西洋世界においてランの花は東洋を象徴することを知った時、意外な感じがしたのだけれど、これはランの花弁が進化しすぎてひとつも対称軸を持っていないことから、西洋のデカルト的世界観から東洋を眺めた際、対称軸を持たないということが非近代的なアジアのイメージと被ったからではないか?
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古人類学者のルイス・リーキーが、ケニアのマウマウ団に命を狙われていたとは知らなかった。このマウマウ団のメンバーで後にケニア初の国連代表となったンゲセ・ンジョロゲを父に持つのが、ハーバード大学を主席で卒業後、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのギタリストだったトム・モレロだ。
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ピラミッドに繋がる通路を守る女神スフィンクスとは、シェプス・アンクつまり再生復活の女守護神だ。するとピラミッドとは母胎であり、そこに至る産道入り口、つまり女性器を守るのがスフィンクスではないか?だからこそペルシャ戦争以前のギリシャのスフィンクス像には女性器が付いているのだろう。
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オイディプスが会話するスフィンクスとは女性器、つまり人間が生まれる場所かつ死んでピラミッドへと帰る際の女守護神、つまり生死の象徴なのだろう。だからこそ「朝は四本足、昼は二本足、夕は三本足。この生き物は何か?」と生老病死に関する問いを立て、オイディプスに人間と答えさせたのだろう。
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この視点からパゾリーニの「王女メディア」を見返したら、新たな発見がありそうだ。あの映画で王女を演じるマリア・カラスには鬼気迫るものがあった。カラス本人も歌う気満々だったのに、全く歌わせてもらえず大変驚いたそうだ。
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吉村作治は狛犬の起源はスフィンクスだと言っていたけれど、シェプス・アンク(スフィンクス)を意味するアンクの印が千手観音の持ち物になっていことから、アジアへと繋がる一本の導線が引ける。すると、狛犬が発する「あうん」という母音から始まる音は、誕生と死を意味するのか?
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以前京都の国立博物館で、紀元7世紀ころの長安の仏像の胎内に収められていたという、まだら色の点が描かれた2本のピンクの卵管と、その先端に付けられた、上下に引き延ばしてプレスされた赤いリボンからなる女性器を見た瞬間、私は全身に電気が走る程の衝撃を受けたことがある。
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@psyche_5 宗教学科の修士の学生さんということですから、ぜひ調べてみて教えて下さい。そのTWはRTして、皆さんと共有したいと思います。
情報とはYesとNoの違いにおいて、Noの数の多さ=二進法の集積によって決まる。つまりYesはそこで1つの塊となって終了するが、Noはそこを細分化し、情報を生み出す。すると完全情報とはYesとNoの違い全てと一致するが、YesとNoの違い全ては特定できず、完全情報は成立しない。
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五芒星も陰陽図は、一筆書きで書くことができる。これは宇宙を流動的に捉えた図であるが故に、一筆でフローする必要があったのだろう。故に五行は循環可能であり、それを最小化したものがジャンケンの3すくみだろう。
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ナムジュン・パイクは「すべての経済活動は同じエネルギー・コンポーネントは持っていない」ことに気付き、一人当たりの生産量を毎時間のエネルギー消費量で割ることで、その国がどれだけポスト・インダストリアル・ソサエティに近づけているかを計るべきだと考えたが、一考に値する視座ではないか。
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ニュートン力学から生まれているからこそ、古典経済学にはミクロ経済とマクロ経済が成立するのだろう。するとニュートン力学におけるマクロ(相対性理論)とミクロ(量子力学)の統合を目指す統一場理論を導き出す際に、ミクロ経済とマクロ経済の系は参考になるかもしれない。
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この統一場理論を考える上で、自由意志という概念は邪魔になると思う。人間の行動を環境の結果だと物理的に捉えれば、その人間の行動(ミクロ)は自然(マクロ)によって規定されていることになり、無矛盾に接続できる。
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易とは、易で占った陰陽の結果の組み合わせ(ミクロ)が、現実の世界全体(マクロ)と一致することから、小さなものを大きなものへと投影する形で世界を占おうという方法なのだろう。
易の陰陽から成る八卦をバイナリーだと看破したのはライプニッツだったけれど、伏羲が作ったとされる河図洛書は、動物の皮膚に現れた模様(ミクロ)から宇宙(マクロ)を占ったものではないか、と気付いたのは、僭越ながら、もしかしたら私が最初かもしれない。
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言い換えると、サイバネティックスの考え方が歴史上最初に表れた例が、伏羲が作ったとされる河図洛書なのだろう。
アジアは科挙などの例外を除き、暗黙知の顕在化を得意としなかった様に思う。これを顕在化させることに成功したのがデカルト的近代合理主義だろうけれど、この顕在化を最大の目標としてしまうことで起こる過ちの良い例が、偏差値教育だろう。
「白鳥の歌」とは死ぬ間際に白鳥が歌う歌のことで、その時の声が最も美しいという言い伝えから、作者が最後に作った詩歌や曲、演奏を指すという。シューベルトの遺作の歌曲は「白鳥の歌(Schwanengesang)」で、また松澤宥の「白鳥の歌」には、イタリア語が沿えられていた。
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松澤宥の『白鳥の歌』における「この九枚の白き石盤の中に白き球を観じそをあわれ死に臨める白鳥としてここに白鳥の歌を聞けよ」の九枚の白き石版とは胎蔵界曼荼羅に相当し、白鳥はおそらく輪廻転生を指していたのだろう。
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存在は動詞にならなければ役に立ちませんよ。人間はその動詞になった存在を素材にして肩を創り、その上で勝負のない賭を無からの創造を、意味ある無償の行為をすることが出来るわけです 『異端者の告発』