はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

MHシリーズ6

2018-01-13 10:46:44 | マンホール
                正月なら・・・・・・・                        (MHシリ-ズ)

  今回のMHシリーズは冬編を予定していたのですが、当地は暖地のため冬をイメージする “雪だるま” や “スキー” 等は
皆無でした。なら仕方なと正月のめでたさを表す “一富士二鷹三茄子”や “松竹梅” を探したが、茄子や竹がありません。
正月早々半端物を紹介するのも業腹なので、セット扱いは止めにして富士山一本で行く事にしました。
 
                                「SLと富士」
          
                              静岡県県御殿場市
  今年最初を飾るMHの写真は、わが故郷・御殿場をかっては走っていた懐かしい蒸気機関車です。
富士の雄姿をバックに、横には富士桜の花(多分)も見えています。
蒸気機関車のプレートの 「D52」 は、往時御殿場線を走っていた蒸気機関車の形式名だそうです。
この名称の最初のアルファベットは機関車の動軸数を表す印で、Bは2個、Cは3個、Dは4個となっています。
一つの動軸で対の車輪を動かすので、4つの動軸を持つD型は8輪車という事になります。

  次の数字は機関車の種類を表す形式番号で、10~49=タンク機関車、50~99=デンダー機関車です。
タンク機関車とは機関車本体に炭庫や水槽を装備した機関車で、テンダー機関車とは機関車と別に石炭および水を積載した
炭水車を接続した形式の機関車だそうです。

         
                           D5型蒸気機関車名称図
名称図中央の大きな車輪4個が動軸すなわち動輪という事でしょう。

         
                            D52型蒸気機関車

 御殿場駅前のポッポ広場にあるD52型蒸気機関車で、ネットからコピーさせてもらいました。
有名なD51型蒸気機関車とD52型の違いは、D51型を重量運搬用に改良したものがD52型で、主に貨物運搬用に
使ったそうですが、力が強いので御殿場線のような急勾配の路線でも使ったそうです。
しかしそんなD52型でも御殿場線の急勾配には敵わず、富士岡や岩波駅ではスイッチバックでした。
スイッチバックで思い出すのは、スイッチバックをする所では前進していた車両をバックさせるため当然一旦停止しました
そんな状態になる当時の悪童どもは、列車から飛び降りて駅を通らず 「薩摩守」 をしていたのです。
オット今では薩摩守では意味不明かもしれませんね。なら 「薩摩守忠度(ただのり)」 と言えば分かるでしょうか?
そんなのどかな時代では線路の横に立っていると冷たい水蒸気が当たり、水泳帰りによくこのシャワーを浴びたものです。
それが後になってあの水蒸気は、当時垂れ流しだった便所の水だと聞いてびっくりしたものです。
勿論水泳と言ってもプールではなく、川の淵を利用した天然プールでした。

                                 「金太郎と富士」
             
                                静岡県小山町
  御殿場市のお隣の小山町は足柄山の麓の町ですが、富士山須走口も小山町に属します。
だがJRの小山駅からの登山バスが出ていないので、須走口で小山町を連想する人は少ないかもしれません。
その代り小山町といえば 「足柄や~まの金太郎 ♬」 と、童謡にも歌われている 「金太郎」 の故郷です。
で、マンホールの蓋のデザインも当然金太郎で、しかも 「足柄山の金太郎 熊にまたがり相撲のけいこ♬」 と童謡
そのものの格好でした。
周りを縁取る植物は富士山の “富士アザミ” と、箱根の “熊笹” でしょうから両者に対して心配りが出来ています。

  小山町といえば他にもMHの題材になりそうな物があります。
その一つは “富士スピードウェイ” で、スポーツカーと富士山があれば小山町を思い浮かべるでしょう。
もう一つはあまり有名ではないが、足柄峠には “吹笙之石(笛吹石)” なる石があり、笙(しょう)の名手八幡太郎義家の
弟が東北に戦に行く途中、笙の奥義を伝授した場所とされています。
これだけなら大したことは無いが、この笛が牛若丸こと源義経が京の五条大橋で吹いた笛となると興味は湧いてきます。
この話は過去何回か紹介していますが、今回も概略だけ説明します。
 
  薄墨の笛で笙の奥義を伝授した八幡太郎義家の弟・森羅三郎義光は、薄墨の笛を八幡太郎の孫の源義朝(義経の父)に
譲る。義朝が平治の乱で敗れると妻の常盤御前に笛を与え都を落ち延びさせた。
しかし敵の平清盛に捕らえられた常盤御前は、我が身を将門に捧げ、我が子の助命を願い、幼き牛若丸を鞍馬寺に預けるとき
牛若丸に薄墨の笛を託した。その笛こそ成長した牛若丸が五条の橋で弁慶と戦う前に吹いていた笛となるのです。
話はさらに続き、義経が鞍馬寺を脱出し、金売り吉次と奥州を目指して東へ下る途中、三河の矢作宿で浄瑠璃姫と恋に落ち、
一夜の契りを結んだ。しかし大事な旅の途中のこと、義経は姫と別れ、その際に薄墨の笛を手渡して奥州に向け旅立った。
  駿河の国に入った義経は、海路で有度浜(清水)から狩野川の河口沼津を目指したが、激しい風雨に見舞われ、蒲原の浜に
打ち上げられてしまった。それが元に病の床に臥した義経は浄瑠璃姫に手紙を書いて蒲原に呼び寄せた。
浄瑠璃姫の必死の介護に義経の病も回復したが、またもや義経は浄瑠璃姫を置いたまま奥州を目指し旅立ってしまう。
残された浄瑠璃姫の悲しみの余りに三河へ帰る気力も失せ、蒲原の地に病に臥すと義経から譲り受けた薄墨の笛を久能山の
久能寺に預け十六歳の若き命は果ててしまう。
久能寺は武田の駿河侵攻で清水に移転させられたが、次第に寺は衰退し明治に時代に無住の荒れ寺になってしまった。
それを知った幕末の幕臣・山岡鉄舟は寺を復興し、寺号を鉄舟寺と改め、薄墨の笛は鉄舟時の寺宝として今に保存されている。

