東矢憲二の「気づきの経営」

経営コンサルタントとしての長年の経験を活かして、様々な気づきをご紹介します。
毎日読んでいただくと、心がホンワカ・・・

成功を得る方法

2019-12-16 | 人生の気づき
成功を手にする絶対的な方法は、何でしょうか。それは、失敗しても失敗しても、成功するまでくじけないことです。そうすれば、必ず成功を手に入れられます。失敗してもくじけない意思力の存在、これがキーポイントですね。

では、くじけないためにはどのように対処すべきでしょうか。一段一段、上るということでしょうか。自分の力を徐々に高めることと、自分の実力に見合った目標を設定することです。すると、近いうちに必ず、成功します。なんと簡単なことでしょうか。

小さく生きて大きく大成

2019-11-23 | 人生の気づき
日々の食事が 将来の身体になり 健康の基になる
日々の読書が 将来の羅針盤となり 智慧の基になる
日々の人づきあいが 将来の人脈となり ネットワークの基になる
日々の継続が 将来の習慣となり 性格の基になる

将来の大成につながるか否かは 小さな日々の積み重ね次第

「楽し」の語源

2019-10-23 | 雑談
読書は素晴らしいですね。色々な知識が得られます。最近の収穫は、「楽し」の語源です。

胎児は、ずうっと手足をすぼめて窮屈に胎内にとどまっています。そして、出産のときに「手を伸ばし」ます。この「手伸ばし」を縮めて「てのし」がさらに「たのし」に変化したようです。縮めていることは窮屈ですから、縮めている世界から解放され「楽しい」世界を作り出す。納得しました。

幸せの定義

2019-10-19 | 人生の気づき
歳を重ねてくると、「幸せ」の定義が随分変化したことに気づきます。

子供のころは、「やりたいことしたいことが叶えられること」でした。
青年時代は、「何がしたいか、何が幸せか、全く不明」でした、

中年のころは、「自分の名前を高めたい、大きな仕事をしたいという、自分の野望が叶えられること」でした。、
そして今は、「周囲の人たちに幸せを感じてもらえるように、何かのきっかけを提供したり貢献をさせて頂くこと」になりました。

今の考え方を持てるようになったのは、これまでの経験の積み重ねからですが、どのような体験をしてきたか、簡単に経緯を述べましょう。当初目指した「名誉」や「お金」がある程度できてくると、より以上に嬉しい戴き物が、「有難う」という感謝の言葉なんです。その言葉は、感謝の度合いによって、感情が込められ方も違ってきますので、感極まったお礼の言葉は、何物にも代えがたいものとなるわけです。

その方の心の奥底まで入り込めた関係になることは、1等の宝くじが当たった以上の喜びなのです。目に見えるものよりも、目に見えないものに価値のあるがよく分かった結果かもしれません。

人としての喜び

2019-09-05 | 人生の気づき
長い人生を重ねてくると、人としての喜びの感じ方が変わってくることに気づきます。それは、人間としての成長を裏付けるものでもあります。

幼いときは、自分勝手な願いであったとしても、その願いが叶えられることに喜びを感じました。
青年時代も、私は人間的に成長していなかったので、幼い時とほぼ同様であったように思います。
社会人になると、自分が認められることに、より大きな喜びを感じました。
そして、現在はと言えば、「他人様から必要とされることに喜びを感じ、自分の存在意義を確認しています」



期待できない

2019-07-18 | 経営の気づき
先日、非常に意識の低い経営者に出会いました。その方は、わが社の社員の意識は低いから、高度な仕掛けを施しても無駄だと言われます。社員の方たちに対して、何も期待していないその説明に愕然としました。ナンバー2の方がやりたいことを抑えるためにも、現状の意識の低さを問題視しているわけです。

出来れば、ナンバー2の方にトップになって欲しいですね。そうすれば、私が提案させてもらったことも実行に移せるのですが、社員に期待できないトップの方は、寂しすぎます。この会社の最大の課題は、トップの方の意識です。トップが、社員に期待しない会社の社員の成長は、絶対あり得ませんから。

