Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

ジャーナル2012年8月号

2012-07-24 01:02:00 | 書評
完全に月遅れになりましたが、8月号の書評です。

特集は学園都市線電化をキーにした札幌の通勤電車。
近代的な高架複線を51型客車くずれのPDCが闊歩するという奇景も6月から電化され、10月には完全電車化で終了するのですが、この機会を逃せば特集されるかどうかも怪しい学園都市線(札沼線)がメインと言う、これもある意味異色な特集です。


(PDCが闊歩する:新琴似にて。2011年)

札幌近郊の各駅探訪と合わせて、普段あまり取り上げられない視点での特集なので読みごたえがありました。ただ、強いて言えばJRがメインなので地下鉄などへの言及が薄く、決して軽くはないバス交通が事実上オミットでは地域の交通と言う意味では一部をなぞったにすぎません。

「通勤電車」ということでやはりロングシート礼賛がお約束ですが、仙台地区での701系からE721系へのクロスシート回帰を踏まえたらどう評価すべきか。混雑を考えると、ロングシートで詰め込みの対応になびきたくなるのでしょうが、快速「エアメ[ト」でも混雑が著しいという現状は、輸送力不足そのものであり、それを詰め込みで対応するというのは数年前の留萌本線での「濡れ衣」積み残し事件とその後の対応と相似形です。

ロングシートを正当化する基準もどんどん甘くなっており、今号ではロングシートでも構わない乗車時間が30分を超えてきました。
札樽間のように観光需要が少なくないところに詰め込み主義では、本来定時性、速達性とも劣る高速バスに一定のシェアを残すことになるでしょう。
要は混雑時の遅延対策と言う意味ではデッキ付と言う問題「だけ」をまず除去すればよかったのであり、721系8次車のようにデッキ無し転クロという選択肢がなぜ取れないんでしょうね。


(721系8次車。2011年)

近郊駅乗り歩きについては、銭函で張碓海岸の断崖を越えたここまでが小樽市と言う「怪」も解説してほしかったですし、銭函とセットでほしみ止まりへの言及も、ほしみ開業前は星置発着(ただし銭函中線折り返し)と、銭函で折り返すが制約上1つ手前まで、と言う機械的延長をもっと強調して見てはどうだったか。
江別の寂れっぷりにしても、元急行停車駅と言いながら、そもそも「かむい」と夜行急行だけ停車という中途半端な状態でした。
あとは新千歳空港の観察はよく見ている印象ですが、Kitakaを前面に押し出すのはステマっぽいですね。東京から取材できたんだったらSuicaを持ってるでしょうから、わざわざカードを購入せずとも、手持ちのSuicaで乗れますから。

吉見氏の「札幌都市圏の交通」は地元北大大学院の教授らしい視点ですが、やはりというか軌道系への過度の評価もあるわけで、LRT構想への過分な期待と、道路整備へのネガティブ評価はいただけません。それと、新千歳のハブ化については、トランジット需要だけで賄えない限り、新千歳発着の国際線、それもビジネスクラス以上の需要がしっかり根付いていないといけませんが、観光需要だけでは話になりません。

ちなみに紹介事例の中の地下鉄福住駅の交通広場設置計画ですが、同駅にはもともと立派なバスターミナルがあり、地域・気候上の問題から内地のような交通広場でなく、密閉型のバスターミナルでの対応が主流の札幌都市圏において、何をしたいのでしょうか。


(地下鉄駅直結の福住バスターミナル。2011年)

そして結論での一極集中への反論ですが、北海道だけでなく北東アジア全体で見よ、と言うのは開き直りでしょう。その伝で行くと、東京だって世界全体で見たら、と一極集中のさらなる進行を肯定できますし。

特集以外はまずお馴染みの曽根教授による「鉄道技術のあり方を問う」ですが、技術論もさることながら、サービスの画一化、高速性能の追求低下への厳しい批判が目立ちます。
要は経営第一の「安全運転」と技術進歩、サービス向上が二律背反の関係にあることに他ならないのですが、鉄道が使われているとはいえ、通勤や用務利用がメインで積極的選択に見えないことに危機感を感じているわけです。

新幹線については経済性を重視した700系批判がメインですが、500系に押し付けた座席数の縛りにしても、300系以降の新しいルールに他ならないわけで、こうした一時点を基準にするということは、それ以降のイノベーションの放棄に容易につながるわけで、ホームドアの導入が下手をしたら1944年の63系のドア位置で将来も固定化してしまうようなものでしょう。

次いでのと鉄道能登線。2005年の廃止区間の訪問ですが、個々の列車を見たら2連、3連としっかり利用がついていたのに廃線の憂き目と言うまさかの結末を迎えた路線です。


(縄文真脇駅。2004年)

結局、七尾線区間も含めて金沢からのアプローチが乗り換えてさらにフィーダーにと言う面唐ュささが先に立つことと、地道に侵食している北鉄バスの特急バスがそれなりに整備されていることも理由にあるはずですが、そう言った考察はしていないようです。


(帰りは宇出津・真脇特急バスで金沢まで2時間20分。2004年)

最後に、悪文で読む気もしない「日本縦断ローカル線」ですが、観光列車「いさぶろう」「しんぺい」の紹介も良いんですが、「普通列車」ですから地元利用も少ないですがあるはずです。文中では「時たまある」と言う乗務員の弁を紹介していましたが、指定券がないと木のベンチシートにご案内、ということに何の疑問も抱いていないのはどうなんでしょうね。


(簡易お座敷車になっていた「いさぶろう」 1999年)

これってJR九州の観光列車施策の一番の歪みが出ているシーンだと思うんですが。
同名の列車がキハ31で設定されていた時は、一般列車を観光仕立てにしただけで、そういった弊害もなかったんですけどね。


