが座る所も
      あり10,000円以下であると言う。これなら2日の個室料に過ぎない。
      一方看護師からは型は古いが小型の歩行器が物置にあったと言って古い歩行器を持ってきてくれた。
      それは20年ほど前の患者が利用していた歩行器で、退院するときに病院に寄付して行った物だった。
      パイプは細く小型なので体重の重心を横に掛け過ぎると転ぶ恐れはありそうだが、訓練用と違い一応座る
      シートも張ってあるので疲れたら座ればいい。これなら車椅子より小さいので十分大部屋に置く事も可能だ。

      勿論その場でその歩行器を借り受けて早速練習を始めた。
      しかし練習も何もその他の歩行器を使っているので何の苦労もなく乗りこなす事が出来た。

      5日間連続のグロベニン点滴が終ったが、手足の痺れは相変らず変化は表れない。
      そんなとき主治医が 「どうやら貴方にはグロベニンは効果がないようですね。それなら次のステロイドの
      治療に入りましょう。この治療は日にちが掛かるので、後2か月位
は入院してもらう事になります。」
      
      エ~! 後2ヶ月も入院だって?! それじゃぁ部屋代は4,300円✖60日≒26万円になってしまう。
      そんな贅沢は出来ない! と早速看護師に大部屋への移動を申し入れました。

      それにしても入院早々から歩行器の訓練をしておいて良かった。
      結局個室代は11日分で4万8千円で済みました。

PET-CT撮影

2018-12-11 11:25:50 | 躄日記
8月22日 2回目の退院

      病院から車までは病院の車椅子があったので問題なかったが、家に戻り玄関前にある2段の階段を上る事が出来ない。
      生憎付き添っていたのは妻と娘の女2人だったので、力が弱く私を支える事が出来なかった。
      仕方なく私が階段に腰掛けて一段一段腰をもぞもぞさせながらなんとか上る事が出来た。
      家に入れば家に入ったで寝室は2回なので、今度は12段の階段を上らなければならない。
      これは流石に諦めて寝床は1階のソファーを利用する事にした。

8月24日 PET-CT撮影
      CTもMRIもPET-CTどれも同じような断層撮影装置で、穴倉の筒の中に入っての体内を撮影した。
      CTは穴倉の中で静かに撮影するだけなので痛くも何んとない。一方MRIは穴倉に入ると撥を打ち鳴らすような
      騒音が鳴り響くが、これととて煩いだけで痛くもかゆくもない。
      だがPET-CTは放射線を利用するため、事前に放射線(?)の入った水を500CC程飲まなければならない。
      体調が良ければどうと云うことはないだろうが、調子が悪い私には飲み切ることが出来なかった。
      それでも撮影はやってくれたので助かったが、撮影自信はCTと同じで痛くも痒くも煩くも無かった。
      
      ただ検査後の家に戻ってからの注意事項を示され、今から明日までは18歳以下の未成年とは同室にならない。
      便所に入ったら出るとき便器や周辺を綺麗に吹く事など注意された。
      これは先程飲んだ水に放射能が含まれていて、それが息や便で体外に出るので他の人に感染させない為らしい。
      今日の私の付き添いは妻と高2の孫だったのでこれには困った。
      兎も角孫は自分の家に帰らし、後は妻と2人で何とかするしかない。車椅子の運転も妻は覚束ないので私が
      主になって動かすしかなかった。
      しかし切羽詰まれば何となるもので、車にも移動できたし、2段の階段も座り込みながらも何とかクリアして
      家に入る事が出来た。。
      



9月3日  3回目の入院

      3回目の入院はPET-CTの画像が出来てからの9月3日と決まっていました。
      早速外来でPET-CTの説明を受けるも「悪い箇所も疑わしい箇所も見当たらなかった」そうです。
      私の思っていた通りでしたが主治医の今後の治療方針は

      〇慢性炎症性脱髄性多発神経炎(CIDP) 〇傍腫瘍性神経症候炎 〇シェ-グレン症候群 
       〇M蛋白末梢神経障害 〇ギラン・バレー症候群などのを疑いながら治療をすると云う。
      中でも最初のCIDPが一番疑わしいので、その治療に則って進めていくそうです。
      入院期間は1ヶ月から長ければ2か月くらいになると言う。

      杖では数歩、後は車椅子を頼るしかない今は黙って言う事を聞くしかありません。       

お久しぶりです!

