はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

村山古道(一部)3

2017-09-18 09:13:14 | 低山歩き
歩行記録                                                           H29-9-10(日)
歩行時間:7時間35分   休憩時間:1時間40分   延時間:9時間15分
出発時刻:6時00分     到着時刻:15時15分
歩  数: 26、198歩(推定距離18.59km)    GPS距離13.2km
行程表
 西臼塚駐車場 0:25> 中宮八幡堂 0:20> スカイライン 0:45> スカイライン 0:20> 高鉢遊歩道出合 0:30> 笹垢離
  1:40> 宝永山遊歩道出合 0:25> 富士宮口六合目
 富士宮口六合目 0:07> 宝永山入口 0:08> 遊歩道分岐 0:20> 御殿庭・中 0:20> 御殿庭・下(高鉢遊歩道出合)
 0:25> ガラン沢分岐 0:45> 村山古道分岐 0:10> スカイライン 0:35> スカイライン 0:20> 西臼塚駐車場

                           村山古道(一部)概略図
             

  宮古の方が雲海荘に泊まる手続きをしてから、小屋の前のベンチに座り話をした。
明日は東京経由で宮古へ帰るが吉田口五合目から直通バスで新宿に出ると言う。へ~五合目から東京へ直通バスがあるのか。
確か富士宮口の直通バスは静岡しかなかったと思うが。
別に富士宮口の登山者が増えて欲しいわけではないが、富士山に関しては何かにつけ静岡県側は山梨県より遅れている。
バスもそうだがバス終点の施設なども圧倒的に吉田口の方が整っている。しかも営業期間は長いのだから当然登山者も観光客も
山梨側に流れるだろう。
世界遺産、富士山文化などと声を挙げても、所詮世界遺産の真の目的は客寄せパンダだ。その世界遺産に登録できたのだから、
世界遺産の名前に惹かれて来てくれた人の期待を裏切らないようにして欲しい。

  今日は9月10日で富士山の夏山最終日だ。なので下山者が多いのは分るが、何故か登山者も多かった。
しかもその登山者の格好を見るとベテラン風でなく初心者と思える人が多い。
今時刻は11時だが今から登ってどこまで行くのだろ? 頂上には登るつもりか? 山小屋は開いているのだろうか? 
私が心配性なのかもしれないが、富士山に何度も登ってる私としても気に掛かります。

 
               宝永山への道                                火口はガスっていた

  「いい道を案内してくれて本当にありがとうございました。」 の声を背に11時20分に六合目を出た。
計画は一応須山口を下り、御殿庭下から高鉢遊歩道で村山古道に戻る事にしてあるが、その条件として六合目を12時前に出る
事と、体力に余力がある事を条件とした。その条件に合わなければ新五合目からバスで下る事ができる。
今時間はOKだが体力は? 当然疲れていて山頂に登る元気は無い。
だが、ここから殆ど下りで左程体力を使う所は無さそうなので大丈夫だろうと判断した。

  火口入口へはゆるやかな下り坂なのでのんびり歩ける。だが火口の中はガスっていて見る事は出来ない。
なのに火口入口付近にも火口の中にも結構な人がいる。今日で登山バスが終了なので多いのだろうか。

 
             第2・第3火口の馬の背                              水ヶ塚と二子山分岐

  昼飯は第2火口を見下ろす所で食べようと思っていたが先客がいるようです(上の円)。
オヤ?今まで人の姿を見た事のない第2と第3火口の馬の背の所にも数人の姿が見えます(下の円)。
この道はちょっと面白く、幕岩や双子山から6合目に向かうときは御殿庭の下・中を登るより変化のある道です。

  双子山への分岐の標識の上に “山体観測装置” と書いてあるのは、以前ここに宝永山との間の山体変動を観測装置があった
名残です。これは数年前に撤去されています。
  地面に敷いてあるロープを見て思い出した事がある。以前賢パパさんのブログに
 「宝永山第二火口のロープは、登りの時は目に入らず下山時に初めて気がついた。」 とあったそのロープの事だろう。
なら今日はこのロープが何処まであるか調べてみます。まず開始点は水ヶ塚と双子山の分岐の下からでしたが・・・・

  
         開始点アップ                    当然あります                   まだあります

  上の写真ではロープが判別しにくいのでアップにしました。ここにロープの端がありました。

  更に下がり写真は平に見えますが実際は小石や火山灰がゴロゴロ、ザラザラした一番登りでは苦労する地点です。
今も下から登ってきたパーティーが、ロープの近くを歩いています。このロープは本来道迷い防止の誘導ロープですが、私がここを
登るときは、申し訳ないと思いながらもロープの上を歩く事が多い。何しろこの辺りは1歩登って半歩下がる場所ですので・・・・

 
              ここで終わった                              白っぽい苔? サルオガセ

  森林限界地に入る所でロープは終っていました。標識には “御殿庭上・三合五勺” とあります。
なのでロープは山体観測装置跡から三合五勺までの間の瓦礫地帯に敷いてありました。この間は下りでは5分程度だが、上りと
なると15分は掛かるでしょう。丁度苦しそうにしながら登ってきた人がいたので、 「頑張って!」 と気楽な調子で声を掛ける私です。

  ロープがここで終わった理由は、林の中に入れば踏み跡は明瞭になり道を見失う事が無いからでしょう。
以前双子山から御殿場口に向っているとき濃霧になってしまった事がある。ロープがある場所はロープを見ながら歩けたので支障は
なかったが、ロープが切れている場所ではかなり怖い思いをした。何しろロープが無いと見えるのは火山灰だけで踏み跡などは皆目
分からなかった。見当を付けたくても何処を見ても同じだし、下りといっても下に直接下れば原生林に入ってしまう。
仕方なくストックで線を引きながら下って、若し次のロープが見つからなければ線を戻ろうと思っていました。
幸いその時は次のロープの開始点を見つけることができたので事なきを得たが、それ以来富士山の霧には注意をしています。

  山岳地帯に行くと木から垂れ下がったいる苔状の物を見るが、これはその苔が地面に落ちたのだろうか。
苔を拾おうとすると地表に根を張っていたが、木に垂れ下がっている時は根は無かったのに、地面に落ちると根を張る必要が
あるのか? 木に垂れ下がった苔とは違う種類の苔なのか? 何度か調べたが名前が分かりません。
この苔は村山古道では見かけないが、ここ御殿庭にはアチコチで見かける。どうやら須山口は火山灰が多く乾燥しているようです。

 
                キノコの群生                                キノコのアップ

  橙色のキノコが群生していた。余り毒々しい色ではないので食べれるのでしょうか?