  随分長くなってしまったが、そんな数奇な運命を辿った薄墨の笛をデザインした 「石に腰掛け笛を吹く侍と富士山」 のMHの
絵柄を見たのが今年の初夢でした。なんてね。

                                 「滝と富士」
             
                                静岡県裾野市
  富士山に滝ならば当然白糸の滝でしょうが、富士宮の写真の中には有りませんでした。富士宮は過去何度も歩いていたし
白糸の滝にも4回歩きで行っている。なのに写真が無いのはそんな絵柄の蓋は無いのかしら? 分かりません。
そこで代わりの滝と言っては何ですが、御殿場の隣の裾野市の五竜の滝を紹介します。

  五竜の滝のある黄瀬川は御殿場地方を水源としているが、その水源の一つには 「箱根風雲録」 という映画にもなった
 「深良(箱根)用水」 でもあります。と、いう事は五竜の滝を流れる水は芦ノ湖からの水も流れている事にもなります。
  更に水源が御殿場なら、子供の頃の天然プールの水も流れているかというと、残念ながらそうではありません。
プールとしていた川は 「鮎沢川」 で 二宮尊徳が治水工事を行った 「酒匂川」 の上流になります。
なので御殿場の東側の川は小田原の相模湾に注ぎ、西側は沼津の駿河湾に注いでいるのです。所謂分水嶺にあたるので
しょうが、残念ながら明確に水が別れる所は知りません。若しそんな場所があったら、そこで立小便をして 「俺の分身が
東西に流れていく」
何て満足感に浸りたいものです。
下らない話はさておき、酒匂川と聞くと養老の滝と同じような謂れがありそうですが、長くなるので今回は止めましょう。
  さて話を戻してMHの蓋の滝は流れが3本見えますが、五竜の滝の語源は多分 “五流の滝” で、実際に何ヶ所からも
滝が流れ落ちています。
序に滝の横に咲く花はツツジのような花は、裾野市の市の花を調べると想像通り 「愛鷹ツツジ」 でした。
愛鷹ツツジは富士市と裾野市の境にある愛鷹連峰に咲くつつじで、特に位牌岳周辺には多く見られます。
今年は見に行こうかな、それも位牌岳でなく十里木の別荘地にある厳正群落地でお茶を濁すか迷っています。

                                  「かぐや姫」
             
                                 静岡県富士市
  富士市のかぐや姫は既に “雨” の時に紹介済みなので今回は写真だけですが、このデザインも静岡県人が見れば
一目で富士市だと分かる絵柄です。そう思わない県人はもぐりの静岡県人かな・・・・・

富士山で一番肝心なのは 「富士山浅間大社」 のある富士宮市ですが、残念ですが富士宮では富士山をデザインした
写真はまだ撮ってありません。 “鳥居に富士山”や “滝に富士山”。序に侍が決闘をしている “曽我兄弟の仇討” など
色々考えられるが、果たしてそんな蓋に出合えるかどうか、期待してせっせと歩きましょう。

                              「河口湖と富士山」
             
                                山梨県河口湖町
  静岡県内の富士山麓の写真は以上ですが、ついでに山梨県の富士山麓のMHも紹介します。
富士山麓道一周で河口湖を歩いた時の写真です。頭上に架かる大きな橋は河口湖大橋で、周りにある長い花は
ラベンダーかな?では黄色い花は何だろうと役場のHPで調べてみると 「月見草」 でした。
そんな事にも気が付かないのは老化現象が更に進んだのでしょうか気に掛かります。

  河口湖町で月見草と言えば御坂峠にある太宰治の 「富士には月見草がよく似合ふ」 ですよね。
何故月見草が富士山に似合うのか凡人の私には理解できませんが、月見草や宵待草の名前には風情を感じます。
それが一転 “マツヨイグサ” とカタカナになると、風情を失い冷たい響きになってしまう好一例だと思います。
しかしこの月見草がメキシコ原産の外来種だったと初めて知りました。

  ラベンダーは河口湖湖畔の公園では盛んに栽培されえていて、夏には “ハーブフェスティバル” も開催されています。

                              「水車小屋と富士山」
             
                                山梨県忍野村
  山梨県の富士山で思い浮かべるのは “藁葺きの水車小屋” と富士山です。勿論忍野村の風景ですがそれがありました。
忍野村のどかな風景ですが、私のイメージする忍野村はもう一つあります。
富士山の裾野には、戦後米軍海兵隊が北富士演習場と東富士演習場に常駐していました。そして現在の沖縄と同じように
演習場の返還闘争が起きていました。
中でも北富士演習場に属する忍野は、女性たちの返還闘争で盛んで、演習場に座り込むモンペ姿の女性の姿が度々報道
されていました。中でも核弾頭を搭載できるロケット砲 「オネストジョン」 を、東富士から北富士演習場を目掛けて発射する
時の演習阻止闘争は過激で、機動隊が女性たちを牛蒡抜きしている報道もあったと記憶しています。
そんな闘争が沖縄では今も続いているのですから情けない話です。私も何か意思表示したいのですが何もできないでいます。
 オネストジョンの当時私は中学生で、その発射風景を学校の屋上から見ていましたが、学校は演習場から距離もあったので
  “何だ こんな物か” と思ったような気がしたと記憶しています。

  富士山をデザインしたMHはまだまだあるので、今回は富士山の周りだけにしました。次回は続きを紹介したいと思います。
今年もこんな調子のダラダラ紀行を続けていこうと思っていますので、興味があったら覗いてみてください。

MHシリーズ5 秋編

2017-10-22 10:07:44 | マンホール
                秋と云えば・・・・・・・                        (MH季節シリ-ズ)

