はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

遠州七福神2-2

2013-03-30 11:53:37 | 寺社遍路
遠州七福神(弁財天・福禄寿天)2              歩行月日2013/03/23

歩行時間:8時間50分 休憩時間:2時間15分 延時間:11時間05分
出発時間:5時45分  到着時間:16時50分
歩  数: 54、766歩  GPS距離:41.8km
行程表
 菊川駅 1:30> 上張南交差点 0:55> 六枚屏風 0:15> 小笠山 1:15> 山本橋
 1:15> 馬伏塚城跡 0:50> 松秀寺 1:05> 福王寺 0:45> 大日堂>1:00> 袋井駅

観歩記
山本橋からは県道403号の信号まで西に下って行く。その信号を左折して、今度は太田川の
手前にある中村交差点までは只々県道を歩く分かりやすい道だ。その代り見るものも少なく
面白味のない道でもあった。
山から出てすでに県道を1時間以上歩き11時半を過ぎてしまった。腹も空いてきたので何処
か昼飯を食べれそうな場所を物色しながら歩く。
あったあった「風見の丘」と名前の付いた公園の看板が見えてきた。あそこで昼飯を食おう
と近づくと風見の丘公園へは、まだダラダラと上に登って行かなければならない。
止めた!疲れが増すようなことはしたくない。

 
          馬伏塚城跡の土塁跡               案内板の城絵図

更に10分も歩いて行くと今度は「馬伏塚(まむしづか)城跡」の看板があった。もう腹が空き過
ぎて限界に近い。これ以上歩いたらガス欠になってしまいそうだ。兎も角昼飯にしよう。
帰りに城の案内板を見ると、現在の地形図や古い城絵図などが見やすく表示されていた。
残されている部分は小さく狭いが、絵図の縮図は南北1000mありかなり大きい。

「この城はいつ築かれたのか明らかではないが、文亀元年(1501)に遠江国守護の斯波氏と
駿河国守護の今川氏が遠江国の支配権を巡って中遠地域で激しい戦闘が繰り広げられた頃
今川氏の拠点として登場しており、この時に城塞としての機能を果たしていた事がわかります。
城主として史料に登場する最初は、今川氏の重臣で小笠原春茂親子であ、高天神城の城主も
兼ねていたとされています。
今川氏が滅亡すると小笠原氏は徳川家康の配下となり、天正2年(1574)南遠地方の要であった
高天神城が落城し、徳川方から武田に支配が移ると、家康は馬伏塚城を高天神城攻略の作戦
本部と位置づけ、大改造を行って現在の岡山集落全域を取り込む城郭に造り上げました。
天正9年(1581)に高天神城を落城させるまで、大須賀城と共に戦略上重要な位置を占めます。
しかし、徳川家康による遠江支配が安定する天正10年にはその役割を終えて廃城となった。」

案内板には1501年に斯波氏と今川氏が激しく戦っていたとあるが、その頃はすでにこの辺りは
今川の勢力下だったので、この城の築城の目的は斯波氏の残党の睨みが主だったろう。
それと気になったのが、馬伏塚城の城主が高天神の城主も兼ねていたあるが逆ではないか。
規模も大きく重要性も高い高天神城主が馬伏塚城主を兼ねていたと書くべきではないか。
どちらでも同じ? そうですね細かい事にイチャモンを付ける悪い癖が出てしまった。

 
        松秀寺弁天池                  松秀寺山門のミニ草鞋

これから回る5寺は、全て以前に遠州33観音巡りで来たことのある札所だ。その時は専用の
納経帳は持っていたので、ご朱印を打つだけで納経料が100円だった。余りに安くてわざわざ
呼鈴を鳴らして頼むのも気が引けたので、お寺の人に会った時だけ納経を頼んでいた。
今回の七福神は白紙の納経帳に書いてもらう方法なので納経料は300円となっている。
これなら呼鈴を鳴らして呼び出しても、さほど気を使わないで済む。
その納経料はお釣りを貰わないで済むように百円玉を用意してきている。理由は駿河33観音
のある札所で500円出したところ「500円でよろしいですか」と確認されてしまった事がある。
寺側とすればお釣りはお賽銭と思うのかもしれないが、私とすれば500円では高すぎるよ思う。
100円では安くて申し訳なく、500円では高すぎる。中々煩い奴だ。

1時に松秀寺にやっと到着。山か出て2時間半以上も掛かってしまった。しかしこの松秀寺は
気分が良かった。まず山門前の弁天池には睡蓮の新芽が沢山浮かんでいて、花の頃にはさ
ぞかし見事だろうと想像できる。それに弁天さんを祀ってあるなら池が無ければ寂しい。
今まで焼津と藤枝の二ヶ所の七福神を巡ったが、弁天さんが本尊の寺なのにどちらも弁天池
が無かったので余計に嬉しく感じた。これでこそ弁財天の札所だと思った。

山門の脇には幾つかの石仏が堂宇の中に鎮座していて、その堂宇の格子には小さな草鞋が
幾つも吊り下げてある。足の神様なのだろうか?後で聞いてみよう。

    
            弁財天祭壇                     弁財天ご本尊

ご朱印をお願いに行くと「お詣りをどうぞ」と言って本堂に案内してくれた。本堂左に弁財天の
祭壇を祀ってあり、そのご本尊の厨子の扉が少し開いていた。写真は駄目なのかなと思った
が誰もいないの良い事に写してしまった。罰が当たりませんように----

納経所に行くと「これをどうぞ」と言って「御福銭」「つもりちがいの十条」それに「東北復興の
ため東北の人が書いた仏画のカレンダー」
を差し出してくれた。しかもお茶付きで。
こういうお接待は何より嬉しい。1回目では車のお接待を誘われ、今回はこのようなお接待で
遠州七福神はご利益がありそうな感じだ。
もっとも弁天さんは音楽、芸術、水、財産の神様らしいので私には関係ありそうもないが。

そうそう御福銭とは、五円玉が御福銭と印刷された熨斗袋の中に入っている物で、中々気の
利いたお接待だ。
お金のお接待は四国で何回か受けたが、そのお金は三途の川の渡し賃として、そのまま仕
舞ってある。この御福銭もその中に入れておこう。

それと「つもりちがいの十条」も面白いので紹介します。
一条 高い  つもりで 低いのが  教養
二乗 低い  つもりで 高いのは  気位
三条 深い  つもりで 浅いのは  知識 
四乗 浅い  つもりで 深いのは  欲の皮
五条 厚い  つもりで 薄いのは  人情
六乗 薄い  つもりで 厚いのが  面の皮
七条 強い  つもりで 弱いのが  根性
八乗 弱い  つもりで 強いのが  
九条 多い  つもりで 少ないのは 分別
十条 少ない つもりで 多いのが  無駄
私にも該当しそうな項目が幾つかあるので気を付けなければいけないな。

茶を貰い少し話をして1時半に松秀寺を出発した。次の札所は福禄寿天の福王寺だ。
折角雑談までしたのに山門にあったミニ草鞋の事を聞くのを忘れてしまった。

遠州七福神2-1

2013-03-28 14:44:35 | 寺社遍路
遠州七福神(弁財天・福禄寿天)1              歩行月日2013/03/23

歩行時間:8時間50分 休憩時間:2時間15分 延時間:11時間05分
出発時間:5時45分  到着時間:16時50分
歩  数: 54、766歩  GPS距離:41.8km
行程表
 菊川駅 1:30> 上張南交差点 0:55> 六枚屏風 0:15> 小笠山 1:15> 山本橋
 1:15> 馬伏塚城跡 0:50> 松秀寺 1:05> 福王寺 0:45> 大日堂>1:00> 袋井駅

観歩記
1回目に引き続き一番電車に乗り菊川駅に下車し、明るくなり始めた5時45分に出発。
前回掛川まで歩く予定が菊川になってしまったため、残りのルートを変更することにした。
予定は掛川駅を出て掛川市内の永江院を打ったあと、森町の極楽寺、磐田の法雲寺と回って
磐田駅に。3回目は磐田の福王寺、袋井の松秀寺と回って袋井駅にゴールする積りだった。
別に掛川駅出発を菊川駅に変更するだけでも良いのだが、菊川・掛川間は前に歩いて面白く
なかった覚えがある。そこでまだ歩いた事のない東名高速の側道を歩いて、掛川に向かうこと
にした。

    
        東名高速と取付道路             菊川のお茶の看板

この道は所謂東名の取付道路で、東名高速の建設用に作った道なので見るものは無いとは
思っていたが、その通り興味を引く物は無かった。ただ思っていたよりアップダウンが多く
ここより北にある旧東海道や、南にある塩の道は平坦だったのに比べ予定外だった。
横を走る東名高速は、盛土をしたり切通しにしたりして平らになっているので、余計に差を感
じてしまった。

