父の兄、すなわち私の伯父は2012年9月、90歳で亡くなった。そして遺骨が今返される。
伯父は献体したのであった。本人の意思で金大へ献体を申し込んであった。葬儀の後、金沢大学医学部の車が迎えに来て、皆が見送るときに「感謝状」を、読み上げて遺体を連れて行った。遺族、親族は葬儀場の玄関で別れてすぐ中陰の会場へ向かった。別れの儀式が中途半端になったような感じだが、伯父の献体という勇気に尊敬の念があった。
4年経った。金大からお知らせが来て、本来、本家の長男である従兄が遺骨を貰い受けに行くところ、今年に入ってから具合が悪くて入院しているので、大阪へ嫁に行った従姉から相談があったので、土曜に車で一緒に行くことを約束した。金曜に従姉を迎えに行って、我が家に泊まってもらった。従兄は奈良で所帯を持ち、従姉は大阪へ嫁に行き、伯母は伯父の後を追うように3か月後に亡くなったので、本家は空き家になり水道も電気も止めてある。
さて、金沢大学病院へは4年間通っている私だが、十全講堂という講堂の場所を知らない。車で行くと、「合同慰霊祭」の看板があって、駐車場から案内の方が丁寧に誘導してくれて、講堂前の駐車場に着いた。喪服を着た学生が案内してくれて、講堂はコンサートホールのようになっていて、壇上の祭壇には26体の遺骨が並んでいた。
遺族席は前方で、喪服の人や黒めの服を着た人たちで埋められた。
開会の挨拶の次に献花が行われ、遺族の名前を呼ばれると白い菊を持って遺族一同は壇に上がって次々と献花をする。次に看護師や学生、関係者一同の方々も献花台に花をたむける。
その後、学生代表の感謝の言葉があり「解剖は欠かせない医学を学ぶ上で大切であること。御遺体にメスを入れる時の罪悪感と学びの使命と畏敬の念を感じたこと。人の身体の神秘を学ぶこと。良い医者になることを誓うこと。」学生の言葉は、胸に響き、改めて献体の大切さと、医学への貢献を思う。遺族との別れを思うとどうかとか思ったことが少し違う気持ちになってくる。しかし、女性である自分はその肉体を提供する勇気があるだろうかと考える。
26人の遺骨を、ひとりひとり遺族の代表が壇上へあがってもらい受ける。その時、女性は女性の学生が、祭壇から遺骨を降ろすのであるが、女性が6,7名いることに驚いた。最後に代表の先生のご挨拶があり、その後、別のホールで食事をした。精進料理だった。従姉が引き渡しの書類手続きをしている間に、部屋へ先に入るよう促され、遺骨をテーブルに置き、用意されている風呂敷に包む。
食事後は、卯辰山までバスが用意され希望者は慰霊碑まで行って、そのまま金沢駅まで送ってもらえるらしい。わたしたちは、そこまで行かず車で帰宅。父の病院へ行って従姉と報告に行く。