  梅雨時より鬱陶しい秋の長雨が続いて、夏が終わったと思ったら一気に肌寒い初冬になってしまったようです。
さて、MHの秋には何が有るでしょうか。植物なら菊、栗、柿、それに稲等が思いつくが果たしてMHにあるだろうか。
昆虫ではトンボがいるので、これは磐田市のMHを調べてみよう。
他には食欲の秋や読書の秋もあるがこれも難しそうだが、スポーツの秋ならありそうです。
という事で今回の “MH季節シリ-ズ”は 「秋」 をテーマにしました。

  日本は瑞穂の国とも言いますが、瑞穂とはみずみずしい稲穂のことで、稲が多く取れることからきているそうです。
なら秋の最初は稲穂の茂った田圃にしたいが、米の産地でもない静岡県にあるでしょうか・・・・
ところが心配無用でした。所はわが故郷御殿場のMHに採用されていたのです。
                            「 田圃のカカシ」
          
                           静岡県御殿場市(2015.3)
  静岡県の寒冷の地、御殿場に何故稲穂のMHがあるのか疑問に感じる向きが多いと思いますが、考えてみてください。
日本の米作りの産地は新潟県を筆頭に殆どが雪国です。そのご多分に漏れず御殿場地方は県内でも珍しく毎年積雪を見る
地域です。その地位性を生かして栽培する御殿場地方の米は、毎年開かれる 「お米日本一コンテストinしずおか」 で連続
県知事賞を受賞しているそうです。そうなれば市としても更にアピールしようとMHの蓋に採用したのでしょう。

  御殿場地方の最近の特産物としては 「水かけ菜」 が有名ですが、私の子供の頃は 「とう菜」 と呼んでいました。
その語源は冬に取れるので “冬菜” とか、とう立した茎を収穫するので “薹(とう)菜” などの説があります。
個人的には洒落た感じの “水かけ菜” より “とう菜” の方が好きですが、万人受けするには水かけ菜の方が向いていそうです。
とう菜の漬物は最近土産物として販売されるようになり値段も高くなっていますが、私の子供の頃は収穫したばかりのとう菜を
茹て鰹節と醤油をかけて食べました。青臭くて嫌いでしたが、万年腹っ減らかしの当時は嫌でも食べるしかなかったのです。
今も御殿場から毎年とう菜の漬物を送ってもらっていますが、最近ではとう菜をみじん切りにしてご飯にかけて食べるのが好きに
なりました。また、酸っぱくなったとう菜を油炒めで食べるのも中々いけます。
オットまた横道にそれてしまった。閑話休題です。


  瑞穂の国が出たら次は当然日本の異称でもあった 「蜻蛉島(あきつしま)・秋津洲」 のトンボですよね。
このトンボのMHの蓋は、過去何度か歩いている磐田市の桶ヶ谷沼で見かけたことがあります。
早速貧弱な私のMHのライブラリーを見るとありました。
                               「トンボ」
          
                           静岡県磐田市(2011.4)
  トンボにも色々種類があるようで、これを見ただけでは分かりませんが、桶ヶ谷沼の代表的トンボはベッコウトンボなので
多分ベッコウトンボでしょう。
ベッコウ(鼈甲)とはウミガメの一種・タイマイの甲羅の背甲・腹甲等を磨き上げて物で、眼鏡や櫛で見た事があります。
薄い黄色の縞模様が浮かんでいる鼈甲の眼鏡のイメージは、成金不動産屋って感じでしたが、今でもあるのでしょうか。
その鼈甲の名が付いたトンボですので、きっと鼈甲色をしているのでしょうが記憶にありません。


    三重県鈴鹿市にもトンボのMHがありました。ただ鈴鹿市とトンボの関係は分かりませんでしたが、近くにある御在所岳の
 “ございしょ自然学校” のHPには、トンボの説明が詳しく載っていました。
                               「トンボ」
          
                           三重県鈴鹿市(2011.9)
 「赤トンボという名前のトンボは、存在しないことをご存知ですか? 
私ちが普段 「赤トンボ」 と呼んでいるトンボは、たいていの場合 「アキアカネ」 というトンボを指します。
赤トンボは 「アキアカネ」 以外に 「ナツアカネ」 などたくさん種類があり、それらを総称して 「赤トンボ」 と言います。
アキアカネと言えば秋をイメージする人が多いと思います。しかしアキアカネは6月頃に田んぼで羽化し7月8月の約2ヶ月間を
標高の高い涼しい場所で過ごします。
そのため、ここ御在所岳においても夏になると何千、何万ものアキアカネが飛んでくるのです。そして秋になると麓に下り、
交尾・産卵を行います。この時期に見かけることが多いので秋の虫のイメージがついたと思われます。」


  これで大分赤トンボの事は分ったと思いますが、この学校では 「アカトンボふる里さがし大作戦」 なるものを行っていて、
御在所岳で捕まえた赤トンボの翅に 「G」 とマーキングして放しているそうです。
若しこのGマークのトンボを見つけたら、ございしょ自然学校に連絡してやってください。
因みにこのトンボ、愛知県では発見されているが静岡県ではまだ見つかっていないそうです。


  “日本”続きで来たので次も日本の花で探しました。日本の花で思い浮かべるのは、先ず春の桜。そして秋なら 「菊」 ですよね。
そして探してみたら私の住む焼津市の隣町吉田町にありました。
吉田町の大井川河口に県立吉田公園があり、四季それぞれの花を咲かせています。中でも春のチューリップは有名で “チュ-
リップ祭” を毎年開催しています。しかし菊の花は聞いた事はないので早速公園のHPを見たが矢張り何も書いてありませんでした。
                                 「菊」
          
                           静岡県吉田町(2011.4)
  菊と聞けばすぐ思い出すのが皇室の “菊のご紋章” で、正確に言うと 「十六八重表菊」 です。
この御紋の菊はMHの菊とは違い小菊のようで、花弁が16枚という事は分かりますが “八重” と “表” の意味が良く分かりません。
参考に菊のご紋章と小袖の柄にデザインした八重菊を紹介します。
 
