Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

表現の制約

2014-03-13 00:31:00 | ノンジャンル
公の場で用いられる表現は、偏見や差別を排除した表現であるべき、といういわゆる「ャ潟eィカルコレクト」(PC)の運動は良くも悪くも定着していますが、公人私人を問わず公の場で不用意な発言をしなくなったという効果の反面、必要以上に萎縮した表現になってしまう悪影響も出ています。

本来はその場面場面で考えるべき話なんですが、我が国においてはいわゆる「言葉狩り」として特定の用語、表現を一切使わない、という動きとなって現れ、近年になってその「行き過ぎ」が公に語られるようになるまでは、何が問題なのかも言わないままに謝罪する、と言うある意味不思議な光景が繰り返されていました。

我が国においては形式論を優先した格好になったため、PC的なコードに抵触する言葉はその真意を問わずに「狩られる」反面、PC的なコードに抵触する意味を持つ表現が「言い換え」で流布すると言った本末転唐ネ事態がまかり通っていました。

つまり、一見当たり障りが無い表現であっても「問題」表現であることもあれば、一見問題に見えながら、PC的なコードに抵触する意図が全く無い表現もあるわけです。
そこを機械的に判断してきたうえに、拡大解釈、類推適用を繰り返すことで、何でこの表現が、と言うような事態になっていたのが我が国の状況です。

表現者の意図、趣獅m認することなく機械的に判断することがいかに愚かしいことか。かつて高名な作家が機械的な「言葉狩り」に遭って「断筆宣言」を出したことがありましたが、一方で同音異義語や音読み、訓読みの読み替えなどを駆使して当たり障りの無い表現を装った偏見や差別を目的とした表現がお咎めなし、というのでは、何のためのPCか、と言う話になりますし、ますます機械的な「言葉狩り」が意味や実効性を欠いた格好で拡大します。

かつて我が国であった「言葉狩り」についてはメディアによる「自主規制」という名の暴走だったという評価が確定しており、今では当時のような趣獅竄墲ク表現が許されない、というような取り扱いは姿を消しています。

しかし一方で、PCは完全に正しく運用されているようになったとも言い難いわけです。そして「言葉狩り」のような運用が復活してもおかしくない動きも見えるわけです。
もちろん偏見や差別を目的とした表現を肯定することは出来ませんが、表現を制約すると言うことは精神的自由権の根幹にかかわるだけに、その運用は厳格かつ慎重であるべきです。
そう、表現そのものを許さないと言う、表現の世界における「極刑」を招くのですから。


不可解な「生活バス」

2014-03-13 00:30:00 | 交通
3月10日の朝日千葉版は、千葉県の高額鉄道の二大巨頭である東葉高速と北総にまつわる話題を掲載しました。東葉の方は4月の運賃改定に併せて通学定期を値下げすると言う話で、北総は鉄道の話題ではなく例の「北総線対抗バス」の話です。

高額鉄道の話題として並べたんでしょうが、似て非なる話ですね。苦しい時に必死に自治体が増資して支え続けている東葉は、自治体がさらに値下げの原資を出して「普通の」鉄道会社並みの通学定期代になるのに、北総のほうは苦しいときは京成に全部資金を出させて、経営が好転したら経営権をよこせと自治体筋が公言したり、単年度損益が黒字だから値下げしろ、と2015年度からの補助金引き揚げをちらつかせており、2010年から続く値下げの継続がピンチの状態です。

何度も繰り返しになりますが、苦しい時に沿線自治体がどう対応したかという意味ではこの両線は対照的です。確かに北総は単年度黒字で債務超過を脱出しましたが、未だ約230億円の累損を抱え、解消まで7年から9年はかかる感じです。
さらに有利子負債が約880億円。1.0を切って一人前、安定経営と言われるDEレシオは50倍を超えていますが、これで自助努力で値下げ余力があるというのはどういう判断なんでしょう。

今の北総の状態は、家のローンを抱えているうえに収入が厳しく、毎年蓄えを取り崩していたのが、ようやく取り崩さなくて済むようになっただけ、ローンの返済の苦しさも続いているのに、外食しよう、お金を使おう、と脛を齧っているようなものです。

ちなみに2013年10月24日にリリースされた「平成21年合意スキームの継続による現行運賃水準の維持について」という「北総鉄道運賃問題対策協議会」への回答書を見ますと、北総鉄道の自助努力で値下げ可能としている前提が、将来予測が2012年度の収支横這いだとか、キャッシュ項目(リース料)を非キャッシュ項目としてフリーキャッシュフローに織り込むとか、数字の作り込み自体が杜撰だと言う厳しい批判が企業の公式文書に並んでいるわけで、それを前提にあれこれ言うのも本来憚られるものといえますし、逆に言えばそんなレベルの申し入れを印西、白井の両市(の市長がトップを務める団体)が公式に行ってしまったということは、両市の財務に関する素養、資質に強い疑念を持たせるに足るものです。

