まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

師走

2016-12-27 | 暮らし

師走とはよくいうものだ。本当に走り回る日々。

今日は特にひどかった。朝、孫を学童へ送る。送迎というのは時間が決められているので短時間だが意外と拘束される。この後、姑の兄妹の葬儀のため、姑を葬儀場へ送り、わたしは喪服の上にカーディガンを羽織って歯医者へ行く。治療を終えて何とか10時に間に合う。

葬儀の後、車庫の2階にある愛猫チョムの毛布を処分する。2階にはお雛様を入れた箱や、古い着物の箱などもあり、原因不明の血が出るチョムが段ボールを汚すので、いらなくなった毛布やシーツを被せていた。殆ど2階の物置はチョムの部屋である。

血を流しながら10年生きていた。近くの動物病院に何度か行ったが結局分からずじまいで、血を止めると違うところから出てくるという摩訶不思議な病気だった。抱いて膝に乗せるときは、足先をティシュで包むか、空中に彷徨わせるかだった。

それにしてもたくさんの毛布とシーツだった。軽トラ並みのタントにいっぱいで、バックミラーが竹の筒で覗いたような程度だった。バックはしない、前進あるのみ。いざゴミ焼却場へ。布団、毛布は一回に10枚までという。入り口で名前と住所を書きながら、分類表に〇をつけるとき、不燃物、燃えるもののほかに「犬、猫700円」と、あった。動物を持ってくることもあるだろうなと思いつつ、チョムを山に埋めることが出来て良かったと思った。さて、この毛布。まさか10枚はないと思ったら12枚あった。係の人が10枚までと言い張るので、「じゃあ、一旦外へ出て、出直せばいいんですか?」と、やんわり聞いたら「1日10枚や。」と、言うので、シーツも何枚かあったので、「シーツはいいんですよね?」と、言うと「シーツはいい・」と。「じゃあ、これはボアシーツで、これも冬用シーツ。」と、言うと「今回限りや。」と、言われた。「おっちゃんありがと。」きっと、変なおばちゃんだと思ったことだろう。

その後、実家へ行くと、母が大根を煮ていて、おでんに入れるものを買って来てほしいというので買いに行く。久しぶりにふたりでコーヒーを飲んだが、用事を思い出したので行くわーというと、「いつも、いつもせわしない。」と、呆れていた。車に灯油のポリを入れてあったので、ゼネラルへ行きポリを出して、そのまま横の建物へ行き、ツーリストで3月の名古屋の試合のホテルの予約変更をした。女子大会に何人か行く予定で5室取っていたが、2人しか行かなくなったのでキャンセルと、格安切符のお願い。会社にいるときからお世話になっているので、何かと便利。

その後、孫を散髪に連れて行くのだった。ボンバーな頭なので年内に何とかしなくてはと娘に言って、承諾を得て4時に予約して連れていく。待っている間、本を読み始めたが、同じページから動かなかった。うつらうつらしていた。

5時過ぎにはへとへとになっていた。山登りの方が楽な気がする。あちこち車で走り回るのも疲れる。夕食の準備をしていたら、娘から「明日、忘年会だから子ども達をお願いできるけ?」で、あった。

わたしも仕事なのだ。送迎と仕事と孫の夕食。娘は人使いが荒い。

孫から「仕事でつかれているときも、むかえにきてくれてありがとう。」と、書いたメッセージつきで、学童でサンドイッチを作ってくれて、ラッピングをしたものを渡された。なんとナウなタイミング。また、がんばりすぎてしまう・・・