1時間30分かかってようやく本来なら前回通った筈の上張南交差点に到着。この間が約8km
だったので前回6km少ない菊川駅に行ったのだから差引2km多くなったに過ぎない事になる。
何だか分かったような分からない計算だが、兎も角そうなるのだろう。

さて、この先のコースがまだ決まっていない。このまま県道403号を直進するか、それとも
ここから小笠丘陵に入り小笠山経由で行こうか、どうしよう。
県道は新しい道で只々歩道を歩くのみだが、まだ歩いた事はない。一方山道は六枚屏風を
経由する道で過去何回も歩いている。少し迷ったが、ここまで東名の取付道路が面白くなかっ
たので山道を歩く事にした。

 
       ミヤマツツジ                     六枚屏風入口

畑で作業をしている人が話しかけてきた。
「ラジオを持っているならボリュームを上げて行きなさいよ。今少し前に畑に来たとき、猪が
あすこを登って逃げて行ったから、まだこの辺にいるかもしれない」
と山裾を指さす。
その方向はまさにこれから向かう場所なので少しビビってしまった。
ラジオは持っていないと言うと「では歌でも歌って行けばいい」と言う。
お礼を言って別れたのはいいが何となく気になってしまった。風で木が擦れる音やガサっと
物音がするたびにドキっとしてしまった。歌を歌う気にもなれず、時折大きなため息を出した
りしながら歩いて行く。だがそんな不安な気持ちも、傾斜が強くなった道を歩いているうちに
いつしか忘れてしまった。

  
                    六枚屏風

六枚屏風に近づいてきたころからミヤマツツジが目に付きだした。尾根筋にも咲いているが
北西側の谷には沢山咲いていた。
六枚屏風の入口に案内の看板がある。この看板ができる前は六枚屏風への入口を見落とす
事があったが今は見逃す事はない。下る道も昔は腰をかがめ注意しながら下りたが、今では
腰をのばしたまま下る事ができる。

 
         小笠山三角点                小笠山十字路

小笠山から先のコースは138度展望台を経由して、法多山に下る道を探しながら歩くか、それ
とも展望台を過ぎて小笠山トンネルから県道に出て法多山に向かうか迷っていた。だが途中で
見た案内板の地図で気が気が変わってしまった。地図では小笠山からトンネルまでが随分距離
があり時間も掛かるように書いてある。一方まだ歩いた事はないが、その道より南側にも法多山
方面に抜ける尾根があり、そちらは距離が短く時間も1時間30分ほどとなっていた。
いつも歩く展望台-トンンネル-腹摺峠-法多山は、この倍以上の3時間以上は掛かるようだ。
それじゃ考えるまでもなく南側の尾根を行くしかないと考え出していた。
ただこの小笠丘陵は、標高が低い割には危険な場所が多く気を付けなければと思っている。
今日は山に登る気は無かったので、危険個所などの表示がある「小笠山ハイキングマップ」
持ってきていないが、案内板の地図には危険個所の表示は一ヶ所も無かった。
多分大丈夫と思うが気を付けていこう。

 
       ハッキリしていた尾根道                 法多山が見えた

県道を横断していよいよ初めての尾根道に入ったが案ずるより産むが易しだった。
山道はハッキリしているし、道標代わりになる林野庁の赤い「境界見出標」が続いていた。
所々には他には見ない土管の吸い殻入れもあった。
傾斜も緩やかな下り勾配で、尾根の周りには植林でない自然木の大木もあり森林浴には絶好
な道だった。小笠山は傾斜が急なのか麓が近い低山なのに植林された箇所が少ないのも気持
が良い。六枚屏風側では咲いていたミヤマツツジは、こちら尾根では咲いていなかったが、代り
に馬酔木の白い花が咲いていた。

十字路を出て50分ほど歩いた辺りで、西の方角に法多山の屋根が見えてきた。その屋根の
前後に送電線も見ている。腹摺峠から法多山に向かう途中にある送電線だろう。ここまで
来れば法多山に続く県道は近いだろう。

送電線の鉄塔からは急な下りになった。尾根筋から外れいよいよ県道への下りの始まりだ。
さらにもう一つ鉄塔の下を通り下って行くとようやく県道251号に合流。十字路から1時間で
着いてしまった。
次回この道を逆に歩く時の為周辺の確認をする。合流した県道の少し下に田代橋があり、
山に入る茶畑の中の道の上には送電線が走っている。そしてその入口に建っている中電柱
の番号は「宝野幹104」となっている。この位調べておけば次回も困らないだろう。

遠州七福神-3

2013-03-24 16:36:33 | 寺社遍路
遠州七福神(毘沙門天・恵比寿天)3              歩行月日2013/03/16

歩行時間:11時間50分 休憩時間:1時間00分 延時間:12時間50分
出発時間:5時35分  到着時間:18時25分
歩  数: 72、890歩  GPS距離:53.1km
行程表
 金谷駅 1:50> 相良子生れ温泉 1:40> 波津海岸 2:00> 御前崎港 1:00> 増船寺
 1:00> 官長寺 0:50> 桜が池 3:00> 菊川IC 0:30> 菊川駅

観歩記
寺の横の道は農道のような道だったが迷うことはなく県道に出る事ができた。この後は県道を
歩いて150線を越して行けば良い。その150号線の近くに来ると、何となく見た事のある風景が
出てきた。更に150号線まで行くと信号の名前が「牛飼」になっていたので完全に思い出した。
2010年の9月ごろ遠州33観音巡りで菊川駅から御前崎の紅雲寺を打った時に歩いた道だった。
確か紅雲寺はこの左の方にあったが、あの時も大変な行程だった。今日のように涼しくなく、
暑い日だったので紅雲寺からの帰りは相当疲れてしまった覚えがある。
今日は涼しいが、その分距離は長くなりそうなので覚悟をしておかないといけないな。

      
          官長寺山門                    官長寺仁王像                 

「さくら山 花のさかりの 官長寺 ほとけにまいる 人ぞたのしき」と御詠歌が書いてある
塀の先に官長寺の山門があった。門前の駐車場も広く大きな寺で「どうぞお詣りしてください」
と指されて先は本堂だった。本堂の正面は寺の御本尊を祀り、七福神の恵比寿天は左脇の
祭壇に祀られていた。

    
         恵比寿天の祭壇                   恵比寿像

祭壇には魚を釣っていたり、魚を抱えたり、米俵の上で小槌を振っていたりと、色々の格好を
した恵比寿像が置かれていた。全部で10体以上あっただろうか、余りに多すぎて有難味が薄
れてしまいそうな感じがする。
祭壇の横には一際大振りな恵比寿天が置いてあり、その台座には「WORLD SEVEN」と彫ら
れていた。「世界7」?何を意味するのだろう??

気さくな大黒さんだったので少し話が出来た。彼女が云うには「七福神参りに来る人は殆どが
車で来る人で、たまにバスで来る人もいるが、バスの便が悪いので大変だと言っていた。
前に菊川から歩いてきた人がいたが帰りはバスだと言っていた。あなたのように行も帰りも
歩きで、しかも金谷からなんて聞いた事がない」
とアホたれていた。
何となく得意になって「帰りは掛川駅まで歩く」と言うと「ここの最寄りの駅は菊川だから菊川に
した方が良い」
と言ってくれた。

 
              長兵衛地蔵               鳥居と僧

官長寺を出ると何とも理解しがたい社があった。社の前の石碑には「長兵衛地蔵尊」「三願
叶地蔵尊」
と書かれている。地蔵尊なのだから庵だと思うのだが、建物は神社風で鳥居もある。
だがその鳥居の横には弘法大師像の様な像も立っている。一体ここは寺なのか神社なのか?
入口に案内板には「長兵衛地蔵  建物は神社建築の最も古い建築様式の大社造り。社には
三願叶地蔵尊が本尊として祀られているが、由緒や遠隔は不明である。
この本尊は名前のとおり、三つの願いまでは叶えてくれるが、特に難病平癒や海難除けなどに
ご利益があるといわれ、南遠州随一のお地蔵様である」
 では長兵衛地蔵は?