さて、「北総線対抗バス」ですが、メディアが肩入れして、「住民主導で素晴らしい」と持ち上げる向きも少なくないのですが、運行事業者の役員が地域公共交通会議の承認を受ける必要がある、と記事で語っているわけで、必要な審議すら経ていないわけです。

実は運行事業者が6台のバスを用意すれば無問題とはいえ、現行の計画でも2台での運行で1日400人の利用で採算が取れるという事業者側のコメントを考えれば(試験運行時には1日6便で30人台の利用だった)、仮に地域公共交通会議の承認を得たとしても厳しいでしょう。

それにしても必要なステップを経ているかも怪しい段階で明日にでも走り出すような書き振りというのはどうなのか。メディアの地方記事にありがちな、地方支局と「市民団体」が二人三脚で行政などに「圧力」をかけているようにも見えます。

はっきり言えば「北総線の運賃が高いから使いたくない」と言う理由での運行であり、交通不便地域での住民主導の取り組みと同一視する「識者」や「意識の高い人」の評価には違和感を覚えます。
拙サイトでも記事にしている神戸市東灘区住吉台の「くるくるバス」や、愛知県小牧市桃花台の「桃花台バス」と同列視して、「住民主導の素晴らしい取り組み」と賞賛できるのか。「300段階段」に代表される高低差が外出を阻んでいた住吉台や、名古屋市への流動がメインの住民に対し、名古屋へのアクセスとしては最寄りのはずのJR高蔵寺駅へのバス路線が無いに等しく、ピーチライナーで小牧駅に出て、名鉄小牧線で上飯田駅に出て、都心へのバスか、地下鉄平安通駅まで歩くという信じ難いアクセスが「メインルート」だった桃花台から見たら、「運賃が高いのがイヤ」という理由で鉄道に完全並行する路線が欲しい、という今回の取り組みを同列視したら失礼でしょう。

法令の不備で鉄道に対するクリームスキミング的路線の設定については会議体での審議対象外なのですが、制度趣獅ゥら言えば完全並行する北総鉄道に対するダンピングであり、北総鉄道の出資者である自治体が承認票を投じることは「背任」に類する行為になります。

リダンダンシーを理由に挙げて評価する人もいますが、鉄道が上記のような経営状況で完全並行路線を用意する必要性はあるのか。交通手段の多様性を謳うのであれば、経営が必ずしも楽ではない地域バス路線への支援がまずあるべきでしょう。千葉ニュータウン中央駅からは八千代緑が丘駅、津田沼駅、木下駅への路線バスがありますが、リダンダンシーという意味ではこちらのバス路線を維持するほうが有効です。

前に掲示板に書きましたが、そもそもこのバスが出来ても、本当の目的である「高い移動コストの解消」になるかが疑わしいのです。都心方向で新鎌ヶ谷と千葉ニュータウン中央の運賃格差<新鎌ヶ谷までの鉄道とバスの運賃格差ですから、バスに乗ったほうが高いのです。
新鎌ヶ谷から船橋や津田沼、松戸や柏へ向かう場合は鉄道とバスの運賃格差分だけ安くなりますが、さらに都内方向だと乗り換えを2度3度と繰り返したうえに運賃格差は縮小に向かいます。

だいたい、周辺部から集客している商業集積がある千葉ニュータウン地区に背を向けて、新鎌ヶ谷などに向かうインセンティブも少ないことを考えると、はっきり言えば、「値下げをしない北総線がケシカランから使いたくない」という「クリームスキミング」にもならない感情論に基づくバスということを踏まえた評価をしたいものです。

最後に、どうしても理解できないのが、この「事業」がどう成立するのか、ということ。
とやかく言いましたが、バスの運行は自由です。会議体の承認が無くても事業者が6台用意すれば可能ですから。

しかし、事業としてやるからには「成算」がないといけません。バスの運行は平日だけ。通勤利用でわざわざ遅いバスを選択する意味は無いですから、どういう収支計算なのか。事業者は路線バスを購入すると言っていますが、その設備投資が回収できるのか。
そう、事業として成立する可能性が低いのに4条路線バスの許可は出るのか。事業者の設備投資の意思決定は株主に損害を与えないといえるのか。(まあオーナー企業でしょうが...)

まさかスャ塔Tーつきで北総鉄道への「嫌がらせ」を採算度外視でしているのでは無いと信じたいですが、現実はそう取られてもおかしくないくらい、不可解な点が山盛りと言えます。