(前回からの続き)
(本稿は長くなってきたので個々のエントリーの内容が分かるように小見出しを変えました)
「さとり(差取り)」に向けた動きが感じられるケースとして、アジアからは韓国を取り上げてみたいと思います。
昨年12月に行われた韓国大統領選挙の最大の争点は「経済民主化」でした。経済民主化とは、格差を縮小し、公平に競争できる環境を整備し、大手から中小・零細に至るさまざまな企業や事業者が共生できる社会を作っていく、といったようなことで、韓国では憲法にも規定されている大切な考え方。まさに韓国版「さとり(差取り)」の基本的なコンセプトといってもいいでしょう。
これが同選挙の論点となった理由は、何といってもサムスン電子に代表される財閥系大企業への富の集中に対する韓国国民の不平不満が高まったこと。実際、韓国メディアの情報によれば、サムスンを含むいわゆる10大財閥の2012年上半期の営業利益は全上場企業の70%に達するほどだそうです。2011年上半期は同59%なので、わずか1年で韓国経済における財閥のシェアはさらに高まったということになります。
さらに財閥は、本業の電機や自動車といった製造業だけにとどまらず、パン屋やカフェといった外食産業やホテル事業などにも手を広げています(そしてその経営には、多くの場合、財閥経営者の御曹司やご令嬢が関わっているそうです)。こうしたマーケットはもともと中小企業や自営業者などが多い分野。そのためこれら経営者などから「特権を乱用した零細事業者圧迫だ!」といった財閥に対する非難や恨みの声が上がっています。
ところで、現在の韓国でみられるこのような財閥の繁栄をもたらしたのは現職の李明博大統領の経済政策といわれています。2008年の就任以来、李大統領は「ビジネス・フレンドリー」という旗印を掲げ、国際競争力のある財閥を優遇する政策をとってきました。そのおかげで韓国経済は輸出主導によるめざましい発展を遂げ、サムスン電子や現代自動車はいまや世界的な企業に数えられるほどに成長しました。
そしてその発展や成長の恩恵が及んだのは企業としての財閥ばかりではありません。財閥経営者に象徴される富裕層もそうです。財閥の業績が伸びるにしたがって、彼ら彼女らのプライベートな資産額のほうも「急上昇」しているものと推測されています。
(続く)
(前回からの続き)
PIIGS諸国のソブリン危機で揺れる欧州。その欧州でいまもっとも「さとり(差取り)」が意識されている国はフランスではないでしょうか。
通貨ユーロの信認を保つため、ドイツのメルケル首相と連携して厳しい緊縮策をとってきたサルコジ前大統領を決戦投票で破り、昨年5月、ミッテラン氏以来17年ぶりに社会党出身の大統領となったフランソワ・オランド氏。そのオランド大統領が主張する政策はまさに「さとり(差取り)」を色濃く反映するものとなっています。
まずは富裕層や金融機関に対する課税強化。オランド政権は100万ユーロを超える所得への税率を75%まで高めたり、キャピタルゲイン課税や相続税の増税を進めています。そしてトービン税(金融取引に課せられる税)の導入を提言するなど、金融機関や同取引への課税強化を計画しています。
つぎに指摘できるのは雇用対策。財政健全化が求められているなか、オランド政権は教員の採用を増やすなどの政府部門の雇用増加を図っています。さらに、大手自動車メーカーのPSAプジョーシトロエンが発表した大規模なリストラ計画に対して見直しを強く訴えるなど、政府として民間部門の雇用維持にも関与する姿勢を示しています。雇用を増やしたり失業率を改善させることで格差の緩和を図ろうという意図が感じられます。
「さとり(差取り)」つまり格差是正をめざすオランド政権のこれらの政策ですが、早くも厳しい局面を迎えています。
たとえば、富裕層への課税強化策に対して「さとりたくない(差取りたくない)」富裕層の一部は、これらの課税から逃れるためにフランスから資産課税の少ない国々へ国籍等を変更し始めています。すでに有名ブランドのルイ・ヴィトンのCEOや人気俳優などの著名な資産家がベルギーやロンドンなどに移ったそうです。これに関連し、階級社会の国(要するに相続税や贈与税などを通じた富の再配分が十分に機能していない「さとりたくない(差取りたくない)」国?)であるイギリスのキャメロン首相は、同国にやってくるこうしたフランスの富裕層を「手厚く歓迎する」と発言しながら、オランド政権の「さとり(差取り)」政策を批判しています。
そして先月末、フランスの司法機関である憲法会議が、今年度予算に組み込まれていた上記の高額所得75%課税に対して違憲判決を下しました。この増税策は財政再建や「さとり(差取り)」を進めるオランド政権の目玉政策のひとつだったために、この判決は同政権には痛手となりそうです。
さらにそんなオランド政権にとってつらいのは、オランド大統領の支持率が低迷していること。昨年10月末時点で発表された同支持率は36%と、政権誕生から半年時点の支持率としては異例の低さとなっているとのことです。その原因は2013年の緊縮予算案を発表したためとみられています。実際、同予算案に上記のような富裕層増税等を盛り込んだものの、一方で財政赤字のGDP比を3%以下に抑制するために歳出を削減せざるを得ず、景気が低迷し失業率が高まるなかで、これが多くの市民の支持を失うきっかけとなったのでしょう。