 
                 御殿庭中                               村山修験者富士山修行場跡

  御殿庭中です。ここも宝永山第3火口への分岐で、ここを行くと旧山体観測装置からの道と合流して双子山方面に行けます。
ここで昼飯にしようと思っていたが、高年男女の団体が食事をしていたのでパス。仕方ないのでその下にある “村山修験者富士山
修行場跡” で昼飯にした。
標識の下に見える木片は村山古道と同じような修験道のお札だったが、聖護院ではなく “那智山青岸渡寺” の熊野修験でした。
熊野古道で修験を積む熊野の山伏が、ここまで来て修行を行う事があるのだろうか。

 
                  キノコ                                       崩壊地

  須山口の道は村山古道に比べザラザラした道が多く風情が少ない、なんて今回初めて思った。
今までこの辺りの道は気に入っていて、海から富士山以外にも何度か歩いている。それなのに今回村山古道を歩いて気が変わって
しまった。苔や花畑は須山口にもあるが村山古道に比べ規模は小さく、更に御殿庭辺りからの直登の道も歩きにくい。
これまで海から富士山に挑戦したいと言う人には、私でも一日で海から六合目に歩ける須山口を進めていたが これからはどうしよう。
古道の趣の多い村山古道を進めるべきなのだろうか。

  この崩壊は2011年起きていて、御殿場市役所の嘱託の方がロープを設置したあと通っていた。
その時の話では、この崩壊は雨ではなく雪の影響だと聞いた覚えがあります。

 
                  御殿庭・下                                水ヶ塚・高鉢分岐

  今日はやけに人に会う。いつもここを歩く時は多くても数人に会うだけだったが、今日は何組かに会っている。
紅葉には早いし水ヶ塚の駐車場はお金を取られるし、何のメリットがあるのだろう? 
御殿庭下では水ヶ塚ではなく双子山に抜ける人にも会った。そこで気が付きました。そうだキノコ採りに来ている人もいるのだと。
一昨年の9月中旬に仲間と三辻や双子山を歩いた時、出会ったキノコ採りの人に食用になる “イグチタケ” なる物を教えてもらい
大分取った。だが家に持って帰ると妻は 「ヌメヌメしていて触るのも気色が悪い」 と言い出し料理をしてくれなかった。
そんなキノコ採りを兼ねた人も歩いているのでしょう。

  高鉢遊歩道の分岐は御殿庭・下からと思っていたが、実際はそこから水ヶ塚方面に2・3分下がった所にあった。
サーここからは初めて歩く道だが、何を見る事ができるか楽しみです。

         
                キノコ                           徐々に感じが良くなってきた。

  最初は須山口と代わり映えのしない道だったが、徐々に道は細くなりザラザラした道からしっとりした道になってきた。
しかも緩い下り坂で歩きも快適になる。地形図を見ると、これから行くガラン沢分岐まではこんな具合に下りが続き、ガラン沢を
越すと等高線を横に行くようになっている。途中に幾つかの凹みがあるので沢を越すのだろうが水の無い事を願う。

 
              濃い緑の草                                 ガラン沢分岐

  目にも鮮やかな緑の斜面が広がっていた。そこには細い10cmか20㎝の草が密集していた。いい感じだ。
沢らしい所は無いままガラン沢分岐に着いた。ここを下ると富士山スカイラインの登山区間が始まる旧料金所跡に行くようだ。
それならここを下れば全て新しい道になると一瞬思ったが、料金所から西臼塚まで車道を歩かなければならない事に気が付いて
止めにしました。一見したところでは料金所への道の方が歩かれているように見えたが、果たしてどうでしょう。

 
               一つ目の沢越え                                 二つ目の沢越え

  沢と云ってもこの程度でどうと云う事はありません。
  二つ目の沢にはこんな注意書きもあったが全然支障はありません。
沢への上り下りはあるものの、道は殆ど緩やかで申し分はない。林の中の木は疎らで草原が主になっています。
今にも鹿がピョンと飛び出して来そうな雰囲気の場所です。

     
             盃 形                                                玉杯形

  次々現れる茸の中に、村山古道で見た “玉杯” 状のキノコには、大型の物と小型の物があった。
これを見てまたも妄想的歴史観が蠢いて来た。最初に土器を焼き始めた縄文人は、飲み食いするための土器を造るとき茸を
モデルにしたのではないか。小型のキノコは盃になり、大型のキノコは火炎土器になった。なんてね。

 
                  キノコ                                キノコ(若しかして舞茸?)

  何とも柔らかそうなお菓子にも見えるキノコです。白いキノコには毒が多いらしいが、このキノコはどうでしょう。
ワァー! 立派なキノコだ。倒木に付いたキノコの襞はまるでカーテンやスカートの裾のようにも見える。
そう云えば宮古の方がこんな話をしてくれた。
 「マイタケ(舞茸)の名前の謂れはキノコの形状からきたのではなく、マイタケを見つけた人が喜んで舞いたくなるからきている。」
フーンそうかな? と思ったが
 「私も初めて5kgのマイタケを見つけた時は、嬉しくて嬉しくてニヤニヤしまった。もうこれで満足と家に向かっていると、今度は
3kgのマイタケも見つけた。そうなるとニヤニヤどころか本当に踊りたくなり、舞うように家に帰った。」
そうです。更に
 「丁度大きい風呂敷を持っていったので、大事に包んで帰ったが決して大風呂敷な話じゃない。」 なんて。

 で、話は戻って写真のキノコはマイタケですかね? 道の近くだったのでマイタケなら既に取られているかな。
この辺りは木が少なく草地なので奥の方のキノコが見えている。キノコ採りの人はこのキノコに誘われて奥に、奥にと行き
迷子になる人もいるようだ。これも宮古の方の話だが
 「山スキーでコースを間違えても今はスマホの軌跡を見れば100%戻る事ができる。」 とか。
便利になったものですね。でも私は使いません。

 
               三つ目の沢越え                              蕗か? マルバダケブキ

  三つ目の沢が一番大きく、一部には水も残っていた。そこの標識に高鉢駐車場まで35分と書いてある。確か村山古道の上りで
この道に出合った所の標識には20分と書いてあった。それならその出合までは15分ぐらいで着くのだろう。

  草原の少し奥に蕗に似た葉の植物が纏まって生えている。だが蕗としたら大きすぎるので多分蕗ではないだろう。
よく見れば黄色の花も咲いているので、朝見たオタカラコウなのかもしれないが葉が違うようにも見える。
近づいて確認する元気はもう無くなっていました。

                  
                   双子のキノコ                             双子の木

  別に意味はありません。

 
                 村山古道出合                           スカイライン合流(登山区間)

  須山口御殿庭下の標識には高鉢Pまで90分とあり、ここ村山古道出合の標識は高鉢Pまで20分とある。なら御殿庭下から出合
までは70分という事になる。そして私が歩いた時間は何と標識通りの70分だった。
気持のよい道が続き、写真を撮りながら快調に歩いていると思っていた。なのに標識通りの歩行時間とは遅くなったものです。
それにしても今日歩いたコースは素晴らしかった。また歩きたいが紅葉の時季はどうだろう。杉や桧は皆無だったのでそれなりの
紅葉を見る事ができそうだ。
コースは今回と同じでも良いが朝が早いのが玉に瑕で、朝遅くすればゴールが暗くなってしまう。それならスタートを西臼塚Pから
高鉢Pにしたらどうだ。苔ワールドは体験できなくなるが、西臼塚Pから2時間でこの出合まで来たのが、高鉢Pからなら30分で
来る事ができる。帰りも40分は短縮できるので合計で2時間は短縮できる計算になる。
これなら高鉢Pを8時に出ても3時過ぎにはゴールができそうだ。それに遅くなりそうなら宝永山遊歩道から新六合目に行かず
遊歩道で宝永山に抜ければもっと短縮で来る。
時季は・・・・10月の10日前後はどうかな、紅葉も花も時の運だから外れても仕方ない。ヨシこの辺りの必ず来よう。

