あけましておめでとうございます。
いつもとは趣が異なる年明けに、わたしたちは時代の大きな節目にさしかかっていることをいやでも意識せざるを得ないでしょう。それはきっと何年かに一度、いや、この二千年に一度といっても過言ではない、後世の歴史の教科書に載るくらいの大変化になるはずです。
ところで「歴史」(ヒストリー)とは、英語では、history → his story → 「彼」の物語 → イエス・キリストの物語(「わたし」[創造神]からみた「彼」)のこと。つまり、キリストの物語が現在進行形であることを伝えてくれています。光速で過ぎ去っていく一瞬一瞬の積み重ねが「歴史」なのですから。
そのキリスト教の信者にとって最も大切な行事が、復活祭。これを英語で「イースター」(Easter)といいますが、日本語の直訳では「東の人」になります。なぜキリストの復活が「東の人」なのか? その真の理由はともかく、古来より、そのように語り継がれてきたことこそに深い意味があるのでしょう。
イスラエルの国歌(希望「Hatikvah」)では、「ユダヤの魂はいまだ憧れてやまない/東のはての地/眼差しはいまだシオン(Zion)をとらえて離さない」「われらの希望はいまだ失われない/二千年の希望/われらが地で自由な民となるために」等と謳われています。そしてシオンとイェルサレムを同列に扱っています(The land of Zion and Jerusalem)。よって、イェルサレムはシオンにあるわけではなさそうです。では、シオンとは、東のはて(the ends of the east)とは、いったい何処・・・
キリストが生きた時代から二千年。主なき、長い闇夜でもあったこの間、上記のような様々な暗示がありました。これらを、いわば予告編とする「彼」の物語は、キリスト・・・が象徴するものの復活劇として、いまようやく佳境を迎えつつあるようです。その主役を演じるのは・・・日出づる処のイースターをおいてほかにありません。