Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

善意が導く地獄への道

2012-06-04 22:33:00 | 時事
倹lの親族の生活保護受給問題はやはり「我が家に請求が来たでござるの巻」になりそうです。
自民党のPTが扶養義務の強化を謳う一方、消費税増税を悲願とする政権が、社会保障その他では自民党案を丸呑みすると言うバーター取引が確実視されており、今回の内閣改造はそのバーター取引での法案成立に向けた第一歩といえるからです。

扶養義務強化による「公助」の削減をどうしてもやりたい勢力があるんでしょうね。倹lの問題を未だに曲解してネットなどで広めている人の存在はその際たるものです。
また国民の側もまだ本質に気がついていないようで、今回明るみに出た2例では、後者のほうがより我々に与える影響が深刻なんですが、後者のほうが悪質と「勘違い」している人の多いこと。

この問題、一般論化するとどういうことか。
マンションをローンで購入している息子家族がいます。老親が病気になってそれまでの年金収入でやっていけなくなりましたが、家は狭く、ローンもきつく、同居する空間的余裕も金銭的余裕もありません。

そのため老親に公的支援を要請したら、「本来扶養に回せるはずのお金があるのに、ローンを支払っているからと言って公的支援を受けたら、ローンの返済を公的支援しているようなものでは」と非難轟々になった状態です。そして、公的支援は受けられず、マンションを手放して賃貸アパートで病気の老親を引き取り、自宅介護となったのです。

これって、典型的な家庭崩壊パターンなんですが、それをお望みでしょうか。
そして前段階の老親がいて、自分はマンションのローンを抱える、と言う家庭はごまんとありますが。

結局、この問題を本質的に解決するために必要なのは、「老いては子にタカれ」という構造的な問題の見直しです。「親孝行」「人倫」の美名のもとに、本来不要になったはずの「自助」を要求していないか。

収入を得る道がほとんどありえない老人が、国民年金だけでは生きていけない。寿命だけは延びますから、老老介護のように子供も年金生活者で孫にタカるしかない、という状況になりつつあります。
前に問題になった障害者自立支援法もそうですし、障害者雇用もそう。自分で生きていけない収入を保証されても、あとが困るのです。

そこに「親孝行をしないのか」という罪悪感を盾に「自助」を強制するのはどうなのか。
心理的な負い目をつくやり方は、霊感商法と大差ありません。
「親孝行」という絶対的な善を振りまわすのもいいですが、地獄への道は善意で敷き詰められていることを忘れてはいけません。

もちろん「自助」を基本にするやり方はあります。
しかしその場合は、旧民法の「イエ制度」を全面的に復活させないと釣り合いません。扶養義務者=家督相続権利者とすることで、経済的負担、住居の負担を軽減するのです。それでも「後払い」になるわけですから厳しいことには変わりありませんし、「見返り」が全く期待できない親族だとそうしたインセンティブに意味がありません。

また、「公助」の原資を出していながら、扶養義務者の存在如何でその果実を得られなくなるというのもおかしな話です。年金の問題もそうですが、そうであれば「自助」の「原資」となる配偶者と子供の数によって負担額を変えるしかありません。

生計単位での「自助」を超える対応を強いるのであれば、当然「新しい範囲」が一つの「家族」となります。しかしそれは65年前に捨てたはずの概念の復活になりますから、当然憲法論議になります。(1947年の民法(家族法、相続法)の白紙改正は、新憲法施行に伴う「憲法違反」条項の修正といえる)

さらに言えば、扶養義務は同時に監督義務(監督権)とセットにならないと、キリギリスが常に勝ち組になるため、究極のモラルハザードが発生します。

さて、とはいえ生活保護に安住することは確かにおかしいわけですが、そういう意味でも2番目の倹lのケースはテンャ宴梶[な利用を安直と非難していますが、制度趣獅ゥら言えば正当であり、そういう意味でも巷間の批判が的外れであるといえます。

老人や障害者のように収入を自力で得ることが難しい人に中途半端な収入を与えて、別生計の扶養義務者の支援に期待するのではなく、それぞれの年金等の制度できちんと生きていける制度設計にすることがまずあるべき話です。

一方で労働が可能な層については、就労までの支援として時限的な支給にする。制度的には雇用保険の一種として、それで延々と生活することはない、とすれば、「不適切な受給」も「必要な人がもらえない」ということも、「親族共唐黶vと言うこともないはずです。

冷静に考えれば、親族に失業者が出たとき、雇用保険よりも扶養義務者が支援しろ、と言うことはないですよね。被用者と雇用者が保険料を負担していると言うスキームがはっきりしているから、さすがに「やらずぼったくり」とバレるからでしょうが、生活保護だってその原資となる税金を納めていて、まずは親族が、ではこれも「やらずぼったくり」ですから。

そしてフードスタンプなどの現物支給も十分考えるべきでしょう。汎用性がないというのであれば、「金券」でいいでしょう。
既に「地域振興券」などの使用箇所、使途限定の公的な「金券」の前例がありますから、これを応用すればいいのです。使用可能箇所を法律で限定すれば、ギャンブルに消えると言うことも少なくなるでしょうし。

他人に譲渡して「ロンダリング」する可能性もありますが、同一市内のみ使用可能というように流動性を低くすれば勢い市場性がなくなります。また、受給証を発行し、それと同時に使用しないといけないというような制約を課すことも考えられますね。

かなり不自由ではありますが、最後のセーフティネットとして確実に機能させる代わりに、それくらいは甘受すべき事項です。

こうした制度設計の根本を見直さずに、「公助」を放棄しようとする与野党の姿勢は厳しく指弾すべきでしょう。