  そんな事を考えながら歩いていると苦も無く最初のスカイラインに合流した。

                    
                      キノコ                               キノコ

  登りでは気づかなかったキノコを見つけたがヌメヌメして綺麗を通り越して気持ち悪かった。
次のキノコはヌメヌメしたキノコが枯れ始め乾燥してしまったようにも見えた。

 
              スカイライン合流                                  車道を下る

  2本目のスカイラインに合流してハタと考えた。地形図を見ると村山古道を歩いてPに行くより、スカイラインを下った方が
距離が短い。それに朝歩いたPから村山古道入口までの林道は緩いとはいえ下り坂だった。という事は帰りは上りになる。
しかし車道を歩くと中宮八幡堂に行く事は出来ないが・・・・・
しばし考えたが短距離でしかも下りの魅力には敵わず、スカイラインを下ることにしました。
幸い車も下る車が多く、登りの車は少なかったので助かりました。

 
           西臼塚P上入口                                    ガラガラの駐車場

  西臼塚Pの入口は上にもあったが車は入れないようになっていた。朝も少なかった車はさらに減っていた。
楽しいコースだったがこれからが大変だ。富士宮の国道は渋滞しているだろうし、新東名に入れば入るで眠気が心配です。
私が 「駅からハイク」 が好きな理由はこんなところにあります。

富士山村山古道(一部)2

2017-09-15 10:42:07 | 低山歩き
歩行記録                                                           H29-9-10(日)
歩行時間:7時間35分   休憩時間:1時間40分   延時間:9時間15分
出発時刻:6時00分     到着時刻:15時15分
歩  数: 26、198歩(推定距離18.59km)    GPS距離13.2km
行程表
 西臼塚駐車場 0:25> 中宮八幡堂 0:20> スカイライン 0:45> スカイライン 0:20> 高鉢遊歩道出合 0:30> 笹垢離
  1:40> 宝永山遊歩道出合 0:25> 富士宮口六合目
 富士宮口六合目 0:07> 宝永山入口 0:08> 遊歩道分岐 0:20> 御殿庭・中 0:20> 御殿庭・下(高鉢遊歩道出合)
 0:25> ガラン沢分岐 0:45> 村山古道分岐 0:10> スカイライン 0:35> スカイライン 0:20> 西臼塚駐車場

 
                  溶岩流                                     キオン

  高鉢遊歩道を越すと傾斜はきつくなり苔も姿を消した。
村山古道で唯一気になっていたのは倒木で、以前ブログの苦労話や写真を見ていたのも、ここを避けた理由の一つでした。
その倒木地が次に現れるようです。
西側の沢に溶岩流が見える。須走口コノスジ中途道の溶岩流より規模は大きそうだが、離れているので近づく気にはなれない。
苔が終えて花がチラホラ見えだしてきて、中でも鮮やかな黄色のキオンが目立った。気温ではありませんよ。黄苑です。

 
                  花 畑                                     トリカブト

  少し時期を逸した花畑の中の道に入ると、宮古の方が
 「村山古道の写真で、花畑や立ち枯れの木の向こうに富士山が見える景色を見たけど、ここですかねぇ?」 と聞かれた。
私も初めての道なので当然分からないが、山頂のある北の方向には木が生茂っているので、例え晴れていても見えるわけはない。
 「ここからじゃ山頂は見えませんよ」 と答えると 「じゃぁこの先ですかねぇ?」 と、言われても・・・・・・・・
宮古の方は私に遠慮して決して前には出なかった。花やキノコを眺めているのか、私と大分離れることもあり、初めは疲れている
のかと思ったが、離れてもすぐ追いついてくるのをみると、疲れではなく私の足が遅いので花などを見て調整しているようです。
それに気づくと余りのんびり歩くわけにもいかず、写真を写すのも普段の半分以下になってしまった。
なにしろいつもの写真撮影は立ち止まり休憩を兼ねているのですから。

  それにしても倒木地帯が出てこない。コースポイントは遊歩道出合から倒木帯を過ぎた浜垢離まで30分となっていたが
既に25分は経っている。ペースが落ちたのかな? そう云われてもこれ以上速くは歩けない。

 
               浜垢離・地蔵尊                               浜垢離・不動明王

  アレレ? 倒木帯に出ないまま浜垢離に着いてしまった。倒木は最近整理されたのだろうか? 不思議です。
浜垢離とは水垢離(みずごり)のように “はまごり” と読むのでしょうか? 分かりそうもないと思いながらも調べてみると
 「穢れを祓除する意味で、密教系の垢離(こり)の観念にも習合して水垢離、浜垢離、寒垢離などの修行形式に発展した」
で、浜垢離も一種の禊だろうが、どのように禊をするのだろうか。水垢離なら水を被り、寒垢離なら寒空の中の修行だろう。
だが浜垢離とはどうするのだろう? 有りました。有りました。浜垢離をしている所が。
静岡県磐田市見付天神の裸祭では、祭りの初めに祭りに参加する氏子の心身を清めるため、宮司を先頭に海に飛込み禊をする
事を浜垢離と称していました。
ウーン! それは分るが、ここは富士山中腹の山の中。海岸はおろか水さえも無い所だ。そこでどうやって禊をしたのだろう。
これが砂垢離なら、火山灰を体に擦り付けるなどの方法も想像できるが、浜垢離は私の妄想力でも見当がつきません。

  街道歩きや遍路歩きをしていると時々首の落ちたお地蔵さんを見かける。その理由として廃仏毀釈をあげたり、水争い等の
隣村との騒動としたものが多かった。
仏像破壊と云えば最近ではISやタリバンが仏像を破壊したニュースが流れた。これを擁護する気は更々ないが、異教の象徴を
破壊することは昔から珍しい事ではない。
だが同じ宗教の信者が、例え敵方が祀っていたにせよ自分の信じる仏像を破壊出来たのだろうか。少々信じがたいが、それを
やったのが明治維新の廃仏毀釈のようです。

  そんな目でここの仏像を見ると、左の地蔵尊の首には一度は切り離されたような線が見えるし、右の地蔵尊の首は無い。
これが廃仏毀釈の痕跡? と見る向きもあるが、単に重い頭部を支えていた細い首が折れただけとも見える。
そう思えば、今まで見た破壊された仏像の多くは地蔵尊だったのはどうしてなのだろう。
若しこの仏像が廃仏毀釈による破壊なら、何故もっと麓にある中宮八幡堂にあった地蔵尊は破壊されなかったのだろう?
ここは矢張り廃仏毀釈ではなく自然損壊と考えた方が良さそうに感じる。

と、結論を出したいのだが、よく見ると舟形の仏像の不動明王像にもひびが入っている。
ウーン! もう何だか分からなくなってしまった。

 
              終っていた花畑                                  ???