といったわけで、オランド政権の「さとり(差取り)」政策の先行きには不透明感が漂ってきました。
そもそもフランス経済は、上記のプジョー社の苦境に象徴されるように、自動車などの基幹産業が国際競争力を失いつつあることや、主力金融機関がPIIGS諸国等への投融資に傾倒し過ぎたために金融システムが脆弱化していることなどから、以前から構造的な地盤沈下に悩まされています。それほどに難しい情勢のフランスで、増税と緊縮財政で国民に痛みを強いつつ、他方で雇用増加や経済成長をどのように達成していこうというのか・・・。
オランド政権が進める「さとり(差取り)」政策の成否と、フランス国内外からの「さとりたくない(差取りたくない)」勢力からの反撃(?)なども含め、どうやら今年はフランスから目が離せなくなりそうだと思っています。
(続く)
(前回からの続き)
実際、こうした格差社会を形成しているアメリカでも「さとり(差取り)」を意識した動きが見受けられるようになってきました。
たとえば現在「財政の崖」の関連で議論されている「ブッシュ減税」の失効などはその代表例でしょう。かりに予定どおり(?)同減税が失効したとすると、先に述べた所得税の最高税率は39.6%に、そしてキャピタルゲイン税率のほうも最高で20%くらいに引き上げられることになっています。
まあ感覚的にはこれによって不均衡是正が大きく進むようには思えませんが、アメリカ社会が「さとり(差取り)」に踏み出すというインパクトは小さくないと思っています。個人的にはオバマ政権が議会共和党などの一部の反対論や慎重論を抑え、このブッシュ減税を終わらせて財政健全化と格差是正に早急に着手することを期待しているのですが・・・。
と、ここまで書いていたら、アメリカから「財政の崖」回避のための関連法案が可決・成立する運びとなったというニュースが飛び込んできました。これによれば同法案は、世帯年収が45万ドル超の富裕層には減税をやめて、所得税率を39.6%に引き上げるほか、キャピタルゲイン税率を現行の15%から最高23.8%まで高める、などといった内容を含んでいます。
一方で大きな焦点となっていた連邦債務上限の引き上げについては今後に持ち越しとなっており、オバマ政権と議会とくに共和党との間でしばらくは激しい戦いが続きそうです。もっとも富裕層増税が決まり、「さとり(差取り)」がほんの少しだけ前進しました。これを機に、オバマ政権がどこまで「さとり(差取り)」を実行していけるか、注目していきたいと思います。
アメリカの「さとり(差取り)」を感じさせるもうひとつの例は、富裕層の一部から自分たち富裕層にもっと課税せよ!という声が聞こえてきたこと。
先月、有名な投資家であるウォーレン・バフェット氏は、同じ投資家ジョージ・ソロス氏などの20名あまりの資産家とともに共同声明を発表し、米議会に対し、遺産税における一人当たりの控除額を512万ドルから200万ドルに減らすほか、最高税率を現行の35%から45%超に引き上げるよう要請しました。この声明にはカーター元大統領も署名しているとのことです。
バフェット氏は以前から富裕層への優遇政策の廃止を主張しており、具体的には年収100万ドル以上の富裕層に30%の最低実効税率を課す「バフェット税(バフェット・ルール)」を提唱しています。さらに世界各国に対して投機目的の国際金融取引に対する税制(通称「ロビンフット税」)の導入も訴えています。このあたりは金融資本主義が格差拡大を助長するというネガティブ面を持っていることを強く意識した提案といえそうです。
異様なほどの貧富の差が社会を蝕んでいる一方で、本来ならば「さとられたくない(差取られたくない)」側のバフェット氏のような富裕層から、こうした「さとろう(差取ろう)」という提言が出てくるところがアメリカの奥の深さ。上記のバフェット・ルール等には富裕層がおもな支持基盤である共和党などから反対論などが出ているようですが、一方で民主党員の70%超が、そして共和党でも半数近い党員がバフェット税導入を支持しているようです。今後、バフェット氏への賛同者がどこまで増え、そして富裕層への課税強化などを含む格差是正策がオバマ政権によってどこまで打ち出されるのか、注目されます。
「財政の崖」が迫るなか、今年、アメリカではこの「さとり(差取り)」がもっとも熱い論争のテーマとなるだろうと予想しています。
(続く)
昨年2012年12月21日はマヤ文明の長期暦が大きな区切りを迎える日であったことから、この日を境に世界が大きく変わるのではないか、といった憶測が広まっていました。一部では人類滅亡論まで唱えられ、各地で混乱が相次いだようです。
さらにニューエイジ(精神世界)の論者の多くは、この日を含む2012年以降を「アセンション(次元上昇)」の時代と位置づけ、人々が霊的な目覚めに向かうという見方をしています。
