羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

母をみる日々

2011年12月02日 | Weblog
母が発症してから何年だろう。老人性欝症状でまったく何もできない冬があった。
わたしが作った野菜スープしか受け付けず歩くのも身の回りのことも
なにもできない日々があり、そこから少しずつ回復していった。

せっかく回復の兆しがある頃に転倒して逆戻りしたこともあった。
それでも、再びまたそこから復帰して、やがて歩くようになり、
ドライブに連れていってまた悪化したり、を繰り返した。

ここ二ヶ月ほどは驚くほど元気になり、一緒にバスで吉祥寺へ行くことも
できた。じぶんのペースでほぼ自立して暮らしていた。
わたしは見守っていればよかったのだ。

一週間前からまたがくんと悪くなった。
何が原因だろう?と兄に相談すると「精神的なものでは?」という。
メンタルでこれほど背中や腰などの痛みを激しく訴えるのか?
しかし、思い当たるのは、あまりに母が元気なので投薬を見届けていなかったこと。
もしかしたら捨てていたのでは??と焦る。
久しぶりに帰宅した次女が埼玉へ戻ったとたんに悪化したから、
さびしさもあったと思う。
そう考えると母がベッドの脇にぺたんと座り込んで立てなくなるのは
(もう四度目でわたしの力ではどうしようもない)不安や寂しさがあるようだ。

とくに夕方になると錯乱するのでふりまわされる。
家内に誰もいないとにわかに不安になるらしく「本屋の仕事」というわたしの
メモを見て電話。兄にも電話。「救急車で病院に行く!」と激昂する。

なだめて帰宅すると部屋がすごいことになっている。
思わずカッとして怒ってしまう。しかし兄がこう言っていた。
「相手は病人。同じ土俵に乗っからないこと。」ほんとにそうだ。

穏やかに言うことを聞いてくれるとき、
汚れ物を日に何度も洗濯するとき、
神様が「充分介護した、という満足を得るために与えてくれた時間か」と思う。
でもこころ穏やかにいつも笑顔で接していることもできない。
今日の夕方も杖で戸をガンガン叩いていた。
二階から母のいる一階へと階段をおりながら「これはいつまで続く?」と
思う。階段がもっと長ければ降りていく間に平静な表情もつくれたかもしれない。