           菊のご紋章(十六八重表菊)                           小袖の八重菊の文様

  菊のご紋は皇室関係以外では使用禁止かと思っていたのに、遍路で訪ねるお寺ではよく見かけます。不思議に思い調べてみると
明治2年に菊のご紋が皇室の紋とされ、皇室以外の使用が禁止されたが、明治12年に社寺でも神殿・仏堂の装飾として使用する
ことが許されています。
廃仏毀釈が行われた明治の時代なのに仏教のお寺に許された理由は何だったのでしょうか。不思議です。


  秋編の最後は “スポーツの秋” で閉めましょう。
静岡県でスポーツと云えばサッカーです。そこで先ず調べたのがエスパルスの清水とジュビロの磐田ですが、何れの街のMHにも
写っていません。それではと少し前には “サッカーの街” で売った藤枝も調べたのですが矢張りありません。
私の写すMHは歩いているとき見つけて写すだけですので、中々全てのMHを写すわけにはいきません。若しかしたらサッカー場の
近くには有るのかもしれませんね。
ソーソー先日静岡の街を歩いていたら、50ccのバイクのナンバープレートにサッカーをしている絵が有りました。
見た時は静岡市でサッカー? と頭を捻りましたが、そうです清水市は静岡市と合併したのでした。合併してからもう何年にもなる
のに、私の頭の中にはまだ清水市が生きているようです。

  静岡県にスポーツが無いのは情けない。ならエコパ(静岡県小笠山総合運動公園)ならあるかもしれないと袋井市を見ると
有りました、有りました。エコパ内のマMHでしたが1枚だけありました。
                                 「スポーツ」
             
                               静岡県袋井市(2011.9)
  サッカー、テニス、水泳ともう一つの競技が描かれいますが、左上にあるスポーツが分かりません。
座ってバットで台の上のボールを打っている人に、それを受けるように構えている人は中腰で2本の棒を持っています。
その後ろにはゴールのような物も見えます。こんな競技があったかしら思いつきません。
さらに不思議なのはエコパには水泳場は無いのに、水泳?水球?が描いてあるのは何故でしょう?


  最後がイチャモンで終わってしまいましたが秋編は如何でしたか。食欲の秋なのにお米しか紹介できなかったのが残念です。
果物では柿は森町、栗なら掛川、葡萄の巨峰は伊豆市(旧中伊豆町)にあっても良さそうですがありませんでした。

MHシリーズ4

2017-07-15 12:00:10 | マンホール
                夏と云えば・・・・・・・                        (MH季節シリ-ズ)

  夏至も過ぎ、真夏日や猛暑日、熱帯夜、更には熱中症が頻繁にTVで流れるようになりました。
そこで今回の “MH季節シリ-ズ”は当然その夏をテーマにしましょう。

  既に時期遅しですが、夏の最初の風物詩の 「七夕」 は外せません。
それに時季遅れとと云っても “月遅れ” も “旧暦” の七夕もあるので、この時期の七夕も良しとしてください。
  さて七夕と云えば東北三大祭りの一つ “仙台の七夕” ですが、残念ながら宮城県は歩いた事がありません。
そこで静岡県の七夕の代表の清水の七夕のMHを探してみましたが、こちらは七夕の絵柄はありませんでした。
私がMHを見つけられなかったのか、それとも元々清水には七夕の絵柄のMHは無かったのか・・・・・
それでは仕方ないと矢張り七夕で有名な隣の神奈川県平塚のMHの写真を調べてみました。
平塚は東海道を歩いた時に一度だけ歩いただけですので自信は無かったのですが・・・・

                            「平塚 七夕祭り」
          
                           神奈川県平塚市(2012.3)
  お江戸日本橋を出て相模川に架かる馬込川を渡った付近で写した写真です。
大きな七夕飾りに歓声を挙げている群衆の上には、ビルの谷間に大きく輝いている織姫と彦星が見えます。
その上には相模灘イエ湘南の海を疾走するヨットとカモメが飛んでいます。
中央にある丸に囲まれた “下” のマークは何でしょうね? 多分平塚の市標とは思うのですが・・・・・

                            「平塚 七夕祭り」
          
                           神奈川県平塚市(2012.3)
  七夕のカラー版もありました。カラーだと随分ハッキリと綺麗になりますね。
場所は平塚駅を過ぎた辺りでしたが、蓋に書かれている “赤石町” は町名を表しているようです。
MHが地番表示を兼ねているなんてのは他では見かけた事はないが、これを見た時はそこまでは気づきませんでした。
それに町名表示以外にも “1973” や “1966” 書かれた数字は、設置年月?それとMH枚数? 
何れにしても単価の高いMHになった事でしょう。
 気になっていた多重丸に囲まれた “下” マークは、多重丸は平塚市の市標だったが “下” は分かりませんでした。
若しかすると “下水” の事かもしれませんね。
そうなると蓋の下にある “合流” は下水が合流している場所のMH? 気にはなるがハッキリした事は分かりません。

  序に歩道に貼り付けてあったプレートも紹介します。平塚市の七夕に入れる熱が伝わってきますね。

                        「平塚 七夕祭り」 歩道プレート
          
                           神奈川県平塚市(2012.3)


  七夕の次に夏と云えば 「花火」 です。静岡県で花火と云えば “ふくろい花火” 、“新居の手筒花火” そして “安倍川の花火”
等があるので早速調べました。
ところが袋井市も湖西市も静岡市にも花火の絵柄のマンホールはありませんでした。だらしがないぞ “袋井、湖西” ですよね。