今日のコースで一ヶ所寄りたい所があった。それは塩の道を歩いたときユニークな寺と感じた
菊川の応声教院の奥の院が、桜ヶ池にあるので見てみたかった。
官長寺と桜ヶ池は距離も近く、しかもその間が御前崎市のウォーキングコースになっていので
立札もあり容易に着くことができた。

 
       桜ヶ池「皇円阿闍利大竜神」             竜神伝説
          
桜ヶ池は約二万年前にできた砂立堰上湖で、遠州七不思議の「桜ヶ池のお櫃納め」とか
「桜ヶ池の大蛇」として知られている。
その謂れは「平安末期に盛んとなった弥勒菩薩が釈迦入滅後56億7千万年後にこの世界に
現われて衆生を救済するという弥勒下生信仰をうけ、比叡山の皇円阿闍利が弥勒菩薩に教え
を乞うと言い残し、自ら桜ヶ池の底に入定され池の主神(大蛇)となった。
その阿闍梨の霊を高弟の浄土宗開祖法然上人が供養の為、お櫃に赤飯をつめ池の中心に
沈めた。以降、秋の彼岸の中日には赤飯を詰めたお櫃を池に沈めて、竜神に供える奇祭
「お櫃納め」が行われるようになった。お櫃は数日後には空になって浮いてくると言われ
遠州七不思議のひとつになっている。
また、桜ヶ池に沈めたお櫃が、同じく竜神伝説の残る長野県の諏訪湖に浮いたことがあるとされ、
諏訪湖と地底でつながっているという言い伝えもある」


 
          池宮神社                   応声教院別院

応声教院と桜ヶ池との関係は「浄土宗開祖の僧法然が、応声教院に入り天台宗を浄土宗に
改め、師である皇円阿闍梨の菩提をこの寺で弔ったと伝えられている。そのため桜ヶ池にも別
院を設けて阿闍梨を祀っている。また応声教院には大蛇のウロコなるものが祀られている」

興味ある話だが池宮神社の縁起書を読むと、神社の祭神は「瀬織津比詳命(せおりつひめの
みこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)・建御名方命(たけみなかたのみこと)」
となっていて
皇円阿闍梨の事は何も書いてない。また由来の中にも阿闍梨は出てこない。
これは考えてみれば当然な事で、浄土宗の僧を神社が祀るわけにはいかないからだろうから、
だから浄土宗の応声教院別院で阿闍梨を祀っているのだろう。
因みに「瀬織津比詳命は代表的な清め祓いの神で諸々の罪穢を祓う神。事代主命・建御名方
命は共に大国主命の子供で、事代主命は通称エビス様と称せられ商売繁盛、福の神、また、
建御名方命は農、耕、水の守護神として崇められている」
とあった。

それでは別院に行こうと探すのだが見当たらない。あったのは写真のように「菊川町奥の院
応  院別院」
と書かれたみすぼらしい看板だけだった。
これが別院では皇円阿闍梨様も浮かばれないだろう。

桜ヶ池で時間を取り過ぎてしまい、すでに時刻は3時近くなってしまった。ここから掛川までは、
まだ4時間以上はかかりそうだ。となると7時過ぎになってしまう。先を急ごう。

 
      6km差が気になりだした標識            夕日は落ちて

桜ヶ池から1時間以上歩いたのに道路標識に「掛川 16km」となっていた。16kmでは疲れが
出た足では4時間弱は掛かってしまう。それでは掛川到着が8時過ぎだ。
サー困ったどうしよう! この後応声教院に寄りたいと思っていたがとんでもない話だ。とても
寄っている時間など無い。それより標識にある「菊川 10km」が魅力的に見えてしまう。
6km少なければ7時前には菊川に到着できるが、菊川ゴールだと次回の七福神廻りのコース
設定が難しくなる。いや菊川・掛川間が長くなるだけでコースは予定通り歩けばよい。
そんな自問自答を繰り返すうちに掛川・菊川分離の交差点に着いてしまった。サーどうしよう?
掛川に向かえば歩行記録を更新できそうだが到着が8時過ぎ。一方6km少ない菊川なら新記録
にはならないが6時台には到着しそうだ。一応悩んでみたが心はすでに決まっている。
暗い夜道を歩くのは観歩の精神に反するし危険でもある。と尤もらしい理屈をつけて菊川に向か
う道に入って行った。
途中で夕日が沈むのを見た頃は、完全に終盤のお疲れモードに入ってしまいヨタヨタ歩く。
それでも菊川駅付近にはコンビニが無いと、途中で氷結の準備は怠りない。
菊川駅に18時25分到着。こうして13時間弱の観歩は終わった。

遠州七福神-2

2013-03-21 09:10:31 | 寺社遍路
遠州七福神(毘沙門天・恵比寿天)2              歩行月日2013/03/16

歩行時間:11時間50分 休憩時間:1時間00分 延時間:12時間50分
出発時間:5時35分  到着時間:18時25分
歩  数: 72、890歩  GPS距離:53.1km
行程表
 金谷駅 1:50> 相良子生れ温泉 1:40> 波津海岸 2:00> 御前崎港 1:00> 増船寺
 1:00> 官長寺 0:50> 桜が池 3:00> 菊川IC 0:30> 菊川駅

観歩記
金谷駅から牧之原市地頭方までは順調に来る事ができた。次は国道150線を横断した後
右折して台地の上に登り増船寺に向かえばよい。
朝一番の牧之原台地への登りはきつかったが、その後は下りか平坦な道が続き楽だった
ので、ここは快調に台地の上に登る事ができた。
台地の上に出て、さて次はどの道を行くのかと手持ちの地図を見てみると、アレー台地に
上がった先の地図が無い。地図は分かり難そうな場所だけピックアップして印刷をしてきて
いるが、台地の先は増船寺付近の地図になっている。
シマッタ!地図を印刷するとき漏れてしまったようだ。こうなれば増船寺を聞きながら行く
しかないが、小さなお寺だと案外知らない人が多いのでそれも心配だ。
辺りには人はいない。仕方ない道なりに進んで行こう。

大きな交差点に出た。国道150線は越したのだから国道ではないはずだが右も左もおまけに
直進の道も太い新しい道だった。気持ちは直進したいのだが、上り坂になっているので、もし
間違っていたら大変なだけだ。
右の道は御前崎の町から離れてしまいそうで嫌だし、となれば左の道になるが、左に行けば
きっと海になる。そうだ港に出れば位置関係もはっきりするし、歩いている人も多そうだ。
とそんな訳で、その大きな交差点を左折していく事にした。

またまた場所や交通量には不似合いな立派なトンネルにでたが、歩道は高く、しかも明るい
トンネルなので安心して通る事ができた。そしてトンネルを出ると何やら見た事のある景色が
広がっていた。そう御前崎港に通じる太い通りに出てしまった。

   
     御前崎港の大通り                  御前崎港

札所はこの港の通りではないので、台地の上にまた登り直さなければならない。信号のある
太い道を選んで台地に登り、台地の上では太いメイン通りと思われる道を進んで行った。
道を聞きたいのだが家は道の両側に続いているのに歩いている人がいない。何度か立止って
考えるのだが分からない物は分からない、とまた歩くしかなかった。
太目の三叉路に出ると道路標識は今来た道が静岡で直進が御前崎港となっているが、右の道
の行先は書いてない。また港に行くのも嫌だが右折する自信もない。
チマチマ考えながら方位磁石で確認すると、進行方向は東を指している。東??
今日のコースは金谷から南に向かって相良に下り、相良からは海岸沿いに西に向かい御前崎
に入る予定だった。それが東に向かっているとは??これ以上歩く気が無くなってしまった。

大体私の地図の調べ方が悪いのだ。増船寺に向かう道は調べても、増船寺がどの辺りにある
か調べていない。今回も増船寺が150線より海側なのか、山側なのかも分かっていない。
それでは一たび道を見失うと、盲同然になる事を知っていながら、ついつい全体を把握する手間
を省いてしまっている。アーア! 嘆いても遅いが誰か来ないかしら。

車を家の庭に入れている人がいた。慌てて駆け寄り増船寺の場所を聞くと
「ここから大分あるけど、この左の道を行って白羽小学校や白羽神社を越し、更に行くと信号
のある交差点に出るから、そこを右に曲がると増船寺の看板がある」
と分かりやすい説明をし
てくれた。更に「此処から歩くのでは大変だから送って行きましょうか」とも言ってくれた。
年恰好は40台代の女性で事務員らしい制服を着ている。きっとこの近所の会社に勤めていて、
昼食を家に食べに帰ってきたのだろう。
嬉しかったが「ありがとうございます。歩くのが目的で来ていますので」と丁重にお礼を言って
辞退した。
そう言えば10年前の今頃は四国を歩き出した頃で、四国では何度となく受けたお接待を、久し
振りに味合うことができた。ありがとうございました。

   
          白羽神社                   塩の道の道標

白羽神社に立ち寄ってみると、鳥居の手前に塩の道のモニュメント型の道標が立っていた。
まさかこんな所に塩の道の道標があるとはと、疑問に感じ案内板を読んでみたがよく分からない。
説明は江戸時代城下町だった相良と横須賀を結ぶ横須賀街道の説明だけで、塩関係の事は
何も書いてない。それなのに塩の道の道標? 役人のやる事はよく分からない。

先程の女性の説明の中にあった信号に出た。そして右側を見ると増船寺の看板が立っていた。
家に帰り何処で道を間違ったのか調べてみると、何の事はない最初迷った大きな交差点を直進
すれば一本道で、この増船寺の看板がある所に来る事ができたのだ。
一本道ではっきりしているから地図を印刷するのを止めたのに、勝手な理由を付けて曲がって
しまった自分が何とも情けない。自己嫌悪に陥ってしまいそうだ。