  斜面にある草原の花は既に終わっていて、所々にシロヨメナなのか白い花が見える。それと紫蘇のように長い穂の物もあるが
名前は分かりません。一番多いのは天頂部に枯れた花をボサボサ付けた物だが当然名前は分かりません。ただこの辺りには蝶の
アサギマダラが多いとブログで読んだことがあるが、若しかしてフジバカマなのだろうか。今は一匹の蝶もいませんでした。
ウーン! 夏にもう一度来てみたい。

       
                                    山頂は見えなかった

 「 アァー!」 と思わず声が出ると、後ろからも 「アーここがそうです」 と聞こえてきた。
ここが宮古の方が写真を見て感激した場所のようです。残念ながら山頂は隠れて見えませんでした。
ウーン! これじゃ必ず夏に来なければ。

 
               横渡・崩壊                                      横渡・巻き道

  沢方向に下る道がビニールテープで塞がれ貼紙があった。
 「横渡(標高2000m) 今春(2017)の土石流で押し流されました。侵食がどんどん進みます。ちょっと上流の岩棚を渡ってください。」
ビニールテープは山方向に誘導してくれ再度沢に向かうようになっていた。その下り口には沢に下る道と、沢には下りず、そのまま
直進する道があったので、直進する道が気になり眺めていると 「沢の向こう側にテープが見えますよ。」 と声が掛かる。
見れば対岸のテープは上にではなく下に延びている。下に行くのは気にくわないが先程の貼紙には 「渡る」 となっていたのだから
沢を渡るのだろう。一先ず直進する道は諦めて下ってみます。
写真は急斜面に見えますがどうと云う事はありません。水の無い沢を渡りテープに誘導され上ると、すぐ沢に下る道が塞がれた
場所に出た。成程この間が崩壊したので巻道を上に作ってくれたのか。納得はしたものの直進する道は何処に行くのでしょうネ。

         
                ???                                答え

  木の幹にUHFのアンテナのような物が取り付けてある。何だろうと近づいて見ると・・・・・・
という事は雪が降るとここまで積雪を確認に来るのだろうが大変な事だ。
ここからも下る踏み跡があったが何処に行くのでしょうね。

        
                    木耳に似ていたが                                  タマゴタケ?

 宮古の方が 「アッ! キクラゲがある。」 と地面から直接生えている黒いキノコを指してくれた。
 「キクラゲって木になるから木耳でしょ。」 と聞き返すと 「木からも岩からも地面からも出る。」 そうです。
黒いキノコの一部を折り取って 「これはゴソゴソしているからキクラゲじゃない。」 との事でした。

  次にあった天頂部が赤いキノコは最近ブログで見たタマゴタケのようだったので
 「これはタマゴタケですか?」 と聞くと 「タマゴタケは知りません。」
ならば 「タマゴタケは食べられて、最初は白い卵の殻を破る様に出てくる。」 なんてブログで見た知識を披露する。

        
                   嗚呼 玉杯に・・・・                                    お 札

  オゥ! これも格好がいい。まるで両掌を合わせてチューリップの花のようになっている。これに酒を入れて飲めば、キノコの
香りが酒に移って美酒になるかもしれない。どうせ名前は分らないのだから “玉杯” としておこう。

  狭い平地に木のお札が置いてあった。このお札は中宮八幡堂や浜垢離にもあったお札と同じで
 「八大金剛童子 不動明王 神変大菩薩 平成二十九年八月吉祥日 本山修験宗 天下泰平祈? 聖護院門跡」
聖護院と云えば “聖護院大根” で有名だが、その聖護院なのか。早速調べてみると大根もそうだったが、聖護院は修験道の
総本山で山伏の寺でした。なるほどそれで富士山にお札を納めに来たのか。納得だ。
お札を納めに来た時は山伏の格好だったのかな? それなら見てみたかった。
この場所は地形図で見ると “等覺入” か “一ノ木戸” 辺りでした。

  上から日本語でない男女の声が聞こえてきた。上は宝永山の遊歩道かなと思ったら若い白人が下ってきた。
まさかこんな所で人に会うとは、しかも外人とは驚いた。若しかして道に迷い込んだのかと思い日本語で聞いたが通じない。
それでも身振り手振りを入れた日本語のみで何とか分かったのは、
 “パーキングからバスに乗り五合目に行き、そこから山頂に行ってきてパーキングに戻る” らしい事だ。
この道を通って富士登山するのは日本人でさえ少ないのに大したものです。感心して別れたが後で気になりだした。
外人の言った “パーキング” を私は勝手に “西臼塚” と解釈したが、若しかしてシャトルバスの発着する “水ヶ塚” の事では
なかったのか。西臼塚にもバスは停まるが麓の駅からのバスで本数は少ない。そのバスを外人が利用するか?
若し何らかの事情で須山口を下って水ヶ塚駐車場に行くのを、間違って村山古道を下ってしまったら。
ウーン! 横渡ではテープに沿って行けば何とかなるとして、次の宝永山遊歩道では標識に高鉢駐車場の案内が英語でもあった。
その “PARKING” の文字を見てそちらに行ってしまわないか。
更にスカイラインを越して村山古道が大淵林道に合流する所まで行ってしまうと駐車場に向かう案内は無かった。
そのため更に古道を下ってしまったら・・・・・・・
いや大丈夫だろう。どちらに行ったとしてもスカイラインに出るのだから、そこを若い白人がウロウロしていれば誰かが声を掛けて
くれるだろう。今はそう思うしかありませんでした。

        
                 倒 木                                  倒木地帯

  倒木帯の事はすっかり忘れていたが、前方に切断された太い木が見えてきた。ここが倒木地帯? と地図で確認するが、地図に
記載された倒木地帯は間違いなく浜垢離の下になっている。腑に落ちなかったがここに倒木があったのは間違いありません。
ただ倒木の多くは切断されていて左程大変とは思いませんでした。

 
             遊歩道のロープが見えた                             宝永山遊歩道

  予定では浜垢離から宝永山の遊歩道までは約90分とみていたが、90分過ぎても遊歩道に合流しない。
疲れでペースが落ちたかもしれないが、今日は連れがいるので立ち止まり休憩を兼ねた写真撮影も少なかった。
なのにまだ遊歩道に着かないとは・・・・・・・・   事前に調べすぎると、こういう事があるので嫌いです。
それでも100分になった頃ようやく宝永山と新五合目の遊歩道に合流しました。アー疲れた。

  10年ほど前にこの遊歩道を歩いたら、村山古道との合流点に手製の標識があり “村山古道” と書いてあった。
ただその横に環境庁の名前で “ここは国立公園内です。許可のない掲示は禁止されていますので撤去してください” とあった。
当時村山古道は開発したい地元と、現状保存したい環境庁と揉めていた事もあり、こんな警告文が張り出されたのだろう。
宮古の方にそんな話と、同じように昔からの登山道の須山口は、立派な標識がある事も紹介すると
 「環境庁のお陰でこんな気持ち良い道が保存されているのですから感謝です。」 と仰る。
私の本心は標識すら禁止する環境庁を非難するものだったが、感謝の言葉を聞いて考えてしまった。
確かに標識があるお陰で私のような者でも村山古道を歩く事ができた、これが大々的に紹介され道が整備されたらどうだろう。
苔や花の中に分け入って写真を写す人も出てくるだろうし、道も自然に太く広がっていくだろう。
現にこの合流点も10年前はもっと細かったと記憶しているが、今はやけに太くなってしまっている。

  そうです私の考えは間違っていました。一般開放する道は整備して誰もが安全に歩けるようにして、保存する道からは極力
人工的な物は取り除く。そうでもしないとこれから100年200年後には、富士山の何処を歩いても火山灰がむき出しになった
幅広の道ばかりになってしまいかねない。そうしないために今生きる人が少しづつ謙虚になるべきだ。
急に優等生的になってしまったが、宮古の方の言葉を聞いて反省しました。

  現在の合流点には標識は無く、村山古道の入口からお世話になってきた貼紙が2枚です。
しかしこの貼り紙もどうでしょう、お世話になり感謝はしていますが古道の風情を壊していることは確かです。
貼紙より古道の入口付近にあった木製の標識の方が自然にマッチしていると思いました。