                            「豊橋 手筒花火」
          
                           愛知県豊橋市(2011.5)
  静岡県民の私は “手筒花火” と云えば新居ですので、当然新居が手筒花火の発祥の地と思っていました。
ところが東海道を歩いていてその思い違いに気が付きました。どうやら手筒花火の発祥の地は愛知県の豊橋のようです。
豊橋の中でも市内にある吉田神社が発祥の地で “吉田神社略紀” には
 「花火の創始は永禄3年(1560)当時今川氏の支配下にあった吉田城の城代が花火を始む」 とあるそうです。
しかし1560年は6月には今川義元が桶狭間で討死しているのですよね。それに当時貴重だった火薬を、何故神社の祭りに
使えたのか疑問が残ります。義元の尾張征伐の景気づけだったのでしょうか?
更に面白い事には静岡市の静岡祭でも手筒花火が奉納されていて、その理由に
 「慶長18年(1613)にイギリス国王使節が駿府城の徳川家康を訪ね、鉄砲や望遠鏡などを献上し、城の二の丸で花火を立て、
家康がこれを見物したとあります。これが、花火についての信頼できるもっとも古い記録とされています。」
だそうです。更に
 「これを機に徳川家康が三河の砲術隊に命じて、観賞用の花火を作らせるようになったのが、日本における花火の起源です。」
                            「豊橋 手筒花火」
          
                           愛知県豊橋市(2011.5)
  最初に手筒花火を打ち上げたのは今川(豊橋)か、それとも徳川(静岡)なのか。
今川びいきの私としては今川が駿府で最初に打ち上げたとしたいのだが、どうもそれには無理がありそうです。
ここは素直に静岡祭りで紹介している “駿府で初めて打ち上げて、豊橋で最初に作った” と言う話を信じることにします。
ただMHの花火に関して言えるのは、豊橋(三河)側の圧勝で、新居(遠江)も静岡(駿府)も形なしという事です。


  七夕、花火ときたら、お次は “ふね” ですね。ふねはふねでも勿論こちらの 「舟」 です。

                         「伊東 タライ乗り競争」
          
                           静岡県伊東市(2012.6)
  静岡県の夏の風物詩として毎年TVで放送されるのが伊東市松川のタライ乗り競争です。
タライ乗り競走とは大きなタライに乗り、しゃもじで漕ぎながら川を下る非常にユニークなレースで、外国人や浴衣姿の人、
仮装をした人などが参加していて、その殆どか途中で転覆してしまう面白いレースです。
MHの絵柄が、その競争内容に合った漫画チックなのも面白い。蓋右上にある “水(?)” の字を、10枚の葉っぱで
囲んであるのは伊東市の市標です。葉っぱに見えるのは伊東の “い” だそうで、それが10個で 「い十」 ➜ 「いとう」とか。
何から何まで “ユニーク” で統一してあるようで中々面白いですね。

                            「茅ヶ崎 伝馬船」
          
                           神奈川県茅ヶ崎市(2012.3)
  茅ヶ崎海岸沖の海上にある尖った岩は、誰が見てもその名前は想像できそうです。そう勿論その名は 「えぼし岩」 です。
 藤枝にも “烏帽子” と名の付く “烏帽子山” や “烏帽子形山” があるが、そのどちらも “烏帽子” とは全然想像できません。
それが一目で “烏帽子” が想像できるなんんて、これはこれで大したものです。
もっとも えぼし岩 の正式名称は 「姥島(うばじま)」 だそうです。
  えぼし岩周辺は、恰好な漁場で毎日に渡し舟が釣り人を渡しているそうです。その渡し舟を描いたのがMHの絵柄・・・・・・と
言いたいところですが、えぼし岩は沖合1.4kの所にあり手漕ぎの伝馬船では無理なようでプレジャーボートが使われています。

 ところで “島” と “岩” の違いは何でしょうね。
早速調べたのですが諸説あるようで、まず国連海洋法条約では
 「自然に形成された陸地であって、水に囲まれた高潮時においても水面上にあるもの」 とされているそうです。
そうなると、岩頂が常に水面上に露出しているえぼし岩は当然 “島” に分類されるわけですね。
ところがです。この定義が日本の海上保安庁では、さらに
 「島の外周が100m以上(満潮時)」 という定義を加え、 「これに満たない大きさのものを岩」 と分類しています。
更に更にですよ。国土地理院は 「航空写真に写る陸地」 を島と定義しているそうです。

  何年か前に日本と韓国との間にある、長崎県肥前鳥島周辺海域で領海問題が発生して、当時この海域にあった三つの岩礁の
「北岩・中岩・南岩」 を、慌てて 「北岩➜・北小島・中岩➜中小島・南岩➜南小島」に変更している。
こんな事なら領海問題の発生しそうな場所にある “岩” は、国連海洋法条約に乗っとり、事前に “島” にしておいた方が良さそうです。

                            「沼津 帆船ヘダ号」
          
                           静岡県沼津市(2016.6)
  この写真を写したのは戸田だったが、今回この写真を見た時は、大瀬崎と西浦湾に浮かぶスカンジナビア号だと思った。
しかしあの帆船レストランは既に10年以上前に営業を止めている。それなのにMHはまだ新しい。
で、気が付いたのは一見蜘蛛にも見える高足蟹の姿です。高足蟹とくれば戸田以外ないのですから、正面に見える砂嘴は
御浜岬で、そして駿河湾を挟んで愛鷹山と富士山が見えています。
ここまでは誰もが分かるでしょうが、では木造二本帆の帆船は何でしょう。湾内を走る遊覧船? イエ違います。
ここでまたもや知ったかぶりが始まりますが許してください。

  江戸時代末期の安政の地震の際、折から日露国交樹立交渉のため下田に寄港していた露西亜の帆船 「ディアナ号」 は、
被害を受けた。その修復のため戸田港を目指していたが、航行中の強風と大波にあい田子の浦沖で座礁転覆してしまった。
田子の浦の漁民に助けられたロシアの乗組員は、日露和親条約締結後、帰国ための船の建造を幕府に願いでて、伊豆の
戸田村にて帆船の建造を許された。日露合同で日本史上初ともいえる造船が戸田で行われ、2本のマストを備えた小さな
帆船が 「ヘダ号」 が竣工すると、ディアナ号の乗組員を乗せ無事ロシアに帰国したそうです。