そんな運命の日が過ぎて2週間ほど経ちました。結果として、世界は滅びることなく、一方で人類が急激に目覚めることもなく(?)、それまでと同じように淡々と時が流れているように思えます。そのため、つい「なんだ、1999年と同じで結局何も起こらなかったではないか」と早とちり(?)してしまいそうですが・・・じつは現代社会における人々の覚醒は確実に始まったと感じています。それは・・・「さとり=差取り」、つまり所得や資産などのさまざまな格差を無くす方向に進もうというエネルギーの高まりのこと。
本稿ではこの「さとり(差取り)=格差是正」をめぐる動きについて、世界各地の具体例をいくつかピックアップしながら、「さとりたい(差取りたい)」側と「さとりたくない(差取りたくない)」側との相克の観点も交えて私論を述べていきたいと思います。
まずはアメリカです。
2011年9月に発生したウォール街占拠運動のスローガン「We are the 99%」に象徴されるように、いまやアメリカ国民の所得や資産の格差は絶望的といってよいほどに広がってしまいました。
同運動が指摘する不均衡の具体的な内容の一部を見てみると、たとえば所得トップ1%の層のアメリカ全体の所得に占める割合は、1980年の約10%から2007年には約24%と、この30年間ほどで約2.5倍近くに拡大しました。さらに同1%層の所得の年間増加率は1979年の11.3%から2007年には20.9%に増えています。その後リーマン・ショック前後の期間にやや下がったものの、2009~2010年にはふたたび上昇に転じて年率11.6%の増加率となっています。
一方、同期間の99%(アメリカ人の大半!)の層の同増加率はほぼフラットの0.2%に留まっています(この間のアメリカのインフレ率は2%/年程度なので99%層の実質所得は減少していることになる)。ということは所得合計額に占める1%層の割合はさらに高まっている(不均衡が拡大している)ということになります。
さらに所得税の最高税率は1980年の70%から2010年は33%へ1/2以下に低減されているほか、キャピタルゲイン税率も最高で15%に留まっているため、株式などの金融資産の多い富裕層にとってはたいへん有り難い状況です。実際、所得上位0.1%の超トップ層の実質的な税率はせいぜい20%を少し上回る程度だそうです。
といった数字の一端からも分るように、現代のアメリカは、一握りの金持ちがますます所得や資産を増やす一方、大半のアメリカ人が実質的に所得や資産を減らして貧しくなっているという、格差がどんどん拡大していく社会になってしまったといえそうです。このままでは市民社会の根幹を構成する中間層が没落し、平和や安定が揺らいでアメリカの民主主義そのものが危機に瀕するかもしれません・・・。そんなことにならないようにするために求められるのが「さとり(差取り)」となってくるでしょう。
(続く)
あけましておめでとうございます。
8世紀の編纂以来、素朴で大らかな歌風で幾世代にわたって人々を魅了し続けている「万葉集」―――その万葉集で感心させられるのは文学面での価値ばかりではありません。万葉集を通じて垣間見える古代の日本人社会の「ありよう」もそのひとつと思います。
万葉集で登場する歌の「詠み人」の数は名前などが分っているものだけで500近くにおよびます。そしてその身分は、天皇や皇族に始まって下級役人や防人などの庶民に至るまで、じつにさまざまです。そんな多彩な人々の喜怒哀楽の思いが歌となって同じ歌集にまとめられていることになります。彼ら彼女らは、実際に出会ったことは無かったのかもしれないけれど、身分や階級の違いを超え、歌を通じて万葉集というステージでひとつにつながっています。
そして万葉集におけるこうした詠み人の数、そして約4500首という歌の数の多さから分るように、すでにこの時代には相当数の日本人が「やまとうた」を歌えるだけの素養を身につけていたと考えられます。実際、これらの歌のなかには「東歌」(あずまうた)といって、当時は辺境だった関東や東北地方の人々の歌も数多く見られます。現代と比べて情報伝達手段が格段に乏しいうえ、一般人向けの教育制度が整っていなかったと推定される古代社会において、これだけ広いエリアにわたる多数の人々が七五調などの形式に基づいて言葉を操ることができていたことに驚かされます。
誰もが読み書きのような基本的な教育を与えられ、努力次第、才能次第で出生や身分などの違いによらずに認められる―――万葉集でも見受けられるこの社会的なコンセンサスは時代を超えていまのわたしたちの社会にも受け継がれていると感じています。極東の小さな島国に過ぎないはずのわが国に生まれ育った人たちがビジネス、科学技術、文化芸術などの幅広い分野で現在の世界をリードし続けられるのは、そうした日本の風土のおかげと思っています。
20年に一度の神宮式年遷宮が行われる平成二十五年の幕開けです。いよいよわが国の市民社会の真価が発揮される時代が始まりそうだ・・・そんな予感がする年の初めです。
(「万葉の昔から受け継いだもの」おわり)