若い頃、大きな試合でも緊張しながらも図太く中てていたように思う。
ところが、この頃は、年とともにナイーブになってきている。
あれこれ考えるので、大胆に離せない。
若い頃は、なりふり構わず、射型もひどかったけれど躊躇していなかったと思う。
それを、こうしたい、ああしたいと思いながら、深みにはまっていく。
体と気持ちが一致しなくなっている。
わかっているだけに、辛い。
身近な師である旦那に、
普段の稽古が出ればいいのに、精神力が足りないと言われ、おまけにひどいときは弓道は相撲みたいに角番がなくていいなと言われる。
ひとつ階段をあがるたびに、何かを置き忘れているような気がする。
そして、中てたいという気持ちを持たないようにと思いながら引くが、これがやっかいだ。
気持ちでは真摯に自分の射をしよう、平常心で・・と思うのに、離れの間際に悪魔がやってくる感じだ。
体が中てたいという方向に反応する。
そして、ついにはばらばらに。
三位一体というが、三位ばらばら。
禅の中に深層心理というのがある。
末那識(まなしき)とか、阿頼耶識(あらやしき)という、自分の意識でこれを改革するのは大変なことと思う。
これでは、仏門に入らなくてはならない。
うーん。今晩眠れなくなると思っていたら、娘が
「さんみいったい(三位一体)って、三味(あじ)一体って書くのかと思っていた」と、言うので、考えていたらあほらしくなって、今晩ぐっすり眠れそうだ。
ところが、この頃は、年とともにナイーブになってきている。
あれこれ考えるので、大胆に離せない。
若い頃は、なりふり構わず、射型もひどかったけれど躊躇していなかったと思う。
それを、こうしたい、ああしたいと思いながら、深みにはまっていく。
体と気持ちが一致しなくなっている。
わかっているだけに、辛い。
身近な師である旦那に、
普段の稽古が出ればいいのに、精神力が足りないと言われ、おまけにひどいときは弓道は相撲みたいに角番がなくていいなと言われる。
ひとつ階段をあがるたびに、何かを置き忘れているような気がする。
そして、中てたいという気持ちを持たないようにと思いながら引くが、これがやっかいだ。
気持ちでは真摯に自分の射をしよう、平常心で・・と思うのに、離れの間際に悪魔がやってくる感じだ。
体が中てたいという方向に反応する。
そして、ついにはばらばらに。
三位一体というが、三位ばらばら。
禅の中に深層心理というのがある。
末那識(まなしき)とか、阿頼耶識(あらやしき)という、自分の意識でこれを改革するのは大変なことと思う。
これでは、仏門に入らなくてはならない。
うーん。今晩眠れなくなると思っていたら、娘が
「さんみいったい(三位一体)って、三味(あじ)一体って書くのかと思っていた」と、言うので、考えていたらあほらしくなって、今晩ぐっすり眠れそうだ。