                            「三ケ日 ヨット」
          
                           静岡県浜松市(2017.1)
  ヨットに主眼を置いたため、この絵柄を夏にしてしまったが、これは明らかに私のミスです。
このMHで紹介したかったのは、飽くまでも “三ケ日ミカン” でしょう。
しかしこの絵を細かく見て行くと疑問が湧いてきます。先ず蜜柑が色づいているのにミカンの花が咲いている。
それは許容範囲としても、もっと気になるのは前方に見える橋とヨットの関係です。
三ケ日と云うと浜名湖に面した町とのイメージが強いが、実は三ヶ日町の大部分は前方に見える橋の両側から始まる
猪鼻湖に面しているのです。
この極端に狭まった間には2本の橋が架かっていて、1本はマンホールにあるアーチ橋、もう1本は近代的吊橋です。
そのどちらの橋も水面からさほど高くはありません。ウフフ・・・・私の疑問が分かりましたか?
そうです。帆のあるヨットがあの橋の下を潜って猪鼻湖の中に入ってこれるかどうか。それが私の疑問です。
  次回三ケ日に行ったときに確かめることにしましょう。

MHシリーズ3

2017-06-08 11:36:23 | マンホール
          東海地方も昨日梅雨入りしました
          雨が多いのに水無月とは これ如何に            (MH季節シリ-ズ3 雨)

  水無月は六月の古称ですが “水の無い月” ではなく “水の月” だとの説がありました。
その根拠として、古語では “無(な)” は “の” にあたる連体助詞なので 「水の月」 になるとか。
難しい話は兎も角として、旧暦の6月は今の7月で梅雨も明けきれにない時期なのに何故だと思ったら
 「陰暦六月は、田に水を引く頃だから 水の月 と云われるようになった」 のだそうです。


       「マンホールシリーズ第3弾」 は雨と水を表すものを集めて見ました。
                               「あめ」
     
                         愛知県豊川市(2011)                      
  大小の傘を持ったテルテル坊主が手をつないで輪になった絵柄は、雨の日も楽しくなってきますね。
この絵柄は童謡 「あめふり」 の作詞家か作曲家が、豊川市に関係あるかと思いましたが関係ありませんでした。
豊川市と雨の関係は分かりませんでしたが、これなら雨の日も心ウキウキしてきます。

                             「アメンボ」
      
                         愛知県名古屋市(2011)
  このデザインもホッカリさせてくれます。でも最近は水溜まりも少なくアメンボを見なくなってしまいました。
アメンボの名前はアメンボウと “ウ” を付けて呼んでいたので、語源は当然 「雨坊」 だと思っていました。
ところがそれは大違いで実際は 「飴棒」 から来ているとか。
 「飴」 とはアメンボの臭腺からから発する飴のような臭いで、 「棒」 は体が細長いことから来ているそうです。
そう聞いても 「雨坊」 の方が相応しいと思いませんか。
そうそう少し格好をつけて云うときは 「ミズスマシ」 と呼んでいました。

  雨のは水は川となって湖や海に流れこみます。で次は “川” のマンホールです。
                             「狩野川」
     
                        伊豆の国市(旧大仁町)(2012)
  6月の川は鮎の解禁で大賑わいです。
中でも狩野川は鮎の友釣り発祥の地という説があるほど友釣りが盛んな川だそうです。

                             「豊川」
     
                        愛知県豊川市(2011)
  豊川で鮎釣りが行われているか分かりませんが “川に魚” という事で許してください。
魚が丸々していて鯉ともみえるがそこはご愛敬。上流の狐は豊川稲荷のきつねさんでしょうか。

                            「佐久間ダム」
     
                        浜松市天竜区(旧佐久間町)(2012)
  川の水はダムに堰き止められダム湖になります。
静岡県のダムと云えば勿論佐久間ダムです。建設当時は日本一を誇り、小説や映画にもなったそうです。
この写真は塩の道を歩いた時の写真ですが、残念ながら塩の道はダム近くを通りませんでした。

                             「河口湖」
     
                        山梨県河口湖町(2010)
  静岡県には大きな湖は無いので富士山麓道一周で歩いた富士五湖を紹介します。
富士五湖で一番開発が進んだ河口湖はマンホールもカラフルです。湖の向こうに富士山、上には河口湖大橋、
黄色の花は富士山に似あうといわれた月見草。そして縁どりにはラベンダーと名勝やら特産が大賑わいです。

                             「忍野八海」
     
                        山梨県忍野村(2010)
  川でも湖でもないけど水車は水が無ければ動かない。その水の元は空から降ってきてきた雨です。
河口湖町のお隣の忍野村は静岡県にはすでに無くなってしまった “村” がまだ生きています。
もうそれだけで “ふるさと” といった感じが呼び覚まされるから不思議です。

                             「かぐや姫」
     
                            富士市(2012)
  これが雨に関係がある?? 
ありますよ! 竹にお姫様なら七夕の織姫、七夕なら7月7日。7月なら梅雨で雨ですからネ。
イエイエ本当は今回は静岡の物が少なかったから綺麗処に登場願っただけですが・・・・・
この写真は 「海から富士山」 を歩いた時に田子ノ浦海岸にある富士塚近くで写したものです。
富士市のかぐや姫伝説は旧吉原市の竹林をかぐや姫誕育の地として、最後に月に帰るのではなく、富士山に忽然と
消えてしまうことになっています。
そのため富士山浅間大社の祭神の木花咲耶姫がかぐや姫のモデルだとする説もあるそうです。
富士山の上にあるお月さんに何か模様のような物があるので拡大してみると、何と富士市のマーク(市標)でした。
それで富士市の刻印が無かったのか。納得。

MHシリ-ズ 2

2017-05-02 10:10:10 | マンホール
                   春ですねェ 茶を飲みねェ 苺を食いねェ                        (MH季節シリ-ズ2)