   
         増船寺                          六地蔵

毘沙門天を祀る増船寺は生憎工事中で、遠州七福神と書かれた大きな看板も横になったままで
毘沙門像も何処にあるか分からない状態だった。、仕方ない御朱印を貰いながら聞いてみよう。
毘沙門天は本堂横の建物に祀ってあって、自由に上がってお詣りするようになっていた。
建物に入ってみると、小さな毘沙門像がチャチナ祭壇に飾ってある。
これがそう? 少々力が落ちてしまった。名前が「遠州」と大きく出ているので、きっと由緒ある
仏像が祀ってあると思っていたのだが、これではガッカリだ。
仏像よりも脇にあった納経帳や七福神の色紙の方が気になってしまった。
七福神の納経帳は2種類あって、どちらも寺名などの文字は書かれていて、あとは御朱印を
押すだけになっている。今私の払ってきた納経料は全部手書きのため300円だったが、この
納経帳なら100円だろう。となると7カ所で1400円安くなる。ならここの納経帳を買った方のが
安い事になる。ウーンこれも失敗だった。
色紙に七福神が描かれていて寺の印を押すような物もあった。少し気が動いたがザックに入
れると折れたり曲がったりしそうなので諦めた。

   
         毘沙門天                        幽霊の絵

もう一つ気になった物がある。それは額に入った幽霊の絵で、何処かで見た事のある絵だった。
私が知っている幽霊の絵となると丸山応挙の幽霊しかないが、まさかその絵がこんな所(失礼)
に置いてあるわけがない。きっと複写なのだろう。
家に帰りネットで調べると、有るわ有るわ、増船寺の幽霊画は落款は無いが丸山応挙作と
鑑定されていると書いてある物が。そして展示されている絵は模写とも書いてある。

御朱印を受ける時、次の官長寺への道を尋ねると「寺の横の道を行くと近道だが分かり難い
ので、信号まで戻り県道を歩いた方のが良い」
と言われた。
きっと最初に私が「ここに来るのに道に迷った」と言ったので、こんな分かりやすい道を迷う
私の方向感覚に疑念を抱いた結果の発言なのだろう。
でも大丈夫!増船寺から官長寺までの道は手持ちの地図に印刷してきてある。近道をして少し
でも遅れを取り戻そう。

遠州七福神-1

2013-03-19 18:43:55 | 寺社遍路
遠州七福神(毘沙門天・恵比寿天)              歩行月日2013/03/16

歩行時間:11時間50分 休憩時間:1時間00分 延時間:12時間50分
出発時間:5時35分  到着時間:18時25分
歩  数: 72、890歩  GPS距離:53.1km
行程表
 金谷駅 1:50> 相良子生れ温泉 1:40> 波津海岸 2:00> 御前崎港 1:00> 増船寺
 1:00> 官長寺 0:50> 桜が池 3:00> 菊川IC 0:30> 菊川駅

遠州七福神があると聞いていたので昨日その1回目を歩いて行きました。
今まで藤枝と焼津の七福神は一回で打ち終ったが、今回の遠州七福神は御前崎から始まり
掛川、森町、袋井、磐田に広がっているので、ザート考えても3回は掛かりそうだ。
その1回目の今日は、金谷駅を出発して御前崎の二つの札所を打って、掛川駅までの50km
弱の行程と予想していた。
それが何とゴールが掛川より手前の菊川駅になってしまったのに、歩行距離は53kmと私に
とって過去最高の距離になってしまった。
その原因は私の判断ミスで、台地の上にある最初の札所の増船寺に行くのに、台地を下って
御前崎港に行ってしまった。そこから再度台地に登って札所に行ったのだが、ここで1時間、
数kmのロスをしてしまったのだ。
その結果ゴールを掛川駅より6km程手前の菊川駅に変えざるを得なかった。

過去私が歩いた中で大変だったと記憶するコースの一覧です。
・遠州七福神    歩数:72,890歩 GPS距離:53.1km 歩幅:72.8cm 歩行時間:11時間50分
・日本橋~藤沢  歩数:70,900歩 GPS距離:52.6km 歩幅:74.2cm 歩行時間:11時間55分
・浜名湖一周    歩数:62,450歩 GPS距離:52.9km 歩幅:84.7cm 歩行時間:10時間10分
・富士山一日目  歩数:45,120歩 GPS距離:30.6km 歩幅:67.8cm 歩行時間:13時間00分
・静焼アルプス   歩数:42,337歩 GPS距離:23.9km 歩幅:56.5cm 歩行時間:10時間20分

七福神と東海道は大体同じような物だが、浜名湖は距離は同じだが歩数は約1万歩、時間が
1時間30分も少なくなっている。これは浜名湖の歩行スピードが極端に早く、しかも歩幅が広か
ったことを示しいる。おかげで浜名湖は歩き終わった晩の夕食を食べる事ができなかった。
それに比べ富士山は距離は短いが歩行時間は一番長くなっていて、歩幅も上の3コースより
狭くなっている。登りの連続で苦労しているのが分かるデータだ。
最後は先日歩いた静焼アルプスだが、私が大変だと言っている割には距離も歩数も少なくて
大した事はないように思える。だが歩幅を見てください。5コースの中で一番狭くなっている。
これはこのコースはアップダウンが激しく、歩幅を広く取れなかった事を示している。
こうしてみると静焼アルプスも大変だったことが分かると思う。

観歩記
ようやく辺りが白みかかってきたころ金谷駅を出発した。本来御前崎には金谷でなく菊川駅から
のが距離が短いのだが、菊川・御前崎間は遠州33観音で歩いていた。ならば今回は江戸時代に
巡検使が相良に行くとき利用したと言われている牧の原を歩いてみる事にした。

巡見使とは、江戸幕府が旗本や大名を監察するため派遣した役人のことのようだが、なぜ江戸
から来た巡検使が藤枝から相良まで通じていた田沼街道を利用しないで、わざわざ距離のある
牧の原を歩いたのか疑問は残る。が、それは今回はおいて置いて、何か巡検使の痕跡でもあれ
ば見てみたいと思っている。

金谷駅から牧の原台地へは、金谷坂の石畳か、牧の原公園からの道を利用していたが今日は
その中間の最短距離になりそうな道を選んだ。
朝も早く体が目覚めてないうちの急登はこたえる。フーフー言いながら台地の上に来てみると
オー富士山が見える! だがこの道は茶畑の中の道で防霜ファンが林立しているので富士山が
見難い場所だ。しまったなー富士山が見えるなら牧の原公園経由で来るべきだったと思ったが、
すでに遅い。
ただこの道は昔からある道なのか茶畑の中を横断して「国立野菜茶業研究所」まで通じていた。

牧の原台地へ登り切った道は見るべきものは何も現れずただ歩くのみ。ただ道は下り坂になり
快調そのものだ。東名高速を越すと更に傾斜は増して歩く速度は早くなる。この調子で行けば
御前崎最初の増船寺に着くのが早まりそうだ。

 
   さがら子生まれ温泉                    太興寺入口

「さがら子生まれ温泉」の前で最初の休憩を取る。
子生まれとは、この付近の川の崖から丸い石が産出する事から名付けられ「遠州七不思議」
一つにもなっている。子生まれ石が出る理由は、石灰岩の周りを砂などが付着し、長い年月を
かけて固まった物らしい。
また、崖から石が生まれる現象は、子生まれ石の表面が周りの崖よりも硬いため、川の流れで
崖が削られても、硬い子生まれ石は削られる事無く表面に顔を出してくるようだ。
だが今日はそこまで足は延ばさない。何しろ50km近くを歩かなければならないので、なるべく
寄り道は避けるつもりだ。

子生まれ温泉から少し下がった所に太興寺の常夜燈がある。この太興寺と子生まれ石には
因縁があって
「大興寺の住職が死ぬ頃になるとこの石が目に見えて崖から落ちる速度が速くなり、川底に
落ちると同時に、必ず住職が死ぬので、その石を拾って、住職さんのお墓を立ててきた。
数百年の昔から大興寺の住職のお墓は、この石を墓石としてきた。
お寺の西の山には、もう二十八もの石塔が並んでいて、村人達は崖にこの丸い石が顔を出し
かけると「今の和尚はもうじき死ぬぞ」と噂をした」


        
       阿弥陀如来の石仏?              女神バス停

今日初めて石仏が目に入った。胸の前で合掌した座像で、頭が長く尖っている所を見ると
馬頭観音なのだろうか。だが光背に「おんあみり・・・」と彫られている。
手持ちの資料を見ると「おん あみりた ていせいから うん」は阿弥陀如来の御真言と
なっているので、この石仏は阿弥陀さんなのだろう。

