羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

ブログの効用

2012年05月12日 | Weblog
案外ラクなのが母が穏やかに臥せっているときだ。
こちらのペースで日常が進む。
しょっちゅう見に行くがベッドにいてくれるので
大きな変化はなく部屋も台所もわたしが作業をしやすいまま。

ところがすこし良くなると(喜ぶべきなのだけれど)
中途半端にいろいろ行動するので、こちらの仕事がすごく増える。
タンスからパジャマが全部出してあったり、
指定ではない大きな袋に紙もプラスチックも缶も入れてあったり、
食器がどこかに動いていたり用途不明品が出現したりする。

そういう病気なのかなと何度も思うのだけれど、
「どうして??」と思うとついそう言ってしまう。
すると母はとても病人とは思えない口調で理由を述べてくれる。
でも、やっぱり要介護者なのであっていろいろ中途半端な山ができる。

タンス、洗濯物、台所と部屋の片付け、ゴミの分別、等いろいろと
わたしには「後始末」みたいな作業に思える。

でも普通に会話ができる時も50%位ある気がするので
対応に戸惑いながら日々は過ぎる。
(つい怒ってしまってあとでゴメンネ、と思うのはそういう時だ)

さて昨日のブログの効用だけれど、
書いてみたらわかったことがあった。
一つは「ひとり気ままに食べたい時もあるがそばにいて欲しい時も
多くなってきたのではないか」ということ。
もう一つは「歯痛はないのだから多少咀嚼に不自由でも普通の食事がしたいのでは
ないか」ということ。
どうして食べないの?と何度聞いたか分らない。
あんたが作ってくれるのはみんな美味しいよ、でもお腹がすかないんだよ、と
そのたびに母は言っていた。

今日はほとんど1日ベッドにいた。
食べたくないと言って好きなお饅頭にも手をださなかった(普段は朝食前に甘味を食べる)。
それで、イチゴ、バナナ、カステラを小さく切ってアイスもすこし入れて
ちょっとひとくち、と食べさせてみたら「美味しい、じぶんで食べる」とスプーンを
手にして完食。
夜ご飯もポテトサラダや一口サイズにしたコロッケ、さらにから揚げまで、
少量ながら全部。
食べたくない、を正面から受けてぼやぼやイライラしてもダメなのだ、とふと思った。
食べないと痛み止めの薬も飲めないからね、とできるだけやさしく、、、。

たぶん薬が効くとまた起きていろいろ始めると思う。
安静にしてね、と言ってもそこは理解が及ばないらしい。
できることはじぶんでしようと思った、といって動くのだから、
本人はがんばっているんだと思う。
こう書くとわたしも落ち着いて言動を省みる。ブログの効用。
肩のチカラを抜く、という出来そうで出来ないこと。