  「夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂り あれに見えるは茶摘みじゃないか あかね襷に菅の笠 ♬・・・♪
静岡の野山の春で絶対欠かせない風景・・・・・・と言ったら、何と言ってもお茶摘みでしょう。
柔らかな萌黄色の葉が広がった茶園は、正に静岡を代表する風物詩と云っても過言ではないと思います。
今回の 「マンホールシリーズ第2弾」 は静岡を代表する春を集めて見ました。

                                       茶摘み
            
                                静岡県菊川市(2013.3)
  残念ながら歌の文句にあるような 「あかね襷に菅の笠」 の姿は、今やイベント用の姿格好になってしまいました。
現在小さな茶畑での茶摘みは、茶刈機を茶列の上に置き、畝に入った二人が機械を新芽の巾に持ち上げながら移動して刈って行きます。
刈られた新茶は茶刈機の後ろに付けた大きな袋の中に入っていきます。
更に大きな茶園ではお茶の畝の間にレールを敷き、そこに乗降式茶刈機を移動させながら一人で刈っていきます。

 静岡県内で茶の名産地と有名なのは静岡の本山茶と川根の川根茶が有名でした。ところが最近全国紙などの茶の広告には
 「掛川茶」 とか 「深蒸し茶」 が幅を利かせてきています。
これは2011年NHKためしてガッテンで 「お茶!がん死亡率激減!?超健康パワーの裏ワザ」 なる内容の番組が2回も放送され、
大きな話題となりました。それ以来でしょうか掛川茶が幅を利かすようになったのは。
掛川茶の担当者に中々の切れ者がいるようで、深蒸し茶の次に打った手は 「茶草場農法の世界農業遺産認定」 です。
茶草場農法とは簡単に云ってしまえば茶畑の畝の間に刈り取ったススキやササなど鋤きこむ事です。
この様な農法は掛川周辺だけではなく、静岡県東部地方では富士山南麓の演習場で刈り取ったススキなどを茶畑に敷き込んでいます。
それが今では掛川の専売特許のような感じになってしまっている。(イエイエ私は掛川を嫌っているわけではありません)

 ところでお茶摘みのマンホールは掛川ではなく隣の菊川市にありました。菊川市は牧之原台地の一部を担っているものの面積は狭く、茶の
生産量は決して多くはありません。しかしこのような蓋を作ったり、東名の道路脇には急須で茶を注ぐモニュメントもあり力を入れているようです。
因みに 「深蒸し茶とは、製造方法の一種で、生茶葉から煎茶を造る最初の工程である「蒸し」の時間を長く取るものを深蒸し茶という。
日照時間が長い茶葉は肉厚となり、従来の製茶方法では青臭さが残り旨みの抽出も少なくなることから深蒸し製法が採用された。」

のだそうで、本山茶や川根茶のような山間の川霧が出る場所から生産される茶葉は深蒸し茶にしないそうです。

                                      苺
            
                            静岡県伊豆の国市(旧韮山町)(2012.4)
  茶の次に紹介するのは苺です。静岡で苺と言えば久能山の石垣苺が有名ですが、マンホールのあったのは伊豆の国市でした。
伊豆の国市で苺と言えば旧伊豆長岡町江間のいちご狩りが有名ですが、旧韮山町では聞いた事がありませんでした。
そこで早速調べてみると有りました! 有りました! 江川邸近くに 「韮山いちご狩りセンター」 がありました。失礼しました。
 しかしこの絵柄では 「にらやま」 とあるから韮山と分かるが、それが下のような蓋もありました。

                                  富士山・反射炉・苺.1
            
                            静岡県伊豆の国市(旧韮山町)(2012.4)
  2015年 「明治日本の産業革命遺産」 の構成資産として韮山反射炉が世界遺産登録されました。勿論富士山は世界遺産の
先輩ですので、一つの絵柄に二つの世界遺産が揃踏みしている貴重な絵柄とも云えますかな。
それは兎も角、絵柄に反射炉が入ったせいで、この蓋は誰が見ても 「にらやま」 と分かりますね。
 
                                  富士山・反射炉・苺.2
            
                            静岡県伊豆の国市(旧韮山町)(2012.4)
 この蓋にはカラー版とモノクロ版がありました。

                                 伊豆の踊子と石楠花
            
                          静岡県伊豆市(旧天城旧湯ヶ島町)(2012.4)
  伊豆の国市の次はお隣の伊豆市の蓋です。市の名前の紛らわし件はここではおいておきましょう。
蓋には町の名前が書いてありません。だが和服姿で角帽の学生と、絣模様の着物に簪を挿した少女とくれば何となく分かりますよね。
そう川端康成の 「伊豆の踊子」 の一高生と踊り子です。
私にとって伊豆の踊子の場所のイメージは湯ヶ島なら天城隧道、湯ケ野なら温泉、下田なら船と言った感じです。しかしこの蓋には
トンネルも温泉も船も描かれていません。あるのは花はですが、よく見れば葉が細長く葉の付け根に花が付くのは石楠花のようです。
そうなれば私のイメージとしては浄蓮の滝から天城隧道の天城越えの道ですので、場所は旧湯ヶ島町です。

                                     花と蝶
            
                            静岡県浜松市北区(旧引佐町)(2017.1)
 この蓋の絵柄を見て旧引佐町と分かる人は方々を歩いている人ですな。
引佐町の大代集落の枯れ山にはギフ蝶の観察遊歩道があります。時期は3月中旬から4月上旬なので今年はもう遅いですね。
興味のある方はこのHPを確認してください。「枯れ山(ギフチョウ観察遊歩道)コース」

 花はつつじでしょう。多分。
引佐町と云えばギフ蝶より 「芝川つつじ」 が有名です。芝川つつじは県の天然記念物になっていて花の時期には “つつじまつり” も
が開かれます。時期は5月中旬過ぎだそうですので、直虎の郷を散策した序に足を延ばすのも良いかもしれません。
興味のある方はこのHPを確認してください。 「渋川つつじ観賞コース」