TDKの工場の前のバス停の名前が女神(めかみ)になっている。そう言えば相良には女神と
男神(おかみ)なる地名があり、それぞれ尖った山があると言う。確かに左と右に尖った山が
見えている。大昔にはあの山にそれぞれ雄雌の大蛇が棲んでいて夜毎通いあったとか。
(シマッタなー 写真を撮るのを忘れてしまった)

更に道を下って行くと「相良油田」入口の看板がある。太平洋側唯一の油田跡だ。
最盛期には手掘りの井戸が150鉱ほどあったが、現在は1鉱だけが見本用で残っているとか。
今日は先があるので何処にも寄る事ができないが、一度ゆっくり歩くのも良さそうだ。

 
         塩の道起点                 波津(はづ)海岸

去年歩いた塩の道の起点に出た。今見てもみすぼらしい起点だと思う。
さて、御前崎に行く道は海岸寄りの国道150線より1本内側の旧道を歩く予定にしているが、
海岸にも行ってみたい。牧の原で富士山が見えていたから海岸からでも見えるのではないか。
少し迷ったが行ってみる事にした。
ウン!思惑通り海岸越しに富士山が見ていた。塩の道のときには船が座礁していたが、今は
その船も無い。棕櫚の木がヤシの木のように見え南国の海岸のようにも見える。
塩の道のときは敬遠した「塩屋敷」なる施設に寄る事にした。だがわざわざ行った建物は小さく
名称も「さがら体験工房 茶々塩屋敷」だった。塩田に関する資料を展示してあるのかと思って
いたが違ったようだ。しかもその施設は閉じられていて最近利用されている雰囲気は無い。
近くの畑で作業をしていた人に聞くと「来る人がいないので最近は開いていない」との事だった。

      
        鐘馗のお札                 自転車道

旧道を歩いていると民家の軒先に気になるお札が張ってある。勿論天台宗の悪魔のタイツ姿でも
塩の道の大神(狼)のお札でもない。普通のお札より大きくA4版くらいある「鐘馗様」の版画の
ようだ。寺の名前などの文字は無いのでお札かどうかも分からないが、玄関の上に飾ってあるの
だから厄災除けのお札だと思うのだが。
やっと鐘馗様を飾ってある家の前に人がいたのでお札の事を聞いてみた。
「これは相良のハズサワ神社のお札で厄除けにしている」そうだ。ハズサワ神社とは波津海岸の
波津なのか確認すると「違うと思うが漢字は分からない」と言う。
家に帰り調べると「飯津佐和乃神社(はづさわの)」で祭神は「素盞嗚尊」だった。だが神社や
素盞嗚尊と鐘馗の関係を調べたが分からなかった。
でも鬼を退治した鐘馗を玄関先に飾って、厄除けにしている事は間違いないだろう。

旧道と台地の間に道があり駅名の表示板が見える。あれはきっと藤枝から袋井まで走っていた
軽便鉄道の廃線跡だろうと見当をつけて行ってみた。ピンポン!当たりでした。表示板には
「落居駅」となっていた。
この軽便鉄道は駿河の藤枝から州の袋井を結ぶことから「駿遠(すんえん)線」と呼ばれた
全長64.6kmの日本一長い軽便鉄道だったという。
この廃線跡は64.6kmの距離に惹かれて、一度は歩いてみたいと思っている道なので偵察を兼ね
て歩いてみた。今は「太平洋岸自転車道」として利用されている廃線跡は、車は規制されていて
直線が続く歩き易い道だった。確かに歩き易いが面白味が無い道でもある。道の周りは民家も
無ければ石仏などの遺物も無い。ただただ歩くだけのスポーツウオーキングの「より速くより長く」
を目標にしている人には最適だろうが「観歩」を標榜している私には合わないようだ。
と言うわけで次の駅地頭方で旧道へと離脱した。

 
       駿遠線案内図                鈴木梅太郎の案内

地頭方小学校の校庭の横に鈴木梅太郎博士の案内板が立っていた。
それによるとビタミンB1を発見した鈴木梅太郎は、ここ地頭方出身でビタミンと共に合成酒の
製造法の発見にも寄与したとある。合成酒って聞いた事はあるが飲んだことは??
ウィキペディアによると「清酒に比べて酒税の税率が低いので価格が安いことから、現在も
清酒の代用として普及しており、また料理酒としてもよく使われている」
とあるからきっと飲んだ
ことはあるのだろうが記憶にない。

旧道は国道150線を通過していよいよ御前崎に入る。サー最初の札所増船寺はもう間近だ。

静焼アルプス 完歩!

2013-03-11 12:24:11 | 低山歩き
静焼アルプス 完歩!                        歩行月日2013/03/09

歩行時間:10時間20分 休憩時間:1時間35分 延時間:11時間55分
出発時間:6時00分 到着時間:17時55分
歩  数: 42、337歩  GPS距離:23.9km
行程表
 安倍川駅 0:30> 沢渡山 1:00> 仏平 0:10> 梵天山 1:00> 駿河峰0:30>  大鈩山 0:45>
 飯間山 1:20> ?山 0:15> 宇津ノ谷峠 0:20>  蔦の細道峠 1:20> 満観峰 0:45> 
 日本坂峠
 0:25> 花沢山 1:30>  簡保下 0:30> 焼津駅

観歩記
宇津ノ谷峠への下りも急坂だったが、峠からの上りも登りにくい。峠からほんの2・3mがズルズル滑って
しまい立っては登れない。小さな岩や木の根などに手をかけて滑り台を逆から登って行く状態で登る。
高さは低いので滑ってもズルズルと下がる程度でなので怖さは全然ない。若ければ下から勢いをつけて
一気に登る事も出来たろうが、年を取るとこんな何でも無いような所でも苦労をするようになってしまう。

宇津ノ谷峠から蔦の細道の峠の間の道は、今ではチャンとした道になってしまった。数年前は踏み跡も薄く
今の徳願寺の尾根の状態だったが、手製の標識が付いてから歩く人が増えたのだろう。

蔦の細道から満観峰までは三つのピークを越えていくのだが、最初の二つのピークの上り下りも中々疲れる
午前中歩いた尾根のアップダウンより緩やかだが、疲れが溜まってきた午後は息切れさえしてくる。
東西に走っている徳願寺の尾根では風の影響は何もなかったが、この尾根は南北に走っているので西風を
もろに受けるようだ。風の音、木の揺れる音、木と木の擦れる音、そして時折落下音までしてくる。
最初は獣かとビックリしたが風で折れた枝が落ちてきていた。その枝が帽子やザックに当たる事もある。

最初のピークを下る所にタラの木があるが、まだ枝の先端には芽が出ていない。4月に予定している
8字縦走」のころには収穫できると良いのだが。

 

満観峰には3組のハイカーがいて今日初めての挨拶をした。案外少なく感じたが今の時間は2時半なので
少し遅いのだろう。眺めは相変わらず霞んでいるが、それでも静岡市街は見えている。
南には今日最後の花沢山がドント控えている。フーまだあの山を越えなければならないのか、疲れたなー。

    
          静岡市街が見えてきた                 水分大神

満観峰と花沢山の間にも幾つかのピークがあるが、一番大変な三角点のあるピークには満観峰からだと
下る状態で行く事ができるので今日は楽に感じられる。尤もその代りに花沢山の登りが待ってはいるが。
三角点のピークの次のピークに「水分大神 (みくまりのおおかみ)」と刻まれた石碑がある。そこに先月
歩いたときには無かった案内が挟んであった。見ると吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)の説明が
印刷されていた。ようは水分とは分水嶺等の事で、水がどちらにも上手く分かれる事を願って建てるようだ。
ここの水分大神も東の小坂(静岡市)と西の花沢(焼津市)共に水に困らないように祀ったのだろう。
以前見た小坂の案内に「山で雨乞いをした」とあったので、てっきりこの石碑は小坂で祀ったと
思っていたが、実際は嘉永六年に花沢村で建てたものようだ。

 
          穴地蔵                    木が無くなった日本坂峠

日本坂峠に15時15分に到着。一昨年の台風以来すっかり明るくなった峠は眺めも良くなっている。
峠の穴地蔵も余りに明るくなり戸惑っている事だろう。これでは日本武尊も隠れ気にはならないだろうな。

フーやっと最後の花沢山に15時40分に到着。ここまで来れば先は見えてきた。まだアップダウンは続くが、
この尾根は標高449mの花沢山から海抜5mの簡保下の下るのだから楽なものだ。
実はこの静焼アルプスも徳願寺(静岡)側からではなく、簡保(焼津)側から登ってもよいのだが挑戦する
勇気が出ない。理由は先ず石部峠から花沢山への長い階段の登り。次に満観峰手前の三角点の登り、
そして梵天山の登りと、私にとっては三大難所とも言えるような登りが発生する。
一度は挑戦したい気もあるが果たして実行できるかどうかーーーーーーーー

もうこれから先でハイカーに会うことは無いだろうから、今日は満観峰で会った3組だけだった。
ハイカーが少ないのか、イヤイヤそうではなく満観峰・日本坂峠の大崩山塊の銀座コースを歩く時間が
遅いからなのだろう。

