Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

「経済テツ」の底が見える記事

2014-03-02 16:51:00 | 書評
なんというか、どこから突っ込めばいいのやら、という感じです。
私のような素人のブログ記事と違い、商業誌の記者というプロの記事ですから、厳しくいきます。

3月2日付の東洋経済オンラインに掲載された「被災路線を突然移管、JR東が変心した理由  山田線を三陸鉄道に移管する方針転換」ですが、近年鉄道特集のヒットもあり、「経済テツ」なる社会派諸氏の評価も高い東洋経済ですが、これはいけません。

東洋経済本誌の2月22日号(2月17日発行)に掲載された記事のようですが、沿線自治体がJRでの復旧にこだわる理由は固定資産税という面が大きいことが明らかになっているのに、何ともぬるい分析です。


(陸中野田駅にて。列車は名物「こたつ列車」)

とにもかくにも頭を抱えるのが、震災時の「復興支援列車」を小本°{古間としていること。
それこそ「あまちゃん」にもエピソードとして挿入されている話ですが、震災5日後の3月16日に運転を再開したのは陸中野田°v慈間です。(それもあってドラマでも袖が浜*k三陸間で運転再開、としています)
だいたい、北リアス線南部は、まず3月20日に宮古%c老で復旧し、29日に小本まで復旧したのですが。


(ドラマで「復興支援列車」に地元の人たちが並走していたシーンのロケ地)

これを間違うというのも相当厳しい話ですが、「三陸鉄道の南北リアス線は、生活路線として通勤、通学に便利なように運行スケジュールが組まれている。山田線もそれと連動するようなダイヤを組めば、利用客の利便性が高まるはず。ところが、東北新幹線との接続駅である盛岡との連絡も考慮する必要があるため、三陸鉄道のダイヤに配慮した運行スケジュールが組みにくい。「三陸鉄道さんのように地域密着型の『マイレール意識』がある会社になかなかなりきれなかった」(JR東日本復興企画部担当部長)。」というくだりはどうか。

そもそも前段も含めて担当部長のコメントかどうか。コメントはカッコ内のマイレール意識に関するくだりだけで、あとは一連の流れに見せかけているのではないか。
つまり、山田線のダイヤを盛岡基準で考えている、という前段の部分を本当にJR側が持ち出したのか、という話です。


(山田(山)線宮古駅の時刻表。盛岡行きは最大6時間21分空いた4本しかありません)

山田(山)線が新幹線連絡として機能することはほとんどなく、106急行がその任に当たっていることは周知の事実です。JRの旅行商品でも106急行利用になっていたくらいです。
震災前の山田(海)線のダイヤを見ると、宮古で山田(山)線との連絡を最優先にしているとはいえない訳ですし、そもそも宮古と釜石が拠点で、三陸鉄道も山田線、釜石線も宮古や釜石を通す需要がどれだけあるのか。特に南北リアス線と山田(海)線方向に。


(盛岡駅前に入る106急行宮古・船越行き)

前段は記者の作文でしょう。もし前段も担当部長の発言だとすると、逆に「盛岡連絡は106急行でしょ」と突っ込まないと鉄道、交通関係を担当する記者として取材力が問われます。

今回オンライン版に掲載されたということは、2月の本誌掲載から誰も突っ込まなかったのか。
経済誌の読者はこんなネタなど目を通さない、という厳しい現実であり、同時にデスクが誰もこの手の知識(震災復興&106急行)が無いという情けない現実です。



「明るい廃墟」の終焉と探訪

2014-03-02 12:22:00 | ノンジャンル
「明るい廃墟」として有名?だった滋賀県守山市にあった大規模SCのピエリ守山が2月いっぱいで「閉館」しました。


(琵琶湖大橋から見たピエリ守山)

滋賀県湖南地方屈指のSCとして開業したものの、衰退が止まらず200あまりあった店舗が4つにまで減少していたのに、それでも営業を継続していた、しかも全館開けていた、ということが、他の「廃墟」にないギャップを楽しめる場所として有名にしていました。