 静岡県で天然記念物になっているツツジには旧榛原町の 「勝間田公園のミヤマツツジ」 があります。
しかし旧榛原町の蓋の写真のストックが1枚もありません。あの辺りはかなり歩いているのですが、気に入った絵柄の蓋が無かった
のかもしれません。
榛原町なら牧之原の茶園とつつじなんて素人でもすぐ思い浮かぶのですから、探せばあるのかもしれませんね。

                                     長 藤
            
                            静岡県磐田市(旧豊田町)(2011.4)
 静岡県で藤と云えば国の天然記念物でもある旧豊田町の 「熊野(ゆや)の長藤」 が有名です。
このマンホールはその豊田町の蓋なのですが、藤の花ばかり強調され余り面白くありません。
いっそ長藤の名前にもなっている “熊野御前” の舞姿があればいいなと思うのですが。

 熊野の長藤の時季は4月下旬から5月上旬ですので、まだ間に合うかもしれません。
こちらを参考にしてください。「磐田市観光協会」 熊野御前のことなら 「花紀行・花おりおり」

MHが春を呼ぶ

2017-04-09 17:15:17 | マンホール
                マンホールが春を呼ぶ                        (MH季節シリ-ズ)

 観歩を心掛けながら遍路や街道歩きをしていると、道端に佇む野仏や道標に気が取られるのは当然だが、車や自転車に轢かれ、
人にも踏まれながらも地面に張り付いて、己の使命を全うをしているマンホールの蓋に目が行くこともある。
そんなマンホールの蓋を時折写真に写していたのだが、先日新聞に 「マンホールのカードがブームに」 の記事が掲載されていた。
それなら写し溜めておいたマンホールの蓋の写真たちにも陽の目を見せてやろうと 「MHシリ-ズ」 を思い立ちました。

 先ずシリーズ開始のトップバッターは、お江戸日本橋の地面に敷設された 「日本国 道路元標」 です。

               
                                     東京都中央区(2012.4)
  この道路元標はMHではないが道路上に敷設された物の代表としてトップバッターとして登場させました。
写真は東海道を15回かけて歩いた時の写真で、その日は夜行列車で早朝に東京に着きその足で日本橋に行って写しました。
朝が早かったのか車は少なく余裕をもって写すことができ、近くの交番で立哨していたお巡りさんも黙認してくれました。


  さて春と言えば桜ですがMHの蓋で桜を主体とした物は意外と少なく、城や橋などの添え物として扱われている物が多かった。
そんな中でこの絵柄は明らかに桜を表していると分かるので春のトップを飾ってもらいました。
            
                                 静岡県三島市(2012.4)

  三島で桜を考えても思い浮かぶ所もないし、このMHの絵柄では特徴は無くどの町でも使え面白くないのだが仕方ない。
三島は東海道では勿論歩くし下田街道の起点でもある。また駿河一国33観音や駿河百地蔵の際にも歩いた馴染みの街です。
なのに三島の写真はこれ1枚しかなかった。もっと探せば “三嶋大社” や “三島梅花藻” の図柄もあるかもしれない。

                               杜若(かかきつばた)
            
                                 愛知県知立市(2011.8)
  知立と聞いてこの花がカキツバタと分かる人は地元の人か通な人ですな。愛知県知立市は東海道の39番目の宿場町で古くは
池鯉鮒(ちりふ)宿として繁栄したそうです。
カキツバタと知立の関係はこんな話が伝わっています。
  「平安時代に編まれた 『伊勢物語』 に有名な在原業平が東下りのおり池鯉鮒八橋の地で 『ら衣 つつなれにし ましあれば
 るばる来ぬる びをしぞ思ふ』 と詠んだ事から 『八橋かきつばた園』 が市の花にも指定されています。」

                                   菖蒲(あやめ)
            
                              静岡県伊豆の国市(2012.4)
 伊豆の国市と聞いてもあやめもカキツバタも思い浮かばないが、伊豆長岡なら菖蒲が思い浮かぶ。
先月歩いた伊豆金冠山の帰りの沼津の木負に、源頼政と菖蒲(あやめ)御前の墓があった。その菖蒲御前が頼政公の死後
伊豆の古奈に戻り余生すごしたとされている。伊豆長岡温泉では菖蒲御前を偲ぶ祭りがあり、時折報道されている。

 でも少々心配なのは写真を写した場所が同じ伊豆の国市でも旧伊豆長岡町ではなく旧大仁町辺りで写した事です。
若しかして蓋の中央にある町章のようなマークは旧大仁町の物ではないかと調べたが違うようだし、旧伊豆長岡町の物でも
なかった。なら仕方ない、一先ず菖蒲御前のアヤメとしてしまいました。

                         何れ菖蒲か杜若(いずれあやめかかきつばた)
            
                                 三重県桑名市(2011.9)
 このMHは木曽川を渡り三重県に入ってすぐに写したものです。なので桑名市で間違いはなく、橋は木曽川に架かる尾張大橋か
長良川と揖斐川に架かる伊勢大橋だと思われます。なのに蓋中央にある市章らしきマークは桑名市の物ではなかった。
ウーンと頭を抱えたが思いついたのは、この中洲にあった長良川河口堰から見えたレジャーランドの事。そう長島温泉です。
早速三重県長島町で検索してみると、蓋のマークは三重県北牟婁(きたむろ)郡紀伊長島町の町章と分かりました。
その紀伊長島町は2005年に桑名市と合併していました。

それは分ったが当時の紀伊長島町の町の花はハマユウで アヤメでもカキツバタでもなかった。
ただ長島町と云えば 「輪中の郷」 としても知られている水と縁のある町だ。
なら野山に咲くアヤメではなく、湿った場所を好むカキツバタの方が正解だと思うが決断は下せません。


 マンホールカードがどのような物か知りませんが、こんな調子で時折埋め草として紹介していきます。