       
     花沢山直下の長い階段               石部への標識

いよいよ長い階段が始まった。登るのも大変だが擬木を使った階段を下るのも中々大変だ。一段一段が
高く足に衝撃が来る。そうなると階段横の斜めの部分を歩くようになり登山道が広がってしまう。
山の階段で歩きやすいのは島田の奥の矢倉山の階段だが、あそこの階段は手作りで一段一段低い作ってある
ここの階段も2連の擬木でなく1段の擬木なら歩きやすいだろうが。イヤイヤそんな事を思ってはいけない
この階段が無ければ、きっともっと大変なのだろうから。

国道150線の石部に行く標識がある。焼津市の建てた標識なのだが標識の先を見ても踏み跡は分からない。
前回石部峠から150線に下ったのは、ここより30mほど先の手製の標識からだった。
あそこからなら左は石部、右は花沢の水車小屋に行く事ができ、しかも鞍部なので石部峠の名にふさわしい。
この標識を移動したらどうだろうか。

前回石部峠を下ったとき鉄道遺産があると聞いたのでネットで調べてみると、これが中々の物らしかった。
一見の価値はありそうなので出来たら二輪草の咲く頃行ってみようかと思っている。
しかし歩きたい所ばかりで果たしてどうなる事やら。

 
          松風閣                 瀬戸川の夕暮

砂張屋道標も過ぎた辺りから陽の力が弱くなってきた。でもここまで来ればもう大丈夫だ。案内標識も
ハイキングコースではなく遊歩道になっている。
あと少しと思う気持ちが強いと中々ゴールにたどり着けない。
でも松風閣が見てきた。次は簡保の宿が見えればゴール直前だ。
17時20分簡保下に到着。更に焼津駅に17時55分に到着した。
去年は18時に駅到着だったので5分早いが、仏平で17分、?山では10分早かった。それがゴールでは
5分に縮まってしまったが、この程度の差はどうと言うことは無いだろう。

これで「海から富士山」の第一審査には合格した。次回は4月予定している「大崩山塊8字縦走」
完歩したら富士山に挑戦しよう。

静焼アルプス

2013-03-10 16:12:37 | 低山歩き
静焼アルプス                        歩行月日2013/03/09

歩行時間:10時間20分 休憩時間:1時間35分 延時間:11時間55分
出発時間:6時00分 到着時間:17時55分
歩  数: 42、337歩  GPS距離:23.9km
行程表
 安倍川駅 0:30> 沢渡山 1:00> 仏平 0:10> 梵天山 1:00> 駿河峰0:30>  大鈩山 0:45>
 飯間山 1:20> ?山 0:15> 宇津ノ谷峠 0:20>  蔦の細道峠 1:20> 満観峰 0:45> 
 日本坂峠
 0:25> 花沢山 1:30>  簡保下 0:30> 焼津駅
           
                    沢渡交差点からの日の出
観歩記
昨年と同様に始発電車に乗り、安倍川駅を6時に出発した。
去年は国道1号線佐渡交差点で日の出を見たが、今年は太陽はすでに上昇をしている。昨年より8日遅い
ので日の出は早く、日の入りは遅くなるのは当たり前だが、歩く身にとってはありがたい。
かと言って、このコースは夏には歩く気にならない。長時間の歩行で疲労度も倍加し、さらに悪い事には
それでなくても道が薄い所に雑草が生えてきて更に見えにくくしてしまう。林の中はまだ良いが日の当たる
場所は背丈が延びたススキで往生したことがある。それ以来夏はここを歩かないようにしている。
また静焼アルプスは歩行時間が12時間に及ぶため、陽の短い冬は適さない。そうなるとどうしてもこの時季
3月が一番歩きやすいと思う。

 
          霞んで見える静岡市街              反対側の丸子方面

佐渡交差点横にある西宮神社の階段を登って佐渡山に向かう。去年は探し切れなかった三角点も山頂西の
茶畑の上にあった。山頂からの下る道も去年はモノラック沿いに降り苦労したが、今年は東側で下る道を
見付ける事ができた。何だかさい先が良いような気もするが景色は最悪、富士山は勿論、静岡市街も霞んで
しか見えない。黄砂なのか春霞なのか、それともPM2.5なのか。今日は景色は諦めるしかないだろう。

 
          梅の花の先に梵天山が見える            桜も咲いていた

徳願寺の付近では梅や早咲きの桜が咲き出し春本番ももうすぐだろう。
既に何度も来ている徳願寺は参拝をせずにそのまま通過する。仏平らに登る周遊道も短く感じられる
左回りを選択し、仏平に7時30分に到着。去年は7時47分だったので17分も早かった。
実は今回の静焼アルプス縦断は期待と不安が入り混じっている。
期待の方は2月21日に歩いた藤枝奥の低山歩きで、昨年は歩く気も起きなかった清水寺の峠を越えてきた
ので、脚力が上がったのではと淡い期待が湧いてきている。
不安の方は勿論加齢による脚力の低下。昨年の10月掛川歩こう会の40km3Dの最終日、ゴール10km
程のあたりからフラフラになり、ようやくゴールした苦い出来事があった。
果たして今回の静焼アルプスはどうなるだろうか、自分でも想像できない(本音は若干不安)

それともう一つ、この静焼アルプス縦断は、夏の「海から富士山」の資格審査コースの一つと思っていて
「大崩山塊8字縦走」と両方のコースが完歩出来たら夏の富士山に挑戦しようと思っている。
「海から富士山」の最終目標は古稀の来年に歩く事なので、何としてでも今日は完歩したいと思っている。

梵天山の下りは相変わらず厳しく感じるが、最近急な下り道を歩いているせいか左程苦には感じなかった。
歓昌院坂まで下り切ると今度は急な登り返しになる。何しろこの徳願寺の尾根の上り下りは大崩山塊の
どのコースより厳しく、しかも景色も良くないのでハイカーの人気は今一湧かない。おかげで貸切状態の
静かな山を楽しむことが出来るのだが。

 
           枝打ちされた杉林             新東名静岡SA

綺麗に枝打ちのされた林は明るく歩いていても気持ちが良い。その木の間から開通した新東名の静岡SAが
見えていた。
昨年は少し迷っただけの竹林の道で今日は完全に道を見失ってしまった。メモには「左側に道がある」
書いてあり記憶もそうだったが、竹林の中は猪がミミズ取りの為か彼方此方掘り返してしまってあった。
ともかく左に曲がった先で、既に通り過ぎてきた「飯間山→」の標識を見付ける事ができた。
この時更に左に道を探せば何の事もなかったのだが、その標識の位置を深読みしてしまい右側を探し出して
しまった。これが大間違いで、何となく踏み跡らしき物もあり、それを下ってしまった。
踏み跡の周りにはシイタケの棚や榾木を作っている場所もあるが何となくおかしい、目印が全然目につかない。
どうやらこの踏み跡はシイタケの作業場に続く道らしいと判断して、先ほどの標識の場所まで戻る事にした。
そして標識の先の左側に行くと、何の事はない竹林の中にはっきりした道もあり目印も付いていた。

標識を深読みをした理由は、標識が西に向いていたので、飯間山に向かう人は西(右)から来ると思って
しまったことにある。試しに左の竹林から戻ってみると標識は後ろ側になっていて見にくかった。
今日も目印の赤いビニールテープを持ってきていたが、途中で使い終わってしまっている。来年は忘れずに
テープを持ってきて目印を増やそう。

?山の三角点に着いたのが12時丁度だった。去年は12時10分だったので17分の貯金は10分に減ってしまった。
きっと竹林でで道を見失ったのが原因だろう。それにしても去年並みに歩けているので一安心だ。
今正午だと今日の12時間の行程の半分が過ぎた事になる。去年は宇津ノ谷峠が半分と思っていたので、ここで
焦りを感じたが今年は昨年のデータを持っているので焦る気持ちは湧かない。ただ過去のデータが分かると
その数値より良くしたい気持ちが湧き、休憩時間を減らすようになってしまうのが良くない。

            
           ロープ場            はるか下に宇津ノ谷峠が見えた

宇津ノ谷峠に12時35分到着。
ここまでの行程だけでも6時間余も掛かり、上り下りの激しい健脚コースだった。残されたこの先も蔦の細道
満観峰、花沢山、簡保下そして焼津駅まで続く健脚コースが待っている。
ではこの静焼アルプスを紹介するときは健脚コースだけでは誤解を招きそうだ。しかし健脚2乗コースでは
余りにも収まりが悪い。
ここは以前私が発案した「豪脚コース」はどうだろうか、剛脚とも書けるが豪脚の方が如何にも凄そうだ。
決めた!これから健脚コースの表現では物足りないものは「豪脚コース」と呼ぶことにしよう。