驚いたことに、クリスマスや年末年始といった「イベント」を生真面目にやっており、閉店した店舗が並ぶホールにツリーが飾られている様子はネットでも拡散しており、その異名をとどろかせていました。

既に後継企業が決まっており、今回の閉店もリニューアルオープンに向けての改装ですが、だからといってそこまでして営業を継続する理由は何だったのか。維持費だって馬鹿にならない訳で、そこらへんのカネの出どころや理由づけも含めて気になるところでした。

さて、そのピエリ守山を浮「もの見たさで昨年末に見に行っています。
琵琶湖南岸に面した立地で、「守山」といいながらアクセスは琵琶湖線守山駅よりも湖西線堅田駅の方が便利、という事実にまず微妙感が首をもたげます。


(琵琶湖大橋)

クルマでなら気にならないのかもしれませんが、堅田との行き来は有料の琵琶湖大橋経由、しかもR161との琵琶湖大橋交差点が、かつてのマップルに「夏期は全方向大渋滞必至」とコメントされていたくらいの「難所」で、では滋賀県側はというと競合施設が雨後のタケノコ状態、と詰んだ状態でした。
ちなみに「大渋滞」はここと真鶴道路の小田原の早川口に「休日午後大渋滞」と書かれていたくらいしかないという希少価値のャCントでした。


(堅田駅前の看板)

上でイベントを律儀に、と書きましたが、堅田駅前のバス乗り場には「ピエリ守山へは路線バスが便利だよ!」という看板がきれいな状態で立っており、律儀にメンテされていたのです。
そして守山駅′・c駅を結ぶ「びわ湖横断エコバス」の宣伝には、1日フリー乗車券の特典にピエリ守山が入っており、「チラシが店頭に貼ってある店のみ特典あり」ときちんと対応していました。


(エコバスの宣伝)

ただ、4店のうち何店が対応していたかは不明ですが。堅田の駅前には平和堂の大きめの店舗もあり、わざわざ大橋を渡る意味があまり無いのですが、それでも律儀です。


(4店舗のうち何店が...)

バス便は守山駅行きと佐川美術館行きをあわせて毎時1~2本といったところ。
琵琶湖大橋を渡り切った琵琶湖大橋東詰バス停が最寄りでしたが、有料道路に面して駐車場が広がるピエリの本館に向かう道路へのアクセスが悪く、堅田発は無駄なく行けますが、堅田行きは少し守山寄りの交差点まで行かないと道路が渡れず、公共交通利用をあまり考慮していません。まあ全盛期はバスが立ち寄っていたのかも知れませんが。


(有料道路とのランプ)

有料道路、そしてそれに直交する主要道の両方から駐車場にアクセスできますが、両方の道路の駐車場から見て反対車線となる車線とのアクセスはオーバーパスになっており、インターチェンジ仕立てです。
全盛期はそうしないと渋滞が懸念されたんでしょうが、今となってはさらに悲哀を感じさせました。


(主要道からのランプ)

それでも駐車場にはクルマの姿が見え、本館には4つどころかもっと、そして有名どころの店舗の看板があり、なんだ、新スャ塔Tーも決まって盛り返したのか、と思いきや、外す予算も無くてそのままということでした。


(看板はそのまま)

で、館内ですが、ネットで拡散して有名になったことをさすがに気にしているのか、館内全面撮影禁止となっており、ャXターがあちこちに貼られ、館内放送ももっぱらそれだけです。


(館内撮影禁止)

その館内、入って見て驚きました。「廃墟」と言うからにはもっと荒んだ空気を想像していたのに、綺麗なんです。普通のSCなんですよ。ただ店が開いていないだけで。閉店した店舗も普通にシャッターなどを閉めた状態で、がらんどうとか、板で目張り、ということもありません。
なんでしょう、「地下食品売り場以外は20時閉店」のスーパーで、出口のある階でそのフロアの閉店後に通るような感じなんです。


(有料道路側の入口付近)

エスカレーターも動いており、時間がきたら店舗が開くのでは、と思える雰囲気です。そう、「廃墟」というよりも「冬眠中」なのです。

1階ホールにはネットで有名になったクリスマスツリーがありましたが、結局あれは撮影アングルですね。空間はそれほど広くなく、現物はそんなに侘しく見えません。その前に見てきた関空2タミのツリーの方が侘しかったです。


(関空2タミのほうが...)

