7月に入りいよいよ「節電の夏」がはじまりました。
関電管内は大飯再稼動が決まり、節電目標が緩和されましたが、周辺電力会社管内の融通を織り込んでおり、そちらに節電目標を課すというしわ寄せを残しての緩和ですから、正味ではまだ緩和するに至らないといえます。
初日から姫路の火発がトラブルを起こしていきなり余裕が減少しましたが、こうしたトラブルを織り込んでの「余裕」ということが分かっていないから、90数%でも足りると言ってのけるわけです。それならまだしも、姫路第二のトラブルを捉えて「再稼動を正当化するためにわざと...」と、前の「停電テロ」にも等しい無礼千万な主張まで出てくるのですから酷い話です。
昨年から原発停止により火発など原発以外の電源に最大限の負荷をかけて、しかも最低限の定検しかしていないのですから、今後夏本番を迎え、最大負荷の運転が続くとこうしたトラブルが続出する恐れがでてくる可能性がありますし、そういうリスクがあることを指摘してきたわけです。
さて、昨夏の節電は震災による損壊からの復旧が間に合わないという物理的要因があり、復旧すれば手の付けようのない福島第一はともかくとして電源のラインナップはフル出場するので、もうこんな厳しい節電はしなくて済む、というコンセンサスがありました。
その前提での無理な節電ゆえ乗り切れたということを悪用し、「やれば出来る」に摩り替えて、脱原発でも大丈夫、と法的根拠なき原発停止を正当化しているわけです。
物理的な電源不足がある東電が採算、コスト度外視で電源を確保しましたが、ここはもともと柏崎刈羽原発が停止しているだけに、福島第一、第二の分を補えば済むという特殊事情もあり、それが可能でした。しかも燃料費コストの転嫁を先送りしているので(値上げできなければ東電の経営が傾き、大株主の国が損害を被る=税金で負担するので、最終的にはツケが回ってくる)、管内の市民に危機感がないのも問題です。
本来あってはならない無理な節電を事実上強制させられていますが、そのお先棒をメディアが担いでいます。こうした洗脳とも言うべき節電ネタの垂れ流しを見ると、まさに「夏の風物詩」じゃないですが、あの戦争を思い出すのです。
そう、資源不足に対して、国民生活に最大限のしわ寄せをして無理を重ねてきたあの頃。
「欲しがりません勝つまでは」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」
政府よりもメディアや住民組織が煽ってきたあの日が蘇る感じですが、日頃「軍靴の響きがぁ」と半狂乱になって騒ぐメディアが、戦中戦前と同じことをしているのですから始末に終えません。
先日のニュースショーにでていた、節電対応として涼しげな髪型に、という理髪店の話題も、これだって「あの頃」にも同じことをしていたのを忘れたのでしょうか。
「パーマネントは止めましょう」
というスローガンは有名ですが、男性も、手入れが簡単な刈り上げタイプの髪型を「翼賛型」として推奨していました。(「翼賛」とは言わずもがなですが「大政翼賛会」)
ネットで「ぐんくつの響き」と揶揄されても「あの日」を否定して平和を貫く、というのならまだしも、結局は自分と同じベクトルなら「あの日」に簡単に帰るようです。
関電管内は大飯再稼動が決まり、節電目標が緩和されましたが、周辺電力会社管内の融通を織り込んでおり、そちらに節電目標を課すというしわ寄せを残しての緩和ですから、正味ではまだ緩和するに至らないといえます。
初日から姫路の火発がトラブルを起こしていきなり余裕が減少しましたが、こうしたトラブルを織り込んでの「余裕」ということが分かっていないから、90数%でも足りると言ってのけるわけです。それならまだしも、姫路第二のトラブルを捉えて「再稼動を正当化するためにわざと...」と、前の「停電テロ」にも等しい無礼千万な主張まで出てくるのですから酷い話です。
昨年から原発停止により火発など原発以外の電源に最大限の負荷をかけて、しかも最低限の定検しかしていないのですから、今後夏本番を迎え、最大負荷の運転が続くとこうしたトラブルが続出する恐れがでてくる可能性がありますし、そういうリスクがあることを指摘してきたわけです。
さて、昨夏の節電は震災による損壊からの復旧が間に合わないという物理的要因があり、復旧すれば手の付けようのない福島第一はともかくとして電源のラインナップはフル出場するので、もうこんな厳しい節電はしなくて済む、というコンセンサスがありました。
その前提での無理な節電ゆえ乗り切れたということを悪用し、「やれば出来る」に摩り替えて、脱原発でも大丈夫、と法的根拠なき原発停止を正当化しているわけです。
物理的な電源不足がある東電が採算、コスト度外視で電源を確保しましたが、ここはもともと柏崎刈羽原発が停止しているだけに、福島第一、第二の分を補えば済むという特殊事情もあり、それが可能でした。しかも燃料費コストの転嫁を先送りしているので(値上げできなければ東電の経営が傾き、大株主の国が損害を被る=税金で負担するので、最終的にはツケが回ってくる)、管内の市民に危機感がないのも問題です。
本来あってはならない無理な節電を事実上強制させられていますが、そのお先棒をメディアが担いでいます。こうした洗脳とも言うべき節電ネタの垂れ流しを見ると、まさに「夏の風物詩」じゃないですが、あの戦争を思い出すのです。
そう、資源不足に対して、国民生活に最大限のしわ寄せをして無理を重ねてきたあの頃。
「欲しがりません勝つまでは」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」
政府よりもメディアや住民組織が煽ってきたあの日が蘇る感じですが、日頃「軍靴の響きがぁ」と半狂乱になって騒ぐメディアが、戦中戦前と同じことをしているのですから始末に終えません。
先日のニュースショーにでていた、節電対応として涼しげな髪型に、という理髪店の話題も、これだって「あの頃」にも同じことをしていたのを忘れたのでしょうか。
「パーマネントは止めましょう」
というスローガンは有名ですが、男性も、手入れが簡単な刈り上げタイプの髪型を「翼賛型」として推奨していました。(「翼賛」とは言わずもがなですが「大政翼賛会」)
ネットで「ぐんくつの響き」と揶揄されても「あの日」を否定して平和を貫く、というのならまだしも、結局は自分と同じベクトルなら「あの日」に簡単に帰るようです。