そんな訳で「豪脚コース 静焼アルプス縦走」の前半を終わります。

静岡空港ウォーキング3

2013-03-08 17:30:01 | ウォーキング
  静岡空港ウォーキング3                        歩行月日2013/02/25

歩行時間:5時間30分 休憩時間:0時間50分 延時間:6時間20分
出発時間:10時00分 到着時間:16時20分
歩  数: 37、915歩  GPS距離:31.0km
行程表
 蓬莱橋 0:30> 中条銅像 1:00> 香勝寺 0:40> 静岡空港 0:30> 坂口神社0:40>  東展望台 0:50>
 医王寺 0:50> 矢口橋駅 0:30> 蓬莱橋

 
           千頭ヶ谷池                  ハイキングコース入口
観歩記
ビオトープのある千頭ヶ谷池では釣台が設けてあって、時々釣り人の姿を見る事がある。何が釣れるのだろう
いずれにしてもあまり綺麗とは言えない池なので、釣った魚を食べることは出来そうもない。
折角時間をかけて釣ったのに、そのまま逃がすなんてケチな私には考えられない事だ。

農道右にある土砂止めの壁が終わった所に、再度山道になるハイキングコースの入口がある。そこの標識は
山道を指して「空港展望広場近道コース10分」とあり、農道は「一般コース15分」となっている。
当然近道の山道に入るのだが林の中の道は、さっきのまんさくコースの道と同じように最近作った道ではなく
昔から使われていた風情がある道だった。ただ今は余り歩く人がいないのか枯れ木や枯れ枝が道に落ちている。
山道がまた農道に合流すると、そこにも案内板があり、こちらは「近道5分」となっている。
上り10分、下り5分とは倍の違いだが、私が歩いた時間は「上り7分、下り5分」でした。

 
           展望広場                    誘導路入口

空港東端の展望広場は車で来ることが出来る割には見学者が少ない。理由はこの展望広場を案内している
標識が少ないからだと思う。私の見た標識は坂口地区の県道に一ヶ所見た事があるだけだ。
実際私もここを見付けたのは偶然で、離陸する飛行機を下から見たいと思い、吉田町側から茶畑の道を
滑走路を目指して歩いた結果だ。もっとも見学者が少なければ清々しているが。
広場の反対側にある滑走路の入口には、誘導路があり、そこはゲートがあり厳重に施錠されている。
更にその誘導路の農道を挟んだ先にも誘導路が見えている。この誘導路が大井川の河川敷を歩いているとき
見える誘導路だろう。

 
           窓の開いた石造物                窓は上を向いている

この展望広場に四角の窓が開いた石造物があり、窓は角度をもって上を向いている。その周りには何の説明も
無いが、見ていれば分かります。そうです、この窓を覗いていると着陸する飛行機が正面に見てくるのです。
ただ着陸する本数が少ないので、この狭い窓から覗いているのが勿体なくて何時も途中で止めてしまうが。

 

この展望台から飛行機を見るとこんな感じに見えます。ただ私の想像していたのは映画などで滑走路から
写したと思える大迫力の物で、これとは大分違いだ。ここでは飛行機は小さく、距離も離れていて凄味が無い
そうか、だから見学者が少ないのか。ここを知らないのではなく、面白くないから来ないのかもしれないな。

 
            広場先からの飛行場              着陸態勢のFDA機

展望広場少し進み、農道が急カーブしている辺りにもカメラを構えた人がいる。ここからは着陸する飛行機の
側面も見えるので航空会社名が分かる。おりからFDA(Fuji Dream Airlines)機が着陸態勢に入った。

 

空の道ハイキングコースの案内板に「武田徳川古戦場道」と書いてある。そうかこの丘の下には小山城が
あるので、その争奪戦がこの丘の上でも行われたのだろう。
小山城は最初今川が砦として築城したものを、今川の勢力が落ちると武田軍が攻略して手中に収めた。
翌年再び武田軍が奪取して本格的に修復し名前を小山城とした。それから10年後、遠江の武田軍の拠点で
あった高天神城が落城すると、武田軍は小山城に火をつけ、甲斐へ逃げて行った。
取ったり取られたりの城取り合戦がここで行われたのだと思うと、ただの空地も愛しく感じてくる。
今小山城は再建され、昔は無かったはずの天守閣が建っています。入場料200円

農道を道なりに下り誘導路の終端に出れば、飛行場関連の施設は終わりになる。実はここからが先が私の
探し当てた道で、ここから太目の農道や県道を歩いても矢口橋に行くことは出来るが、それでは面白くない。
車が少なくかつ近道になる道を求めて何度歩も歩き、ようやくこのベストコースを探し当てた。
ただ難点は曲がり角が多く少々分かりずらい面がある事だが。

    
         正面に高草山と富士山             川中島八兵衛供養塔

水等の3個のタンクが過ぎ吉田町の焼却施設が近くに見えてくると、左の茶畑の間に舗装された道がある。
(左に道は何本もあったが舗装路は初めて)その舗装路に入ると正面には高草山と富士山が見えている。
(これからの道は普通車でも通れる道で、茶畑の畝の細道は無い)少し行くと道は先が砂利道になったY字の
分岐に出る。その分岐を左に進み道なりに下り、8分も行くと左に民家が見えてくる。
農道が車道に合流する所の左に小さな秋葉山の常夜燈や石碑がある。そこを左折して石碑の前を行く。

オヤ、やけにはっきり見える石碑には「川中島八兵衛」の文字がある。そう言えば最近川中島八兵衛の石碑を
あちこちで見た覚えがある。今年に入っても菩提山の帰りに藤枝の宮原で見たし、栃山川の堤防の上や藤枝の
街中の高柳でも見た覚えがある。誰だろう「川中島八兵衛」って?

川中島八兵衛は紀州の生まれで、元禄のころ志太(島田・藤枝・焼津)地方に訪れたが、当時、志太地方は
大井川の氾濫で疫病が蔓延することが多く人々は困っていた。
その時八兵衛の行動には色々の説があるようで
1・「自分の死後に祀ってくれれば、川の氾濫を防ぎ疫病がおきないようにする」と言って集落を回った。
2・疫病発生の折、八兵衛の薬により助けられた人々の感謝の念が供養塔建立につながった。
3・大井川の堤防構築のとき八兵衛が人柱になった。  などがある。

いずれにしても八兵衛の効力は偉大だったようで、志太地方には六十基を越える供養塔があると言う。
ウーンこれはいい。八兵衛さんの供養塔を探して志太地方を歩くのも面白そうだ。
ヨシ!暇になったら検討することにしよう。

八兵衛さんの供養塔を過ぎ、すぐの右に登る道に入ると、小さな石仏が祀ってあり、この辺りの人の
信仰心の篤さを感じさせた。

坂を登りきり茶畑の間の舗装道を北に進むと太い車道に合流する。左の角に協和消防の建物がある。
車道を右折して下って行くと右側に「竹林寺廃寺跡」の案内板が立っているので、その反対から延びている
道に入る。道が左にカーブして下った所の分岐を鋭角に右に曲がると工場らしき建物があり、その前を行く。
建物を過ぎ右前に緑色の金網が見える辺りに、左上に伸びる道があるので左折して登って行く。
すぐ上に出るので右折して北に伸びる舗装路を進む。
正面に鰻屋の看板が見え道は太い車道に合流する。右折して鰻屋の駐車場を過ぎた四つ角を左折する。
右側の森は医王寺の森で寺の裏側にあたる。更に進むと高い石垣のある道と合流するので右折する。
その車道を道なりに進み途中にある信号も直進する。
左に初倉郵便局、右に初倉電話交換局を過ぎると「色尾南」交差点にでる。この交差点を右折と言うか
正面と言うか、ともかく畳屋のある東の方に進む。50m程で細い水路があり左の角にヤクルトの
営業所があるので、そこを左折して水路沿いの細めの道に入る。
この水路沿いの道を大井川の堤防まで歩いて行く。この道が結構長く25分位かかります。

 
            大井川堤防近くの水門             矢口橋の階段

大井川の堤防が近くになって水路の水門がある所を道なりに左に曲がって行けば矢口橋の右岸に出る。
フウー!やっと矢口橋に着いた。蓬莱橋に車を置いてある人は、矢口橋左岸右側に河川敷に降りる
階段があります。また電車利用の人は信号を直進して踏切の手前を右折して行けば六合駅に出ます。

少々分かり難く、歩く気のない人には詰まらない話になってしまいました。ごめんなさい。
でもこのコースは鉄道利用の人にはベストコースと自画自賛してます。是非一度歩いてみてください。
あと飛行場とか展望広場に車を置いて、飛行場一周するコースもそのうち紹介します。

