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まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

歌会始め

2015-01-15 | 暮らし

歌会始で15歳の少女の「この本に すべてがつまつてるわけぢやない だからわたしが続きを生きる」の句が気持ちよかった。潔いというか、きっぱりと言い切る気持ちよさ。小さい時から句を作っているらしい。

もう一句「ふたりして荷解きおへた新居には 同じ二冊が並ぶ本棚」は、思わず顔がほころんだ。我が家も時折、同じ本を買ってきたことがあり共感をおぼえる。

お題は「本」で、BOOKでも、数の一本、二本の、本でも良いらしい。陛下は「夕やみのせまる田に入り稔たる稲の根本に鎌をあてがふ」と、詠まれた。紀子様は「日本」と詠まれた。

それではと、日頃より殆ど句に親しまないわたしも、ついつられて作ってみた。

「病んでなお一本の矢を引ききって呼吸(いき)する肩に秋の陽とまる」少し重いか・・。

「秋の暖かい日を選んで道場へ行くと、午後の陽は斜めに差し込んで、1本射るたびに息を整える殿の肩に陽がさすのでありました。」さて、とまるではおかしいか。どなたか、ご指南を。

 


時間割

2015-01-15 | 小さきもの

小学2年の孫の時間割を見て驚いた。ランドセルに全部入っているので、毎日時間割を合わす必要がないというのだ。教科書は国語と算数と音楽が入っていた。水曜「音楽」「生活」「生活」「国語」。木曜「算数」「体育」「書写」「国語」とか・・・基礎はやはり「読み書きそろばん」

自分の小学生の頃の時間割など覚えていないが、2年生の時は社会や理科はあったはずだ。確か通知表には5教科あった。

今は、理科や社会は3年生からなのだ。生活というのがその役割なのか。老婆心ながら、体育の後に書写は、ボールなど握ったり、力を入れた後は、鉛筆が握りにくいのでは。いや、老婆心とはまさしく。子供たちにはそんな不都合はないのだ。

高学年になるにつれ図工と音楽がだんだん減っていくようだ。社会人になったわたしは、図工と音楽と体育にだけ興味があるなあ。