 
              村山古道終点                                 新六合目 雲海荘

  予定を5分オーバーした5時間5分で富士宮口新六合に到着できました。それでも到着時間は11時5分でした。
余力のある宮古の方は山頂に行きたいようでしたが、山閉いで小屋が開いてない恐れがあるので雲海荘に泊まるそうです。
私にはこれから山頂に向かう元気は無いし、1泊して明日山頂に上る自信もありません。衰えたものです、心身ともに。
さーこれからどうしよう。少し休憩してから決めましょう。

富士山村山古道(一部)1

2017-09-12 12:05:49 | 低山歩き
歩行記録                                                           H29-9-10(日)
歩行時間:7時間35分   休憩時間:1時間40分   延時間:9時間15分
出発時刻:6時00分     到着時刻:15時15分
歩  数: 26、198歩(推定距離18.59km)    GPS距離13.2km
行程表
 西臼塚駐車場 0:25> 中宮八幡堂 0:20> スカイライン 0:45> スカイライン 0:20> 高鉢遊歩道出合 0:30> 笹垢離
  1:40> 宝永山遊歩道出合 0:25> 富士宮口六合目
 富士宮口六合目 0:07> 宝永山入口 0:08> 遊歩道分岐 0:20> 御殿庭・中 0:20> 御殿庭・下(高鉢遊歩道出合)
 0:25> ガラン沢分岐 0:45> 村山古道分岐 0:10> スカイライン 0:35> スカイライン 0:20> 西臼塚駐車場

                           村山古道(一部)概略図
          

  余りに恥ずかしく情けない救急車騒動から一ヶ月以上過ぎたが、その間は一度仲間ウォークで4k程度の本のお遊びの
歩きをしただけだった。そろそろ自分好みの歩きに出かけたいが妻の目が何となく気になって仕方ない。
そんな時、島田ハイキングクラブ(SHC)の機関誌に 「村山古道」 が特集されていた。
ウン! 此処なら妻に 「富士山の麓の登山道で樹林の中の道なので熱中症の危険はない。」 と言える。
それとSHCに機関誌の返礼のメールをしたところ、参考にと地形図を2枚も送られてきた。(概略図もそうです)
これで気持は決まり何とか妻をだまして説得して出かける事にしました。

  以前海から富士山を初めて歩くときに村山古道を色々調べたが、
 ・海から宿泊できる場所まで1日で行けない。
 ・村山古道は荒れていて道の不明な所が多い。 等の支障がでて断念していた。
その時は調べていて知った 「須山登山道」 は、ハイキングコースになっていて道が分かり易く、しかも途中の水ヶ塚には
1日1本路線バスも走っている事を知りました。
そこで初回の 「海から富士山」 は、田子の浦から十里木に行き、そこから須山口登山歩道で水ヶ塚まで行って、その日は
路線バスで帰ります。
そして翌日早朝に車で水ヶ塚まで行き、そこから山頂に登り、帰りは富士宮五合目からバスで水ヶ塚に戻ってきました。
翌年からは海から一気に六合目まで歩いて宿泊して、翌日山頂を往復するようにしました。

  そんなわけで村山古道自体は歩いた事はないが、何となく色々な情報を耳にして自分でも大丈夫との自信はありました。
ただ村山浅間神社を出発地にすると、帰りのバスの便が無いのがネックで、今まで歩いていませんでした。
それがSHCの機関誌には、富士山スカイライン脇にある “西臼塚駐車場” を出発地にしたコースが紹介されていました。
これなら私でも十分歩けるそうだし、夏山シーズン中の10日までなら五合目から西臼塚までのバスもある。
しかしそれは最悪の時で、私でも往復できるかもしれないと計画をたてました。

  そこで立てた計画は、西臼塚から村山古道を新六合まで行き、帰りは須山口登山道を下り、途中の御殿庭下から村山古道に
戻るコースでした。所要時間は上り5時間、下り3時間半位として計8時間半の予定です。
ゴールは明るい3時頃にしたいとなると、遅くても6時過ぎにはスタートしたい。と、なると家から西臼塚まで高速を使えば2時間は
掛からないので、家を4時頃に出ればよい。と準備万端です。

 
             西臼塚駐車場入口                               駐車場の中の南北の道

  夜布団に入ると予想外の事が事が起こりました。最近の天気予報は当たらないと思っていても、どうしても頼りにします。
10日の予報は、晴れ時々曇りで降水確率は10%でした。それが21時ごろから降り出した雨は10時過ぎには本降りになり、
夜中には土砂降りになってしまった。
こうなると明日の事が気になり熟睡できなかったが、雨が2時頃に小降りにると私もいつしか寝入ってしまいました。
それでも雨が気になり早く目覚めてTVのデータ情報を見ると、昨夜は中部地方に大雨情報は出ていたが東部には出ていない。
しかも今日の天気は晴一色で雨の降る気配はない。こうならばもう行くしかない。

  家を4時10分ごろ出て駐車場に5時50分と全て予定通りでした。
気を良くしてザックを背負ったものの、駐車場が広すぎて村山古道の入口が分からない。兎も角案内板をと確認したが村山古道の
表示はない。ただ今回はSHCのイラストマップと地形図があるので、古道は駐車場から東に延びているのは分かっている。
そこで駐車場の東にある南北に延びる道を下から北に向かうと、オッ!それらしき入口がありました。
ロープで遮られた先の山道の標識には “山の村方面” と書いてあります。
いやこの道ではない。地形図には 「大淵林道」 と書いてあるのだから、山道ではなく林道の筈だ。とこの道はパス。

 
             大淵林道入口                                      富士塚?

  更に南北の道の突き当りまで行くと右側に道を遮断しているゲートが見えた。近づいてみると 「大淵林道」 と書いてある。
これで無事スタートです。初めてのコースは入口が分からない事が多いが、今回はSHCさんのお陰で無事クリヤできた。

  農道に入って10分も行くと広場に土を高く盛り上げた所があった。オッ! これは若しかして富士塚を作成中か?
そんな事はないだろうが土盛りの上に富士山が見えれば富士塚にもなり得る。だが今朝はどんよりした曇りで確認はできません。

 
             沢を横断する林道                                村山古道入口

  富士山に向うと云うのに林道は下り勾配で、いつものように地図も持ってなければ、不安に駆られて間違ったと悩むところだが、
今日は心強い味方があるので安心して歩く事ができた。
林道が沢を横断する場所を過ぎ、何気なく左側に目をやると標識と貼紙が目に入った。標識に 「村山道」 、紙には 「村山古道
登山口」
と書いてある。成程ここが村山古道の入口か。駐車場を出て15分ほどの所だった。
林道の右側には標識は無いが山道が続いている。ここを下れば村山浅間神社なのだろう。いつかは歩きに来よう。

 
               沢状の道                                   沢の道を出る

  古道を戻る感じで上ると、先程横断した沢の少し上に出た。林道経由なら太い沢を遡った方が早いだろうが、浅間神社から続く
村山古道なのだから矢張り標識の所から入った方が良い。
 沢を渡ると道は狭い沢状の中の道になり、途中に沢を横断する踏み跡は何ヶ所かあったが無視をして沢の道を進む。
10分程行くと道は沢と離れ右に伸びている。昨夜焼津では土砂降りだったがこの辺りは余り降らなかったようだ。
沢に水は無いし、草も余り濡れていない。内心心配した今日の天気も大丈夫そうでホッとした。

