Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

反原発が奏でる軍靴の響き

2012-07-04 21:20:00 | 時事
7月に入りいよいよ「節電の夏」がはじまりました。
関電管内は大飯再稼動が決まり、節電目標が緩和されましたが、周辺電力会社管内の融通を織り込んでおり、そちらに節電目標を課すというしわ寄せを残しての緩和ですから、正味ではまだ緩和するに至らないといえます。

初日から姫路の火発がトラブルを起こしていきなり余裕が減少しましたが、こうしたトラブルを織り込んでの「余裕」ということが分かっていないから、90数%でも足りると言ってのけるわけです。それならまだしも、姫路第二のトラブルを捉えて「再稼動を正当化するためにわざと...」と、前の「停電テロ」にも等しい無礼千万な主張まで出てくるのですから酷い話です。

昨年から原発停止により火発など原発以外の電源に最大限の負荷をかけて、しかも最低限の定検しかしていないのですから、今後夏本番を迎え、最大負荷の運転が続くとこうしたトラブルが続出する恐れがでてくる可能性がありますし、そういうリスクがあることを指摘してきたわけです。

さて、昨夏の節電は震災による損壊からの復旧が間に合わないという物理的要因があり、復旧すれば手の付けようのない福島第一はともかくとして電源のラインナップはフル出場するので、もうこんな厳しい節電はしなくて済む、というコンセンサスがありました。

その前提での無理な節電ゆえ乗り切れたということを悪用し、「やれば出来る」に摩り替えて、脱原発でも大丈夫、と法的根拠なき原発停止を正当化しているわけです。

物理的な電源不足がある東電が採算、コスト度外視で電源を確保しましたが、ここはもともと柏崎刈羽原発が停止しているだけに、福島第一、第二の分を補えば済むという特殊事情もあり、それが可能でした。しかも燃料費コストの転嫁を先送りしているので(値上げできなければ東電の経営が傾き、大株主の国が損害を被る=税金で負担するので、最終的にはツケが回ってくる)、管内の市民に危機感がないのも問題です。

本来あってはならない無理な節電を事実上強制させられていますが、そのお先棒をメディアが担いでいます。こうした洗脳とも言うべき節電ネタの垂れ流しを見ると、まさに「夏の風物詩」じゃないですが、あの戦争を思い出すのです。

そう、資源不足に対して、国民生活に最大限のしわ寄せをして無理を重ねてきたあの頃。
「欲しがりません勝つまでは」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」
政府よりもメディアや住民組織が煽ってきたあの日が蘇る感じですが、日頃「軍靴の響きがぁ」と半狂乱になって騒ぐメディアが、戦中戦前と同じことをしているのですから始末に終えません。

先日のニュースショーにでていた、節電対応として涼しげな髪型に、という理髪店の話題も、これだって「あの頃」にも同じことをしていたのを忘れたのでしょうか。
「パーマネントは止めましょう」
というスローガンは有名ですが、男性も、手入れが簡単な刈り上げタイプの髪型を「翼賛型」として推奨していました。(「翼賛」とは言わずもがなですが「大政翼賛会」)

ネットで「ぐんくつの響き」と揶揄されても「あの日」を否定して平和を貫く、というのならまだしも、結局は自分と同じベクトルなら「あの日」に簡単に帰るようです。


仕事は逃れて税金据置?

2012-07-04 21:17:00 | 時事
朝日朝刊で不定期連載されている「カオスの深淵」はグローバル化時代の国家像を論じていますが、足下の「立ちすくむ税金」は税金のあり方についてをテーマにしています。
4日のそれは千葉市の「行政サービス」が挙げられており、民家の蜂の巣駆除を行政が行うかどうかの議論が描かれています。

市が対応してくれない、とツィッターでつぶやいたら市長がフォローする、って政令市の市長はそこまで暇なのか、と言う突っ込みはさておき、自助、共助で出来ない部分を公助で行う、税金なんだから、と言う主張は一見正論です。

一方で行政が対応することで全体のコストは下がる、と言う主義で対応する松戸市の「すぐやる課」が対比されていますが、蜂の巣駆除のような個人の管理下に無く、個人の手に余り、状況次第では市民に被害も及ぶケースまで「民間任せ」というのは、市民の安全に関する分野の責任放棄ともいえるだけに、一概に首肯できません。民間の駆除業者だと金もかかるし、と自分で駆除したり、何もしなかったことで蜂に襲われて死んだり怪我をした時にかかる救急出動などの公費を考えたら、松戸市の選択も意味があるわけです。

さて、問題は暇な市長でも蜂の巣駆除でもなく、こうした「自助」「共助」頼みの風潮と税金の関係です。税金と言うのは謂れなく払うものではなく、国、都道府県、市町村といった公共に対し、その行政コストを負担する意味合いで支払っているわけです。
今回消費税の増税が決まりましたが、国の各種財政が借金漬けになっているのを改める、収支をバランスさせるために必要です、と言う理由付けがあるわけで、何も使い道がないのに徴収する謂れはありません。

逆の見方をすれば、税金を徴収する根拠がなくなれば税金は廃止するか下げるべきなんですが、道路特定財源の時のように、泥棒猫そのものの論理で徴収を継続するケースもあるので油断は出来ません。

今回のテーマもその問題があるわけで、「自助」「共助」を訴えて行政サービスを「削減」するのであれば、当然公務員の仕事は減り、支出は減るので税金を下げなければいけません。
例の生活保護にしてもそう。扶養義務者に「たかる」のであれば、義務者がいなければまるまる公共持ちだった支出を付け替えさせられているのですから、これは個人ベースで還付してもおかしくありません。