2018-12-08 10:00:34 | 躄日記
お久しぶりです! と言っても随分休んでいたので、このブログを見てくれる人がいるかどうか・・・・・

 突然の歩行困難に陥ってから既に半年以上過ぎてしまいましたが、紹介したのは最初の入院と退院の事だけでした。
実はその後も色々あり先日やっと3回目に入院が終り退院してきたばかりです。
その間の事を簡単に説明すると

5月25日 静岡空港一周ウォーク(25KM)
5月31日 歩行が困難に
6月 1日 掛かりつけ医で「自律神経失調症」の疑いがありと精神安定剤を1週間服用するも症状は重くなるばかり。
6月22日 藤枝市立病院でCT検査(腰や背中に圧迫感を感じ、歩行は杖無しでは歩けなくなる)
6月27日 CT検査異常無し。藤枝市立病院神経内科を紹介される。
6月28日 藤枝市立病院から焼津市立病院に紹介を変更してもらい即日診察を受けると検査のため即入院になる。

      血、検尿、心電図、レントゲン、MRI、CT、手足の神経検査、脊髄の髄液の検査等々
      どの検査でも異常が無く、病名が不明なので治療は注射も点滴も薬の服用も無かった。
(15日間  ベットで休んでいたせいか体調が少し回復してきて、杖無しでも歩けるようになる。
 入院)  主治医から「こんな症状が当てはまる病気に“フィッシャー症候群” があるが、この病気は、
      原因不明で発症し6ヶ月も経つと自然に完治してしまう病気です。
      また例えフィッシャー症候群でないとしても、貴方の症状は改善してきているので悪い病気では
      ないので大丈夫治ります。多分半年後には山歩きもできるでしょう。」と言ってくれた。       

7月12日 退院 
      
      「半年後には山歩きもできる。」との医者の言葉を真に受けて、家に戻るとリハビリに精を出した。
       と言っても所詮は手足の痺れと膝や腰には力が入らない状態なので、1日20分程度しか歩けません。
(18日間 それでも全身で疲れてしまい、家に戻ればソファーにバタンキュウでした。
自 宅)  午後は病院で教わった筋トレの真似事もしたので、病院内の運動より倍程度は体を動かしていました。
      それが外来検診に指定された5日ほど前の7月27日になると、またもや足腰に変調が出てしまい
      外に出る事が出来なくなってしまった。
      それから検診日までソファーに横になっているだけの毎日になった。

7月31日 診察の結果、明らかに前回より症状が重くなっていると、又もや即入院。

      翌日からは前回の検査をしたヶ所も再度検査をし直し、更に胃カメラ、大腸レントゲン、口腔外科、咽喉科、眼科
      等の検査を受けたが、悪い箇所は 「ドライアイ」 と末梢神経の電流検査で若干異常があった事だけだった。
      尤も後期高齢者の祝い金を貰える歳ならば、ドライアイなど珍しい話ではないだろうし、抹消神経の異常だって
      異常があるから入院したのだから、これで異常が無かったら却っておかしな事になる。
      他にも近畿大学など3ヶ所の機関に血液検査を依頼したが異常は無かった。

      しかし主治医としては何らかの治療をしなければならなかったのか、一先ず末梢神経の回復に効果のある
(日間  「グロベニン」を5日間点滴する事になった。
      このグロベニンとは献血血液を原料としている高価な薬剤らしいが、それを1日5本、しかも5日連続点滴した。
 入院)  グロベニンの効果は点滴後2週間後くらい経つと現れるという事で、楽しみにしていたのだが待てど暮らせど
      症状に変化は現れない。否手足の痺れは同じように続いていたが、次第に足に力が入らなくなり1本杖が2本に
      なり、便所まで移動するのがやっとの状態になってしまった。
      主治医は2回目のグロベニンの点滴をやるには間を開けないとならないので、その間に一度退院して市立病院には
      無い「PET-CT」を他の病院で受けてきて欲しいと言い出した。
      このPET-CTとは、陽電子放射断層撮影装置のことで、全身や心臓、脳などにおいて、病気の原因や病巣、
      病状を的確に診断する新しい検査法だとの事です。
      どうやら主治医は私の体の何処かに悪性の腫瘍などがあり、それが末梢神経を狂わせていると考えているようだ。
      私としても原因も治療方法も分からない状態より、胃癌でも肺癌でもいいから原因が判明して治療を開始して
      欲しいと思っていたので渡りに船と了解しました。
      ただ心の隅には「いくら検査をしても悪い所なんか無い」と思っていた。
      だってこれほど手足に悪影響を与える原因が他の病気が影響しているなら、当然その元の原因の症状も悪化している
      と思いません。例えば肺癌の腫瘍が影響して歩行困難になるくらいなら、元の肺癌も進行している筈だと。

      今回一度退院するのは健康保険の問題で、一つの病院に入院中は、他の病院での診察や投薬は受けれないそうです。
      歩けない状態での退院など嫌だったが、入院していても寝ているだけなので仕方なく車椅子での退院になってしまった。

8月22日 退院


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      ここまで書くのに何日も掛かってしまった。まだ長時間同じ姿勢で座ったり、震える手でキーを打つのは無理でした。
      この続きは少しづづ書いていきたいと思います。
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