          
                         中宮八幡堂                                 祠

  沢を離れるとすぐ草の広場に出たが、そこが 「中宮八幡堂」 で、昔の馬返しのようです。
馬返しとは昔はここまでは馬に乗ってこれるが、ここからは馬を降りて歩いて行かなければならなかった所です。
でもその馬返しの場所に以前から疑問を感じていた。
例えば “箱根八里は馬でも越すが” と歌われた箱根山は、旅人は馬に揺られて鉾根峠を越す事ができた。それなのに富士山の
馬返しは、御殿場口も須走口もまだ傾斜の緩い麓にある。

  半世紀以上前に一夏富士山の馬方家業を経験した私は、毎日御殿場口太郎坊(バスの終点より下)から、七合八勺の避難小屋
までを往復をしていた。
それなのにこんな低い場所で馬を返す理由が分からなかったが、ここに来てアッそうかと何となく納得できた。
ここ中宮八幡堂には、今川氏輝(義元の子)が創建した八幡大菩薩が祀られている。要は寺社仏閣です。
昔は寺社の境内に入るときは、貴人と言えども馬から下りたという。それならばここも・・・・・・・・・
いえ違います。八幡堂もさる事ながら、富士山の聖域がここから始まるとして、乗っていた馬から下りて、馬は麓に返したのでは
ないのでしょうか。果たして今日の妄想的歴史観は合っているのかな?
いかし今川氏輝が、何故浅間神社の御祭神の木花咲耶姫でなく、八幡大菩薩を祀ったのか疑問ですが。

          
               地蔵尊                                  八幡堂境内

  祠の横に苔むした地蔵が安置されている。神社に石仏? 妙な取り合わせだが、八幡宮ではなく八幡堂とされているこの
場所ではあり得る事なのだろう。廃仏毀釈ではなく神仏混交の名残なのでしょうか。

  村山古道は祠から一旦戻り、写真左にある2本目の木の村山道の貼紙に従って下ります。

 
                  渡 渉                                     水無川

  境内から道は急に下り水の枯れた沢を渡る。
若しかしてこの沢があったので、その手前が馬返しになったのかと、さっきの説に自信が無くなってしまった。
今日は水が無いことに感謝です。

          
                           苔の道                                  苔ワールド

  沢を渡ると辺りの様相は一変して苔ワ-ルドの世界に突入です。
隣にある須山口にも苔を見ることができるが、そこよりも桁違いの規模です。

 
                 苔ワールド                                  ギンリョウソウ

  土や岩だけでなく倒木や立ち枯れの木も苔に覆われています。
ウッ! ギンリョウソウか? 4月ごろから咲いているギンリョウソウだが、標高が高いこの辺りはまだ残っていた。
草の中のギンリョウソウより、苔の中のギンリョウソウの方が似合っている感じです。

 
               スカイライン横断                                古道入口

  苔ワールドにドップリ浸かり、瞬く間に1本目の富士山スカイラインの横断カ所に着いてしまった。
このような場所は次の入口が分かり難い場所があると心配していたが、スカイラインの先には標識と貼紙が見ていた。
タイムをメモしていると車道を登ってくる登山者がいた。何処に行くのだろうと見ていると、その人を私を同じように見ている。
 「何処に行くのですか?」 と聞いてみると
 「海から歩いてきて今日は六合目に泊まって、明日は山頂に行く予定です。」 と言う。
海から富士山? それなら何故村山古道を歩かないのだろう。道が分からないのかな。
 「村山古道を歩かないのですか」
 「本当は村山古道を歩きたかったのですが、富士市役所に聞いたら、村山古道は歩く人が少なく道も明確でないと聞いたので
車道を五合目まで行くことにしました。」

マー役所に聞けば正規の道でない村山古道を案内できるわけも無いだろう。そこで一応私も今回初めて村山古道を歩く事と、
足が遅いことを告げて、良ければ村山古道を一緒に歩きませんかと聞くと
 「是非お願いします。今日は六合目までなのでユックリ歩きたいと思っていました。」 という事で六合目までの仲間ができました。

  スカイラインを越してからの道も苔はあり、同行した人は 「凄い!凄い! 良かった!良かった!」 の連発でした。
これでさっきの苔ワ-ルドを見たら何と言っただろう。それにしても喜んでくれてよかった。

          
                    2本目スカイライン横断                             マムシグサ

  2本目のスカイラインを通過。低山に多いマムシグサの実が半分赤く色づいていた。
すこしガスってきたが、たいした事はないでしょう。

          
                     陽が射してきた                                オタカラコウ?

  陽が射してきて天子の梯子が現れても良い条件になったが、樹幹が開き過ぎていて梯子状にはならなかった。
  黄色の花は石蕗の花茎を長く伸ばしたようで、調べてみるとオタカラコウのようだった。初めはオタカラソウ(お宝草)と勘違いし
して、黄色が小判と同じ山吹色から名前が付いたのかと思った。
しかしよく見ればオタカラコウ(雄宝香)で、名前は 「根の匂いが、樟脳の香りに似た “竜脳香” と同じような香りがするため。」
あるが、何故それが雄宝香になったのかわからない。

 
                 白キノコ                                      黒キノコ

  キノコはソコソコ目についたが、同行の人曰く 「苔の多い場所はキノコには水分が多すぎて少ない。」 とか。
道々話を聞くと、吉原駅から海の見える公園で海を見てからここまでテントで2泊したそうだ。2泊も驚いたがテント泊にはもっと驚いた。
それに富士塚にも村山浅間神社にも寄っていないと言う。道は富士市役所で聞いた道を歩いたが何だか随分遠回りをしたようだ。
家は岩手県の宮古市で、今年65歳で退職してから行きたかった山を歩き、北海道の旭岳からトムラウシの縦走を皮切りに、槍・穂高
縦走、剱岳、南アルプス北岳・赤石縦走をやったという。中でも南アは6泊のうち小屋に泊まったのは2泊で、しかも素泊まりとか。
とんでもない山の猛者と同行したものだとビビってしまいました。

 
          立ち枯れしている笹                                陽矢(高鉢遊歩道出合)

  先程から道の両側に立ち枯れになった笹が目立つようになった。
竹や笹は発芽してから長い年月、地下茎によって繁殖を続けるが、ある一定の時期に達すると、一度に花を咲かせ、種子を実らせて
枯れるという説がある。その周期は60年とも120年と云われているが、これだけの範囲の笹が枯れているのを見ると信じたくなる。
更に一斉に花を付け竹に実がなると、それを餌にした野ネズミが大繁殖をするが、翌年は竹は枯れ実が無いため、餌不足に陥った
鼠は半狂乱になり、死の大行進が始まると言った話も読んだことがある。

  以前西村寿行の小説 「滅びの笛」 には、大量発生した鼠が人や家畜を襲い、更に数を増していく恐ろしい小説があった。
鼠が大発生した理由は忘れたが、若しかして竹の実が原因だったかもしれない。
そんな事を想像すると “ガサッ” という音にもビックとする。

  陽矢なんて言葉はないだろうが、これでは天子の梯子のような柔らかさはないし、正式な “薄明光線” ではもっと雰囲気が出ない。
その陽矢の中に建っているのは 「富士山自然体験歩道」 の標識。左に行けばスカイラインの高鉢駐車場で、右は今日の帰りに歩く
予定の須山口の御殿庭下からの道です。しかし標識には村山古道の表示はありません。
宮古の人に 「村山古道は正規の道になっていないので標識は無く、役所も案内しない」 と言うと納得してくれた。
尤も村山古道の案内は標識左の木の幹にしっかり貼ってありました。