私の投票

2019-07-15 | 私流
以前は自民党を支持していた私ですが、最近の自民党の驕り高ぶりが目に余ることから、無党派に変わりました。そして、毎回考慮するのがバランスです。どちらが当選すると、世の中が良い方向に動くかという視点。

今回の参議院選では、頼りない野党ではありますが、自民党の驕りを抑えるために、野党に投じます。過去において「該当なし」と記載したこともありましたが、バランスを意識した場合、誰かに投票した方が良いでしょう。大きく変わらなくても、小さな何かを変えるために。

自分のため・自分の党のために動く「政治屋」ばかりの昨今、本物の「政治家」はいなくなりましたね。残念なことです。

生の執着

2019-06-30 | 人生の気づき
歳を重ねると、体力とともに一部の仕事力も落ちてきます。若いころに比べれば、記憶力やアイディア力はずいぶん低下したかもしれません。しかし、説得力や根回し力は若いころよりも数段上回ってますから、力の衰えはさほどないと思いたいです。

とは言え、力の衰えがあるからこそ、生の執着が弱くなって、いずれかの時期に訪れる「死」を受け入れる気持ちが整いつつあります。そのように考えると、力が衰えるということは、「死の訪れ」を受け入れるための良い手段なのですね。

気配り

2019-06-02 | 人生の気づき
気配りのできる人かどうかを見分けるシーンは、私の場合、横断歩道です。車が、横断している人を待っていようがいまいが、スマホを片手に操作して、ゆっくり歩く人。こういう人はだめです。仕事の後工程や前工程の都合など、全く考えないでしょうね。こういう人は、小売店で接客して、お客様を気遣っているふりをしていても、自分の売上の成績のために頑張っていて、お客様の都合など全く考えない人だと思います。

ということは、このような横断歩道のシーンをよく見かけますから、お客様本位で仕事をしているビジネス・パーソンは少ないのでしょうか。非情な事件がニュース報道される最近、自分のことしか考えない人が増えているのは残念です。しかも、政治家もこういう人が増えているのが世界の現状ですから、これからの世界の動きが心配です。

せめて、自分の周りくらいは、温かい人たちで固めて、心の暖をとりましょう。

リタイアのイメージ

2019-04-21 | 人生の気づき
そろそろリタイアの時期かなと思っています。早ければ一年、遅ければ五年。でも、仕事の大好きな私は、完全に仕事から離れるのが寂しく怖いのです。でも、古いブログをさかのぼってみますと、65歳でリタイアするという記載がありました。予定より5年過ぎていても、まだ仕事をしています。自営業はマイペースで時期を定められるから良いですね。

しかし、リタイアに備えて、今からイメージ・トレーニングをしています。何をして過ごすのか、楽しみをどのようにして創るのか。今は、精神的な準備期間です。

先日の日曜日、知人の招待でパーティーがあったのですが、この時は、公共交通機関で移動しました。久しぶりの電車ですが、切符を買ったり、到着時刻を待つときの過ごし方は、本当にのんびりとゆっくりとした時間経過です。無駄な時間を作らない自動車移動と違って、公共交通機関はのんびりと良いですね。今後は、スローな生活になるのかと、新しい期待感も芽生えています。

人生は後半が勝負

2019-03-29 | 雑談
今月70歳を迎えた私。色々な組織を立ち上げてはトップの役職に就いたり、様々な機関の公職をたまわってきましたが、最近はそれらの役職から少しずつ引いています。本来は煩わしい職でしたが、一つひとつ引いていく中で、一抹の寂しさを覚えています。

あると煩わしいものも、消えていくことによって寂しさを感じる、人間とは勝手なものです。先日も、電話連絡にて今月を限りに引いてくださいとの話を伺い、笑ってオーケーしましたが寂しいです。しかし、事務所に帰ってみると、別の機関から引き続き委員長をお願いしますとの連絡が入っており、少し気分を良くしました。

夜も眠る時間を惜しんでしていた仕事も、その量が減ってきました。若い人を育てるためには、我々老兵は去るべきなのですが、仕事が大好きな私は、寂しくならない工夫が必要です。さ~て・・・・。

