Straphangers’ Room2022

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知的「財産」の視点で見る例の騒動

2014-03-16 12:36:00 | ノンジャンル
東芝の半導体研究データが韓国メーカーに流出した事件ですが、知財を巡る暗闘という意味では氷山の一角でしょう。そして研究者を含めて労働分配率を削り続けることで業績が上がったとしてきた経済界の問題点が「またも」露呈したと言うところです。

交通の世界でもバス業界がその「最先端」を行ってしまっており、満足な給与を出さないから労働時間で収入を確保する方向に走って重大事故を起こすとか、同業他社どころか異業種の求人条件が好転すると人材確保もままならず減便せざるを得ないとか、末期的な状況です。

産業スパイ事件では会社への忠誠心が話題になるのですが、そもそも忠誠心というのは一方的な義務ではないのです。国士様御用達新聞あたりはやれ愛国心だなんだと国民に義務だけあるように説きますが、我が国においてはそもそも「御恩と奉公」という概念があるわけで、今の産業界や国士様御用達新聞の考えている「奉公だけしろ」ではないのです。そう言う意味では我が国の伝統文化を重んじて、という国士様御用達新聞は二枚舌もいいところですね。

さて、この事件を見て気になったのは、例のSTAP細胞を巡る「騒動」です。
画像やコピペ問題で論文の取り下げが必至の様相ですが、論文の書き方、あり方に対する批判の影で、「STAP細胞」そのものがお留守になっていないか、ということです。

STAP細胞自体が「虚構」で空想の産物であればまだしも、存在する、あるいは現時点では確認できなくとも概念としての実在に疑いが無いのであれば、その製造方法などはまさに「知財」に属する部分です。

そこに対する保護をきちんとしているのか。はっきり言ってしまえば、研究開発の「お作法」もそりゃ大事ですが、その成果物の方がもっと大事です。世の中の研究開発はなぜ盛んなのか。学者や研究者の満足のためだけにこれだけの人材や資源を割いているのでは無いということは自明の話です。

今回の一連の批判の中で気になったのは、「再現できないので詳細な手法を公開しろ」というものです。
学者の世界ではそれが当たり前なのかは分かりませんが、企業の研究開発ではそんなバカな話はありません。知財のキモの部分をなんで公開するのか。逆に学者の世界とは距離を置いている企業人の目から見ると、今回の騒動は知財に対する学者の考え方のユニークさすら見えてくるのです。

これも韓国メーカーによる産業スパイ事件ですが、新日鉄(当時)の電磁鵠ツの技術が韓国メーカーに流出した際、新日鉄が技術の核心部分を特許で保護していなかった事への批判が一部にありました。
しかし特許というのは公に出願するものであり、技術を公開するに等しいのです。知財に対する法制度が確立しており、他社の知財を不正利用したら巨額の賠償金を支払うという事が歯止めになる国だけではないため、パクリまくって市場を荒らされてしまうリスクや、ヒントだけ得て違う技術で実現されてしまうリスクを考えたら、本当に重要な技術は特許の出願はしないで、あくまで企業秘密として厳秘とするのが一般的です。

世間一般ではそこまでしている中で、詳細な手法の公開を求める、また一部メディアもそれに賛同しているというのはどういうことなのか。
それで学者や研究者の名誉は守られるかもしれませんが、本来宝の山になる可能性が高い研究成果がオープン情報になってしまい、経済的価値としてはゼロになる可能性だってあるのです。
研究開発が「趣味」の域であればそれでもいいでしょうし、人類の共通財産とするためです、という崇高な理想で活動していて、それを十分理解して資金を提供しているのであればいいでしょうが、そこまで割り切っていないのであれば、研究開発の成果に対する保護はまず念頭に置くべきなのです。

一番懸念しているのは、今回の騒動のほとぼりが冷めた頃に、どこかの国で同じ成果が発表され、技術もしっかり囲い込まれることです。万能細胞を簡単に作る、ということは、経済効果に優れているということであり、宝の山になる可能性が高いのです。

そうした経済的な視点で見ると、技術の公開要求、さらにはここまで寄ってたかって批判して論文を撤回させる(=第一発見者の権利を喪失させる)動きというものも非常に生臭く見えてくるのです。