残された4店舗はどんな感じ、というところですが、意外なことに残存者利益を享受していたのかもしれません。2階のカフェは琵琶湖を一望するロケーションで、昼下がりにカレーを食べましたが、その時点で5人ほど客がおり、その後も入れ替わり立ち替わりで30分もいない滞在中に10人は来店していました。


(それでもクルマがいますね)

ペットショップも固定客がいるようでそれなりに人がおり、さらに廃墟マニアなど「観光客」もいるわけで、4店しか営業していないのになんだかんだで30人から50人は館内にいたでしょうか。
私は言いつけ通り館内での写真撮影は控えましたが、無視して撮影している人も少なくなかったです。運営会社の気持ちも分かりますが、開き直って営業を継続しているのなら、どんな形でも客は客ですから、廃墟間に相手に少しでも売り上げを上げる、写真撮影大歓迎、というくらいの開き直りでも良かったのでは。

バスの時間もあるので1時間ほどで帰りましたが、「立入禁止」の薄暗い廃墟ではなく、全面オープンしているけど店舗が無い、という明るい廃墟は前代未聞であり、おそらく空前絶後の存在になるでしょう。
なんかミステリーもので、異次元空間に迷い込んだ、そんな感じでした。


(目の前の琵琶湖には桟橋もあった)

ちなみに上述の通り大回りして戻ったバス停でバスを待ちましたが、守山発のバスは10分以上遅れて到着。目の前の道は空いており、守山市内で何かあったのかは分かりませんが、湖西線に乗り遅れてしまい、最後にミソを付けました。




先端なのに古典的な雰囲気も

2014-03-02 11:20:00 | 時事
ビットコインの大手取引所の破綻がニュースになりましたが、何とも分からない話です。
コインに履歴が付いている、というのに、「盗まれた」コインはどうやって「正規の」履歴を上書き出来るのか。それが可能であればビットコインというシステムそのものの問題ですが、そうではない、という説明が出ているのはなぜか。

そもそも「取引所」になぜコインがあるのか。それだけ巨額のコインが「消失」したとして、そのコインの取引はどういう形態だったのか。コインの売り主がいて、現実の通貨で買主が購入するのであれば、取引所を通過するだけです。そこで履歴が書き変わるとしても、記帳とその管理は誰がしているのか。

自己勘定でコインを顧客に販売した、あるいはコインを販売したが、「預かり」と称して取引所名義のままにしていたか。

とっても優れた最先端の便利なシステム、とIT関係者や著名人はこれまで称賛していましたが、破綻という現実世界での事実だけをみると、前者は実態の無い権利を売りつけてドロン、後者は金の預かり証商法、というある意味古典的な経済犯罪との類似性が見えてくるわけです。

電子マネーもそうですが、私鋳銭に限りなく近い支払手段をきちんと規制というか統制する必要があります。
グローバルだとかITだとか言って誤魔化されてはいけません。
電子マネーは発行済み(チャージ済み)残高から決済済み残高を引いた未使用残高の50%以上の保証金を保護された状態で積む事が要求されており、かつ現実通貨への再交換は出来ません。つまり、一種の前払いという整理ですが、今回のビットコインのようなケースは通貨そのものに限りなく近いです。

便利だから、というような脳天気な擁護ではなく、通貨の発行権限は誰のものか、という「現実社会のルール」は不条理でも守らないといけない、という原理原則に立ち返れば、このシステムはどうあるべきか、という結論は自ずから見えてきます。

まあ、例えばどこかの国がビットコインを通貨として採用し、各種制度を整備すれば分かりませんけどね。
米ドルも使えます、というのと同じになりますから。