自分の為だけの時間は、休みの朝のご飯だけではなかろうかと思う。今朝はゆうべセットしておいたパンが焼けた匂いで目が覚めた。うちは、ホームベーカリーが二つある。婆さんもパンを作っていて、朝食は別々だ。わたしは殆どご飯だが、母がわたしの焼いたパンが美味しいと言ってくれるので、時々パンを焼くとはいえ、粉やバターを分量通りに入れて、タイマーを押すだけなのだが。食事が出来るようになったので、病院へお菓子代わりに焼き立てのパンを持っていく。
焼き立ては美味しい。
目玉焼きは水を入れないでそっと焼くと、美味しそうなだいだい色の黄身となる。
ゆっくり食べて、掃除機をかけて、いざ、両親の見舞いに行く。病院のはしごだ。母の退院準備もしなくてはならない。
父の見舞いに行くと「あんかはどうしとる?」と、自分の兄の事を問う。もうずいぶん前に亡くなった。従姉とお骨を貰いに金大へ行ったことを話すが、きっと火葬していないので、別れた気がしないのかもしれない。ピーチのジュースを美味しそうに飲んだ。
美味しいと言い、今度はどういう果物がいいか訊くと「安いのでいい・・」と、言う。こんな状態でも貧乏性なのである。
そして、午前中は見舞いで終わってしまう休みの朝だ。午後は郵便局へ振り込みへ行って、夕食のおかずを買い、学童へ孫を迎えに行き、夜は山中へ体育協会の話をしに、理事長と会長と3人で出かける。帰ったのは10時半過ぎだった。
すき間時間に少し本を読んだが、自分の為に使う時間は、やはり朝だけだった気がする。忙しいのはありがたいのかもしれない。貧乏暇なしでもある。