藤枝ハイキングコース案内 NO17

2017-09-06 10:17:43 | 藤枝ハイキングコース




                                                    ↑藤枝市HPより

     
    藤枝ハイキングコースは 坂下BS-蔦の細道-宇津ノ谷集落-明治トンネル-坂下BS となっています。
     しかし宇津ノ谷には万葉時代から平成までの6代に渡る宇津越えの道が残されています。
     折角宇津越えをするのですから、せめて二つの峠越えと二つの隧道潜り、そして二つのトンネル見学をして
     夫々の時代の山越えを味わえるコースに変更しました。
      坂下BS-蔦の細道-宇津ノ谷峠-明治トンネル-大正トンネル-昭和・平成トンネル-坂下BS
    ********************************************************************************

              1・坂下バス停                                  2・坂下地蔵堂
 
 1・ 国道1号線の道の駅(岡部側)の中の車道にバス停があります。バスを降りたら正面に見えるトンネルには向かわず、少し
    戻って右に下り国1を地下道で渡ります。地下道を出た先の分岐は右に行きます。
 2・ 分岐の先には坂下地蔵が見ています。
    地蔵堂には農作業に関係する 「鼻取り地蔵」 と 「稲刈地蔵」 の二つの伝説が残されています。

           3・蘿径記(らけいき)碑                            4・東海道との分岐
          
 3・ 地蔵堂の境内奥にある 「蘿径記(らけいき)」 とは、江戸時代の駿府代官が、蔦の細道が古道となって寂れ忘れ去られるのを
    歎いて建てた石碑です。
    蘿径とは 「蘿(つたかずら)の茂った小径」 だそうです。
 4・ 左に延びる道は江戸時代の東海道の道です。
    直進すれば蔦の細道入口に行きますが、少し寄道をして 「砂防体験ゾーン」 の一部を歩きましょう。
    看板の所を右折します。

                 5・一号吊橋                                  6・一号堰堤
 
 5・ 6・ 砂防体験ゾーンの吊橋と堰堤です。

                7・水車小屋跡?                            8・橋を渡り本道に戻る
 
 7・ 水車小屋の跡でしょうか、案内はありません。
 8・ 橋を渡って元の道に戻ります。橋の先に見える物は蔦の細道に関係した詩歌などを紹介しています。
    この辺りは蔦の細道公園 になっていて、駐車場や休憩所、トイレなどもあります。

                9・分 岐                                  10・蔦の細道分岐
 
 9・ 元の道に戻り農道を直進します。
10・ 左に案内板や石碑がある所が蔦の細道西側の入口です。農道と別れ小橋を渡ります。
    農道を直進すると 砂防体験ゾーン の続きがあります。

              11・蔦の細道入口                          12・石 畳
                 
11・ 12・ 小川の横の自然石を置いたような石畳は、濡れていると滑るので注意ししてください。

                        13・分 岐                                 14・石 畳
          
13・ 14・ 石畳が古道の趣です。

                     15・猫 石                                   16・山 道
          
15・ 猫とは見えない石ですが、むかし街道を歩いていた旅人が、この辺りで猫の鳴き声を聞いて人家は近いと安心したそうです。
16・ 木の根の道になると峠はすぐそこです。

              17・蔦の細道 峠                               18・蔦の細道 峠
 
17・ 「駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人にあわぬなりける」 の歌碑が建っていますが文字は薄く読みにくいです。
    峠に立つ標識も、安っぽいバス停表示のようで風情がありません。
18・ 峠から右の道は満観峰に続き、左は江戸時代の宇津ノ谷峠に続いています。

                             19・蔦の細道 峠から富士山

19・ 以前は峠から富士山は見えませんでしたが、植林の伐採が行われてから見えるようになりました。

              20・静岡側降り口                               21・林の中の道
 
20・ 蔦の細道東口(静岡側)の降り口です。
21・ 東側の道は林の中の山道で古道と云うより、あくまでも山道と云った感じです。

              22・水 場                               23・橋の先の分岐
          
22・ 水場があります。
23・ 三つ目の橋を渡ったら下の太い道に下りず、細い道を直進します。

              24・1号線と道の駅                             25・蔦の細道静岡側入口
 
24・ 分岐からすぐの所で国道1号線が見えてきます。正面国道の向こうに見えるのは上り線の道の駅です。
    下って右に行けば下り線の道の駅でトイレや休憩所には冷水器もあります。
25・ 蔦の細道東口(静岡側)入口です。大きな案内板に 「国定史跡指定 宇津ノ谷峠越え」「蔦の細道 山越え旧東海道 明治
    トンネル 伝説十団子 延命地蔵尊 御羽織屋」
の看板が建っています。
    しかしこれらの場所は蔦の細道ではなく、これから行く宇津ノ谷集落方面にあります。

              26・歩道橋を渡る                                27・国1と道の駅
 
26・ 宇津ノ谷集落には集落に向かう車道を横断して、手前に見える橋を渡ります。
    国1の歩道に出たら左折して歩道橋の階段を登ります。
27・ 歩道橋から見た国道と道の駅です。

              28・集落の開始                                  29・集落への分岐
 
28・ 29・ 階段を下り集落への道を行くと道は分岐しています。集落には左の道を行きます。右はと大正トンネルへ行く道です。

              30・慶竜寺分岐                                  31・慶竜寺
 
30・ お羽織屋手前の分岐を右に行けば慶龍寺です。
31・ 十団子で有名な慶龍寺です。慶龍寺に伝わる十団子とは
   「宇津ノ谷峠に旅人を食う鬼が出たため、地蔵菩薩が旅僧に姿を変えて鬼と対決しました。
    旅僧は人間の姿で現れた鬼に 「本体を現せ」 と言うと、鬼は6mの鬼の姿に変身しました。
    すると旅僧は 「お前の力はたいしたものだ。今度は小さくなって、わしの手のひらに乗ってみよ」 と言います。
    褒められた鬼は気をよくし 「よし」 と小さな玉に姿を変えて旅僧の手のひらに飛び乗りました。
    それを見た旅僧はすぐに持っていた杖でその玉を粉砕して 「おまえはこれで仏になった。これから旅人を苦しめてはならぬぞ」 と
    悟し、砕かれて十粒になった鬼を飲み込んでしまいました。」


              32・お羽織屋                                  33・十団子
 
32・ お羽織屋とは、小田原征伐の折りに立ち寄った豊臣秀吉が羽織を与えたことから「お羽織屋」と呼ばれるようになりました。
33・ 十団子がお羽織屋の軒下に下がっていました。魔除けなのでしょうか。

                34・分岐を直進                           35・明治・大正トンネルとの分岐
 
34・ 宇津ノ谷峠も明治トンネルも直進する坂を登ります。
35・ 坂を登った先で直進する山道が宇津ノ谷峠への道。左は明治トンネルからの道で、右は大正トンネルに行く道です。
    明治トンネルから大正トンネルの道は、この後通ります。(ハイキングコースはここを明治トンネルに行きます)