静岡空港ウォーキング2

2013-03-05 09:47:24 | ウォーキング
  静岡空港ウォーキング                        歩行月日2013/02/25

歩行時間:5時間30分 休憩時間:0時間50分 延時間:6時間20分
出発時間:10時00分 到着時間:16時20分
歩  数: 37、915歩  GPS距離:31.0km
行程表
 蓬莱橋 0:30> 中条銅像 1:00> 香勝寺 0:40> 静岡空港 0:30> 坂口神社0:40>  東展望台 0:50>
 医王寺 0:50> 矢口橋駅 0:30> 蓬莱橋

                  
                           新しい展望デッキ
観歩記
静岡空港の展望デッキは先月の2月16日に完成したばかりで私も見るのが今回初めてです。
そのデッキに入った感想を正直に言うと「へ~」って吃驚して感心してしまった事だ。
何故ビックリしたかと言うと、前の展望デッキは後ろの森があり展望度は200度くらいだったのに、新しい
展望デッキは視角が300度くらいに広がっていた。
場所は前のデッキより東に20mほど移動しただけだが、後ろにあった森が外れた事により、今まで見えなかった
東南の御前崎の方まで見えるようになっていた。

 
           展望デッキ内                  管制塔

大赤字の空港が、また金を使って展望デッキを作ったりして、と批判的に見ていたが中々どうして素晴らしい
眺めだった。この新しい展望デッキを見に来た人が、静岡空港を利用してくれれば良いのだが。
ただ一つ苦情を言いたい。それは展望デッキに案内板が無い事で、せかっく見えている山々だが、富士山しか
分からない人が大勢ると思う。是非展望案内板を設置して欲しい。

 
            石雲院山門                  石雲院総門

展望デッキには昼飯を食う所が無かったので、飛行機の離着陸も見ずに石雲院に向かい、その山門の
日溜りで弁当を広げた。
今まで昼飯は必ず握り飯だったが、今年に入り家から持参する昼飯は弁当箱になった。弁当箱だと汁が出たり、
ご飯が偏ったりするので嫌っていたのだが、あるとき好きなおかずがあったので弁当箱に詰めてもらったところ、
ザックの底に平らに入れれば何の支障も無いことが分かった。
支度をしてくれる妻は、御握りより弁当を積める方が楽だと言うし、食べる私もおかずも無い握飯だけのときより
数倍美味しく感じ、何で今まで弁当を嫌っていたのか不思議なくらいだ。そんなわけで最近は弁当箱になっている。

      
           撮影スポットの案内板                坂口神社階段

今日は今までとコースを変えて坂口神社から「静岡空港 空の道ハイキングコース・撮影スポット」と案内された
所に行ってみる事にしている。その撮影スポットの先はどうなっているか分からないが、何とかなるだろう。
駄目なら戻ればいいと気楽に考えて神社の鳥居を潜り階段を登って行った。
神社の裏側の分岐は静岡県の設置した車止めや「一般車両通行禁止」の標識のある方を進む。
車が通れる急な道の周りは、木が伐採され地表が見えている。それが古墳?いや城の土塁のように見えた。
最近遺跡や城跡を歩いたのでそんな気がするのだろうか。当然標識は無かった。
車道がゲートにぶつかると、その脇から上に登る階段があった。何段あるのかな?
先程の坂口神社の階段では数を数えたが途中で分からなくなってしまったが、ここの階段は132段ありました。
階段の上の方に行くと飛行場の滑走路とと、反対側には坂口工業団地の工場も見えてきた。
階段の数?それは階段の所々に数が書いてありました。

 
            ゲートの階段                   階段から坂口工業団地

成程ここが撮影スポットか。滑走路の終わりの位置で、しかも滑走路に近く確かに撮影スポットだろう。
その先は草原になっていて団体が昼飯を食べるに丁度良い感じだ。尤もこの季節だから草丈が低いが、
夏になればどうなっているか分からないが。

 
            撮影スポットから                 撮影スポットの草原

東の方向も視界が開けていて駿河湾や伊豆半島も見えている。誘導路の先はこれから行く展望広場だろう。
飛行機の時間が分からないので待つのは止めて先に進む事にしたのだが、空の道の案内板には今歩いてきた
坂口神社だけで、この先の事は書いてない。だが道は草原の尾根伝いに続いている。
こうなれば道がなくなるまで行くしかないだろう。

 
            吉田町・駿河湾・伊豆半島             誘導路

(実は2月25日のあと3月2日にも逆コースを歩いてきました。その時の写真も合わせて紹介します)
(2日は風が強く通常は西から東に向かって離陸する飛行機も、東端でUターンして西に向かって離陸していました)


     管制塔側から来た飛行機           Uターンして                助走開始

(折よく着陸する飛行機もあった。着陸寸前でスピードが落ちているので何とか撮影できた)
      
 
        着陸態勢のアシアナ航空             風が強く吹流しが真横だった

(風が強く吹流しは真横に流れ、電線も唸っていたので風速10mはあっただろう)

道は草原が終わり林の中に入っても続いていた。しかもその道ははっきりしっかりしていて道が無くなるとか、
迷う心配は全然ない。なぜ撮影スポットの案内板にこの先の表示がなかったか理解できなかった。
そのうち木の名前の案内板もでてきた。これなら今まで歩いていた車道より比較にならないくらいいい。
山道が二手に分かれている場所に出ると標識があり、どちらも「ビオトープ」とあった。
ビオトープは車道を歩いても寄る所なので、それなら滑走路寄りの方が距離が短いだろうと左の道を取った。
そして撮影スポットから10分ほどでビオトープに到着してしまった。

これから飛行場ウォークを予定している方は、この坂口神社から撮影スポット経由でビオトープに行く道が
お勧めです。ターミナルから40分・50分程度で行けるので、飛行機の時間に合わせれば、より楽しいでしょう。
また東の展望広場からは30分ほどで撮影スポットに行く事ができます。


           ビオトープ            コース案内         まんさく表示

ビオト-プと言ってもこの時季は何も無く、ただ湿った小さな田圃と言った風情だった。
だが夏来た時は草が茫々でしかも湿っていたので、蛇でも出てきそうな雰囲気がして、とても歩く気には
ならなかった。それに案内板もビオトープだけの案内で、撮影スポット経由で坂口神社に抜けれるとは書いて
ないので早々に退散していた。
それがこんなに気持ち良い道があるとは何とも勿体ない。是非案内板を付けるべきだと思う。

ビオトープの案内板の所に今歩いてきた道は「竹林コース」で、もう一本の道は「まんさくコース」とあった。
シマッタなどうせ歩くならまんさくコースのが良かったが今更仕方ない、と展望広場に向かった。

(家に帰りこのマンサクコースが気になって仕方ない。今ならまんさくの花が咲いているのではないかと
5日後にもう一度歩きに来てしまった。その時は今日と逆コースで歩いたが寒くて風が吹荒れ景色も悪くて
鼻水を垂らしながらの歩きになってしまった。
その時歩いた「まんさくコース」ですが、まんさくの花は無く、まんさくの木の案内板も見つからなかった。
仕方なく上の合流部から再度ビオトープまで下り、今度は大きな案内板で「まんさくの群落」を確認して
その場所らしき所に行ったのだが、矢張り何もなかった。どうなっているのだろう??

まんさくは無かったが道は竹林コースより歩きやすかった。ハイキングコースの道と言うより、昔からの
道のような感じもした。途中に紅白の旗を付けた紅白のポールが何本も立っていたが、あれは何だろう?
ポールには静岡空港と書いてあったが立入禁止? まさか竹林コースはもっと滑走路寄りだがポールは
立っていなかった。そうそうまんさくコースの入口は手摺の付いた階段です)

千頭ヶ池のビオトープは静岡県が空港建設に合わせて整備はしたが、その後の維持管理をしてないので
こんな状態になったのだろう。この場所以外にも「榛原ふるさとの森」も同じような状態だった。

「須山口登山道」講演会

2013-03-04 17:30:59 | その他
昨日裾野市主催の「須山口登山道」講演会に行ってきました。
内容は富士山の「世界文化遺産登録について」の説明と「須山浅間神社と須山口登山道」の案内でした。
須山浅間神社と須山口登山道はどちらも富士山の世界遺産の構成資産になっていますが、浅間神社の対象は
社殿ではなく境内なのだそうです。
因みに須山浅間神社は
「須山山口登山道の起点となった浅間神社です。1707年の宝永噴火により社殿は、登山道も含め大きな被害を
受け、現在の本殿は2012年12月に再建されました。神社は、社伝では日本武尊が創建したとされ、1524年には
存在していたことが棟札により確認できます。」


須山口登山道は私の歩く登山道ではなく、宝永噴火の前の登山道で須山御胎内(一合目)から幕岩間と、後は
御殿場口二合八勺から山頂までの登山道だそうです。
私はまだ須山の御胎内にも幕岩にも行った事がないので、今年中には行って来ようと思っています。

あと須山口の登山者は伊豆の国の人が多く、三島の浅間神社からの道に道標が立っているそうです。
他にも聞いた話はHPの更新のとき案内しようと思っています。