分かりやすい例を言えば、「3R」とか「エコ」とか言ってごみ収集の頻度は下がり、ごみの分別は家庭レベルで厳格に行わされていますが、これらはかつては行政側が手厚くやっていたことです。サービスレベルが下がるのであれば当然行政コストは下がる方向に働きますが、なぜか据え置きどころかごみ収集の有料化とか、値上げになるのはおかしいといえます。

行政サービスを理屈をこねて切り下げて税金は据え置き、というのは、実質「値上げ」なんですが、こうした提供側の切り詰めによる実質値上げ、つまり「増税」は、表面上は値上げになっていないので、議会の承認なども必要なく、行政のやりたい放題となっています。

この問題は交通の世界でもあるわけで、身近なところですと新京成が減便、減車でサービスレベルを大きく切り下げていますが、表面上の運賃は据え置きのため、監督官庁の認可も必要なく、会社都合で実施されてきています。

こうしたデフレ的な「実質値上げ」「実質増税」が許認可制度や租税法定主義の抜け道として横行していることが問題であり、どこかで歯止めをかけられないものか。独占企業や行政といった「逃げ」が効かない相手だけに、不満も募ります。



さて、4日の回では「前市長」の施策が招いた「損失」を誰が負担するのか、という論点もでています。市が前市長に請求すべきだ、という議会の決議もあるようですが、これはまさに前に述べた民主主義の責任の部分です。

市職員が勝手に損害を与えた、というようなケースは市に賠償する義務がありますが、市長が市の政策として行った行為について個人責任を負わせるのはやはり間違いです。
損害の原因が市の施策、つまり、市長が成立させた条例や専決事項であり、それは市議会、そして市長を選んだ市民が責任を負うべき事象です。
あれは市長が勝手に、と言う理屈は通りません。市民が選ばなければ市長にならなかったのですから。

ちなみにこうした主張が出てくるのは、ドイツが第二次大戦中の「悪行」を総てナチスの責任、としているのと似ているわけです。
クーデターで政権をとったイタリアのムッソリーニや、政党政治はあくまで慣習であり、原則は「大命降下」であった日本と違い、ナチスを選んだのはドイツ国民でした。社民党はおろか、共産党まで合法だった選挙で3度にわたり第1党になり、全権委任法を通して独裁権力を確立したのですが、その責任は有権者であるドイツ国民ではなくナチスだと言ってますから。

極端なことを言えば、ムッソリーニも東條英機も公平な選挙で選出されていませんが、ヒトラーだけは公平な選挙で選出されたのです。


信号で止まるからいいや?

2012-07-04 21:12:00 | 交通
篠ノ井線桑ノ原信号所の事故ですが、信号所場内の各信号機が正常に作動すれば衝突などの事故には至らないとはいえ、乗客を乗せた営業列車が絡んでおり、どの列車も進路を構成できない、もし今回の停止位置から進んだら衝突もしくは追突しかない限界にまで至ってしまったと言う意味では、最低でも「重大ヒヤリ」、事故といって差し支えない事象といえます。

ところがそう考えない人もいるようで、メディアによく顔を出す「鉄道ジャーナリスト」の梅原淳氏は自身のブログで、今回の事故を分かりやすく解説したまではいいのですが、このコメントはいかがなものか。

「JR東日本の担当者のミスを責めるのはたやすいが、実際に当事者となったとしたらなかなか気づかないだろう。単に絶対信号機が停止を現示しただけであるので重大インシデントというほどの案件でもないし、何よりも安全が確保されていた。当日、迷惑を被った利用者の皆様には恐縮だが、JR東日本には関係者への寛大な処分をお願いしたい。」

大甘にも程があるというか、メディアで持論を述べるような「公人」としては恥ずかしい安全認識でしょう。入ってはいけないところに機械が動いてしまった、でもストッパーがあるから大丈夫だからヒヤリにはカウントしません、なんて製造現場はありませんから。

いつぞやの豪雨のときのように詰まるのが必至の状態でどんどん列車を出した、というのならまだしも、正面に対向列車が来ることが自明の状態で列車を出した、というのはあってはならない事故ですよ。

信楽の時もそうでしたが、「ダイヤ」を軽視しすぎていないか。
あの時はダイヤ上は交換列車がいるはずなのにいなかった、つまり、対向列車が来ていない、いまいる信号所と次駅の間のどこにいるのか分からないというのに、信号が青を現示したから「進め」なので問題はなかった、と「専門家」が口を揃えていたわけです。

今回は雪隠詰めになる誤ったダイヤを引いてしまったけど、信号所の信号がブロックしてくれるから安全が確保されるので問題ない、と言う主張が見られるわけですが、ダイヤグラムによって運行されるシステムをサメ[トするのが信号機であり、そのダイヤグラム通りで無いことを確認せずに運行したり、運行不可能なダイヤグラムを組むという「ミス」「エラー」を信号があるからとスルーするのは妥当かどうか。

製造現場で、現場で毎日作業前に確認する作業手順を無視した、また作業手順が間違っていた、と言う状況で、フェイルセーフが働いたから問題なし、と言う結論はありません。作業標準違反や、作業標準の作成がまず問われます。

今回の事故については、寛大な処分ではなく、ダイヤを引いた責任と、それをカバーするシステムロジックが無いことを重く捉えるべき事象です。

ちなみに今回の事故ですが、桑ノ原構内の閉塞を工夫すれば回避できたことに気がつきました。
突込線→退避線の全体で1個列車しか入れないのを改め、先行列車が退避線まで移動したら後続列車が突込線まで入れるようになっていれば、下り普通電車は下り突込線に入り、上り回送列車は退避線と突込線に入った2個列車を交わして本線を進めました。