備える気無ければ憂いのみ

2012-07-24 00:19:00 | 時事
先日の三連休最終日の深夜に、練馬駐屯地の陸自部隊が災害派遣の訓練として都内各区役所への移動と現地での設営訓練を行ったのですが、軍事行動はケシカラン、と言ういつものアレルギー(オスプレイ反対デモも結局これなんですよね)が発症した勢力に拠る反対運動を左派系メディアは大写しにしていました。

阪神大震災の時に自衛隊との連携が初動段階で取れていなかった教訓から16年、東日本大震災の時には自治体と自衛隊の連携がきちんと取れており、様々な場面での自衛隊の活動に賞賛の声こそあれ、批判するような胡乱な人は見ませんでしたが、震災の危機が迫ると言われながらも我が事に思えないのか、このような能天気な行動に出る勢力や、それを肯定するが如きメディアは、災害発生時にまさか自衛隊を頼らないでしょうね。

さて、この訓練の際に区役所側の協力が得られなかった区が11もあったと産経が報じたところ、事実に反する、と抗議した区がいくつかありました。産経らしい勇み足(誤報)と言えばそれまでですが、NHKなどが当日報じた際にも、三連休で?担当者がいないから、という理由で区役所に入れなかったとか、区側の担当者がおらず、自衛隊が勝手に設営などの訓練を行ったと言う話があったのは事実であり、全部が誤報と言うわけではないです。

ただ自衛隊が訓練を行うのに私服や儀礼用の制服で出動するわけがなく、迷彩服がダメならどうしたらいいんでしょうか。東日本大震災の現場で、私服や制服で泥まみれになって活動していたのならまだしも、あの場所でどういう服装だったかを考えれば、「迷彩服が」という批判に対し「訓練なんだから迷彩服を着ていなきゃおかしいですよね」とキャスターがコメントするくらいでないと。反政府、親サヨクの論調の時には必要もないコメントを乱発するくせに。

まあアレルギーというかヒステリーを起こす勢力はともかくとして、今回の訓練で判明した問題点は、事前に通告した訓練なのに自治体側が真剣に捉えていなかったことに尽きます。
本当の災害時には真面目にやります、というのでしょうが、訓練一つ真面目にできない体制で、その場その場で即決の対応が求められる「現場」がこなせるわけがありません。

2005年7月、千葉県北西部を震源とする地震で都内で震度5弱を記録しましたが、その際に非常時即応要員として都庁周辺に居住しているはずの都職員が、無届けで外出しているなどの状況で、期待通りに集合しなかったという先例がありますが、今回の区役所も、「三連休なのにうっとうしい」とでも思ったんでしょうか。訓練を真面目に取り合わない状況であれば、2005年の都職員のように、有事でも機能しない危険性が高いです。

もう一つ、あの訓練から学ぶべきこととして、練馬駐屯地から板橋区役所まで2時間、北区役所まで3時間もかかったということ。伝令レベルの隊列なのに5kmないし6kmの行程にこれだけの時間がかかるのです。

家屋の悼竕ホ災の発生などを考えると、通れるルートが限定されるわけで、そうなれば行程はさらに伸びるため、初動としての各自治体における司令塔機能の構築まで半日近くかかります。
そこから部隊の展開を考えると、災害発生から救命可能性が急激に下がる72時間の壁までの余裕はあまりないわけで、そうした状況であるという認識があれば、訓練といえども疎かにできませんし、我々もまたある程度の「覚悟」が必要です。


節電は脱原発目的か?

2012-07-24 00:10:00 | 時事
梅雨明けとともに猛暑の夏となりましたが、電力需要に対する供給はギリギリのところで何とか回っています。再稼動に伴って火発の停止を行う、という発表に、再稼動は不要、と騒ぐ向きもいるようですが、無理やりの連続フル稼働で軽微な点検すら出来ない状況ですから、夏本番を迎える前にいったん休ませて点検することで、トラブルを防止しないといけません。現状のフル稼働はそうしたローテーション余力を無視したものであり、本来ありえない操業体制ということが分かっていません。

発電側の努力とともに、消費側の節電により需給が何とか回っているのですが、その状況を「悪用」する動きには辟易です。
節電意識の定着は脱原発への意思表示だ、と勝手に節電を解釈している24日の朝日朝刊の記事はその典型でしょう。

もちろんそういう人もいるでしょうが、それが国民の総意のように看做すのはいかがなものか。
電力が足りなければ命に関わる、経済が破綻する、という意識で節電に協力することはあっても、最初から脱原発のために原発見合いの発電量を不要とすべく節電してます、と言う人がいったいどれだけいるのか。

原発が再稼動するまでの辛抱だ、という認識で節電に協力している人もいるわけで、そうした人の努力を脱原発、反原発の肯定に使うというのは「人のふんどしで相撲を取る」どころの話でない卑劣な行為です。

「たかが電気」といえるような浮世離れした人やお花畑系の人と違い、電力不足が生活や経済に与える影響を真剣に心配しているのです。そしてこの電力不足の状態が恒常化して、需給バランスが縮小均衡することを良しとしていないのです。

24日のNHKニュースはトヨタがこれまで国内生産に拘っていた高級車ブランドの生産を一部カナダの現地工場にシフトすると報じましたが、メーカーの中でも国内生産に拘っていたほうであるトヨタがシンボル的なブランドまで海外生産シフトを打ち出したことの意味を考えるべきです。

電力の心配をしなくて良くなれば回復する、と信じていたのに、脱原発するからずっと節電しましょう、では景気回復は永遠に来ません。