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まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

ごみの重さは心の重さ

2016-05-10 | 暮らし

予定をバンバン入れるのは、寂しさからか。それで疲れて今日などは、朝起きられなかった。腰が痛い。久々にどこへも出ずに片づけをした。前に服を処分し、家の中を整理したが、実はまだ本が片付いていない。数えられないのである。100や200ではない。千とか2千とかいう単位だ。数えられない。

パソコンの中に殿のフォルダーがあるのを覗いた。読書録というのがあった。35歳114冊・・・と、あって、毎年100冊以上は読んでいる。そして64才まで。(最後の年は30冊だった。)そして、記録外の34歳までの本もあるはずだ。恐ろしや。

「ごみの重さは心の重さ」と、いう。身の回りに何もなくなるとすっきりするのか、寂しいのか。思い出はいつかゴミになるとすると、これは悲しい。やはり自分の身の回りのゴミを何とかすることから始めなくてはならないのだろうが、わたしの本は殆どない。

放下着(ほうげじゃく)という禅の言葉がある。下着をほったらかしにしておくということではない。「執着心こそ悩みの発端 すべて捨てても生きられる人は本物」と、いうことだそうだ。

さて、捨てられないのは、まだまだ自立できていないということだろうか。本物でないとすると、わたしは偽ものなのか。未熟者なのだ。このまま年を取ると、未熟者の年寄りが出来上がる。厄介だなあ。達観するとか、悟るとかいう言葉はよその人のためにあるのだろうなあ。