羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

クリスマスの街角

2011年12月09日 | Weblog
家族が入院する、ということはいろいろな事態に直面して
それをどうにかこうにか受け入れぼんやりもしていられずに
もそもそと行動することだ。
いつもそうだったと思う。
今回、母のことでは衝撃的な出来事が病院でおきていた。
それを知り状態をみて母と話し、それから受け入れる。

面会時間を終えて吉祥寺まで歩く道は長い。
毎回違う道を通ってみるから小さな通りに雑貨屋や古本屋や喫茶店を
発見する。
そうして細い路地をぬけると吉祥寺の町。クリスマスソングが流れ
人々が行き交う。
病院で会釈したあの付き添いの女性(わたしよりもすこし年長にみえた)も
この町に溶け込んでいったのだろう。
おしゃれなきれいな人だった。
チューブで食事を流す高齢の人の傍らにいて声をかけ手を握っていた。
ご家族だろうか。
いまはあの女性も賑やかな師走の夜の町で買い物などして歩いているのだろうか。
抱え込んだ何かは多くの人がもっていてそれは誰からも見えやすい訳ではない。
街角を歩く人々の背中にも表情にもそれは見てとれない。
わたしもそう。あ、来年の手帳を買わなくてはと、ロフトへと足を向ける。

帰宅して簡単にじぶんだけの夕食を作って食べる。
そこへ連絡があり入院中の義父の具合があまりよくないことを知る。
ふと、立ち上がって洋服ダンスの中から喪服を探し出す。
結婚するときに母が用意してくれたアンサンブル。
父の葬儀に着てからしまいこんで10年は経つ。

喪服を眺めている。もちろん後ろめたい気持ちが居心地がわるい。
だけどそういう冬なんだと思う。
いつも冬だった。
父と訣れたのもこういう凍える冬の日だった。