              36・宇津ノ谷峠入口                              37・馬頭観音
 
36・ 山道の入口は幾つかの標識や案内があるので一目瞭然です。
37・ 入口からすぐの所に嘉永五年の馬頭観音が宇津ノ谷集落を見守っています。

              38・宇津ノ谷集落                              39・明治トンネル前広場
 
39・ 下に見えるのは明治トンネル東側入口の広場です。ここにはトイレや付近の地形を把握しやすい案内があります。

              40・地蔵堂跡                               41・宇津ノ谷峠
          
40・ 人喰い鬼を退治した地蔵菩薩を祀っていたお堂の跡なのでしょうか。
41・ 坂の上が峠です。蔦の細道に比べ随分楽でした。

                42・キノコ                                   43・車道合流
 
43・ 峠からの山道を少し下り車道に合流したら右に下ります。左上に行くと国1宇津ノ谷トンネルの排煙施設があります。

              44・坂下地蔵堂分岐                              45・明治の道分岐
 
44・ 明治トンネルは右に曲がりますが、直進する道は江戸時代の東海道で坂下地蔵堂に出ます。
45・ 丁字路に出たら明治トンネルは右に曲がります。左は明治の道に続く道で市のハイキングコースです。

             46・明治トンネル西側入口                           47・明治トンネル
 
46・ 明治トンネルの西側の入口です。トンネルの名前は 「宇津谷隧道」 です。
    入口には国の登録有形文化財である 「明治宇津ノ谷随道」 の標識が掲げられています。
47・ 明治9年に開通した明治トンネルは “く” の字に曲がったトンネルだったが、明治29年の火災で崩壊してしまいました。
    明治37年に修復・改修され再開通したが、すでに鉄道の東海道線が開通していたため旅人の利用は激減してしまいました。
    ガス灯風照明に照らし出されたトンネル内には、往時を偲ぶ赤煉瓦も見えています。

             48・明治トンネル東側入口                     49・明治トンネル東側入口広場
 
49・ トンネルの東側広場までは車で来る事ができます。広場にはトイレや案内板なども建っています。
    奥に見える階段の上が東海道ですが、階段は封鎖されていて通行不能です。

              50・再度宇津ノ谷峠入口へ                        51・車道に合流
 
50・ 集落から宇津ノ谷峠に行くとき通った所です。今回は峠には行かず舗装路を直進します。
51・ 峠入口を過ぎるとすぐ車道に合流します。左が大正トンネルで右は国1の静岡側に出ます。

              52・大正トンネル東側入口                         53・大正トンネル
 
52・ トンネル開通がしたのは昭和に入ってですが、着工したのが大正15年のため、通称 「大正トンネル」 と呼んでいます。
    トンネルの入口の表示は 「宇津谷隧道」 と明治のトンネルと同じ名称です。
    かまぼこ状で高さが低いため、高さ制限はあるものの、今も県道として現役で活躍しています。
53・ 蔦の細道、宇津ノ谷峠、明治トンネルと時代と共に宇津越えの標高が下がってきていますが、大正トンネルは明治トンネルより
    標高の高い場所に作られました。しかしトンネルまでの道は車対応でカーブは少なく走りやすくなっています。

              54・明治トンネルへの分岐                         55・明治の道入口
 
54・ トンネルを出て二つ目の左の分岐に入ります。入口に標識はないが覗き込むと標識が見えます
55・ 分岐を入りすぐある右に下る道が明治の道です。直進すれば明治の道や宇津ノ谷峠に出ます。

              56・明治の道                                  57・国1合流
 
56・ 途中に四阿もありますが、余り歩く人がいないのか雑草が一部生茂っている時もあります。
    この道は明治トンネルと併せて開通した道で、開通当時の説明や浮世絵が展示されています。
    それによるとこの道は 「宇津谷隧道西方新道」 とありました。
57・ 浮世絵の場所からすぐの所で国1に合流します。今回は左に曲がり歩道橋で国1を渡りますが、右に行けば朝バスを降りた
    坂下バス停に出ます。

               58・昭和のトンネル                             59・平成のトンネル
 
58・ 歩道橋から最初に見えるトンネルには 「新宇津之谷隧道」 の表示があります。これが通称昭和のトンネルです。
59・ 昭和のトンネルの横には平成のトンネルがありますが、このトンネルには名称表示がありません。
    “新・新宇津之谷隧道” とは付けにくかったのでしょうか? 平成トンネルには歩道が付いていますが・・・・・
    これで六代に亘っての宇津越えはお終りです。時代と共に歩き易く、また走りや易くなった事を実感できたと思います。
    これに加え最初の東海道だった日本坂峠を歩けば、更にその感が強くなると思います。機会を見つけ歩く事をお勧めします。

              60・坂下地蔵堂の道                            61・坂下バス停(下り)
 
60・ 歩道橋を下りて国1の歩道に出て、更に階段を下れば出発時に寄った坂下地蔵堂に出ます。
61・ 国1の歩道を西に下ればすぐ坂下バス停に出ます。

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景  色 =        景色の良い場所は特にありません。
登山道 = ★★★★   蔦の細道西口登り始めの石畳が滑る事があります。
道  標 = ★★★★   大正トンネルの県道から、明治の道やトンネルに入る分岐に標識があれば完璧です。
見  所 = ★★★★   道自体が要体験コースですし、他にも 「砂防体験ゾーン」 など色々見所満載です。
総  評 = ★★★★   是非一度は歩いて欲しい道です。その時は宇津ノ谷峠や大正トンネルを加えてください。
難易度見直し =    上級コースですがその認定基準が分かりません。宇津ノ谷峠などを加えても中級で十分だと思います。




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8月の歩数

2017-09-01 12:00:00 | その他
  自分の一日の歩数が 「280歩」 と知り、ショックを受けて2ヶ月が経ちました。
そして建てた目標は高血圧や糖尿、メタボを予防する 「1日8000歩」 でした。
しかし夏の暑さにとみに弱くなったこの頃は、遠出をして歩く自信はありません。ならば近くの大井川の河川敷をこまめに歩いて
距離を稼ぐ事にしました。

  そして7月の結果は 

               6月平均歩数1500歩  が  7月平均歩数11500歩 と急上昇しました。

  余りの好転振りに気を良くして、これなら8月は1日13000歩は届くのではないかと期待を抱かせました。
若し1日13000歩を歩いたなら1日約9km歩いた事になり、これは私の最盛期だった1日10kmに近づく事になります。

  そんな期待を抱いた8月は

               何と  7月の11500歩  から  11000歩    に下がってしまいました。

  この原因は言わずとも知れた瀬戸ノ谷ハイキングの救急車騒動です。
いくら本人が “何でもない” と言ったとて、周りの理解は得られません。騒動後の3日間は大人しくせざるを得ませんでした。
そんなわけで7月より歩行数は下がったものの、目標だった 「一日8000歩」 は見事に2ヶ月クリヤしました。
問題はこれからこれを持続していく事ですが、果たしてどうでしょう。自信はありません。
何しろこれだけの距離でも河川敷から帰るとぐったりするし、朝起きた時も疲れが残っている始末です。
矢張りここは自重して1日の歩行数を8000歩として、それ以上は歩かないようにした方がベターな気がします。
ここは情けないが、座右の銘の 「無理せず 楽せず 程々に」 を実践する事にします。


  この後の経過は来年報告します。
そうそう私が日常的に歩数計を付けるようになった事で思わぬ処に効果が出てきました。
今まで山やウォーキングは勿論、散歩もしない妻が歩数計を付けるようになったのです。その結果家事や買物だけで
1日5000歩程歩いて事が分かると、妻は猛然と意欲を出して、毎日家の中で足踏みをして歩数を増やすようになったのです。
口には出さないが私と同じ1日8000歩を目指しているようです。
問題は飽きっぽい妻なので、いつまで続くか分かりませんが、何もやらないより良いでしょう。