健康を気遣うわけ

2019-03-01 | 私流
私が健康を気遣っているのは、一生、酒を飲み続けたいためです。回数を減らしても良いし、量を減らしても良いのですが、絶対に禁酒にはしない、このこだわりが、健康を気遣う私を作り上げました。

絶対に成し遂げたい強い目的があれば、自ずと生活コントロールも的確に実行されます。目的は不誠実なものかもしれませんが、そのために誠実な生活を送る私が整うとすれば、良しとしましょう。(笑)

ボランティアを通じての人間成長

2019-02-25 | 人生の気づき
ボランティアの語源は、ラテン語の「volo」(ウォロ)だそうです。これは、「自分から進んで〜する」「喜んで〜する」という意味です。つまり、「自発性」が中心になるということです。

しかし、日本では、「自発性」や「主体性」の重要性がないがしろにされることがあります。たとえば「良いことだから、子ども達全員にやらせよう」という発想を持つ人もいます。しかし、ボランティア活動がもつ最大のチカラは、「私」発であること。つまり、自分自身が気になること、好きなこと、得意なこと、あるいは憤りを感じること、放っておけないと思うこと・・・そこからスタートすることに大きな意味があります。

最近国内に多発している自然災害に面するとき、困っている人を助けなければと会社から促され、指示命令されて送り出される場合は、ボランティアにならないのですね。それは奉仕活動であってボランティアとは意味が異なります。でも、指示命令されてその活動を従事することによって、気持ちが動かされ、本心からその活動に従事すれば、その気持ちが変化したとたんにその活動はボランティアになります。

意識が低い私たちからすれば、そのような成り行きも必要かもしれませんね。

病と闘わない

2019-02-20 | 人生の気づき
10数年前に発症した憩室炎、3年前に発症した痛風。これらの病に巡り合って、色々と気づかされました。私の生活習慣の間違いの気づきです。その意味では、病は天から与えられた貴重な信号です。我々は、事故は別にして、一気に命を失うことはありません。病によって、先ずは生活の間違いに気づかされます。したがって、私の場合、薬に頼ることはしないで、生活習慣の変更を試みます。

憩室炎を患った時は、植物や動物などの命を、食事として戴いているという食事の意味に気付かされました。何しろ、10日以上の絶食を経て御粥を食べましたから、涙を流しながら正座して食べたのを覚えています。それ以来、暴飲暴食は収まりました。そして、痛風を患ってからは、飲酒回数を減らし、野菜食を増やして、ウォーキングも日課になりました。

このように病と仲良く付き合ってますから、病気との付き合い方は、闘う相手ではなく、教えを乞う先生なのです。

感情労働

2019-02-18 | 経営の気づき
新しい事業形態が登場する中で、昔に比べると働き方もずいぶん変わってきました。例えば、肉体労働や頭脳労働ではなく、感情労働という新しいタイプが増えてきたのです。肉体や頭脳を用いる働き方ではなく、感情という精神面が疲れる仕事ですが、特に医療や看護関係のスタッフに要求されるタイプです。悩ましいことや嫌なことがあっても、顔色に出すことが出来ず、内に秘めていなければならないことから、ストレスがたまりやすいのです。

しかし一方で、喜びもあり、その度合いも並大抵のものではないといった特色があります。先日、ある訪問看護のスタッフから聞いた話です。「私のお世話している人の中に、何をさせてもらってもお礼を言ってもらえず、いつもぶすっとした顔をしている人がいます。でも、3年間色々とお世話させてもらってきましたが、初めて嬉しそうな感触をつかみました。感謝の意を表明するでもなく、笑うでもなく、顔色一つ変えないのですが、なぜか、私には彼が喜んでいることを感じたのです」と。

「これまでずっと、何とか彼の何かを変えたいと奮闘努力していましたが、やっと成果が見えました。やったーと感じました。この時ほど、今の仕事にやりがいを感じたことはありませんでした」と、輝く顔で語っている姿は、何とも誇らしげでした。